惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 黒田壽郎『イスラームの心』 中公新書

2016年06月24日 | 読書

 世界は西欧と日本で成り立っていない


       垂直的アスペクト(個人の信仰の純化を通じて絶対者に近づく)
 イスラーム
       水平的アスペクト(シャリーアを介して信者たちの共同体に責任を持つ)


イスラームは、キリスト教や多くの仏教宗派が称揚しているような、世俗を棄て、精神的練磨と向上のために人里離れて長期間にわたり行う修行を認めていない。
 年に一度必ず在家の地位を保ったまま、集団的修行に参加するよう義務付けている。

イスラームの修道院制度の禁止

 仏教になぞらえて比喩的に表現するならば、イスラームとは、きわめて大乗的なしかも組織的な在家宗教であるということができよう。

イスラーム←七世紀(唯一神信仰)部族主義・拝金主義の否定(政教一致)
フランス←十八世紀(自由・平等・博愛)宗教から人間性の回復(政教分離)

 イスラームは、普遍的理念的な愛そのものよりも、むしろその具体的な実現により多くの関心を払っている。

 西欧が近代にいたってようやく確立した基本的人権の概念を、イスラームはすでに聖徳太子の時代に提出していたが、この事実こそこの宗教の永続性を説明する一つの鍵となるものである。

礼拝・断食・巡礼・喜捨という宗教スタイル

ムスリムにとって,現世とは試練の場、仏教では厭世・否定されるもの。

借り物の尺度↔ものさし

西欧においては、個我の確立のためには、宗教の否定と自我の自立性をを強調したデカルトのような哲学者を必要としたのである。

高度な原理性に対する人々の執着
政教一致を建前とする宗教は、当然のことながらその理想を実現するにあたり、世俗的な権力
を必要とした。

「コーランか剣か」→イスラームの実態を知らぬ西欧風誤謬

 教会、僧伽が実生活のレベルとは切り離された次元に成立しているのに反して、イスラームのウンマは実生活のレベルにおける社会的共同体そのものの中にこそ成立可能なのである。

イスラーム法の五範疇論

イスラーム学者の実定法批判

実定法
法律・慣習・判決など人間の行為によってつくり出された法。自然法が超経験的性格をもち,永久的・絶対的な正しさを主張するのに対し,実定法は社会の現実に即してその時々に制定・形成され,実効性をもつ。(百科事典マイペディアの解説)

 (選挙により代表者が選出され、法を制定=実定法)

 *選挙の胡散臭さ(これゆえの投票回避)

 彼らは被支配者から委任された権威の力をもって、人々に自らの意志を押し付ける。これは英国やアメリカ、世俗的民主主義の安息所であると主張する国全てにおいて、人々を取り巻いている状況なのである。(現代イスラーム法学者A・A・マウドゥーディー)

クルアーン・ハディス
個人の深い
実定法とイスラーム法

 赤の他人である聖職者といった存在の仲介を許さぬ、一対一での絶対者との対面は、それだけ直截に個人の深い自覚、覚醒を促した。

アッラーの預言者の後継者(新しい指導者の任命、その職能について明確な指示なし。これがイスラーム混乱の元凶)

初代カリフ

アッパース朝の第二代カリフ・アル=マンスールの礎作業によりその後五百年のいしづえを作る。

カリフとスルターン(政治的支配)=聖俗の分離始まる

マーワルディのカリフ必要説
ガザーリーの双生児論
イブン・ハルドゥーンのムルク論(宗教法の統治)

ウラマーとは学識者=文化人=俗権の長→モスクの長

ウラマーの退嬰化→近現代のイスラームの混乱

西欧の脱宗教化と人間中心主義の隆盛をイスラームは取り入れつつある。
ただし、その植民地政策には強い反発を堅持している。

西欧の侵入まで塵ひとつなく、美しく栄えた町々は、植民者によってまたたくうちに貧しい埃だらけのスラム街と化した。

 現実は常に流動し、既存の価値はたえず事態の推移に即応して改新されねばならぬ宿命を持っている。イスラ-ム法は、類推と合意といった方法によって、そのような変化に充分対応しうる手段をもっていた。

西欧列強の中東植民地政策
十七世紀初頭東インド会社
一八八一年フランスによるチェニジア支配
一八八ニ年イギリスによるエジプト支配
第一次世界大戦のトルコの敗北

 普遍的な愛を説く宗教を持ち、自由平等博愛を高らかに主張する人々による植民地主義は徹底的であった。高度な西欧文明に驚嘆の眼を見開いたこの地域の人びとは、このような文明人によるあくない差別主義に二度驚かされた。

 中東の近代史という舞台の固有なドラマの展開の基軸となったものは、<公共善>という概念で一括されうるであろう。

 共同体の利益の尊重を重視する世界の公共善は、西欧の政治的エゴイズムを決して容認してはいない。

イスラーム世界の近代思想史に大きな足跡を残したアフガー二―の立場
  「イスラーム本来の精神に戻れ」

 イラン革命は、いずれの大国にも依存しない態度を堅持して、第三世界の自立性の強化を歴史的に実証して見せた。

シャーの白色革命による弾圧

 中東世界における西欧化即近代化路線の、ほぼ唯一のチャンピオンであったシャーの追放が、

シャリーアーティのイスラーム再解釈の試み
 「自ら死ぬ前に死ね」
 「友よ、ヨーロッパを放棄しよう。胸のむかつくようなヨーロッパの猿真似はやめよう。人間性について絶えず声高に語りながら、見つけ次第人間を破壊するヨーロッパに別れを告げよう。」
 「両者(物質とエネルギー)は互いに交替しあっており、むしろこれらは、ある場合には物質の形態をとり、他の場合にはエネルギーとなるような、不可視の、認識不可能な実体の、異なった表れと説明されるようなものなのである。物理学の任務は、この一つの超感覚的な存在の二つの現われの真相を解明することにこそある。」
 「タウヒードの世界観において、自然すなわち外的世界は、一連の<徴>と<規範>から成っている。」

 われわれの経験、知識、知覚により認知されるものは<現われ>であって<存在>ではない。それは不可視で、知覚の外にある実体の、外的で知覚可能な現われ、痕跡からなるものである。

<徴>は真理の何たるかを示す指示なのである。

イスラームにおいては、啓示の内容の総体に対する信者たちの動的なかかわりがあり続ける限り、改革の可能性を秘めている。


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