餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

花,あはれ

2006-03-31 23:00:43 | Speak, Gyoza
 今日,昼に天ぷら屋で「子鮎」を食べさせてもらい,その後,銀座から皇居を経由して,千鳥ヶ淵まで桜を眺めながら散歩した。皇居の桜はその一本一本が見目うるわしく,まるで絵画を見るようだった。千鳥ヶ淵を縁取る無数の「染井吉野」はモコモコと実に質感豊かで,「見て見て見てェー!麗子を見てェーッ!」「あたしよ,あたし。薫を見て~ん」「小百合から目を離しちゃイヤ!」などと春爛漫,競うようにそのグラマラスな身をくねらせてポーズをとっていた。いささか強い風にザワザワと舞い踊る桜吹雪はメロディアスでさえあった。
 それはそれで美しくはあるのだが,僕はどちらかというと「しだれ桜」のほうが好きだ。クラブ「染井吉野」のゴージャス・セレブ美女たちの陰に隠れるようにして,その華奢な身を風にさらすに任せている「しだれ桜」は,まるで竹久夢二の描く大正浪漫の美人画のようである。「あゆみはじっとあなたの帰りを待っております」
 しかし,さらに目と心を奪われてしまうのは,桜の季節が終わった5月頃,山の中をウロウロと歩き回っているときに,ふとでくわす「山桜」である。その無垢な美しさはまるで,「とーぎょはおっがね」と言い残して青森の岩木山に帰って行ってしまった山育ちの娘「花子」のようである。
 それはそうと,僕はいつから「花」に惹かれるようになったのだろうか。
 少なくとも,20代の頃ではない。あの頃は,山に入っていても,花や木に格段の関心を持っていたわけではなかった。あくせくとただひたすらピークを目指していただけだった。
 あるとき,人のよいおばさんが声をかけてくれた。

 「あんたたち,ほれっ,見てご覧,お花!とってもかわいらしいわよ。ほら,あっちにも。このお花たち,このあたりでしか見られないのよ」
 「へー,そうなんですか。あとでゆっくりと。とりあえず,今は...ビールがヌルくなっちゃうんです」
 「そんなこと,山じゃなくてもいいじゃない」

 愛想笑いを返しながらも,この苦行の後にこそ,おいしいビールが待っているのだと頑なに信じていた僕たちは花など眺める余裕もなく,先を目指した。でも今はわかる。「おばさん,あんたは正しかった」
 若い頃の僕は,僕以外の多くの人も同じだと思うのだけれど,何事かをなそうと,何がしかの場所にたどり着こうと必死になるのだが,なかなかうまくいかずに,もがき苦しむばかりだった。最も短い時間で最も遠くまで達することなど所詮不可能なことであるのに,自分ならできると過信し,常に挫折ばかりしていた。それでもなお,求めるものはこの先に,この挫折と再起の循環の過程にこそあるのだという幻想にとりつかれていた。
 しかし「求めるもの」とは何なのだ。一体,僕は何が欲しかったというのだ。肝心なことだけがいつだってよくわからない。そういうものだ。
 だがどうやら,ただ燃えさかるだけの虚しさを知った灼熱の太陽がいつの間にか穏やかな夕陽で新しい風景を照らし出すように,疑念と確信の循環の中で少しずつではあるが僕にもゆっくりと新しい風景が,世界の新たな意味が見えるようになってきていた。それが成熟というものだ。苦い失望の連続の果てに得られる今までとは少しだけ違う風景。そうやって自分自身の世界は長い時間をかけて静かに変容してゆく。他の誰とも絶対に共有できない世界へと。
 夏が終わる頃,世界が少しずつ静けさを取り戻しつつあったある日,僕は山の中で岩にへばりついていた。次の手がかり,足がかりがなかなか見つけられず,苦しくうめいているときに,僕と同じように岩にへばりついて,健気に花を咲かせている「駒草」という高山植物が目に入ってきた。「おおっ。お前,そんなところで生きておったのか」それは僕の言葉でもあり,同時に花の言葉でもあった。つまり,その可憐な花は僕の精神の奥深くの何かとダイレクトに共振し,僕はその瞬間悟った(ように思った)。

 ゆっくりと長い時間をかけて,足下をよく見れば,到るところにささやかな理解と喜びが無限に埋もれている。僕が本当に欲しかったののは,そういったものだったのかも知れない。

 たぶんその時からである。花に,そして花と同じように,ふと気づくと自分の精神の深部と共鳴してくれるささやかな理解と喜びの全てに,心惹かれるようになったのは。
 この文章を書いている僕の正面には,房総で摘んできた花束のつぼみが次々と花を開かせている。そして今,花の一つが「フッ」という残像を残して,落ちた。




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緊急告知!

