餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

旅に想う―中国東北地方旅行19

2009-07-30 12:50:00 | 回帰線
 4時20分、旧日本人街に着いた。小雨が降ってきたので、住宅街を見てまわることは中止し、バスの中から眺めるのみという。
 旧日本人街は南山の北側一帯の住宅街。ロシア占領時代は欧州区となり、日露戦争後の日本占領時代に日本人街となったため、ロシア占領時代の建物も多く使用されており、純日本風というより欧州の雰囲気を残した地区となった。2000年に新たな保存地区として整備され、石畳の両側には日本占領時代を復元した豪邸が建ち並んでいる。空き家も多いけれど、一軒が80万元もするので、なかなか買い手がつかないとか。

 つぎはまたもや“ショッピング”である。「香茗閣」という高級御茶屋さんに連れていかれる。
 個室に入ってテーブルを囲んで9名が座り、豊岡悦司に似たハンサムな中国人の青年がお茶3種を淹れ、茶菓とともに順繰りに飲ませてくれる。
 最初の観音烏龍茶のとき、青年が右端に座ったぼくに、
「どうですか?」と訊いてきた。
「お茶もうまいけど、あなたの日本語のほうはもっとうまい」
 これがツアーの仲間だけでなく青年自身にも大いに受けて、青年はすっかり“乗って”しまった。喋りにさらに拍車がかかり、まさに立て板に水、面白いこと限りない。「あなた、日本に来て漫才をやりなさいよ」と、さらにぼくがいったほど。服部さんもにらむように青年を見て、参った!と言わんばかりにクッククックと笑っている。
 ふだんは意地でも土産物を買ったりしないぼくだが、観音烏龍茶を4個買ってしまった。
 茶室を出て店内の売り物を所在なく眺めているとき、青年がぼくに寄ってきて、ソッとなにかを見せる。見ると、バイアグラだ。
「我不要(ウォー・プー・ヤオ)」と見栄をはったら、「不要(プー・ヤオ)!」と、半信半疑の頼もしそうな笑顔を浮かべた。お茶屋さんでバイアグラを売るなよな。

 茶店を出ると、今後の予定について王さんから説明があった―
「きょうはこのあと夕食と路面電車の体験乗車がありますが、まだ時間がありますので、いったんホテルに戻って休憩し、6時半にロビーに集合して出かけるとします」

 5時半にホテルに戻ると、ツトムは感心にもまた散歩に出かけていき、ぼくは部屋に戻って風呂に入った。
 ここの五つ星ホテルもバスタブとシャワー室が別個に別れ、それぞれが瀋陽のホテルよりもでかい。じつに快適な入浴であった。しかし旅行としては、ツトムのほうが時間を有効に使っているなあ。

 6時半にホテルのロビーに集合し(和田さんは体調不順につき不参加、奥さんもそれに合わせた)、ツアー客8名は中心街にある有名らしい海鮮料理店にむかった。今日の夕食は「海鮮料理とビール飲み放題」なのである。
 料理はカレイの刺身、イシモチの甘酢あんかけ、大海老の唐揚げなど10余種の料理。といっても“海鮮”料理はカレイとイシモチと海老だけで、他はいままでと大同小異の炒め物料理と炒飯とスープ、水餃子。日本だったら、海鮮料理といったら海鮮料理しか出さないよな。どうも金もうけのための手抜きとしか思えない。
 酒は生ビールを大ジョッキーに3杯飲み、「黒獅子」ビールの大瓶を3本飲んだ。
 途中でガイドの王さんが部屋に入り込んできて、食事は一時王さんのディナーパーティと化した。服部さんはちかじか大連にもう一回来て、王さんと釣りをやり、釣った魚を王さん知り合いの料理屋で調理してもらって呑もうと、話を決めていた。自分のやりたいこととやりたくないことをよく知っている服部さんは、やろうと思ったことは即座に実行に移す。来月あたり服部さんはこの大連にふたたびいるのだろう。だが大連だけは、ぼくもまた来ていいなあ。それにしても酔った。

