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はじめての哲学

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抜粋 J・キャンベル&B・モイヤーズ『神話の力』飛田茂雄訳 早川書房 Campbell

2016年06月23日 | 読書
 対立項の世界を超越したなにかと自己とが一体であることを自覚できるような、そんな意識の次元があるということです。

 あらゆる神話の基本的なテーマはそれだ―見える次元を支えているみえざる次元が存在していることだ―と、私は言いたいですね。

 儀式の主要なテーマは、個人を自分自身の肉体よりも大きな形態構造と関連させることです。

 そこで、少年たちは男たちの聖なる場所に連れて行かれ、そこで本格的な試練を受けるのです―包皮を切る割礼、陰茎下部の尿道まで切開する儀式、男たちの血を飲ませる儀式などなど。

 彼らは輪になってひと晩じゅう踊り続けるのですが、そのあいだに男のひとりが突然失神する。私たちなら神がかりとでも呼ぶものを経験するのです。しかし、これは閃光だと表現されています。一種の雷光、つまり稲妻が骨盤のあたりから脊髄を抜けて頭に走るというのです。


 自分の生のこの一瞬が実は永遠の一瞬であることを自覚し、時間内で自分が行っていること永遠性を経験する。それが神話的な自覚です。

 古代の人々は、精神的な原理を不断に意識しつつ生きることを目標にしていました。

 ―すなわち、私と他者とは一体である、私と他者とはひとつの生命のふたつの外見であって、別々に見えるのは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知能の限界の反映に過ぎない、という認識―が飛び出してきた結果なのだ。

 「私は一生のうち一度も自分のしたいことをしたことがない」(シンクレア・ルイス『バビット』ラスト)

 「だが実際のところ、ぼくはこれまでただの一度だって自分のしたいことはできなかった。成り行きにまかせるという以外、いったい何をしてきたのだろうか。」(シンクレア・ルイス『バビット』苅田元司訳 主婦の友社)

 「この子は、好きなことだけして人生を渡るわけにはいかない。好きなことだけしてたら、死んでしまうぞ。おれを見ろ。一生のうち一度だってやりたいことをやったことはないんだ」(バビット)

 自分のやりたいことを一度もやれない人生に、いったいどんな値打ちがあるでしょう。