餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

もういくつ寝ると 2024(アルバム整理と大谷くん)

2023-12-17 11:45:09 | 中央林間DAYS
小梶兄の影響をうけて、
アルバムの整理をしてみた。

兄の言葉
『大事な写真とゆうのも、
そう多くはい』

に強く共感したからだ。

僕は意を決し、
押入れの奥を占拠し続ける
カビ饐えた古いアルバムたちと
対峙することにした。



刹那たじろぐ。

けれど
何も全てを捨てようと
ゆうのではない、
『消去ではなく圧縮』
すれば良いのだ、
兄は僕にそう教えてくれていた。

まずは
1965年の北千住から
竹ノ塚、
1988年の白金あたりまで
およそ23年間を
圧縮してみた。



すると
長かったように思えた
その歳月は、
無印良品で買った
990円のB5サイズ・アルバム
一冊20Pに
ピタと収まってしまった。



整理されたアルバムが
こころなしか
墓石に見えてきたのだが、
気のせいだろうか。



アメリカのメジャーリーグ、
エンジェルスから
ドジャーズに移籍した
大谷翔平くん、
民放テレビ各局は
こぞって彼の情報を
流し続けている。

グングンと筋肉をつけて
ものすごい体躯へと変貌する
大谷くん。
僕は大谷くんの体躯を見るにつけ、
現役晩年の
清原和博を思い出す。

筋トレで作り上げられた体躯が
清原の両ひざに与えた
負担や影響を
はかり知ることはできない。
けれど
筋トレが
現役引退の遠因のひとつではない、
とは言い難いのではないだろうか、
そう思う。

なので僕には
大谷くんがストイックに鍛える
その体躯をみるにつけ、
彼が「生き急いでいる」
そのように見えてしまって
仕方がない。

すると
そのことに符合するような
大谷くん自身の発言を
聴く機会があった。

ドジャーズへの入団会見である。

会見で大谷くんは
次のように(はっきりと)
語るをみて、
僕は茫然とした。



『競技人生が
 終わりに向かっている
 と考えると、
 今を楽しまないと』

『終わりが近いだけに
 もったいない』



この言葉って、
10年総額1015億円の契約を結び、
夢と希望に満ち溢れた
順風満帆の
29才の男の子
の言う
セリフであろうか。

ある意味において
この言葉って、
大谷くん自身が
野球人生の終活に入っている、
そう本人が
言っているに
等しくはないだろうか。

ここで僕が言う終活とは、
人生の終わりに向けた
潔い身支度ではない。

いつの日か
必ずや迎えるであろう
終わりの日を
しっかりと見据えながら
今をキチンと生きる、
とゆうことである。

キチンと生きる、
とは
考えることであり
楽しむことであり、
そして
身辺をちゃんと整えておくこと、
そんな風に思う。

だから僕には
大谷くんが
自らの「生き急ぎ」感を
自覚している、
そう感じた。

そして
29才の男の子
の悟りの声に注目したマスコミは
きっと少ない。



年末に遊びに来る妹家族や
長女・次女、
と飲むために
青葉台でワインを買う。






年内、
今度は亡くなった母の
アルバムを整理しようと思う。

うーん、
年内にできるかな、
年が明けてからになるかな。
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もういくつ寝ると 2024

2023-12-17 09:46:17 | 中央林間DAYS
もういくつ寝ると 2024、
そんな年末になってしまった。

なんだか
あっとゆうまだったな…。

はたして2023年って
一体全体、
自分は何をしていたのだろう。

マンションの窓の向こう、
藤沢方面に広がる
青い空をボーっと見つめながら
しばし考えてみる。

けれどうまく思い出せない。

こんな時は
スマホの写真を見てみると良い。

あまり写真を撮らない自分だが、
それでもそれなりに、
何枚かの写真が並んでいる。



あっ・そうだ、
4月は長女の結婚式があったのだ。

うーん、
これはこれで
いろいろと書けそうだが、
うーん、
今はやめておこう。
さまざまな思いが
去来した一日だった。

そして
挙式から数週間の後、
父が亡くなった。

翌5月、
父が亡くなったことを報告すべく、
千住市場を訪れている。
生前、
父が仲良くしていた鶴本さんが
まだお店を開いているかもしれない、
そんなかすかな期待を持って訪れた。