 夕食のあとは「路面電車体験」。
 海鮮料理店からバスに乗ってすぐにどこかで降ろされ、やって来た路面電車に乗った。
 電車はかなり混んでおり、ぼくらは中程のつり革にぶら下がっていたが、これではつまらないと思い、ぼくだけ車輌先端の運転席のそばに陣取って、夜の大連の街を眺めた。左斜めの運転手は、顔は見えないけれど、女性であることはわかる。まだ8時過ぎくらいだと思うのに、街からは車や人通りはほとんど絶え、降りはじめた雨に濡れた路面に電車は、女性の運転とは思えないくらいの速度で突っ走る。ネオンにぼんやりと映える都会の空間を突き進んでゆく。電車が走っているというよりも、運転席のすぐそばに立つと、ぼく自身が走っているようだ。さっき服部くんが、「人生、一瞬一瞬、これが楽しいんだと思えるかたちで生きていかないとつまりませんよ」と言っていた。ホント、そうだなあ。何をやるにせよ、つまらないとか、面倒だとか、不満を抱くのではなく、そのつど、一所懸命に、自分のすべてを注ぎ込んで、身いっぱいに生きないと。だって、この俺という人間は―こういう性格をもった、こういう顔つきの、体つきの、この人間は、この50億年間のあいだに、たったの1人だけ。この独自の俺がこうやって腕を曲げるのも、足を前に動かすのも、頭を振るのも、その一挙手一投足がそのつど、宇宙開闢以来はじめてのこと。無限の宇宙のなかで、唯一一回というかたちで、生き、うごめいている存在。生きて在るということは、なんとすばらしいことなんだ! なんと奇跡的なことなんだ。過去なんてない、未来なんてない。あるのはいまだけ。永遠の今だけ。今を、この永遠の今を、身いっぱいに、生きて在ることの不思議と驚きに満たされて生きること。ああ、ありがたい。こうやって生きてることが、生きて在ることが、ありがたい。すばらしい。なんだろう、でかいものが近づいてきた。ゆっくりと。ダンプカーじゃないか。ひどくゆっくりとぶつかってくる。俺は死ぬのか?すさまじい音。どうしたんだろう。急に静かになった。みょうに明るい。明るいのに俺の身体がない。なぜだかわからないが、わかる、時間がないということが、空間がないということが。なんだか懐かしいな、この状態。あ、どこに行くんだろう?

     トラックが市電と正面衝突 日本人旅行者1名が死亡

 2日、中国の大連市で午後の8時15分(日本時間の7時15分)ころ、大型トラックが民広場附近で203路の市電と正面衝突した。この事故で日本人旅行者の筒井正明さん(64歳)が即死し、運転手ほか数名も重軽傷を負った。事故は運転手の劉陳健(34歳)がスピードを出しすぎ、雨に濡れた線路でスリップしてハンドルを取られてしまったことが原因と見られる。筒井さんはHIS企画の中国東北地方旅行に参加し、他の旅行者9名とともに中国を旅行中であった。他の旅行客には怪我はない模様。   (了)

      ▽ ▲ ▽ 

 あっと驚く衝撃の結末。
 「過去なんてない、未来なんてない。あるのはいまだけ。永遠の今だけ」悠久にして究極の英知に到達した我が師にとっては,有限なる肉体の有無、すなわち現世における生死はもはやほとんど意味を持っていないのかもしれません。
 「なんだか懐かしいな、この状態。あ、どこに行くんだろう?」永遠性を大悟した覚者の向かうところーそれはこの世の森羅万象のすべてを包み込み,その一切を生み出しては滅ぼすSomething Greatという全存在の故郷なのでしょう。その懐かしき永久にして純粋なる意識界へと我が師は還って往かれたのです。
 私は「カモメのジョナサン」の言葉を思い出します。

 “Remember what we were saying about one’s body being nothing more than thought itself...?”「覚えているだろうか?肉体とは思念そのものであってそれ以外の何ものでもないということについて私たちが語り合ったことを?」

 そしてカモメのジョナサン同様、次なるステージを求めてあちら側へ旅立っていった我が師に,私は、ジョナサンの弟子フレッチャーさながら,こんな言葉を投げかけることにします。

