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餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

白金ガ鳴ル 12―3

2013-09-01 20:58:20 | 白金ガ鳴ル

僕とタカユキは大学からゆっくりと30分ほどをかけて目黒通を歩き、ようやくと目黒駅東口に着いた。
駅前東口はバスとタクシーが行き交うロータリーになっていて、行く先を違うバス乗り場が3カ所、そして中央にはオレンジ色のタクシー数十台が待機していた。とんかつ「とんき」が2階に入ったビルの前には品川駅経由大井競馬場行の都バスが1台停まっていた。
僕は目黒駅を使って通学していなかったので、このバスにほとんど乗ることがなかったが、うす黄緑色にペイントされたこのバスは品川に向う途中に明学正門前にも停まったので多くの明学生がこのバスを利用していた。18時半を過ぎたこの時間は夜間の授業が始まっているのであろう、2部の学生と思しき人たちが多く乗車していった。
消費者金融のサイン看板だらけのビルを過ぎてパチンンコ屋の前を通るときに、タカユキは自動ドアのあたりで一瞬立ち止まった。スーツ姿のサラリーマンが自動ドアから出てくると、店内からは寒いくらいに冷やされたクーラーの冷気が僕たちの肌を突き刺し、そしてパチンコ玉を大量に飲み込むパチンコ台のけたたましい機械音が外にばら撒かれていった。
タカユキはジーパンのポケットに手を突っ込んで何かを探すそぶりをしたが、踵を返すと無言のまま駅ビルにむかって再び歩き始めた。「なによ、パチンコ?」そう聞く僕にタカユキは「先週負けたからな、ここで3千円・・・」そうボソリと呟いて、目黒駅ターミナルビルのステップをタンタンタンと軽快に駆け上がっていった。僕たちはサラリーマンやOL、買い物帰りの主婦や学生たちの人波をスルリスルリとかきわけて改札口前に置かれた駅伝言板を目指してスタスタと歩いていった。改札口では駅員たちが乗降客が提示する定期券を首を動かさずに目だけですばやく確認、もしくは切符をせわしなく受け取り、カチャカチャとリズミカルな音をたてながら改札鋏をよどみなく動かして切符を切っていた。

この時間になって幾分か暑さはやわらいだものの、雨上がりの蒸す空気が僕のポロシャツとジーパンをベタつかさせていた。タカユキはジーパンのポケットからクチャクチャになったハンカチを出して額の汗を拭った。僕はポロシャツの襟元を持ち広げてパタパタと扇ぎながら伝言板の前に佇み、細かな白チョーク文字の解読にかかった。
伝言板は1メートル四方の黒板である。右には縦書きで『伝言板』と書き記されており、白いペンキ文字で『日』『時分』『記事』の区分があって薄く白線が敷かれていたのだから、本当はきれいに伝言メッセージは縦書きで列記されるべきものなのだろう。左袖には『六時間過ぎたものは消します』、そう書かれていたので古い順に消されていくべきものと思えたが、果たしてそこに書かれた伝言の実際は、白文字で書かれた先ほどのペンキ文字すらをも覆い消す勢いで、さまざまな伝言がマルで囲まれながら、かつ遠慮がちに小さな文字で所狭しと書かれていた。
タカユキは中腰に屈み、細い目をさらに細くして伝言板に顔を近づけて「なんだ、なんだ、読めねぇぞ」、うれしそうにそう言った。そこに書かれた伝言のほとんどが明学のサークル名と飲み屋などの行先の名前だった。
〈児研「与作」〉
〈PTA「解散」〉
〈MGPC「よし」〉
〈人形劇「五反田伝言板を見よ」〉
〈乗馬「村さ来にいきます」〉
〈広研「天狗」〉
〈セミ研「渋谷へ」〉
そんな感じである。
「なぁ、シン、〈PTA〉って何よ?」タカユキは自分たちのサークル名を探しながら、そう僕に聞いてきた。PTAとはテニスサークルの名前だった。なぜPTAという名前なのかはよくわからないのだが、同じく英文科の田口がこのサークルに今春入部していたし、もともと僕はテニスサークルに入りたいと思っていたので名前だけは知っていた。そのPTAに入った田口は茨城出身、両頬がうす桃色に染まったさわやかな青年であった。その育ちのよさそうな顔立ちからクラスのみんなに「殿(との)」と呼ばれていた。もしかしたら本当にご先祖は茨城の殿様だったのかもしれない。「あっ、殿ね。あいつはPTAって言う名のテニスサークルに入ったんだ、へぇ、そうなんだ」関心しながらも右手人差し指をレーダーのように小刻みに動かしながらタカユキは僕たちの行くべき場所を探していた。
でも、先に僕たちのサークルの名前を発見したのは僕の方だった。
〈MGBS「山ちゃん」〉
そう小さく書かれた文字は、伝言板の左上隅の方、『六時間過ぎたものは消します』の『六』の文字の上に重ね書きされていたので、ほとんど判別不能に近かった。MGBSとは明治学院大学放送研究会、MeijiGakuin university Broadcasting Societyの略なのだが、伝言板のみならず、さまざまな場面でMGBSという4文字を僕たちは使っており、大学3年のときには渋谷バックドロップで背中にMGBSの文字をあしらったスタジャンまで作ってしまったのだ。
「あった!タカユキ、やっぱアシュラさんは『山ちゃん』にいるんだ」、タカユキは(どれどれ?)と僕の指差す場所を確かめるように読み直し、「アシュラさんだけなのかな?」ひとり言のようにそう呟いて今歩いてきた駅東口のロータリー方面へ向って再び歩き始めた。僕は今朝母から借りた小豆色の折り畳み傘と新英和中辞典、英語音声学の教科書とMGマークが印刷された濃紺のバインダーを右手に抱えもち、スタスタと先を歩くタカユキの後に続いた。
それにしても折りたたみ傘と辞典と教科書とバンダーが持ちづらい。バッグのひとつでもあれば便利なのだが、結局僕は4年間の大学生生活において、バッグを持つことはなかった。それは白金高校時代、大学生たちの多くがサークルの名前の入ったスタジャンを着ていて、教科書を小脇に持ち歩いているのをみていたからである。その姿こそが大学生だ、と、思っていた。そして実際に大学生になったのだから迷うことのなく教科書を小脇に抱えているのだ。そして英文科の生徒である僕が使う英語の教科書や専門書の装丁が、これまた格好よく思えた。僕は自分が思う「大学生らしい大学生」を演出し、そしてそうなろう、心の底からそう思っていた。
ただし1~2冊の教科書程度ならよかったのだろうが、実際はこの日のように折りたたみ傘もあれば英和辞典もあるし教科書もバインダーもある、となると、持ちづらいなんてものではない。事実、通学の途中、僕は歩きながら何度となく教科書を道に落としたし、水たまりに落としてグシャグシャにしたこともあった。であれば高校時代に板橋や森井、北平と一緒に買いに行ったボートハウスのブルーの巾着バッグをもう一度使おうか、という選択肢もなくはなかったのだが、彼らにその姿を見られた時の(えっ、セキカワくん、君、まだそれを使っているの・・・)という嘲りの顔を想像してしまい、とても恥ずかしくて使う気にはなれなかったのだ。かといって、新しいバッグを買う気にもなれなかった。というか、買う金がなかったのだ。

