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抜粋 井筒俊彦 『イスラーム文化―その根柢にあるもの』岩波書店 一九八一年 再読

2016年06月27日 | 読書

Ⅰ 宗教

 いろいろな民族や国民が完全に自立して、互いに他と関係なしに存在する、存在しうる時代は終わりました。「光栄ある孤立」は既に過去の言葉です。世界の空を覆い尽くすコミュニケーションの網目の錯綜が地球上のあらゆる地点を情報的に一つにつなぐ。そればかりではありません。存在的にも、すべてがすべてに有機的につながって、密接な相互依存関係の統一体をなす、それが現在の時点での人間存在の普遍的形態なのです。まさに華厳哲学の説く時々無礙法界の風光。

*英国→EU離脱・残留の選挙(六月二十三日) 視野狭窄か?

かつて中国文化との創造的対決を通じて独自の文化を東洋の一角に確立し、さらに西欧文化との創造的な対決を通じて己れを近代化することに成功した日本は、いまや中近東と呼ばれる広大なアジア的世界を基礎づけるイスラーム文化にたいして、ふたたび同じような文化的枠組の対決を迫られる新しい状況に入ろうとしているのではないでしょうか。

 イスラームはその起源においてすら、アラビア砂漠の砂漠的人間(ベドウィン)の宗教ではなかったのであります。

 イスラームは都市・商売人の宗教

イスラームの伝播
 ・後期ギリシア(ヘレニズム)
 ・グノーシス主義
 ・ヘルメス主義
 ・新プラトン主義
 ・ゾロアスター教
 ・バラモン文化
 ・大乗仏教
 ・キリスト教
 ・ユダヤ教

現イスラームの二大潮流
 アラブの代表するスンニー派(いわゆる正統派) 的イスラーム
イラン人の代表するシーア派的イスラーム

 イスラーム文化は『コーラン』をもとにして、それの解釈学的展開としてでき上がった文化であると言っていいのではないかと思います。

公私にわたる人間生活の内外すべて、隅から隅までいっさいの領域を全面的にカヴァーするような大きな『コーラン』解釈学的文化が作り上げられたということであります。

 イスラームは……生活の全部が宗教なのです。

「キリスト教の金科玉条とする『神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ』というあの原理は、イスラームではまったくのナンセンスだ」(アズハル大学総長)

解釈があまり行き過ぎて許容範囲を逸脱した場合に、共同体の統一に責任ある指導者(ウラマー)たちが、『コーラン』の権威によって、ただちに断固としてこれに異端宣告して、共同体から追い出してしまうのです。

世界の三大宗教
 キリスト教と仏教とイスラーム(西欧的な言い方)
 ユダヤ教、キリスト教、イスラーム(アラブ的な言い方)

神と人との人格関係は、あくまで主人と奴隷との関係なのであります。人間を神の奴隷ないとし奴僕とする、このイスラーム的考え方はイスラームという宗教の性格を理解する上で決定的重要性をもつものでありまして、……

 イスラームが出現する以前のアラビア半島は偶像崇拝の栄える国でありました。

 空間的に世界は互いに内的に連絡のないバラバラの単位、つまりアトムの一大集合として表象されます。これがふつうイスラームのアトミズム=原子論的存在論と呼ばれている有名なものですが、……。(非因果律)

因果律(そして人間の場合には自由意志) の否定を伴うこの非連続的存在観が、イスラームの正統派―スンニー派(サウジアラビア)と呼ばれている非常に大きな、ほとんどイスラームの大多数を占める人々―の根本的な哲学なのであるということです。(参考・シーア派イラン)

 感覚的アトムとしての事物の集合、この特徴ある世界認識の様式に基づく一種独特の現実感覚が、イスラーム文化のアラブ性という形で、この文化の中に組み込まれて行きます。そしてこのイスラーム文化のアラブ的性格がやがてイスラーム文化自身の中で、これと正反対なイラン的、ペルシア的性格と正面から衝突することになります。

 イラン人(ペルシア人)の世界認識は存在の空間的、時間的連続性を特徴とします。そしてこの連続的世界は、アラブ独特の感覚的現実とは違って、限りない想像力の豊穣さからくる幻想性によって華やかに彩られます。

Ⅱ 法と倫理

 スンニー派はイスラーム即イスラーム法、つまり宗教即法律といういわば極端な立場をとります……

 『コーラン』は預言者そっくりそのまま一挙に下されたのではなく、約二十年の年月をかけて少しずつ断片的に下ったものであります。

神の倫理学

神の義

 このタクワー=怖れという実存的情念こそ、メッカ期のイスラームの全体のライトモチーフともいうべきものであります。

 西暦六二二年、ムハマンドはメッカを去ってメディナに移り……

 メッカ期の怖れに対してメディナ期では感謝です。

 ユダヤ人が神と契約を結んでおきながら、背き去った、その同じ契約を、あらたに神と結びなおして、今度こそそれを完全に履行し、そうすることによって「神を怖れる」人々を再び地上に出現させる―それがムハマンドの構想したイスラームという宗教の本来の使命なのでありました。

