相当に有名な曲なのだろうが,恥ずかしながら僕はこの最終コーラス部分しか知らなかった。「Iユm dreaming of a white Christmasノンーンーンー,ンーンーンンー」と冒頭部分しか歌えない「ホワイトクリスマス」とどっこいどっこいだ。
この歌で知られる日本人の歌い手は森山良子さんであるが,調べてみるとその歌詞がわかった。
「思い出のグリーングラス」(作詩 J.Hall・山上路夫 ,作曲 C.Putman)
汽車から降りたら 小さな駅で
迎えてくれる ママとパパ
手をふりながら呼ぶのは
彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
帰った私をむかえてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
昔と同じの 我が家の姿
庭にそびえる 樫の木よ
子供の頃に のぼった
枝もそのままよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
悲しい夢みて 泣いてた私
ひとり都会で迷ったの
生まれ故郷に立ったら
夢がさめたのよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
笑顔でだれもむかえてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
笑顔でだれもむかえてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
長い間,故郷を離れていた女が帰郷する。小さな駅では年老いた両親が彼女を優しく迎えてくれる。傍らでは懐かしい彼が元気に手を振っている。昔と少しも変わらない我が家の庭には,やはり変わらずに昔握った枝もそのままに樫の木が立っている。ひとり都会に出て,青春の蹉跌を噛みしめた彼女。再び故郷に帰ったそのとき,夢から,それも悪い夢から覚める思いがしたはずだ。みんなが笑顔で自分を迎えてくれるし,懐かしい故郷の緑も思い出のままだったのだから。
この曲のスイートなメロディラインにふさわしい何と郷愁をかきたてる詞であることか。
「思い出のグリーングラス」の原曲は英語だということはなんとなく知っていたように思う。音楽に詳しい知人に聞いてみると,この曲は1960年代の中頃にトム・ジョーンズがヒットさせたものだということがわかった。
トム・ジョーンズという大物ヴォーカリストの名前はもちろん僕も知っていた。おそらくそうとは知らずに彼の歌う曲を耳にしたことは何度もあるのだろうが,積極的に聞いてみようと思ったことはこれまでなかった。この際,一度聞いてみようか。何より「思い出のグリーングラス」の英語の詞を知りたいし…
タワーレコードで貯めたポイントを使って「トム・ジョーンズ グレイテストヒッツ」を買ってきた。2600円もした。
「思い出のグリーングラス」は5曲目に入っていた。
ライナーノーツにはこうある。
「5.思い出のグリーン・グラス…1966年,イギリスで1位(ミリオンセラー),アメリカで11意になった曲。仔猫ちゃん(「何かいいことないか仔猫ちゃん」という同名映画のテーマ曲。1965年にヒットしたらしい)とはまたガラリと変わった鷹揚なシンガーっぷりが見事」
そして「思い出のグリーングラス」の英語の詞-
Green, Green Grass Of Home
The old home town looks the same
As I step down from the train
And there to meet me is my mama and my papa
Down the road I look and there runs Mary
Hair of gold and lips like cherries
It's good to touch the green, green grass of home
Yes, they'll all come to meet me
Arms reaching, smiling sweetly
It's good to touch the green, green grass of home
The old house is still standing
Though the paint is cracked and dry
And there's that old oak tree that I used to play on
Down the lane I walk with my sweet Mary
Hair of gold and lips like cherries
It's good to touch the green, green grass of home
(Spoken)
