惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 大川周明 『回教概論』 中公文庫

2016年06月25日 | 読書

 吾等はキリスト伝道師に呼応して、徒らにこの偉大なる宗教を罵詈することなく、自由にして先入主なき日本人の精神を以て、回教に関する正しき知識を得ることに努めねばならぬ。

大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日)は、日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した[1]。
なお、東京裁判において民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴されたことでも知られる。しかし、精神障害と診断され裁かれなかった。晩年はコーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる。(ウィキペディア)

亜細亜解放主義者→大川 周明

 さてアラビア人の日常生活に最も重要なる意義を有していたのは、神々の崇拝にあらず、實に幽鬼Jinnに対する信仰であった。マホメットは堅く幽鬼の存在を信じ、したがって幽鬼は回教の信仰の対象ともなった……

アラビアにおこなわれていた諸神崇拝のなかからマホメットはアッラーを純化し、他を絶縁した。

村田 清風(むらた せいふう、1783年5月26日(天明3年4月26日) - 1855年7月9日(安政2年5月26日))は、日本の武士・長州藩士(家老)。贈正四位。家格大組(別名馬廻)。


古蘭は三億に近き信者の至聖の経典(昭和十六年当時→現今十二億)

「ただ神恩を思え、その本体を思う勿れ、汝等に断じてその力なし」マホメット

マホメット当時の北アラビア人は、激越なる言説に動かされることが多かった。

而して、全体が宗教・道徳・法律を混同し、三者の間に何ら明瞭なる割線なきのみならず、刑法・訴訟法・行政法等の公法に属する法律は、きわめて不完全である。

イスラーム世界に長いこと継続されていた絶対専制主義(誰も監督しない)→このため之を倒すのに暴力が是認される。

回教教団は、宗教団体であると同時に国家である。而も回教国家には、本質的に国境成るものがない。地球全面が回教教団の領土である。かくて回教教団と一切の非回教国家との国際的関係は、原則においてただ戦争あるのみである。

 ローマ法に準拠せるヨーロッパ諸国の法律が、宗俗二法の間にさつ然たる区別を画することは、回教徒の不可解とするところである。

ウマイヤ朝
アッパース朝

ハ二ーファ→哲学的
マーリク→歴史的

シャーフィイ=回教法学の第一人者

回教徒一致の声は、直ちに神の声。……。この原則は、その胎内に代議政治を孕むものとして、極めて注目に値する。現代ペルシア及びトルコに於ける革命は、実にこのことによって法学者並びに神学者の是認するところとなったのである。



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