 この点で、メッカ期を特徴づけるものは神に対する、ひたすら神に向かっての、人間の倫理学でした。それがメディナ期では、第一次的に神と契約を結び、神と倫理的関係に入った人間同士の、お互いの間に契約的に成立する人間的倫理学―メディナ期の著しい特徴です。

イスラーム共同体→信仰共同体

太古以来、アラビアでは部族というものが社会構成のというより、人間存在そのものの基礎でありました。……。そしてこの部族的価値体系=スンナを下から支えているものは、濃密な血の連帯感、血族関係の重みです。信仰でも倫理でもすべて血の連帯感の基礎の上に成立し、それによって決定的に色づけられておりました。自分の部族が昔からよしとしてきたものが善、悪いとしてきたものが悪なのであり、そのほかに善悪の基準は全然ない。それが砂漠的人間の道徳的判断の唯一の基準であり、最高の行動原理です。(例えばベドウィン族)


イスラム以前のアラブは、ベドウィンの社会をそのまま反映して血縁関係を第一に尊重し、数限りない小部族に分かれ紛争に明け暮れていた。そのような部族主義を排除して唯一の神アッラーによる共同体を目指すのがイスラムであり、預言者ムハンマドはベドウィンの伝統に執着する頑迷さを非難もしている。イスラムが商業都市メッカで誕生したために砂漠で移動生活をしている人々に浸透しにくかったという事情を物語っているのかも知れない。逆に、イスラムの禁欲主義・勇敢さ・連帯意識などの価値観はムハンマド以前からベドウィンによって培われていた、とも考えられる。
ベドウィンという呼称には、町や文明を知らない者という軽蔑の意味合いと、伝統に従い誇り高く独立した生活を営む民という意味合いがふくまれ、ベドウィンと町に住む者との優劣が論じられてきた。14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンは『歴史序説』において、砂漠のアラブ人(ベドウィン)の生活や性質を分析して「田舎や砂漠の生活形態は都会に先行し、文明の根源である」という命題を導いた。(ウィキペディア)


 イスラームが宗教的共同体の理念をひっさげて、真正面から衝突していったのは、まさにこういう砂漠的人間の精神だったのであります。すなわち、イスラームは血縁意識に基づく部族的連帯性という社会構成の原理を、完全に廃棄しまして、血縁の絆による連帯性の無効性を堂々と宣言し、その代わりに唯一なる神への共通の信仰を、新しい社会構成の原理として打ちだしました。

イスラームの普遍性と世界性→選民思想

選民思想
 ・ユダヤ(自分たちが神によって特に選ばれた民であるという自覚には、一種異様な神秘的忘我、陶酔があるからです。ユダヤ共同体は民族性の激しい情念に支えられたひとつの情的共同体)
 ・イスラーム(仏教やキリスト教と同じく一つの開かれた、普遍的、人類的宗教であります)

現世が現実的に悪だから、現世を厭い、世を逃れてたった一人、孤独の静寂のうちに解脱を求めるというようなインド的な考え方、つまり現世否定の態度は、イスラーム本来の立場では認めないのであります。

 イスラーム(現世の悪に背を向けて、修道院の奥深く、あるいは砂漠の中の孤独な庵に隠れ住んで、ひそかに解脱を求める代わりに、堂々と現世的生活の真っただ中に出て行って、俗世の嵐に身をさらし、現世を少しづつよいものに作り変えていこうとすることこそ正しい人間の生き方だという考えが支配的になっていきます。)


 聖俗分離をしないイスラーム(政治も経済も法律も)

イスラームの近代化→ナショナリズム勃興・科学技術文明・聖俗分離の動き)

トルコの近代化の試み

 聖俗を分離することなしに、しかもイスラーム社会を科学技術的に近代化することが果たしてできるであろうか―それが現在すべてのイスラーム国家が直面せざるを得ない、大問題なのであります。

イスラームの法理論(絶対命令・命令と禁止の体系)

 もともと宗教を外側から固めていこうとする律法主義と、宗教を人間実存の内面的深みに捉えて、それによってイスラームの精神性を守っていこうとする精神主義、この二つの互いに正反対の傾向の間に醸し出される矛盾的緊張があったからこそ、イスラームは独自の文化構造体にまで発展することができたのだと私は思います。


Ⅲ 内面への道

 メッカ期→立法主義→宗教の社会化、政治化、法制化→正統派ウラマー→アラブ的概念的
 メディナ期→精神主義→宗教の内面化→深層探求のウラファー→イラン的直観

シャリーア(イスラーム法)とハキーカ(内的リアリティ・真理・実態)

ハキーカとは、可視的なものの不可視の根柢、文字通り存在の秘密です。

 意識のある特異な深層次元が開けて、一種独特の形而上的機能が発動した時、はじめてそこに見えて来る存在の内的リアリティなのであります。

「内面への道」の二つの違った系統
・シーア派イスラーム
・イスラーム神秘主義(スーフィズム)