残念なことに
鶴本さんが経営する今和商店は
昨年末12月に閉店されたようで
父の死を報告することは
叶わなかった。

しばらく
市場の中をぶらついてみる。

子どものころ、
父に連れられてよく訪れた市場。
高校時代の冬休みには
今和商店で
バイトをしていたことがある。

こんなにもこぢんまりとした
市場だったっけかなぁ…。

さら地にされた数多くの店舗跡地

アスファルトを黒く染める水道水

血抜きされた魚が眠る
氷詰め発泡スチロールのにおい

ダットサンのエンジン音

まぐろを真っ二つに割る解体機





9月、
タケちゃんとサザンのコンサートへ。

桑田佳祐の歌声は
キャパの狭い茅ヶ崎公園野球場に
収まりきらないようで、
近隣マンションや住居の多くから
ペンライトの光が瞬いていた。

自分は一曲目、
「C調言葉に御用心」
が演奏された刹那、
予想だにしない涙が
不覚にも頬をつたった。



いつも
いつも
アンタに迷惑かける
俺がバカです

波に消えた人の名を
呼ぶなんて

今宵
ふたりで
翔んだつもりで
抱いて
震えるだけで

分かり合うはずもなく
別れてく





10月、
真正会空手、
全日本大会のスタッフとして
大阪へ。

高田馬場でともに汗を流す仲間、
そして
札幌時代の仲間たちが
奮闘激戦する姿をみて、
大きくこころ揺さぶられた。

この日、
重量級準優勝したカラムさんは
時に自分にこう語りかける。

Sekikawa san, You should try !

空手を習い始めて
まもなく20年…、

そうだな…
無理のない範囲で
試合に向けて頑張ってみようかな、
と思う(ことがある)。

けれど、
無理をしないと
空手の試合では勝てないことも
自分はよーくわかっている。

次回は来春、
全関東大会がある・とゆう。

うーん、
どうなることやら…。





11月、
大学時代の仲間と新宿で一献。

みんなから
シンちゃん
シンちゃん、
そう呼びかけられると、
大学時代の自分に
ココロがトリップしてゆく。

そう、
自分はシンちゃんなのだ
(だったのだ)。

そのことを
すっかりと忘れていて、
みんながそのことを
思い出させてくれて、
それが
とても
とても
うれしかった。

これからも
気が置けない仲間たちとの
こんな一瞬を大切にしたい。

今さらながら
その時の写真を見てみる。

すると
キヤスの声が聞こえてきた。

「おい、金子ー、
 アクビをするなよ~」





2024年、
穏やかな日々が続きますように。

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チャラアゲ、Life goes on、そしてhappy go lucky

2022-10-26 08:53:21 | 中央林間DAYS
夏のある日、
ウォーターズ竹芝の3階テラスで
信ちゃんと二人
夕涼みのビールと決め込んだ。

左手には汐留のビル群、
右手には月島の高層マンションが
立ち並ぶ。

真正面、
築地市場跡地の奥向こうには
夕陽を浴びたスカイツリーが
青白くそびえ立つ。

浜離宮から
蝉の鳴き声が聞こえていた。

信ちゃんは
白金高校時代からの友人、
チャラかった1980年代を
ともに過ごした友人のひとりだ。

信ちゃんはこう言う。

 セキカワくん、
 これからはね、
 もう終活だよ
 終活、
 終活しなくちゃ

少しの間をおいて
僕はこう答えた。

 終活?
 まだ早いでしょ?

信ちゃんは
大きくかぶりを振って

 いや、
 終活だよ、終活
 いろいろと考えると
 あと何年生きるかわからない、
 そう思ってね

 この年だからこそ
 この年なりに遊ばなくちゃ、
 俺たちは

 最近はそう思ってね
 あのころを一緒に過ごした
 みんなに会って
 ダベったり酒を飲んたりして

 そんな終活を続けているのよ

なるほど、
信ちゃんの言う終活とは
人生の終わりに向けた
潔い身支度ではない。

齢60を前にした今、
-俺たちは
過ごしてきた時間を
時に思い返してみたり、
これからのことを語らってみたり、
そんな時間を持つことが
今はきっと大切なんじゃねぇか
だから
そういった時間を持とうよー

