昨日今日と東京では桜が満開を迎えたとの報が相次いでいるが、本日3月28日付朝日朝刊の天声人語は「桜」をテーマにしたものだった。
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<這えば立て立てば歩めの親心>。生まれた子が這うようになれば、早く立って欲しいと願う。立ち上がれば、いつ歩き出すかと気がせく。古川柳にある子どもへのまなざしだが、毎日歩く道のサクラを見ていても、同じように感じる。
蕾を見れば開花を願う。四分咲き、五分咲きと開いていく花に見とれる。空に薄紅色が広がるさまを楽しむ季節である。きのうは東京で満開も観測された。週末にかけて寒さが戻るところも多いというから、お花見に出かける時は少し暖かくして。
サクラを目当てに海外から多くの人が訪れる。そんな風景もすっかり定着した。花の美しさとともに、花見のにぎやかさが新鮮なようだ。それは明治の頃にも、訪問者を楽しませていた。
人力車で旅をした米紀行作家エライザ・シドモアが、上野などで見た花見客の品の良さを記している。何千と言う人が集まっているのに、爆弾を投げつけたり暴動を起こしたりするわけではない。ただサクラと恋をしているのだと。
友人にも赤の他人にも「一杯いかが」と勧める人がいる。乱暴な振るまいもなく、笑いが「人から人へとまたたく間に広がる」(『日本・人力車旅情』)。いまとあまり変わらない風景がある。
シドモアは、日本のサクラを米国に植樹しようと提唱した人でもある。そうやって、首都のポトマック河畔に並木が生まれた。かつて戦意高揚に利用されたこの花には、国際交流の貴さがしっかりと刻まれている。(2019・3・28)
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「サクラと恋をしている」—確かにこの時期、非常に多くの日本人が桜の花を待ちわび、満開の桜を目の当たりにして、暖かい春の幸福感に包まれる。桜の開花は1週間ほど。その短い人生で力の限りに咲き誇る桜花に充満している、死を覚悟しているがゆえのかくも濃密な生気に、我々日本人は平安の世からどうしようもなく惹かれてきた。
ちる花を なにかうらみむ 世の中に 我が身もともに あらむ物かは
(はかなく散る花をどうして恨むことができようか、この世の中に私自身だって、いつまでもいられはしないのであるから)
よみ人しらず(古今和歌集)
春宵(しゅんしょう)に月光を浴びる桜を凝視しようものなら、夜桜が宿す妖気にやられ、狂おしいまでに生と死の感覚に触れてしまうときもあるほどだ。
もうすぐ桜が散り始める。
ついでながら、天声人語の冒頭に引かれた<這えば立て立てば歩めの親心>という川柳も言い得て妙である。