 No, limits, Jonathan? Well, then, the time’s not distant when I’m going to appear out of thin air on your beach, and show you a thing or two about flying! 無限なんですね,ジョナサン?そうか,それならぼくが希薄な大気を突き抜けていつかそっちの海岸に姿を現し、あなたに飛行に関して二、三披露するようになるのも,そう遠い日ではありませんね。

 では、彼岸の永遠界にて鋭意執筆中であるツツイ教授の次回作をご期待ください。   餃子倶楽部編集部

(「旅に想う―中国東北地方旅行19」のラストシーンはフィクションであることをお断りしておきます。念のため)






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本を両手で抱きかかえていた頃

2009-07-27 02:14:48 | Speak, Gyoza
 I learned from the age of two or three that any room in our house, at any time of day, was there to read in, or to be read to. My mother read to me. She’d read to me in the big bedroom in the mornings, when we were in her rocker together, which ticked in rhythm as we rocked, as though we had a cricket accompanying the story. She’d read to me in the dining room on winter afternoons in front of the coal fire, with our cuckoo clock ending the story with “Cuckoo,” and at night when I’d got in my own bed. I must have given her no peace.
 It had been startling and disappointing to me to find out that storybooks had been written by people, that books were not natural wonders, coming up of themselves like grass. Yet regardless of where they came from, I cannot remember a time when I was not in love with them―with the books themselves, cover and binding and the paper they were printed on, with their smell and their weight and with their possession in my arms, captured and carried off to myself.


 私は2歳か3歳の頃から、家の中のどんな部屋であれ、1日のうちのどんな時間であれ、そこで本を読んだり、本を読んでもらったりすることができるということを知っていた。本を読んでくれたのは母だった。午前中、大きな寝室で本を読んでもらっている時、私たちは母の揺り椅子に一緒に座っていた。私たちの揺れのリズムに合わせて揺り椅子もキーキーと鳴っていた。まるでコオロギがお話の伴奏をしてくれているかのように。冬の午後には居間で、石炭式の暖炉を前にして母は私に本を読んでくれた。するとカッコウ時計が「カッコウ」と啼いて物語の終わりを告げた。そして夜、私が自分のベッドにもぐり込んでも…母はひとときとて落ち着いた時間を手にしたことがなかったに違いない。
 お話の本が「人」によって書かれたものだということ、すなわち本は草のようにひとりでに生ずるような自然の驚異などではないということを知って、私はずいぶんびっくりしたし、がっかりもした。しかし、本の出自がどうであろうとも、私は本を―本自体、つまり表紙や装丁や印刷されている紙を、本の匂いや重さを、さらにまた本を自分の両手に抱え、奪い去り独り占めにすることを―大好きにならなかった覚えが一度もないのである。


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本を感じるために

2009-07-24 23:59:31 | Speak, Gyoza
 一昨日、シンが村上春樹の最新長編小説『1Q84』を手に取った際の、装本に関する感想を書いていた。

 ・・・さらにページの触り心地がとても良い。きっと紙については上質紙を使ったのだろう。薄いのに精緻な紙触りで、ページをめくるたびに親指と人差し指が気持ちよさを感じていた。

 そしてその装本水準の高さを「きっとこれは新潮社のサブリミナル戦略に違いない」と推測していたが、おそらくそれはその通りなのだろう、と思う。というのも、月刊誌「図書」(岩波書店)7月号を読んでいたら、その冒頭に以下の記事が掲載されていたからだ。


