惚けた遊び! 

タタタッ

はじめての哲学

以下のキ-ワ-ドをコピペして右サイドのこのブログ内で検索でお楽しみください。 → 情緒 演繹 帰納 内臓感覚 遊行寺 戦争 参考文献 高野聖 力業 ギリシャ 暗号 ソクラテス 香取飛行場 j・ロック 身体 墓 禅 401k 井筒 気分 講演 説話 小説 旅行 野球 哲学 空海 イスラ-ム かもしかみち 長安 干潟 民俗学 混沌 画像 大乗起信論 定家 神話 フェルマー 遊行 国家 気分の哲学  書評 飯島宗享 

抜粋 『大乗起信論』宇井伯寿・高崎直道訳注 岩波文庫

2016年10月30日 | 宗教
 

 大乗への信心を起こさせる書 (大乗起信論、現代語訳 高崎直道訳)

                          
述作者 馬鳴菩薩。
 漢訳者 西インド出身の訳経僧、
 真諦。梁の時代に翻訳。




第一段 本書述作の動機(因縁分)


問 どんな動機(因縁)でこの論典を述作したのか。
答 動機は次の八点にまとめられる。


問 経典(波羅蜜)の中に、この教えはすでに委しく説いてあるではないか。どうしてここで再び説く必要があるのか。
答 たしかに経典中にこの教えは説いてある。しかし、人びとの能力や実践程度は一様でないし、教えを受け、理解する条件は別々である。……。こういう次第で、本書は如来の広大にして深甚なる教えの限りない内容を小論の中に要約してみようとするものである。


*本文中の〔 〕は煩瑣なので、取り外して地の文にした。(抜粋者)



第二段 主題――大乗とは何か――(立義分)


 この(大乗)という言葉には二つの側面がある。一つは大乗と呼ばれるもの(法)すなわち何をさして大乗とよぶのか、他はその内容(義)すなわち「大乗」ということばの意味、あるいは、それが「大きい乗りもの」とよばれる理由」である。


 ここにいう大乗とよばれるもの(法)とは、具体的には衆生(しゅじょう)ひとりとひとりの心(衆生心)をさす。


 この衆生ひとりとひとりの心にはすべての世俗的に価値あるもの(世間法)、および、世俗を超越した価値あるもの(出世間法)が含まれており、したがって、それが大乗の内容を表現している。


 何故かというと、この衆生ひとりとひとりの心の真実ありのままのすがた(心真如相)に大乗というもの自体(体)が顕われており、他方、その心が、種々の現象の消滅する因由となるすがた(心消滅因縁相、すなわち、現実に機能している心のありさま)に大乗の自体とその諸特性(相)と機能(用)とが示されているからである。



 次に、その内容(義)すなわち〈大きい乗りもの〉といわれる意味のうち、まず、<大きい>ということには三点がある。


 第一に、そのもの自体が大きいということ(体大)。すなわち、衆生心の本体はすべてのものの真実のあり方(一切法真如)として、すべての衆生に平等に具わっており、衆生が迷っているからとて減ることはなく、悟ったからといって増すものでもないからである。


 第二、そのもつ特性が大きいこと(相大)。すなわち、衆生心はその内に如来を宿すもの(如来蔵)として、如来と同じ徳相(功徳)を本来無量に具えているからである。


 第三に、そのはたらきが大きいこと(用大)。すなわち、その衆生心の内なる如来、すなわち心真如が世間的ならびに世間超越的なすべての価値あるもの(善)の因となり、果となるからである。


 次に<乗りもの>という意味はすべての仏たちがむかし、それに乗って悟りを得たし、また仏と同じ悟りを求める菩薩たちもみな、それに乗って将来如来の地位に到達するであろうからである。



第三段 詳細な解説(解釈分)


 詳細な解説は次の三章よりなる。すなわち、

第一章 正しい教えの提示(顕示正義)
第二章 誤った見解の克服(対治邪執)
第三章 実践に入る道程の開設(分別発趣道相)


 一切は唯心で、心の外に対象となるもの(法)が外界に実在することはないからである。


 あらゆる言語表現は便宜的な仮の表現(仮名・けみょう)にすぎず、それに対応する実体はない。


 いわば、この名は、言語表現のぎりぎりのところで、言葉を用いて、他の余分な、あるいは誤った表現を排除する(因言遺言)のである。


 すべてのものは言葉で表現できず、心に思いうかべることもできないので、そのことをものの<真実ありのまま>(真如)とよぶのである。


 ものの真実のあり方をうけ入れるとよぶ。


 そして、そのような思いはからいを離れすてることができれば(離念)、これをものの真実のあり方に悟入したと名づけるのである。


 真如は右のごとく、ことばで表現できず、ただ体得(悟入)すべきことであるが……


 すべての衆生は誤った心の動きがはたらくので、一瞬一瞬、分別して、種々の差別相があると思うが、そのような誤った心の動きは皆心の真実のあり方と本来結びついていないので、その点を<空>というのである(不相応=空)。


 このまよいがあるから、修行によって、その状態をひるがえしはじめて覚る(始覚)ことが要請される。


 このうち、智のはたらきのもつ浄化力とは、仏のおしえ(法)をくりかえし修習することによって得られる慣性的な力(法力薫重)によって、如実に修行して、さとりの手だてを完成するので、覚と不覚との和合した識(和合識、すなわちアーラヤ識)の特色を破壊し、刹那ごとに消滅しつつ連続する識の特色を滅ぼして、本来のすがたである法身を顕現し、知恵が純浄となる点をいう。


 しかも、心は動くのが本性ではないので、無名の動きがとまれば、心の動き、すなわち刹那ごとの消滅のくりかえしによる連続は消滅する。(第三段・解釈分)


*拙著『述語は永遠に……』(四〇〇字詰原稿用紙六三六枚・昭和五十六年)で探求していたのは、「心の動き、すなわち刹那ごとの消滅のくりかえしによる連続は消滅」しないという、述語探しによる連想過多症のつきなさを書いていたことになります。長いこと、この作品のポジションが分からないままでしたが、七五歳になって、この『大乗起信論』第三段・解釈分の一文に出逢って、四〇歳の著作時にはそれと知らぬまま六三六枚を要していた事態が飲み込めました。


 それ(如実空鏡)は一切の主観(心)客観(境界)の相を離れていて(遠離=空)何ものもそこに現われるものがない。


 衆生もそれと同じで、さとりと対比するからまよいがあるが、<さとり>と切離せば(若離覚性)<まよい>もない。


 無明業相(心に動きのあらわれることを<業>という)
 能見相(もし心の動きがなければ、心が主観として対象を見ることはない)
 境界相(もし心が主観としてはたらくことがなければ、客観も成立しない)


 心と別にいろかたち、おと、かおり、あじ、触れられるもの、ないしは概念という六種の対象は存在しない。
 この教えの意味するところは何か。一切の現象(一切法、心の対象となるもの)はみな心から起こるもの、すなわち真実を知らないで心が妄りにはたらく(妄念)ことから生ずるものである。


 世間の一切の認識対象は、すべてこれ衆生の<根元的無知>にもとづく妄心のはたらきによって現象しているのである。


 心がはたらきをおこすと種々の現象が生じ、心がはたらきを止めれば、種々の現象もまた消滅するからである。


 この状態(不覚の相のうち、意識のはたらきによって起こる執取相ないし業繋苦相に相当する)は、未信の凡夫の心の状態で、弟子などの二種の道による解脱、および、菩薩にあっては信と結びついた段階(信相応地)に達することによって遠ざけることができる。


 菩薩が信と結びついた段階に達したのにもとづいて、修行の手だてを順次学ぶにつれて徐々に遠ざけ、浄心を得た段階(浄心地=菩薩の初地相当)において最終的に除去できる。


 ……、菩薩の最終的段階の最終点(菩薩尽地)に達し、その次の瞬間如来の段階に入ってようやく離れることができる。


 またこの粗大と微細という二種の心消滅の相は、根元的無知のはたらきかけ薫重の力にもとづいている。


衆生の心消滅→染法と浄法→浄法・染因・妄心・妄境界


 互いにはたらきかける(薫重)


 はたらきかけ(薫重)の定義
 ここに<はたらきかけ>(薫重)とは、世間で、衣服自体には香りはなくても、人が香をたきしめるとそこに香りがつく。それと同様に<真実のあり方>(真如)なる清浄な法(もの)(浄法)自体には汚れ(すなわち煩悩)はないのだけれども、(根元的無知)がはたらきかける(薫重)と、そこに汚染された相があらわれる。また、(根元的無知)なる汚れた法(もの)には本来、浄化するはたらき(浄業)はないけれども、<真実のあり方>がはたらきかけると、そこに清浄な作用がおこることをいう。


 無明の薫重
 妄心薫重
 妄境界薫重→増長念薫重・増長取薫重


 「若人以香 而薫重故 則有香気」


 これ(意薫重)は菩薩たちが最高のさとりに向けて発心し、勇猛に修行道を実践して速やかに涅槃に赴くようにしむける。


 真如薫重→自体相薫重・用薫重


 自体相薫重とは、心の真実のあり方、すなわち自性清浄心にはその始りも知られない遠い昔から、煩悩に汚されない諸徳(無漏法)が具わっており、人知を越えた不思議なはたらきをもっていて、妄心のまえに、目標とすべき対象となってあらわれる。


 またたとい、そういった外からの条件の力にめぐまれても、内発的な、真実のあり方に目覚めるという浄法のはたらきかけが稼働しないかぎりは、生死の苦を厭い、涅槃をねがい求めることを徹底して遂行することはできない。


 一切の現象(法)は本来、ただ心の現わしだすもののみ(唯心)であって、しかも、その一切の現象を現わし出す心のはたらき(念)は真実には存在しないけれども、現実には衆生のひとりひとりに虚妄な心作用(妄心)としてはたらいている。


 しかももし、根元的無知のために心がはたらきを起こすと、心に思い浮かぶ眼前の対象だけを見る(見前法可念)ことになるが、他方では心に思いうかべないものは見ないということも生じるわけで、そこに欠けるところができる。


 すなわち、諸仏如来は、むかし、まだ仏となる前、菩薩であったとき(本在因地)、……。


 すなわち一切の客観(境界)は心にほかならないが、その心が誤ってはたらきを起こすとき(妄起)、対象もまた有とみなされる。故にもし心がみだりに動くことがなければ、一切の対象は消えて、ただ一つの真実の心(真心=心真如)だけが遍在するようになる。


 それ故、一切の現象は本来、物質でもなく、精神でもなく、直感的な智恵でもなく、分析的な認識でもなく、存在でもなく、非存在でもない。究極的にそれはいかなることばによっても表現できない様相のものである。


修行の方法
 ❶行根本方便
 ❷能止方便
 ❸発起善根増長方便
 ❹大願平等方便


 何となれば、一切の現象は本来、本性として涅槃に入っているすなわち生ずることなく寂静であるということを、仏の教えを通じて信知しているからである。


菩薩の発心の相
 ❶真心
 ❷方便心
 ❸業識心


 心消滅のある限り、いかなる高位の菩薩といえども業識がはたらいている(すなわち無明の力がのこっている)とみるのが、本書の基本的理論である。


 それはあくまで衆生の心のあり方に応じて現れるのである。



第四段 信心の修行(修行信心分)


信心・四種
 ❶根本を信ずること。
 ❷仏は無量の特性を具えていると信ずること。
 ❸仏の教えには大いなる利益があると信ずること。
 ❹教団の成員たる修行者たち(僧)はよく自利の行、利他の行を実践するものであると信ずること。


五門の修行
 ❶布施門(施門)
 ❷持戒門(戒門)
 ❸忍耐門(忍門)
 ❹精進門(進門)
 ❺止観問(禅定と智恵の両行の并修)


 人がやって来て、教えを乞うたならば、自分が理解しているのに応じて、方法を考えて、その人のために法(教え)を説け(以上は法施)。


 人の集まるところを避け、つねに静寂な場所に住まい……


 またここにいう(観)とは、諸々の現象の因縁によって生起する相(すなわち心消滅の相)を見分けること(分別因縁生滅相)。


 (止)すなわち、一切の対象の相をみないことを修行しようとする者は、まず、静寂なところに住まい、正しい姿勢で坐りすなわち結跏趺坐して、こころ(意)を正すべきである。


 あらゆるおもい(想)を、そのおもいの生ずるごとに(随念)、ことごとく除き去り、しかも、のぞき去っているのだとのおもい(除想)をも捨てされ。


 以上の(止)の修行について長く修練を積んで(久習)、その仕方に習熟すれば、心(おもい)は次第に鋭利になり、心はいつも安定(住)する。心がいつも安定するようになればやがて<真如三昧>(真実のあり方をのみひたすらに念ずる禅定)随い入ることができるようになる。そうすると煩悩をよく克服し、信心はいよいよ増し、いち早く悟りに向かう道において不退の状態にいたるであろう。


 また次に、このような<真如三昧>に入ることによって、諸々の現象の根元はすべて同一の相であるということ(法界一相)をさとる。すなわち、一切諸仏の本性としての(法身)と衆生の身とは、その根元において平等・不二であるという意味でそれ故にこの三昧をまた(一行三昧)と名づける。汝は知るべきである。このように<真如三昧>はあらゆる三昧の根本である。


 こういうわけであるから、修行者はつねに正しく智恵をはたらかせて観察して、心が邪網にひっかからないように心掛けるべきである。


 外教の徒の実践する三昧はすべてこれ、誤った見解と煩悩(見愛)、自我意識への執われ(我慢)から離れない。


 以上のような禅定の修習は、ただそれだけにとどまるとき、人は心が沈み、あるいは怠惰になって、進んで多くの善事を行おうと願わなくなり、他者のために尽くそうとの大悲から遠ざかるであろう。それを避けるために、次に<正観>を修習しなければならない。


 一切の心のはたらきは刹那ごとに生滅する。それ故に、それらの現象はすべて苦であると観ずべきである。


 それなのに、なおそれを覚知しないとは、何と衆生は憐れむべき存在かとの思いを持つべきである。


 ……このような思いをもったとき、人は心を奮いたたせて、次のような大誓願をたてるべきである。
――願わくは、わが心をして、主客・自他等の分別を離れ、それによって心を十方世界にあまねくゆきわたらせて、一切の善行、徳行を実践し、未来の限りをつくして、あらゆる方便をめぐらして、すべての苦悩する衆生を救済し、涅槃という窮極最高の安楽を得させたいものである――と。


 そういうわけで、禅定と正観という二門はお互いに助け合ってはたらき、はなし難いものである。もしこのような禅定と正観とを共に具えていなければ、人はさとりの道に入ることはない。



第五段 修行の勧めと修行の効果(勧修利益分)


 ……、つねにこの『起信論』を手にして、思念し、修習すべきである。そうすれば最終的には、無上のさとりに達することができるであろう。


 当(まさ)に知るべきである。過去の菩薩も、すでにこの教えによって大乗への浄信を成就することができたし、現在の菩薩も、いまこの教えにしたがって浄信を成就するであろうし、未来の菩薩もまた、この同じ教えによって、大乗への浄信を成就することができるであろう。そういうわけであるから、衆生はまさに勤めてこの『起信論』の説く教えによって修学すべきである。


 普(あまね)く衆生界のすべての者を利益せんことを。



大乗起信論 おわり





*二〇一六年一〇月二十九日抜粋終了。
*印は、抜粋者のコメントです。
*抜粋者が平成十二年に書いた『人様のお金』に、次の文章を引用していました。
 右に揺れ左に揺れ戻りつつ展開する思惟の流れに、人はしばしば路を見失う。要するに、一見単純な論理的構成にもかかわらず、『大乗起信論』の思惟形態は、直線的ではないのだ。だからこのような思考展開の行き方を、もし我々が一方向的な直線に引き伸ばして読むとすれば、『大乗起信論』の思想は自己矛盾だらけの思想、ということにもなりかねないだろう。
井筒俊彦『意識の形而上学』―「大乗起信論」の哲学




『述語は永遠に……』 ポジション判明

2016年10月29日 | 電子書籍



内容紹介
吾十有五而志于学(孔子・論語)に適い、千葉の片田舎の中学卒業を期に、香取飛行場跡から蒸気機関車で上京。「私とは何か」という述語探しのオブセッションの果てに、八月の京都駅頭で覚醒する物語です。


著者から一言
拙著『述語は永遠に……』(四〇〇字詰原稿用紙六三六枚・昭和五十六年)で探求していたのは、「心の動き、すなわち刹那ごとの消滅のくりかえしによる連続は消滅」しないという、述語探しによる連想過多症のつきなさを書いていたことになります。長いこと、この作品のポジションが分からないままでしたが、七五歳になって、『大乗起信論』第三段・解釈分のこの一文に出逢って、四〇歳の著作時にはそれと知らぬまま六三六枚を要していた事態が飲み込めました。



