惚けた遊び! 

タタタッ

はじめての哲学

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抜粋 砥上裕將 『線は、僕を描く』 講談社 2019

2019年10月06日 | 小説

 「何かになるんじゃなくて、何かに変わっていくのかもね」

 

 

 ……、白い画面の中に色で描かれれば、描かれたものが強調され、際立つ。目は書かれたものへ吸い込まれ、緊張感が生まれる。その緊張感を描かれたものの筆致が、それぞれの趣でほぐしてくれる。描かれたものの主題や筆致や雰囲気が、それぞれに伝わってくる。

 

 

 「できることが目的じゃないよ、やってみることが目的なんだ」

 

 

 こんなにも何度も失敗を黙々と繰り返したことは、僕にはない。失敗を繰り返すほど、何かに挑んだこともなければ、失敗を楽しいと思ったこともない。

 

 

 「力を入れるのは誰にだってできる、それこそ初めて筆を持った初心者にだってできる。 それはどういうことかというと、凄くまじめだということだ。本当は力を抜くことこそ技術なんだ」

 

 

 「いいかい。水墨を描くということは、独りであるということとは無縁の場所にいるということなんだ。水墨を描くということは、自然との繋がりを見つめ、学び、その中に分かちがたく結びついている自分を感じていくことだ。その繋がりが与えてくれるものを感じることだ。その繋がりといっしょになって絵を描くことだ」

 

 

 「……。感覚的な言葉だね。手が柔らかくなるというのは、実際に手がふにやふにゃしている、ということじやなくて、筆致というか、線を描くタッチが、柔らかくなったということだよ」

 

 

 「まじめというのはね、悪くないけれど、少なくとも自然じゃない」

 

 

 「才能やセンスなんて、絵を楽しんでいるかどうかに比べればどうということもない」

 「絵を楽しんでいるかどうか……」

 「水墨画ではそれを気韻というんだよ。気韻生動を尊ぶといってね。気韻というのは、そうだね……筆致の雰囲気や絵の性質のことも言うが、もっと端的に言えば楽しんでいるかどうか、だよ」

 

 

 突然、平面だった空間に一本の枝垂れた葉が存在し、絵の中に奥行きそのものが現れた。空間があって、そこに現象が生まれるのではなく、現象が先立ってあって、空間が生まれるという現実にはあり得ない瞬間を見るのは楽しい。

 それは打ち上げられた花火を見上げて初めて、夜空の闇を意識するような感覚だ。

 

 

 其の麗しきこと蘭のごとし

 

 

 ……水墨画には『塗る』という所作がありません。すべては描くという所作に繋がっていきます。それは同時に、筆致によって生命感を表現しようとする絵画だということです。減筆という考え方は、水墨画のどの段階で生まれたものかは分かりませんが、その筆致を際立たせるための考えであることは間違いありません。

 

 

 「墨と筆を用いて、その肥痩、潤渇、濃淡、諧調を使って森羅万象を描きだすのが水墨画だが、水墨画にはその用具の限界ゆえに描けないものもたくさんある。絵画であるにも拘わらず、、着彩を徹底して排していることからも、そもそも我々の外側にある現象を描く絵画でないことはよく分かる。我々の手は現象を追うには遅すぎるんだ。

 

 

 「いいかい、青山君、絵は絵空事だよ」

 

 

 「美の祖型をみなさい」

 

 

 それは命のあるがままの美しさを見なさいということだつた。こうして花を感じて、絵筆をとるまで何も分からなかった。

 水墨とはこの瞬間のための叡智であり、技法なのだ。

 自らの命や、森羅万象の命そのものに触れようとする想いが絵に換わったもの、それが水墨画だ。

 花の命を宿した一筆目を僕は描いた。

 穂先の重みは画仙紙の白い空間の中に柔らかく溶けながら、移しかえられた。心がそっと手渡されるように、命は穂先から、紙へ移った。心の動きが体に伝わり、身体の動きが指先に伝わり、指先は筆を操る微かな圧力を伝わって、画仙紙という不安定で白い空間に向かって消えていった。それはたった一瞬だった。だが、それは、ここにいたるまでのあらゆる瞬間を秘めた一瞬であり、一筆だった。

 菊の芳香と墨の香りが部屋を満たしていた。

 

 

 僕は長大で美しい一本の線の中にいた。

 線の流れは、いま、この瞬間を描き続けていた。

 線は、僕を描いていた。

 

 

 

 

 

*令和元年十月六日抜粋終了。

*こんな微妙なことどもをよくもまあ書いたものである。


抜粋 上田岳弘『ニムロツド』 第百六十回芥川賞受賞作 文藝春秋 2019.3

2019年02月16日 | 小説


 僕がいつも感心してしまうのはね、合理的に考えて全く駄目なのに、「いや、いけるかもしれない」というチャレンジ精神によって、「駄目な飛行機」が生み出されていることなんだ。実際、原子力潜水艦はうまくいったわけで、いまも主要な戦力だよね。


 「世界は、どんどんシステマティックになっていくようね。システムを回すための決まりごと(コード)があって、それに適合した生き方をする、というかせざるを得ない。どんな人でも、そのコードを犯さない限りは、多様性(ダイバーシティ)は大事だからと優しく認めてもらえる。それで、コードを犯せば、足きりにあって締め出される。」(田久保紀子)


 「例えばシンガポールではね、月収や学歴が基準を満たしていないと、就労ビザが下りない。能力が足りない人をそもそも締め出している。国家ぐるみで。たかだか人口六百万程度の都市国家の話だからいいかもしれないけど、世界全体がそんなふうに締め出しを始めたら、行く場所がなくなる人が続出するかもしれない」(田久保紀子)


 動物的な、根源的な自然に即した何か。そんなことを考えるのはきっと「自然」という言葉に反応したからだ。意思とはまた別に抗い難い流れがあって、人間の意思でやったとされることも、人間も所詮は自然の一部だから、より大きな枠組みでは、やはりそれに従っているだけなのか。


「人生じゃないみたい?」


 「個であることをやめた? どうして?」
 「生産性が低いからさ。生産性を最大限に高めるために彼らは個をほどき、どろどろと一つに溶け合ってしまった。個をほどいてしまえば、一人ひとりのことは顧みずに、全体のことだけを考えればいいからね。より強く高く長く生き続けたいという欲望を最大限達成できるからね。」


 「情報技術で個の意識を共有し、倫理をアップデートしてしまえば、その個を超越した価値基準に体の形状をあわせることへの躊躇いなんてなくなるし、体のあり方を変えるなんて造作もないことだ。


 ……もともと僕にとっての塔はさ、小説なんだと思っていたんだ。


 僕が言葉を紡いでいくことで、人々の精神に何かを書き込む。遺伝子に誰かが書いたコードみたいに、ビットコインのソースコードみたいに、僕が誰かの心に文字を通じて何かを記載することで、それが世界を支える力になる。そう思っていた。でもそうではなかった。


 通常の通貨と違い、「ソースコードと哲学で出来ている」仮想通貨は実体がない分ハッキングされるとひとたまりもない。





*平成三十一年二月十六日抜粋終了。
*望むらくは、採掘の場面の実描写がほしかった。リアルさが確保されてないように感じた。
*物語はこれから始まるところで、突然終わってしまった。何なの、これって。単なる背景描写なんだろうか。
*要するに、スケッチなのか。現代都会人の頭の中の。つまり、素材を充分に展開しきれていないようだ。



