餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

美唄から札幌へ

2010-08-28 18:25:02 | 札幌SKY

Photo美唄で塩そばを食べた後、
僕たちは高速道路にて札幌へ戻り、
大倉山ジャンプ競技場へとクルマを走らせた。

500円を払ってリフトに乗り、僕たちは山頂を目指した。

山頂からは札幌の街が広く俯瞰で見下ろせる。

白く丸い貝殻のような札幌ドームや
緑の板ガムのような大通公園、
ウエハースのように聳(そび)え建つJRタワー。

タカちゃんは街中から歩いてジャンプ競技場まで来たことがあるという。
ご同伴のマチコちゃんは初めて。

自分、実はこの札幌の町並みを
このような高みから見下ろしてみることが好きではない。

なぜでしょう。

うまく表現できないのだが、
なんだか もの寂しい、シンミリとした気持ちになってしまうからなのだ。

虹の地平を歩みでて
影たちが近づく
手をとりあって
街ができる
美しい街が
あふれる旗、
叫び、
そして

ぼくらは呼ぶ
あふれる夢に
あの星たちのあいだに
眠っている北の空に
君の名を呼ぶ
オリンピックと

生まれ変わる
札幌の地に
君の名を書く
オリンピックと

(『虹と雪のバラード』作詞:河邨文一郎)

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白金ハ鳴リヤマナイ Scene 6-7

2010-08-25 07:29:00 | Hepburn

 これまでの同窓会記録をまとめておきたい。

 <MG84プチ同窓会の記録>

 第1回 2009年10月27日、人形町(実は、この前に一度4、5人が集まり、朝まで飲んでいる。その時のメンバー、カセ、シズカちゃん、トモエちゃん、サトミちゃん、キヤスらに、この日の幹事役アンジー、コーサカ、そして僕が加わった)
 第2回 2009年11月26日、新宿・ルミネエスト(カネコ、シンが初参加)
 第3回 2010年2月10日、神楽坂(イマイ、ヒグチ、ジュンコちゃんが初参加)
 第4回 2010年3月9日(季節外れの大雪の中、カセちゃん大学合格祝い。エダガワが初参加)
 第5回 2010年4月27日、新宿・エルトリート
 第6回 2010年5月21日、新宿・アイランドタワー(サカイ、コマっちゃんが初参加)
 第7回 2010年7月14日、芝公園・東京プリンス・森のビアガーデン(シライシが初参加)

 次回は8月27日(金)の予定ということであったと思う。皆さん是非参加してください。
 僕も北の大地から気持ちだけ参加、ということで

コメント (4)
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美唄

2010-08-23 05:00:00 | 札幌SKY

青春18きっぷを使って
タカちゃんとマチコちゃんが札幌へやってきた。

青春18きっぷ?
そう、
46歳(まもなく47歳)でも青春18きっぷは使えます。

いいですねぇ。

たぶんタカちゃんが旅日記をUPすると思うので、
札幌でのふらり旅のことを少しだけ。

Photo_2美唄へ。

こちらには閉山になった炭鉱の
学校跡地に建てられた
屋外彫刻公園がある。

彫刻家・安田侃の作品が多数展示された
アルテピアッツァ美唄。

鬱蒼と生い茂る緑の中に
ポツンと佇む木造校舎には、
ていねいにワックスがけされた木の廊下が
飴茶色に光っていて、
なんだかとてもゆったりとした時間が流れていた。

お昼、
それにつけても僕たちはお腹がすいていた。

芸術はお腹を満幅にはしてくれない。

なので
塩そば・なるものを食べにクルマを走らせた。

いいですねぇ。

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従属 自由 そして恋の歌

2010-08-22 23:00:00 | 餃子ライブラリ

 以下の記事は、2010.5.14朝日新聞夕刊に掲載された関根和弘氏によるものである―

 天気の日には樺太が見える北海道の稚内に、ロシア料理の店「ペチカ」はある。木造のこぢんまりした店内で夜な夜な、兵頭(ひょうどう)ニーナ(64)は哀愁漂う声を響かせる。ロシア民謡を、ときには原語で。
 若い頃はロシアの歌をあまり歌わなかった。
 敗戦直後の旧満州で日本人の父とロシア人の母の間に生まれ、父の故郷である福島に引き揚げる。「ハーフだから、ロシアの歌を」と言われるのがいやだった。だから、東京の銀座で始めた弾き語りでは、日本やアメリカの流行歌ばかり歌った。
 とんがった気持ちは30歳のときに変わる。母の友人であるロシア人が自宅にたくさん集まっているのをみて、受け入れたのだ。「やっぱり私にはロシアの血が流れている」
 自分で経営するスナックで、「カチューシャ」「トロイカ」といった民謡を、ロシア語で歌うようになった。
 うわさを聞きつけたNHKのスタッフが、兵頭に頼みにきた。ソ連で発表されたばかりの歌を番組で弾き語りしてください。
 1983年の春、「あの歌」がテレビで流れた。悲しいギターの音色に、兵頭のつけた日本の訳詞で。CDにもなる。
 しばらくして1人の男が訪ねてきた。兵頭と同じ旧満州からの引き揚げ者で、母とは知り合いらしい。男がいう。「あの歌を、うちの娘にも歌わせたい」
 うちに娘とは、加藤登紀子(かとうときこ)(66)のことだった。「知床旅情」などのヒットで当時から人気だった。兵頭は快諾する。
 加藤も、あの歌のとりこになる。85年、各地を回るコンサートで歌うと、行く先々の会場に、差出人不明の真っ赤なバラの花束が届くようになる。