シーア派の人びとにとっては、『コーラン』は一つの暗号書です。

スンニー派の構想するようなイスラーム法的世界は、宗教的世界ではなくて、実は政治的権力の葛藤の場であり、まぎれもない世俗的世界であるといことになる。


シーア派は聖と俗とをはっきり区別するのでありまして、この点においてスンニー派と完全に対立します。

イランの「十二イマーム派」

 イラン人が一般に本来、著しく幻想的であり、神話的であり、その存在感覚において、いわば体質的に超現実主義者、シュールレアリストであるということであります。

 シーア派独特のこの国家主権者の概念(隠れイマームの共同体の主権を握る)は、その詩的形成の過程において、プラトンの『理想国家』の哲人政治の思想の強い影響を受けました。

 スーフィズムとは、人間の実存の奥底に潜む内在神と、人間自身との極度に親密な秘密のかかわりを人間が自覚することであると理解しておいて大過なかろうと思います。

終末論的実存的情緒

 イスラームでは、元来、隠者とか世捨て人とかいうものを認めないと申しました。しかし、あれは共同体、スンニー的イスラームの立場でありまして、スーフィたちの立場はまさに正反対です。

*投手ダルビッシュ
 ダルヴィーシュ( درویش ペルシア語 darvīsh, トルコ語 derviş, ウルドゥー語 darvēsh)とはスーフィー(イスラム神秘主義)の修道僧。
 イスラームの預言者ムハンマドのハディース(言行)のひとつに「我が清貧は我が栄光」と述べたと言われており、イスラームにおいては「清貧」(ファクル فقر faqr)はムスリムの徳目の一つとされている。このため、イスラーム神秘主義(スーフィズム、タサッウフ)の修行でも重要視され、托鉢行や乞食行を実践する修行者を「貧者」(ファキール فقير faqīr)と呼び、ダルヴィーシュの同義語として用いられた。(ウィキペディア)

汝の汝性→我と神との分裂→二元論

 スーフィー・ㇵッラージ→「我は神」という宣言→刑死
  ああ、我といい、汝という。
  だがこういえば、神が二つになるものを。
  ……
ああ、できることなら「ニ」という数を
  口にしないでおりたいものを。


スーフィーの修行道
 否定に否定を重ねて自我意識を消しながら、我をその内面に向かって深く掘り下げていくと、ついに自己否定の道の極限において、人は己れの無の底に突き当たる。ここに至って人間の主体性の意識は余すところなく消滅し、我が無に帰してしまいます。自我の完全な無化、我が虚無と化すということです。
 ところが、この人間的主体性の無の底に、スーフィーは突如として燦然と輝き出す神の顔を見る。つまり人間の側における自我意識の虚無性が、そのまま間髪を入れず、神の実在性の顕現に転生するのです。

「わが虚無性のただなかにこそ永遠に汝の実在性がある」(神秘家ハッㇻージ)

「人間的自我の消滅とは、神の実在性の顕現が、人間の内部空間を占拠し尽くして、その人の内にもはや神以外の何ものもの意識もまったく残さないことだ」(スーフィー詩人ジャーミー)

 スーフィーの体験的事実としての自我消滅、つまり無我の境地とは、意識が空虚になりうつろになってしまうことではなくて、むしろ逆に、神的実在から発出してくる強烈な光で、意識全体がそっくり光と化し、光以外の何ものもなくなってしまうということなのであります。

 こういう形而上的光明体験を、神秘主義の述語で「照明体験」illuminatio、アラビア語ではイシュラークと申します。

「そして私は、私自身のなかを覗き込んで見た。どうだろう、私は彼だったのだ」(スーフィー・バスターミー)
自我性を完全に脱却した私は、もう私ではなくて、神そのものだった、というのです。

「我こそは神」(ㇵッラージ)

 「ロウソクを吹き消すがいい。もう夜が明けたのだ」(シーア派第一代イマーム・アりー)

 つまり神を見た人、神(・・)に(・)なった(・・・)人には、もう宗教は用がないのだと言い切ってしまうスーフィズムは、イスラーム共同体の内部にあって歴史的に危険分子として今日まで存続してまいりました。

イスラーム文化の三つの代表者
 第一 シャリーア、宗教法に全面的に依拠するスンニー派の共同体的イスラーム
 第二 イマ-ムによって解釈・体現された形でのハキーカに基づくシーア的イスラーム
 第三 ハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズム

 つまりこのような相対立する三つのエネルギーのあいだに醸し出される内的緊張を含んだダイナミックで多層的な文化、それがイスラームなのだ、というふうに考えていくべきではなかろうかと思います。


