相撲愛好家のツイート: 三田村鳶魚の侠客と相撲を読んでいる途中なんだけど、結局相撲はいつごろから神事になったのだろうか。というか職業相撲に神事の意識を取り入れたのはいつからなのか。
大達@OdateUzaemon: 私見ですが吉田司家の権威付けが発端と思っています。節会の時代はよく判りませんが、後年の江戸初期寄相撲時代には神事であるとの意識は無かったのではないでしょうか?
相撲愛好家のツイート: そうしますと谷風小野川くらいということになるのでしょうか?
三田村鳶魚によると、悪人のことを二つ名のある奴と呼ぶのは相撲取りが醜名を持っていることに由来しているそうで、谷風や稲妻などの一部を除いて、力士達は相当な鼻つまみ者だったらしいです。
大達@OdateUzaemon: 二つ名の由来は初耳です。しこ名自体元々浪人の職業力士が名を隠すためといわれてますね。
ただ、抱え力士が士分格だった事などもあるので鼻摘まみは言い過ぎな気もします。小力士の気性は荒かったようですが...
相撲愛好家のツイート: 二つ名云々は相撲が半素人集団だった時の話で、相撲が職業化されてからは自浄作用的なものもあり、かなり落ち着いたようです。抱え力士は滅多なことはできないでしょうし、確かに鼻つまみ者は言い過ぎでした。 中には学のあった力士もいるみたいですし。
大達@OdateUzaemon: 神事という件に関して言えば、土地相撲の延長としての儀礼があった程度で、普段の興行で強く意識されていたものでは無かったと思います。現代のような意識のされ方はおそらく近代に入ってから生まれて双葉時代に完成したものではないかと考えています。
相撲愛好家のツイート: そんなに最近なのですか!結局神事云々というのも生き残りの戦略的な面があるのかなと思いました。
大達@OdateUzaemon: 勧進からしてすぐ形骸化してますし、明治に入っても武芸としての観点が色濃く残ってる印象があるんですよね。天覧での節会再興、国技館開館を介しての「国技」としての意味付けがあり、最終的に昭和初期彦山氏等が細部に渡り神聖化したというのが真相だと思います。