Amazon


 youtube

抜粋 井筒俊彦 「本質直感―-イスラーム哲学断章」 『意識と本質』 岩波書店 再読

2016年10月29日 | 哲学

 それがまた約千年近い年月経て成熟したイスラーム哲学の本質論の基底をなしていることは否定できない事実なのである。


イスラーム哲学の三種の普遍者
 ❶論理的普遍者
 ❷本性的普遍者
 ❸理性的普遍者


イスラーム哲学の「本質」
 ❶「特殊的意味に解された本質」
 ❷「一般的な意味に解された本質」


 その把握は、一種の直接端的な知的諦観、あるいは直感であり、それはなんらの知的操作の過程を含まない。ただ直接にそのままそれを視るのである。


 本質純化のこの過程の記述ないし分析がイスラーム哲学では一つの大きな課題として幾世紀にもわたって試みられることになるのである。


 タジュリードとは字義通りには「引き剥がし」ということで、要するに「本質」の核のまわりに貼り付いて、十重二十重にそれを取り巻いている不純要素を引き剥がしていくことによって、本質を純化しようとする理性の否定的働きを意味する。本質直感を目指しつつ次々にエポケーを重ね、括弧付けを繰り返していく現象学の方法をどことなくしのばせるようなアブローチである。


 以下、私はこのイスラーム的本質直感理論を、概念純化の知的操作の過程として叙述してみたいと思う。


 外的世界に現実に実在するものは個物のみ、というのがイスラーム存在論の基礎命題の一つである。


 経験界において本質に纏い付くこれらの夾雑物を本質から「引き剥がす」ことが、当然、概念純化操作の第一段階になる。


イスラーム哲学の三つの基本的様相
 ❶「不定相における本質」
 ❷「否定相における本質」
 ❸「限定相における本質」





*二〇一六年一〇月二十四日抜粋終了



抜粋 井筒俊彦 「対話と非対話――禅問答についての一考察」 『意識と本質』 岩波書店 再読

2016年10月25日 | 宗教
  
 禅の立場からすると、単に対話を超脱して人間言語がその作用性を完全に喪失し、言語がまったく働かなくなるようなところに行ってしまい、そしてそれっきりになってしまうということではなくて、かえってそのような無言語の場から言葉が出てきて、普通の意味での対話が成立し得ないようなところで、異次元の対話が成立する、そういう特殊な対話の精神的意義と重要性を指摘し問題にしてみたいというところにあった。


異文化間の対話の可能性
 ❶コミュニケーション不可能説(フンボルトの言語哲学現代版サピア=ウォーフ仮設)
 ❷相当程度まで可能(デカルト的な合理主義的言語観)


 ❶によると、言語とは第一義的には、「現実」(リアリティ)の認識的分節形態の体系ということになります。「現実」それ自体は全く不定、つまり内部になんらの限定もない、従って掴まえどころのないのっぺりした何かであってそれを日本語とか英語とかそれぞれの言語が、それぞれの仕方で、いわば任意に分節し区切りをつける。様々に区切られた「現実」の断面が各々意味的単位として意識され、それが語によって固定される。それらの語、すなわち意味単位、の総体が一つの記号体系としての一々の言語である、と、およそこのように考えるのであります。


 ともかくこの派の人々によれば、「現実」とはなんだか得体の知れない、ぬるっとしたようなものであって、この本源的に不確定な「現実」が伝統的にきっちりきまった形に限定され、それが言葉で固定されていて、人間はそれぞれ自分の言語が提供するそのような整理箱の穴から「現実」を見ている、しかも言語ごとに整理箱の構成が違っているというのです。


 厳密な意味での翻訳は不可能事です。翻訳は本質的に一種の間に合わせにすぎません。


言語的普遍者=文化的普遍者


 こうして対話の可能性――異文化間の対話であれ、同一文化圏内での、あるいは同一言語圏内での対話であれ――は、たんに理論的に興味ある問題であるばかりでなく、いやそれにもまして、今日の世界に生きる我々の存在そのものに関わる重大な問題であることが、ややおわかりいただけたかと存じます。そしてこの問題について、現代の言語理論や言語哲学が決定的な解答をもち合わせていないということも。


 世にいわゆる禅的沈黙がそれであります。沈黙とは対話への性向を抑えて、言葉をだんだん少なくしていって最後に行きつく極限の状態であります。


 元来、禅の立場から見ますと、人間はどうも喋りすぎる。つまり生まれつきお喋りなのです。


 ただし禅の立場からして一番大切なのは、人間がただやたらに喋りたがる性質を持っているという点にあるのではなくて、喋ること、言語を使うことによって知らず知らずのうちに、その言語が意味論的に押しつけてくる特別な「現実」の範疇化の枠に心の動きがはまってしまうということであります。そしてそのことは、禅にとっては、ただちに人間の実存的自由の喪失を意味するのです。


 人間は喋っているうちに、意識しないで、習慣の力で、つい自分の喋る言語の意味的枠組に従ってものを見、ものを考えるようになっていく。禅から見れば、人間はこの意味で言葉の奴隷です。


 言語によって決定された意味的範疇の枠組から抜け出すことが、禅に言わせれば、まず第一にやらなければならないことであります。言語の区分け形式によって歪められた「現実」の姿を、言語ぬきの、新鮮で溌剌とした直接のヴィジョンで置きかえなければならないのです。


 今申しました直接的ヴィジョンにおいて現われてくる「現実」は完全な形而上的無限定者でなければなりません。全然区分けがないのですから当然そうなるはずです。それを禅では「空」とか「無」とか申します。そして「現実」をこのような形而上的無限定者として自覚することが禅の修行の第一段階であります。そのためには当然、人間は先ず喋ることをやめなければなりません。つまりいわゆる言語の圧制から心身を自由にして、言語的範疇化の描く魔法の円を超脱しなければなりません。


 つまりもっと平たく言えば、山が山でなくなるためには、それを見る主体の意識も主体の意識であることをやめるほかはありません。


 絶対無分節の状態、つまり言葉のもたらす一切の意味的区分けの出てくる以前の状態、ということになります。


 禅はこの絶対無限定状態における「現実」が直接端的に実存的体験として味得されることを要求しますが、それは人が言語を超えて、言語の彼方に出なければ実現不可能なのです。なぜなら言語とは、その意味的本性上、本源的に無限定な「現実」を様々に限定し、どこまでも細分して、そうして造り上げた意味的限定形態を内的・外的なものとして措定していくところにはじめて本来の存在形成的ないし認識構成的作用を発揮するものであるからです。


 意識内容の伝達と「現実」の分節という人間言語の二つの根本的機能のうち、禅思想において中心的位置を占めるものは後者、すなわち意味的分節機能の方であることが明らかでありましょう。


 この点においては、言語にたいして禅の取る――あるいは、取ると想定し得る――立場は、現代のフンボルト学派に属する意味論者たちの立場に非常に近いものであります。


 つまりあらかじめ分節された世界の、ヴィジョンを押しつけることにならざるを得ない、と、大体こういうような主張(フンボルト学派)であります。


 事実、禅はフンボルト派の意味論と同じく、言語的分節が我々の世界認識に及ぼす強大な影響力をいろいろな形で指摘してきております。ただし、禅がフンボルト流の意味論と違うところは、存在にたいする言語分節の影響力をただ観察したり分析したりするにとどまらず、もつと積極的、建設的な形でこの事実に対処しようとするところにあります。


 そして禅は、言うまでもなく、第一に、第一義的に、修道であり、精神鍛錬の道であり、ここで精神鍛錬とは人間の意識構造を根本的に練り直して、今までかくれていた認識能力の扉を開き、それによって今まで見えなかった事物の真相を掴むことができるようにしようというのでありますから、当然のこととして、「現実」の言語的歪曲を払拭し、言語の分節作用の全然働かないところで、ありのままの「現実」を認識させる方法を編み出してきたのであります。


 深い観想のうちに、言語分節の蹤跡が消え去り、あらゆる事物の無が体験されるとき、そのときはじめて歪曲されぬ「現実」が顕現するという考えです。


 ……、体験の巨視的次元が名称あるいは名前の領域だということです。


 ところで禅の修行の道の第一歩は、このようにして巨視的次元に生じた意味的凝結体を、観想によって次々に――というより、できることなら、一挙に――溶かしてしまうことにあります。言語的意味分節論の見地から申しますと、座禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して、もとの姿に戻すために考案された方法であると申せましょう。


 ……、座禅で観想状態が深まって参りますと、意識の深層が次第に活発に働き出します。そしてそれと同時に凝結していた世界がだんだん溶けていきます。いわば流動的になっていきます。今まで峻別されていたあらゆる事物の形象はその尖鋭な存在性を失って仄かになり、ついにはいまにも消滅せんばかりのかそけさとなります。いわゆる「本質」なるものによって造り出されていた事物相互の境界線は取り除かれ、いろいろな事物の輪郭はぼやけてきます。そして、今ではほとんど区別し難くなったものたちが相互に浸透し合い、とうとう最後には全く一つに帰してしまいます。それが「一者」の次元です。


 だが、観想のより一段の深化とともに、この他者の可能的区別もついに消え去って、万物は絶対の無限定の中に逍溶してしまいます。これこそ真の意味での形而上的「一者」の現成。大乗仏教ではこれを「空」と呼ぶ。


 絶対無文節者はいわばどうしても自己自身を分節せずにはおられない。「無名」は「有名」に転じていかずにはおられないのです。そして禅の観想的意識は、本源的形而上的「一者」が次第に自己文節を重ねつつ、ついに具体的事物事象の世界として完全に現象化された形で現われるところまで、「一者」自己分節の全行程をくまなく辿るべく定められているのであります。


 ここに「一者」の自己文節の過程とは、「無名」が自らを名付けていく過程にほかなりません。本来なんの名もないものが、いろいろな名称を自己に与えて「有名」となる過程です。この「無名」の名付けが言語を通じてなされることは申すまでもありません。


 まだ観想体験を通じて万物の「無」を自覚していない最初の段階では、世界にはいろいろなものがあって――つまり「現実」が意味的に無数の単位に区分けされていて――それらのもののそれぞれがその名前で示される独特の「本質」をそなえた独立の存在者として現われていました。


 これに反して、「無」の観想的自覚を経た後の段階では、同じそれらのものが全て絶対無限定者としての「一者」の顕現形態として覚知されるのです。禅の立場から見てここで一番大切なことは、経験的他者界の存在者の一つ一つがどれも「一者」がそっくりそのまま自己を露見した姿として覚知されるという点にあります。


 「一者」がたくさんの部分に自らを細分して、それらの部分がそれぞれ独立したものになる、というのでない。そうではなくて、経験界に見られる事物事象の各々が、「一者」そのものの存在的全エネルギーの発露だということです。


分割
 全体としての「一者」が四つの部分に分かれて別々のものになるという意味
分節
 それぞれが「一者」そのものの、四つの違った現われ方、四つの限定的現象形態


 従ってこういう境地において、私が山を見ることは「一者」が「一者」自身を見ることにほかなりません。私が山を見るという一見極めて単純な経験的事実が、実は「一者」がみずからを自らの鏡に映して見るという形而上的事件なのです。


 互いに他を排除しつつしかも互いに浸透し合う形而上的事態


 それ自体としては本源的に全く無分節である「一者」が存在的に自己を分節していく、この「一者」の自己分節が言語的意味分節として現われるのです。


 絶対の沈黙でありながらしかも永遠の言葉であるもの、非言語――私は今この非言語という語を無言語から区別して、例の薬山維儼の「非思量」に合わせて使っているのですが――でありながら、しかもあらゆる言葉、すなわちあらゆる存在形態の本源であるようなコトバです。


 禅の言語哲学の中には、インドの「言語的不二論」を代表する哲人バルトリハリ(5世紀ごろの人物)によって提唱された「語・梵」の考えに非常に近いものがあるように私は思います。


 経験的世界がこのような異常な様相の下に現成するこの領域において、言語の分節機能そのものもまた普通の場合とは全く違った様相を呈することは当然でなければなりません。


 「無」の直接無媒介的自己顕現


 いわゆる「転語」というのがそれです。禅は実に厳格に、徹底して、言語が第一次的にはこのような形で使われることを要求します。すなわちすべての語がコトバの直接そのままの顕現としての自覚において話者によって発せられ、またまさにそのようなものとして聴者に受け取られることを要求します。そうでない言葉はすべて本来的な言語行為ではない。だから「一転語を持ち来れ」と言います。


 二人の人間の間に成立する普通の対話的関係の地平の彼方の痛烈な実存的状況のうちに演じられる一つの形而上的ドラマとして現成する特殊な対話形式、それを私はBeyond-Dialogueという表現で表してみたのです。このような意味に解されたBeyond-Dialogueを伝統的に禅は「問答」と呼びならわしてきました。


 二人の人間、二つの実存、すなわち非言語の自己言語化の互いに平行する二つの実存的機構が相関的展開の過程において、互いに刻々呼び合い応じ合いつつ、瞬間ごとに全く新しい対話的場面を創造していく、それがBeyond-Dialogueとしての禅の問答の本質的構造であります。


 当然なことですが、現代の言語理論が問題とする対話とは、要するに常識的な言語観に基づいた対話の概念であります。禅の問題とする対話は、これに反して、非常識な言語観に基づいた非常識に対話です。


 対話というものにたいして、またより一般に言語というものにたいして、常識的言語理論とは全く違った見方もある、そしてそれが人間精神の形成にとって、それから人間についての哲学的思索にとって重大な意義をもつものであるということを自覚しておくのは悪いことではないと思うのです。


 禅の観点からすれば、現代の言語理論内に生じている言語的コミュニケーションの難問と、それに関連する数々の複雑な問題は、主として言語の伝達機能に不相応な重点が置かれるところに起因します。むしろ言語については、意味分節的機能にこそ第一の重点が於かれなければならない、否定的意味においても肯定的意味においても。これが言語にたいする禅の根本的態度です。


 形而上的深みを欠いた水平的言語コミュニケーションは、禅に言わせれば実存的意味のないあだごとであります。





*二〇一六年一〇月二十四日抜粋終了。








抜粋 E・トッド 『問題は英国ではない、EUなのだ』二十一世紀の新・国家論 堀茂樹訳 文春新書

2016年10月19日 | 読書


日本の読者へ――新たな歴史的転換をどう見るか?


第二次大戦後の三つの局面
 第一局面 一九五〇年から一九八〇年まで 経済成長期 この期間にヨーロッパと日本はアメリカに追いつきました。消費社会が到来した時代でした。
 第二局面 一九八〇年から二〇一〇年まで 経済的グローバリゼーション 英米によって推進されました。ソ連や中国の共産主義はそれに抵抗し得ませんでした。
 第三局面 二〇一〇年以来 グローバリゼーション凋落の予感 特に英米において。


 アメリカ→ナショナルな方向への揺り戻し
 イギリス→EU離脱


 アメリカとイギリスに見られるこの変化は、とてつもない逆転現象です。なにしろ、アングロサクソンの二つの大きな社会が、三〇年間にわたって歯止めなき個人主義をプロモーションした果てに、ネオリベラリズム的であることに自ら耐えられなくなっているのですから。この二つの社会は、ネイション(国民)としての自らの再構築を希求しています。


「社会などというものは存在しない」(M・サッチャー)



1 なぜ英国はEU離脱を考えたのか


 日本人は、ヨーロッパのあずかり知らぬところで自律的な発展を遂げた江戸時代を懐かしんでいます。


 その力は、ネイションとしてのアメリカの再建を夢見て、「ワシントン・コンセンサス」やグローバル化の言説からの脱却を要求しています。


 イギリスのEU離脱は、西側システムという概念の終焉を意味しています。


 実際に存在しているのは、「Europa[独逸語]、」つまり「ドイツ的ヨーロッパ」なのです。


 ビスマルク様式(理性的)とヴィルヘルム様式(偏執狂的)


 少子化問題を安易に移民で解決しようとするドイツ


 すなわち、ドーバー海峡の向こう岸(イギリス)では再建、こちら側のヨーロッパ大陸では解体。それこそが、これからやって来る年月のプログラムです。……。大きな歴史的挑戦にイギリス人が取り掛かるには、常に一定の時間が必要となりますが、やがて彼らはそれをきちんと引き受けます。それに対し、周回遅れのヨーロッパ主義者が笑い者になるのは確実です。


 ジョンソンが党首選出馬を辞退したのは、キャメロンのエレガントな振る舞いに対応しています。
 しかし、ここで突然、私のフランス人性が頭を擡げてきます。私は改めて我々の大統領であるオランドの姿を思い浮かべ、泣きたくなる……。



2 「グローバリゼーション・ファティーグ」と英国の「目覚め」


 ヨーロッパを一つに束ねようとするEUの試みは、今や失敗であることが明らかになっています。


 一方、イギリスは「ドイツに支配されているヨーロッパ」に対して立ち上がったのです。


 イギリスがEUを離脱した第一の動機は、移民問題ではなく、英国議会の主権回復だったことが出口調査の結果から明らかになっています。すなわち、EU本部が置かれて官僚が跋扈しているブリュッセル、あるいはEUの支配的リーダーとなっているアンゲラ・メルケル首相率いるドイツからの独立だったのです。


 つまり、普段は比較的おとなしい英国の庶民、労働者階級の人々が、エリートに対して「うんざりだ」「これ以上は耐えられない」と拒絶のメッセージを突き付けたのです。


 イギリスは、いわゆる「サッチャリズム」と市場原理主義的な経済せて策を、アメリカのレーガン政権に一年先駆けて導入しました。サッチャーは「ゆりかごから墓場まで」に象徴される手厚い福祉に守られてきた国民に対して、「個人の力」の重要性を強調して「社会などというものは存在しない(There is no such thing as society.)」と有名な言葉を残しました。


 今回の英国EU離脱は、おそらく統合ヨーロッパ崩壊の引き金になりますが、それ以上に重要なのは、世界的なグローバリゼーションのサイクルの終わりの始まりを示す現象であるということです。


 フランスの国立行政学院などのグランゼコールは、たしかに優秀ではあるけれども、尊大で他人を見下すようなエリートをコンスタントに輩出しています。


グランゼコール(Grandes Écoles 発音例、またはグランド・ゼコール)とは、フランス社会における独自の高等職業教育機関である。大学の様な教養としての学問や教育ではなく、社会発展に直接寄与する「高度専門職業人の養成」を理念とした学問の普及と教育を行っている。国際標準教育分類(ISCED)では6レベルに相当する。
理工系を中心に政治・経済・軍事・芸術に至るまで職業と関連した諸学について、フランスにおける最高クラスの教育が与えられる。卒業生は近代以降のフランス社会での支配階層を占めており、一例を挙げれば政治系グランゼコールであるフランス国立行政学院はこれまで数十名の大統領や首相を輩出してきた。その存在は大学よりも格上と看做される事も多く、特に名門中の名門とされるグランゼコールには高等教育機関に所属するフランス国民の内、全体の数パーセントしか進学できないとされている。(ウィキペディア)


 イギリスに続く「目覚め」が、ふらんす、そして欧州各国で起きることで、ドイツによる強圧的な経済支配から「諸国民のヨーロッパ」を取り戻せるはずです。それこそが欧州に平和をもたらす、妥当だという意味で理性的な解決策であると私は確信しています。



3 トッドの歴史の方法――「予言」はいかにして可能なのか?