【初読昭和五十六年・再読平成二十八年】





抜粋 ハッジ・アハマド・鈴木 『イスラーム教徒の言い分』  めこん

2016年06月26日 | 読書

 パレスチナ問題はイスラエルなど西側諸国の植民地主義の延長であり、パレスチナ側の闘争はそれに対する民族運動だという、ある程度の考慮がなされていた。だが同時多発テロ以後、それらの酌量は一切切り捨てられ、「反テロキャンペーン」の下にイスラエルとアメリカはあからさまに共同戦線を張った。

パレスチナ問題(パレスチナもんだい、アラビア語: القضية الفلسطينية‎、ヘブライ語: הסכסוך הישראלי-פלסטיני‎)は、パレスチナの地を巡るイスラエル人(シオニスト・ユダヤ人ら)とパレスチナ人(パレスチナ在住のアラブ人)との関係から生じた紛争を一個の政治問題として扱った呼称。パレスチナ・イスラエル問題と表記することもある。(ウィキペディア)

パレスチナ問題→混沌の極み

「自爆テロ」(イスラエル・アメリカの言い方)と「殉教自爆」(パレスチナの言い方)

キャッチフレーズによる謀略(西側諸国・日本)

イスラーム特有の思考方法
 あらゆる物事を明文化し、理論立てて説明するというのがイスラームが採用したアリストテレスの形式論理学がある。

エジプト・アズハル大学
 アル=アズハル大学(英語: Al-Azhar University)は、カイロに本部を置くエジプトの公立大学である。970年に設置された。 アラビア語では '(جامعة الأزهر (الشريف Jāmiʻat al-Azhar (al-Sharīf) 'と呼ばれる。イスラム教スンナ派の最高教育機関として有名であり、現存する世界最古の大学の1つである。アル=アズハル学院とも呼称される。アル=アズハル・モスク(970年建立)に付属するマドラサとして、ファーティマ朝支配下のカイロに設立された。アズハル(Azhar)の名は、ファーティマ朝においてカリフの直系の先祖とされた預言者ムハンマドの娘ファーティマ・アッ=ザフラーの称号「アッ=ザフラー ( الزهراء Al-Zhra'「光輝く者」)‎に由来し、「最も栄えある」の意味を持つ。
アズハルで学術研究が始まったのは975年のラマダン月である。イスラーム法学および法解釈学に加えて哲学、天文学、論理学、アラビア語文法学の部門を擁し、ファーティマ朝の宗旨を反映してシーア派の学府として発足した。同時代の他の王朝のカリフがギリシャ哲学を背教的でヘレニズム的であるとして非難し排除していた中、ファーティマ朝のカリフはギリシャ哲学を積極的に奨励し、内外から優れた著作や学者をカイロに集めた。このためアズハルはイスラーム世界における哲学研究の中心地となり、プラトン、アリストテレスなどの著作の研究が行われ、哲学関連の蔵書は膨大な数を誇るようになった。
現在の大学院にあたるコースも開講しており、世界で最初の成熟した大学であったと評価されている。また創立当初からの伝統では、イスラーム法学を志す者に対して誰にでもいつでも門戸を開放するという趣旨から、入学随時・出欠席随意・修業年限なし、という3原則を守っていた[1]。(ウィキペディア)

日本人の「縮み指向」↔イスラームの偶像否定

「誓言形式」というコーランに独特の文体
「誓おう、この町にかけて、汝はこの町で何の禁忌を持たない身。生み手と生まれたものにかけて」(コーラン第九十、町章、一―三節)

これが何に誓うのか、何のために誓うのか、全く不明であるが、これこそが意識の深層から湧き出てきたイマージュの文脈なのである。聞く者たちを不思議な世界へ引き込むためにこの「誓言形式」が使われるという。すなわち、前もって人々の注意を喚起するための演出効果と解釈するのが理解しやすいだろう。

 しかし人間はそもそも傲慢で思い上がりが強く、不遜な振る舞いに走るから、「唯一神を常に畏れよ」とコーランは繰り返して忠告する。また人間は忘恩の徒で、忘れやすいから、一日五回必ず礼拝をして、その度毎に唯一神を思い出すように、とコーランは述べているのである。

 日本人の一般的な考え方は、自然に対して受け身の立場で、付与された人生を甘受するというイスラームの認識のしかたは違っている。

シーア派→預言者の血筋を引く近親者の伝承重視
スンニ派→教友たちが伝える正伝を典拠とする

初代カリフ=アブーバクル
第二代カリフ=ウマル
第三代カリフ=ウスマーン
第四代カリフ=アリー

 日本は、東海の彼方にある未知の国として「ワクワク」の名前で呼ばれている。

 現代の経済学が数理による無機的で血の通わない抽象的なものだという欠点を補い、その中に喪失された道徳や倫理の側面に光を当て、人間の学として、「人間のための経済学」を追求しようという明白な目的を、イスラーム経済は持っている。

 イスラームは七世紀から経済に「制約の原理」を課しており、無制限な自由を抑制し、経済活動を円滑に営んできた。

抜粋 大川周明 『回教概論』 中公文庫

2016年06月25日 | 読書

 吾等はキリスト伝道師に呼応して、徒らにこの偉大なる宗教を罵詈することなく、自由にして先入主なき日本人の精神を以て、回教に関する正しき知識を得ることに努めねばならぬ。

