「郷土料理たけのこ」の営業は11時からで、僕たちは開店直後に入店したので、一番乗りかと思ったが、驚いたことに先客がいた。店内は広く、長い座敷席が2つとカウンター席、そしてテーブルが3、4脚置かれていた。さすらう餃子一行は座敷席の奥に陣取った。さあ、思う存分、気の済むまで大多喜の筍を食べたるで!
僕たちは迷うことなく、「たけのこ御前」(3150円)を注文した。「たけのこ御前」は、筍の刺身を含み、全10品ほどにも上る筍尽くしのコースなのだが、食べ切れないかも知れないから、とトモエちゃんは「たけのこステーキ御前」をチョイスした。酒はビールと勝浦の地酒。
「たけのこ御前」
・筍の酢の物(筍の先端あたりの柔らかい皮である姫皮の酢の物)
・筍入りデザート(なぜか最初に登場。バナナなどとともにフルーツソースで和えてある)
・筍の胡麻和え(これは初めて食べた。クリーミーな胡麻ペーストが筍とよく合い、白飯にかけて食べたいぐらいだ)
・香の物(メンマ)
・煮物(筍、人参、椎茸、里芋などの煮物)
・山菜の天ぷら(もちろん筍の天ぷらも。テーブルにはなぜか「アジシオ」しか置いてなかった)
・筍の唐揚げ(衣に味がついているから唐揚げだよ、とジュンコちゃんが逸早く発見)
・筍の刺身(これが目当てでこの店に来たようなものだが、まったくの生というわけではなく、軽く茹でてあるようだ。えぐみがまったくなく、食感もほどよく柔らかでおいしいことはおいしかった。筍の上に乗った柚子味噌をつけすぎると、味噌の味しかしなくなってしまうので、味噌は大部分落としてから食べた)
・筍のステーキ(生クリーム入りのブラウンソースで食す)
・焼き筍(皮ごと焼いてあるため、中は蒸されて、大変に香りがよく、筍の味も濃い)
・筍ご飯(筍料理で一番の好物。筍ご飯と冷や酒があれば後は何もいらないぐらいだ。ご飯の上には筍を細かく刻んで乗せてあり、さらに黒胡麻がかかっているのがアイデア)
・筍のみそ汁(筍の風味が抜群。筍みそ汁には筍の茹で汁を使うという話を聞いたことがある)
料理写真はこちら→
http://kaotansan.blog.so-net.ne.jp/2012-04-21
いやあ、食べた食べた。大袈裟じゃなく、この小1時間ほどの間に1年分の筍を胃袋に収めた。ビールと冷酒もみんなで1本ずつしか飲めなかったほどだ。女性陣も一生懸命ワンダフルに完食!
小休止後、1年分の筍が入ったお腹をさすりつつ、店を出て、総元駅へと戻った。
総元駅に咲く日本水仙
同じく、梅と桜。わかりにくいかも知れないが、手前が梅。
無人の駅舎に置かれている「駅ノート」をパラパラめくっていると、ある女の手記が目にとまった。「ユウ君、4年前に一緒に見ようねって約束した菜の花を見に来ました。菜の花は4年前と変わらないのに…」一瞬、ソープオペラの世界に引き込まれそうになった。「菜の花本線涙雨」などという演歌か何かのタイトルも頭に思い浮かんだ。シズカちゃんたちも「駅ノート」に引き寄せられて来て、何これ何これ、ウソ―ッ!ユウ君にはこの女の人が重かったのかな、もしかしたらユウ君は…などとみんなしてインスタントワイドショー化していると、向こうから12:53分発大原行きの列車がトコトコトコトコとやって来たので、僕たちもユウ君との思い出にサヨナラをした。
土曜日の午後、そぼ降る雨の中を、僕たちを入れて十数人ほどの乗客を乗せたいすみ鉄道の気動車(ディーゼル車)は、ガタゴト、ガタゴトと静かにゆっくりと走った。
雨の遠足だな、と僕は思った。
あれは僕が小学校の2、3年生の頃だったと思うが、遅い秋のある週末、故郷の郡山から特急電車に乗って、父が僕を今はなき後楽園球場で行われていた日米野球を見に連れて行ってくれた。今は新幹線で郡山から東京までは1時間20分ほどで行けるが、当時は特急でも郡山から上野まで2時間半ほどかかった。途中で空が泣き出し、試合は5回途中で降雨のためノーゲームとなった。父と僕は立ち食いの天ぷらうどんを啜り、雨に濡れた後楽園球場を後にして、やはり特急電車で郡山に帰って行ったのであった。あの時、父は何を思っていたのだろうか。
また、小学校6年の時、仲の良かった友だち3人と電車に乗って白河の南湖公園へ出かけたことがあった。まあ郡山から白河へは電車でたかだか30~40分ぐらいだし、何か目的があるわけでもなかったのだが、僕たち4人は自分たちだけの小さな冒険に心の中ではちょっとワクワクしていたことだと思う。この時も雨に降られた。僕たちはほとんど人気のない公園に寂しく立つ東屋でそれぞれのお弁当を広げた。僕は母が持たせてくれた、海苔でびっしり覆われた真っ黒で真ん丸で大きなおにぎりに口を大きく開けてかぶりついた。その時の写真が今でも残っている。あの時、友だちたちは何を思っていたのだろうか。
日米野球にしても南湖公園にしても、僕自身はそんなに悲しんでもなかった、と思う。まあ、小さい頃からぼーっしていることが多かったので、そういうこともあるだろう、ぐらいにしか思っていなかったのではないだろうか。むしろ雨の遠足は雨の匂いとともに僕の心の特別な位置に刻印され、その物悲しい感傷は、今となっては文学的で、甘美とさえ言えるほどの記憶となっている。
車窓をゆっくりと後ろに流れてゆく雨の里山を眺めるともなく眺めながら、そんなことを思い出していると、トモエちゃんがデジカメで撮った1枚の写真を見せてくれた。
液晶モニターには、低木帯の向こうに、わずかに新緑の気配が漂い始めた、雨に煙る森が映っていた。樹林のシルエットは、雨の港に停泊するヨットのマストを連想させた。森林の前景には、静かに降りしきる雨が風に流されて刻々と姿を変える白い霞のようにたなびいていた。森が静かな芳香を放っているようだった。東山魁夷の画のような気配さえ感じられた。
いい写真だね、と僕が言うと、トモエちゃんはまんざらでもないような顔をした。
やっぱり、雨の遠足は悪くない、と僕は思った。