タカユキは先ほど立ち止まったパチンコ屋の前を今度は素通りすると、居酒屋「芝楽」が地下1階に入ったビルと消費者金融の看板だらけのビルの間、横からビル裏に入っていった。街灯の少なくて薄暗い細い通りの横に積まれた青いゴミ箱と、山積みにされたビールケースを蹴飛ばさないよう気を付けて歩いていると、赤ちょうちんのボンボリが4つ吊るされた居酒屋の目の前にたどりついた。細長いビルの1階、開け放たれたトビラの向こうから焼き鳥の良いにおいがしてきた。この店が目黒駅伝言板前に書かれていた「山ちゃん」だった。
(へぇ・・・山ちゃんねぇ・・・)初めての「山ちゃん」はこれといった特長も感じられない、普通のこじんまりとした間口の狭い居酒屋、という印象だ。そして決して繁盛しているようには思えない、静けさが漂っていた。
店に入る手前でタカユキが急に振り返り、僕にこう言った。「おまえ、アシュラさんに山手線始発の話を聞いてみそ、すげぇ、おかしいから」、楽しそうにそう言ってタカユキは僕のことを置いてひとり煤茶けた暖簾をくぐって店の中に入っていった。
(山手線、始発?なんだ、それ?)
全く意味が分からなかった。
(山手線、始発・・・山手線、始発・・・)僕はそう復唱しながらタカユキに続いて「山ちゃん」の中に入っていった。

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白金ガ鳴ル 12―2

2013-07-15 15:59:43 | 白金ガ鳴ル

グリーンホール2階へと続く階段をステップよく上がっていくと、広々とした生協の食堂には30数台の6人掛けテーブルと、そしてテーブルには黄色い背もたれのついた使い古された椅子がいつものように雑然と配置され、今この時間がピークなのだろう、たくさんの学生たちがうまい具合に相席をしながら食事をとったり、UCC缶コーヒーやスプライトを飲んだりしていた。
彼らは箸やフォーク、そして時にナイフを使いながら食べ物を忙しく口に運びつつ、来週の試験のことやサークル活動のこと、週末にあった出来事や夏休みの帰省の話など、そんな他愛もない思い思いの会話で弾んでいた。いく筋かのタバコの煙の向こう奥にある厨房では、ハンバーグステーキなどを焼くジュワっとした音、下げられた食器をカチャカチャと洗う音がずうっと鳴り響いていた。
僕は入口横に置かれているショーケースの中の食品サンプルを眺めた。A定食、B定食、C定食、ステーキ定食、ハンバーグ定食の横に「チキンくわ焼き」定食が今日もおかれていることを確かめて、正面奥の左隅で台座におかれたトレーを一枚手に持ち、「HOT FOODS」と書かれたカウンター窓口で「チキンくわ焼き」定食をお願いした。定食が用意される間、振り返ってテーブル席を眺め見て、開いている席を確認する。すると左奥には同じ放研(放送研究会)1年のイワナミが見えた。イワナミは話に夢中な様子を見せながらも僕のことをチラ見して、吸いかけのセブンスターを持った左手を上げて手を振ってきた。ニイラやヨシオカなど、同じ経済学部とおぼしき仲間たち数人と一緒のようだ。そのまま首を傾げながら食堂を見渡してみると、まさに厨房の真正面最前列の、人通りの多い落ち着かないテーブルでタカユキとタカシ、そして3年生のアシュラさんが3人で食事をしている最中だった。僕は白い調理着のおばさんからチキンくわ焼きとごはん、味噌汁を受け取ってトレーにのせるとレジで500円札一枚を取り出して100円のお釣りを受け取った。そしてレジ横に山積みされている割り箸1膳を左手に持ちながらタカユキたち3人が座る席へと向かっていった。

