餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

チャンと書こう。

2014-12-30 16:51:07 | 札幌で考える
コピーライターの岩崎俊一さんが
先々週にお亡くなりになった、とゆう。
その報は、
とある方のfacebookコメントから知った。



先月だろうか、
本屋に岩崎さんの著作が平積みされていて、
あれ、珍しい、と思って手に取ったものの、
自分ときたら(まぁ、図書館で借りよう)
とゆういつもの思考パターンになってしまい
ついぞ買うことのなくソーッともとにあった
場所に戻したのだが、訃報を耳にしたので
先日、エイヤっと買いました。

『大人の迷子たち』岩崎俊一(廣済堂出版)



まだ全部を読んでいないのだが、
人が感じる心のひだのようなものの描き方
がていねいで、大人向けの絵本でも読んで
いるようだ。
文字も大きめのエッセイ集仕立て。

通底して描かれているのは、
喪失感とか、生と死の狭間にある機微、
子供のころに感じた挫折と憧憬の記憶、だ。

あっ、伊東くん、
正月に読む本として、お薦めします。



実は一度だけ、
岩崎さんとは仕事をしたことがある。
そのころの僕は(広告って何だろう)
なんて事を物思いに耽るのも恥ずかしくない
20代だったのだ、そう記憶しているのだが、
岩崎さんとの仕事を通して、
岩崎さんはそんな僕の思いに
(広告とはコンテキスト)
とゆうひとつの答えを出してくれた…

よし、
そんなネタで餃子倶楽部に記事を書こう、
つい先ほど、そう思いついたものだから
今こうして餃子に駄文を打ち込んでいるが、
打ちながらハタと思い出した。
氏にまつわる話を以前餃子に書いたことを。

なので今回は岩崎さんの多くを語らないが、
ひとつだけ、
岩崎俊一さんが紡ぎ出したコピーをご紹介。

 年賀状は、贈り物だと思う。(日本郵便)

いいですね、
凛とします。

よし、
今年はチャンと年賀状を書こう、
そう思った。

タカちゃん、
餃子もチャンと書きます。



来年も
餃子倶楽部をよろしくお願いします。
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福岡、そして知覧 (後篇)

2014-12-25 12:33:07 | 札幌SKY
知覧特攻平和会館で入館料500円を支払い、
僕は館内にひとりで入った。

すると受付の女性が
『まもなくすると視聴覚教室で当館の簡単な
説明を行いますので、よろしかったら』
とゆう。

ガイダンスは20分程で終了するらしい。

僕は現在時刻をもう一度確認し、
約束の時間まではまだ余裕があるので
視聴覚教室を目指した。

教室には10名ほどの方が席についていた。
教室ステージに近い前列の席に腰をかけて
僕は語り部である作業服を着た
ご高齢な男性の方の話に耳を傾けた。

『みなさんようこそ、
 知覧特攻平和会館にお越し下さいました。
 知覧特攻平和会館は、
 大東亜戦争末期の沖縄戦で、
 人類史上類のない爆装した戦闘機もろとも
 敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の
 遺影、遺品、記録等貴重な資料を
 収集・保存・展示して、
 当時の真情を後世に正しく伝え、
 世界恒久の平和に寄与すべく
 建立されました』

語り部の方は続けて次のように語った。

昭和20年3月の連合軍沖縄占領を契機として
沖縄航空特別攻撃作戦が決行されたこと、
4月から7月19日の最終第11次総攻撃までに
延べ1,036名が特攻戦死していったこと、
その内439名が知覧から出撃していったこと、
全国から集まった特攻隊員の多くが、
年端もいかない17歳程の青年たちだったこと。

知覧特攻基地は元来、少年飛行兵が操縦訓練
を受けるための陸軍飛行学校として
昭和16年12月に設立された。
知覧で暮らすまちの人々たちは
南薩鉄道知覧駅(廃線)に降り立った坊主頭の
飛行訓練兵たちをわが子のように歓待した、
とゆう。

