羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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千代翔馬、朝日龍、そして羽黒蛇氏。中村淳一、1月18日

2017年01月22日 | 読者からのコメント、中村淳一他読者の投稿

私が、力士の将来予測をする際、ポイントにしているのは、年齢である。
この年齢でここまで昇進しているのだから、過去の力士の例から言って、このあたりまで昇進するのではないか、あと、取口や、顔つきに大物感を感じるかどうかを加味することもある。
羽黒蛇氏から、千代翔馬は、大関になると思う旨のメールをいただいた際、新入幕が25歳で大関になった力士というのは記憶がない、と返信したが、すぐ、おやっと思って調べたら、霧島の新入幕が25歳だった。

朝日龍については、私も、羽黒蛇氏の書かれているように、相撲誌の座談会で、あまり高く評価されていなかったので、名前をあげなかった。

大学時代、飲み会の席で、当時、平幕で停滞していた千代の富士について、私は、もしかしたら大関になる可能性はあるかもしれないが、関脇どまりだろう、と予想した。対して、氏は、いや横綱になる、と断言された。
その氏が名前をあげた、千代翔馬と朝日龍。私も注目していきたい。

私事だが、私が高校三年の時、同じクラスに相撲好きが何人かいて、私を含め5人で、3番総当たり計12番、星取を付けて、武庫川の河原で、相撲を取ったことがあった。
その1場所だけの武庫川場所限定で、私が名乗った四股名が、朝日龍だった。

さらに私事。
羽黒蛇氏が創設された大学の相撲同好会、私は、3年の途中から入会した。相撲部の稽古が終わったあと、土俵を使わせてもらっていた。
稽古は自由参加。たまに5人程度以上集まり、その中に羽黒蛇氏もいたら、氏の音頭で、場所を開催していた。総当たりで、番数は、人数により、15番近くになるよう調整。記録は氏が管理。みんな四股名を付け、場所の成績により、番付が作られる。

中村淳一、1月18日
羽黒蛇氏は、優勝を何度も重ねた横綱。
私は、優勝は一度もできなかったが、二度、優勝決定戦に進んだことがある。その二度とも羽黒蛇氏に敗れ、結局一度も優勝できなかった。
が、二度目の決定戦進出の場所の終了後、その実績により、羽黒蛇氏より、大関にご推挙いただき、謹んでお受けした。
ゆえに、はばかりながら、今の相撲界に比定したら、羽黒蛇氏は白鵬。私は、稀勢の里ということになる。
羽黒蛇氏は、腕を前に出し、懐に飛び込ませない。前さばきで、対戦相手を翻弄する。相当に技巧的な相撲である。
私は、右四つ得意の四つ相撲で、氏より私の方が余程、本格的な取口だ、と自負しているが、勝てなかったのだから仕方がない。
この世界では、大関が横綱に物申すのは許されないこと、との自覚はある。
ごく稀に反論させていただいたこともあったが。

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