惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 井筒俊彦 『イスラーム文化―その根柢にあるもの』岩波書店 一九八一年 再読

2016年06月27日 | 読書

Ⅰ 宗教

 いろいろな民族や国民が完全に自立して、互いに他と関係なしに存在する、存在しうる時代は終わりました。「光栄ある孤立」は既に過去の言葉です。世界の空を覆い尽くすコミュニケーションの網目の錯綜が地球上のあらゆる地点を情報的に一つにつなぐ。そればかりではありません。存在的にも、すべてがすべてに有機的につながって、密接な相互依存関係の統一体をなす、それが現在の時点での人間存在の普遍的形態なのです。まさに華厳哲学の説く時々無礙法界の風光。

*英国→EU離脱・残留の選挙(六月二十三日) 視野狭窄か?

かつて中国文化との創造的対決を通じて独自の文化を東洋の一角に確立し、さらに西欧文化との創造的な対決を通じて己れを近代化することに成功した日本は、いまや中近東と呼ばれる広大なアジア的世界を基礎づけるイスラーム文化にたいして、ふたたび同じような文化的枠組の対決を迫られる新しい状況に入ろうとしているのではないでしょうか。

 イスラームはその起源においてすら、アラビア砂漠の砂漠的人間(ベドウィン)の宗教ではなかったのであります。

 イスラームは都市・商売人の宗教

イスラームの伝播
 ・後期ギリシア(ヘレニズム)
 ・グノーシス主義
 ・ヘルメス主義
 ・新プラトン主義
 ・ゾロアスター教
 ・バラモン文化
 ・大乗仏教
 ・キリスト教
 ・ユダヤ教

現イスラームの二大潮流
 アラブの代表するスンニー派(いわゆる正統派) 的イスラーム
イラン人の代表するシーア派的イスラーム

 イスラーム文化は『コーラン』をもとにして、それの解釈学的展開としてでき上がった文化であると言っていいのではないかと思います。

公私にわたる人間生活の内外すべて、隅から隅までいっさいの領域を全面的にカヴァーするような大きな『コーラン』解釈学的文化が作り上げられたということであります。

 イスラームは……生活の全部が宗教なのです。

「キリスト教の金科玉条とする『神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ』というあの原理は、イスラームではまったくのナンセンスだ」(アズハル大学総長)

解釈があまり行き過ぎて許容範囲を逸脱した場合に、共同体の統一に責任ある指導者(ウラマー)たちが、『コーラン』の権威によって、ただちに断固としてこれに異端宣告して、共同体から追い出してしまうのです。

世界の三大宗教
 キリスト教と仏教とイスラーム(西欧的な言い方)
 ユダヤ教、キリスト教、イスラーム(アラブ的な言い方)

神と人との人格関係は、あくまで主人と奴隷との関係なのであります。人間を神の奴隷ないとし奴僕とする、このイスラーム的考え方はイスラームという宗教の性格を理解する上で決定的重要性をもつものでありまして、……

 イスラームが出現する以前のアラビア半島は偶像崇拝の栄える国でありました。

 空間的に世界は互いに内的に連絡のないバラバラの単位、つまりアトムの一大集合として表象されます。これがふつうイスラームのアトミズム=原子論的存在論と呼ばれている有名なものですが、……。(非因果律)

因果律(そして人間の場合には自由意志) の否定を伴うこの非連続的存在観が、イスラームの正統派―スンニー派(サウジアラビア)と呼ばれている非常に大きな、ほとんどイスラームの大多数を占める人々―の根本的な哲学なのであるということです。(参考・シーア派イラン)

 感覚的アトムとしての事物の集合、この特徴ある世界認識の様式に基づく一種独特の現実感覚が、イスラーム文化のアラブ性という形で、この文化の中に組み込まれて行きます。そしてこのイスラーム文化のアラブ的性格がやがてイスラーム文化自身の中で、これと正反対なイラン的、ペルシア的性格と正面から衝突することになります。

 イラン人(ペルシア人)の世界認識は存在の空間的、時間的連続性を特徴とします。そしてこの連続的世界は、アラブ独特の感覚的現実とは違って、限りない想像力の豊穣さからくる幻想性によって華やかに彩られます。

Ⅱ 法と倫理

 スンニー派はイスラーム即イスラーム法、つまり宗教即法律といういわば極端な立場をとります……

 『コーラン』は預言者そっくりそのまま一挙に下されたのではなく、約二十年の年月をかけて少しずつ断片的に下ったものであります。

神の倫理学

神の義

 このタクワー=怖れという実存的情念こそ、メッカ期のイスラームの全体のライトモチーフともいうべきものであります。

 西暦六二二年、ムハマンドはメッカを去ってメディナに移り……

 メッカ期の怖れに対してメディナ期では感謝です。

 ユダヤ人が神と契約を結んでおきながら、背き去った、その同じ契約を、あらたに神と結びなおして、今度こそそれを完全に履行し、そうすることによって「神を怖れる」人々を再び地上に出現させる―それがムハマンドの構想したイスラームという宗教の本来の使命なのでありました。