信ちゃんが語る終活とは
そのような意味合いだと受け止めた。

御意、
昔みたいにチャラく遊ぼう
信ちゃん。

チャラく遊ぶったって、
もはや高が知れている。
まちに出て何かを観て・感じたり、
1980年代を過ごした友人と
時にこうして酒を飲み交わしたり。

その程度のことだ。

信ちゃんは笑顔でこう言った。

 そうよ、
 またチャラく遊ぼうよ、
 チャラく

 チャラい・アゲイン、
 略して『チャラアゲ』だよ

 呵々







木曜夜にだけ通っていた空手稽古だが、
最近は
日曜昼のコースにも通っている。

なぜでしょう。

この齢にして、
道場に行くたびに新しい発見があり、
その学びが楽しいからだ。

いかにして
自分の身体とこころを
コントロールするか、
そのためには「緩めて集中」する
そのことが肝要である、
鈴木先生と子安先生はそう教えてくれる。

夜、
カラムさんと高田馬場「鳥やす」へ。
稽古終わりからの一献は半年ぶり。

都内の高校で英語を教えるカラムさん、
33才の彼とは空手のことのみならず
生き方のことも含めて
さまざまな話をしている。

 セキカワさん、
 僕は " Life goes on "
 そう思う。

 この言葉が大好きです

 Life goes on

 そう、
 Life goes on

感覚的な解釈かもしれないけれど、
きっとカラムさんは僕に
「日々の暮らしっていろいろだけど」
「そうやって毎日は過ぎていくのだ」
「そのことをよくよく理解しよう」
そう伝えたかったのかもしれないな、
帰りの地下鉄の中で
そんな風に思ってみた。

タカちゃん、どうでしょう。
もっとシンプルな解釈かな。



12月、
襟元のマフラーをグっと締め、
三軒茶屋へ。

この夜、
人見記念講堂では
大貫妙子さんのコンサートが
催されていて、
ひとりフラりと訪れてみた。

コムデギャルソンの
カラフルなワンピース姿の大貫さん、
この夜は
シーケンサーで1980年代の音源を再現、
生のバンドと合わせての
コンサートとなった。

当時の音源には
坂本龍一さんが大きく関わったことを
会場を訪れたファンの誰もが
知っている。

 坂本さんは元気です

大貫さんはさりげなく、
坂本さんの今を教えてくれた。


happy go lucky
今日も元気で

good, good, you're so good
うれしいときも
かなしいときも




さて本日はクリスマス。
あっという間の2022年でした。



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10月に思う

2022-08-29 09:17:58 | 中央林間DAYS
ようやくと
映画『英国王のスピーチ』を鑑賞。

第二次世界大戦の足音が
背後に迫るイギリスで、
吃音に悩むジョージ6世と
その治療に挑む言語聴覚士ローグ、
ふたりの過ごした時間を中心に
史実に基づいて描かれた映画だ。

興味深かったのは、
ローグの非医学的な吃音治療ではなく、
ローグがジョージ6世に対して
カウンセリング的なアプローチで
彼のこころを紐解いていくシーン。

ローグが国王を愛称「バーティ」、
そう呼びかけられる間柄になると、
国王は自身が受けた不遇の幼少期を
自己開示的に少しずつ語り始める。
そして
ローグはその不遇を
しっかりと受けとめる。

すると
共感的に理解されたと感じた国王自身は
自己の不遇から目をそらすことのなく、
そのことをしっかりと受け止めていく。

臨床心理学者カール・ロジャーズは
そのような受けとめ方を
[無条件の肯定的なまなざし、
 というか、受容していくこと]
(unconditional positive regard
 or acceptance)

