放研 MGBS
新歓コンパ
さらに店の名前と電話番号,および開始時刻まで記されていたかも知れない。だが,もちろん僕はそれらを覚えていない。先週末に行った酒場の名前さえ僕の記憶から消されてしまっているのだ。
目黒駅伝言板とて,とっくの昔に抹殺されている。
「駅の伝言板」というものを知っているかどうか,今の僕の仕事場にやってくる大学生たちに訊いてみた。知らない,ネットで見たことがあるような気がする,と彼らは答えた。パソコンや携帯電話のディスプレイに現れるもの以外は知らないらしい。何と,テレビもあまり見ないと言うのだ。駅の伝言板を抹殺し,手紙を安楽死させ,テレビの首に手を掛けている主犯が当の携帯電話だとは!
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ただ一人カツさんだけは新歓コンパの行われた店の名を記憶しているかも知れない。その店はカツさんが働いていた銀座のパブだったからだ。カツさんは当時,3年生の放研部員だった
大学を卒業し,いい年になり,何度かカツさんがマネージャーを務める店に行った。シンがわざわざだか,偶然だか探り当てたのだ。まったく,こいつは。そこは,それほど高価なものを注文した覚えはなくとも,お店の女性従業員と話をしていると,瞬く間に請求額が一次関数的に上昇してゆくスリリングな場所だった。もっとも,カツさんなりの心遣いはところどころに感じられはしたのだけれども。
有楽町のガード下にある「バーデンバーデン」で,まだ夕闇の残る客の姿もない開店時,ドイツのホフブロイという生ビールをよーし飲み始めたぞと,ああうまいぞ!と思っていると,いつの間にか店は満員になっていたりしたものだった。誰が言い出したのか,気がつくと僕たちは深夜の六本木にいたりしたものだった。その頃,カツさんが働いていた店が六本木界隈にあったからだ。
アルバイトの学生たちに,「クラブ」を知っているかと訊いた。「クラブですか?」と,「ラブ」にアクセントを置いて,訊き返された。
ディスコというやたらと騒々しい大箱を沈黙させたのは,90年代のバブル景気崩壊による「失われた10年」だった。ひとつの共同幻想が霧散し,目の前の現実が徐々に荒涼とした世界へと変貌してゆく。漠然と感じられていた不安がやがて恐怖の叫びを上げ,慌ただしく遮蔽フィールドを形成する。その剥き出しの不安を包む閉鎖的空間がアルバイト学生たちの言う「クラブ」や,携帯電話という小箱であったのでないだろうか。マジョリティ文化が臨界点を越え,無数のマイノリティ文化へと核分裂してゆく。そして無限に増殖するマイノリティという新たな次元の共同幻想が誕生する。アングルが政治から経済・金融に移行しただけで,何のことはない60年代アメリカを再演していただけだ。
言うまでもないことだと思うけれど,30代の僕たちがやや錯乱気味に深夜に叩いていたのは,アルバイトの学生たちが言う「クラブ」のドアではない。
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スケキヨがフロアで首をねじ曲げながら苦しそうにもがいていた。彼に言わせると,「ひっくり返ったカメが元へ戻るところ」を演じていたそうだ。放研の新歓コンパでは,新入生は何かひとつ芸を披露しなければならないことになっていたからだ。
僕は歌は下手だし,楽器も弾けない。手品だって出来やしないし,ましてや「ひっくり返ったカメが元へ戻るところ」を演じることもできない。順番が来る前に,早く何かを考えつかなきゃ。
例によって,僕は,突然親とはぐれてしまった野ネズミのような気分になっていた。
どうしよ。どうしよ。どうしよ。
そのとき,ユカリが僕の名前を呼んで,オイデオイデをしていた。
ユカリとジュンコが,六本木のカツさんの店で従業員がしていたように,ヨウスケさんを挟んで座っていた。ユカリとジュンコは僕と同じ新入生で,ヨウスケさんは4年生の放研OBだった。放研では新歓コンパに4年生も参加することになっていて,ユカリたちはヨウスケさんの相手をしていたというわけだ。3年後,僕も新歓コンパに参加した。だが,そのとき僕の相手をしてくれたのは1年下の,つまり3年生になったばかりのボブだった。
「そこに座って,ヨウスケさんにお酌して」とユカリが言うので,僕はそうした。「ほら,自己紹介しなさい」と続けざまにユカリが親ネズミのように言うので,やはり僕はそうした。
ジュンコが僕の前にグラスを置くと,ヨウスケさんがビールを注いでくれた。
「ヨウスケさんも,もっと飲んで下さあーい」とジュンコが黒目がちな瞳をちょっと潤ませて,ビール瓶を両手で抱えた。
「いやあ,君にそう言われると,ついつい飲んじゃうね」とヨウスケさんは努めて落ち着いた口調で言いながらも,グラスに残ったビールを一気に飲み干した。3年後,僕がボブと話をしている頃,シンとカズユキはヨウスケさんと同じことをする。こちらは落ち着きなどということは一瞬たりとも思い浮かべることなく,思い切りウレシそうに。
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何気なく見逃してしまいそうなシーンだが,おそらくこれが「クラッシャー・ジュンコ伝説」の最初の1滴である。