 「あの歌」とは何か、もうおわかりだろう。
 
 百万本のバラの花を あなたにあなたにあなたにあげる

 そう、「百万本のバラ」だ。貧しい画家が女優を好きになり、広場を埋め尽くすほどのバラを贈ったが、女優は別の街へ去るという失恋の歌である。 
 もともとの歌い手は、旧ソ連の国民的女性歌手、アラ・プガチョワ(61)である。82年に歌って大ヒットした。
 詞は、詩人アンドレイ・ボズネセンスキ―(77)が書いた。反体制的な試作で、時の最高指導者ニキータ・フルシチョフの逆鱗に触れ、一時、今のグルジアに逃れた。そこで画家と女優の、実在の物語を知ったのである。
 作曲はラトビアのライモンド・パウルス(74)。ソ連からの独立を先頭に立って勝ち取り、文化大臣にもなった男だ。 
 もともとは、母親が娘に歌う悲しい曲だった。原曲のサビはこうだ。

 マーリニャは与えた 娘に長い人生を
 でも与え忘れた 娘に幸せを

 パウルスは否定するが、こんな解釈が語り継がれる。マーリニャはラトビアの神話の女神を指し、娘はラトビアを指す。ソ連に従属するラトビアは幸福にならないという暗示だ、と。
 ラトビアは、先の大戦中にソ連に併合され、ほぼ半世紀にわたって支配された国である。

 加藤は87年、東京の日比谷野外音楽堂で一緒に歌ったプガチョワから、「この曲のお陰で私は世界に出られる」と自由のすばらしさを聞かされる。翌年、来日したボズネセンスキーから、画家の悲恋を聞いた。パウルスの伴奏で歌ったときに、元の歌詞の存在を教わる。
 恋、自由の尊さ、従属の悲劇。加藤は一つの歌に込められた三つのメッセージを受け取る。「すべての歌の背景を知ったとき、自然と歌い方や込める思いは変わった」
 「百万本のバラ」は3人の女性歌手に継がれ、日ロ両国で愛されている。プガチョワは昨年、現役引退を発表し、新たな活動を模索している。デビュー45周年の加藤は、精力的に歌っている。
 兵頭は新曲を練習中だ。プガチョワから贈られた悲恋の歌で、タイトルは「TOKIO」という。もうすぐ稚内の店で披露する。   (関根和弘)

