羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2012年5月場所前(真石博之)

2012年04月30日 | 相撲評論、真石博之
5月場所の資料をお送りいたします


○まず、5月場所の特ダネからです。政風と常幸龍の新十両昇進によって、学生相撲出身の関取が笠置山以来ちょうど100人に達しました。別紙『学生相撲出身関取』が、その100人の顔ぶれです。





100人のうち昭和での引退は12人だけですから、昔は強い学生相撲の選手でもプロの世界に入らなかったのです。マチュア横綱3回、学生横綱1回の実績を持ちながらプロには入らず、教え子から関取を輩出した元日大相撲部監督(現日大理事長)の田中英寿氏が好例です。





それが、平成に入って急激に増えたには二つの理由があります。一つは、大学が知名度向上のために、他のスポーツ同様に、競って有望な高校生を特待生として入学させたこと。もう一つは、史上、前例のない若貴人気による大相撲の繁栄によって、関取の待遇が大幅に向上し、良い就職口になったからです。不景気が続いた時代に、月給は平成13年には平成3年の2倍になり、年収は十両で最低1500万円、平幕で最低2000万円となったのです。





ところが数年前から陰りが見えています。別紙『学生相撲出身の幕内力士』の通り、平成16年に19人いた幕内力士が去年は9人、今年は10人と半減しています。その理由も二つ。一つは、アマチュア相撲で実績を上げた者に与えられる特典「幕下付出し」の基準が、全日本選手権に例をとれば「16位以内」から「優勝」になるなど極端に狭められ、学生相撲の利点が少なくなったこと。





もう一つは、22歳よりも18歳でのプロ入りの方が有利との判断が強まったことです。大学に進まず高校相撲から入門したのが、安美錦、琴奨菊、豊ノ島、寶智山、栃煌山、豪栄道、豊響、栃乃若たちです。





さて100人のうち既に引退した71人の最高位を見ますと、横綱は輪島、大関は豊山、朝潮、出島、武双山、琴光喜。三役以上が29人(41%)、平幕は23人(32%)、十両止まりが19人(27%)です。





100人を大学別に見てみると、日大が圧倒的シェアの39人。大きく水があいて、9人の近畿大、8人の農大、7人の中央と東洋、6人の明治と日体大、5人の拓大、3人の同志社と専修となります。





一門別に見ると、出羽海一門が44人と全体の半数近くを占め、他の4つの一門間に大差はありません。大学と部屋の関係では、日大と出羽海・尾上・入間川・三保ケ関・立浪・追手風と昔の花籠、農大と時津風、同志社と伊勢ノ海、近畿大と高砂・伊勢ケ濱、日体大と九重の結びつきがうかがえます。





学生相撲出身で初の部屋持ち親方になったのは先々代の時津風(豊山)で、昭和44年のことでした。現在は48の部屋のうちの12にまでに増え、出羽海一門では11部屋のうち7部屋の主が学生相撲出身です。学生相撲出身の主力は「日大」と「出羽海一門」ということになります。





○さかのぼって大阪場所。もともと大関候補の筆頭だった鶴竜が、琴奨菊と稀勢の里に先を越され、本人が「大関を意識して失敗してきたので無心で臨んだ」といいます。前半、綱取りを賭ける把瑠都を早い動きで圧倒。日馬富士には上手をとられる不利な体勢になったものの、「我慢に我慢して万全の態勢にしてから」と振り返った通りの展開で、最後は堂々の寄り切りで、力が逆転した勝ちっぷり。中日、稀勢の里の強烈な左おっつけを喰らって初黒星を喫したものの、翌日は、白鵬をいなして崩し、差し手は浅く、徹底して頭を下げ、相手が巻きかえにくる瞬間に引きつけて寄り、2場所連続で横綱に完勝。そして、13日目には優勝争いの単独トップに立ちました。ところが千秋楽、最後の塩を取りに行く時、前日まで平常心の無表情を保ってきた男の顔にはっきりと緊張が走り、格下の豪栄道に3秒7の電車道でもっていかれました。