僕の姿を見つけたタカシは、ツナカレーを食べる手を休め、正面の席に置かれた500mlの生協コールスロードレッシングと灰皿をテーブル隅に寄せ、薄いピンクと白のストライプのテーブル拭きでスーッスーッと二拭きしてくれた。ありがとうと言いながら座ろうとすると、まもなく食べ終わろうとしているアシュラさんが「おぅ、年次長。あさって水曜のさぁ、サークルはさぁ、テスト前だからさぁ、休みにするぞ。1年生のみんなにさぁ、そう伝えておけよ」アシュラさんは言葉の語尾にたくさんの「さぁ」をつけながら僕にそう言うと、豆腐と揚げの入った味噌汁をズズッと飲み干した。アシュラさんという名前はあだ名で、本名はアシダさん。愛知出身で商学部3年生のアシダさんは放研の会長だ。165センチの小柄なアシュラさんは真ん中にわけた髪の毛を眉毛のあたりで切りそろえていて、レンズがナス型をしたセルフレームメガネをいつもかけていた。
(みんなに伝えておけよ)と言われても、皆の住む家や下宿に電話をするのも面倒だ。40人もいた1年生も入学から4ヶ月が経ってずいぶん減ったとはいえ、まだ30名弱もいるのだ。たとえば岡山から来たオグラのように下宿先に電話がない学生も数名いた。グリーンホール前に置かれた学生掲示板のサークル欄には休みである旨のメッセージはもちろん貼るし、この建物の地下2階にある部室の黒板にも書くし・・・あとは伝言していくしかない。「あっ、はい。わかりました」、そう言いながら僕は席に着き、本日待望の「チキンくわ焼き」定食を食べ始めた。
僕の横にいたタカユキはアシュラさんと先ほどまで続いていた会話の先を進めた。どうやら先週金曜夜の麻雀の話題のようだ。「いや、でもさぁ。あそこでさぁ、發を捨てるか、タカユキ」「そりゃぁ捨てますよ、だってあの時点ですでに俺はリーチ、しかもドラ3ですよ」高校時代は甲子園を目指して野球漬けだったタカユキは2浪しているときに麻雀を覚えたらしい。だからサークルの先輩たちが夜な夜な繰り広げる麻雀の輪の中に入会まもない1年生にもかかわらずタカユキとオグラは積極的に入っていった。麻雀は3年生を中心として行われており、そのメンバーはアシュラさんやワカさん、タケナリさんたちを中心に、2年生のヤッチさん、そしてサークルにはほとんど来なくなっていた就職活動中の4年生も何人かいるようだった。
「アシュラさん、今日は俺、4限が終わったらバイトも休みなので雀荘みどりに行きますか?」かつ丼をワシワシと食べながらタカユキが言った。「いや、おれたちさぁ、今日はもう授業がないからさぁ、このまま目黒に行って、先にさぁ、卓を囲んでるよ。そんでさぁ、俺たちはどっかしらで飲んでいるからさぁ」「アシュラさん、その飲み会に乱入していいですか?」「・・・いいよ、目黒駅の伝言板にさぁ、店の場所を書いておくよ」、そう言いながらアシュラさんは食べ終わった食器をのせたトレーを両手で持ち、火のついていないたばこを口にくわえて席を立った。
立ち去ろうとするアシュラさんに向かい、口の中をかつ丼で一杯にしながら「アシュラさん、シンとタカシも一緒に連れて行っていいですか?」、モグモグと口を動かしながらタカユキがそう言うと、アシュラさんは立ち止まって僕の顔をじっとみながら「・・・いいよ」、そう言い残して食器洗い口までトレーを戻しに行った。「タカユキ、今日もジョイパティオでホールのバイトがあるから、俺、行けないわ」、プラスチック製の食器を左手に持ち、右手で持ったスプーンで残り少なくなったツナカレーをコン、コンと音を響かせ食べながら、タカシはそう言った。「シンはどうする?行けるんだろ」そう聞くタカユキに「・・・うん、行く」、そう答えた。
そう答えたが、実はあまり気のりしなかった。なぜなら放研に入会してから何度となく先輩たちとの飲み会に参加したが、2年生はまだしも3年生の先輩たちの会話の輪の中にうまく入っていけなかったからだ。僕は3年生たちがよく行く目黒や五反田の居酒屋で酒を飲んだり麻雀に興じるよりも、渋谷や六本木で遊びたかった。だから3年生の中では唯一、広尾と恵比寿の中ほどにあるアパートに住む商学科のカツさんとだけは気が合った。カツさんは銀座や六本木のバーでウエイターのバイトをしつつ、ヴィトンやグッチなどブランド品のコピー商品を売ってたりもしており、夜の水商売といったイメージの強い、怪しげな生活をしている先輩だった。そして僕たち1年生の面倒見もよく、お金も持っていて頻繁に酒を奢ってくれたから僕たちのようにお金のない1年生たちは皆、カツさんを慕っていた。実際、カツさんからは刺激的な話を多く聞くことができた。そしてカツさんは僕たちにいつも(もっと放研をハデに楽しくしようぜ)と言い続けていた。だけど今宵の飲み会にカツさんはいないだろう。アシュラさんを中心とした麻雀メンバーだと厳しいなぁ、そう思ったが、タカユキがいるし、ほかにも何人か1年生も参加するだろう、そう思いながら僕はジーパンのポケット奥底まで深く手を突っ込み、お金がいくらあるかを確かめてみた。すると1,000円札が二枚、そしてチキンくわ焼き定食のお釣り100円玉一枚、そしてジーパンとともに洗濯機で洗われて原形をとどめず白く丸まってしまったレシートと思しき紙のようなものがボソボソと出てきた。きっと先輩たちが奢ってくれるだろうから金の心配はしなかった。その代り、(前期試験が終わって夏休みに入ったらバイトをしよう)、そう思った。