 一般的に日本人は、かなり経験主義的に見えます。


 なぜ知的なエラーが起きるのか? いきなり「人間とは何か?」と自問して、観念から出発するから歴史を見誤ってしまうのです。


A・エイヤー『言語・真理・論理』(破壊力抜群の傑作)
B・ラッセル『西洋哲学史』(枕頭の書)
P・ニザン『番犬たち』(アカデミック哲学に対する攻撃文書)
B・ムーア『独裁と民主政治の社会的起源――近代世界形成過程における領主と農民』(巻末文献目録の凄さ)


 歴史人口学は、統計的な変数を分析します。そうした数値の比較を通じて、倫理的な目論見とは関係なしに、ある「発見」に至ることがあるのです。たとえば、家族構造とイデオロギーおよび経済体制のの関係に思い至ったのは、「外婚制共同体家族」の分布と「共産主義勢力」の分布がほぼ一致するという発見がきっかけでした。


 実は、共産主義革命は、プロレタリアート(労働者階級)を有する工業先進国では一度も実現していません。プロレタリアート主導による共産主義革命というマルクス主義の仮説は、事実によって否定されているのです。実際の革命はむしろ、資本主義化以前の段階にあった「外婚制共同体家族」の社会で生起しました。


 それに対して、「自由」が強迫観念になっていない日本のような権威主義的社会の方が決定論を受け入れやすいわけです。


 自分の行動は家族をはじめとする周囲の社会環境に大きく規定されている、という意識が日本人にはあるからです。


 「人間の自由には限界がある」ことを認識できるという意味で、「自由」に対して一定の諦念があるという意味で、日本人は、少なくとも内面的により自由なのです。


 「リベラルな文化の盲目性」(トッド)


 「プロレタリア階級こそ重要だ」というマルクスの考えに対し、「中産階級こそが歴史の鍵を握っている」と私は考えています。


 ……、『シャルリとは誰か?』のアカデミックではない、攻撃的な書き方は、マルクスを意識しています。少なくとも私としては、あの本は、マルクスへのオマージュのつもりです。大学アカデミズムなどクソ喰らえ、というマルクスの姿勢への共鳴です。


 私は、雑多なものを組み合わせて仕事をするブリコラージュ屋です。


 中産階級がどうなるかが歴史の帰趨を決します。マルクスはこの点を見誤りました。プロレタリア階級の勢力が増しても、何も起こらず、歴史は動かなかったのです。イギリスでも、フランスでも、ロシアでも、革命は、「ストーンの法則」(革命前に識字率上昇)の通り、中間層の識字率が高まることによって起きたのです! 「アラブの春」も、中国の革命も同様です。


 人類の歴史は一つになっていくというグローバリゼーションのイデオロギーと合致しない現象が生じています。


 言い換えれば、人間が可塑的な存在だからこそ、場所(テリトリー)ごとの価値観が永続するのです。


 私にとって、研究とは、ある概念を時間をかけて掘り下げることではありません。たくさんのデーターを集め、たくさんの本を読むことです。すると、あるとき突然、啓示のように、二つの事実が重なり合うのです!


 ところが、同じ直系家族の日本とドイツの間にも大きな違いがあります。「外向きの拡張志向のドイツ」と「内向きの孤立志向の日本」という違いです。


 日本では伝統的に「イトコ婚」が一定の割合で存在しました。しかし、ドイツでは皆無です。


 「イトコ婚」という同一グループ内での結婚(内婚)は、文化の閉鎖的・内向的傾向を示しています。


 実際、日本人は自分を世界の周縁に位置づけようとします。「世界の中に存在しているのに、世界の一部をなしていない」かのようです。


 核家族は個人を解放するシステム、個人が個人として生きていくことを促すシステムですが、そうした個人の自立は、何らかの社会的な、あるいは公的な援助制度なしににはあり得ません。より大きな社会構造があって初めて個人の自立は可能になります。「個人」とより大きな「社会構造」には、相互補完関係があるのです。


 核家族と国家の間には共振関係があります。


 サッチャー、レーガンのネオリベラル革命以来、国家の役割を減らし、小さくするという傾向が数十年間続いてきましたが、いま世界で真の脅威になっているのは、「国家の過剰」ではなくむしろ「国家の崩壊」です。


 アラブの内婚制共同体家族社会はもともと国家形成の伝統を欠き、国家形成の力が弱いのです。EUの失敗も、ヨーロッパ国家形成の失敗と捉えられます。ウクライナ問題も、あの広大な地域に国家形成の伝統がなかったことに原因があります。


 いま喫緊に必要なのは、ネオリベラリズムに対抗する思考です。


 本来、自分たちの文化にしか可能でないモデル、つまり絶対核家族社会に適きしたモデルを世界中に広めようとしたことに、ネオリベラリズムとグローバリズムを推進したアングロサクソンの英米の賢さと陰険さがありました。それによって、ヨーロッパ大陸とアジアの国家主義的なシステムが破壊されたのです。


 ところが今日、アメリカの学問は完全に経済学中心となり、単純な「ホモエコノミクス」のモデルを世界中に適用しようとしています。左派・右派を問わず、フリードマンしろ、スティグリッツにしろ、クルーグマンにしろ、経済学モデルですべてを説まさに明しようとする。実に貧しいものの見方です。世界の多様性を認めない、攻撃的で単純な普遍主義です。


 アラブ世界の家族システム、つまり内婚制共同体家族はまさに「アンチ国家」です。


 つまり、部族社会というアラブ的要素と、軍隊による抑圧という西洋近代的要素の奇妙な混合物によって、国家権力が維持されていたのです。


 要するに、ある範囲の地域を統一し、その中で人々を平等に扱うのが本来の国家ですが、アラブ世界では、そうした中央集権的な国家を生み出そうとしてもなかなかうまくいかないのです。(部族間対立等で・抜粋者) そういう状況のなかで、アメリカ軍がイラクに侵攻し、かろうじて「国家」として残っていた要素まで破壊してしまいました。その結果、「国家なき空白地帯」が生まれ、そこに「イスラム国」が居座ったのは、皆さんご存知の通りです。


サウジアラビアのリスク
 出生率の激減(一九九〇年頃に六だった出生率が、現在、三を下回っています)


 アメリカが中東の原油をコントロール(国内需要確保は足りている)するのはむしろ、ヨーロッパと日本をコントロールするためなのですよ。


 トルコとサウジアラビアが不安定の極であるのに対して、イランとロシアが安定の極です。人口学的にもそう言えます。つまり、イランとロシアを良きパートナーとすることで初めて、アメリカは中東における負の連鎖を食い止め、この地域を少しでも安定化させるチャンスを手にできるのです。


 世界のイスラム教社会の約九〇%はスンニ派で構成されており、数ではスンニ派がシーア派を大幅に上回っている。サウジアラビアやバーレーン、アラブ首長国連邦といった一部のペルシャ湾岸諸国の政府当局者はスンニ派だが、イランとイラクはシーア派が政権を握っている。シリア政権はシーア派の分派であるアラウィ派だ。(http://jp.wsj.com/)


 九・一一同時多発テロの実行犯の多くは、サウジアラビア人でした。にもかかわらずアメリカは、サウジアラビアとの友好関係を維持し続けました。まったく奇妙なことです。なぜアメリカはサウジアラビアを特別視し、連携するのか?


 アメリカとスンニ派との奇妙な関係は重要な研究課題です。


 シーア派のイランは、父権性がより弱く、女性の地位がより高く、より核家族的で、より個人主義的なのです。この点を西洋は見ようとしません。ここが見えていないから、サウジアラビアに同調し、イランに対抗するというような、人類学的にはまつたく不自然なことになってしまうのです。



4 人口学から見た二〇三〇年の世界――安定化する米・露と不安定化する欧・中


 社会の堅固さ、あるいは社会の脆さを、経済よりもさらに深い層から見ていくアブローチです。


社会的な無意識・高等教育の進学率・出生率


 ロシアの関心は領土の拡張ではありません。すでに広大な国土を有しているからです。問題はむしろ、広い国土に対する人口の少なさです。領土ではなく人口こそ、ロシアの問題です。


 人口が一億四〇〇〇万人で日本と同規模である以上、大帝国化など不可能なのです。


 中国の出生率は急激に低下しました。さらに出生の実態に注目すると、異常事態が起きていることが分かります。女子一〇〇人に対して男子一一七人で、出生の男女比が異常なのです。


 中国経済にもアブノーマルな点が見られます。GDPに占める「総固定資本形成(インフラ整備などの公的および民間の設備投資)」が四〇~五〇%と異様に突出しているのです。


 とくに急速な少子高齢化は深刻で、一〇億人の人口ピラミッドの逆三角形構造は移民導入によっても絶対に解決できません。これだけ見ても、中国は不安定な極とと言わざるを得ないのです。


 その点(日本は移民受け入れ拒否)、ドイツは大きく異なります。ドイツは、いわば戦略的に、絶え間なく労働力人口を獲得しようとしています。


 ドイツが完全な外婚制〔イトコ婚の禁止〕であるの対し、トルコ人の内婚〔イトコ婚〕率は約一〇%で、ここにトルコ人社会とドイツ人社会の大きな文化的な違いがあります。


 ところが、シリア人の内婚率は三五%なのです。内婚率が高い社会は、集団として閉じた社会を形成する傾向があります。


 ……、日本のパートナーにふさわしいのはアメリカとロシアです。


 そんな日本にも、一つだけ問題があります。人口問題です。それは完璧さに固執過ぎることです。……。そういう最低限の無秩序を日本人も受け入れるべきではないでしょうか。



5 中国の未来を「予言」する――幻想の大国を怖れるな



 彼らの進路を決めてきたのは、中国の膨大な人口を安価な労働力として「使ってきた」西洋のグローバル企業なのです。


 国連の統計によれば、中国では女子の出生を一〇〇とすると、男子の出生は一一七。世界の平均は女子の出生一〇〇に対して男子の出生は一〇五か一〇六。一〇七を超えると不均衡とみなされますから、この数字がいかに歪かということがよくわかります。


 しかし、私はAIIBの設立は、時期尚早だったと考えています。


 それは、二〇一五年八月に数回にわたって行われた人民元の切り下げについてです。私は以前から中国は輸出頼みの不安定な経済構造から脱却し、国内需要を中心とした安定的な経済構造に変わっていくべきだと繰り返し主張してきました。しかし、今回の元の切り下げを見る限り、通貨を安くして輸出品の価格を下げて経済成長を目指すという、従来の経済政策を続けようとしているのは明らかです。


 中国の現在の高等教育への進学率は一七%程度で、これは一九〇〇年ごろの欧州の数字とほぼ同じ。つまり、一定の教育を受けたけれども高等教育には進まない層が、マジョリティを占めている。この状態は、どこの国でも、ナショナリズムが激しく燃え上がる危険性を秘めているのです。


 中国との関係において、シンメトリック〔対称的〕な対決の構図に入らないということです。


 日本がとるべきプラグマティックな態度とは、極論すれば、たとえば靖国神社の存在を忘れるということ、現実的な話をすれば靖国にこだわらない、当面こちらから棚上げにするということです。


 意識的にせよ無意識にせよ、解決不能な心理的な衝突を回避することによって、日米の円滑なパートナーシップを優先させているのです。


 ドイツ中心で動くヨーロッパに嫌気が差したアメリカが、ロシアと融和していくというシナリオも考えられる。


 少子高齢化が進み、人口も減少傾向にある成熟国家となった日本が、他国に対して攻撃的になるはずがありません。


 私が日ごろから非常に不思議だと感じているのは、日本の侵略を受けた国々だけではなく、日本人自身が自分の国を危険な国家であると、必要以上に強く認識している点です。


 そして日本は、中国たいして何らかの助け舟を出す用意をしておく必要があると思います。


 日本の場合は、ドイツと同様に、長子相続の直系家族という家族システムです。


 そんな日本が一番乗ってはいけないのが、出来るだけ国際情勢と距離を置いて自分だけの世界閉じこもってしまおうという孤立志向の誘惑です。



6 パリ同時多発テロついて――世界の敵はイスラム恐怖症だ


 大いに美化された、「表現の自由」を訴える<シャルリ>たちの主張からは、観念的なイスラム恐怖症が見え隠れし、平等や友愛の精神は置き去りにされていたのです。


 かつてフランスにおいて中心的であったカトリックは、すっかり社会の本流からは消滅してしまいました。結果として、個人はますます超個人主義的になって孤立しています。こうした精神的な空白から、拠り所を失ったフランスの支配階級は、自己陶酔的な肯定の場を「反イスラム」に求めているのです。


 これ(オランドの憲法改正)は、ヴィシー政権が国内のユダヤ人からフランス国籍を剥奪した過去をほうふつとさせます。もし現代のフランスでもそんなことが起きれば、それはあらゆる市民が平等であるという普遍主義的共和国の終焉に他なりません。


 つまり、フランスにおける差別主義はもはや<極右>である国民戦線に限定された病根とは言えないのです。


 アルジェリア人からこんな話を聞いたことがあります。くだけた表現ですが、「なんでヨーロッパ諸国は、あなた方の<クソみたいなもの>をこっちへ送ってくるのか」と。ジハ-ド戦士をイスラム社会から出てきたものとは見做していないわけです。


 「それは<あなたの戦争>であって、<私の戦争>ではない」(ヴァルス首相に対してあるユ-モリスト)


 他国と比べて日本人で突出して多かったのが「わかない」という回答でした。これは以前から気になっていた傾向ですが、日本では自分の意見を留保しておくという態度が非常に多いことは大変興味深いです。


 いま、中東で進行している事態は、イスラム教スンニ派の盟主であるサウジアピアの崩壊です。今後、スンニ派地域は国家崩壊のゾーンになるでしょう。もし私が日本人ならば、これから安定の極になるであろうシーア派国家・イランと良好な関係を築きます。


 「イトコ婚」がドイツでは皆無であるのに対して、トルコの場合は約一〇%となっています。


 いま世界で一番危なっかしいのは、やはりアメリカではなくヨーロッパなのです。これまでの近代的なデモクラシーを中心とした社会の構造が瓦解していく可能性が高く、すでにそのプロセスに入っていす。


 日本の社会はお互いのことを慮る、迷惑をかけないようにする、そういう意味では完成されたパーフェクトな世界だからです。


 より徹底した少子化対策の実行と移民受け入れは、明治維新にも匹敵する国家的改革になりすが、国として存続できる道を真剣に探ってほしいと考えています。


 グローバリゼーションに対する一定のレギュレーション(規制)が求められます。


 考えるべき喫緊の課題はイスラムではなく、瓦解に直面した社会の立て直しです。



7 宗教的危機とヨーロッパの近代史――自己解説『シャルリとは誰か?』


キリスト教崩壊の三段階
 第一段階 一八世紀半ば(カトリシズムの約半分が崩壊)
 第二段階 一八七〇年から一九三〇年の間(プロテスタンティズム地域全体が崩壊)
 第三段階 一九六〇年から一九九〇年頃(ヨーロッパ全域でカトリシズム崩壊)