修羅場の経験がまだ足りなかったのです。こうして初優勝こそ逸したものの、堂々の大関昇進です。





○千秋楽での鶴竜の思わぬ敗戦で転がり込んできた優勝決定戦を制して、白鵬が貴乃花に並ぶ22回目の優勝を決めました。去年一昨年の直近の10場所で、序盤中盤の10日目までの黒星は一つで99勝1敗と取りこぼしが極端に少ないこの横綱が、今年に入って、1月場所では10日目に、3月場所では9日目に、いずれも鶴竜に初黒星を喫しました。13日目には、稀勢の里の左おっつけ、右へのいなしに大きく泳いで押し出され、4秒足らずの完敗。直近8場所で4勝4敗とすっかり天敵を作ってしまった感があります。はや27歳になった白鵬が、「中盤戦で古傷が痛み・・・」と場所を振り返ったのが気になるところです。





○2年ぶりの大阪場所。大甘の「満員御礼」ながら、15日中9日も垂れ幕が下ったのは結構なことでした。これまでの2年間、「理事としての業績なし」と陰口をたたかれた貴乃花親方でしたが、新たに就任した大阪場所担当としての仕事ぶりは目を見張らせるものでした。





任命された翌週早々の2月6日には大阪入り、役所などありきたりの挨拶まわりだけでなく、吉本興業の「なんばグランド花月」のステージに上がって四股を踏んで見せ、Jリーグ・ガンバ大阪の開幕戦会場でファンにちゃんこを振る舞ったあとに始球式、15日間の「通し切符」のお客さんには切符を届けるなど、宣伝にこれつとめました。場所が始まってからは、観衆に触れる正面からの入場を全関取に命じ、自らも毎日2時から正面玄関で来場者を迎えました。





これまでの相撲協会の「見せてやる」の姿勢を改めて、「見ていただく」を徹底した、しかも人気の大横綱がそれを実践したことに大きな意味があったと思います。殊勲賞でしょう。





○2月、田子ノ浦(久島海)の急逝によって部屋が閉鎖され、3月場所での相撲部屋の数は48に減りました。その後、4月1日に北の湖部屋に「預り」となっていた木瀬(肥後ノ海)の処分が2年ぶりに解けて1部屋増えたものの、昨24日には、定年となった大島(旭國)が部屋を閉じ、力士らは友綱部屋に移籍。





さらに夏場所後には、経営難から花籠部屋が閉鎖され、峰崎部屋に吸収されるため、部屋数は47になります。最多だった平成16年の55部屋から8部屋減ることになります。





こうなった原因は、平成18年9月から、部屋持ち親方として独立できる条件が、従来の「すべての年寄に独立の資格あり」から「横綱大関経験者以外は幕内60場所以上か三役25場所以上」へと極端に厳しくなり、その直前の8月に独立した尾上部屋(濱ノ嶋)を最後に部屋の独立がないからです。





独立の条件がこのように変更された理由は、部屋が増える一方で入門者が減り、一部屋当りの力士数が少なくなり、「団体生活の中で礼儀作法や相撲の文化を学んでいく伝統が継承できない」ためとされています。ちなみに、3月場所での力士総数は前相撲を含め655人、部屋数は48、一部屋平均13.6人です。


       (別紙『部屋の独立と継承』『相撲部屋の増減と変遷』)


 


○その大相撲への入門者の数は、昨23年は60人で、これまでの最少だった平成21年の81人の3/4、最多だった若貴人気の平成4年の224人のほぼ1/4に減っています。男の子がいても大概は一人息子という少子化がずっと続いている中で、ここ数年は、弟子への傷害殺人や八百長など大相撲の信用を失墜する大事件が連続して起こり、親御さんとしては、息子を預ける気にならないのでしょう。そんなこともあってか、日本相撲協会は今年の3月に、新弟子検査の体格基準を変更しました。





身長は従来の「173cm以上」を「167cm以上」(春場所前の中学卒業見込者は「165cm以上」)に、


体重は従来の「75kg以上」を「67kg以上」に緩和しました。新しい基準は、従来の第2新弟子検査の


基準と同じです。ところが、第2新弟子に課されていた「基礎体力」のテストは廃止されました。これは


如何なものでしょうか。大きくて太っているだけで基礎体力がない若者を力士と呼びたくはありません。


まるで関係のない話ですが、北朝鮮は徴兵検査合格の最低身長を145cmから142cmに緩和しました。





○添付の番付等にある身長、体重は昨24日の測定値です。幕内の平均体重159.5kgは平成9年1月場所以来の史上最重量タイ記録です。                平成24年4月25日  真石 博之

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