旧日本人街は南山の北側一帯の住宅街。ロシア占領時代は欧州区となり、日露戦争後の日本占領時代に日本人街となったため、ロシア占領時代の建物も多く使用されており、純日本風というより欧州の雰囲気を残した地区となった。2000年に新たな保存地区として整備され、石畳の両側には日本占領時代を復元した豪邸が建ち並んでいる。空き家も多いけれど、一軒が80万元もするので、なかなか買い手がつかないとか。
つぎはまたもや“ショッピング”である。「香茗閣」という高級御茶屋さんに連れていかれる。
個室に入ってテーブルを囲んで9名が座り、豊岡悦司に似たハンサムな中国人の青年がお茶3種を淹れ、茶菓とともに順繰りに飲ませてくれる。
最初の観音烏龍茶のとき、青年が右端に座ったぼくに、
「どうですか?」と訊いてきた。
「お茶もうまいけど、あなたの日本語のほうはもっとうまい」
これがツアーの仲間だけでなく青年自身にも大いに受けて、青年はすっかり“乗って”しまった。喋りにさらに拍車がかかり、まさに立て板に水、面白いこと限りない。「あなた、日本に来て漫才をやりなさいよ」と、さらにぼくがいったほど。服部さんもにらむように青年を見て、参った!と言わんばかりにクッククックと笑っている。
ふだんは意地でも土産物を買ったりしないぼくだが、観音烏龍茶を4個買ってしまった。
茶室を出て店内の売り物を所在なく眺めているとき、青年がぼくに寄ってきて、ソッとなにかを見せる。見ると、バイアグラだ。
「我不要(ウォー・プー・ヤオ)」と見栄をはったら、「不要(プー・ヤオ)!」と、半信半疑の頼もしそうな笑顔を浮かべた。お茶屋さんでバイアグラを売るなよな。
茶店を出ると、今後の予定について王さんから説明があった―
「きょうはこのあと夕食と路面電車の体験乗車がありますが、まだ時間がありますので、いったんホテルに戻って休憩し、6時半にロビーに集合して出かけるとします」
5時半にホテルに戻ると、ツトムは感心にもまた散歩に出かけていき、ぼくは部屋に戻って風呂に入った。
ここの五つ星ホテルもバスタブとシャワー室が別個に別れ、それぞれが瀋陽のホテルよりもでかい。じつに快適な入浴であった。しかし旅行としては、ツトムのほうが時間を有効に使っているなあ。
6時半にホテルのロビーに集合し(和田さんは体調不順につき不参加、奥さんもそれに合わせた)、ツアー客8名は中心街にある有名らしい海鮮料理店にむかった。今日の夕食は「海鮮料理とビール飲み放題」なのである。
料理はカレイの刺身、イシモチの甘酢あんかけ、大海老の唐揚げなど10余種の料理。といっても“海鮮”料理はカレイとイシモチと海老だけで、他はいままでと大同小異の炒め物料理と炒飯とスープ、水餃子。日本だったら、海鮮料理といったら海鮮料理しか出さないよな。どうも金もうけのための手抜きとしか思えない。
酒は生ビールを大ジョッキーに3杯飲み、「黒獅子」ビールの大瓶を3本飲んだ。
途中でガイドの王さんが部屋に入り込んできて、食事は一時王さんのディナーパーティと化した。服部さんはちかじか大連にもう一回来て、王さんと釣りをやり、釣った魚を王さん知り合いの料理屋で調理してもらって呑もうと、話を決めていた。自分のやりたいこととやりたくないことをよく知っている服部さんは、やろうと思ったことは即座に実行に移す。来月あたり服部さんはこの大連にふたたびいるのだろう。だが大連だけは、ぼくもまた来ていいなあ。それにしても酔った。
夕食のあとは「路面電車体験」。
海鮮料理店からバスに乗ってすぐにどこかで降ろされ、やって来た路面電車に乗った。
電車はかなり混んでおり、ぼくらは中程のつり革にぶら下がっていたが、これではつまらないと思い、ぼくだけ車輌先端の運転席のそばに陣取って、夜の大連の街を眺めた。左斜めの運転手は、顔は見えないけれど、女性であることはわかる。まだ8時過ぎくらいだと思うのに、街からは車や人通りはほとんど絶え、降りはじめた雨に濡れた路面に電車は、女性の運転とは思えないくらいの速度で突っ走る。ネオンにぼんやりと映える都会の空間を突き進んでゆく。電車が走っているというよりも、運転席のすぐそばに立つと、ぼく自身が走っているようだ。さっき服部くんが、「人生、一瞬一瞬、これが楽しいんだと思えるかたちで生きていかないとつまりませんよ」と言っていた。