 フランスでは集団の組織的な実践という意味での宗教はいまや完全になくなり、今世紀の初めからは宗教の影響のすっかり薄れた社会になっていると言えます。これは、歴史上初めての事態です。


 現代フランスの問題は、多くのフランス人が宗教的なものの喪失や消滅を自分たちの危機として意識していないことにあります。


 つまり、経済的な危機と宗教的な空白の重なるときが、非常に危ないのです。


 看病でしょうか、監視でしょうか、それをしなければいけない社会情態にあるのが今日のフランスです。


 フランスの現状に関する彼(ヴァルス首相)の楽観論的な見方はヴィシー政権のペタン元帥のオプティミズムと同じだと答えたことがあります。


 このことによって、むしろ、彼らをテロリズムへと促してしまうのではないでしようか。



*平成二十八年十月十六日抜粋終了




『情緒の力業』 文献一覧

2016年10月17日 | 哲学




*ドストエフスキー『地下生活者の手記』 中村融訳        岩波文庫 昭和二十七年
*A・ブルトン『シュールレアリスム宣言』 稲田三吉訳      現代思潮社 一九六二年
*デカルト『方法序説』 落合太郎訳               岩波文庫 昭和三十七年
*M・ブーバー『孤独と愛』 野口啓祐訳              創文社 昭和三十九年
*M・ブーバー『人間とは何か』 児島洋訳             理想社 昭和三十九年
*本多謙三「有機的自然観」                      不祥 一九三一年
*大岡信『超現実と叙情』                      晶文社 一九六五年
*ボナベントゥラ『夜警』 平井正訳               現代思潮社 一九六九年
*A・ブルトン『超現実主義とは何か』 秋山澄夫訳          思潮社 一九六九年
*L・クラーゲス『意識の本質について』 千谷七郎訳        勁草書房 一九七十年
*K・ヤスパース『実存開明―哲学Ⅱ』 草薙正夫、信太正三訳    創文社 昭和三十九年
*斎藤武雄『ヤスパースにおける絶対的意識の構造と展開』      創文社 昭和三十六年
*L・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 藤本隆志、坂井孝寿訳 法政大学出版会 一九
七二年
*パブロフ『大脳半球の働きについて、条件反射学』 川村浩訳    岩波文庫 一九七五年
*ブリュル『未開社会の思惟』 山田吉彦訳             岩波文庫 一九七七年
*W・ケーラー『ゲシタルト心理学入門』 田中良久、上村保子訳 東京大学出版会 一九七一
 年
*K・レーヴィット『デカルトからニーチェまでの形而上学における神と人間と世界』 柴田治
三郎訳 岩波書店 昭和四十九年
*エムリッヒ『カフカ論』 志波一富、加藤真二訳          冬樹社 昭和四十六年
*R・ムジール『特性のない男』全六巻                新潮社 一九六六年
*H・ブロッホ『夢遊の人々』 菊盛英夫訳           中央公論社 昭和四十六年
*キルケゴール『死に至る病』 桝田啓三郎訳 筑摩書房 キルケゴール全集第二十四巻 昭和
三十八年
*キルケゴール『イロニーの概念』 飯島宗亨訳 白水社 キルケゴール著作集二十一 一九六
七年
*H・ミラー『わが読書』 田中西二郎訳 新潮社 ミラー全集十一       一九六八年
*J・C・フィルー『精神力とは何か・心的緊張力とその異常』 村上仁訳 文庫クセジュ 一
九六二年
*池見西次郎『心療内科』                    中公新書 昭和三十八年
*P・クロソウスキー『かくも不吉な欲望』 小島俊明訳      現代思潮社 一九六九年
*P・クロソウスキー『わが隣人サド』 豊崎光一訳          晶文社 一丸六八年
*ランボオ『ランボオの手紙』 祖川孝訳             角川文庫 昭和三十九年
*R・ジェフリーズ『心の旅路』 山崎進訳             図書院 昭和三十二年
*ボードレール『ボードレール全集I・Ⅱ』福永武彦他訳       人文書院 一九六三年
*ボヌフォア『ランボー』 阿部良雄訳              人文書院 昭和四十二年
*ニーチェ『ニーチェ全集・第二巻・悲劇の誕生他』 塩野竹男訳   理想社 昭和四十八年
*C・ウィルソン『アウトサイダー』 中村保男訳        紀伊国屋書店 一九六三年
*A・ジェフロア『不在の画家アンリーミショー』 小海永二訳     昭森社 一九六六年
*W・ゴンブロブイッチ『フェルディドゥルケ』 米川和夫訳     集英社 昭和四十五年
*鈴本大拙『禅とは何か』                      春秋社 昭和四十年
*B・パンゴー『原初の情景』 中島昭和訳              白水社 一九六八年
*アリストテレス『詩学』 松浦嘉一訳              岩波文庫 昭和四十四年
*M・ボス『東洋の叡智と西欧の心理療法』 霜山徳爾、大野美津子訳      みすず書房
 一九七二年
*G・マルセル『存在の神秘・序説』 蜂島旭雄訳          理想社 昭和四十一年
*B・パンゴー『レヴィーストロースの世界』 伊藤晃他訳    みすず書房 昭和四十三年
*J・M・ドムナック『構造主義とは何か』 伊東守男他訳   サイマル出版会 一九六八年
*木村敏『異常の構造』                      講談社 昭和五十四年
*井筒俊彦『神秘哲学』上下                    人文書院 一丸八〇年
*井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』                岩波新書 一九八〇年
*桐山靖雄『変身の原理』                     角川文庫 昭和五十年
*M・エスリン『不条理の演劇』 小田島雄志他訳            文社 一九六八年
*井上靖『わが文学の軌跡』                   中公文庫 昭和五十六年
*鎌田茂雄『中国の禅』                  講談社学術文庫 昭和五十五年
*T・トドロフ『文学の理論』 野村英夫訳             理想社 昭和四十六年
*M・エリアーデ『生と再生』 堀一郎訳           東京大学出版会 一九八一年
*R・バルト『零度のエクリチュール』 渡辺淳、沢村昴一訳    みすず書房 一九八一年
*C・ウィルソン『至高体験』 由良君美、四方田剛巳訳     河出書房新社 一九七九年
*ロブサッーランパ「第三の眼」 今井幸彦訳            光文社 昭和三十二年
*木田元『現象学』                        岩波新書 一九七〇年
*藤枝静雄『空気頭・欣求浄土』                講談社文庫 昭和四十八年
*M・バフチン『ドストエフスキィ論』 新谷敬三郎訳        冬樹社 昭和四十三年
*H・ブロッホ『崩壊時代の文学』 入野田真右訳        河出吉房新社 一九七三年
*M・レリス『成熟の年齢』 松崎芳隆訳             現代思潮社 一九六九年
*保苅瑞穂『マルセルーブルースト』 フランス文学講座第二巻   大修館書店 一九七元年
*V・シクロフスキー『散文の理論』 水野忠夫訳         せりか書房 一九七一年
*埴谷雄高『死霊』 「第一章から第五章」              講談社 一九七六年
*中村雄二郎『共通感覚論』                    岩波書店 一九七五年
*ル・クレジオ『物質的恍惚』 豊崎光一訳              新潮社 一九七〇年
*中村雄二郎『感性の覚醒』                    岩波書店 昭和五十年
*辻邦生「詩的経験としての〈永遠〉の構造」 雑誌「波」       新潮社 一九七九年
*ル・クレジオ『来るべきロートレアモン』 豊崎光一訳     朝日出版社 昭和五十五年
*吉村貞司「爛熟と解体の時に・日本による新しい可能性の探求」     不詳 一九七一年
*R・D・レイン『引き裂かれた自己』 阪本健二他訳       みすず書房 一九七九年
*『易経』高田真治 後藤基巳訳                 岩波文庫 昭和四十八年
*J・モノー『偶然と必然』 渡辺格、村上光彦訳         みすず書房 一九七三年
*宮城音弥『神秘の世界』                     岩波新書 一九七七年
*A・カルペンティエール『バロック協奏曲』 鼓直訳          サンリオSF文庫
*J・ブルセック「中国と西欧における歴史と叙事詩・人間の歴史を理解する相異なる方法にか
んする研究」 西川長夫訳 雑誌「ディオゲネス」第二号      河出書房 一九六五年
*プロチノス『エネアデス』 出隆訳                岩波書店 昭和十一年
*A・J・エイヤー『言語・真理・論理』 古田夏彦訳        岩波書店 一九五五年
*W・ブランケンブルク『自明性の喪失・分裂病の現象学』木村敏、岡本進、島弘嗣訳 みすず
書房 一九七八年
*W・ケエーフー『心理学における力学説』 相良守次訳       岩波書店 一九七〇年
*K・レヴィン『パーソナリティの力学説』 相良守次、小川隆訳  岩波書店 昭和四十三年
*P・ギョーム『ゲシュタルト心理学』 八木冤訳          岩波書店 一九七〇年
*W・ハイゼンベルク『限界を越えて』 尾崎辰之助訳        蒼樹書房 一九七三年
*N・カザンザキス『その男ソルバ』 秋山健訳           恒文社 昭和四十二年
*外山滋比古『修辞的残像』                    垂水書房 一九六五年
*T・マン『ファウストウス博士』 円子修平訳         新潮世界文学 一九七八年
*粟津潔『ガウディ讃歌』                    現代企画室 一九八一年
*エマソン『代表的人間像』 西本雅之訳     エマソン選集6 日本教文社 一九七二年
*カフカ『カフカ全集』                     新潮社判 昭和四十六年
*B・ラッセル『神秘主義と論理』 江森己之助訳 バートランドーラッセル著作集4 みすず
書房 一九五九年
*プルースト『失われし時を求めて・第七巻見出された時』 井上究一郎、淀野隆三訳 新潮文
庫 昭和四十年
*F・グリーアスン『近代神秘説』 日夏聡之介訳           牧神社 一九七六年
*F・フェルナンデス「感情の保証と心情の間欠」      野村圭介訳 雑誌「ユリイカ」
 特集プルースト・現代文学の原点 青土社 一九七六年
*谷崎潤一郎『陰影礼讃』                     中公文庫 一九八六年
*平凡社『哲学辞典』                           昭和四十五年
*M・フーコー『言語表現の秩序』 中村雄一郎訳        河出書房新社 一九七二年
*J・ギュスドルフ『言葉』 笠谷満、入江和也訳         みすず書房 一九六五年
*アジットームケルジー『タントラ・東洋の知恵』 松永有慶訳    新潮社 昭和五十七年
*高野義博『述語は永遠に……』                      昭和五十六年
*孔子『論語』 金谷治訳注                    岩波文庫 一九七八年
*W・ジェイムス『宗教的経験の諸相』 桝田啓三郎訳       岩波文庫 昭和四十四年
*E・ミンコフスキー『精神のコスモロジーヘ』 中村雄二郎、松本小四郎訳 人文書院 一九
八三年
*W・ハイゼンベルク『現代物理学の思想』 河野伊三郎、富山小太郎訳 みすず書房 昭和四
十年
*井筒俊彦『意識と本質・精神的東洋を索めて』           岩波書店 一九八三年
*A・H・マスロー『完全なる人間・魂のめざすもの』 上田吉一訳 誠俗言房 昭和五十五年
*伊藤栄蔵『大本・出口なお、出口王仁三郎の生涯』         講談社 昭和五十九年
*稲垣足穂、梅原正紀編著『終末期の密教』               産報 一九七三年
*蓮実重彦『表層批評宣言』                    筑摩書房 一九七九年
*出折哲雄『日本宗教文化の構造と祖型』             東大出版会 一九八〇年
*ロロ・メイ『失われし自我を求めて』 小野秦博訳         誠信書房 一九八二年
*M・トゥルニエ『赤い小人』 榊原晃三、村上香住子訳       早川書房 一九七九年
*市川浩『精神としての身体』                   勁草書房 一九七五年
*カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』 木村栄一訳  集英社 一九八三年
*高橋巌『シュタイナー教育入門』                角川書店 昭和五十九年
*岩田慶治『コスモスの思想』               NHKフックス 昭和五十六年
*川喜田二郎、岩田慶治『人類学的宇宙観』          講談社現代新書 一九七五年
*M・ポンティ『知覚の現象学』 竹内芳郎、小木貞孝訳      みすず書房 一九七四年
*山田一彰『失語症の歌……手記・脳外科手術患者の復権』      ぶどう社 一九八〇年
*C・G・ユング他『人間と象徴』 河合隼雄監訳         河出壹房新社一九八三年
*新田次郎『槍ケ岳開山』                    文芸春秋社 一九八〇年
*R・A・ムーディジュニア『かいま見た死後の世界』 中山善之訳         評論社
*ヨハネス・R・コメニウス『大教授学』 鈴木秀勇訳        明治図書 一九七五年
*K・ローレンツ『攻撃』 日高敏隆、久保和彦訳         みすず書房 一九八五年
*E・キューブラ・ロス『死ぬ瞬間』 川口正言訳        読売新聞社 昭和五十九年
*滝浦静雄『言語と身体』                     岩波書店 一九七八年
*M・バック『失語症』 竹田契一、長沢泰子訳        日本文化科学社 一九七三年
*P・ロッシ『普遍の鍵』 清瀬卓訳              国書刊行会 昭和五十九年
*R・シュタイナー『アカシャ年代記より』 高橋巌訳 世界幻想文学大系二十六 国書刊行会
 一九八一年
*F・イェイツ『世界劇場』 藤田実訳                晶文社 一九八〇年
*D・バカン『ユダヤ神秘主義とフロイド』 岸田、久米、富田訳 紀伊国屋書店 一九七六年
*A・カルペンティエール『ハープと影』 牛島信明訳         新潮社 一九八四年
*井筒俊彦「意味分節理論と空海」 雑誌「思想」第七二八号           岩波書店
*松長有慶『秘密の庫を開く・密教経典理趣経』            集英社 一九八四年
*木村敏『時間と自己』                      中公新書 一九八六年
*桐山靖雄『密教入門』                     角川書店 昭和五十九年
*K・ウィルバー『構造としての神』 井上章子訳           青土社 一九八四年
*空海『三教指帰』 福永光司訳 日本の名著3          中央公論社 一九七七年
*細川周平『音楽の記号学』                   朝日出版社 一九八一年
*R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 高橋巌訳 イザラ書房 昭
和五十九年
*オテロ=シルバ『自由の王 ローペー・デ・アギーレ』 牛島信明訳   集英社一九八四年
*F・カプラ『タオ自然学』 吉福神逸他訳              工作社 一九七九年
*A・ケストラー編著『還元主義を越えて』 池田善昭監訳       工作社 一九八五年
*ラム・ダス『覚醒への旅』 萩原茂久訳             平河出版社 一九八四年
*G・カブレラ=インファンテ『平和のときも戦いのときも』 吉田秀太郎訳 国書刊行会 一
九七七年
*F・カプラ『ターニング・ポクント』 吉福伸逸他訳         工作社 一九八四年
*A・ユパンキ『インディオヘの道』 浜田滋朗訳           晶文社 一九七九年
*ホセ・ドノソ『ラテンアメリカ文学のブーム』 内田吉彦訳  東海大学出版会 一九八三年
*ロア=バストス『汝、人の子よ』 古田秀太郎訳           集英社 一九八四年
*ムヒカ=ライネス『ボマルツォ公の回想』 土岐恒二、安藤哲行訳   集英社 一九八四年
*D・ビアール『カバラーと反歴史 評伝ゲルショム・ショーレム』 木村光二訳 晶文社 一
九八四年
*L・ワトソン『スーパーネイチュア』 牧野賢治訳         蒼樹書房 一九八五年
*M・A・アストゥリアス『グアテマラ伝説集』 牛島信明訳    国書刊行会 一九八四年
*村上陽一郎『科学史の逆遠近法』  八             中央公論社 昭和五十七
 年
*F・イエイツ『魔術的ルネサンス』 内藤健二訳                 晶文社
*バウリン『聞こえない音の秘密』 藤川建治訳        教養文庫八四〇 一九七六年