その3年後、
少年たちは夕暮れの中を、
あるいは朝もやの中に編隊を組んで
沖縄の海に向って飛び立っていくことになる。
そんな439機の姿を見送ろうことになるとは
知覧のまちの人々たちは誰ひとりとして想像
だにしなかったはずだ。



スクリーンには
数枚の青年特攻隊員たちの写真が映し出され、
戦死していった隊員のエピソードを言葉重く、
しかし淡々と語り部の方は説明をした。

その中の一枚に、
子犬を抱え持った特攻隊員たちの
あどけない表情を映した写真があった。
その写真は特攻前日の彼らを
朝日新聞記者が撮影したものだという。
彼らはまだ17歳だった。

17歳。

我が家の21世紀姉妹長女は昨年その年を通過、
そして次女は来年の6月に通過するであろう
眩しくも輝ける年齢である。



再びロビーに戻ってみた。
時刻は10時20分。
すると背の高い男性がロビーに立っていた。
そしてこちらを見てコクリと頷く。

キヤスだった。

早朝6時35分羽田発ANA便に乗り、
鹿児島空港に8時30分に到着するやいなや、
レンタカーを借りて九州自動車道をひた走り、
まっしぐらにやってきたこの男、
まさに弾丸トラベラーである。



僕たちは万感胸に迫るものを各自受け留めて
知覧特攻平和会館を後にした。

そしてどこかでお昼ご飯を食べるべく、
まずはレンタカーを南に走らせた。

キヤスは開聞岳が見たいとゆう。

『でもここから遠いかな、ちょっと遠いな』
『開聞岳の姿が見えたらUターンしようか』
『そうだな、腹、減ったしな、そうしよう』

レンタカーを南へ走らせること10分、
開聞岳と思しき山が見えてきた。

開聞岳は薩摩半島最南端に位置していたから、
沖縄を目指す特攻隊員たちは
開聞岳を本土最後の景色として目に焼きつけ、
そして沖縄の海を目指して飛び立っていった
とゆう。

70年前のあの日も、
今日と同じような青空が広がっていた、
きっとそうに違いない。





お昼ご飯はスマホから食べログを見て決めた。
そば茶屋「吹上庵」である。

かやぶき屋根の広い店内は程よく混んでいた。
僕たちはファミレスのような写真入りの
メニューを食い入るようにして眺めて
しばらくアーダコーダと悩んだのだが、
結局はふたり同じものを頼んだ。

黒豚つけそば900円と天ごはん200円。

『あわせて1,400キロカロリーもあるぞ』
『そりゃー大変だな』

普段カロリーなんかを気にしない僕なのだが、
運ばれた料理を見て(ちょっと重いな)
そう思えた。
まぁ料理としては美味しくいただいたのだが、
天ごはんは余計だったのかもしれない。

それでも僕たちはワシワシと食べた。
平和な日本の今に感謝しつつ、
そして帰りの飛行機の時間を少し気にしつつ、
黒豚つけそばと天ごはんを交互に食べ続けた。





鹿児島空港を目指すレンタカーの中で、
僕たちは大学時代の友達の話をしてみた。

大手レコード会社で
著名な歌手のプロデューサーをしていたが
思うところがあって今は僧侶となった男の事

この春に最愛の母親を病気で亡くし、
さらに通いなれた職場を辞めた男の事

会社員を辞めて大学に通い、
資格を取って小学校の先生になった男の事

そして
齢まもなく50となる僕たち自身も
想像だにしなかった運命の波に
翻弄され続けているのかもしれない、
そんな話だ。

それは
悲しみであったり
喜びであったり
少しの後悔であったり、
そして
多くの希望でもあったりするのだ。

『ま、いろいろとあるかんね』
『この年になるといろいろとあるな』

僕たちは
知覧を飛び立った英霊たちの事を想った。



ライフサイクル論において精神科医ユングは、
人生の午前から
午後への移行期である中年期の転換期が
人生最大の危機の時期である、とした。
そして人生の午後の課題は
『自己に対する真剣な考察を捧げ、
 人生の前半で排除してきた自己を見つめ、
 自己の中に取り入れることである』
と。