 この点で、メッカ期を特徴づけるものは神に対する、ひたすら神に向かっての、人間の倫理学でした。それがメディナ期では、第一次的に神と契約を結び、神と倫理的関係に入った人間同士の、お互いの間に契約的に成立する人間的倫理学―メディナ期の著しい特徴です。

イスラーム共同体→信仰共同体

太古以来、アラビアでは部族というものが社会構成のというより、人間存在そのものの基礎でありました。……。そしてこの部族的価値体系=スンナを下から支えているものは、濃密な血の連帯感、血族関係の重みです。信仰でも倫理でもすべて血の連帯感の基礎の上に成立し、それによって決定的に色づけられておりました。自分の部族が昔からよしとしてきたものが善、悪いとしてきたものが悪なのであり、そのほかに善悪の基準は全然ない。それが砂漠的人間の道徳的判断の唯一の基準であり、最高の行動原理です。(例えばベドウィン族)


イスラム以前のアラブは、ベドウィンの社会をそのまま反映して血縁関係を第一に尊重し、数限りない小部族に分かれ紛争に明け暮れていた。そのような部族主義を排除して唯一の神アッラーによる共同体を目指すのがイスラムであり、預言者ムハンマドはベドウィンの伝統に執着する頑迷さを非難もしている。イスラムが商業都市メッカで誕生したために砂漠で移動生活をしている人々に浸透しにくかったという事情を物語っているのかも知れない。逆に、イスラムの禁欲主義・勇敢さ・連帯意識などの価値観はムハンマド以前からベドウィンによって培われていた、とも考えられる。
ベドウィンという呼称には、町や文明を知らない者という軽蔑の意味合いと、伝統に従い誇り高く独立した生活を営む民という意味合いがふくまれ、ベドウィンと町に住む者との優劣が論じられてきた。14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンは『歴史序説』において、砂漠のアラブ人(ベドウィン)の生活や性質を分析して「田舎や砂漠の生活形態は都会に先行し、文明の根源である」という命題を導いた。(ウィキペディア)


 イスラームが宗教的共同体の理念をひっさげて、真正面から衝突していったのは、まさにこういう砂漠的人間の精神だったのであります。すなわち、イスラームは血縁意識に基づく部族的連帯性という社会構成の原理を、完全に廃棄しまして、血縁の絆による連帯性の無効性を堂々と宣言し、その代わりに唯一なる神への共通の信仰を、新しい社会構成の原理として打ちだしました。

イスラームの普遍性と世界性→選民思想

選民思想
 ・ユダヤ(自分たちが神によって特に選ばれた民であるという自覚には、一種異様な神秘的忘我、陶酔があるからです。ユダヤ共同体は民族性の激しい情念に支えられたひとつの情的共同体)
 ・イスラーム(仏教やキリスト教と同じく一つの開かれた、普遍的、人類的宗教であります)

現世が現実的に悪だから、現世を厭い、世を逃れてたった一人、孤独の静寂のうちに解脱を求めるというようなインド的な考え方、つまり現世否定の態度は、イスラーム本来の立場では認めないのであります。

 イスラーム(現世の悪に背を向けて、修道院の奥深く、あるいは砂漠の中の孤独な庵に隠れ住んで、ひそかに解脱を求める代わりに、堂々と現世的生活の真っただ中に出て行って、俗世の嵐に身をさらし、現世を少しづつよいものに作り変えていこうとすることこそ正しい人間の生き方だという考えが支配的になっていきます。)


 聖俗分離をしないイスラーム(政治も経済も法律も)

イスラームの近代化→ナショナリズム勃興・科学技術文明・聖俗分離の動き)

トルコの近代化の試み

 聖俗を分離することなしに、しかもイスラーム社会を科学技術的に近代化することが果たしてできるであろうか―それが現在すべてのイスラーム国家が直面せざるを得ない、大問題なのであります。

イスラームの法理論(絶対命令・命令と禁止の体系)

 もともと宗教を外側から固めていこうとする律法主義と、宗教を人間実存の内面的深みに捉えて、それによってイスラームの精神性を守っていこうとする精神主義、この二つの互いに正反対の傾向の間に醸し出される矛盾的緊張があったからこそ、イスラームは独自の文化構造体にまで発展することができたのだと私は思います。


Ⅲ 内面への道

 メッカ期→立法主義→宗教の社会化、政治化、法制化→正統派ウラマー→アラブ的概念的
 メディナ期→精神主義→宗教の内面化→深層探求のウラファー→イラン的直観

シャリーア(イスラーム法)とハキーカ(内的リアリティ・真理・実態)