―ニッポン人・脈・記 ロシアへの虹5

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ガタゴトゆられて北へ

2010-08-21 18:59:42 | Depart, gyoza
 8月17日(火)「各駅停車旅の始まり」    赤羽8:01―東北本線(宇都宮線)―9:39宇都宮着。  「餃子舗宇都宮みんみん(駅東口店)」に開店と同時に飛び込み、水餃子(しゅいちゃおず)、揚餃子(やんちゃおず)、焼餃子(しゃおちゃおず)各6個240円を2皿ずつ注文。焼餃子がカリカリとモチモチのダブル食感でグーッ。それにしても、宇都宮餃子の特徴っていったい何なのだろう。  宇都宮10:54―東北本線―11:44黒磯12:34―16:34郡山着。実家のある郡山は盆地なので、冬は寒く、夏は暑い。今年の夏はやはり特に暑いらしいが、両親とも何とか元気でやっているようで、一安心。夕食のシメに、マッチの実家から送られてきたという氷見うどんを茹でてもらった。つるつるとして腰があって美味。                                                 8月18日(水)「秋田へ」    郡山7:06―東北本線―7:54福島8:07――奥羽本線(山形線)―8:58米沢9:11―9:57山形10:22―11:29新庄着。  「一茶庵分店」にてざるそば(650円)を食べる。そばどころ山形というと、挽きぐるみの田舎そばを連想するが、ここのそばは非常に都会的で少しびっくりした。「一茶庵」の名を冠するだけのことはある。壁には、柏「竹やぶ」の阿部たかおさんによる書が掛けられてあった。  新庄12:53―奥羽本線(山形線)―15:22秋田着。  千秋公園散策後、飲食店の集う川反通りにある「いろり屋」へ。赤魚と野菜の子鍋のお通しから始まり、とんぶり、はたはたの塩焼き、はたはた揚げ、比内地鶏のくわ焼とつくね、きりたんぽ小鍋、稲庭饂飩、きりたんぽアイス、と秋田の郷土料理を一通り味わった。酒は高清水の吟醸(680円)と新政の佐藤印兵衛(1300円)。高清水で十分うまい。  宿は「えびすや旅館」。昭和の香りを漂わせる、古き良き旅の宿だ。素泊まり1人3500円。                                                     8月19日(木)「津軽海峡をくぐって」    秋田6:33―奥羽本線―7:30東能代着。  このまま奥羽本線で青森まで行けるのだが、五能線を使って遠回りしてみる。五能線は、日本海、白神山地、岩木山といった海山を同時に展望できる東北ローカル線の代表格だ。東能代の売店でサンドイッチとおにぎりを買って乗り込む。  東能代7:53―五能線―11:54川部12:02―奥羽本線―12:36青森着。  青森駅のホームの「八甲田そば」で1杯のかけそばを2人で分け合う。  青森13:01―津軽線―13:41蟹田着。  ここでスーパー白鳥9号に乗り換える。「青春きっぷ」の特例で、普通列車が運行していない「蟹田―木古内」間は特急列車の普通車自由席に乗車できるのだ。  蟹田13:46―津軽線(本州側)・津軽海峡線(青函トンネルの区間)・江差線(北海道側)―14:35木古内15:07山形―江差線―16:17函館着。  今日の宿「ホテルポルト函館」にチェックイン。セミダブルの部屋を2人で6900円。インターネットで見つけた。便利な時代になったものだ。  夕食は「函館ひかりの屋台大門横丁」へ。  まずは人で混み合う「炉ばた大謀(だいぼう)」へ入ってみる。お通しは夏の定番トウモロコシと枝豆。真イカのゴロ付き刺身(ゴロはワタのこと)、ホッケ一夜干し、ミンククジラの刺身をもらう。真イカは函館の名産で野性的な味と食感が印象的だった。酒は、生ビール、その後、鶴の友上白(450円)と吉の川(450円)をお燗してもらった。どちらも居酒屋にはピッタリのいい酒だ。  2軒目は、「函館海鮮炭焼ことぶき亭」へ。お通しは生姜の甘辛煮。ラム肉を炭火で焼いてもらい、アスパラベーコンとイカはホイル焼きにしてもらう。隣の2人連れがとっていたホタテ焼とその残り汁で作る雑炊を真似して注文する。これがシメには最高だった。酒は、北の誉(450円)、銀鱗(2合650円)。  部屋に戻り、冷蔵庫で冷やしておいた「カボチャのプリン(プティ・メルヴィーユ)」と「チーズオムレット(ペイストリー・スナッフルス)」を食べて就寝。                                                                                         8月20日(金)「北の都へ」    6時半頃にチェックアウト。函館朝市で朝食。お土産物屋のお兄さんに教えてもらった「お食事処一花亭たびじ」へ。マッチは三種丼(ウニ・イクラ・カニ)、僕は二種丼(イカ・ウニ)を注文。丼はどれもカニ味噌汁付きだ。加えて単品でカニクリームコロッケをもらう。それとお土産物屋のお兄さんが名刺をくれたおかげでイカのウニ和えをおまけしてもらった。  ここからは函館本線に乗る。  函館8:14―函館本線―11:31長万部着。  40分の待ち時間があったので、駅の外に出て、昨夜の2人連れのサラリーマンに教えてもらった長万部名物かに弁当を探す。すぐに見つかった。2つ買って、駅に戻る。  長万部12:19―函館本線―15:59小樽着。  1時間余り小樽散策。途中で小樽地ビールを一杯やる。  小樽17:11-函館本線―17:51札幌着。  6時半にすすきののニッカウヰスキー看板下でシンと待ち合わせ。そのままジンギスカンの店「大一(だいち)」へ。知る人ぞ知る(特に夜の)業界御用達の店だ。僕たち以外は全部その手の人たちだった。ここのラムはチャックという首から肩までの部位のみを使っているとのこと。これがうまい!次から次へとビールと肉が進む、すすむ。軽く5、6人前は食べただろうか。ついでにライスももらった。  シンの家に帰って、さらに飲む。途中でシンと同じ会社で僕も古くから知っているタケアキさんが合流。寝たのはおそらく11時ごろだったと思う。だいぶ酔っていたのであまり覚えていない。                                                                                   8月21日(土)「札幌にてひとやすみ」    朝5時に起床。東京の仕事先からここへ仕事を届けてもらっていたので、それを片づける。  2時間半ほどで仕事を終え、それを東京へ送り返す準備をしていたところ、シンが、午前中だけ仕事がある、と言って出かけていく。  近くの郵便局へ行って、仕事が入った包みを郵送した後、今、これを書いているところだ。  これを書き終えたら、ちょっと一休み。
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