天気 晴のち曇
8年前の同じ日の飛行機雲。今日は雲の多い日で。
昨日から、あまり体調良くない。免疫療法の点滴をして1週間は、色々副作用があるので一回目は症状観察のため10日も入院させられた。今回は三回目。二回目も「一人で生活出来ない環境でしたら1週間入院も出来ます」と言われたが、無論断った。病院はイヤ。
<以下、真面目な免疫療法の話ですので興味ない方はスルーしてください>
免疫療法とは・・某大病院の説明の抜粋
がん免疫療法は私たちの体に備わっている"異物を排除しようとする力"(免疫力)を増強することによって、がん細胞の増殖を抑える治療法です。がん患者が年々増加傾向にある中で、がん免疫療法は現在広く行われている外科療法、化学療法、放射線療法に続き"第4のがん治療"として注目・期待されています。がん免疫療法がより有効であるのはがんの発症予防や再発予防であると考えられますが、一方で期待や需要がより大きいのは進行がん患者に対してであり、そのどちらにおいても科学的根拠に基づいたがん免疫療法の開発が必要です(以下略)
免疫療法は、健保適用になったものと、全額自己負担の、まだ治験中のものとある。以前から話は聞いていて、夫のときもネットで見たりして主治医に訊いてみようかと思った。が、ステージ4ですでにリンパへの転移もあり、今の病状を少しでも抑えるだけなら無駄、と思い訊かなかった。ドクターも「延命治療はしない」と本人も言うので、余命数ヶ月の患者に無駄な治療はしなかったのだ。
でも、もしかして、と、がんに効くという山梨の温泉へ3泊の湯治には行ってみた。夫は余命何ヶ月、とは思えないくらい、体力はあった。辛い症状がないので、本人は「オリンピックは見たい」と言っていたくらいだ。一年後まで生きているつもりだったようだ。
それが7月初めのこと。その月のCT検査では、がんが小さくなっていてびっくり。
でも8月には鼻へ転移、時間の問題で脳へ転移します、と言われ・・
9月半ばには脳転移。心臓が丈夫で10月いっぱいは命を繋いだけれど・・
さて、私のがんは、というと、夫とは全く違う種類の肺がんで、心臓さえ丈夫なら手術してオシマイ、の初期のもの。今のところ脳への転移の心配もない。で、飲み薬の抗がん剤で小さくしよう、としたら、その薬の副作用が辛いこと、辛いこと。飲み薬なら楽なもの、と思ったが、乳がんの治療でさんざん抗がん剤の点滴をして、体じゅうの毛が抜けて、爪まで真っ黒になって・・という経験もしたのに、今回の飲み薬は辛かった。1回で「お断り」した。もういいや、どうせコロナで死ぬかもしれない世の中・・と思い始めたら・・
もしかしたら、免疫療法を使えるかも・・と、ドクターは思ったのだ。承認が最近らしい新しい薬なので、副作用がどんな人にどの程度出るのかがまだ、はっきりしていないようだ。まだ治験中のような、説明書にズラリと並んだ副作用の症状の数が・・でも、承認されているのだから、国を信頼するしかない。
何よりも、今のところレントゲンでの確認で、がんはおとなしくなっている。おまけに、その薬のおかげ? 膠原病の間質性肺炎までおとなしくなっている。
という日々なのです。前回の飲み薬のように辛かったらやめるつもりだったが、我慢出来ないことはない。そうでなくても心臓の状態から、体調がすっきりしたことはないし体力も衰えている。おまけに、オミクロン株とやらで施設は緊急事態宣言時と同じく出入り禁止。籠るしかない暮らしだ。
治療とは、副作用とのバランス。その副作用は、人により全く違う。ワクチンの副反応と同じだ。副作用の辛さを我慢してでも回復するなら耐えねば・・でも、私の場合は回復する訳でも完治する訳ではなく、もしかしたら現状を維持するだけの延命治療の一つで終わるのかも。でも、がんばらなくちゃ、と思うのは、憎っくきコロナから解放されて、マスクなしでの暮らしをもう一度味わいたい、という、単純な欲のためで。
どこまで頑張れるやら。今日はひどい目眩と息苦しさが辛いものの、平熱、血圧正常、お腹はちょっとおかしい・・でも、 食欲あり。
やはり、もう少し頑張ってみよう。
何やらけなげなヤブコウジの実と、霜柱。7年前の今頃の写真。
饒舌な九十翁と日向ぼこ KUMI
病というものと療養の辛さの一端を今日も知ることが出来ました。
4つ上の姉は、14年前に福岡で母の法事に集まった際に「今から癌の治療に入るが、とても大きななレール台に一人載せられて周回する。費用は3百万円くらい」などの話を聞いたきりで、医師も匙を投げたような雰囲気でしたが、未だに寿命が繋がっているということは癌は消えたのかな?なんて想像しています。
息子(私の甥)が東京に居て、その姉(姪)がいわき市から月一くらいに日帰り車で施設にやってきているようですが、時々福岡の姉に入る話しだけが、唯一の情報です。
広島で暮らして居た、次兄は膵臓癌で短い入院で65歳で亡くなりました。
ほんとKUMIさんの場合は、こうしてブログで現況を書かれているのが驚異的に思えます。
「饒舌な九十翁と日向ぼこ」
少し煩くても、多少の時間つぶしにはなるでしょうか?
