写真はカザフスタン、ウズベキスタンを訪問するため、羽田空港を出発する小泉首相
共同通信の記事に<言論封殺は許されず 加藤氏の実家火災で首相>がありました。このなかでマスコミに対する首相からの指摘を以下に引用します。
(引用始め)
首相は自らの参拝が「ナショナリズム」をあおり立てているとの指摘について「全くそれはないと思う」と反論。さらに「あおりたがる勢力があるのは事実だ」とした上で「マスコミなどもなぜこれだけ常に靖国問題を取り上げるか考えた方がいいと思う。あまりよその国からあおり立てられ、よその国をあおり立てる行動は戒められたらよろしいのではないか」と指摘した。
(引用終わり)
首相が、加藤紘一の実家火災に関してコメントしたことを記事にしているのでしょうが、後段のマスコミへの指摘は、記者にも理解できていないのでしょう。これから他社の記事も更新されるでしょうが、反省するところなど皆無のはず。8月15日の報道は異常・異様としか言い得ません。昨年の“賽銭・参拝”を生中継していたのもそうです。数十秒ほどの報告報道や数行の記事で済ませばいいものです。
マスコミの怖さは人格の無視にあるように思います。今、ワイドショーの主役は早実の佑ちゃん。かつての早実・荒木大輔の活躍を知っている世代としては“大輔フィーバー”と無理矢理に重ねようとしているのが見え見えです。私生活や家族までにおよぶ取材攻勢が、果たして彼の将来にどう影響するのでしょうか。高校野球や野球の将来を考えての報道とは考えられません。これで大きな事件が起これば、そちらに飛び付くでしょう。
おそらく自民党総裁選でも、安倍晋三、麻生太郎、谷垣禎一の幼少からの生い立ちや私生活を調べ上げたり、縁故関係者を必死に取材しているところでしょう。こうしてワイドショーで伝えられる内容は、政策では無くなっていきます。
メディアの力を知り尽くしている小泉首相ですが、あまりの偏りすぎは気になったのでしょう。この一撃は、結構重要だと思います。
今日はこれから「鴻池よしただ政経セミナー」に行って来ます。講師は石原慎太郎都知事の予定です。内容は明日のエントリで書こうと思います。
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共同通信の記事に<言論封殺は許されず 加藤氏の実家火災で首相>がありました。このなかでマスコミに対する首相からの指摘を以下に引用します。
(引用始め)
首相は自らの参拝が「ナショナリズム」をあおり立てているとの指摘について「全くそれはないと思う」と反論。さらに「あおりたがる勢力があるのは事実だ」とした上で「マスコミなどもなぜこれだけ常に靖国問題を取り上げるか考えた方がいいと思う。あまりよその国からあおり立てられ、よその国をあおり立てる行動は戒められたらよろしいのではないか」と指摘した。
(引用終わり)
首相が、加藤紘一の実家火災に関してコメントしたことを記事にしているのでしょうが、後段のマスコミへの指摘は、記者にも理解できていないのでしょう。これから他社の記事も更新されるでしょうが、反省するところなど皆無のはず。8月15日の報道は異常・異様としか言い得ません。昨年の“賽銭・参拝”を生中継していたのもそうです。数十秒ほどの報告報道や数行の記事で済ませばいいものです。
マスコミの怖さは人格の無視にあるように思います。今、ワイドショーの主役は早実の佑ちゃん。かつての早実・荒木大輔の活躍を知っている世代としては“大輔フィーバー”と無理矢理に重ねようとしているのが見え見えです。私生活や家族までにおよぶ取材攻勢が、果たして彼の将来にどう影響するのでしょうか。高校野球や野球の将来を考えての報道とは考えられません。これで大きな事件が起これば、そちらに飛び付くでしょう。
おそらく自民党総裁選でも、安倍晋三、麻生太郎、谷垣禎一の幼少からの生い立ちや私生活を調べ上げたり、縁故関係者を必死に取材しているところでしょう。こうしてワイドショーで伝えられる内容は、政策では無くなっていきます。
メディアの力を知り尽くしている小泉首相ですが、あまりの偏りすぎは気になったのでしょう。この一撃は、結構重要だと思います。
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これは本当に同情してしまいます。
彼の両親が報道陣へ苦言を(それとなく遠慮深げに)呈しておりましたが、
それすら記者は「でもまだまだフィーバーは続きそうですよ」と応答し、まったくその意味するところが理解できていないようでした。
靖国報道でも同じく、このマスコミ報道の怖ろしさを最近とみに感じるのですが、じつはこれは今にはじまったことではなく、戦前から連綿と続いてきたものですよね。
過去に比べればむしろ現代はこの弊害が少しは弱まってきているのではないかと思いますが、それでもやはり怖ろしいことです。