昨夜の日曜洋画劇場で、「デイ・アフター・トゥモロー」という映画をやっていた。地球の温暖化によって、激烈な自然災害が起き、多くの人命が失われるという設定である。確かに現実問題として、ありえない話ではないだけに、そうならない努力をし続けなくてはならないと思う。
最近知った言葉で、「フォトンベルト」というのがある。そんなものは、もうとっくの昔に知っているという方のほうが多いのだろうが、とりあえず説明しておく。ネットを駆使してまたまた付け焼刃の知識を披露しておきたい。
「フォトン」とは電子と陽電子が衝突した時に発生する「光子」と呼ばれるエネルギーだそうだ。この時点で、すでにイメージが湧かないが、光の粒子みたいなものを想像すれば良いのだろうか?
このフォトンは、銀河の中心近くのプレアデス星団の、アルシオーネあたりから放出されているそうな。(と言われて分かる人はいるかな?)そして、銀河が平たいお盆のような物だとしたら、それに対して垂直に存在するエネルギーの帯のようなものかと想像している。
地球は太陽を中心に365日で太陽の周りを一回りするが、太陽系は、26000年かけて銀河を一回りする。その時、13000年毎に、このフォトンのエネルギー場を通過するらしい。その時に、地球に多大な影響を与えると言われている。前回地球がフォトンベルトを通過した時は、ムー大陸やアトランティス大陸が消滅したらしい。また、エネルギーの高い光子の渦巻く領域を地球が通るため、磁場や重力場にも大変化が起き、人体にもなんらかの影響が出る可能性があるのではないかと推察される。
2012年12月20日ごろを境に地球もすっぽりフォトンベルトの中を漂うことになる。マヤ暦は、この日で終っているのだそうだ。そして、通り抜けるのには2000年もかかると言われている。
そこで、地球環境に激烈な変化を及ぼすだけでなく、人体にも影響を与え、人間の思考にも劇的な変化をもたらすのではないかと考えられる。中には、人間が人間以上に進化するアセンション(次元上昇)のきっかけになるのではないかと期待する者もいるらしい。
果たして、フォトンベルトは存在するのだろうか?SF好き、オカルト好きな人は存在して欲しいと思うかもしれない。少々科学に詳しい人は、そんなのは、戯言だというかもしれない。ウィキペディアフリー百科事典によると、フォトンベルト説はかなり怪しい説のようである。
ここで、フォトンベルトがあるかないかの、論争を起こすつもりは全く無い。それよりも、このような説を宗教が巧みに利用する可能性を指摘したい。
オウムでもそうだった。あまりにも有名になった「ノストラダムスの大予言」。世紀末「1999年7の月 空から恐怖の大王がやってくる。」というノストラダムスの大予言を利用して、ハルマゲドンが起きるということで全員が踊らされた。挙句に、自分達で偽ハルマゲドンを起こしてしまった。
その前は、オースチン・ハレー彗星だったかな?彗星によって地球上の大変革があるだの、大地震があるだので、石垣島に無理やり集合させられた。その時は、どうしても行けなかった私は、姉と一緒に、この世がもう終るかもしれないと、覚悟を決めた覚えがある。そうしたら、石垣島に行って帰ってきただけだったと聞かされ、「なーんだそれは。」とほっとしたと同時にがっかりした。
当時は、グルが真理に対する信や帰依を試しているのだと考えていたが、出家者を募るために行なったイベントだったような気がする。ハレー彗星が来るから、今のうちに出家しなさい、ハルマゲドンが来るから出家しなさいと言われ、出家した人がずい分いたのではないだろうか?