とした。


* * *


日曜の昼、空手道場へ向かった。

普段は木曜夜の中級コース、
もしくは
月曜夜の初級コースにしか
足が向かない。

なのになぜ
日曜の一般コースへ参加したのか。

実は日曜の一般コース、
自分と同年代のお父さんたちが
多数参加している、
そんな情報をゲットしたからだ。

はたして道場には
年端も変わらない
たくさんのおじさんたちがいた。

わきあいあいとした稽古の後、
更衣室で高橋さんに声をかけられた。

「セキカワさん、
 これからメシ食いに行きますけど、
 一緒にいかがですか」

「お、いいですね!行きます!」

「行きましょう、
 大人の部活は部活後が大切です」

「大人の部活…なるほど!」

57にして
自分が空手を続けていく、
その目的はあくまでも健康維持だ。
もちろん少しずつでも良いから
心身ともに強くなりたい、
そうも思っている。

そんな思いだけで
長らく空手を続けている。

そうか、
自分にとって空手とは、
きっと「大人の部活」なのかもしれない。

そう考えると
ガシガシ厳しいだけではなく
ワイワイ楽しい空手であることが
とても心地よい。

このあと大人の放課後は
高田馬場駅横の居酒屋で
夕焼けの時間まで続いた。


* * *


大学時代、
同じゼミだったかおたんと
町田で夜ご飯を食べた。

彼女はフと、
こんなエピソードを聞かせてくれた。

「ある日、
 私とキヤポンとシンちゃん、
 3人で掲示板を見たら
 私たちのゼミが休講って書いてあったの
 
 時間を持て余した私たちは
 そのあと3人でお茶したのだけれど、
 覚えている?」

「全く、
 覚えていませーん」

「その時にね、
 こんな話になったの」

「ほー」

「もしも自分の目の前で
 彼女が暴漢に襲われたら
 どうする?って」

「ほー」

「そうしたらシンちゃんは、
 『そいつをぶっ殺す』
 そう言ったのよ」

「ほー」

「次にキヤポンはこう言ったの、
 『まずは警察に通報する』
 って」

「   」

「キヤポンらしいよね」

「   」

かおたんは
フルーツサラダを小皿に移すと、
マスカットをフォークでつつきながら
こう呟いた。

「キヤポンのことを
『キヤス』って呼んだことがないの」

「   」

「ほかの女子が『キヤス』って、
 みんな呼んでいて。

 でも私は
 なぜか『キヤス』って呼べなかったの」

「   」

「『キヤス』って、
 そう呼んでみたかったな、
 今は、
 今はそう思う」

「   」


* * *


仕事で徳島へ向かった。

徳島には思い出がある。
今から6年前、
一週間ほどをかけて
キヤスと四国旅行をした際、
その初日に訪れたのが徳島だったのだ。

仕事終わりの夜、
この日を共に過ごした田山さんを誘って
居酒屋「安兵衛」に向かった。

安兵衛は
キヤスと一緒に訪れた居酒屋だった。

僕のトツトツと語る
キヤスとの思い出話に、
田山さんは
何度となく大きくうなづきながら
「そんなことがあったのですね」
「大切な友達だったのですね」
そう言って僕の気持ちを
しっかりと受け止めてくれた。

「セキカワさん、
 その時って
 どのあたりに座ったのか
 覚えていますか」

僕はおもむろにスマホを取り出し、
2016年に撮られた写真を
田山さんに見せた。

そして僕は席を立ち、
同じアングルと思しき場所から
パシャリ、
写真を撮った。




そこにキヤスはいなかった。



会計を終えると、
安兵衛の前で
田山さんが写真を撮ってくれた。

「はい、チーズ」

(パチリ)

「もう一枚」

(パシャリ)

アルコールに浮腫んだ身体で
徳島の空気を大きく吸い込み、
ハーっと吐き出していると、
田山さんがスマホを見つめながら
不思議そうにこう言った。

「うーん」

「   」

「セキカワさんの前を
 青い光が横切っていますよ
 しかも二枚ともに」

スマホを見せてもらうと、
店の前でシャンと佇む僕のカラダ、
胸のあたりに
細くて長い青い線が
ス・スーっと伸びていた。


* * *


キヤス、
次回は四国遍路だな、
同業二人、
一緒に歩こう
その時はよろしく頼む

心の中で
僕はそう呟いた。
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お墓参り奇譚

2022-07-14 16:49:25 | 中央林間DAYS
7月の
ある晴れた日曜、
朝ごはんを食べ終わると
妻と一緒にみなとみらいにある
インテリア家具のお店まで
クルマで出かけた。

どうやら
ウチのダイニングテーブルは
もともと6人が席を囲める
大き目なサイズらしく、
なので
妻は椅子を2脚
買い足したいの、
そうゆう。

今までは4人家族だったので、
椅子が4つあれば良かった。
けれど、
あと2つ
買い揃えたいらしい。

とゆうことで
同じメーカーのお店がある
みなとみらいクイーンズタワーまで
買いに来ました。

とはいえ
普段は妻と僕のふたり暮らしです。
使わない椅子が4脚もある
っつうのも、
かえって寂しいんじゃねぇかなー
そう思ったけど
ま、
いっか。

これからは
6人でワイワイとテーブルを囲み
メシを食って酒を飲む、
そんな楽しい日が
年に数回はあることでしょう、
きっと。



地下駐車場に置いた
クルマへと戻る途中、
そうだ、
祖父母のお墓参りに行こう、
急にそんな考えが
思い浮かんだ。

お墓は
黄金町のすぐ先、
久保山墓地にある。

Google mapで検索すると
みなとみらいからは
クルマで15分の距離だとゆう。



茶屋で
お花とお線香を買って
手桶を拝借。
そこへ水を汲み入れて
柄杓を差し入れた。

熱せられた空気に包まれた墓地に
たくさんの蝉の鳴き声が響き渡る。

久保山という名が示す通り
墓地ではなだらかな傾斜が
場内一面に広がっていて、
ま向かいの斜面にもお墓、
傾斜のその先ずっと奥の方もお墓、
お墓、
お墓、
お墓、
お墓が所狭しと
久保山を覆いつくしている。