 「本を感じるために」   ミルキィ・イソベ

 読書に夢中のとき、本との距離はグーっ縮まっています。思考の真最中、身体は電子や蛋白質の合成などが活発化しているので、本と人が作る空間にエネルギーが貯まっていてもおかしくありません。その間、手はとっても忙しい。ページのすみっこをスリスリしていたり、読みやすいように本を傾けていたりと、無意識のうちに多くの作業をしています。音読をしなくなった今日では、ここに本の魅力というか神髄があるんじゃないでしょうか。
 手は脳とは独自に何かしらの判断能力があるのではないかと思い続けていました。ここ十年、皮膚や触覚の研究が進み、それは確信に変わりました。手は皮膚というもう一つの脳を持っていると。
 装幀作業は平面的なものと思われがち。しかし実際は、本の、厚み・持ち具合・ページの捲り具合・開き具合など、まさに物理的で可変性のある立体物としての機能を考えて構築(デザイン)します。それだけ本はモノとしての要素が高い。装幀の醍醐味のひとつに用紙選定があり、読者にはその本の世界観を愛でる楽しみに繋がります。手が触覚としての思考の補助をし、皮膚が第六感を司っているなら、紙の質感は単に視覚的な遊びや楽しみではなく、身体の感覚域に本の内容やメッセージを伝え、思考を補遺するだいじな要素なのです。
 両の手で持って読む、机に置いて読む、あるいは、通勤電車の中で片手で読む……読書の状況はいろいろありますが、本文の版面が持つところと重なっていると、指をしょっちゅう動かさないと読めません。読書のフィジカルな状態そのものを考えないと、将来、本は生きていけません。本は単に綴じられた資料ではなく、思考が動く場なのですから。   (みるきぃ いそべ・デザイナー)


 引用した文章からも推察できると思うが、ミルキィ・イソベさんは装幀家、すなわち本の装丁を手掛けるブックデザイナーである。僕はこれまで、自分が読んでいる本を「物理的で可変性のある立体物」として、その「厚み・持ち具合・ページの捲り具合・開き具合」などを立ち止まって考えてみたことはほとんどなかった。だが、あらためて思い返してみると、「フィジカルな」意味で読みにくい本はなかったように思う。それはまるで空気のように当然のことであったのだが、実際のところは、ミルキィ・イソベさんのようなデザイナーを初めとする、装本作業に携わる人たちの努力の賜物だったのだ。どうりで、ディスプレイ上で読む文章は読みにくいはずだ。
 画面上の文章を読みにくいと感じるのは、これまで手で本を持ち、指でページを捲ることで、それがもたらすフィジカルな感覚が自然と思考を補完してきてくれたからなのだろう。その補助がなくなるのだから不自由さを感じるのも当然のことかもしれない。しかし、いや、それゆえにと言うべきか、ITリテラシーに長け、手で本を抱きかかえることをしなくなる子供たちは、我々とは異なる読書体験、読書感覚を積んでいくのだろう。ディスプレイ上で文章を読むことしか知らなければ、当然、それが自然な活動となっていくはずだ。
 それが時代の流れなのかもしれない。本にもラジオや鉛筆と同じ運命が待ち受けているのだろうか。



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匂い

2009-07-22 06:30:00 | 札幌で考える

いつぞやかタカちゃんが
「もしかしたら自分は〇△◇なのではないか」という
自分の知らない自己が(もしかしたら)存在することに対する
底知れぬ不安感について書いていたが、
そうなのだよ、タカちゃん、
人間には「ジョハリの窓」という4つの自己があるらしいのだよ。

1)自分は知っていて他人も知っている自己
2)自分は知っていて他人は知らない自己
3)自分は知らないが他人は知っている自己
4)自分も知らないし他人も知らない自己

これはアメリカの心理学者が提唱した
対人関係での気づきのグラフモデルというらしく、
コミュニケーション心理学などで、よく活用されるらしい。

で、きっとタカちゃんが言っていたのは 2)なのだろうか、
ハタマタ 4)なのだろうか。

ま、みんなそれぞれの 1)やら 2)やら 3)やら 4)があるのだろう、
きっと。

きっと。

*      *      *

1q84_2

5月末の発売時に速やかに買ったこの本。

BOOK1で554ページ
BOOK2で501ページ
延べ1,055ページにもわたるこの本ですから
先月末をもってしてようやくと読み終えることができた。

やれやれ

さて、
この本を買って気がついたことがある。

それは“この本はとてもよい匂いがする”ということ。

D社のSさんという著名なクリエーターもブログでおっしゃっていたが、
この本からは単なる印刷工程で染み付いたインク臭ではない、
かといって香水のような華美な匂いでもない、
なんとも表現のしづらい“よい匂い”がした。

クン・クン

クン・クン

さらにページの触り心地がとても良い。
きっと紙については上質紙を使ったのだろう。
薄いのに精緻な紙触りで、
ページをめくるたびに
親指と人差し指が気持ちよさを感じていた。