今になって思うと、教団が拡大していき、内部のスタッフが不足したので、急遽出家者を増やす必要でもあったのではないだろうかと勘繰ってしまう。当時は、今生で出家のカルマを作ってあげたのだよ、などと言われていたようだ。
ともあれ、オウムでは、このように世紀末思想を利用してきたわけであるが、少なくともアーレフでは過去のオウム事件を反省し、このような曖昧な説に振り回されること無く、真理を探究していただきたいものである。
だいたいにおいて、事故でも、病気でも自分が死ぬ時がハルマゲドンである。ハルマゲドンでも、フォトンベルトでも、そんなものは、来るかもしれないし来ないかもしれない。そんなものにおびえているより、一日一日を有意義に生きたほうが良いに決まっている。癌で、あと三ヶ月の命と言われた人のほうが、遥かに恐怖が大きい。確実に死がやってくるからだ。それでも、精一杯生きようとする人達、生きた人達の実例を我々は沢山知っているはずである。
ハルマゲドンや世界の終焉を期待する心は、誰でもどこかにかすかな願望として持っているのかもしれないが、それは、現実世界の不条理さを自分の力で解決できないので、外的な力を借りて壊してしまいたいという欲望の現われなのだと思う。それを、願う時の心の有り様は、自己中心的である。
私自身の心を分析してみても、自分は、そのハルマゲドンを超えて生き残り、救済活動を行うという、ヒロイズムに酔いしれていることが分かる。しかし、自分が生き残れるかどうかなど、どこにも保障がないのである。それよりも、自分の身内や、多くの同胞が死ぬ可能性が極めて高いのである。そのような事態が起きることをなぜ願うのであろうか?そこには、慈悲が無いのである。あるのは、歪んだヒロイズムと現実を破壊したいという欲望である。少なくとも、真理を探究するものは慈悲と伴に歩むべきであろう。
最近知った言葉で、「フォトンベルト」というのがある。そんなものは、もうとっくの昔に知っているという方のほうが多いのだろうが、とりあえず説明しておく。ネットを駆使してまたまた付け焼刃の知識を披露しておきたい。
「フォトン」とは電子と陽電子が衝突した時に発生する「光子」と呼ばれるエネルギーだそうだ。この時点で、すでにイメージが湧かないが、光の粒子みたいなものを想像すれば良いのだろうか?
このフォトンは、銀河の中心近くのプレアデス星団の、アルシオーネあたりから放出されているそうな。(と言われて分かる人はいるかな?)そして、銀河が平たいお盆のような物だとしたら、それに対して垂直に存在するエネルギーの帯のようなものかと想像している。
地球は太陽を中心に365日で太陽の周りを一回りするが、太陽系は、26000年かけて銀河を一回りする。その時、13000年毎に、このフォトンのエネルギー場を通過するらしい。その時に、地球に多大な影響を与えると言われている。前回地球がフォトンベルトを通過した時は、ムー大陸やアトランティス大陸が消滅したらしい。また、エネルギーの高い光子の渦巻く領域を地球が通るため、磁場や重力場にも大変化が起き、人体にもなんらかの影響が出る可能性があるのではないかと推察される。
2012年12月20日ごろを境に地球もすっぽりフォトンベルトの中を漂うことになる。マヤ暦は、この日で終っているのだそうだ。そして、通り抜けるのには2000年もかかると言われている。
そこで、地球環境に激烈な変化を及ぼすだけでなく、人体にも影響を与え、人間の思考にも劇的な変化をもたらすのではないかと考えられる。中には、人間が人間以上に進化するアセンション(次元上昇)のきっかけになるのではないかと期待する者もいるらしい。
果たして、フォトンベルトは存在するのだろうか?SF好き、オカルト好きな人は存在して欲しいと思うかもしれない。少々科学に詳しい人は、そんなのは、戯言だというかもしれない。ウィキペディアフリー百科事典によると、フォトンベルト説はかなり怪しい説のようである。
ここで、フォトンベルトがあるかないかの、論争を起こすつもりは全く無い。それよりも、このような説を宗教が巧みに利用する可能性を指摘したい。
オウムでもそうだった。あまりにも有名になった「ノストラダムスの大予言」。世紀末「1999年7の月 空から恐怖の大王がやってくる。」というノストラダムスの大予言を利用して、ハルマゲドンが起きるということで全員が踊らされた。挙句に、自分達で偽ハルマゲドンを起こしてしまった。
その前は、オースチン・ハレー彗星だったかな?彗星によって地球上の大変革があるだの、大地震があるだので、石垣島に無理やり集合させられた。その時は、どうしても行けなかった私は、姉と一緒に、この世がもう終るかもしれないと、覚悟を決めた覚えがある。そうしたら、石垣島に行って帰ってきただけだったと聞かされ、「なーんだそれは。」とほっとしたと同時にがっかりした。
当時は、グルが真理に対する信や帰依を試しているのだと考えていたが、出家者を募るために行なったイベントだったような気がする。ハレー彗星が来るから、今のうちに出家しなさい、ハルマゲドンが来るから出家しなさいと言われ、出家した人がずい分いたのではないだろうか?