大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日)は、日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した[1]。
なお、東京裁判において民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴されたことでも知られる。しかし、精神障害と診断され裁かれなかった。晩年はコーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる。(ウィキペディア)

亜細亜解放主義者→大川 周明

 さてアラビア人の日常生活に最も重要なる意義を有していたのは、神々の崇拝にあらず、實に幽鬼Jinnに対する信仰であった。マホメットは堅く幽鬼の存在を信じ、したがって幽鬼は回教の信仰の対象ともなった……

アラビアにおこなわれていた諸神崇拝のなかからマホメットはアッラーを純化し、他を絶縁した。

村田 清風(むらた せいふう、1783年5月26日(天明3年4月26日) - 1855年7月9日(安政2年5月26日))は、日本の武士・長州藩士(家老)。贈正四位。家格大組(別名馬廻)。


古蘭は三億に近き信者の至聖の経典(昭和十六年当時→現今十二億)

「ただ神恩を思え、その本体を思う勿れ、汝等に断じてその力なし」マホメット

マホメット当時の北アラビア人は、激越なる言説に動かされることが多かった。

而して、全体が宗教・道徳・法律を混同し、三者の間に何ら明瞭なる割線なきのみならず、刑法・訴訟法・行政法等の公法に属する法律は、きわめて不完全である。

イスラーム世界に長いこと継続されていた絶対専制主義(誰も監督しない)→このため之を倒すのに暴力が是認される。

回教教団は、宗教団体であると同時に国家である。而も回教国家には、本質的に国境成るものがない。地球全面が回教教団の領土である。かくて回教教団と一切の非回教国家との国際的関係は、原則においてただ戦争あるのみである。

 ローマ法に準拠せるヨーロッパ諸国の法律が、宗俗二法の間にさつ然たる区別を画することは、回教徒の不可解とするところである。

ウマイヤ朝
アッパース朝

ハ二ーファ→哲学的
マーリク→歴史的

シャーフィイ=回教法学の第一人者

回教徒一致の声は、直ちに神の声。……。この原則は、その胎内に代議政治を孕むものとして、極めて注目に値する。現代ペルシア及びトルコに於ける革命は、実にこのことによって法学者並びに神学者の是認するところとなったのである。



抜粋 黒田壽郎『イスラームの心』 中公新書

2016年06月24日 | 読書

 世界は西欧と日本で成り立っていない


       垂直的アスペクト(個人の信仰の純化を通じて絶対者に近づく)
 イスラーム
       水平的アスペクト(シャリーアを介して信者たちの共同体に責任を持つ)


イスラームは、キリスト教や多くの仏教宗派が称揚しているような、世俗を棄て、精神的練磨と向上のために人里離れて長期間にわたり行う修行を認めていない。
 年に一度必ず在家の地位を保ったまま、集団的修行に参加するよう義務付けている。

イスラームの修道院制度の禁止

 仏教になぞらえて比喩的に表現するならば、イスラームとは、きわめて大乗的なしかも組織的な在家宗教であるということができよう。

イスラーム←七世紀(唯一神信仰)部族主義・拝金主義の否定(政教一致)
フランス←十八世紀(自由・平等・博愛)宗教から人間性の回復(政教分離)

 イスラームは、普遍的理念的な愛そのものよりも、むしろその具体的な実現により多くの関心を払っている。

 西欧が近代にいたってようやく確立した基本的人権の概念を、イスラームはすでに聖徳太子の時代に提出していたが、この事実こそこの宗教の永続性を説明する一つの鍵となるものである。

礼拝・断食・巡礼・喜捨という宗教スタイル

ムスリムにとって,現世とは試練の場、仏教では厭世・否定されるもの。

借り物の尺度↔ものさし

西欧においては、個我の確立のためには、宗教の否定と自我の自立性をを強調したデカルトのような哲学者を必要としたのである。

高度な原理性に対する人々の執着
政教一致を建前とする宗教は、当然のことながらその理想を実現するにあたり、世俗的な権力
を必要とした。

「コーランか剣か」→イスラームの実態を知らぬ西欧風誤謬

 教会、僧伽が実生活のレベルとは切り離された次元に成立しているのに反して、イスラームのウンマは実生活のレベルにおける社会的共同体そのものの中にこそ成立可能なのである。

イスラーム法の五範疇論

イスラーム学者の実定法批判

実定法
法律・慣習・判決など人間の行為によってつくり出された法。自然法が超経験的性格をもち,永久的・絶対的な正しさを主張するのに対し,実定法は社会の現実に即してその時々に制定・形成され,実効性をもつ。(百科事典マイペディアの解説)

 (選挙により代表者が選出され、法を制定=実定法)

 *選挙の胡散臭さ(これゆえの投票回避)