*ベルタランフィ『人間とロボット 現代世界での心理学』 長野敬訳 みすず書房 一九七三
 年
*山折哲雄『霊と肉』                      東大出版会 一九八三年
*丸山圭三郎『文化のフェティシズム』               勁草書房 一九八四年
*辻邦生「フィクションヘの道」 雑誌「波」一九八五年六月号           新潮社
*ボルヘス、カサーレス『ブストス=ドメニックのクロニクル』 斉藤博士訳 国書刊行会 一
九七七年
*A・ミショー『荒れ騒ぐ無限』 小海氷二訳             青土社 一九八〇年
*K・ウィルバー『意識のスペクトル』 吉福神逸、菅靖彦訳      春秋社 昭和六十年
*吉田喜重『メヒコ 歓ばしき隠喩』                岩波書店 一九八四年
*A・ポルトマン『生物学から人間学へ』八杉龍一訳          思索社 一九八二年
*C・ウィルソン『オカルト』 中村保男訳              新潮社 一九七四年
*O・パス『弓と堅琴』 牛島信明訳               国書刊行会 一九八〇年
*J・ペイザント『グレンーグールド なぜコンサートを開かないか』 本村英二訳 音楽之友
社 一九八三年
*井筒俊彦「事々無擬・理々無擬」 雑誌「思想」第七三三号・第七三五号 岩波書店 一九八
五年
*川田熊太郎監修、中村元論集『華厳思想』              法蔵館 一九六〇年
*広松渉、港道隆『メルローポンティ』               岩波書店 一九八三年
*宮坂宥勝編『密教の世界』       大阪書籍 朝日カルチャーブックス4 一九八二年
*J・ケロール『真昼・真夜中』 弓削三男訳              白水社 一七一年
*鈴本大拙『華厳の研究』 杉平訳 鈴木大拙全集第五巻             岩波書店
*鈴本大拙『拐伽教』同右
*J・クリシュナムルティ 『クリシュナムルティの神秘体験』 おおえまさのり監訳 中田周
作訳 めるくまーる社
*おおえまさのり『カントリーダイアリー 心のエコロジーヘ向けて』  西北社 一九八五年
*山崎正和「文芸時評」               朝日新聞夕刊昭和六十年八月二十六日
*ヴァルター・ベンヤミン著作集「言語と社会」、「ブレヒト」、「プロレタリアートが禁句とされ
た国」他 晶文社 一九八一年
*持田公子「庭園の眼差しあるいは生成する庭園」 雑誌「思想」第七三五号 岩波書店 一九
八五年
*名和太郎『ホロン経営革命』                日本実業出版社 一九八五年
*大河内了義『自然(じねん)の復権』              毎日新聞社 昭和六十年
*B・クズネツォフ『アインシュタインとドストエフスキー 十九世紀の主たる倫理的・美的問
題と現代物理学』  小箕俊介訳 れんが書房新社 一九八五年
*ブレヒト『肝つ玉おつ母とその小供たち』              白水社 一九七五年
*千田是也『二十世紀の演劇 ブレヒトと私』          読売新聞社 昭和五十一年
*L・エイペル『メタシアター』 高橋康也、大橋洋一訳     朝日出版社 昭和五十五年
*C・フエンテス『アルテミオークルスの死』 木村栄一訳       新潮社 一九八五年
*石井威望『ホロニックーパス』                   講談社 一九八五年
*E・ノイマン『意識の起源史』上下 林道義訳         紀伊国屋書店 一九八四年
*山崎正和『曖昧への冒険』                     新潮社 一九八一年
*L・ワトソン『生命潮流』 木幡和枝、村田恵子、中野恵津子訳    工作社 一九八四年
*A・ポルトマン『生命あるものについて』 八杉龍一訳     紀伊国屋書店 一九七六年
*A・ポルトマン『人間はどこまで動物か』 高木正孝訳       岩波新書 一九八五年
*S・T・ハヤカワ『思考と行動における言語』原書第四版 大久保忠利訳 岩波書店 一九八
五年
*F・オコナー『秘義と習俗 アメリカの荒野より』 上杉明訳     春秋社 一九八二年
*井筒俊彦『意味の深みへ 東洋哲学の水位』            岩波書店 一九八五年
*S・スペンダー『エリオット伝』 和田且訳           みすず書房 一九七九年
*B・ルドフスキー『みっともない人体』 加藤秀俊、多田道太郎訳 鹿島出版会 一九七九年
*山本晴義編『現代日本の宗教』                   新泉社 一九八五年
*スワミ・ヨーゲンシヴァラナンダ『魂の科学』 木村一雄訳    たま出版社 昭和六十年
*T・S・エリオット『文芸批評論』 矢木貞幹訳          岩波文庫 一九八五年
*I・A・リチャーズ『文芸批評の原理』 岩崎宗治訳        垂水書房 一九六六年
*渡辺守章『パリ感覚』                      岩波書店 一九八五年
*武者利光・冨田勲対談『電子のゆらぎが宇宙を囁く』       朝日出版局 一九八五年
*J・ラカン『ディスクール』 佐々木孝次、市村卓彦訳        弘文堂 昭和六十年
*R・クレヴェル『ぼくの肉体とぽく』 三好郁朗訳          雪華社 一九八五年
*シュリ・オーロビンド『梵我一如への方法論(知識の道)』 金谷熊雄訳 永田文昌堂 一九七
五年
*ヴァスバンドウ『ヴァスバンドウ』大乗仏典第十五巻 梶山雄一、荒牧典俊、長尾雅人訳 中
央公論社 昭和五十六年
*G・ショーレム『ユダヤ神秘主義』 山下肇、石丸昭二、井ノ川清、西脇征嘉訳 法政大学出
版局 一九八五年
*J・ニーダム『中国の科学と文明』第一巻 東畑精一・薮内清監修   思索社 一九七四年
*大室幹雄『桃源の夢想』                      三省堂 一九八四年
*竹山博英「ギンズブルグとイタリアの〈新しい歴史学〉」 朝日新聞夕刊一九八六年三月十二日
*大室幹雄『園林都市』                       三省堂 一九八五年
*A・ウンターマン 『ユダヤ人』 石川耕一郎、市川裕訳      筑摩書房 一九八三年
*A・カルペンティエール『この世の王国』 本村栄一他訳    サンリオ文庫 一九八五年
*D・フォーチュン『神秘のカバラー』 大沼忠弘訳        国書刊行会 昭和六十年
*山尾三省、S・P・プラブッダ『ガイアと星』            地湧社 一九八六年
*J・レナード『スピリチュアリズムの神髄』 近藤子雄訳     国書刊行会 昭和六十年
*井筒俊彦『コーランを読む』                   岩波書店 一九八三年
*辻邦生『トーマスーマン』                     岩波書店一九八三年
*保苅瑞穂『プルースト 印象と隠喩』               筑摩書房 一九八二年
*エッカーマン『ゲーテとの対話』上 山下肇訳           岩波文庫 一九八三年
*司馬遼太郎『空海の風景』                   中公文庫 昭和五十七年
*野口広『カタストロフィの話 現代数学の社会的応用』 NHKフックス 日本放送出版協会
 昭和五十八年
*ユング、パウリ『自然現象と心の構造 非因果的連関の原理』 河合隼雄、村上陽一郎訳 海
鳴社 一九八四年
*井筒俊彦「創造不断 東洋的時間意識の元型」 雑誌「思想」第七四一号・第七四二号 岩波
書店 一九八六年
*M・アストゥリアス『マヤの三つの太陽』 岸本静江訳        新潮社 一九七六年
*弘法大師『空海全集』第一巻、第二巻              筑摩書房 昭和五十九年
*G・G・レック『トロラクの影のもとに メキシコの村の人生』    野草社 一九八一年
*穎原退蔵校訂『去来抄・三冊子・旅寝論』             岩波文庫 一九八三年
*P・クロソウスキー『バフォメット』 小島俊明訳       ペヨトルエ房 一九八五年
*井筒俊彦対談集『叡智の台座』                  岩波書店 一九八六年
*木村栄一「イスパノアメリカの現代文学と神話的世界」 雑誌「カイエ」特集ラテンアメリカ
文学の現在 第二巻十号 冬樹社 一九七九年
*C・G・ユング『元型論』 林道義訳             紀伊国屋書店 一九八三年
*木村敏『自覚の精神病理』                  紀伊国屋書店 一九八〇年
*M・ポラニー『暗黙知の次元』 佐藤敬二訳          紀伊国屋潜店 一九八〇年
*F・ポンジュ『物の味方』 安部弘一訳               思潮社 一九七四年
*F・ポンジュ、P・ソレルス対談『物が私語するとき』 諸田和治訳  新潮社 一丸七五年
*河合隼雄、吉福神逸共編『宇宙意識への接近』           春秋社 昭和六十一年
*P・ラッセル『グローバルーブレイン 情報ネットワーク社会と人間の課題』 吉福伸逸他訳
 工作社 一九八五年
*道元語録『正法眼蔵随聞記』 懐奘編 和辻哲郎校訂       岩波文庫 昭和四十一年
*大室幹雄『正命と狂気 古代中国知識人の言語世界』       せりか書房 一丸七五年
*M・H・デープラダ『トンネルの向こう側へ』 大島仁訳       思潮社 一九八四年
*野谷文昭、旦敬介編著『ラテンアメリカ文学案内』         冬樹社 昭和五十九年
*G・ドゥルーズ、F・ガタリ 『リゾーム』 豊崎光一訳 雑誌「エピステーメ」 第二十四
巻 朝日出版社 昭和五十二年
*荘周『荘子』金谷治訳注                     岩波文庫 一九七九年
*C・ギンズブルグ『べナンダンディ十六―十七世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』 竹山博英
訳 せりか書房 一九八六年
*C・カスタネダ『呪師になる イクストランヘの旅』 真崎義博訳 二見書房 昭和五十九年
*田辺董『ロヨラのイグナチオの神秘体験』              南窓社 一九八六年
*河合隼雄『宗教と科学の接点』                  岩波書店 一九八六年
*大室幹雄『西湖案内 中国庭園論序説』              岩波書店 一九八五年
*A・O・ラブジョイ『存在の大いなる連鎖』 内藤健二訳       晶文社 一九八五年
*A・バンクロフト『二十世紀の神秘思想家達』 吉福神逸訳    平河出版社 一九八四年
*G・ラプテン、A・ウォレス『チベットの僧院生活』 小野田俊蔵訳 平河出版社 一九八四
 年
*藤原裕『プルーストと音楽』                   皆美社 昭和六十一年
*C・カスタネダ『分離したリアリティ 呪術の体験』 真崎義博訳 二見書房 昭和五十九年
*C・カスタネダ『ドンーファンの教え 呪術師と私』 真崎義博訳 二見書房 昭和六十一年
*松長有慶『密教 コスモスとマンダラ』 NHKフックス  日本放送出版協会 昭和六十年
*F・フェルマン『現象学と表現主義』 木田元訳                岩波書店
*E・べンツ『禅 東から西へ』 柴田健策、榎本真吉訳       春秋社 昭和五十九年
*阿満利麿『宗教の深層 聖なるものへの衝動』           人文書院 一九八五年
*E・レヴィナス『倫理と無限』 原田佳彦訳           朝日出版社 一九八丑年
*南山宗教文化研究所編『密教とキリスト教 歴史宗教と民族宗教』   春秋社 一九八六年
*コルドバ国際シンポジウム『量子力学と意識の役割』        たま出版 一九八四年
*G・スタイナー『言語と沈黙』 由良君美訳          せりか書房 昭和四十四年
*M・了フン『絵画の記号学』 篠田浩一郎、山崎庸一郎訳      岩波書店 一九八六年
*E・T・ホール『文化としての時間』 宇羽彰訳      TBSブリタニカ 一九八四年
*市川浩『〈身〉の構造』                       青土社 一九八六年
*山崎弘行『イェイツ 決定不可能性の詩人』            山口書店 一九八四年
*J・C・オネッティ『はかない人生』 鼓直訳            集英社 一九八四年
*E・T・ホール『かくれた次元』 日高敏隆、佐藤信行訳     みすず書房 一九七一年
*E・T・ホール『沈黙のことば』 国弘正雄、長井善見、斉藤美津子訳 南雲堂 一九八五年
*E・T・ホール『文化を越えて』 岩田慶治、谷泰訳    TBSブリタニカ 一九八四年
*ホーフマンスタール『ホーフマンスタール選集3』 富士川英朗他訳 河出書房新社 昭和五
十四年
*番場一郎『ヨーガの思想』 NHKフックス        日本放送出版協会 一九八六年
*三島由紀夫『音楽』                      中央公論社 昭和四十年
*M・エリアーデ『ホーニヒベルガー博士の秘密』 直野敦訳 エディション・アルシーブ 一
九八三年
*S・N・ダスグプタ『ヨーガとヒンドゥー神秘主義』 高島淳訳  せりか書房 一九七九年
*空海『即身成仏義』 金岡秀友訳解説               太陽出版 一九八五年
*秋月観映『道教研究のすすめ』                 平河出版社 一九八六年
*G・ショーレム『カバラとその表徴的表現』 小岸昭、岡部仁訳 法政大学出版局 一九八五
 年
*G・ペイトソン『精神と自然 生きた世界の認識論』 佐藤良明訳  思索社 昭和五十九年
*F・スタール『神秘主義の探求』 泰本融、江島恵教、官本啓一訳 法政大学出版局 一九八
五年
*C・カスタネダ『意識への回帰 内からの炎』 真崎義博訳     二見書房 昭和六十年
*S・F・ブレナ『ヨーガと医学』 百瀬春生訳         紀伊国屋書店 一九八三年
*福井康順、山崎宏、木村英一、酒井忠夫監修『道教 第一巻 道教とは何か』 平河出版社 一
九八四年
*C・カスタネダ『呪術と夢見 イーグルの贈り物』 真崎義博訳  二見書房 昭和五十元年
*B・バラージュ『視覚的人間 映画のドラマツルギー』 佐々木基一、高村宏訳 岩波文庫 一
九八六年
*K・マクドナルド『チベットメディテーション チベット仏教の瞑想法』 ペマ・ギャルポ、
鹿子木大土郎訳 日中出版 一九八七年
*井筒俊彦「コスモスとアンティコスモス」 雑誌『思想』 一九八七年三月号   岩波書店
*A・マスペロ『道教』 川勝義雄訳      平凡社      東洋文庫 昭和五十三年
*大室幹雄『新編・滑稽』                    せりか書房 一九八六年
*D・ホーム『断片と全体』 佐野正博訳               工作舎 一九八五年
*P・ワイントロープ編『現代科学の巨人十』 田中三彦、内田美恵、井上篤夫訳 旺文社 一
九八五年
*R・N・ウォルシュ十F・ヴォーン編『トランスパーソナル宣言 自我を越えて』 古福仲逸
訳編 春秋社 昭和六十一年
*M・エリアーデ『オカルティズム・魔術・文化流行』 楠正弘、池上良雅訳 末来社 一九八
四年
*S・B・ダスグプタ『タントラ仏教入門』 宮坂宥勝、桑村正純訳     人文書院 一九
八一年
*M・トルガ『方舟』 岡村多希子訳                 彩流社 }九八四年
*辻邦生『楸攬の小枝』                    中央公論社 昭和五十五年
*三島由紀夫「小説とは何か」     雑誌「新潮」臨時増刊三島由紀夫読本 昭和四十六年
*R・デーミル、M・マクマーホン『呪術師カスタネダ』 高岡よし子、藤沼瑞枝訳  大陸書
房 一九八三年
*阿部昭『短編小説礼讃』                     岩波新書 一九八六年
*J・L・ボルヘス『伝奇集』 篠田一士訳  集英社 ラテッアメリカの文学I 一九八四年
*H・ブルーム『カバラーと批評』 島弘之訳           国書刊行会 一九八六年
*K・ウィルバー『エデンから・超意識への道』 松尾弌之訳      講談社 一九八六年
*M・チクセントミハイ『楽しみの社会学 不安と捲怠をこえて』 今村浩明訳 思索社 昭和
五十四年
*A・ハックスリー『知覚の扉』 河村錠一郎訳         朝日出版社 昭和五十九年
*大室幹雄『アジアンタム頌・津田左右吉の生と情調』        新曜社 昭和五十八年
*E・バーンバウム『シャンバラヘの道 聖なる楽園を求めて』 足立啓司訳 日本教文社 昭
和六十一年
*大室幹雄『アレゴリーの堕落』 大室幹雄評論集           新曜社 昭和六十年
*矢島羊吉『空の哲学』 NHKフックス         日本放送出版協会 昭和五十八年





昭和六十二年十一月脱稿   



















抜粋 井筒俊彦 「禅における言語的意味の問題」 『意識と本質』 岩波書店 再読

2016年10月14日 | 哲学


 現代思想は言語に関して多くの根本的な問題を提起した。言語に対する異常な関心は、現代人の思惟を主題的に特徴づけている。「意味」はそれらの根本的問題の中でもとりわけ根本的な問題である。


 現代人にとって、無意味(ノンセンス)に言語を使い、知らず知らずに意味をなさない考えに陥るということは愧ずべきことと考えられている。いかなる形にせよ、無意味を語ることは、現代社会の常識を基本的に規制する科学性に反することだからである。無矛盾性と整合性を原理とする科学的思考は先ず何よりも言葉の有意味的使用を要請する。