2号館で行われる英語音声学の授業が終わると、タカユキはこの授業、4限で終了となった。僕とタカシは5限に心理学の授業があったので、タカユキと別れて本館4階へと向かった。タカユキはグリーンホール地下2階の部室で時間をつぶし、僕たちの講義が終わるのを待った。
5限の心理学が終わり、本館を飛び出ると時計の針は18時を指していた。午前中いっぱい愚図ついていた雨雲もすっかりと消え去り、白金の空には夏の西日がまぶしい夕焼け雲が幾筋も広がっていた。心なしか蒸し暑ささえ感じる。僕たちは正門前でタカシと別れた。タカシは戸越のジョイパティオでバイトがあったため、国道一号線桜田通を南に歩いてひとり高輪台の駅を目指した。「目黒まで歩くか、シン」、そういいながらタカユキは白金小学校にむかって坂道を下り始めた。
目黒通に出ると、僕はタカユキにこう聞いた。「あのさ、さっきアシュラさんにさ、おまえが誘ったじゃん、飲みに行こうって」歩く先向こうから突き射す夕陽に目を細め、左手を帽子のツバのようにして額に押し当てながら僕はそう尋ねた。「おぉ、誘った」下を向きながら歩くタカユキは急に歩速を遅めてそう言った。どうやら前を歩くミニスカートで明学のキャンパスノートを小脇に抱えた女性の伸びた影を踏まないようにしているらしい。その女性を追い越しぎみに歩いていた僕も、やむなくタカユキの歩速に合わせてゆっくりと歩いた。そしてこう続けた「俺さぁ、思うんだけどね、俺たちって1年生なんだからさ、普通は先輩がね、『よし、今日は飲みに行こうか』って具合にさ、俺たち後輩を誘うもんなんじゃねぇのか」。しばらく無言で女性の影を見つめながらゆっくりと歩いていたタカユキは、横断歩道の信号の青が激しく点滅するのを見ると、突然小走りになって女性を横から追い抜いて歩道を渡り切った。僕もそれに従って歩道を渡った。信号を渡りきると僕たちは後ろを振り返って僕たちの伸びた影と、そして先ほど目の前を歩いていたミニスカートの女性の顔をチラと見た。「それはおまえ、普通は1年生の俺たちが声をかけるんだろ」はっきりとした口調でそう断言すると、再び前を向き、西に向かって歩き始めた。「どうしてよ」タカユキの横顔をみながらそう言うと、タカユキは小さく笑いながら「どうしてって、俺たちは後輩なんだぞ。『飲みにつれていってください』『奢ってください』、そう言うのは後輩である俺たちが先輩にいうべきだろ」そう言った。
出前機を載せたバイクの伸びたエンジン音が途切れ、ギアチェンジする音と、そして再び聞こえてきたエンジン音が小さくなるのを確かめると、僕はタカユキに反論した。「違うだろ、俺たち1年生が『飲みにつれていってくれ』っていうのはオコガマしいし、オカしな話じゃねぇか。大学生活にも慣れてるし、バイトだってキチンとやっていて金のある先輩が普通は絶対に後輩に『飲みにいくぞ』って誘うんだって。」珍しく強く反論する自分がいて、そんな自分に僕は少し戸惑いを覚えた。酒を飲みに行くときに先輩が後輩を誘うべきか、そうではなく後輩が先輩に連れていって欲しいと言うべきなのか、そんなことでタカユキと口論するつもりなんて全くなかったからだ。なのにタカユキに喰ってかかったのは、この春に出会ったタカユキが今までの僕の友達とは大きく違っていて、どんなときにも冷静な考え方ができるように見えたし、しぐさや会話の言葉尻にだってすら大人びたモノを感じてしまう、きっとそのあたりに嫉妬をしていたから、絡んでみたかったのかもしれない。
外苑西通を右手に信号を渡り、僕たちはゆっくりと目黒通を歩いていた。「まぁ、いろいろと考え方があっていいんじゃねぇか・・・。まぁ、俺はな、シン、そういう高校時代を過ごしてきたし、浪人時代も先輩たちに助けられてきたからな。まぁ、人の価値観は多様だかんな・・・どっちだっていいんじゃねぇか・・・」タカユキは軽く眉間に皺を寄せ、口をムの字に曲げながら、静かに(独り言のように)そう言った。高速道路手前にある自然教育園の向こうに沈む夕陽が、こんもりとした緑の森の木々を赤く染めていた。僕は(それでも先輩が後輩を誘うべきだ)という思いをこの瞬間は変えていなかったが、たとえそんなくだらないことであったとしてもこうやって語り合うことで、自分が少しずつ大人になっていけるような気がしていた。そしてこれから始まる大学生活において、タカユキをはじめとしていろいろな人たちと語り合うことを好んだ。そのことが僕を少しだけ大人にしていってくれた気がする。
「ま、飲もう、タカユキ。おごってもらおう!」
高速道路の下、横断歩道を渡りながら僕はそう言うと、タカユキは少し後ろを歩く僕を振り返り見て、細い目をさらに細めて笑いながら「そうだな、ま、飲むか、シン!おまえ、アシュラさんとかな、3年生はけっこうおもしろい人たちが多いぞ。だから今日もたくさん飲んじゃえ!」先ほどよりも声を大きくして、そう言った。