 彼らは被支配者から委任された権威の力をもって、人々に自らの意志を押し付ける。これは英国やアメリカ、世俗的民主主義の安息所であると主張する国全てにおいて、人々を取り巻いている状況なのである。(現代イスラーム法学者A・A・マウドゥーディー)

クルアーン・ハディス
個人の深い
実定法とイスラーム法

 赤の他人である聖職者といった存在の仲介を許さぬ、一対一での絶対者との対面は、それだけ直截に個人の深い自覚、覚醒を促した。

アッラーの預言者の後継者(新しい指導者の任命、その職能について明確な指示なし。これがイスラーム混乱の元凶)

初代カリフ

アッパース朝の第二代カリフ・アル=マンスールの礎作業によりその後五百年のいしづえを作る。

カリフとスルターン(政治的支配)=聖俗の分離始まる

マーワルディのカリフ必要説
ガザーリーの双生児論
イブン・ハルドゥーンのムルク論(宗教法の統治)

ウラマーとは学識者=文化人=俗権の長→モスクの長

ウラマーの退嬰化→近現代のイスラームの混乱

西欧の脱宗教化と人間中心主義の隆盛をイスラームは取り入れつつある。
ただし、その植民地政策には強い反発を堅持している。

西欧の侵入まで塵ひとつなく、美しく栄えた町々は、植民者によってまたたくうちに貧しい埃だらけのスラム街と化した。

 現実は常に流動し、既存の価値はたえず事態の推移に即応して改新されねばならぬ宿命を持っている。イスラ-ム法は、類推と合意といった方法によって、そのような変化に充分対応しうる手段をもっていた。

西欧列強の中東植民地政策
十七世紀初頭東インド会社
一八八一年フランスによるチェニジア支配
一八八ニ年イギリスによるエジプト支配
第一次世界大戦のトルコの敗北

 普遍的な愛を説く宗教を持ち、自由平等博愛を高らかに主張する人々による植民地主義は徹底的であった。高度な西欧文明に驚嘆の眼を見開いたこの地域の人びとは、このような文明人によるあくない差別主義に二度驚かされた。

 中東の近代史という舞台の固有なドラマの展開の基軸となったものは、<公共善>という概念で一括されうるであろう。

 共同体の利益の尊重を重視する世界の公共善は、西欧の政治的エゴイズムを決して容認してはいない。

イスラーム世界の近代思想史に大きな足跡を残したアフガー二―の立場
  「イスラーム本来の精神に戻れ」

 イラン革命は、いずれの大国にも依存しない態度を堅持して、第三世界の自立性の強化を歴史的に実証して見せた。

シャーの白色革命による弾圧

 中東世界における西欧化即近代化路線の、ほぼ唯一のチャンピオンであったシャーの追放が、

シャリーアーティのイスラーム再解釈の試み
 「自ら死ぬ前に死ね」
 「友よ、ヨーロッパを放棄しよう。胸のむかつくようなヨーロッパの猿真似はやめよう。人間性について絶えず声高に語りながら、見つけ次第人間を破壊するヨーロッパに別れを告げよう。」
 「両者(物質とエネルギー)は互いに交替しあっており、むしろこれらは、ある場合には物質の形態をとり、他の場合にはエネルギーとなるような、不可視の、認識不可能な実体の、異なった表れと説明されるようなものなのである。物理学の任務は、この一つの超感覚的な存在の二つの現われの真相を解明することにこそある。」
 「タウヒードの世界観において、自然すなわち外的世界は、一連の<徴>と<規範>から成っている。」

 われわれの経験、知識、知覚により認知されるものは<現われ>であって<存在>ではない。それは不可視で、知覚の外にある実体の、外的で知覚可能な現われ、痕跡からなるものである。

<徴>は真理の何たるかを示す指示なのである。

イスラームにおいては、啓示の内容の総体に対する信者たちの動的なかかわりがあり続ける限り、改革の可能性を秘めている。


抜粋 J・キャンベル&B・モイヤーズ『神話の力』飛田茂雄訳 早川書房 Campbell

2016年06月23日 | 読書
 対立項の世界を超越したなにかと自己とが一体であることを自覚できるような、そんな意識の次元があるということです。

 あらゆる神話の基本的なテーマはそれだ―見える次元を支えているみえざる次元が存在していることだ―と、私は言いたいですね。

 儀式の主要なテーマは、個人を自分自身の肉体よりも大きな形態構造と関連させることです。

 そこで、少年たちは男たちの聖なる場所に連れて行かれ、そこで本格的な試練を受けるのです―包皮を切る割礼、陰茎下部の尿道まで切開する儀式、男たちの血を飲ませる儀式などなど。

 彼らは輪になってひと晩じゅう踊り続けるのですが、そのあいだに男のひとりが突然失神する。私たちなら神がかりとでも呼ぶものを経験するのです。しかし、これは閃光だと表現されています。一種の雷光、つまり稲妻が骨盤のあたりから脊髄を抜けて頭に走るというのです。