2006-03-27 23:58:12 | Speak, Gyoza
 「みなさま,コンバンワ。さまようスローラーナー,gyogyo oh!-oh!でございます。再び,みなさまのもとへ,この声をお届けできることを,私は本当にうれしく思っております。これもみな,『餃子倶楽部』を蘇らせてくれたシェンロンのおかげであります。『願いはかなえてやった。さらばだ』ナンチテ。
 さて,今夜の<緊急告知!>は,5月30日から6月にかけて池袋サンシャイン劇場にて行われる鴻上尚史作『恋愛戯曲』公演のお知らせなのデース!チケットの一般発売日は4月15日土曜日なのですが,『餃子倶楽部』リスナーのみなさまには,特別プレオーダー期間をご用意させてもらいました。というのはウソで,んなこたあ知っている人はみーんな知っているのです。かく言う私も,<ローキックの天使さん>から教えてもらったのですが。
 というわけで,プレオーダーについて詳細を知りたい方は,編集長か発行人へ直接ハガキでお問い合わせ下さいませ。電話かメールでもいいですよ。『願いをかなえてやろう。さらばだ』ナンチテ。


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全てはおいしいビールのために

2006-03-26 02:37:41 | 札幌SKY

Photo_4 土曜の朝、JR信濃町駅の改札を走りぬけると、5月の新緑とどこまでも広がる青空がとても眩しかった。歩道橋を一気に駆け上ると、緑の森のその先に、神宮外苑の草野球グランドが見えてくる。

そぅ、草野球に遅刻は厳禁だ。走れ。走れ。

ロッカールームへ急ぐと、白いユニフォームに青いベルトを腰にまわしつつ、不器用な手つきで着替えをし終わった船戸が、帽子を浅くかぶりながら僕にこう言う。「あぁ、せきかわしゃん、おぉはよぉおごぉざいましゅぅ」。

船戸、うるさいっつうの、俺はフチュカ酔いなんだから、その甘ったるい声を止めなさいって。

グランドには、野球部主将の祖父江さん、総務部栗原さん、我らがエースのダンサー高木さん、そして中継ぎで活躍をするセキグチさんがキャッチボールを始めていた。安積高校で甲子園を目指していた助っ人タカちゃんも、内股ぎみに両足を絞り込み、コンパクトなスイングで打撃練習を始めていた。

プレイボール!

レフトに向かった相手チームバッターの打った打球は、両手をバタバタと振りながら「オーライ!オーライ!」を連発するタケちゃんの遥か後ろで大きくバウンドをして、隣のテニスコートにゆっくりと入っていった。

風の外野席 手のひらかざして
青い背番号 確かめてみる
エラーの名手に 届けるランチは
クローバーの上 転がしたまま

まだ季節浅く 逆戻りの天気もあるわ
やっと気付いてくれた
その心の 行方のように

寝坊できる休みの日にも
なぜ慌ててとんでゆくの
そんなに夢中に させるもの
覗いてみたい

ちょっと高いフライ 雲に融けて
ボールが消えた
今日 初めて見た
あなたがまぶしい草野球

C)荒井由美

サードを守るトシちゃんは、ゆっくりとセカンドベースを蹴って向かってくるランナーを横目で睨み、ライトで立ち尽くすジンちゃんは、そり残した顎ヒゲをさすりながら、こうつぶやいた。「丈彰、なんだかなぁ」。

試合が終わって僕たちは、信濃町駅の手前にある居酒屋の中庭で車座になり、先ほどのタケちゃんの痛恨のエラーを笑いながらビールをジョッキで飲み干し続けた。いつまでも果てることのなく、何杯も何杯も。

そう、全てはおいしいビールのために。

(高木さんだけはジョッキ・カルピスだった。)

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All We Need Is Love

2006-03-25 19:57:01 | Speak, Gyoza
 セキグチさーん!初コメント,アータース!