Then I awake and look around me
At four grey walls that surround me
And I realize, yes, I was only dreaming
For there's a guard and there's a sad old padre
Arm-in-arm we'll walk at daybreak-
Again I'll touch the green, green grass of home
Yes, they'll all come to see me
In the shade of an old oak tree
As they lay me neath the green, green grass of home
汽車から降りると,懐かしい故郷の街は何一つ同じままのように見える
ママとパパが私を迎えに来ている
道路に目をやると,メアリーが走ってくる
金色の髪とさくらんぼうのような唇
緑,そして緑の故郷の草に触れることができてよかった
そうさ,みんなが私に会いに来てくれるだろう
腕を伸ばし,優しく微笑みながら
緑,そして緑の故郷の草に触れることができてよかった
壁のペンキはひび割れて乾いてしまっていても
懐かしい家は今でもそこにある
そして昔よく登って遊んだ懐かしい樫の木もある
かわいいメアリーと一緒に小道を歩いてゆく
金色の髪とさくらんぼうのような唇
緑,そして緑の故郷の草に触れることができてよかった
(語り)
そして目が覚め,あたりを見回す
灰色の四面の壁が私を取り囲んでいる
そして私は気づく
ただ夢を見ていただけだってことを
だって看守がいるし,悲しげな老神父がいるのだから
夜明けには腕を組まれ,私は歩いてゆくだろう
またもう一度,緑,そして緑の故郷の草に触れることができるんだ
そうさ, あの懐かしい樫の木の木陰で
みんなが私に会いに来てくれるだろう
緑,そして緑の故郷の草の下に私を横たえてくれるときに
故郷の人たちと緑を懐かしく思うというテーマは同じなのだが,森山良子さんの歌う歌詞の内容とは著しく違っている。日本語版では,故郷を離れ,都会でつらい思いをした女が主題であったが,原語の方は男だ。
衝撃的なのは「語り」の部分である。故郷を思う夢から覚めると灰色の四面の壁が男を取り囲んでいる。傍らには看守(guard)と悲しげな老神父(a sad old padre)がいて,夜が明ければ男は2人に腕を取られて歩いてゆくことを男は知っている。どこへ?灰色の壁,看守,老神父…考えられるのは一つ,死刑台だ。つまり,Green, Green Grass Of Homeは死刑囚が処刑前夜に見た故郷の夢を歌った悲しい物語であったのだ。
男はどんな罪を犯したのだろう。人を殺したのだろうか。この曲は反戦歌手であるジョーン・バエズも好んで歌ったものであるというから,男は戦争にかかわっていたのだろうか。故郷の大きな樫の木は南部の大農場を連想させる。だとすれば南北戦争に関係しているのかも知れない。アメリカ深南部において自由と奴隷という矛盾,不条理に巻き込まれて男は人を殺してしまったのだろうか。どれも推測の域を出るものではない。
詞からわかるのは,男がどんな罪を犯したにせよ,それは死刑を宣せられるほどの重罪であったということだけだ。男は都会での挫折とは比べものにならないほどの苦悩と苦しみを抱え,今処刑台へ向かおうとしている。そんな男の願いはただ一つ。生への執着ではなく,あの懐かしい樫の木の木陰で懐かしい故郷の人たちに見守られながら,「思い出のグリーングラス」の下で永久の眠りにつくことだけである。
何と壮絶な詞であることか!
それにしても,と僕は思う。なぜ「樫の木」なのであろうか。人生の最後を目前にして,思い浮かべる故郷の風景の象徴がなぜ「樫の木」なのであろうか。
前に,テレビ東京で放送された「ゲルニカ」のことを紹介したときにも樫の木が登場した。
「もうここに勤めて何年になるんだろうな。この町のシンボル,バスクの議事堂に。昔からこの地方の政治をまとめていた由緒ある議事堂なんだ。そしてもう一つ」と一人の男性が木に向かって語りかけます。「今日もお元気ですか。雨の日も風の日もあなたはここに勤めて600年になるんですなあ。全く頭が下がりますよ。あなたもこの町のシンボルでしたね。樹齢600年の古い樫の木のあなた。昔はあなたの下にバスクの長老が集ったそうですってね。そう,あなた,この町のことは何だって知っている。喜びも悲しみも。あの日起こったことも。あの日はまさに地獄だったって。ああ,でも何であのことを描いた絵にピカソさんは議事堂もあなたも描かなかったんでしょうね。ゲルニカの絵だってわからないじゃないですか。あの人,この町のこと,どう思ってんだか」
西洋人にとって「樫の木」には何か特別な思いがあるのだろうか。