 自分の生のこの一瞬が実は永遠の一瞬であることを自覚し、時間内で自分が行っていること永遠性を経験する。それが神話的な自覚です。

 古代の人々は、精神的な原理を不断に意識しつつ生きることを目標にしていました。

 ―すなわち、私と他者とは一体である、私と他者とはひとつの生命のふたつの外見であって、別々に見えるのは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知能の限界の反映に過ぎない、という認識―が飛び出してきた結果なのだ。

 「私は一生のうち一度も自分のしたいことをしたことがない」(シンクレア・ルイス『バビット』ラスト)

 「だが実際のところ、ぼくはこれまでただの一度だって自分のしたいことはできなかった。成り行きにまかせるという以外、いったい何をしてきたのだろうか。」(シンクレア・ルイス『バビット』苅田元司訳 主婦の友社)

 「この子は、好きなことだけして人生を渡るわけにはいかない。好きなことだけしてたら、死んでしまうぞ。おれを見ろ。一生のうち一度だってやりたいことをやったことはないんだ」(バビット)

 自分のやりたいことを一度もやれない人生に、いったいどんな値打ちがあるでしょう。


抜粋 メアリー・ボイス『ゾロアスター教』三千五百年の歴史  山本由美子訳 講談社学術文庫 Zoroaster

2016年06月22日 | 読書
イラン人が石器時代から青銅器時代に移行した時期に預言者ザラスシュトラが生きていたことを示す証拠があり、それからみると、紀元前1400年から同1200年の間であったと考えられる。

遠い昔には、イラン人とインド人は一つの民族をなしており、これは原インド・イラン語族と呼ばれている。彼らは印欧語族の一枝族で、ヴォルガ川の東、南ロシアのステップ地帯で牧畜をしていたと考えられる。

古代ギリシア人はゾロアストレスと呼んでいた。

火をおこすのに非常に手間がかかった時代では、かまどの火をいつも絶やさないでおくのが賢明なことであった。(火種は移動の際には、壺で運ばれた)

原インド・イラン語族は、このほかにも多くの「抽象的な」神々を崇拝した。それというのも、彼らは今日では抽象的概念といわれるものを擬人化し、それを常在する強大な神々だとして感知する能力をもっていたからである。

インド人は滅ぶべき肉がすみやかに消滅するように、葬法を火葬に代えたのであろう。イラン人は火に大きな敬意を抱いていたので、穢れたものを焼くことができなかったと見え、後にゾロアスター教固有のものと知られる風葬の儀礼が、異教時代にすでにある程度採用されていたと思われる。

ゾロアスターは既存の信仰からは大きく離れて、アフラ・マズダーが、創造されたのではない唯一の神で、永遠に存在し、他の全ての自愛深い神々を含むあらゆる善なるものの創造主であると宣言した。

抜粋 M・タルデュー『マニ教』大貫・中野訳 白水社 Manichaeism

2016年06月20日 | 読書
マニ教修道士にあらゆる暴力行為を禁じている=キリスト教徒とイスラム教徒を驚かした。

マニ教の修道士も修道女も生涯独身である。(五戒を実践する・この非常に高い倫理性)

イスラーム教の預言者論に本質的部分を供給したのはマニ教であったが、それと同時に、マニ教はイスラーム教の儀礼の基礎をも構成したのである。

マニ教は一夫多妻をとがめた。→イスラーム教との相違点

在家のマニ教徒は、明け方から日暮れまで、日に四回(日の出、日中、日没、暮夜)一定の間隔を置いて祈るよう強いられる。


抜粋 フェンテス『フェンテス短編集 アウラ・純な魂』木村栄一訳 岩波文庫 Carlos Fuentes

2016年06月19日 | 読書
 時計の針は真の時間を欺くために発明された長い時間をうんざりするほど単調に刻んでいるが、真の時間はどのような時計でも計ることはできない。まるで人間を嘲笑するかのように、致命的な速度で過ぎ去っていくのだ。ひとりの人間の人生、一世紀、五十年といったまやかしの時間を君はもう思い浮かべることはできない。君はもはや実体を欠いたほこりのような時間を救い上げることはできないだろう。(アウラ)


線形的な時間の否定→フェンテスのミッション

無料配布キャンペーン 結果報告

2016年06月17日 | 電子書籍
ありがとうございました。
2016.05.17~06.15に6冊の電子書籍の無料配布を行いましたが、DL数は下記の通りでした。


童女のようにはしゃいだギリシャ旅行記 14
きっかけ哲学 26
暗号について 13
説話集 天空に舞う  4
述語は永遠に……  7
ソクラテス來迎 12
合計  76
(国外から7DLありました)



