僕とタカユキは大学からゆっくりと30分ほどをかけて目黒通を歩き、ようやくと目黒駅東口に着いた。
駅前東口はバスとタクシーが行き交うロータリーになっていて、行く先を違うバス乗り場が3カ所、そして中央にはオレンジ色のタクシー数十台が待機していた。とんかつ「とんき」が2階に入ったビルの前には品川駅経由大井競馬場行の都バスが1台停まっていた。
僕は目黒駅を使って通学していなかったので、このバスにほとんど乗ることがなかったが、うす黄緑色にペイントされたこのバスは品川に向う途中に明学正門前にも停まったので多くの明学生がこのバスを利用していた。18時半を過ぎたこの時間は夜間の授業が始まっているのであろう、2部の学生と思しき人たちが多く乗車していった。
消費者金融のサイン看板だらけのビルを過ぎてパチンンコ屋の前を通るときに、タカユキは自動ドアのあたりで一瞬立ち止まった。スーツ姿のサラリーマンが自動ドアから出てくると、店内からは寒いくらいに冷やされたクーラーの冷気が僕たちの肌を突き刺し、そしてパチンコ玉を大量に飲み込むパチンコ台のけたたましい機械音が外にばら撒かれていった。
タカユキはジーパンのポケットに手を突っ込んで何かを探すそぶりをしたが、踵を返すと無言のまま駅ビルにむかって再び歩き始めた。「なによ、パチンコ?」そう聞く僕にタカユキは「先週負けたからな、ここで3千円・・・」そうボソリと呟いて、目黒駅ターミナルビルのステップをタンタンタンと軽快に駆け上がっていった。僕たちはサラリーマンやOL、買い物帰りの主婦や学生たちの人波をスルリスルリとかきわけて改札口前に置かれた駅伝言板を目指してスタスタと歩いていった。改札口では駅員たちが乗降客が提示する定期券を首を動かさずに目だけですばやく確認、もしくは切符をせわしなく受け取り、カチャカチャとリズミカルな音をたてながら改札鋏をよどみなく動かして切符を切っていた。
この時間になって幾分か暑さはやわらいだものの、雨上がりの蒸す空気が僕のポロシャツとジーパンをベタつかさせていた。タカユキはジーパンのポケットからクチャクチャになったハンカチを出して額の汗を拭った。僕はポロシャツの襟元を持ち広げてパタパタと扇ぎながら伝言板の前に佇み、細かな白チョーク文字の解読にかかった。
伝言板は1メートル四方の黒板である。右には縦書きで『伝言板』と書き記されており、白いペンキ文字で『日』『時分』『記事』の区分があって薄く白線が敷かれていたのだから、本当はきれいに伝言メッセージは縦書きで列記されるべきものなのだろう。左袖には『六時間過ぎたものは消します』、そう書かれていたので古い順に消されていくべきものと思えたが、果たしてそこに書かれた伝言の実際は、白文字で書かれた先ほどのペンキ文字すらをも覆い消す勢いで、さまざまな伝言がマルで囲まれながら、かつ遠慮がちに小さな文字で所狭しと書かれていた。
タカユキは中腰に屈み、細い目をさらに細くして伝言板に顔を近づけて「なんだ、なんだ、読めねぇぞ」、うれしそうにそう言った。そこに書かれた伝言のほとんどが明学のサークル名と飲み屋などの行先の名前だった。
〈児研「与作」〉
〈PTA「解散」〉
〈MGPC「よし」〉
〈人形劇「五反田伝言板を見よ」〉
〈乗馬「村さ来にいきます」〉
〈広研「天狗」〉
〈セミ研「渋谷へ」〉
そんな感じである。
「なぁ、シン、〈PTA〉って何よ?」タカユキは自分たちのサークル名を探しながら、そう僕に聞いてきた。PTAとはテニスサークルの名前だった。なぜPTAという名前なのかはよくわからないのだが、同じく英文科の田口がこのサークルに今春入部していたし、もともと僕はテニスサークルに入りたいと思っていたので名前だけは知っていた。そのPTAに入った田口は茨城出身、両頬がうす桃色に染まったさわやかな青年であった。その育ちのよさそうな顔立ちからクラスのみんなに「殿(との)」と呼ばれていた。もしかしたら本当にご先祖は茨城の殿様だったのかもしれない。「あっ、殿ね。あいつはPTAって言う名のテニスサークルに入ったんだ、へぇ、そうなんだ」関心しながらも右手人差し指をレーダーのように小刻みに動かしながらタカユキは僕たちの行くべき場所を探していた。