ユングはこの考察を[個性化]と呼んだ。



鹿児島空港を
20分程遅れて飛び立った飛行機は
18時20分に羽田空港に到着。
キヤスとはトランジットゲートで別れ、
僕は新千歳行ANA77便が待つ
55番ゲートを目指した。

通路の向こうでキヤスが手を振った。

キヤス
日本のどこかで、また会いましょう。






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福岡、そして知覧 (中篇)

2014-12-21 20:21:27 | 札幌SKY
5時20分、
テレビの横に備え付けられた目覚まし時計が鳴った。
フトンから手を伸ばしてアラームを留め、
再び目を閉じる。

5時30分、
今度はスマホのアラームが電子的なメロディを響かせた。
このタイミングで起きないと新幹線に乗り遅れる。
僕はエイヤっとフトンを蹴飛ばして起き上がり、
小さな窓にかけられた厚手のシェードカーテンを開けてみたが、
まだ外は宵闇に包まれていた。

泊まっていたビジネスホテルは博多駅まで徒歩10分。
早歩きで博多駅に向い、
ローソンでコーヒーとサンドイッチを買ってから
九州新幹線つばめ307号6号車に乗り込んだ。

6時10分、
音も立てずにゆっくりと
新幹線はプラットフォームを滑り出す。
僕はシートに深く腰掛け、
たまごサンドを口に放り込みながら、
来月となった資格試験の問題集を開いた。

『ライフサイクル論において(A)は、
 人生の午前から午後への移行期である中年期の転換期が
 人生最大の危機の時期であるとした。
 人生の午後の課題は、自己に対する真剣な考察を捧げ、
 人生の前半で排除してきた自己を見つめ、自己の中に
 取り入れることである。(A)はこれを(B)と呼んだ』

九州新幹線は霧霞む里山の風景を車窓に残しながら、
シュシュン・シュシュン
急ぎ足でひたすらと南下していった。



6時59分、
熊本駅に到着。
この日は雨の予報であったが、
車内には心地よい朝陽が射し込んできた。

トイレに向うときにあらためて車内を見渡してみる。
僕の他には30代の女性と初老のビジネスマン、
さらに後方のシートにスーツ姿の3人ほどしかいなかった。

各駅停車のつばめ307号では、
次の到着駅名を告げるアナウンスの前には必ず、
『いい日旅立ち』のメロディが奏でられた。

♪ あぁ、
  日本のどこかに
  私を待ってい人がいる ♪



7時56分、
鹿児島中央駅に到着。
僕は事前に調べておいたバス乗場を目指した。
目指したのだが、
どうやら反対側の出口に来てしまったらしい。
スマホの時計を確認しながら
僕は早歩きで駅東口を目指した。



8時7分、
知覧(特攻観音入口)ゆきの鹿児島交通バスは
予定通り8時7分に東16乗場に到着。
バス中央の乗降口から乗り込んで整理券を取り、
ディパックを抱え込んで前列のシートに座った。

バスは市内中心部を走り抜け、
多くの学生や会社員、主婦が乗り降りを繰り返した。
しばらくすると
車窓左手にときおり海が見え隠れした。

まぎれのない鹿児島湾だ。



くねくねと続く山道を上り終わると、
まちの景色が広がっていた。
知覧だ。

知覧に入ってからは
道の両脇に石燈籠が数珠つなぎに置かれていて、
この石燈籠はこの場所が特別な地域であることを
来るものに告げていた。

9時26分、
特攻観音入口に到着、終点である。
僕は950円の乗車運賃を支払ってバスを降りた。
そして知覧特攻平和会館まで歩いて行った。



はたして知覧特攻平和会館は
密やかな佇まいで知覧平和公園の片隅にあった。



(つづく)
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福岡、そして知覧 (前篇)

2014-12-14 16:44:25 | 札幌SKY
博多にあるもつ鍋屋「かわ乃」に向かう途中、
この前福岡に来て皆と酒を飲み交わしたのはいつの頃だったか、
歩きながら思い出そうとしてみた。

