今日は二度寝をしてしまいました。
それでもお腹は空くので 色々チンしながら
友達にもらった ワケギを 辛子味噌にしたり
酢が足りんなぁとか思いながら これまた いただきものの
ダイダイを絞りいれたりしながら・・・・
なかなか美味しくできたのですが
いまいち食欲がありません
これはダイエットのためのチャンスかとも思い
さっさとラップをかけて見えないところに収納。
Yahoo! ニュースより 避妊手術の件だけれど(元記事が消えた)
子供を殺したりいじめたりしかできない人には強制でもなんでもいいから
避妊手術を勧めます。(はなのかんがえ)
- 強制不妊提訴、20人に=新たに神戸の女性-地裁
- おわび主体「われわれ」=与党と議連、強制不妊救済法案で合意
- 強制不妊、過去に容認=検証結果を発表-障害者団体
- 視覚障害者6人被害か=強制不妊など-日本盲人会連合
- 強制不妊で追加提訴=宮城の男性2人-仙台地裁
「透析停止」と病状の死角
東京都福生市の公立病院で、腎臓病の透析治療を受けていた患者(女性、享年44)が、
人工透析治療の「停止」を医師に提案されこれを了承、
数日後に死亡していたことが毎日新聞の取材によって明らかになり、多くの論議を呼んでいます。
先日からこの透析停止問題が 母の点滴中止問題に絡んで気になっていましたので
今日はじっくり読んでみようと思っています。特に気になる部分をコピーさせていただきます。
日本では透析治療の停止は、病状の終末期のみ認められるガイドラインが透析医学会により採用されています。
「当院で悪意や手抜きや医療過誤があった事実はない」とするコメントが発表されました。
一般に「倫理」の問題は、善悪を判断する価値観そのものの選択が関係しますので、万人の納得する結論は得られにくいものです。
私たちの研究室では「低線量被曝のモラル」「自動運転車技術の倫理」「視聴覚メディア表現の倫理」など、この21年来、様々な倫理の問題を考えてきました。
今回の事態も明らかに厳しく倫理を問う必要があります。しかしそこで決着がつきにくいこともあらかじめ想定されるところです。
シロクロのつけにくい問題であればあるほどケジメ(しばしば、制度設計)が求められることになります。
■ インフォームド・コンセントの落とし穴
当該の患者さんは腎臓病を罹患後、約5年にわたって続けてきた透析治療で、
血液浄化のために腕に作った血管の分路「シャント」が使えなくなってしまい、
通院していた透析診療所が直ちに紹介状を準備、それを持ってカテーテルの挿入口を作ってもらうべく福生病院を訪れました。
腎臓病の治療そのものは内科の領分ですが、
透析ができるように通路を作る、患者さんの体にメスを入れるのは外科の領分です。
今日の医療では「インフォームド・コンセント」が徹底されているので、
治療法の変更や停止には本人の同意、また「同意書」などが非常に重要な意味を持ちます。
■ 「変化する主体性」に応じた 人間の尊厳を重視する制度の確立を!
女性患者さんは、透析に使う通路である「シャント」が「使えなくなったら透析はやめようと思っていた」とのことで
、8月9日、いったんは透析中止を決めて意思確認書に署名、
外科医は看護師と夫を呼んで再度意思確認。夫は迷いながらも中止を承諾。
もし、字義通りに取るなら、患者さん本人は「透析の中止」が「死に直結する」という医師の言葉の意味を、
もっと曖昧に捉えていた可能性が考えられるでしょう。
■ 人間の尊厳と主体性
刑法の故・團藤重光教授は、このような状況を「人間の主体性」という言葉を併用して議論されました。
法の条文や書類、判例などは動かず、変わりません。しかし、人間は時々刻々、内心が変化する生き物です。
そういう個人の「動く主体性」を、きちんと掬い取ってこそ、人間の尊厳を守ることができる。
それができない硬直した法や司法は、非人間的な訓詁の学、いわば朱子学のようなものだ。
しかし今回のような事態を直視し、さらに、情報化の進展など「私文書」の在り方が変化している時代状況を考えるに、
外科医が「重きを置いた」「正気なときの堅い意志」の評価と、
それを跡づける「同意書」は、意味や価値を相対化される可能性があるように思います。
女性患者さんの夫は「意思確認書に一度サインしても、本人が『撤回したい』と言ったのだから、認めてほしかった」と述べています。
しかし冷たい司法や過去の判例は、同意書(たぶん有印私文書でしょう)を重く見る可能性があるでしょう。
明らかに、正解のない問題です。
しかし、現在の制度や法だけでカタがつくことは絶対にあり得ない、
1つに定まらない答えを幾重にも問い続ける必要がある、非常に重要な問題がここに存在していると思われます。
何事にも完璧な事は無いのだけれど
その都度必要な同意書を書いたという事は 同意しましたという事だから
医師を責めることは出来ないと思いますが
同意書にサインをするときの説明が充分になされていたかどうか
サインをする側が どこまで理解できていたかどうか
私も母の治療に対して何回か同意書にサインしてきましたが
サインしないと 前に進めない 治療が進まない場合が多かったと思います。
どんな健康な人でも 万が一はいつ起きるか解りませんが
それが治療中であれば どうしても医師側のミスと言われがちになります。
私が何回か手術した時も
手術中なにかあっても それは仕方ありませんから 手術をして下さい的な同意書
胆嚢の手術の前は 担当医が たくさんたくさんの万が一を説明して下さいました
「え~~~~ぇ!?」って声を出してしまいましたが
先生いわく 『不安でしたら 手術は中止しましょうか?』と答えられました。
その先生は とても人間的にもいい先生で尊敬していましたので
お互い 笑っただけで 同意しました。
白内障の手術の時は
この時も とても尊敬できる先生だったのですが
「手術は 僕の手で行うものですから 万が一手が滑ることがあるかも知れません
万が一 くしゃみが出て 何かが起きる事もあるかも知れませんが
それでもよろしいですか?」 と言われ
この時も 笑いながら サインをしたことを覚えています。
鼻の癌のときは・・・・もう忘れましたが・・・・・
万が一は どんな人にもいつ起きるか解りませんし
同意書は 書いてもらわなければ ドクターも困ることでしょう
願わくは
患者本人 あるいは家族に 十分理解できているかどうかだと思いますので
すべての患者側が 東大出のように思われたら困ります
私たちのように ピンボケ家族もありますので
そこのところを 理解しておいていただきたいものだと思っています。
2019年3月10日撮影 紫陽花と水仙
願わくば青きふみふみ正義たて
咲きまっせ春が来たのよどの子にも
草っぱら寝そべるワンコの背も春が
避妊手術を勧めます。
(はなのかんがえ)☚良い案だと思います。
結局のところ、
それしか無いように思えます。