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白金ガ鳴ル 12―1

2012-01-03 15:00:00 | 白金ガ鳴ル

7月に入ったというものの相変わらずの梅雨空で、湿り気の多い霧雨が朝から降り続いていた。

僕は右手で家に置いてあった母のあずき色の折り畳み傘を差し、左手で研究社の新英和中辞典(第4版)とノート数冊を抱えもちながら、正門からチャペルまで続く坂道を小走りに急ぎのぼっていった。あと5分で9時10分、1限の「英会話」が始まろうとしていた。「英会話」は2号館の隣り、図書館棟1階にあるラボで行われる。ラボとは普通の教室ではあるのだがスタジオのような防音壁で覆われた部屋で、テレビモニターが数台、天井からぶら下がっていた。机と机の間はついたてで間仕切りされており、各人の机にはいくつかのボタンが並んでいた。ここで行われる「英会話」の授業で、僕たちはヘッドホンを耳に装着し、聞こえてくるテープや先生の英会話を聞きながら途中に繰り出される質問に対し、ボタンを押したり、口頭で答えたりする、そんな流れだ。

後ろの扉からソーッと入る。ぎりぎりのタイミングで入室したはずだ。遅刻はしていないと思ったが、ラボ教室の独特な雰囲気のせいなのだろうか、室内はシーンと静まり返っていたので僕は少しドキリとした。ディップで固めた長めの髪をツンツンと立たせたヘビメタ青年のシライシが僕の姿を見つけると、手招きをして隣の席に座れという。そして(ハ・ジ・マ・ル・ヨ)とクチパクで教えてくれた。僕は慌てた様子をみせないようにそーっと席に着き、ヘッドホンを装着、すると授業の始まりの合図として流れるいつもの曲が聞こえてきた。

Slow down, you move too fast
You got to make the morning last
Just kicking down the cobblestones
Looking for fun and feeling groovy
ba da da da da da da, feeling groovy

Hello lamppost, what'cha knowing
I've come to watch your flowers growin'
Ain't cha got no rhymes for me?
Doo-it in doo doo, feeling groovy
ba da da da da da da, feeling groovy

I got no deeds to do
no promises to keep
I'm dappled and drowsy and ready to sleep 
Let the morning time drop all its petals on me
Life I love you, all is groovy

( "the 59'th street bridge song"  P.simon)

僕はこのサイモンアンドガーファンクル『フィーリン・グルービー』を聴きながら、窓の外に映る灰色の湿った空と、窓ガラスを伝う雨の滴(しずく)をぼんやりとみつめた。そしてこう思った。来週から前期試験が始まるし、月曜から雨が降っているし、ジメジメとしているし、夏は来ないし、とてもグルービーな気分になど、なれやしない・と。
だけど僕は口ずさんだ ― バ・ダ・ダ・ダーダー・ダーダー、フィーリン・グルービー ―。
曲が終わるとヘッドホンからは(これからしばらくの間、流れる英会話を注意深くよく聞きなさい、そのあとでいくつかの質問をしますからその問いに答えなさい)といった内容の英会話が聞こえてきた。教材として相当使い回しているのであろう、心なしか会話がかすれた感じで聞きづらい。ヒアリングの苦手な僕は両ひじをデスクに置きながら装着感の悪いヘッドホンの左右を両手で強く押さえつけた。そして眉間にしわを寄せて目を細め、会話に集中した。目を細めて聞くと、英語が聞き取りやすくなる気がした。