夜のはかた駅前通で、
隣りを歩くマジマは『2年前くらいでしょ』とゆう。

たしか、
会社の論文コンテスト受賞でいただいた賞金を元手にした福岡行、
とするとずいぶんと昔だったのではないかと思われたのだが、
意外とそれほど遠い日のことでもないようだ。
(その日付と克明な旅日記は2012年4月に書いた餃子に詳しい)

そんな前回の福岡行は遥か昔の出来事のようで、
ただただ「楽しかった(そして少しだけ切なかった)」ことだけを
僕は映像的に記憶に留めていて、
もちろんその仔細な内容までを覚えているわけではない。

きっと今宵「かわ乃」で流れていくひとときも
映写機のフィルムのようにカチカチカチカチと音を立て、
録画されるそばから
忘却の彼方へと消え失せていってしまうのではないだろうか、
そう思えて仕方がなかった。

だから僕は
目の前に座る明学の後輩ケータローとマジマ、
そして僕の横に座るサッチとサッチのご主人シロー先生、
そんな気が置けない4人の顔を食い入るように見つめながら
(今この瞬間をしっかりと脳裏に焼きつけておきたい)
心の底からそう思った。

なので(ゆっくりと飲もう、ゆっくり)
そう自分に言い聞かせながらビールで乾杯し、
ビールをお代わりし、
ケータローと焼酎をロックで飲み、
となりにおいたチェーサーにはほとんど口をつけずに、
またしても焼酎をロックで飲み、
サッチの昔話を食い入るように聞きながら
ガハハと笑い…
もつ鍋をワシワシと食べ…
ガハハと笑い…
焼酎をロックで飲み…

21世紀姉妹の長女が進学する短大の話をした時のマジマの反応に
目眩(めまい)を覚えたところまでは記憶にあるのだが…



翌朝、
縮こまったビジネスホテルの天井を見上げながら、
僕は自分の頭の中にある映写機のスイッチを入れて
昨晩撮ったであろうフィルムを頭の中で回してみた。
回してみたのだが、
2軒目に行ったカラオケボックスの途中あたりから
博多駅裏のバーのような店までの映像が
写真のように途切れ途切れ映し出されるばかりで、
映像はブツブツと途切れてしまっていて
果たしてその場所がどこなのかさえ判別がつかない。

もちろん誰がどんな話をしたかの音声だって
全く聞き返すことなんてできやしなかった。

僕はユニットバスにお湯をためて
アルコールで重くなったカラダをズブズブと沈め、
大濠公園の池と同じくらい大きなため息をついた。



昼はひとり寂しく博多ラーメンを食べた。

バリカタ!と景気よく頼んだところでフと思った。
まてよ、
まさか昨日の夜も調子にのってラーメンを食べてないよな?
ま、いいか…。
仮に博多ラーメン2連チャンだったとしてもそれがどうした、だ。
紅ショウガを一つまみのせてハフハフと食べ終わって650円也。

10分ほどで打ち合わせ場所に到着すると、
ケータローからメッセージが入った。

「せっかーさんは今いずこ?
 お昼は何をめしあがられました?」

ケータロー。
ラーメンを食べまスた、
と返信をしたかったのだが、
「えっ、またラーメンを食ったスか!」
とゆう返信をもらうのが恐ろしくて
んで何を食べたか答えることができなかった、
とゆうのが正直なところだ。



大濠公園のとなり、
福岡高等裁判所の向かい側にある会社で
3時間ほどを集中して得意先を交えたミーティング。

夜は博多座の裏手にある居酒屋「磯ぎよし」へ得意先と向かう。
得意先の副社長は全国を足繁く飛び回る方で、
昨夜も広島にいたので博多へは新幹線で入ったとゆう。

副社長が僕にこう訊ねた。
「んで、セッカーさん、
 明日は何時の飛行機で帰るんですか?」

この質問に僕はたじろいだ。
隣りで刺身を食べる後輩の手前、遠慮がちに答えた。
「実は明日はちょっと寄り道をして…」
「寄り道?」
「鹿児島から帰ります」
「鹿児島?鹿児島のどこに行くんですか…」
「知覧です…」
「えっ、知覧に行くんですか?いいですね!」
「知覧をご存知ですか!」
「もちろん!」