抜粋 ディケンズ『炉辺のこほろぎ』本多顕彰訳 岩波文庫 1993

2018年07月08日 | 小説
 

 そしてヂョンは、自分が、感じの鈍い人間だということを痛感してゐたので、断片的な暗示がいつも彼にとっては苦痛であったのだ。彼は、タクルトンのいった言葉と、妻の異常な振舞とを心の中で結びつけるつもりは毛頭なかったが、この二つの考えの題目は一緒に彼の頭の中に入って来て、彼はそれを別々にしておくことは出来なかった。


 しかし、これは何であるか! 私が彼らに喜ばしく聴き入り、私には気持ちのよかった小さい姿に最後の一瞥を与へようとしてちびの方を見た丁度その時、彼女もその他のものも、全部空中に消え失せて、私だけが残された。一匹の蟋蟀が爐の上で歌ってをり、一つの壊れた子供の玩具が床の上に横たはってをり、そして、ほかのものは何一つ残ってゐない。





*平成三十年七月八日抜粋終了。
*累々蜿蜒と書き継いで、積み上げてきた物語は、エンディングで見事にかき消えてしまった。
*この物語は、これは何であるか! 単なる自己否定ではあるまい。想像力の作り出す空中楼閣の存在意義を鮮やかに申し述べた次第であろうか。




抜粋 C・フェンテス『聖域』 木村栄一訳 国書刊行会 1978

2018年06月27日 | 小説
 

 家まで走ってゆき、敷居を超える。その時初めて僕は悟った。敷居とは、ぼくだけの世界の、ぼくの聖域の境界だということを。


 あるのは変容だけだ。


 なかでもディケンズの『炉辺のコオロギ』のイメージが、ぼくの心を強くとらえた。


 グリェルモ、幼年時代にはなにか腐敗したものがある。ぼくたちは自分の起源にあまりにも近くいすぎるんだ。


 生きのびるにはこうするよりほかにないんだ。たえず、べつの存在に変身してゆくことだ。グリェルモ、時間につかまれば、きみは殺されるんだぞ、時間には始りがあり、発展があり、終わりがある。変身するといっても、君はある状態からべつの状態に移行するだけなんだ。


 なにもかも飛越えて、忘れてしまうこと。そうすれば、いずれ今以上の人間、もつと立派な人間になれるかも知れないわ。


 私は言葉でいっぱいよ。でも名前やむつかしい考えは持ち合わせてはいない。感覚があるだけよ。


 「自分の姿を見るのはもう沢山、あきあきしたわ」


 どんな気分だい?
 自力でやるってのは。


 ぼくにとっては空間と思考とは同一のものなのだ。これ以上知ることはないだろう。世界の神秘とは可視のものなのだ。



 カルロス・フェンテスとメキシコの現代小説――木村栄一


 この小説(『脱皮』)を理解する唯一の方法は、作品の絶対的な虚構性を受け入れるかどうかにかかっています。(フェンテス)


 完全な虚構としての作品、すなわち現実の外部にあって、それと拮抗しうるだけの存在感をそなえたもうひとつの現実としてある虚構


 言いかえれば、ギリェルモの変身は、ユダヤ教が編み出し、キリスト教が受けつぎ、今もヨーロッパやイスパノアメリカで脈々と生きている「始めと終わり」のある時間を否定し、彼が新しい生に再生したことを意味している。


 作品世界の虚構性(『聖域』


 「小説とは、本質的に、方法論を模索する芸術」(三島由紀夫)


 理性の暴力が言葉からリズムを奪い取ってしまう(オクタビオ・パス)


 ……詩は純粋な時間に到達する道、存在の始源の水の中に身をひたすことにほかならない。(パス『弓と竪琴』)





*平成三十年六月二十六日抜粋終了。
*一九六〇年代後半から八〇年代にかけてのフェンテスは、手法的実験にはしりすぎるあまり、『脱皮』(一九六七) (『聖域』(一九六七)のようにほとんど意味不明の作品を幾つか残したが……
(フェンテス『澄みわたる大地』 寺尾隆吉訳 現代企画室 二〇一二 訳者あとがき) 尊大な評価だこと。
*拙著『述語は永遠に……』(四〇歳)方法論の模索ではあったが、理解や成功とは縁遠かったようである。連想過多症の積習による「ひかり」を駆っての脱出行であったのだが。
*喰うための実業(年金)にかまけて、四〇歳以降、五十四歳の『情緒の力業』をのぞいて為す術がないまま、まもなく七十七歳を迎えようとしているのが現状である。




抜粋 山本周五郎『ながい坂』新潮文庫上下巻 昭和六十三年

2018年01月28日 | 小説
 

 海の汐は満ちるとまもなく退くものだ、


 朝の露、夕べの霧、澄みきった山の気、そして朽ち木や洛陽の中で育つからこそ、それぞれの薬効がそなわるのだ。


「いったい人間はどうしてこんな徒労を重ねているんだ」


 ――人間の一生とはどういうことだろう。主水正はあたたかい夜具の中で、熱いほどのななえの躰温に包まれながら思った。死ぬまで生きる、というだけなのか、それともなにか意義のあることをしなければならないのだろうか。


*山本は、人間、人間とうるさい、「人」が適当であろう。


 人の生き方に規矩はない


 兵部はまた、樹が呼吸することに気づいた。陽が登ってから森へ入ると、檜も杉も、その幹や枝葉から香気を放つが、その匂いかたには波があり、匂わなくなったり、急にまた匂いはじめるのである。





*平成三十年一月二十八日抜粋終了。
*ななえとつるの書き分けは見事なものである。
*と思ったが、口にしなかったという手法は再々に過ぎなかったか。
*次々の展開に、上下巻を一気に読んでしまった。

抜粋  佐藤正午 『月の満ち欠け』 岩波書店

2017年09月02日 | 小説

「神様がね、この世に誕生した最初の男女に、二種類の死に方を選ばせたの。ひとつは樹木のように、死んで種を残す。自分は死んでも、子孫を残す道。もうひとつは、月のように、死んでも何回も生れ変わる道。そういう伝説がある。死の起源をめぐる有名な伝説。知らない?」



 瑠璃も玻璃も照らせば光る


「現実から『追放』される体験、というのはこれなんですかね」


 だもんで、ひとつの現実の、イメージとうまく調和できない体験は『追放』される。


 前世なんて、前々世なんて、そんな非科学的なもの、あってたまるもんですか


 自分の瞳か、瞳に映る世界かのどちらかがぐるつと回るような症状を、ここ半年のあいだに、彼女は何度も体験していた。そしてそのたびに、なにがしかの記憶がよみがえること――取るに足らない記憶もふくめて、目を瞑ると闇の彼方から映像が福引の赤玉みたいに転がり出ること――も学んでいた。


 ずっと待ってたんだよ、と彼は言った。





*平成二十九年九月一日抜粋終了。
*三木成夫『胎児の世界』人類の生命記憶 の現象論になつているようだ。

「述語は永遠に……」表紙を一部修正しました!