 有意味と無意味の問題を禅はどう考えるのであろうか。


 禅はその活動のあらゆる場において、無意味という現象を重視する。


 天龍和尚や倶胝(ぐてい)和尚の一本指。なにをどう尋ねられても、彼らは必ずただ一本の指を立てるのを常とした。無意味である。……。すなわち禅には禅の立場からする独特の有意味性の基準があるに違いない。常識的見地から見て無意味であるものを有意味に転成する、その基準とはどのようなものであろうか。


 「橋が流れている、川は流れない」「山が水上を歩いて行く」


 禅の最も禅らしい言語活動は問答という形をとって展開するが、問答形式では禅独特の無意味性が更に一段とむき出しになる。


趙州(じょうしゅう)禅師「庭前の柏樹子」・洞山禅師「麻三斤!」


 「言語は存在の家だ」(ハイデッガー→ヘルダーリン的言語)


 「言無展事」(洞山守初→不立文字)


 言語に対する禅の態度は著しくダイナミックで行動的である。極限的な精神的緊張の真只中に言葉を投げこみ、その坩堝のなかで一挙にその意味志向性の方向を、いわば無理やりに水平から垂直に捻じまげる。言語は自然に与えられたままの形では全然使いものにならないのである。


 こうして言語はもともと無限定的な存在を様々に限定してものを作り出し、ものを固定化する。


 だか、禅はものの固定化をなによりも忌み嫌う。一切のものを本来無自性と信じ、かつそう見るからである。本来無自性とは、永遠不変の、固定した「本質」などというものを持たないということである。


 ……柔軟性を欠いた存在論(孔子?)は、哲学的にも前哲学的にも、山の本当のあるがままにたいして人を盲目にする、と仏教は考える。


 「万物は我と一体」(僧肇)


 「世人のこの一株の花を見る見方はまるで夢でも見ているようなものだ」(南泉普願禅師)


 禅はこの覆いを一挙に取り払うために言語を使用する。言語の意味的志向性によって分節された存在を、瞬間的にもとの非分節の姿に還らせるために分節的言語を逆用するのである。


 公案として方法的に使われた禅的言表は無意味性に全てをかける。公案は全く無意味(と見える)言表の無意味性を著しく強調し、これを人間意識につきつけることによって、日常的意識をその極限に追いつめ、遂にはその自然的外殻をうち破らせようとする手段である。


 そして意味を考えに考え、遂に理性的思惟能力の窮極の限界点に至り、更に一歩を進めて絶対無意味の世界に飛躍した時、突如としてそこに悟りの境地がある。


 絶対無意味性から先は、いわばこの公案の関知するところではないのである。人がもし己が性のつたなさのゆえに、ここで絶対無の陥穽に落ちこんでしまうなら、ただそれまでのこと。「柏樹子」や「麻三斤」は、この点で、もっと親切である。これらの公案は新しい有意味性の地平を開示する。そこには一たん無化された柏樹が、依然として、柏樹として現存しており、絶対無限定者が刻々に柏樹という形で新しく自己限定していく姿がありありと見える。「山は山、水は水」。無数のものたちが親しげな顔をのぞかせる。駘蕩たる万物の春。禅ではこれを人境不奪の境地と言う。


 換言すれば、「公案以前」は、既に少なくとも一応の精神修行を了り、叡智的能力が働き出した人の使う言語であって、公案修行の主要部分を構成するところの第一次的存在分節(日常的・感覚的な事実としての「山は山」)から絶対的非分節(「山は山にあらず」)に至る過程は、「公案以前」では、単に当然のこととして予想された前提に過ぎない。公案修行のこの段階においては、まったく無意味なものだった禅的言表は、「公案以前」においては、一転して有意味となる。


 常識的には意味をなさない言表を、別の次元で根元的に有意味化する禅的コンテクストとはどのようなものであろうか。


 「人境倶奪」(臨在)


 奪境不奪人的分節においては我に対立すべきものは影すらない。この場合、我は場(フィールド)全体の精神的エネルギーの結晶であり、その限りにおいて存在界の全てだからである。


 日本の禅の伝統では、この「人」を普通に分節されたものとしての人から区別するために特ににんと読む。


*春風駘蕩としてうららかな雰囲気


 以上のように解された絶対無文節態と、その絶対無分節者がそのまま直接無媒介的に顕現して成じた文節態との間に、本来的な禅の言語は働く。仏教の術語を使えば、聖諦と俗諦との間の振幅が、禅的言語の展開する場面である。聖諦とは存在の絶対非分節的次元であり、俗諦とは言語的に分節された存在の次元である。


 洞山禅師の嗣、曹山本寂禅師は「正位は即ち空界にして本来無物、偏位は即ち色界にして万象形あり」


 禅手は言語は必ず聖諦から発する。聖諦から発出した言葉は、一瞬俗諦の地平の暗闇にキラッと光って、またそのまま聖諦にかえる。この決定的な一瞬の光閃裡に神的言語の有意味性か成立する。





*平成二十八年十月十二日抜粋終了
*印は抜粋者のコメントです。




抜粋 井筒俊彦『意識と本質』精神的東洋を求めて 岩波書店 再読 ―2

2016年10月10日 | 哲学
 『楚辞』に現われるシャーマン的実存は、自我意識の三つの層、あるいは次元を異にする三つの段階からなる意識構造体として考えることができると思う。第一は経験的自我を中心とする日常的意識。第二は、いわゆる「自己神化」の過程において次第に開かれていく脱現実的主体性の意識。第三は純然たるシャーマン的イマージュ空間に遊ぶ主体性の意識。


「世を挙げて皆濁り、我独り清めり」(屈原)


 とにかく、具体的事物が現に目の前に実在していようと、いまいと、それに関わりなく、経験的存在の次元とは違った一つの別の次元で活動する特殊なイマージュが、トランス(あるいは半トランス)状態にあるシャーマンの意識に、屡々現われてくるものだということを、私は指摘しておきたいのである。


 即物性を脱した、あるいは即物性の極度に希薄な、事物は必然的にイマージュ的存在に変質する。


 マンダラのイマージュ空間は、密教的修行主体の脱自的意識そのものである点で、上に述べた
『楚辞』的シャーマニズムの第三段階的意識状況とまさしく符合するのである。


 元来、職業的シャーマンは、通常、己れのイマージュ体験の哲学的意義を問うたりはしないものだ。彼はただ超現実的世界に「魂を遊ばせる」だけのことである。


*「魂の遊び」→「惚けた遊び」


 古代中国の思想界では、荘子の哲学が、いま言ったような意味で、シャーマニズムを地盤から出発し、シャーマニズムを超えた人の思想だ、と私は思う。


 『荘子』冒頭に描く怪鳥、鵬――その背中の広さ幾千里なるを知らず、垂天の雲のごとき翼の羽搏きに三千里の水を撃し、九万里の高さに上がって天池に向かう鵬――のあの宇宙飛遊には、「離騒」のシャーマン的天空飛遊の絶えて知らぬ哲学的象徴性がある。


 例えば空海の場合、金胎両部マンダラは意識と存在の深層に現成する「想像的」イマージュ空間の構造的提示であり、このようなイマージュ空間として自己顕現する存在リアリティそのものの形而上学的秘儀を、思想家空海、は探ろうとする。


*スフラワルディ「形象的相似の世界」→コルバンimaginal→井筒「想像的」


 経験的事物を主にして、その立場からものを見る常識的人間にとっては、質量性を欠く「比喩」は物質的事物の「似姿」であり、影のように儚く頼りないものである。が、立場を変えて見れば、この影のような存在者が、実は、経験的世界に実在する事物よりも、もつと遥かに存在性の濃いものとして現われてくる。


 「想像的」イマージュは「元型」の形象化として、事物の「元型」的「本質」を、深層意識的に露顕させる。


 こうして「易」の全体構造は、天地の間に広がる存在世界の「元型」的真相を、象徴的に形象化して提示する一つの巨大なイマージュ的記号体系となる。


 ……八卦、すなわち存在の八つの「元型」が、事物の客観的、分析的観察から帰納的に抽出された普遍的「本質」ではない、ということである。


 「易」の聖人の意識は、広い意味でのシャーマン的意識。そういう意識に直結した特殊な目で、彼は外界を見る。その彼の目に、事物は幽玄な象徴性を帯びて現われてくる。その象徴性は、経験的存在秩序とは根本的に異なる「元型」的存在秩序の象徴性である。


 「易」の認める「元型」といえば、勿論、「乾(けん)」☰、「兌(だ)」☱、「離(り)」☲、「震(しん)」☳、「巽(そん)」☴、「坎(かん)」☵、「艮(ごん)」☶、「坤(こん)」☷の八つで、これがいわゆる八卦だが、……。


 チベット密教の専門家ラウフの分析の方がもつと綿密で正確だ。深層意識のイマージュ現象を、ラウフは三つの継起的プロセスとして理解する。すなわち、㈠「元型」→㈡根源形象→㈢シンボル。すなわち無意識の領域に成立した「元型」は、無意識と経験的意識の中間にある特殊な意識領域で「根源形象」、すなわち「想像的」あるいは「元型」的イマージュ、となって形象化する。


 禅宗第五祖、弘忍(601-673)は、座禅する初心者に向って、こう忠告する。……。こんなことが起こったら、じっと静かに心を保ち、決してどれにも注意を払ってはいけない。みんな虚妄で無根拠なのだ。お前自身の妄念の働きでそんなものが見えるだけなのだから、と。(「修心要論」)


 そして、経験的事物とは存在資格を異にし、性質も機能も違うそれらのものが、経験界の事物とはまったく違った仕方で活動し、作用しあいながら、そこに独自の存在連関を描き出していく。それが深層意識的世界像である。


 先刻来、私が主題的に論じている「創造的想像力」派の人たちがそれだ。この人たちは、深層意識的現象として生起するイマージュを、言語アラヤシキという最も無意識に近い領域で、従って最も根源的な形態において、把握する。すなわち、意味「種子」の発動によって現われてくるイマージュを、生起する瞬間、生起したままの姿で把えるのである。


 それは、本論で私が「言語アラヤシキ」という名の下に問題にしてきた深層意識領域内での意味「種子」の本源的イマージュ喚起作用を中心にする言語観であって、そのまま理論的に展開すれば、それは大規模な言語哲学を生む可能性を持っている。我々が常識的に考える言語哲学、すなわち表層意識において理性が作り上げる言語哲学とは全然異質の深層意識的言語哲学だ。空海の阿字真言、イスラームの文字神秘主義、同じくカッバーラーの文字神秘主義など典型的なケースは少なくない。


 文字象徴論=文字神秘主義→カンタン「文字の道」→ヒルマン「コトバの新しい天使学」


 およそコトバなるものには「天使的側面」があるということ、つまりすべての語は、それぞれの普通一般的な意味のほかに、異次元的イマージュを喚起するような特殊な意味側面があるということだ。


 深層意識的言語観→言語呪術→シャーマニズム・呪文、祈祷、陀羅尼・マントラ等


 深層意識的事態と表層意識的事態とをこの意味で混同、あるいは同一視することこそ、コトバの呪術的用法の根本的特徴なのであって、またそれだからこそ、理性的、合理的であることを誇りとする近代人の目には、言語呪術は一個の未開人的現象としてしか映らないのだ。しかし深層意識の本当の恐ろしさというものを知っている人々は、コトバの呪術的機能を、そう簡単に迷信として片付けることのできるようなものとは考えていない。


 また、コトバの深層意識的機能を、それの呪術的側面と同時に存在論的側面に注目しつつ考究して、ついに「真言」――真なるコトバ――の哲学という壮麗な深層意識的言語哲学を樹立した空海の思想も、その大筋においては、カバリストやイブン・アラビーのそれと軌を一にする。


 空海の深層意識に、存在の源底が大日如来のイマージュとして自己顕現する。


 空海にとっては、存在界の一切が究極的、根源的には大日如来のコトバである。つまり、一切が深層言語現象である。

  五大皆有響 十界具言語
  六塵悉文字 法身是実相
               (空海『声字実相義』)


 コトバの自己顕現の過程において、「深秘の意味」が言語アラヤシキに直結する最初の一点、コトバの起動の一点、を真言密教は「ア」音として捉える。いわゆる阿字真言、「阿字本不生」である。


 絶対無文節者は、このダイナミックな言語的自己顕現の始点において、大日如来として形象化される。すなわち「ア」音は大日如来の口から出る最初の声。そしてこの最初の声とともに、意識が生まれ、全存在世界が現出し始めるのだ。


 すなわち、いやしくも意識が意識として起動し、存在が存在として現われようとする時、「無」から「有」へのこの微妙な転換点に、必ずコトバが「ア」音の形で発言し、絶対無文節者の自己分節はそのまま進んで一切万有にまで展開していく、というのだ。


 深層意識に生起する「元型」そのものが、文化ごとに違うのである。ただ、どの文化においても人間の深層意識は存在を必ず「元型」的に分節する。そういう意味で「元型」は全人類に共通なのであり、またそういう意味でのみ、人間意識の深層機構自体に組み込まれた根源的存在分節として「元型」なるものが認められるのである。


元型イマージュそのものの性格
 ❶文化的制約性
 ❷事実性からの遊離
 ❸説話的自己展開性
 ❹構造化への傾向


 一切が現勢態にあるというような存在のあり方は、意識深層においてのみ体験される事態であって、時間性によって根本的に規定されている表層意識の見る日常的世界では、絶対に体験されることはない。つまり、事物、あるいは存在世界、の「元型」的「本質」構造を把握する能力は、表層意識にはないということだ。


 金剛界マンダラは、たんに密教修行者の意識深化過程の図示、あるいは意識深化を実現する目的で使われる瞑想の手段、なのではない。


 マンダラとは、「正覚」を得た人の深層意識に現われた一切存在者の真の形姿の図示と考えてよかろう。「正覚」意識の見るがままに全存在世界――内的世界と外的世界を合わせた宇宙全体――の「本質」的(「元型」的)構造を形象的に提示する深秘の象徴体系、それがマンダラと呼ばれるものなのである。


ラビ的ユダヤ教(教条主義)↔カッバーラ(反抗運動)


 男神と女神が互いに独立して存立している状況において、その男神が女神を抱擁し、交合し、性的歓喜のうちにこれと一体化するというのでなしに、男としての神が女としての自分と結婚するという、徹底的に一神内部での出来事ではあるけれども、とにかくこの神事によって、カッバーラーはヒンドゥー教の性力派タントラ、シヴァ派タントラ、道教の性愛的側面などに著しく接近する。


 カッバーラーの認める十個の深層実在範疇、セフィロート。


 神から、というより神以前の無から発出する「セフィロート」は、そのまま外に向かって進展して、次第に神の外なる世界(外的存在世界)を構成していくのではなく、むしろ内に向かって、神のうちなる世界を構成していく。神自身を内的に構造化するのだ。


 要するに、観照意識の深みに立ち現われてくる存在の根源的イマージュのうちに経験的事物、事象の「元型」を認知し、そこに経験的世界の深層構造を見ようとするのだ。


 つまり、すべての「セフィロート」は、神の内部空間の中心点ともいうべき「無」の深淵から流出してくるのである。


 イデアが実在する普遍者であるという最も基本的な立場そのものは、プラトンのいわゆる「イデア論発展史」全過程を通じて保存され続けた、と考えていいのではないかと思う。


 ソクラテス的「定義」探求は、すなわち、「本質」探究。どこまでも感覚的事物の非感覚的「本質」を求めて止まぬ、それは執拗な情熱であった。


 永遠不易の普遍的「本質」の実在性を信じ、それによって紛乱する感覚的事物の世界を構造化し秩序付けようとする根本的態度において、イデア論(プラトン)と正名論(孔子)は一である。


 不変不動の「本質」を倫理主義的階層組織に組み立てることによって、存在世界を一つの永遠的価値体系に作り上げてしまった孔子の世界像の前に立って、これはまたなんと不自由な世界であることか、と荘子は呟くのだ。価値的存在の範疇の位置にのし上がった「本質」が、人間を、そしてひいてはあらゆる事物を、金縛りにしてしまう。


「夫れ、道は未だ始めより封あらず。言は未だ始めより常あらず」(荘子斉物論)


だか、イスラーム自身をも含めて、東洋哲学一般の一大特徴は、認識主体としての意識を表層意識だけの一重構造としないで、深層に向かって幾重にも延びる多層構造とし、深層意識のそれらの諸層を体験的に拓きながら、段階ごとに移り変わっていく存在風景を追っていくというところにある。






*平成二十八年十月九日抜粋終了
*印は抜粋者のコメントです。






抜粋 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 新潮文庫

2016年10月06日 | 読書
 

はじめに



 社会民主主義的な改革要求は既存の政治システム下では無理だということで、疑似的な改革推進者としての軍部への国民の人気が高まっていったのです。そんな馬鹿なという顔をしていますね。しかし陸軍の改革案のなかには、自作農創設、工場法の制定、農村金融機関の改善など、項目それ自体はとてもよい社会民主主義的な改革項目が盛られていました。


 ここまでで述べたかったことは、国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現われないとも限らないとの危惧であり教訓です。



