平成20年9月のリーマンショックを発端として始まった
世界的な不況は今でも衰えることなく、
僕たちのすぐそばで微弱な胎動を続けている気がする。
しかし、
平成22年の秋のころから、
少しずつ景気がよくなっていく雰囲気が確かにあった。
産業構造の片隅で霞を食らう広告業界においてさえもが、
活況を取り戻 しつつあった。
それなのに、
平成23年3月11日をもって
日本はさらなる不況のスパイラルにまきこまれ、
濡れたTシャツを着ているかのように、
その不況感は僕たちの周りから離れない。
そんな平成23年が、
まもなく終わろうとしている。
平成23年は
本当に「あっ」というまに過ぎ去りゆこうとしている。
*
昭和40年のあのころ、
仮面の忍者 赤影に憧れていた僕たちは、
ランニングシャツに半ズボン姿で
刀を脇差にして近所の空き地を駆け回っていた。
首都高の建設工事は続き、道路整備が進む一方で、
都電は相次いで廃止されていった。
東西線や千代田線など地下鉄の開業と
民営鉄道との接続、延伸が進んだ。
高度経済成長期の真っただ中、
大人たちは慌ただしく、汗にまみれて働き続けた。
給与は毎年上がり続け、不動産価値も下がることを知らなかった。
夜、
大人たちは扇風機の前でキリンラガービールを飲みながら
テレビの野球中継に興じていた。
長嶋がヒットを打つと、赤いグローブの柴田が本塁を狙った。
子供だった僕たちは、
そんな大人たちの大きな背中を見つめ、
大人たちに守られているという 安心感を 覚えていた。
そして足元に豆炭あんかの置かれた布団の中で
ぐっすりと眠った。
◇
平成23年は、
そんな昭和のエートスがまたひとつ、
なくなった年になった。
*
内田樹は著書「昭和のエートス」の中でこう語る。
『一九五〇年代から六〇年代初めまでに
日本社会に奇跡的に存在したあの暖かい、
緩やかな気分を「昭和的なもの」として私は懐かしく回想する。
歴史の進歩と科学への信頼と民主主義の全能への夢が
まだ リアリティを持つことのできた時代がかつて存在した。
そして、存在することを止めた。
その息の根を止めることに私たちは間違いなく加担してきた。
それゆえに、「昭和的なもの」を回想するとき
私はいたたまれない気持ちになる』
*
まもなく平成24年がやってくる。
新しい生命が育まれる。
子供たちは進級を続ける。
高校生になる。
大人になった僕たちは
子どもたちのために、
そして僕たち自身のためにも、
前へ進んでいくことを厭わない。
*
多くの過ちを
僕もしたように
愛するこの国も
戻れない
もう戻れない
あの人がその度に
許してきたように
僕はこの国の
明日をまた想う
広い空よ僕らは
今どこにいる
頼るもの何もない
あの頃へ帰りたい
生まれくる子供たちのために
何を語ろう
(何を語ろう)
君よ
愛する人を守りたまえ
大きく手を広げて
子供たちを抱きたまえ
ひとり
またひとり
友は集まるだろう
ひとり
またひとり
ひとり
またひとり
(生まれくる子供たちのために/小田和正)