電子書籍無料配布キャンペーンその6(ラスト)  「ソクラテス來迎」 Come come Socrates

2016年06月11日 | 電子書籍

本日無料ダウンロードを太平洋標準時 (PST)2016年6月11日~2016年6月15日に行います。

日本時間では、17:00 に開始し、終了日翌日の 16:59 に終了します。

このキャンペーンはこれがラストです。

スマホにダウンロードして新たな読書体験をお楽しみください。



内容紹介
年金相談所に現れたソクラテスとの年金談義とハチャメチャな「はじめての哲学」をお楽しみください。

[本文]
(1)
ソクラテス コンニチハ!
A どうぞ、お座りください。えっ、ことによると、ソクラテスさんですか? 変装じゃないですよね。一段とヒゲが長くなりましたねぇ。
ソクラテス ソオネ。
A ええ、どうしたんですか、こんなところに現れたりして……。
ソクラテス チョット、ヨッテミタノヨ。最近ノ日本ノ様子ヲキキタクテ。
A そうですか……。ここは年金相談所ですけれどいいんですか? ……。
何がなんだか分からないけど、まあ、いいでしょう。なんでもありの世の中ですから。
ソクラテス トコロデ、貴君ワ、ドウシテ哲学ヲ志シタンダッタカナ。
A えっ、また、そんな突飛なことをお聞きになるんですか!
ソクラテス 単刀直入ダケノコトヨ。私は哲学徒ダカラ。
A でも、どうしてそんなことをご存知なんですか?
ソクラテス ナンデモ承知シテイルノヨ。天上ニ住ンデミルト、下界ノコトハナンデモ見エルンダカラ。
A そういうものですか。うるさくないんですかねぇ、森羅万象が見えてしまうのは。
ソクラテス 大丈夫。或ル見方ガアルンダヨ。
A そうなんですか、物事を透かして見るとか、
ソクラテス イヤ、違ウネ。
A 透かすんじゃないんですか。
ソクラテス ソウ。天上ニ来レバ分カルヨ。経験シナケレバ分カラナイモノッテアルンダヨ。
A そうですか。じゃ、楽しみですねぇ。
ソクラテス モウシバラク待ツンダネ。デ、キッカケハ?
A えっ、何でしたっけ。それより、どこかで聞いたことのあるフレーズですねぇ。
ソクラテス 何デモ知ッテイルンダカラ。
A そうなんですか。きっかけ……は何だったか、哲学を始めたのは、そお、夜間高校を卒業して就職先が無くて、雑踏の中の新宿駅のベンチで、「人生とは、何ぞや?」という大疑問に取り付かれたことかなあ。
ソクラテス ナルホド。
A 若いときって、皆、そんなものでしょう。
ソクラテス ソオ。デモ、ソレヲ真正面カラ問ウ人ト、生活ニ紛レ込マス人トアルデショウ。
A そうかもしれませんねぇ。
ソクラテス デ、貴君ハマッスグ哲学ノ勉強ニハイッタンダッタネェ。
A 真っ直ぐでもないんですけど、……。
ソクラテス 卒論ハ「ヤスパースノ暗号ニツイテ」ダッタネ。
A それもご存知なんですか。じゃあ、試すようなことになりますが、その中の一節が指導教授の『気分の哲学』という本に引用されたこと、……
ソクラテス アア、知ッテイマスヨ。アノコトハ万人共通ノ経験ナンダガ、ソレヲ記憶ニ残ス人ハ少ナイカモネェ。
A そうですか。まれなことですか。
ソクラテス デ、ソノ後、苦労シテ『情緒の力業』ヲ著述・出版シマシタネ。
A そこまでご承知なんですか。もう、お手上げです。私には、あなたはすっかりリアルになってきました。
ソクラテス マダマダ。デ、ソノ書評デ唯一、貴君ヲ理解シタ文章ヲ書イテクレタ人ガオラレタンダッタヨネ。
A ええ、それで私の目的は達成されてしまいました。
ソクラテス ソンナコトハナイデショウ。
A もう、いいんですよ。
ソクラテス ソオ、天上界ニ行クト、淡白ニナルンデ、コレ以上深入リハシナイケレド……出版ハ慶賀ナコトデシタヨ。ソノ著作ノ苦労モ含メテ。
A ありがとうございます。でも、なんだか変ですねぇ。お墨付きをもらったような……、幻のような……。
ソクラテス デ、貴君ハナゼ年金ノ仕事ガライフ・ワークニナッタノカナ。
A えっ、それはご存知ないんですか!
ソクラテス モチロン、知ッテマスヨ。デモ、自ラハ語ラナイノヨ。人ヲシテ語ラシメル ッテワケ。産婆術!
A そうでした。産婆術でした。年金の仕事は会社に勤めてからです。.たまたまの配置換えで厚生年金基金の仕事をするようになり、以後、会社からの再々の肩たたきを肩透かしして、二十五年間年金の仕事をさせていただきました。
ソクラテス ソオ、ジャア、理事ニハ
A 肩透かし屋には無縁の話です。
ソクラテス ソウダッタネェ。

(以下略)




登録情報
フォーマット: Kindle版
ファイルサイズ: 2559 KB
紙の本の長さ: 19 ページ
販売: Amazon Services International, Inc.
言語: 日本語
ASIN: B0183JQHG0



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