序章 日本近現代史を考える


 中国の蒋介石に対して「国民政府を対手とせず」(近衛文麿)


 「今次事変は戦争に非ずして報償なり。報償のための軍事行動は国際慣例の認むる所」(中支那派遣軍司令部)


 報償という考え方をわかりやすく説明しますと、相手国が条約に違反したなど、悪いことをした場合、その不法行為をやめさせるため、今度は自らの側が実力行使をしていいですよ、との考え方です。


 けれども、当時の国際慣例で認められていた「報償」の例は、もっともっと軽い意味のものでした。……。ですから、一九三七年八月から本格化した日中戦争が、報償の概念で認められる範囲の実力行使であったはずはありません。


 日中戦争→「一種の討匪戦」(近衛のブレーン)


 いずれにしても、日中戦争期の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていたことに気づいていただけばよいのです。ある意味、二〇〇一年時点のアメリカと、
一九三七年時点の日本とが、同じ感覚で目の前の戦争を見ている。


 歴史の面白さの神髄は、このような比較と相対化にあるといえます。


 この、国家を成り立たせる基本的な秩序や考え方という部分を、広い意味で憲法というのです。


 太平洋戦争における日本の犠牲者の数は、厚生省(当時)の推計によれば軍人・軍属・民間人を合わせて約三一〇万人に達しました。


長谷部先生は、この本(『憲法とは何か』岩波新書)のなかで、ルソーの「戦争および戦争状態論」という論文に注目して、こういっています。戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるのだと。


 国際連盟の破綻に際して
「愚かなために、あるいは邪悪なために、人々は正しい原理を適用し得なかったというのではなく、原理そのものがまちがっていたか、適用出来ないものであったのだ。」(E・H・カー)


 ですから、歴史を見る際に、右や左に偏った一方的な見方をしてはだめだというのは、そのような見方ばかりしていますと、頭のなかに蓄積された「歴史」のインデックスが、教訓を引き出すものとして正常に働かなくなるからです。


*蓄積された「歴史」のインデックス → 積習


 これを逆にいえば、重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性が高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連付けられて、より多く頭に入っている人、ということになります。


 鈴木貫太郎首相が記者団に「ポツダム宣言黙殺、戦争邁進」と談話を発表していようがいまいが、アメリカ側(トルーマン副大統領)は原爆投下のゴーサインを、ポツダム宣言発出の段階で出していたということです。


アーネスト・メイ『歴史の教訓』(The Lessons of the Past)


 よって、ソ連の戦後に予想される影響力を牽制するためにも、ドイツや日本の降伏条件を緩和すべきであった、こうアメリカの政策を批判(メイ)しました。



1章 日清戦争 「侵略・被侵略」では見えてこないもの


「日本と中国にとって、二国間の均衡をどちらがリードするか、それを巡る長い競争は、文化的にも社会的にも経済的にも、また「知の領域」においても争われたのだった。」(ウォーレン・F・キンボール)


 ……、政府は商法と民法の編纂を急ぎ、一八九〇(明治二十三)年には、商法、民法、民事・刑事訴訟法が公布され、法治国家としての体裁が整えられます。……。結局、民法は一八九八年七月から、商法は一八九九年六月から実施されました。


 東アジアを舞台としたロシアの南下を、イギリス帝国全体としての利益にはならないと考えていたイギリスは、日本に対しては、とにかく列国間の対立や紛争に巻き込まれないだけの能力を持つように、すばやく法典編纂を行ってくださいね、とのスタンスで臨みました。じじつ、大日本帝国憲法は一八八九(明治二十二)年に完成します。


華夷秩序=朝貢貿易


 華夷秩序
「世界、そして文明の中心である中国は、周辺地域に対して、「徳」を及ぼすものであり、その感化が人々に及ぶ度合いに応じて形成される俗人的秩序なのだ」(茂木敏夫)


*華夷秩序=朝貢貿易→中華思想


 琉球は清国に朝貢していましたので、清国の華夷秩序に取り込まれていたわけです。しかし、同時に琉球は日本の薩摩藩にも朝貢していました。国境という線に囲まれた土地をイメージしますとこれは許されないことですが、琉球国ではなく琉球王が清国皇帝に対して朝貢儀礼をとっていると考えることで、両続関係(清国にも薩摩にも属する関係)が可能となるのです。


 列強にとってみれば、朝貢体制のもとで李王朝や安南と話がしやすくなればこれは使わなければ損だということです。


 中国と朝貢国との関係は、双方にとって軍事的に必要以上に負担がかからず、また、中国と朝貢関係にある国々と列強の間も、同じく必要以上に負担がかからない関係でした。


 ある種大家さんのような役割を果たす機能を中国が持っていた。これは列強にとって便利でしょう。


 日本的な列強への安心のさせ方(法治国家)と、中国的な列強への安心のさせ方(華夷秩序)が、一八八〇年代ぐらいまで両方あり得た。


 列強が朝貢体制という安価な安全保障体制に便乗している間に、中国は少しづつ変わっていきます。この時の中心人物は李鴻章です。


*李鴻章は華夷秩序に飽き足らず軍事力による政策を推進、中国の近代化を推進


日清修好条約→国会開設の勅論→イリ条約→礼部の改革→壬午事変→甲申事変→天津条約(袁世凱)


 中国のかわりに日本が朝鮮の中立を保障する、担保するという論理が出てきていることに注意しましょう。(山縣有朋とシュタインの出会いによって)


 国会開設をこれだけ待ち望んでいるはずの民権派(板垣退助・愛国社)であっても、やはり先に条約改正だという。不平等条約を押し付けられて、国の主権が侵害されている、主権をどう取り戻そうかと考えた時に、商法と民法を頑張って作りますよということを、日本人があれほど考えたのは、国家の独立ということについて独特の強い気持ちを持っている人たちが、民権派の中でも多かったのだろうということがわかる。


 そのとき、先生(岡義武)は、日本の民権派の自由民権思想と、ヨーロッパの、ルソー以来のデモクラシーの理論を比較し、ある違いに気づきました。日本の民権派の考え方は、どうも個人主義や自由主義などについての理解が薄いように思われる。この点はヨーロッパとは非常に違っている、こう気づきます。


 どうして日本においては、民権派の考えのなかに、個人主義的、自由主義的思想が弱いのか、「国家の独立なければ個人の独立なし」ではないですが、どうも明治のはじめから、民権派は国権を優先していたような気がする、と岡先生は気づいたのでしょう。国家か個人かといったとき、自由主義的バックボーンがないと、時代状況によって、人々は、国家のなすことすべてを是認してしまうのではないか。


 日本の場合、不平等条約のもとで明治国家をスタートさせましたから、自由だ民主だとの理想をいう前に、まずは国権の確立だ、という合理主義が前面に出てしまう、そのような見通しをまずはお話ししました。


不平等条約
江戸幕府が日米和親条約や日米修好通商条約で長崎、下田、箱館、横浜などの開港や在留外国人の治外法権を認めるなどの不平等条約を結ばされ、明治初期には条約改正が外交課題となっていた。一方で明治時代に入ると、朝鮮、中国に対して日朝修好条規や下関条約、「日清通商航海条約」など不平等条約を結んだ。(ウィキペディア)


 日清戦争直前の言葉を拾うと、「韓国の独立を援護するための義戦」やら、「我が国の独立を守るための自衛戦争」やら、「開化と保守の戦争」やら、言いたい放題であります。


「彼等は頑迷不霊にして普通の道理を解せず、文明開化の進歩を見て之を悦ばざるのみか、反対に其進歩を妨げんとして無法にも我に反対の意を表したるが故に、止むを得ずして
事の茲に及びたるのみ。」(福沢諭吉「日清の戦争は文野の戦争なり」


 福沢がいうのは、清国人は古い考えに囚われ、普通の道理を理解しない。朝鮮の改革に同意しないばかりかそれを妨害するので、日本はやむをえず、文明開化のために兵力に訴えるのだ、日本軍は文明を中国に知らしめるための軍隊なんだ、という論理構造になっています。
 民権派や福沢が、日清戦争に双手をあげて賛成しているのを見ると、少し変な気分がしませんか。
――別に変とは思わない。当時の人々に、戦争に「反対する」、「反対できる」なんていう気持ちはなかったのでは……。(栄光学園生徒)
 あっ。そういう答えは予想していなかった。こ、困りました(笑)


 台湾総督府には、四万三八七〇名の日本人官僚がいました。


 なぜ、日本において明治維新以降、まがりなりにも国家が安定するようになったかというと、地租改正ができたということもあり、歳入歳出、つまり予算案が組めることになったことがおおきい。これは大変な国家計画ですよね。


*この明治政府の歳入歳出は単式簿記であり、官僚の使い勝手がよい仕組みであって、国家破綻を招きかねない諸悪の根源である。


「条約改正の目的を達せんとするには、畢竟我国の進歩、我国の開化が真に亜細亜洲中の特別なる文明、強力の国であるという実証を外国に知らしむるに在り。」(外相陸奥宗光)


*陸奥は日本版中華思想だね


 東学というのは、西学(キリスト教)に対して名づけられたもので、儒教を根幹として、仏教、道教、民間信仰が合わさった、当時の朝鮮の民衆宗教でした。


 東学党の乱という突発的な事件が起こり、前に取り決めていた天津条約による両国の出兵があった。で、兵士をある一定の距離に置いて対峙していた状態で、外交の折衝がなされる。これが日清戦争直前の状況でした。このように見てくると、朝鮮政府の内政改革を進めるか進めないかについての日本側の主張はかなり強引なものでしたが、最終的には、朝鮮が「自主の邦」かそうでないかなどを清国が決める立場にある状態そのものを武力で崩してしまおう、と日本側は決意します。


 清国は大国で強い、怖い国でした。そして近世紀までは文化の中心ですね。文人といえば神国や朝鮮の知識人だったわけです。日本の兵士たちは、中国の辮髪の兵士が、全然規格の統一されていない兵器で戦っているところを見て、ちょっと侮蔑感を抱く。中国に対する蔑視の感情が現われてくるという点では正しい。東アジア盟主意識の萌芽ですね。


 戦争には勝ったはずなのに、ロシア、ドイツ、フランスが文句をつけたからといって中国に遼東半島を返さなければならなくなった。これは戦争には強くても、外交が弱かったせいだ。政府が弱腰のために、国民が血を流して得たものを勝手に返してしまった。政府がそういう勝手なことをできてしまうのは、国民に選挙権が十分にないからだ、との考えを抱いたというわけです。



2章 日露戦争 朝鮮か満州か、それが問題


 ロシアを相手に戦争をした日本は、この戦争に、ぎりぎりのところで勝ちました。その結果、日本は、欧米をはじめとする大国に、大使館を置ける国となったのです。


 日清戦争の結果、アジアからの独立がまずは達成され、日露戦争の結果、西欧からの独立も達成された、ということができるかもしれません。


「日本の為政者の間には、戦略的な思考とか、安全保障観の一致が広く存在していた」(M・ピ-ティ『植民地』)


 日露戦争によって不平等条約の改正などが達成されるわけですが、戦争の結果として一番大きいのは、戦争の五年後の一九一〇(明治四十三)年、日本が韓国を併合し、植民地としてしまったことです。このことは、島国であった日本が、中国やロシアと直接接する韓半島(朝鮮半島)を国土に編入し、ユーラシア大陸に地続きの土地を持ってしまったことを意味します。日清戦争で日本が清国から奪った土地は台湾と澎湖諸島でしたから、獲得した植民地自体、どちらも島だったわけですので、この点、大きな変化といえるでしょう。


「日本の計画の核心は、異なるカテゴリーの軍、つまり、陸軍と海軍を協調させることに向けられていた。(ロシア将校スヴェーチン)


 日本が遅れてきた帝国である一つの悲しさは、欧米に向けて語る戦争の正当化の論理と、自らの死活的に重要なものを説明する言葉がズレてしまうことです。


 日露戦争中、中国は中立の立場をとっているのですが、日本軍がロシアと戦っているとき、中国側は日本にお金を寄付してくれます。(地方知事義捐金・ある将軍現ナマ・袁世凱上海銀二万両)


 最も重要だったのは戦場(満州)における中国側の協力です。……。土地勘のある農民たちが日本軍の諜報のために働いてくれた。


 日露戦争で日本はなにを獲得できたか。ポーツマス条約にはこうあります。
  第二条 露西亜帝国政府は日本国が韓国に於いて政治上、軍事上及経済上の卓絶なる利益を有することを承認し、(日本は韓国を植民地化)
  第三条 (露西亜帝国政府は満州放棄)


 山縣内閣で被選挙権の制限をなくしたことが、日露戦争後の一九〇八年の選挙で、実はじわ―っと効いてくるわけです。


その(嫌われ者の)山県が商工業者、産業家、実業家たちが議会に登場してくる基盤をつくっていたというのはとても面白い。


 日露戦後、増税がなされたことで、選挙資格を制限する直接国税一〇円を結果的に払う層が一・六倍になり、選挙権を持つ人が一五〇万を超えたこと、これが大切なポイントです。



3章 第一次世界大戦 日本が抱いた主観的な挫折


 まずは戦死者と戦傷者の数を、世界と日本の場合とでくらべてみましょう。世界全体で戦死者が約一千万人、戦傷者が約二千万人出ましたが、日本の場合は青島攻略戦での戦死傷者が一二五〇人とだけ記録されています。


 (第一次世界大戦で変わった事) まず、世界という点ではヨーロッパで長い伝統を持っていた
三つの王朝が崩壊してしまった。ロシア(ロマノフ朝)、ドイツ(ホーエンツォレルン朝)、オーストリア(ハブスブルグ帝国)がなくなりました。
 日本では、原敬の政党内閣が誕生しました。


 (第一次世界)戦争の影響の二つ目は、帝国主義の時代にはあたりまえだった植民地というものに対して批判的な考え方が生まれたことです。


 委任統治の実態がその本質では植民地支配であったことも事実です。


 日本は、日清戦争で台湾と澎湖諸島を、日露戦争では関東州(旅順・大連の租借地)と中東鉄道南支線(長春・旅順間)、その他の付属の炭鉱、沿線の土地を獲得し、さらに日露戦争の五年後の一九一〇(明治四三)年に韓国を併合しました。そして、第一次世界大戦では、山東半島の旧ドイツ権益と、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島を得たのです。


 (日本の植民地獲得は安全保障上の戦略に基づくが、欧米の帝国主義は商業的・社会政策的に植民地獲得を意図した。)


 日本が批判をあびたのは山東問題のことです。日本は一九一四年八月、「中国に還付するの目的をもつて」といいながら開戦したのに、一五年五月、二十一ヵ条要求を袁世凱につきつけて、山東に関する条約というものを無理やりでっちあげた、と。中国に返還するためといってドイチから奪ったのに、結局、日本は自分のものにしてしまったとの、世界および中国からの非難が激しかったことがわかります。


 ……、ロシア革命を率いたボリシェビキのレーニンとトロツキーは、帝政ロシア時代の秘密外交文書などを暴露します。連合国のイギリスやフランスや日本が、いかに帝政ロシアとの間で、戦後の植民地の再分割などについて、えげつない取り決めをしていたのかをあばいてしまったのです。日本に関係することでいえば、山東半島の旧ドイツ権益や南洋諸島について、これは戦後に日本のものになると、英・仏・露・イタリアなどの諸国との間で密約が結ばれ、確認されていたのです。


(朝鮮の三・一独立運動について)
 宇都宮(朝鮮軍司令官宇都宮太郎)は独立運動の要因を、日本が「無理に強行したる併合」に求め、併合後の朝鮮人への有形無形の差別に起因すると素直に書いていました。


 日本軍が三・一運動の鎮圧に際して起こした残虐な事件の一つに、提岩里事件というものがあったのです……


「大恐慌を脱するためには、政府はどんなに赤字を出してもいいから政府の財政機能を通じた公共投資を積極的に行い、とにかく失業者がゼロになるまで需要を拡大しなさい。」(ケインズ)


 同情は中国(顧維欽・ウィルソン大統領)にあるのはもちろんだといいなから、ロイド=ジョージは山東に関する日本の主張を是認したのです。


 パリ講和会議で日本側が負った衝撃や傷は、一九三〇年代になってから、深く重くジワリと効いてくるのです。



4章 満州事変と日中戦争 日本切腹、中国介錯論


 満州事変のほうは、一九三一(昭和六)年九月一八日、関東軍参謀(石原完爾)の謀略によって起こされたもので、日中戦争のほうは、三七年七月七日、小さな武力衝突をきっかけとして起こったものです。


 満蒙のための武力行使は正当かという問いに対して、……。なんと八十八%の東大生が「然り」つまり「はい」と答えている。(一九三一年七月)


 もともとは軍隊内部の犯罪摘発のために置かれ、陸軍大臣の管轄に属します。しかし、一般国民に対して警察以上の力をふるうことがありました。というのは、憲兵は軍内部だけではなく、に国民に対して司法警察権を持っていたからです。憲兵は司法大臣の指揮も受け、治安警察法や治安維持法など国民の思想を取り締まる権限も持っていたということです。この憲兵という存在が、昭和期の言論をより狭くしていくのです。戦時下の狂信的な面が語られるとき、憲兵の存在とともに語られることが多いです。