良家のお嬢様らしい清楚な笑顔で,「もっと飲んで下さあーい」とジュンコがビール瓶をかざすと,大抵の男は浮かれてグラスを空にする。耳を澄ませば,そのとき「カーン!」とゴングが打ち鳴らされる音が聞こえるはずだ。「スゴーイ!もっと飲んで飲んで!あたしも飲んじゃおうかな」などと口元からチャーミングな八重歯をのぞかせつつ,ジュンコがグラスを差し出すと,男たちは「おおっ!いいねえ」と喜色満面,「オットット」などとグラスにビールを注いでやる。「ハイ,そっちも飲んでね」と再びジュンコがビール瓶を持ち上げる。男たちはいよいよ逆上してグラスを空にする。いつしか,ビール瓶が一升瓶に,ウイスキーのボトルに変身してゆく。もう走り出したら止まらない。ブレーキの壊れた車のように,男たちは倒れるまでグラスを呷り続ける。おそろしい。僕はこれまで,一体何人の男たちが「クラッシャー・ジュンコ」を前に崩れ落ちてゆくのを見てきただろうか。ちなみに,シンとカズユキと僕も幾度となくジュンコの前に倒れていったものだった。しかし,僕たちの場合はたんなる自滅だった。
僕たちが2年のときの夏合宿で,「クラッシャー・ジュンコ伝説」は真夏の絶頂に到達する。大広間に設けられた宴会場で,ある者はテーブルに突っ伏し,ある者は仰向けに眠りこけ,またある者はごみ箱を抱え,そしてまたある者は寝ゲロ防止用のビニール袋をかぶせられている。その死屍累々たる瓦礫の中を,一升瓶を片手に持ったジュンコが行進してゆく。僕は薄れゆく意識の中,その光景をまるで映画のワンシーンのように眺めていた。
僕が演出してもいいのなら,新歓コンパでヨウスケさんとマツダさんを相手にしているシーンを皮切りに,3年生のクニさん,タケナリさん,2年生のケイさん,ノダさん,マツオさん(文連)たちが微笑むジュンコを前に次々とグラスを傾ける映像をコラージュしてゆく。BGMは,スメタナ作曲「モルダウ」だ。(ジュンコを前にシンがビールを手酌で注いではぐいぐいと飲んでゆくカット,たまプラーザの駅でシンがジュンコを見送るカットを挿入)そして僕らの代になるとジュンコの手には一升瓶が握られ,イワナミのコップにお酒がなみなみと注がれてゆく。(自滅するカネコのカットを挿入)イワナミは何杯も何杯もコップを空にし,ついにはコップを握りしめたままうなだれてしまう(ジュンコを前にカズユキが日本酒を自らどんどん飲んでいくカット,たまプラーザの駅でカズユキがジュンコを見送るカットを挿入)イワナミの手から転がり落ちるコップ。「モルダウ」がクライマックスに達する頃,この夏合宿のシーンへ。1年のヒデキ,ケイタロウ,ボブ,リキマ,オオマサ,カメたちが次々に倒れ,ヨロヨロと空のビール瓶を倒しつつ,瓦礫の中をゆくジュンコ。「モルダウ」のクライマックスが終わる頃,画面をフェイドアウトさせつつ,真夏の輝く太陽をフェイドイン,そして真っ白にフェイドアウト。
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「高校球児だったんですよ」とユカリがヨウスケさんに,僕のことを指して言った。
「甲子園,行ったの?」とヨウスケさん。
「いえ,そのちょっと手前まで」
「ん?どこらあたりまで?」とヨウスケさんが訊くので,僕は3年前の夏の話をした。あまり思い出したくはない夏だったが,ヨウスケさんは話を合わせるのも,聞くのも上手で,僕は気がつくとあれこれと演技を交えて喋っていた。途中でやはり4年生のマツダさんも加わり,ユカリとジュンコは2人の4年生に一生懸命お酌をしていた。そんなことで静かに盛り上がっているうちに終わりの時間が来た。おかげで,僕はできもしない芸をしたあげく,みんなの前で恥をかかなくて済んだ。
ユカリ,あのとき僕をテーブルに呼んでくれてありがとう。それとも,初めからそうしてくれるよう,打ち合わせておいたんだっけ?
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この頃,僕はユカリと仲が良かった。
新歓コンパが終わり,5月のある週末に初めての年次会があった。年次会とは同学年のサークル部員による親睦会のことで,場所は年次長に選ばれたシンがアレンジした。「ラ・スカラ」という渋谷にあったディスコだった。
その帰り道,公園通りをぞろぞろと連なる84年度放研部員たちのスナップショット。このスナップショットを虫眼鏡でのぞき込めば,僕はたぶんユカリと肩を並べて歩いているはずだ。僕は目も細く,マユミが言うには「でかくて,コエエ」顔をしているので,どの写真の顔も不機嫌そうに見えるが,僕は僕なりに楽しんではいるのだ。踊りなど踊れないが,このときももっとよく虫眼鏡を見れば,楽しんでいるように見えなくもないはずだ。
携帯電話はさまざまなものの息の根を止めたが,スナップショットの息の根を止めることだけはできない。
あるときまで,僕の机の引き出しにはこのときにもらってきた「ラ・スカラ」のキーホルダーが入っていた。もちろん,今はない。
「昔あの丘の上に風車小屋があった。今はない。だが,風は今も吹いている」と以前どこかで誰かが言っていた。 (す)