茶屋の女性の方のご案内で
祖父母のお墓へ到着。

まずは
雨水で汚れた水鉢ふたつを取り外し、
ジャバっと雨水を捨てて
シュッ・シュッ
水を切ると
柄杓できれいなお水を注ぎ入れる。

そして
夏の日差しを浴び続けて
熱くなった墓石の上へ
ピシャ・ピシャ
幾度となく水をかけ流してみた。

最後に
花束をふたつお供えし、
モゥモゥと煙を焚き流しているお線香を
線香皿の上に置く。

流れ落ちるぬるい汗を
Tシャツの背中に感じながら、
僕は
墓石側面に刻まれた祖父母の名前
そして
戒名と亡くなった日付を読んでみた。

祖父が亡くなってから30年、
そして
祖母が亡くなってから
まもなく20年が経過する、
祖父母は
そのことを僕に知らせてくれた。

祖父の訃報は5月の季節、
社会人となって間もないのに、
会社の上司は
町屋の斎場まで足を運んでくれた。

祖母の訃報は4月のはじめ、
谷塚の斎場では桜が満開だった。

そうか、
もうそんなに経つのか。

妻に訊ねると
久保山墓地には初めて来た
とゆうので、
僕は
祖父母に妻をあらためて紹介。
今は
お墓からクルマで40分ほどのところで
暮らしていることを報告、
しばしのご無沙汰を詫び
またお墓に来ますと告げて
お墓を後にした。

茶屋に戻る石段を上りながら
お墓のあった方を振り返り見た。

すると
祖父と祖母が
お墓の前に立ち並び、
こちらを振り向いて
僕たちを笑顔で見送ってくれている、
こころ安らぐ
そんな二人の姿が目に浮かんできた。



二週間後。

上野さんと東京タワーを横目に
芝公園駅地下鉄入り口を
目指して歩いていると、
ポケットに入れていたスマホが
ブーン
ブーン、
揺れ動いていた。

ディスプレイには
今年1月からお世話になっている
司法書士事務所の
先生の名前が書かれていたから、
僕は
少しだけドキリとして
電話に出た。

 もしもしー、
 セキカワさん、
 いまよろしいですか

 大丈夫でーす

 セキカワさん、
 例の件で
 家庭裁判所から電話がありまして

 え…

 シンイチさんのお父さんのご両親、
 つまりシンイチさんの祖父母、
 おじいさんとおばあさん
 お二人に関する書類を
 こちらで準備させていただきます
 その確認のお電話です

 あら…

 おじいさんは
 幸一さん、
 おばあさんは
 俊枝さん
 でお間違いないですよね

 そう、
 幸一と俊枝です
 ふたりはもう20年も30年も前に
 亡くなっていて、
 いやー驚いたな、
 実は
 先々週かな、
 久しぶりに
 ふたりのお墓参りに
 行ったばかりです
 
司法書士の先生曰く、
例の件では父までが書類提出の対象かと
考えていたが、
家裁から祖父母に関しての書類も
提出するよう求められたらしい。

それは難しい作業ではなく、
既成の資料を提出すれば
コトが済むのだそう。

なので
おじいさん・おばあさんの
お名前の確認と
おふたりに関する書類を提出する
そのことのご報告です、
大丈夫ですから、
ゆっくりとした口調で
そう伝えてくれた。



スマホをみつめていると、
上野さんが
心配そうに声をかけてくれた。

 何かありました?
 大丈夫ですか?

大丈夫です、
僕は笑顔でそう応えた。

そうか、
お墓を振り返り見たとき、
祖父母ふたりは
やはり僕と妻を
見送ってくれていたのだな、
きっとそうに違いない。

そして

 大丈夫、
 いろいろなことが
 大丈夫だからね、
 シンイチや

そのことを僕に伝えたかったのだ
間違いない、
僕はそう確信した。



 上野さん、
 神保町に着いたら
 キッチン南海で
 昼ごはん食べましょう!

 暑い日にはカツカレー、
 英気を養いましょう!

 いいですね、
 行きましょう!

僕たちは弾むようにして
芝公園駅の地下階段を
駆け下りていった。
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