2017年06月23日 | 小説


 表紙を一部修正しました。


著者から一言
拙著『述語は永遠に……』(四〇〇字詰原稿用紙六三六枚・昭和五十六年)で探求していたのは、「心の動き、すなわち刹那ごとの消滅のくりかえしによる連続は消滅」しないという、述語探しによる連想過多症のつきなさを書いていたことになります。長いこと、この作品のポジションが分からないままでしたが、七五歳になって、『大乗起信論』第三段・解釈分のこの一文に出逢って、四〇歳の著作時にはそれと知らぬまま六三六枚を要していた事態が飲み込めました。

アア、シラカバノキジャナイカ

2016年05月01日 | 小説
 そう、あのテント場に着いたのは八月も末で、キャンパーたちはみんな引き上げたあとで草原には一つもテントが無くて……二週間、あそこにテントを張ったままにして……しなけりゃならないのは食事を作る手伝いだけで、日が昇るとテントを出て薪を集めて飯盒の飯を作るだけで、食べ終わるとそのままほったらかして、ゴロッと大地に横になって……行く雲を見たり山々や木々の葉を見たり、飽きれば本をパラパラとめくり、……すべての煩いを投げ出したままにしておいて、時が軀の中をゆっくり濃密に通り過ぎていくのを物珍しく見ていたのだ。
 それは少年の頃、野山で遊んでいたときに感じていた充実感のある何か内から膨らんでくるような空間的な面積、いや容積を持った時であった。以来、ずぅっと忘れていた感覚であった。……人影が見えなくなってしばらくして、二、三人のハイカーがキャンプ場の端を下山していった。鳥取の医大生が一人、キャンプ場の下見に来たのに会ったなぁ……なんでも来年全国の医大生が集まってなんかやるようなこと言っていた……その彼も一泊して帰ってしまい、キャンプ場は人気の無い森閑とした草原になってしまった。
 いつまでも何もしないで居られないような気分になって、明日はテントをたたもうかっていう前の日の夕方……だったかなぁ、三時ごろだったかもしれない。通り雨が朝から気まぐれに何度も降って一日中テントに閉じ込められて……あの日、何度目だったろう、房子の尻をだき抱えたのは。
 意子のとき満たされなかったものが心行くまで堪能できて、軀の中に高圧電源を据え付けたみたいに手指の先や神経の末端が唸りを発していた。猪にでもなってしまったみたい。五感は活力がみなぎっていた。
 ……テントの中で、奥のほうにある小さな手鏡をとろうとして四つん這いになった房子の黒いスラックスを下着ごと引きずり落とし尻をむき出した。大きな桃のようなその割れ目にズブズブと私は入り込んだ。抱えきれないほどの尻をしっかり抱え込んで、霧に煙る三保湾を見下ろしながら射精が始まった。ドクッドクッと傷口から血が吹き上がるように射精しながら、軀はビクッ、ビクッとしびれながら反り返る……どこを見ていたのだろう、何を見ていたのだろう、長いこと焦点も定まらずになにやら宇宙の裏でも見ていたのだろうか。
 ふと、気がつくと、山の辺にたわわな一本の白樺があり、視線はそこに集中していた。どのくらい、見ていたのだろう……射精の大波が収まっていくに従い、まるで長い旅から今帰ってきたかのように……何かを、というか、どこかをグルッと一巡りしてきたかのようにして……アア、シラカバノキジャナイカ、と、白樺を見ている私に気がついたのだ。
 ……射精中から引き続いて魅せられたようにそこへ釘付けにされていたんだなぁ、きっと。幾秒、幾分、いや幾時間を経過したのだろう……そこには何もなかったけど、何だろう、空白……と言っても白い紙があったわけじゃぁない。何だろう……気がついたら、物音が絶えていて、白樺の樹ばっかりがあって……雨に洗われた白樺の葉の、無数の葉の群れが、雲間を切り開き光の板となって降り注ぐ初秋の陽に晒されて、雨脚の駆け抜けた高原に沸き起こった風にハタハタ、ハタハタと数限りなく鳴り渡り、光さんざめいていた。
 それは桐の葉のように馴れ合っていっせいにざわつくのとは違って、各々の葉が孤立していて、ちょうど小判の山をばら撒いたよう。無数の葉が一枚一枚鮮明に見えて、なんだか異様に視聴覚が鋭くなったみたい。可視・可聴範囲が拡張・拡大されたみたい……なんだっていうのだろう、やけにハタハタするじゃないか……湿気がないからか、そんなはずはないけれど、清々しさが異常だ。雨上がりだからかな?、物がみんな水晶みたい、そう、紫水晶のように微かに色がただよい出ている、けがれがなく透明だ。埃なんか、どこにも無いじゃないか! 普段見慣れた樹とはどこかちがうなぁ、幹の白さだって、いつもの白さじゃないみたいだ、言ってみれば、原初の白なのかなぁ……。なんだか今まで見てきた白が白としては贋物みたいな気がする。というより、今まで目にしてきた白が何か被せられた白なのだろう、葉だってそうだ。贋物を掴ませられていたのだ、きっと。
 本当にこんなの見たことないなぁ……手のひらを振っているみたいじゃないか……赤ん坊のような小さな手もありゃあ、相撲取りのような手があって、招くような手があり、……二、三千人分の手が一本の樹に集まったみたい、あらゆる年齢、あらゆる階層、あらゆる人種が密集しているみたい、アア、千手観音なのか。勝手にみんながそれぞれ手を振っている……誰に振っているのだろう?
 ……エッ、この私に、か……私に! 今こうして、女の軀の奥深く身をねじ込んで、女の大きな尻に軀をすっかり密着しているこの私に……女も私もありゃあしない、一塊の肉のドロ団子だ。わが身をそこへ、肉のドロ団子に供えて、私は流動物になったのか。物と物との絡まり合いが角を削り落として団子にしているみたいだ、きっと溶けているのだろう、枕木のようにゴツゴツしている私が。なんだか辺りの様子が変だ、やけに透き通っている……なんだっていうのだろう、あんなに手を振って…… 「さよなら」なのか、それとも…… 「お出で、お出で」なのか。行ってきて帰ろうとしているのか、暮れなずむ浦々を潮が引き上げていくように……。それとも、越えられなかった藪を突き破って、向こう側に転げ落ちた猪なのか、今の私は。
 すると、私はとうとう流れの中に飛び込んだのか……な。辺りは逆巻く奔流、岩を噛む白い渦なのか……。どうなのだろう……。誰がそれを認めてくれるのか……、多分、それは誰にも分からないのだろう、ただ、自分でそれを支える以外には。それにしても、それを支え続けられるだろうか、どんな風にして支えるのだろう? そこに立ちいたれば、そんなことは問題にもならないのだろうか……でも、それは……紫水晶のように奇麗なものであっても、水の中の角砂糖みたいにもろいようだ。角砂糖を紫水晶に変えるなんてことは出来ないのか。
 ……多分、それは存在ではなく状態としてしかありえないのだろう、永遠の。……私も白樺もなくて、私と白樺が一つになっているのか、そういうことなのだろう、これは? 白樺ばっかりで私が居ないのか、私が白樺になって私を見ているのか。それとも、唯、私の居ない風景なのか。あるいは、私も白樺もない世界か。そう、世界がドッキングして唸りをあげているのか、あらゆるものを巻き込んで、物の名を奪って。




出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿

述語は永遠に……

2016年04月19日 | 小説
吾十有五而志于学(孔子・論語)に適い、千葉の片田舎の中学卒業を期に、香取飛行場跡から蒸気機関車で上京。「私とは何か」という述語探しのオブセッションの果てに、八月の京都駅頭で覚醒する物語です。