ホント、そうだなあ。何をやるにせよ、つまらないとか、面倒だとか、不満を抱くのではなく、そのつど、一所懸命に、自分のすべてを注ぎ込んで、身いっぱいに生きないと。だって、この俺という人間は―こういう性格をもった、こういう顔つきの、体つきの、この人間は、この50億年間のあいだに、たったの1人だけ。この独自の俺がこうやって腕を曲げるのも、足を前に動かすのも、頭を振るのも、その一挙手一投足がそのつど、宇宙開闢以来はじめてのこと。無限の宇宙のなかで、唯一一回というかたちで、生き、うごめいている存在。生きて在るということは、なんとすばらしいことなんだ! なんと奇跡的なことなんだ。過去なんてない、未来なんてない。あるのはいまだけ。永遠の今だけ。今を、この永遠の今を、身いっぱいに、生きて在ることの不思議と驚きに満たされて生きること。ああ、ありがたい。こうやって生きてることが、生きて在ることが、ありがたい。すばらしい。なんだろう、でかいものが近づいてきた。ゆっくりと。ダンプカーじゃないか。ひどくゆっくりとぶつかってくる。俺は死ぬのか?すさまじい音。どうしたんだろう。急に静かになった。みょうに明るい。明るいのに俺の身体がない。なぜだかわからないが、わかる、時間がないということが、空間がないということが。なんだか懐かしいな、この状態。あ、どこに行くんだろう?
トラックが市電と正面衝突 日本人旅行者1名が死亡
2日、中国の大連市で午後の8時15分(日本時間の7時15分)ころ、大型トラックが民広場附近で203路の市電と正面衝突した。この事故で日本人旅行者の筒井正明さん(64歳)が即死し、運転手ほか数名も重軽傷を負った。事故は運転手の劉陳健(34歳)がスピードを出しすぎ、雨に濡れた線路でスリップしてハンドルを取られてしまったことが原因と見られる。筒井さんはHIS企画の中国東北地方旅行に参加し、他の旅行者9名とともに中国を旅行中であった。他の旅行客には怪我はない模様。 (了)
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あっと驚く衝撃の結末。
「過去なんてない、未来なんてない。あるのはいまだけ。永遠の今だけ」悠久にして究極の英知に到達した我が師にとっては,有限なる肉体の有無、すなわち現世における生死はもはやほとんど意味を持っていないのかもしれません。
「なんだか懐かしいな、この状態。あ、どこに行くんだろう?」永遠性を大悟した覚者の向かうところーそれはこの世の森羅万象のすべてを包み込み,その一切を生み出しては滅ぼすSomething Greatという全存在の故郷なのでしょう。その懐かしき永久にして純粋なる意識界へと我が師は還って往かれたのです。
私は「カモメのジョナサン」の言葉を思い出します。
“Remember what we were saying about one’s body being nothing more than thought itself...?”「覚えているだろうか?肉体とは思念そのものであってそれ以外の何ものでもないということについて私たちが語り合ったことを?」
そしてカモメのジョナサン同様、次なるステージを求めてあちら側へ旅立っていった我が師に,私は、ジョナサンの弟子フレッチャーさながら,こんな言葉を投げかけることにします。
No, limits, Jonathan? Well, then, the time’s not distant when I’m going to appear out of thin air on your beach, and show you a thing or two about flying! 無限なんですね,ジョナサン?そうか,それならぼくが希薄な大気を突き抜けていつかそっちの海岸に姿を現し、あなたに飛行に関して二、三披露するようになるのも,そう遠い日ではありませんね。
では、彼岸の永遠界にて鋭意執筆中であるツツイ教授の次回作をご期待ください。 餃子倶楽部編集部
(「旅に想う―中国東北地方旅行19」のラストシーンはフィクションであることをお断りしておきます。念のため)