「日支事変」(当時の呼称)は、資本主義と共産主義の支配下にある世界に対して、日本などの「東亜」の国々が起こした「革命」なのだ」(大蔵省預金部課長毛里英於菟)


 ある国の国民が、ある相手国に対して、「あの国は我々の国に対して、我々の生存を脅かことをしている」あるいは、「あの国は我々の国に対して、我々の過去の歴史を否定するようなことをしている」といつた認識を強く抱くようになっていた場合、戦争が起こる傾向がある、と。(長谷部恭男『憲法とは何か』岩波新書)


世の中を席巻するフレーズ、「満蒙は我が国の生命線である」(松岡洋右)とやったのです。満州事変の九ヵ月も前、時の浜口雄幸内閣の外相・幣原喜重郎のすすめる協調外交への批判演説で使いました。


 この満州、東三省地域を、北はロシア、南は日本と、勢力範囲で分けるようになったきっかけが、日露戦争でした。


 まあ、野蛮な時代ですね。清朝、つまり中国が主権を有する土地を、ロシアと日本とで勝手に分けてしまう。


 関東庁『満蒙権益要録』


 そのようなとき日本側は、この地域にはこれだけの経営の実態があるのだといって、つまり、列強の目を意識して既成事実を急いででっちあげることをしばしば行いました。


 中国の状況はどういうものだったかというと、一九一一年に辛亥革命が起こって清朝が倒れる頃です。清朝が倒れるとき、清朝と西で接していた外蒙古、のちのモンゴル人民共和国、今のモンゴルは、ロシアの支援を受けながら、清朝の支配から独立する動きを示します。


 ここで満鉄会社について説明を加えておきましょう。満鉄というと、鉄道の管理にあたる小さな会社のようなイメージがありますが、それは違います。この会社は、一九〇六(明治三十九)年六月、まずは鉄道運輸業を営むために設立されましたが、同じ年の八月、運輸業の他に、鉱業、ことに撫順と煙台の炭鉱採掘、水運業、電気業、倉庫業、鉄道付属地の土地・家屋の経営などを政府から任されることになりました。(満蒙への投資のうち、八十五%が国絡み)


 一九三五年八月、この頃は陸軍内の派閥争い(統制派と皇道派)が頂点に達していたのですが、……。


 木曜会(次期戦争研究勉強会)に集まった課長級の中堅層などは、事件を起こすのに適したポストに自らの同志たちを配することに意を用いて、満蒙を中国国民政府の支配下から分離させようとはかりました。


 国民のなかにくすぶる中国への不満を条約論・法律論でたきつけますが、実のところ、軍人たちにとって最も大切な問題は、対ソ戦と対米戦を戦う基地としての満蒙の位置づけだったのです。


 事件の翌日、九月十九日の閣議において、若槻首相は南次郎陸相に向かい「正当防禦であるか。もししからずして、日本軍の陰謀的行為としたならば、我が国の、世界における立場はどうするか」と詰めより、事件の不拡大方針を現地軍に伝えるよう指示します。


 なぜ内閣は腰が引けたのか。つまり、軍を強く抑えられなかったのか。現在の研究からわかっているのは、若槻内閣が出先軍の造反に対して、きっちりと結束していなかったことが一つ挙げられます。


 今の世のなかは、特定の思想信条を持っているからといって、国家や国家機関によって危害を加えられたり拘束されたりすることは、まず、ないといってよいでしょう。現在「その筋」といえば、暴力団の事を指しますが、当時は、軍、そのなかでも海軍ではなく陸軍と警察を指すのが一般的でした。つまり、戦前においては、「その筋」の人々がなにをやらかすのかわからない、怖い存在であると思われていた。


 十月事件(井上元蔵相殺害)、五・一五事件(犬養首相暗殺)


「前門の虎、後門の狼」の状態で、前には紅軍、後ろには広東派の軍隊、そして関東軍までもが満州事変を起こしたとなれば、誰でも泣きたくなります。逆境に強い蒋介石でなければやっていけません。(蒋介石「公理に訴える」方針で国際連盟に委ねる)


リットン調査団報告書
 「中国は日本の経済上の利益を満足させるべきだ」
 「日本は中国の主権下にあることを認めなさい」


 「満州国」という国家、これは満州事変後、三二年三月に独立宣言を発した国家でしたが、これは独立を求める住民の要求から、つまり民族自決の結果、生みだされたものではないと。日本の関東軍の力を背景に生みだされた国家であるとも書かれていました。(リットン調査団報告書)


 つまり、ロシアが悪いのは立憲的な憲法や内閣制度や国民の自由がないからで、そのような国は日本に負けたほうがロシア国民のためだといっているのですね。(吉野作造の日露戦争正当化論)


 「渇しても盗泉の水は飲むな」


三・一五事件、四・一六事件(田中儀一内閣による戦争反対勢力の治安維持法違反)


 熱河侵攻計画という、最初はたいした影響はないと考えられていた作戦が、実のところ、連盟からは、新しい戦争を起こした国と認定されてしまう危険をはらんでいた作戦であったことが、衝撃的に明らかにされてゆく。天皇も首相も苦しみますが、除名や経済制裁を受けるよりは、先に自ら連盟を脱退してしまえ、このような考えの連鎖で、日本の態度は決定されたのです。


 このようなときに、「農山漁村の救済は最も重要な政策」と断言してくれる集団が軍部だったわけです。


 陸軍すごいですよ。……。政治や社会を変革してくれる主体として陸軍に期待せざるをえない国民の目線は、確かにあったと思います。


 そのうえで、今後の戦争の勝敗を決するのは「国民の組織」だと結論付ける。(陸軍統制派の陸パン)


 胡適は『アメリカとソビエトをこの問題に巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間負け続けることだ』といいます。このような考え方を蒋介石や汪兆銘の前で断言できる人はスゴイと思いませんか。


 こういう日本的な形式主義ではなく、胡適の場合、三年はやられる、しかし、そうでもしなけければアメリカとソビエトは極東に介入してこない、との暗い覚悟を明らかにしている。一九三五年の時点での予測ですよ。なのに四五年までの実際の歴史の流れを正確に言い当てている文章だと思います。の


 「今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は「日本切腹、中国介錯」というこの八文字にまとめられよう」(中国の駐米国大使胡適)


 汪兆銘は、三五年の時点で胡適と論争しています。「胡適の言うことはよくわかる。けれども、そのように三年、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう」と反論します。この汪兆銘の怖れ、将来への予測も見事あたっているでしょう? 中華人民共和国が成立する一九四九年という時点を思い出してください。


「蒋介石は英米を選んだ、毛沢東はソ連を選んだ、自分の夫・汪兆銘は日本を選んだ、そこにどのような違いがあるのか」(汪兆銘夫人)



5章 太平洋戦争 戦死者の死に場所を教えられなかった国


 人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦う(南原繁)


 こうした絶対的な差を、日本の当局はとくに国民に隠そうとはしなかった、むしろ、物的な国力の差を克服するのが大和魂なのだということで、精神力を強調するため国力の差異を強調すらしていました。国民をまとめるには、危機を扇動するほうが近道だったのでしょう。


 歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。……。爽やかな気持であった。……。わが日本は、東亜建設の美名に隠れてよわいものいじめをするのではないかと今の今まで疑ってきたのである。……。今や大東亜戦争を完遂するものこそ、われらである。(竹内好「大東亜戦争と吾等の決意」)


 「今日は人々みな喜色ありて明るい。昨日とはまるで違う」(伊藤整十二月九日の日記)


 「キリリと身のしまるを覚える」〈山形の小作農阿部太一〉


 ただ、この腹案(東条戦争終末促進)の内容というのは、「他力本願」の極致でした。


 また、イギリスが屈服すれば、アメリカも戦争を続けたいと思わないはずということで、希望的観測をいくえにも積み重ねた論理でした。


 中国側が強かった理由は、もちろん、三一年の満州事変以来、日本側のやり方に我慢がならなかったという抗日意識の高まりがまずはあります。(それ以外にはドイツの協力)


 ドイツ人軍事顧問団に率いられた中国軍は、ダイムラー・ベンツ、ベンツですよ。べンツのトラックで運ばれて戦場に赴いていたのですから、日本軍の持っていた国産の軍用トラック(いすゞ TU10型?)などよりずっと性能がよかったはずですね。


 ソ連は、日本側との軍事的な対立は早晩避けられないと考えていましたが、自らの国家が対日戦争の準備ができるまで、その時間かせぎを中国にやってもらえるならば、このくらいの軍事援助はお安い御用という感じだったと思います。


 英米は中国の各都市に巨額の経済的権益を持っている列強でしたから、日本側に中国との貿易を独占されることは我慢ならないことでした。三八年十二月、アメリカは中国に対して二五〇〇万ドルの借款を行います。


 一方、三九年一月、アメリカは日本に対し、航空機とその部品の対日輸出を禁止し、同年七月二十六日には、日米通商航海条約の破棄を通告しました。


 確かに日本人には少しひがみっぽいところがある、いじけやすい(笑)> ソ連、アメリカ、イギリスが中国に援助しているのを見ると頭に血がのぼる。どうして、みんな中国だけ援助するのか、と。むろん、日本が戦争をしかけて、中国の対日政策を武力によって変えようとしたことからすべては始まっているわけですが、それは日本側には自覚されません。


 中国の後は仏印、などと日本はよくもまあ、次から次へと他国の領土を侵略しようと考えますね。


「自分は日本よりも共産党を怖るべきものだとかんがえている。」(蒋介石)


 ヨーロッパの戦争にずっと不介入でいればよかったのですが、ドイツ軍の快進撃を前に日本側に欲が出てくる。東南アジアにはヨーロッパの植民地がごろごろしている、植民地の母国がドイツに降伏した以上、日本の東南アジアへの進出をドイツに了解してもらわなければならない。こう考えるのです。また、ドイツ流の、一国一党のナチス党による全体主義的な国家支配に対する憧れが日本にも生まれてくる。


 チャンスがくれば南方に武力行使し自給自足圏を得るとの計画です。


 戦争への道を一つひとつ確認してみると、どうしてこのような重要な決定がやすやすと行われてしまったのだろうと思われる瞬間があります。


 具体的には、外務省と参謀本部が急に主張しだした北進論を抑えるために、南部仏印へ進駐しましょうと声をあげて、南進に言及するようにしたのです。かれら、陸軍省と海軍の考えでは、南部仏印進駐をしたからといってアメリカがなにか強い報復措置に出るとは全く考えていなかったのですね。


 アメリカとイギリスは、四一年九月二十八日、ソ連に対して軍需物資を送る協定をソ連と結びましたが、これも、とにかく四二年春までソ連戦線が持ちこたえてくれればよいとの考え方でした。四一年夏のアメリカにとって、ソ連が元気づけられることであればなんでもやったわけです。
つまりアメリカは、日本の南進に対して強く報復することで、ソ連が日本を心配しないで済むように、そのために強い反応を示したといえます。


 しばしの間の平和の後、手も足も出なくなるよりは、七割から八割は勝利の可能性のある緒戦の大勝に掛けたほうがよいと軍令部総長は述べていました。……。今から考えれば日米の国力差からして非合理的に見えるこの考え方に、どうして当時の政府の政策決定にあたっていた人々は、すっかり囚われてしまったのでしょうか。


 軍部が、三七年七月から始まっていた日中戦争の長い戦いの期間を利用して、こっそりと太平洋戦争、つまり、英米を相手とする戦争のためにしっかりと資金を貯め、軍需品を確保していた実態を見なければなりません。同年九月、近衛内閣は帝国議会に、特別会計で「臨時軍事費」を計上しています。


*・授業では・石井氏の娘である石井ターニャ氏が登場し、「当時の一般会計は八〇兆円に対して、特別会計は三六〇兆円だった。税収は四〇兆円だった」と指摘した。
・日本国の会計は江戸時代のような単式簿記でその理由は複式簿記ではなんちゃってユダヤがカツアゲしにくいからおこずかい帳のようなドンブリにしてある訳である。
(http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1885154.html)


*A そうでした。ところで、〈アフリカ諸国・北朝鮮・日本〉で、なにを想像しますか。
Q3 えっ、なんだろう、核保有じゃないし、飢餓国……でもないし、なんだろう。
A ……実は、これは国の会計制度が単式簿記の国々です。未開国なんですよ、日本のインフラは。国民として恥ずかしい限りです。(高野義博『Q&A確定拠出年金入門』)


 特別会計というのは、戦争が始まりました、と政府が認定してから(これを開戦日といいます)戦争が終わるまで(これは普通、講和条約の締結日で区切ります)を一会計年度とする会計制度です。


 三七年に始まった日中戦争からの特別会計が帝国議会で報告されるのは、なんとなんと四五年十一月でした。(*おお、なんとなんと八年が一会計年度!) 太平洋戦争が終結した後、ようやく日中戦争から太平洋戦争までの特別会計の決算が報告されるという異常な事態です。軍部とすれば、日清戦争や日露戦争の頃と違って、政党の反対などを考えなくて済みますから、こんないい制度はないですね。


 この考え方(奇襲作戦)を海軍全体、そして政府全体の政策にまで推しすすめたのは、山本五十六連合艦隊司令長官だったといわれています。


 ソ連が世界の共産化を真面目に考えていると確信した彼ら(カナーリスやリッベントロップ)は、防共、反共、つまり共産主義打倒を真剣に考えはじめます。ナチスというと反ユダヤ政策にすぐに目が行きますが、反共という側面を見落としてはいけません。


 日本は、やはり地政学的に見てソ連に対する天然の要害(要塞)だったからです。(ドイツの心変わりドイツの日本接近)


 日独の接近は中国とソ連の接近をもたらす。その裏面には、共産主義をどうするかというイデオロギーと地政学があった。持久戦争を本当のところで戦えない国であるドイツと日本であるからこそ、アジアとヨーロッパの二か所からソ連を同時に牽制しようと考える。アジアの戦争である日中戦争が第二次世界大戦の一部になってゆくのは、このような地政学があったからです。


「日本はこういう理由で、そもそも戦争ができない国です。だから戦争など考えるのはやめてしまいましょう」(海軍大佐水野廣徳)


「通商の維持などは、日本が非理不法を行わなければ守られるものである。……。よって日本は武力戦には勝てても、持久戦、経済戦には絶対に勝てない。ということは日本は戦争する資格がない。」(水野廣徳)


「軍需原料の大部分を外国に仰ぐがごとき他力本願の国防は、あたかも外国の傭兵によって国を守ると同様、戦争国家としては致命的弱点を有せるものである。」(水野廣徳)


「反逆児知己ヲ百年ノ後ニ待ツ」(水野廣徳)


 この徴用令(一九三九年)によって植民地からも日本国内の炭鉱、飛行場建設などに多くの労働者が動員されました。朝鮮を例にとれば、四四年までに、朝鮮の人口の一六%が、朝鮮半島の外へと動員されていた計算になるといいます。


 日本という国は、こうして死んでいった兵士の家族に、彼がどこでいつ死んだのか教えることができなかった国でした。


 ただ、とても見識のあった指導者もいて、その例として大下条村の佐々木忠綱村長の名前が挙げられます。佐々木村長は、助成金で村人の生命に関わる問題を容易に扱おうとする国や県のやり方を批判し、分村移民に反対しました。このような、先の見通しのきく賢明な人物もいたのです。


 自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格が、どうしても、そのまま捕虜への虐待につながってくる。


 この戦線(ニューギニア)では戦死者ではなく餓死者がほとんどだったといわれるゆえんです。


――……。でも、個性的で面白い人物がたくさん登場して、その人の考えをたどりながら、大きな時代の動きを追っていけるのが面白かった。とくに胡適は強烈でした。


 むしろ、ここで私が注目したいのは「あなたは、先の大戦当時の、日本の政治指導者、軍事指導者の戦争責任問題をめぐっては、戦後、十分に議論されてきたと思いますか、そうは思いませんか」という問いに、「全く議論されていない、あまり議論されていない」という回答が五割を超えていることです。


 歴史をつかさどる女神クリオは、女神のうちでも最も内気で控えめで、めったに人にその顔を見せなかったといいます。(E・H・ノーマンに『クリオの顔』という歴史随想集があり、胃兪波文庫で読めますのでどうぞ)。


 そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。


*平成二十八年十月六日抜粋終了
*印は、抜粋者のコメントです。
*昭和十六年八月生まれの抜粋者にとって、このような通史は衝撃でした。
*浮遊していた断片が、事の前後が解明されたのにともない、物語となりました。「蓄積された「歴史」のインデックス」(加藤)が単なる断片を救い出しました。
*日本の陸海軍軍人の素養・インテリジェンスは視野狭窄の典型であって、東大卒の落とし穴にどっぷりのめり込んでいた。