10時50分から始まる2限は6号館で行われる一般教養の「生物学」だった。
先ほど英会話の授業でラボ教室の席に招き入れてくれたシライシと、新潟出身でスキーサークルに入ったサカイと僕の3人は、強くなった雨に濡れないよう2号館前を通ってヘボン館前藤棚の下を走り抜けながら大人数を収容できる階段教室611へと急いだ。扉を開けると、僕たちは圧倒するまでの人熱(いき)れにビックリする。なぜなら普段は教室の半分も埋まっていない授業なのに、この日は学生で座席がギッシリと埋まっていたからだ。生物学をこんなに多くの1.2年生が履修していたとは。しかしよく見ると、僕たち新入学生のみならず3年生、またはスーツ姿の4年生と思しき姿の学生もチラホラと席に座っているようだ。理由ははっきりとしている。来週から夏休みを前にした前期試験が始まるからだった。さすがに試験前は授業に出ておかないと、テスト問題の内容や傾向すらがわからなくなる。後ろの席がだいぶ埋まっていたため、僕たちはしかたなく前から3列目、教壇の真正面の列の席に座ることにした。
「シンちゃん、この席じゃ途中で抜けられないね」がっかりとした口調で赤のポロシャツの襟をたてた爽やかな横わけ頭のサカイが言った。「最近、この授業を出席していなかったからな。今日はテスト前だし、ちゃんと聞いておいたほうがいいんじゃないかな」、雨に濡れてうな垂れてきた長い髪の毛を右手でツンツンと立たせながらシライシがそう言った。そして通路端に座ったシライシは配布されてきた出席カードを僕たちに回してきた。出席カードを僕たちに配り終わると、シライシはMEIJIGAKUIN UVIVと記載された紺色のバインダーノートを開けた。すると多めに受け取った出席カードの残りをホルダーにしまい込んだのだ。よく見るとそのホルダーにはピンク色、黄色、水色、きみどり色とカラフルな出席カードが並んでいる。
「ダイちゃん、その出席カードって、集めてどうすんのよ?」僕のシンプルな質問に対し、シライシはキョトンとした顔でこう答えた。「えっ、出られない授業の時にさ、自分の名前と学籍番号を書いておいてさ、そして誰かしらに渡してさ、提出してもらうのよ。そうすれば欠席してても出席扱いだよ。教授や曜日によって色が違うからね、全色ないとダメなのよ」と、言うではないか。なるほど。「でも今日のうすムラサキ色は初めてだなぁ・・・収穫だなぁ」そう言ってうれしそうにバインダーに挿(はさ)み、鼻の右側にある大きなホクロをこすりながら満足げに微笑んだ。
「でもさ、回収するときにさ、人数と出席カードの枚数って確認されたりしないの?」そう聞くサカイに、「いや、今日みたいな大きな階段教室で行われる一般教養の授業とかだと、大概は大丈夫なんだけどさ・・・」、シライシは即座に答えた。しかし、少し困った顔をしてこうも言った。「でもね、出席カードをあいつが配ったり回収しているときはダメだね」、シライシは僕たちの列を通りすぎて後ろで出席カードを配る中年太りしたひとりの男を指差した。僕とサカイはその男をじっとみつめながら「誰、あいつ?先生?」「先生じゃないだろう、事務の人だろ」そう訝(いぶか)しがった。すると僕たちの会話に水を差すようにシライシが声のトーンを落とし、顔を僕たちに近づけてきてこう言った。「あいつはね、俺たちと一緒、英文科の1年生。しかもヒガムラ出身」、「ヒガムラ?!」思わず僕たちは大きな声を上げてしまったので、不必要に周囲の視線を浴びることになる。ヒガムラといえば、明治学院東村山高校のことである。僕の知る限り、ヒガムラ出身者にはチャらい男しかいないのだ。まさかあの男がヒガムラ?そんなワケがない。
「そんなハズないだろ?!そもそもなんで1年生が出席カードを配っているのよ」「しらないよ」「点数稼ぎか?」「し・ら・な・い・よ」「名前は何っていうのよ?」、シライシは引き続き右手で髪の毛をツンツンと立たせながら一生懸命に名前を思えだそうとした。「うーっ、なんだっけなぁ、俺たちはサ行だろ、出席番号が後ろでハ・マ・ヤ・ラ・ワ行の人たちはまだよくわかんねぇよ、なんだっけなぁ名前は・・・フク・・・フジ・・・フク?」、そう言いながら(フク・フジ・フク・フク・フク)と一人悶えている間に左後ろの扉からスポーツ刈りで白髪頭の担当教授が入ってきて、スタン・スタンと小刻みなステップで階段を降りてきた。そして教壇に立つとピンマイクのボリュームを調節しながら何やらかをボソリボソリとしゃべり始めた。僕たち3人の会話はその時点で途切れ、教授の言葉に耳を澄ませたが、周囲の学生たちは授業が始まったことに気付くものが少なく、教室の中はざわついたまま静まる様子を見せない。落ち着くまでにはそれからしばらくの時間がかかることになる。
学生たちのざわめきも静まると、教授も授業に力が入ってきたようで、上下に分かれた黒板を器用に上げ下げしながら白チョークで英語やカタカナ文字、難しい漢字を書きなぐり、折に触れ何度も黒板をチョークで叩いた。あまりにも強く叩くものだからチョークの先端が飛び散って、教授の足元は白い粉だらけになっていた。僕はただ無心に黒板に書かれた文字をノートに書き写していった。そして時折、僕は左斜め前、最前列の席に座るヒガムラ出身の「出席カードくん」の後ろ姿を見つめた。ボサボサに伸びた長い髪の彼は、なで肩でふくよかなカラダを包みこんだネズミ色のTシャツ1枚を着こみ、前のめりの姿勢で授業に聞き入っていた。