ハキーカとは、可視的なものの不可視の根柢、文字通り存在の秘密です。

 意識のある特異な深層次元が開けて、一種独特の形而上的機能が発動した時、はじめてそこに見えて来る存在の内的リアリティなのであります。

「内面への道」の二つの違った系統
・シーア派イスラーム
・イスラーム神秘主義(スーフィズム)

シーア派の人びとにとっては、『コーラン』は一つの暗号書です。

スンニー派の構想するようなイスラーム法的世界は、宗教的世界ではなくて、実は政治的権力の葛藤の場であり、まぎれもない世俗的世界であるといことになる。


シーア派は聖と俗とをはっきり区別するのでありまして、この点においてスンニー派と完全に対立します。

イランの「十二イマーム派」

 イラン人が一般に本来、著しく幻想的であり、神話的であり、その存在感覚において、いわば体質的に超現実主義者、シュールレアリストであるということであります。

 シーア派独特のこの国家主権者の概念(隠れイマームの共同体の主権を握る)は、その詩的形成の過程において、プラトンの『理想国家』の哲人政治の思想の強い影響を受けました。

 スーフィズムとは、人間の実存の奥底に潜む内在神と、人間自身との極度に親密な秘密のかかわりを人間が自覚することであると理解しておいて大過なかろうと思います。

終末論的実存的情緒

 イスラームでは、元来、隠者とか世捨て人とかいうものを認めないと申しました。しかし、あれは共同体、スンニー的イスラームの立場でありまして、スーフィたちの立場はまさに正反対です。

*投手ダルビッシュ
 ダルヴィーシュ( درویش ペルシア語 darvīsh, トルコ語 derviş, ウルドゥー語 darvēsh)とはスーフィー(イスラム神秘主義)の修道僧。
 イスラームの預言者ムハンマドのハディース(言行)のひとつに「我が清貧は我が栄光」と述べたと言われており、イスラームにおいては「清貧」(ファクル فقر faqr)はムスリムの徳目の一つとされている。このため、イスラーム神秘主義(スーフィズム、タサッウフ)の修行でも重要視され、托鉢行や乞食行を実践する修行者を「貧者」(ファキール فقير faqīr)と呼び、ダルヴィーシュの同義語として用いられた。(ウィキペディア)

汝の汝性→我と神との分裂→二元論

 スーフィー・ㇵッラージ→「我は神」という宣言→刑死
  ああ、我といい、汝という。
  だがこういえば、神が二つになるものを。
  ……
ああ、できることなら「ニ」という数を
  口にしないでおりたいものを。


スーフィーの修行道
 否定に否定を重ねて自我意識を消しながら、我をその内面に向かって深く掘り下げていくと、ついに自己否定の道の極限において、人は己れの無の底に突き当たる。ここに至って人間の主体性の意識は余すところなく消滅し、我が無に帰してしまいます。自我の完全な無化、我が虚無と化すということです。
 ところが、この人間的主体性の無の底に、スーフィーは突如として燦然と輝き出す神の顔を見る。つまり人間の側における自我意識の虚無性が、そのまま間髪を入れず、神の実在性の顕現に転生するのです。

「わが虚無性のただなかにこそ永遠に汝の実在性がある」(神秘家ハッㇻージ)

「人間的自我の消滅とは、神の実在性の顕現が、人間の内部空間を占拠し尽くして、その人の内にもはや神以外の何ものもの意識もまったく残さないことだ」(スーフィー詩人ジャーミー)

 スーフィーの体験的事実としての自我消滅、つまり無我の境地とは、意識が空虚になりうつろになってしまうことではなくて、むしろ逆に、神的実在から発出してくる強烈な光で、意識全体がそっくり光と化し、光以外の何ものもなくなってしまうということなのであります。

 こういう形而上的光明体験を、神秘主義の述語で「照明体験」illuminatio、アラビア語ではイシュラークと申します。

「そして私は、私自身のなかを覗き込んで見た。どうだろう、私は彼だったのだ」(スーフィー・バスターミー)
自我性を完全に脱却した私は、もう私ではなくて、神そのものだった、というのです。

「我こそは神」(ㇵッラージ)

 「ロウソクを吹き消すがいい。もう夜が明けたのだ」(シーア派第一代イマーム・アりー)

 つまり神を見た人、神(・・)に(・)なった(・・・)人には、もう宗教は用がないのだと言い切ってしまうスーフィズムは、イスラーム共同体の内部にあって歴史的に危険分子として今日まで存続してまいりました。

イスラーム文化の三つの代表者
 第一 シャリーア、宗教法に全面的に依拠するスンニー派の共同体的イスラーム
 第二 イマ-ムによって解釈・体現された形でのハキーカに基づくシーア的イスラーム
 第三 ハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズム

 つまりこのような相対立する三つのエネルギーのあいだに醸し出される内的緊張を含んだダイナミックで多層的な文化、それがイスラームなのだ、というふうに考えていくべきではなかろうかと思います。


【初読昭和五十六年・再読平成二十八年】





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