 昨夜,崖っぷちまで追いつめられつつ,珍しく家で仕事をしておりました。というのも,その日の午後に,今抱えている仕事の担当者から連絡があり,もはやこれまでとの最終通告を受けたからです。その仕事はチームで動いているもので,締め切りはなんと1週間前なのに,愚かな僕はそれはそれは「やりだぐなぐで,やりだぐなぐで」,まだ手も着けていない有様だったのです。担当者は僕の提出が遅れているせいで,みんなが大迷惑しているという旨のことを,政治家の秘書のように,実に婉曲的に,僕に告げるのでありました。
 締め切りが1週間前だということは,もちろんわかっておりました。しかし,「ワンピース」は見なきゃならんわ,「ガッシュベル」も見なきゃならんわ,野球も見ねばならぬわ,「どうぶつの森」はやらなきゃいかんわ,房総のお花畑を見に行かねばならんわ,ラーメンを食べにいかなきゃならんわ,おまけに北海道のバカが東京のバカの所に泊まりに来るというので,信じられないぐらいに物が散らかっている部屋を片づけなきゃならんわで,仕事どこじゃなかったとです。仕事どころではないと言っても,締め切は絶えず心の隅っこから僕の方を見つめており,僕はずーっと怯えていました。枯れ葉のように震えつつ,督促の電話やメールを怖れていたのです。可能な限り仕事から顔をそむけて,快楽を追求していると,イヤーな汗がじっとりと吹き出してきたりしませんか。僕はもう年がら年中冷や汗ダラダラのダラダラ人間と化しちゃってます。「どうぶつの森」でシーラカンスの魚影を求めて釣りをしたり,「オニヤンマ,出て来いッ!」と網を持ってひたすら走り回ったりしていると,不意に「一体いい年をして何をやっておるのだ,おれは」などと思い至り,またまた冷や汗ドバドバ人生になってしまうのでありました。
 僕の家の電話は,よく使う番号は登録してあって,その番号から電話がかかってくると,女の人が感情を押し殺して「グループ1」とか「グループ2」とか知らせてくれます。仕事関係は「グループ2」で登録してあるので,締め切りをブッ飛ばしているときに,「グループ2です」と所詮電話機ごときに冷たく告知されると,心臓の動きがちょっとおかしくなり,電話機女に軽い殺意さえ覚えてしまったりするのです。昼間の最終通告電話はまさにそうした文脈で受けたものだったので,さすがの「バカ之」も「もはやこれまで。無念...」と小さく呟いて,おそるおそる仕事の書類が入った袋をのぞき込むのでありました。
 そうして命がけで仕事を始めて6時間,まだまだ闇深く,明日が見えない状態で,またしても電話女が「グループ1」などと喋り出したりして,僕をいらつかせました。「ったく。どこのバカだ。このクソ忙しいときに」とののしりつつ,表示された番号を見ると,北海道の「関バカ」からでした。ご承知のように,北海道のバカと東京のバカは,このブログを開設したばかりなので,ここ1,2週間,今までにないぐらいの頻度で連絡を取り合い,ブログについて「あーでもない,こーでもない。じゃ,そういうことで」などと何が「そういうこと」かもわからないままに相談しながら,何とか記事の投稿にまでたどり着いたというわけです。ですから,そのときは「おっ,何だなんだ,今度は何なのだ」と,そこはバカですから,僕は仕事のことなどスカッと忘れ,電話に出たのです。

 「おほい。『餃子倶楽部』にセキグチさんからコメント入ってるよお!ハハハ」
 シンが電話の向こうで歌うように言うではありませんか!
 -『餃子倶楽部』にアクセスしつつ-
 「ウソぉ!おとといセキグチさんにどうやって知らせたらいいかなあってお前言ってたよな(『餃子倶楽部』,ディスプレイに登場)。ホントだ!ハハハ。『お前らいくつになってもバカだなあ』だってさ」
 「うれしいねえ。ハハハ」
 「うれしいなあ。ハハハ」

 その後,僕が仕事をまたもや放り投げて,この謝謝(シェイシェイ)のバカ文を書き出したのは,言うまでもありません。

 たかがギョウくら,されどギョウくら...


 ALL YOU NEED IS LOVE

 Love, love, love...
 There's nothing you can do that can't be done
 Nothing you can sing that can't be sung
 Nothing you can say
 But you can learn how to play the game
 It's easy

 Nothing you can make that can't be made
 No one yon can save that can't be saved
 Nothing you can do
 But you can learn how to be you in time
 It's easy

 All you need is love
 All you need is love
 All you need is love
 Love is all you need

 できないことはできない
 歌えないものは歌えない
 何も語れない
 でも遊びの仕方を知ることはできる
 そう簡単なことなのサ

 作れないものは作れない
 救えないものは救えない
 何もできない
 でもやがて自分自身になれる方法は知ることができる
 そう簡単なことなのサ






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チンチン電車の夕暮れ

2006-03-17 23:39:35 | 札幌SKY

Photo 昭和40年代前半、自分が子供時代を過ごした東京には数多くの都電が走っていた。

祖父母が住んでいた千住寿町、国道4号線からは上野まで都電が走っていた。加速するたびに[チンチン]、人が降りるたびに[チンチン]、隣りの車線を走る自動車への警笛代わりに[チンチン]。

そう、だから都電は[チンチン電車]。

今、札幌で暮らす僕は、チンチン電車で通勤している。

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