たかの よしひろ





   おお、これらの思考をお静めください!  マーラー 交響曲 第八番 変ホ長調 「一千人の交響曲」




 ベルだ、ベルだ、出て行ってしまうぞ、「新幹線ひかり」、畜生奴、飛乗らにゃあ。痛い! 何だ、彼奴は、人の足蹴っ飛ばしておいて、どんザラ奴! 痛い、痛いぞ、畜生。今になって痛くなってきた、唾付けとこうか……何処へ行った? ああ、彼奴か? ガラス越しの口吻だ。何とかの遊び、だ。ここは何号車だろう? 鳴り始めと同じ音量のはずなのに……びっくりさせやがったなあ、ドスでも刺されたみたいだった。暑いなあ! チェッ、心理学か、気を遣いすぎる駅員奴、ボリュームをいっぱいにしておいてスィッチを入れやがったな……そうしておいて、気づかれない位ずつ下げていくんだろう。ボリュームを握っている触覚、ベルの音量を聴いている耳、気遣い心、お役目ご苦労さん……じゃないね。スピーカを通しているんじゃないから。直だもの、「物そのもの」というわけだ。……とすると、こちらの耳の所為か、「聞く耳、持たん者は聞け」か、もう一つ、「つんぼにゃあ、聞こえぬ」と、……しかも、ベートーベェンは聴いた、と……。混んでいるなぁ、ここは……ううん、いい匂い! コーヒーも欲しいけど腹も……。何時だろうなあ……昼飯だなあ。先に食っとくか……でも、いっぱいだろうなあ……後にしようか。四号車なのか。皆座って……る、ああ、あそこ二つとも。ちょうどいいや、後ろ向きだ、おっ、危ない。揺れる、揺れる、こん畜生! うん? 今、何て言った? ……「畜生! 」運転手に言ったつもりなのか、この列車に言ったのか。おっと又々。十返舎一九は狂歌を吟じながらの二人連れを東海道に泳がせ、もちろん二本足だったが……私はここに座って……最後の列の……Dか、じゃないE席だ、ああ、いい席だ、お誂えだ、一人になれる……

 肉が痙攣したのを機に、針を刺されたような激痛が走り、ガバッと跳ね起きようとしたが……身動きも出来ない重さで押さえつけられ、潰されそうになっている自分に、まるで過去を一巡りしてきたかのように気がついた。ウンウン唸ってその重いものを跳ね除けようとするのだが、手も足も硬直したみたいに意のままにならない。うなされてでもいたのだろうか。切れ切れの呻き声のような谺が記憶の網に引っ掛かって震えていた。それは有るとも無いともはっきりしないほんの幽かな想い出のよう……しかし、その更に奥まったところには、自分が気のつく前の、夢の記憶のような暗黒の大陸が黒々と横たわっているのが感じられたし、意識の轍を見失う遙か彼方に燎原の火の、残り火のようなものがチョロチョロと燃えているのがはっきり望めた。しかし、大腿部の破けるような痛みと胸から肩にかけての引きつるような痛みに加えて軀の何処か、場所のはっきりしない遠方の地、これと名指せない多義的な地点、心の内科的辺境に、何か尋常とは異なった特殊な痛み、というか……感覚、いや、自我の放棄され尽くした後の、為されるがままの、決壊中の堤防の心地。形式から内容の抜け出してしまった後の、蝉の抜け殻のような半透明な白々しさがあって、死に行く者が手の届かない所へ行ってしまったりこの世へと再び上がって来たりしているかのように、ある境界を彷徨っていた。

 蜥蜴の緑や紫に入り交じる切り離された尻尾が時々引きつりを起こしてピクピクッと生き返るように、痛みが暗黒の大陸と燎原の火の方へのめり込みそうな私を目の前の現実へと引き戻していた。相手を抱き込む仕儀になっていた私の両手は痩せ猫の背を、濡れたその背を撫でたときの感覚……そのゾオッとする気味悪さを離すに離せぬままであった。痛みは鉄の爪でも立てられたよう……少しでも軀を動かせば、動かしただけ食い込み……そこから血がゾロゾロと垂れ流れ……既に、私は血の海に横たわっていた。ベットリした血の流れがゆっくりと暖かい臭気を発して鼻を抜けていった。そうして、ついに、私が目にしたのは……ピューマのような……あるいは豹のような、いや、虎のようにしなやかな、そう、ゆったりと構えていて虎かもしれない。何かそういう猫の縁者、猫科の動物。……その虎とおぼしきものがしっかと私の上に覆い被さり、鋼の爪を胸の上に突き立て、そのしっとりとした三叉の口は胃の辺りの臭いを嗅ぎながら鼻をピクピク……させて……狙っていた、が……? ……風がふっと切れたかのように、ふと、私はある疑問に取り付かれてしまった。……そんなはずはないと、よく見れば見るほど疑問であったものは徐々に確信に変わらざるを得なかった。そ、そんなはずはないのだが、……その虎とおぼしきものの仕草や視線の置き具合が……どことなく……この私自身に似ているのを驚き呆れながら発見したのだ。な、なんということだ……。

 枕辺にいた女達はどうしたのだろうと思って、引き攣るような痛みを引き出さないように、そろりそろりと眼球だけずらして室内を見回すと……散乱した家具があるだけで、女達の姿は見当たらず、気配もありゃあしない……、ただ、彼女達のお喋りの二言三言が心を絞るように思い出された。……どうしたんだろう、助けを求めに行ってくれたのだろうか、この私の陥った奇妙な窮地のために。……それとも、何処か安全なところに逃げ延びてほっと深いため息と共に恐怖に震えているのだろうか……、あるいは全然事を知らずに……あるいは知ろうともしないで、あるいは故意に忘却して……、すでに熟睡しているのか、他の部屋で! というのも、私を呼ぶ声は何処にもないのだ。まるでみんな眠り込んでいるみたいだ。私の他は。それはまるで真夜中に、突然目を覚ましてしまった子供のようだ。その子はおそるおそる夜の帳の中に目を凝らすけど母親の姿は見当たらない。闇が物に侵入し、物はその個物性を奪われている。羊羹のような闇が辺りを固めている。そのねっとり固まった物を、懸命に手足をばたつかせてほぐしにかかる、泣きもせずに。しかし、この見離され絞り出されている孤独の場は馴染みの病室みたいだ。そお、孤独は、私には馴染みの領域だ。相対の場に晒されることこそ危険地帯なのだ。そこは物から物へ、ただ、彷徨っているだけの、修羅の妄執の堕地獄だし、存在の保全のために虚構に継ぐ虚構を仕掛ける世界だ。その危険地帯から逃れてもその危険を削ぐことにはならない。その危険を見据えて、それとは別に私の孤独を創るのだ。そぉ、懐かしさが込み上げる……おお、抽象の暗室よ!