今になって思うと、教団が拡大していき、内部のスタッフが不足したので、急遽出家者を増やす必要でもあったのではないだろうかと勘繰ってしまう。当時は、今生で出家のカルマを作ってあげたのだよ、などと言われていたようだ。
ともあれ、オウムでは、このように世紀末思想を利用してきたわけであるが、少なくともアーレフでは過去のオウム事件を反省し、このような曖昧な説に振り回されること無く、真理を探究していただきたいものである。
だいたいにおいて、事故でも、病気でも自分が死ぬ時がハルマゲドンである。ハルマゲドンでも、フォトンベルトでも、そんなものは、来るかもしれないし来ないかもしれない。そんなものにおびえているより、一日一日を有意義に生きたほうが良いに決まっている。癌で、あと三ヶ月の命と言われた人のほうが、遥かに恐怖が大きい。確実に死がやってくるからだ。それでも、精一杯生きようとする人達、生きた人達の実例を我々は沢山知っているはずである。
ハルマゲドンや世界の終焉を期待する心は、誰でもどこかにかすかな願望として持っているのかもしれないが、それは、現実世界の不条理さを自分の力で解決できないので、外的な力を借りて壊してしまいたいという欲望の現われなのだと思う。それを、願う時の心の有り様は、自己中心的である。
私自身の心を分析してみても、自分は、そのハルマゲドンを超えて生き残り、救済活動を行うという、ヒロイズムに酔いしれていることが分かる。しかし、自分が生き残れるかどうかなど、どこにも保障がないのである。それよりも、自分の身内や、多くの同胞が死ぬ可能性が極めて高いのである。そのような事態が起きることをなぜ願うのであろうか?そこには、慈悲が無いのである。あるのは、歪んだヒロイズムと現実を破壊したいという欲望である。少なくとも、真理を探究するものは慈悲と伴に歩むべきであろう。
そういう説もあるらしいですね。(笑)
あるんだw
でもそっちの方が現実的じゃないかな?w
国会周辺に出来損ないのボツリヌス菌を撒いた
とのことだったかと。
>あるんだw
あちこち見て回っている中にそんな説がありましたよ。
そう思っている人が結構いるということでしょうね。
国会周辺に出来損ないのボツリヌス菌を撒いた
とのことだったかと。
・・・。
だから沖縄、しかも石垣だったのか・・・。
科学班がほんとにヘッポコで良かった・・・。
>国会周辺に出来損ないのボツリヌス菌を撒いた
そんなことをやっていたんだ・・。
むちゃなことばかりしてましたな。
フォトンベルト、ぷ。ノストラダムスに比べたらチンケな終末論ですな。どこかのインチキカルトがまた金儲けのネタに利用するのかしらん?
フォトンベルトの可能\性を考えてみることも、
必ずしも悪い思案ではないと思いますよ。
マヤ暦云々の話をセットにするから、
終末論っぽくもなるし、破滅的な要素ばかりが
強調されることになるわけですが、
ちょっとした不都合は伴うものの、
基本的には人類向上のポイントが、
神秘学的な観点からだけでなく、
一応は科学的な観点からも予\想されている、
と捉えれば、それほど霊感商法に利用されることも
ないんじゃないでしょうかね。
自作自演出来る性質のものではなさそうだしね。
ハルマゲドンは、一応、人が起こすことでしたから。
ですからフォトンベルトを、
ハルマゲドンと同列に考えて斬って捨てることは、
少し考え直すべきではないかと思います。
>基本的には人類向上のポイントが、
>神秘学的な観点からだけでなく、
>一応は科学的な観点からも予\想されている、
ここら辺の観点を中心に見ていけば、そう害はないと・・。
>自作自演出来る性質のものではなさそうだしね。
強力な電磁波を流すとかやらないですかね・・?
今はそんなこと出来る技術も、人もいないか。(笑)
>ハルマゲドンと同列に考えて斬って捨てることは、
少し考え直すべきではないかと思います。
なるほど、大宇宙の運行ですからな。