2限が終了すると時計の針は12時30分近くをさしていた。昼ごはんをどこかで食べたかったが、僕とシライシはサカイがサークルの先輩から借りたという生物学のノートをコピーさせてもらうことにした。このノートは過去の試験問題の傾向と対策がしっかりと書き込まれており、サカイが所属するスキーサークルで代々受け継がれている秘伝のノートのうちの1冊とのことだ。(これで生物学はなんとかなる)、そう思うと雨で沈み込んだ今朝の気分はどこへやら、なんだか楽しくも前向きな気持ちになってきた―ルッキンフォファン、アン、フィーリン・グルービー♪―。
コピーは同じく6号館地下にある大学生協でとることにした。生協からすぐ近くの教室で授業を受けていた僕たちは比較的速やかにコピーをとることができた。しかし、この日は前期試験一週間前となった月曜の昼である。僕たちの後ろにはノートを片手にもった学生たちで長蛇の列ができていた。生協にはコピー機が3台もある、のにもかかわらず。

コピーをとり終わり、ここで僕はシライシと別れた。シライシはインブリー館の隣にあるベルシバでサークル仲間とメシを食う、という。シライシが所属するサークルとはLMS、サークルの中にはいくつかのバンドがあって、シライシはヘビメタやハードロック系バンドのギターとボーカルが担当パートであった。一緒に昼メシを食べないかと誘われたが、どちらかといえば長淵剛やオフコースが好きな僕としてはきっと(絶対に)会話があわないことが予想され、そしてなによりも高校時代によく通ったベルシバにはカレーやラーメンといった類の食事しかないし、どちらかというとお茶をする場所というイメージが強かったので、この日はあまり行きたい気分にならなかったのだ。(この時間のベルシバは高校生が多いだろうし・・・)、つい4ヶ月前まで高校生だったことを棚にあげて、僕はそう粋(いき)がってもみていた。
そうなると、学内で食事ができるのはグリーンホールになる。
雨がやみ、雲の切れ間から日が差し込み始めたキャンパスをブラブラとグリーンホールに向かって歩きながら、僕はあずき色の折り畳み傘を丁寧に畳んだ。そして(何を食べようか、1階のハンバーガーは食い飽きたしなぁ、ツナカレーはタカシの真似っぽいしなぁ、A定食か、B定食か・・・)、あれやこれやと思いを巡らしていると「チキンくわ焼き」のイメージが頭の中に突如として浮かんできた。そうだ、この日は朝から「チキンくわ焼き」を食べたいと、そう決めていたに違いない、そう思えるほど「チキンくわ焼き」のイメージが頭の中で広がり、とにもかくにも「チキンくわ焼き」が食べたくなってきたのだ。傘袋に入れた折り畳み傘を小脇に抱えると、ヘボン館の向こう右手に2階建てのグリーンホールが見えてきた。
―チキンくわ焼き、アイラーブユー、オールイズ、グルービー♪♪ ―
頭の中で『フィーリン・グルービー「チキンくわ焼き」バージョン』が鳴り響いた。

(つづく)

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『白金ガ鳴ル』 紀行

2011-08-05 17:50:39 | 白金ガ鳴ル

1984年5月で物語の時計が止まってしまっている当ブロ
グ「餃子倶楽部」好評(?)連載中の感動青春大河ドラマ
小説『白金ガ鳴ル』の秒針を進ませるために、作者(の片
方)は先日、舞台である明治学院大学を一人フラりと訪ね
てみた。

卒業してから23年、折に触れ何度となく明学には足を運ん
でいたものですから様子がガラリと変わっていたことは知っ
ていましたし、VIが変わったことも知っていましたし。

しかしここまでモノの見事に変わっちまうものなのだろうか。

2号館もなけりゃ
白金祭が開催された中グラもなく、
4号館もないし、
6号館だってなけりゃ
本館もない。
ヘボン館と本館の間にあった中庭もなけりゃ
図書館もない。
生協食堂と地下に部室があったグリーンホールもない。
本館の裏手にあった薄茶びた古い建物もない。
ない!
ない!
ない!

なくなった場所には十字架をあしらったおしゃれな建物がそ
こかしこに建てられていて。

あぁ、果たしてここは本当に俺が4年間(高校時代を入れる
と7年間)を過した場所なのだろうか・・・。

そこで。

今でも変わらない「あのころの風景」を探し、写真に撮りなが
ら歩いてみることにしてみた。

(大河ドラマ風に)題して、『白金ガ鳴ル』紀行。

Dsc_0158こちらは桜田通歩道橋から見た明学。

あの頃と変わらないアングルを探した
結果の図がこれ。
(パシャリ)

今でこそきれいな緑芝が貼られているが、自分が白金高校
生として体育の授業でこちらの場所を使っていたころは、赤
茶けた土ぼこりが舞い上がる普通のグランドだったのだ。