 ……ムッとするような暑気の中、海へ行く道は砂利の道、真夏の太陽が照り付け、低い防砂林の中をくねくねと白い道がまるで過去を訪ねるときの道筋のように、あるときは濃い松の林に消え、突然直線となって視界に現れたりしていた。一〇分も自転車で走ると、やがて防砂林の向こうから太平洋の海の音が幽かに聞こえてくる。走るにつれてその海の音は汗ばんだ皮膚を通して体中に響き合う。砂利の軋みや草藪のキリギリスの鳴き声と共に。防砂林の松は音もなく立ち居並び……太陽が照り付ける。その中をくねくねと白い道が続く。防砂林が切れると、茫々と飛び込んでくる海。砂丘の向こうに打ち寄せる波の白い波頭、きらめく波頭。潮を含んだ強い風。すると、軀の中から発散される生の息吹。茫々たる九十九里の浜に、見渡す限りの海。そして積乱雲と蒼空の丸い海。描線の定かでない水平線。打ち寄せるあまたの波。潮含みの強い風。盛夏の太陽がレンズと化した中空を切り裂いて照り付ける。中空を爆破しそうな生の息吹。海、そして生、生。……ああ、これも過去の生だ……。

 その間にも、五感は死につつあり知覚器官は囚われの恍惚のような痺れを引き起こしていたが……その中から一つの懸念が浮上し、見ている間にそれは恐怖に様変わりしていった。それは視界を遮る入道雲のように、これ見よがしに起き上がってきた。その雲に立ち向かうには余りにも自分の力の微弱なのを痛感せざるを得なかった。だが、その恐怖は最後には虎が腹に噛付くだろうという所為ではなく、虎を抱き込んでいるこの形式の所為だ。しかもこの形式が曲者で、その投げられた網に一度引っ掛かるとなかなか逃げられず、粘つく網に手足を取られ、動作が緩慢になり、ついには人生への遅い出発に成り終えてしまわないかという、悪くすれば出発さえも出来ないままに終わるかもしれないという恐怖を生み出すのだ。手の施しようのない生き方だ。……身動きの出来ないこの場を何とか力ずくで撥ね除けようと、……最後の力を振り絞り全身筋肉となって、ガバッと……、その時、目の前で風船が破裂したかのように、突然の身動きとともに放り出されてしまった。いったい何処だろう……寝たきりの闘病生活者のように強ばった軀を持ち上げて、恐る恐る辺りを見回すと……虎もいなければ、血の海もなく、散乱した家具も見当たらなかった。錯綜した論理の格子模様も消えていた。薄暗い、というより明けやらぬ不分明なものが辺りを被っていて、事物はその真の姿を眩ましたままであった。光り輝く、太陽の燃えさかる姿が棚の忘れ物のように思い出された。……どうやら深い霧のようであった。樹木らしいものの骨格だけがレントゲン写真のように見えたが、それは肉を削がれたみすぼらしい寒々とした姿であった。……得体の知れない周囲の風景を背に……そこに一人の初老の黒い制服の警察官が帽子の庇の下からジッと私を覗き込んでいた。まるで街をうろついている犬のように前屈みになって匂いでも嗅ぐみたいにして。覗き込まれていたのは、……今朝だ、よな……。そして今は……いや、もっと、ずうっと前のことかな?

 ……月夜の山小屋の三人、ナマ椎茸のふくよかな香り……号泣……。あれは高校を終えた年の夏だったか、秋だったか。桑原桑治と二人で武尊山へ登ったときのことだ。そう、あそこの山小屋で、だ、彼の自殺未遂の下りを知ったのは。武尊への道は熊笹の中に始まる。熊笹を割って長い尾根道が蛇行しながら頂上へ這っていく。山頂へ至る岩尾根の手前で、登る気力を失ってしまった私は、そこで友の帰りを一時間ほど待つことにした。やがて帰ってきた友と下山し始めたのは……日の沈み込む頃だったなあ……どぎつい夕焼けだった……。麓まで降りてみて終バスが出たのを知り、そのまま沼田まで歩こうと川に沿って疲れた足を投げるようにして歩き始めた。東京へ帰ったところで、惨めな生活が待っているばかりだ、と思うと、余計に足取りは重くなるばかりであった。夜間高校を出たが、定職がないまま日雇い稼業をしている生活だったから。八方塞がりの焦燥に追いかけられていたので、山河の佇まいの泰然自若とした姿にさえ打ちのめされていた。夕映えが消えた頃、下の方から中年の男が登ってきた。二人が何の気なしにすれ違おうとしたところ、その男が声をかけてきた。

「沼田まで、今から出るのかね?」
「ええ……」
「どのくらい、かかりますかねぇ」
「遅うなるよ。急いで帰らないとならんの?」
「急ぐわけでもないんですけど……」
「じゃあ、私の小屋に来んかねぇ。あそこの尾根の向こうだから、泊まっていけばいい」
「……」
「どうする?」
「なあに、誰も居やしない、私一人だから、遠慮にゃあ及ばない」
「そうですか」
「じゃあ、一晩泊めてもらおうか」
「うん、そうしよう」

 降りてきた道を引き返し、尾根を回ると、川に面して当の山小屋があった。谷の水は夕闇にぼんやりと白く流れ下っていて、椎や楢の大木が枝を広々と伸ばしており、夕べの静寂と枯れ落ちた葉や木々のゆっくり腐っていく匂いが芳しさを招き寄せていた。小屋の戸を開けると、中は六畳くらいの広さで、手前に土間が少しあって、後は板敷きの上に茣蓙が三枚広げてあり、中央に囲炉裏が切ってあった。自在鉤には真っ黒な鍋が掛けてあったが、火の気はなかつた。布団が一山と物入れに使っているミカン箱が二、三、部屋の隅にあるだけで他には何もなかった。
「さあ、入んなさい。狭いけど、手足くらいは伸ばせるから……冷え込んできたねぇ、いま、火をつけるから、その薪、そう、そこへ」薪の撥ねる音が目に五月蠅くなったころには、小屋の中も暖まり、谷を下る水の音が耳に慣れ、静けさを取り戻していた。
男が原木からもぎ取りながら焼く椎茸の香りが酒を勧めた。