でも、先に僕たちのサークルの名前を発見したのは僕の方だった。
〈MGBS「山ちゃん」〉
そう小さく書かれた文字は、伝言板の左上隅の方、『六時間過ぎたものは消します』の『六』の文字の上に重ね書きされていたので、ほとんど判別不能に近かった。MGBSとは明治学院大学放送研究会、MeijiGakuin university Broadcasting Societyの略なのだが、伝言板のみならず、さまざまな場面でMGBSという4文字を僕たちは使っており、大学3年のときには渋谷バックドロップで背中にMGBSの文字をあしらったスタジャンまで作ってしまったのだ。
「あった!タカユキ、やっぱアシュラさんは『山ちゃん』にいるんだ」、タカユキは(どれどれ?)と僕の指差す場所を確かめるように読み直し、「アシュラさんだけなのかな?」ひとり言のようにそう呟いて今歩いてきた駅東口のロータリー方面へ向って再び歩き始めた。僕は今朝母から借りた小豆色の折り畳み傘と新英和中辞典、英語音声学の教科書とMGマークが印刷された濃紺のバインダーを右手に抱えもち、スタスタと先を歩くタカユキの後に続いた。
それにしても折りたたみ傘と辞典と教科書とバンダーが持ちづらい。バッグのひとつでもあれば便利なのだが、結局僕は4年間の大学生生活において、バッグを持つことはなかった。それは白金高校時代、大学生たちの多くがサークルの名前の入ったスタジャンを着ていて、教科書を小脇に持ち歩いているのをみていたからである。その姿こそが大学生だ、と、思っていた。そして実際に大学生になったのだから迷うことのなく教科書を小脇に抱えているのだ。そして英文科の生徒である僕が使う英語の教科書や専門書の装丁が、これまた格好よく思えた。僕は自分が思う「大学生らしい大学生」を演出し、そしてそうなろう、心の底からそう思っていた。
ただし1~2冊の教科書程度ならよかったのだろうが、実際はこの日のように折りたたみ傘もあれば英和辞典もあるし教科書もバインダーもある、となると、持ちづらいなんてものではない。事実、通学の途中、僕は歩きながら何度となく教科書を道に落としたし、水たまりに落としてグシャグシャにしたこともあった。であれば高校時代に板橋や森井、北平と一緒に買いに行ったボートハウスのブルーの巾着バッグをもう一度使おうか、という選択肢もなくはなかったのだが、彼らにその姿を見られた時の(えっ、セキカワくん、君、まだそれを使っているの・・・)という嘲りの顔を想像してしまい、とても恥ずかしくて使う気にはなれなかったのだ。かといって、新しいバッグを買う気にもなれなかった。というか、買う金がなかったのだ。
タカユキは先ほど立ち止まったパチンコ屋の前を今度は素通りすると、居酒屋「芝楽」が地下1階に入ったビルと消費者金融の看板だらけのビルの間、横からビル裏に入っていった。街灯の少なくて薄暗い細い通りの横に積まれた青いゴミ箱と、山積みにされたビールケースを蹴飛ばさないよう気を付けて歩いていると、赤ちょうちんのボンボリが4つ吊るされた居酒屋の目の前にたどりついた。細長いビルの1階、開け放たれたトビラの向こうから焼き鳥の良いにおいがしてきた。この店が目黒駅伝言板前に書かれていた「山ちゃん」だった。
(へぇ・・・山ちゃんねぇ・・・)初めての「山ちゃん」はこれといった特長も感じられない、普通のこじんまりとした間口の狭い居酒屋、という印象だ。そして決して繁盛しているようには思えない、静けさが漂っていた。
店に入る手前でタカユキが急に振り返り、僕にこう言った。「おまえ、アシュラさんに山手線始発の話を聞いてみそ、すげぇ、おかしいから」、楽しそうにそう言ってタカユキは僕のことを置いてひとり煤茶けた暖簾をくぐって店の中に入っていった。
(山手線、始発?なんだ、それ?)
全く意味が分からなかった。
(山手線、始発・・・山手線、始発・・・)僕はそう復唱しながらタカユキに続いて「山ちゃん」の中に入っていった。