すると刺身を口に入れながら隣りにいた後輩がこう言う。
「先輩、知覧行くんすか?
 自分も行ったことがあるんですけど、
 すごい考えさせられるところですよね…知覧って」

そう、
知覧に行こうと思う。

知覧という場所を知ったのがいつなのかはわからないが、
知覧を知った時から、
いつか必ず行きたい、
そう思い続けていた場所なのだ。



このあと、
得意先の強い希望で博多ラーメンを食べに行くことになってしまった。

(うーむ、やはりラーメンか…)

せっかくの博多である。
ここで写真を一枚、パチリと激写、facebookのメッセージにUPした。


するとサッチからメッセージが入った。

「で、いまどこで飲みよーと?」

仕方がない、
ここはウソをついても仕方がない。
僕はfacebookのメッセージに素直にこう返信した。

「ラーメンです…」



ケータロー、
果たして12月10日水曜日午後10時の博多ラーメンは
この24時間内で食べる何杯目のラーメンになったのだろうか。

おしえて
ケータロー。

(続く)










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そして夜になった

2014-12-09 21:01:36 | Speak, Gyoza
 息子の京は一週間ほど前から風邪をひき、高熱にはならなかったものの、喉を枯らしずっと洟水を垂らしていた。僕もそれをもらってしまったのだが、昨日(12月8日)になって2人ともようやくほぼ風邪が抜けたので、久しぶりに2人でどこかへ行きたいと思った。
 思いつくままに二三候補を口に出してみると、京が「モノレールに乗って飛行機を見に行く」というチョイスに食いついたので、ならばと、羽田へ行ってみることにした。

 11時半近くに家を出て、駅近くのセブンイレブンで息子の好きな「昆布」と「とり五目」のおにぎりを2つ買って電車に乗り込んだ。ちなみに、12月9日までの5日間、セブンイレブンでは「おにぎり税込100円セール」が実施されており、嬉しい買い物ができた。
 埼京線の駅のホームで電車を待っていると、たまにやって来るりんかい線の車両が入線してきたので、電車好きの息子はそれだけで大喜びだ。大崎で山手線に乗り換えて、浜松町まで行き、そこからモノレールで羽田空港へと向かう。運良く先頭のシートに座ることができ、京は初めて目にする運転席に、1本しかない軌条に、そして窓外に見えてくる飛行機にいちいち興奮していた。
 午後1時になろうとする頃、第2旅客ターミナル(羽田空港第2ビル駅下車)到着。5F展望デッキへ出ると、たくさんの飛行機を一度に目にし、京は歓声を上げて顔をニカッと輝かせた。
 飛行機の離着陸を間近に見ながら、離陸して行く飛行機には手を振って「いってらっしゃーい」、着陸して来る飛行機には「おかえりなさーい」と声をかけつつおにぎりを食べ、その後、さらにいろいろと場所を変えて飛行機を見たり、僕に支えられながら手摺りの上を歩いて楽しんだり、ビル内の施設を探索したりして-エディアールの紅茶を買って来るように頼まれていた-2時間ほど過ごした後、帰宅の途についた。

 帰宅後、息子と2人で湯船に浸かっていた時、僕が「今日は楽しかったな、電車に乗って」と言うと、京は嬉しそうに「りんかい線乗ってェ、モノレールん乗ってェ、飛行機見てェ、イッターシャーイしてェ、オカーンナサーイしてェ、ニイニイ食べたね。またモノレールん乗ってェ、埼京線乗ってェ、駅ついてェ、夜んなったね」とところどころ僕の言葉を真似ながら得意そうに口にしていた。


 りんかい線に乗って、モノレールに乗って、飛行機を見た。
 飛行機さんに「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」をしながら、おにぎりを食べた。
 またモノレールに乗って、埼京線に乗って、駅に着いた。
 そして夜になった。
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