「どこから来たね!」
「東京です」
「そう、ずっと東京?」
「いえ、私は沼田の生まれです」
「そお、沼田なの。じゃ、学校が東京だったんだね」
「あんたも?」
「いえ、学校が一緒だったんです」
「東京は、どこなの?」
「自由が丘です。東京のどちらか知っているのですか?」
「ああ、……。沼田は下の方かな?」
「いいえ、上の方です」
「そう。すると二人はクラスメイトなんだね」
「ええ。……ここで何をしているんですか?」
「伐採の監督みたいなことだね」
「ずっと、ここに居るんですか」
「いや、夏から秋にかけてだけど、この山が終わったら、別の山に移るんだよ」
「奥さんや子供さんは……」
「そんなものがあるように見えるかね。独り者だよ」
「独身なんですか、三十五、六でしょ」
「長いこと、やられているんですか」
「五年……かな。いや、実を言うと、この仕事を始めるまでは私も東京でね」
「そうですか。そんな気がしたんですよ」
「交通公社って、知っているかな?」
「旅行の……」
「そう」
「そんなところにいた人が、なんでまた、伐採なんかしているんですか?」
「いやあ、そうバタバタと畳み込まれるとかなわないなぁ。コップ開けて、ほら、二人とも。あんまりやらないのかなぁ」
「私も東京の頃は飲まなかったんだが、この仕事を始めてからは夜が長くてねぇ、ついつい強くなってしまって」
「椎茸、旨いですねぇ。こんなの初めてです。自分でつくられたんですか」
「そう、裏にまだ、たくさんあるから、好きなだけ食べていいよ」
「ええ、いただきます」
「東京で何しているんだね」
「何しているって……。彼は失業中。私も似たようなものですけれど、……日雇いですから。毎朝、ベンチに新聞持って座るのが仕事始めで、いろんなことやっています。店員でしょ。工員、ウェイター、ビル掃除、牛乳瓶洗い、それにビール屋の倉庫、」
「学生じゃなかったの」
「ああ、それは、夜学だったんですよ。この春、学校に居られなくなって、」
「退学で?」
「いいえ、卒業で追い出されてしまって」
「なるほど、追い出されたのですか」
「ええ、学生ならまだ気が楽ですけど」
「楽というのは?」
「人生への待機中でしょ」
「人生への待機だって、そんなものあるのかねぇ。……それにしても、卒業したなら、ちゃんとした仕事が有りそうじゃないか」
「と、思いますよねぇ。ところが、あにはからん! で、というのも夜学でしょ、それにあんまり身を入れて勉強してなかったから、あるとしても工員位なものですね。それか、電信柱にしがみつくか位なもので。そう、その工員というのがコンベアベルトの前に座っての繰り返し作業で。二人して逃げ出して来たのですよ。二ヶ月やって右から左へやるだけなのですよ。ただそうやっていればいいのですけど、それが一日中でしょ。一年中同じなのです。そこの主任って人、二十六年間それをやってきたそうですけど……それを聞いたときには恐ろしくなって……」
「右から左って、何を?」
「ええ、電話交換機の回路のハンダ付けなのですよ」
「ハンダ付け?」
「そうです。配線のビニール線を一本手に取り、決められた端子にジュッと付けるのです。終わると、次のが、目の前に流れてくるんですね、次から次へと。同じようなことをやっているのが、男女取り混ぜて二、三百人いたでしょうか。目の前に来たやつに皆一斉にジュッとやるだけです。ただそれが一つ終わると、また一つ流れて来るんです。こちらの都合なんか、おかまいなしに。それが二十六年間も来るのかと思うと……もう、なんと言ったらいいのか……ただもう逃げ出すので精一杯で……。でも、こうやつて逃げてきても、あの主任はまだやっているわけです。やらざるを得ないんでしょうね。頭髪はすかすかになり、青白く痩せ細っていて神経質にいらいらしていて、笑顔なんか見たこともないんですから。これが人間の生活なんですかねぇ。それとも職場を離れたところに生活があるんでしょうか」
「でも、その主任はそれで生活しているんだから、あんたらみたいに逃げ出してくる人間にゃあ、何にも言えないなあ」
「ええ……。でも、それじゃあ人間の理想というのはどうなってしまうんですか」
「理想?」
「ええ、喰うのに全てが飲み込まれるだけでしょう、万古不易でしょ」
「ああ、そうね、そこに若い者の存在理由があると言いたいんだね。しかし、その理由じゃ、小さいね」
「どうしてですか?」
「まあ、そのうち分かるようになるかもしれないし、一生分からずじまいで終わるかもしれないし……今、言い切るわけにもいかないようだ」
「答えが今すぐには出ないと言うんですね」
「そう、あんたの考えている意味での答えは今出ないようだね、あんたを見ていると。答えというのはあんたと別に有るんじゃないんだから、答えはむしろあんたなんだから」
「そ、そうなんですか」

 ……何処をどう歩いてきたのだろう、階段を上りきると、そう、目の前の東京駅プラットホームに日はギラギラ照り返し、日向と日陰の線がまっすぐホームいっぱいに延びていた。歩みを進めてわざわざ光の中に出ると、ビーチサンダルがヌルヌルした。綿のサマーシャツは汗を吸い込んで肌に重かった。睡眠不足のためか軀は脱水症状を呈したかのよう、視線は一カ所にとどまるのを忘れ、小刻みに震えながら移ろい、レールの上に落ちていく新聞紙を追う。それは田んぼに舞い降りる白鷺のよう……。レールの側の青い痰は鋲のよう、鉄錆色のコンクリートに何を押さえつけようとするのか。左隣のホームは一段低いが、そこには若い女達の鍔の大きい帽子が日に照らされて白い。ワンピースの裾が舞うホームのスレート屋根の向こうに駅舎の赤煉瓦が見えた。暑気が辺りを白くしていた。その奥に、喧噪を照り返す東京上空の灰色の空。……既にこれも過去だ。季節は夏だというのに。

 いいんだよなあ、この身はこれに任せたとして、「新幹線ひかり」に……任せた? ……本当に。いいのかい、いいんだな、エッ! これが事実? 単なる虚構か、そうだろう、任せたと思っているだけだ。希望的観測って奴だ。そう、いや、事実だ。ここに座っているのは曲げられない事実だ。……と、すれば任せたのも同じじゃないのか。しかし、それじゃ一足す二が三の世界じゃないか。そう、生血の匂いらしきものを風の中に嗅ぎつけたハイエナのように、これはあるものを思索中に知らず知らずのうちに、引っ張られて歩き始めてしまったのと同じだ。一足す二が三じゃ言い足りない世界だ。むしろ、ふと手にした店頭の本をパラパラッとやっているうちについ買ってしまった堕本のように、逡巡している間に軀の方は勝手に動いてしまうことがあるものだが、……そんなふうに、これに乗ってしまったんだから、フラフラと。頭の中には渦雲状のものが呻き軋んでいた。任せたと言えるほど、明確じゃなく……任せたんじゃない……しかし、ここにこうして深々と身を沈めた私は他の乗客と何ら変わりゃしない、向きが違うのを別にして……しかし任せたんじゃない、態度保留のままだ。その間に、現実はどんどん勝手に進んでいく……態度保留? どっかで? ……そうか、人生への待機なのか、これも。仮にそうなら、あの頃と何にも変わらないじゃないか。時が早すぎる……のだ。早くて、早くて、まるで超特急だ。人事の及ばない世界を走って、いったい何処へ行こうというのか、これは。宇宙の果てへ……何処ともしれぬ所、光へ。そして自らも……いや限定の必要はない。なぜなら、おそらく物皆全てであろうから……

「エッ! 辞めたの! どうして?」
「知らないわよ……」
「今、どこに居るんだろう」
「昨日、名古屋へ引っ越したらしいわよ」
「引っ越しって、名古屋へ……名古屋……」
「……」
「名古屋の何処だろう」
「分かんないのよ」
「事務所で聞いたら分かるかなあ?」
「それがね、名古屋へ引っ越しますって電話があっただけなんですって。みんなも余り突然なので心配しているのよ。何か聞いてなかった、彼女から……」
「そうか、何も聞いてないよ」
「そお、どうしたのかしらねぇ」

 階段を上っていくと、そのフロアのホールの中央にある丸いコーヒースタンドのカウンターに、髪をまっすぐに長くした乙女が微笑んでいた。半年くらい前だったろうか……。毎朝、あの階段をのぼって勤めに出て行くと、のぼり切った正面にカウンターがあり、そこから眩しい光が射してきたのだ。まるで島の岬で全身に朝日を浴びたように。眩しさにはじめの数日は視線を止めていられなかった。彼女の一瞬の視線を受けて金縛りの術をかけられた者のように立ちすくんでしまうのだった。半月くらい、ただ、そんなことの繰り返しばかりだった。仕様もなく胸がドキドキして、近寄ると言うよりもむしろ逃げ出していた。そのうち、その乙女は辺りの他人の目に気付かれないように、無言で、ただ、唇だけ動かしてなんとかと言いながら微笑み始めた。その言葉は聞き取れなかったが、何度か唇を見ているうちに、おはよう! と言っているのだと気がついた。唇は手旗信号のように一字一字を区切ってすぼめられたり開かれたりしていた。その信号はまっすぐ私に向かってきていた。そこには田舎の父の押しつけがましさもなく、母の無関心な他人事のような冷たさもなく、級友達や世間の視線にある断罪の気配もなかった。今までに聞いたこともないような言葉であった。それまでに耳にしていたのは私の軀に貼り付けるために発せられた言葉であった。押しつけてくるのだ、その人格を、世界観を、価値を、習慣を、感受性を……そして要求さえも含んでいるのだ。服従を、謝罪を。人はしきりに面を欲しがるのだ!

