摩西会堂はロシア系ユダヤ人が1902年に協会を組織し会堂を建てましたが、手狭となり、1927年ごろにこの地に新会堂を建築しました。
その後大量に訪れたドイツ系ユダヤ難民の会合場所に使用されたそうです。
現在は虹口区が出資し改修され、ユダヤ人の記念館として一般に開放されています。
内部はボランティアの上海人大学生が英語と中国語で案内してくれました。
1993年に或る一人のアメリカ人がここを訪れました。
彼はユダヤ難民として少年期の10年間をこの地域で過ごし、戦後アメリカへ渡って後に財務長官となりました。
近くの霍山公園に残る旧日本軍ユダヤ難民隔離区の記念碑。
2008年1月24日撮影
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その後大量に訪れたドイツ系ユダヤ難民の会合場所に使用されたそうです。
現在は虹口区が出資し改修され、ユダヤ人の記念館として一般に開放されています。
内部はボランティアの上海人大学生が英語と中国語で案内してくれました。
1993年に或る一人のアメリカ人がここを訪れました。
彼はユダヤ難民として少年期の10年間をこの地域で過ごし、戦後アメリカへ渡って後に財務長官となりました。
近くの霍山公園に残る旧日本軍ユダヤ難民隔離区の記念碑。
2008年1月24日撮影
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中国どこにいっても日本侵略の言葉が出てきますがその都度胸が痛くなります。
仰るとおり、日本人としては気が重い課題ですね。
アモイに行ったときも旧日本軍の監獄のような建物が保存されていましたが、中に入る気がしませんでした。