有難うございました。
父の肝臓がんの末期に医師に相談して、日本医大にワクチンを受け取りに出向いたものです。もっと注射による治療が早ければワクチンの効果も分かったでしょうが、その猶予もありませんでした。
ワイフの鼻腔がん切除後の放射線治療、抗がん剤服用の副作用を知ると、万一 転移した場合には免疫療法も勉強しなくてはと思います。
いつもブログ拝見して…日々の闘病と施設での暮しが手に取るように分ります。辛いですよね。
でも書くと言うことは、書けると言うことでも…本当に一番辛いときは書けませんもの。
というより書く気力もないということで…口で言うのは簡単ですが実のところその辛さは本人にしか…または全く同じ境遇での治療などを経験した人でないと分るはずありません。
しかし、それは仕方の無いことで…
KUMIさんの経験…万分の一ぐらいは私にも分ると思うのですよ。でもね…
人は皆自分の置かれた立場でしかものが言えません。だから自分が本当にそうなったときに初めて実感するということ。
先の見えない今ですが、〝明けない夜はない!〟と思って、一緒に頑張りましょうね!
これ、いつも自分に言い聞かせている言葉なんですよ。
でも、今の健保に範囲で出来るところまでやって、ダメな部分を補填、が正解のようです。
私も、乳がんの時の二度目の抗がん剤は、その2年前までは自由診療で500万、と言われました。
公立の病院なので、「あと1年で保険適用になる筈」とドクターが教えてくれて・・
結果、安く済んで、生存率低かったのに今があります。
お姉さまもきっと、そういう治療をされたのでしょうね。
日進月歩、良い治療がどんどん出てきます。
>多少の時間つぶしにはなるでしょうか?
暇つぶし、ということばは、私にはありません。
体調悪くて何もしない時はありますが、暇を持て余して日向ぼっこはしたことがありません。
本当に、頑張られたのにはびっくりです。
私も体重はありませんので、タイホウの治療をしていたら食べられずにどうなったやら・・
あの薬は、肥満体の人ががん治療する時にはいいかもしれませんね。イヤでも痩せます。
丸山ワクチンの時代、母ががん治療をしていました。
でも、もう達観していて手術すら拒否。
平均寿命まで生きたらもう十分、と言い、79歳で。
奥さま、これから体力回復されると思います。寒さもあと少しの辛抱ですし。
私は、60歳前半にがんになったとき、ネットで色々な人の体験など見て知って、とても助かりました。
経験者だけの掲示板の集まりとかあって、同じ闘病をしている人に随分助けられました。
そんな思いで、ブログに少しでも書いて残せば、参考になるかも・・と。
ここへ入所するきっかけは、あと何年の命かという難病の上に初期がんが見つかったことです。
まさか、1年後も生きてるとは思いませんでした。
コロナのせいで、もう少し頑張らなくては・・と思うようになったからでしょうか?
ちわきさんも突然の暮らしの変化、コロナ禍では大変かと思います。
その点、私は自分のことだけ考えていれば良いのですから気楽、かもしれません。
頑張る、ということばを人にはあまり言われたくありませんが、お互いに頑張りましょう、は力になります。