 「あの、今、すぐには分からないと言ったでしょ。これもそうですかねぇ。実は、……一年くらい前ですけどね、或る乙女と親しくなったのですけど……まあ、今にしてみれば初恋という奴ですけど。その乙女がある日、突然、失踪って言うのでしょうか、居なくなってしまって……理由も分からず、行方も分からず、突然姿をくらましてしまったのですが……毎日会っていたのに、そんな素振りは少しもみせず、居なくなったと聞いたときは、まさに青天の霹靂で東京中の心当たりを駆け巡って探し回ったのですけど……、今日までついに会えないままなのです。……どうしてなのだ、何処へ行ったのだ、という遣り場のない怒りのような疑問を持ったまま、しかし、いくら呼べども叫べども谺は返ってこないのですから……そう問うことがますます問いを強固なものにし、ヴォイドって言うのでしょうか、虚無に向かって、というより問うこと、すなわち虚無で、問いがみんなそこへ吸収されてしまうのですから……どんなに足掻いても、罵倒しても、悲嘆にくれても、何をしようとも、それらがみんなそこへ、そこへと結集されて吸い取られてしまうのです。中空にまるで円錐が伏せられているみたい……何をしようにもそれがみんな中心を刳り抜かれたようで手応えがなく、暗闇を殴るみたいに、ポカポカやっているうちに、そういう自分が見えてきて阿保らしくなってきて……しかもそれしかやれないのです。これが例えば何か、こう、具体的な理由でもあれば、それを相手にも出来るのですけど……「別れの手紙」なんかを切り裂いて、女心への恨み辛みを西鶴風にも出来たでしょうに、あるいは号泣して号泣して三日三晩でも山野を駈けずり回ってのたうつことも、あるいは胸に一突きのナイフ……。ともかく何ともこれが余りにも具体性を欠くものですから……どうしたらいいか訳も分からず、言葉にもならず、ただ、そこへそこへと吸い取られるままに、ウゥという行為とも言葉ともつかないもののまま、つんのめり続けているしかないんです。ことによると、これは全てが嘘じゃないか、夢なんじゃないのかと、一瞬そう思い込んだ事もありましたけど、それでもこの事実は変えられませんし、「居なくなった」しかないんですから、他の一切はみんな吸い取られるだけなんです。……ここには悲しみや苦しみの人間らしい感情等ありゃあしません。あるのは、ツアーッという冷え冷えとした地平にチョロチョロと燃える燎原の火の尽きない残り火のような抽象絵画の色彩の踊りだけなんです。そこには誰も居ませんし、もちろん私だって居ないんです。私はむしろそのチョロチョロと燃えているのをこちらから見ているんです。かといって、その風景の一部に目以外の私の手や足があるわけでもなく、私はそれを見ている視線だけになっているんです。そこは火星上の風景のようです。無人、無風、妖しい火……

 ああ、またしても、終わりの方では二人とも私の話しているのを聞いていなかったなあ……、というより私は二人に向かって喋っていなかったのかもしれない。喋るというより、口の中でぶつぶつ言っていたにすぎないのかもしれない、というより思いの氾濫に身を任せていたのか……。喋っているといつもこういう風になってしまい、会話と疎遠になり、人から離れ、気付いたときには周りに誰も居ないというわけだ。社交じゃないのだ、私が喋るのは。社交から退いて、主題の展開にのめり込むから……己の中へ沈潜してしまうのだ。呟きになってしまうんだ。独白なのか。アメーバのようなゴニョゴニョ動きは際限なく伸び広がり、現実の方はその都度希薄となり、ついには反転してしまうときが多いんだ。人との会話は益々困難になり、そうなれば益々主題の展開・変奏の方へのめり込んでしまうのだ。こういうところへ入り込んでしまったら舵を取るのは既存の価値観・倫理観・習慣などではなく、夢の世界のように開け広げられた空間であるから、人為的論理を退けた無作為なものの奔流が生じそうなんだが……

 それにしても、さっきのベルの音、凄かったなあ。両手に高圧線をつながれたみたいじゃなかったか、ああいうのを「身に痛い感情」と言うんだ。痛覚だ。……ベンチに浅く腰かけて……さっきは何をしていたんだろう……足伸ばして……あのドンザラの奴! ……背もたせに頭を押しつけてホームを見ていた、のか……京都……初子! さっきの座り方のせいだな。首筋がまだ痛い……。あのベルの音で一瞬のうちにガバッと全部の骨を引き抜かれたみたいだ。何かこう、基底部、人生の基本形式みたいなものを掠め取られたような、それも一瞬のことだもんだから、途方に暮れて出口を探そうと夢中になってしゃにむに駈けずり回っている若者の無茶苦茶な動転した気持ちがあって、手術室の気味悪さがあるのはベンチのデコラ板のツルッとした感触の所為か、火星人の肌みたいな。……六号車? 指定だな、行儀よく自分の分捕ったシートに収まって 、蛸壺のタコ入道! そう、さっき誰かの咎めるような囁きが聞こえたなあ、「お前、生きてないぞ!」と。あれは私の内心の不文律だ、生理にもなっていて定期的に襲ってくるのだ。生きてない、という思いが募ると悲嘆の谷底できちがいの舞が始まるのだ。木の葉がサラサラと舞い落ちるような些事にことよせ。昔だったら、さだめし落葉一枚につき落涙一石。止めどもない水浸しであっただろうが、現代じゃ落涙など流行遅れも甚だしく、ピポピポ鳴らした公用車が徴用並みに連れて行ってくれる、という形容を通り過ぎて現代風の徴用なんだろう、あの公用車は。清瀬村の清瀬病院、きちがい、キ印、北枕。積み木の駅舎、積み木のような感情生活、煉瓦の東京駅よ……

 何をボサボサしているんだ。動き始めたじゃないか……もう降りられやしない……このまま乗っていかざるを得まい……白昼夢でも見ていたんだろうか、さっきは……って、何時だ? そう、虎が現れる前かな……それでも聴覚の片隅と言うんだろうか、視界の地平のアカの他人のように微かにベルの鳴っているのは知っていたようだけど、意識が意味を叫び続けるのをそれと知覚しなかったのか……発車だ、発車だ! と言っているのが……危なくドアに不注意を謗られるところだった。袖を捕らえられなかったので、ドアの奴、地団駄を踏んでやがった。でも、アレだ、さっきみたいに、ボサッと焦点を定めず旅行者や駅舎を駅名や時計を透かして回想や希望的観測を羽ばたかせているのが多いなんてもんじゃないな、四六時中なんだから……人に呼ばれて気付かない振りをしているわけじゃないんだが、新婚女のように振り向かない。新しい戸籍名を知覚は刻みつけてないんだろう。現実に疎いのだ。と言っても呼び声は聞こえないのが当然だ。私の話している声の方が大きいし間断ないんだから……どんなに私に近づいても聞き取れない、私一人の呟きなんだから、仮に、呼ばわるのが聞こえたときには突然の事態なので牛乳に墨を落としたように……世界に馴染むには世間並み以上に時間がかかり、初めは白黒の斑の混乱が続くという訳か、それにその混乱が秩序に復するとき、スローモーション映画のコマが動いているときのような緊張が辺りを領し、それがまた新たな混乱を生み出すのだ。