きっとこれは新潮社のサブリミナル戦略に違いない。

つい数週間前までは品切れだったらしいが、
今なら本屋に平積みされているので
まだ読んでいない貴兄も
ぜひこの本の匂いと紙触りを感じてほしい。

ただし本屋におかれたこの本を手にとり、
過度に匂いを嗅ぐことをお勧めはしない。
(だって恥ずかしいでしょ)

*      *      *

実は自分、本の匂いフェチである。
きっと上述の2)に該当する。

幼い頃、
母が「本って良い匂いがするのよ」と僕に教えてくれたその日から、
クン・クン

クン・クン

僕は本を買うたびに必ず匂いを嗅いでいる。

クン・クン

クン・クン

そう、
よく考えてみると、
僕は本に限らずこの世の中のあらゆる匂いに敏感なのかもしれない。

雨上がりの街の匂い
地下鉄の金属的な匂い

とか

緑うっそうと生い茂った夏山の匂い
一晩中降り積もった雪がやみ、
雲ひとつなく晴れ渡った朝の凛とした匂い

とか

買ったばかりのシャツの匂い
新車の匂い

とか。

子供のころは
友達の家に遊びに行くと、
大概どの家にも必ず独特の生活臭があって、
僕は友達の家の玄関を開けた瞬間から感じることのできる
(今までに経験したことのない)その初めての匂いを嗅ぐのが
大好きだった。

*      *      *

で本を読んだ感想については、申し述べない。
というか、察してほしい。

よい匂いがして、紙触りも最高に心地よかったという行(くだり)で。

コメント (3)
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痛み 11

2009-07-19 15:36:03 | 痛み

毎週土曜の夜は稽古の日と決めていたのだが、
今月から水曜の夜に変えてみました。

土曜から水曜へと曜日を変えたのには
理由があります。

あるけど、まだ、言わない。
(別に知りたくないでしょ)

*      *      *

で、
水曜の夜。

水曜はもちろん平日なので
日中は仕事をしている。

なのでダラダラと遅くまで
会社に居残ることが多かったのだが、
今月から水曜日は潔(いさぎよ)く
19時に会社を出ることにした(!)。

Photo しかし。

土曜だろうと水曜だろうと、
痛いものは、痛い。

この日も基本稽古の後は
黒帯の諸先輩方とスパーリング。
突きと蹴りでカラダがたわみ、しなる。
(しなるけど、折れない)

立ち続けることすらが難しくなると、
僕は力なく「休憩にはいります」と言い、
フラフラの体(てい)で道場の隅までゆき、
両膝に
手をついて
中腰の姿勢で
休みをとる。

心臓が
(ドク! ドク! ドク! ドク!)と
壊れかけたメトロノームのように
僕の胸をうつ。

熱で生温くなった血液が
カラダの端々にまで高速で送り込まれるから、
手足は火照り、
浮腫んだ感じになる。

頭から噴き出した汗は
首筋を伝わって
喉もとからポタポタと滴(したた)り落ちる。

髪はシャワーを浴びた後のようにビショ濡れで、
腕からは玉のカタチをした汗が
次から次へと噴き出してくる。

・      ・      ・

そしてこう思い悩む。

脇目もふれずに一心不乱にスパーリングを続ける
黒帯の方々の姿をジーッと凝視しながら
(この人たちの凄まじいパワーは
 一体全体どこから生まれてくるのだろう)
かと。

タオルで汗を拭きながら
スポーツジャグ(水筒1リットル)に入った
アクエリアスを
(ゴク! ゴク! ゴク! ゴク!)と
大きく喉を鳴らしながら
胃の中へ落としていった。

僕のカラダは
穴の開いたバケツのようになってしまっていて、
このまま1リットルのアクエリアスを全て飲んでしまいたい、
カラダの細胞レベルでそう欲するのだが、
一方で別の細胞がそうはさせまいとする。

(あ、家に帰ってビールを飲むのだから
 これ以上アクエリアスを飲むのはやめにしておこう)

*      *      *

なぜ、空手を続けているのか。

全てはおいしいビールのために。

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