KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

桜の記憶・目黒川

2024年04月07日 | 俳句
天気 曇のち晴

ようやく春の体感の暖かさになった。桜は満開、見どころは凄い人出だろうと想像がつく。
そういえば、最近はTVに目黒川の桜の映像がよく流れる。あの年に行ったっけ・・と思い出させてくれた。
2011年4月7日・・つまり、東日本大震災の年の今日と同じ日、目黒川へ行っている。今年のように開花の遅い、いつまでも寒い年だったのを思い出した。花見なんかしている場合じゃないでしょ、と震災のニュースを見ながら思いつつ、毎日のように近場へ出かけていたっけ。


両岸に桜がびっしりと咲かなければ、どうということもない都会の川。でも、桜はあの頃も有名になっていた。都心に近いので都会方面に行きたい人は、上野へ行くか目黒川へ行くか・・などという感じで。私はそれまで、桜は多摩で十分、と思い避けていた。

わざわざ行く気になったのは、大震災がきっかけだった。
震災で故郷を失う人たちが多かった。福島には夫の祖母が疎開したまま住みついたので親しい従兄弟たちも福島・宮城に住んでいた。幸い、従兄弟の家族は原発事故で故郷を追われることはなかったが、「汚染地帯」の汚名には泣かされたようだ。
我が家も、「地震保険に入っていて良かった」という程度の見舞金を損保会社が払ってくれたくらいの、被災者のはしくれではあった。
そんなこんなで、「ふるさと」を改めて感じさせられる日々になり・・

私は普段、「出身地」と聞かれれば「千葉」と嘘を言っている。両親が生粋の上総国の出身、で、私はといえば「目黒生まれ」なのだ。戸籍にしっかり書いてある。戦争末期に母の実家を頼って東京湾沿岸の村へ疎開した。で、私は生まれたところを「目黒」と言ったって覚えていることは何もない。
でも、兄や姉はよく、父の官舎だった目黒に居た頃の話をした。学校の名も私は聞かされていた。家から見える「西郷邸」が空襲に遭って燃え、それがきっかけで疎開したのだという。西郷、というのは西郷隆盛の子孫にあたる男爵?家のこと。
一体、どこに家があったやら、もう知っている親も兄姉も居なかったが、目黒川の上流らしいということは知っていた。駅も大体、推測出来た。西郷邸跡は小高い丘で、今は公園になっていて解り易かった。兄姉の通った小学校は今も同じ名で残っていた。
戦争がなければ、都会の真ん中のこの学校へ入れたのかぁ、とちょっぴり悔しいような・・今だに、心のどこかで、自分だけが「東京生まれです」と胸を張って言えないことが悔しいらしい。東京の何処?と聞かれるのが困るからそう言ったことがないのだ。
西郷山に咲いていた桜。陽光、という名を初めて知った。


この年の花見どきは、どこへ行っても人が多かった。家に居るのが怖かったのだ。ニュースで災害関連の画面ばかり見せられて疲れ、放射能の情報の飛び交う中で子供を持つ人たちは不安に駆られ・・余震は始終起きるし。家で余震に脅えるよりは人と一緒に外に居た方が・・というのが、近所の子供連れの人の本音だった。

目黒川は故郷の桜・・と言ったら、結構自慢出来るかも。

両岸を川面を花の咲きあふれ KUMI
コメント (6)
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