 混乱と言えば、あの時の……といってもあの時に限らない、吃驚したときはいつでも大なり小なり、ああいうわけなんだから。……でも、あの時は謎めいていたから余計にそう思うのかな。もう、何年になるんだろう。初子が十五、私が十八歳だったから、六年たっているのか。……今でも、ドキッとさせられるからなあ、後ろ姿や横顔の似ている乙女を見つけると。そう、その乙女の周りに、たちまち記憶のコンクリートが流れ込み、人混みの赤の他人はコンクリートの中に埋没し、コンクリート塊がその乙女を警護するように周りを固める。しかし、毎度その中を乙女が静かに歩み去って行く、振り返りもせず。するとコンクリート塊が熱湯の中で角砂糖が崩れるようにボロボロになり砂州になり、波のような雑踏が吹き散らしてしまう。

 あれは、それまで働いていた店が営業不振で用がなくなり締め出しを食い、あのプラネタリウムのビルの屋上で働くようになったときのことだ。上京後、四年目くらいの頃だ。あの辺りで一番高いビルじゃなかったかな、無秩序な建造物が視野いっぱいに幾何的な出鱈目さで広がっていて、見下ろすと、人も車も、ただ、意味もなく右往左往しているばかりに見えた。

 そういえば、房総本線を蒸気機関車に乗って初めて東京へ出てきて、あの路地裏を通ったとき、両側から押し被さるバラック建て家屋の高かったこと。実際には、田舎の父の二階屋の方がずっと高いのだが、その路地裏の建造物には何か人を小さくするようなものがあったのだろうか、それは、そこを通りながら上空を覗いたとき、教材用の物差しみたいな長方形が青空であった所為ではなく、……あんな色だったなあ……青空を見たとき逆に青空から自分を見たら……きっと、狭い道をイガグリ頭が動いている位にしか見えないだろう、と思いながら歩いていた所為だろう。今にして思えば、東京での右往左往があそこから始まったのだ。あの路地裏の立て込んだ家並みの細い道が東京への門だったのだ。住み込みで働くことになった従姉の模型屋の店が待っていたのだから……。中学校が終わりになって田舎に居られなくなって東京へ出てきたが、模型屋も客として来るなら夢もあろうが、店員で働くなら夢も見ていられなくなる。夢を商うんだからなあ、……客の見たい夢の注文を聞いてやり、紙の厚さやプロペラの大きさで夢の中身を指定してやり、特殊な夢のため品切れになった材料を探すため蔵前の問屋の倉庫をかき回すとか……そう、蔵前からの帰り、仕入れの品を包んだ布団袋ほどの風呂敷包み二つ! 銀座の交差点、積み過ぎた荷のためオートバイの前輪が持ち上がり、信号待ちの停止線上での格闘。メグロの中古車だったからなあ、クラッチが甘くて、滑って、滑って赤信号の間、止まりっぱなしとはいかず、トコトコと歩き出しやがって、慌ててクラッチを握りなおし、両足を踏ん張っても言うこと聞かずトコトコと、トコトコ……丸い交番の警官の目、銀ブラ連中の目、タクシーの中の目、都電の中からの無数の目……ああ、積み過ぎの荷! 持ち上がる前輪! イガグリ頭! 暴れ牛のようなオートバイを股に挟み、反り身、両足で踏ん張る十七歳! 顔も軀も上気して血は駆け巡り、意識は燃え上がり銑鉄と化し爛れきる。すると、感覚だけの世界となって、流れ落ちる汗は水蒸気になってもうもうたる湯気を立てる。風に嬲ってきた着衣はバンドを逃れて垂れ下がる……意識の彼方に開く展望はどんな論理だろうか……。

 あの時、何の前触れもなく、忽然と姿をかき消した乙女初子。そして彼女の意図の完全な成功。でも、今更ではないがいったい何があったんだろう。両親でも亡くしたんだろうか、叔母の家とか言っていたなあ……そう、阿佐ヶ谷か、荻窪だったか、静かな、高い樹の多い住宅街だった。なんでも、そう何か杉のような楢のような梢の高い木が十本くらいあったな、その叔母の家とかに入る路地に……あれは一度だけ初子を送っていったときに見たのか、そう、確か表札は「樺沢」じゃなかった。初子が姿を消した週の日曜も、次の日曜もあの住宅街をうろうろ探し回ったけど、とうとう見つけることが出来なかった。何の手がかりもないまま……あそこで全てが終わりになっている。全てがあやふやになっていく、全てが無となっていく。まるで、そこに何もなかったかのように……全てが飲み込まれてしまう。どんなに足掻いても詮無いことだ。それが、内蔵を剔られるようにせつない。初子は名古屋に居るのだろう。そして、私は今、「新幹線ひかり」の中……二人の間に何の連絡もない、今後もないだろう……それぞれの人生は絡まらない。孤立している。その私に、初子は何というものを残していったんだろう。それは、「なぜ?」という謎だ……。写真の初子は絹のような髪が両肩に触れ風になびいている姿で、微かに笑みがこぼれていた。風に絹糸が乱れ、その奥の瞳から際限もなく語りかけてきた。あれは……初子の失踪後、田舎へ帰ったときにその写真を持ってあの「今は飛べない飛行場」へ散歩に出たときのことだ。冬枯れの風が吹く「今は飛べない飛行場」のすすきの原っぱにカサコソという音、それに時々、急に飛び立つ鳥の羽音だけ。腕を頭の下に敷いて横たわりすすきの間から空を見上げ、ただ、そこで枯れ草のカサコソッという音を二人して聞いていると、それはまるで天上の音楽。枯れ草の上を風が吹き抜け、世界が通り抜けていく。枯れ草に姿を没した私の頭上を勝手に行けばいいという気持ちだ。音と音の触れ合い、そしてその反響の中に和音の瞬間の静寂。停止する「時」、空間を持たない場所がそこに生まれる。

 深い霧だ……霧……小学校への通学路……朝日に燦然と光り輝く霧の無数の金片のひんやりとしたシャワーを浴びて……その乱舞の溢れ……押し寄せ、吹き上げ、盛り上がり、渦巻くきらめきの金片の群れを……呆然として見ほれていたっけ。気がついて霧に見えなくなった友を呼んだ声は無数の金片の触れ合う金属音にかき消されて跡形もなく吸い取られ……道は目の先で金片のきらめきに消え失せていた。友を見失い、道を失い、一人取り残された霧の牢獄、そして黄金の世界……



(以下略)



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登録情報
フォーマット: Kindle版
ファイルサイズ: 2223 KB
紙の本の長さ: 239 ページ
出版社: 高野 義博; 3版 (2013/11/14)
販売: Amazon Services International, Inc.
言語: 日本語
ASIN: B00EMUJO1K