このグランドで僕たちは学籍番号が書かれた白のゼッケンを
胸に貼り付けたクリーム色のジャージを着て、飛んだり跳ね
たり踊らされたり(?)、そんな姿を大学生に見られることがと
ても恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかったことを思い出し
てしまった。

まぁ、あのころは男子校だったのだが、今は共学らしいので
もっとおしゃれな格好で女子たちとワキアイアイなのでしょう、
きっと。

Dsc_0159正門にて。
(パシャリ)

こちらは変わりませんなぁ、と言いたいと
ころですが、画面右手前にあるボードに
は聞き慣れぬ学部学科の名前が。

Dsc_0163 チャペルです。
(パシャリ)

大学時代はほとんど中に入らなかった
けれど、高校時代はこちらでよく讃美歌
を歌ったものである。

ここは変わりませんなぁ。この日は鍵が
かかっていて残念ながら中には入れず。

讃美歌を歌ったと書いたが、当時は合唱コンクールがあって、
その時に歌った『いざ起(た)て戦人(いくさびと)よ』という曲が
素晴らしく良くて、今でも諳んじて歌えたりすることを次いで思
いだした。

いざ起て戦人よ
御旗に続け
雄々(おお)しく進みて
遅(おく)るな仇(あだ)に

歌いて進めよ
歌声合わせて
潮(うしお)のごとくに
正義の御神(みかみ)は
我らの守り
我らの守り
我らの守り
正義の御神は
我らの守り

この曲は非常に勢いのあるリズミカルな曲で、当時は何度も
歌わされたものだから明学の応援歌か何かだろうと勘違いを
していた。

Dsc_0164さてこちらはインブリー館左手より、ベル
シバへとつづく階段へ向かう、の図。
(パシャリ)

まぁ、もうベルシバはありませんけれど。

Dsc_0166

中グラあたりから白金高校を写すの図。
(パシャリ)

自分にとっては懐かしいアングルですが、
白金高校卒ではないとピンとこないかな。

Dsc_0168

ヘボン先生とヘボン館を見上げる、の図。
(パシャリ)

このあたりには藤棚があって、学部・学科
やサークルのお知らせを貼る掲示板があ
ったことを思い出した。

春先には薄紫色の藤の花がきれいに咲
いたものだ。

その藤棚の下のベンチに座っていると、蔦の葉から射す木漏
れ日が背中を暖めてくれて、ポカポカと気持ちがよいものです
から 僕はぁ、ウトウト・・・眠くなったりして。

そんな落ち着いた時間の流れていた思い出深い素敵な場所
だったのだが、藤棚もないし、掲示板もなくなっていたし・・・。
そのためこのような写真アングルになった次第。

Dsc_0172 さぁ、問題です。
この場所はどこでしょうか、の図。
(パシャリ)

1984年から変わっていない場所を探し
求め、この日はキャンパスをグルグルと
歩いてみたが、たぶん世代を超えてわか
りあえる、数少ない場所のひとつのような
気がする(とても地味ーな場所ですが)。

そう、きっと地味な場所すぎて、あのころは何とも思わずに横
目でチラ見する程度で通りすぎてきた場所なのだが、正門か
らチャペルを通りすぎ、中グラと6号館の間をヘボン館に向か
って歩いていく-そしてヘボン館を通り過ぎると必ず視界左隅
の方にあった景色だ。

逆に言うと、そういった一瞬だけ目に飛び込んできた場所以外
はほとんど全てが変わってしまった、ということでもある。

気がつくと1時間半近くも明学の中をうろうろと彷徨(さまよ)い
歩き続けていた。
陽も西の方、目黒駅方面に大きく傾いていた。

僕は目黒駅を目指して正門を出て左手に曲がり、夕陽に目を
細めながらテクテクと歩いていると、あのころは目黒駅まで正
門の前から4人くらいでタクシーに相乗りして向かったことを思
い出した。
そして駅に着くと、まっさきに向かったのが改札口前に置かれ
た伝言板。
黒板状の伝言板にはサークル名と喫茶店や飲み屋の名前が
ギッシリと書かれていて、それを頼りにみんなのいる店へと合
流したものだ。

あれから四半世紀がすぎてしまった。
その間、果たして自分はどれほど変わったのだろうか、そのあ
たりのことになると、まぁ、よくわからない。

どうなんでしょうか。

Dsc_0176

コメント (7)
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白金ガ鳴ル 11―4

2011-04-29 11:50:08 | 白金ガ鳴ル

チークタイムはその後もしばらく続いた。曲は" I CELEBRATE MY LOVE FOR YOU " に変わり、そして Boz Scaggs の" WE'RE ALL ALONE "で終わった。フロアが明るくなり、赤や青のスポットライトがクルクルと天井を回り始めると、引けていた若者たちが再びフロアへと移動しはじめた。そして腕と肩をゆさぶり、ステップを踏んで踊り始めた。
すると多くの人波をかきわけるようにして、ヒガムラ高校出身の背の高い男は一緒にチークを踊っていた女の子の腰に手を回しながらこちらの方へ向かって歩いてきた。僕は火のついたタバコを灰皿で揉み消すと、そのままの姿勢で身動きを止め、2人が横を通りすぎるのを待った。フロアでは Earth,Wind&Fire の" LET'S GROOVE "がかかっていた。

Let's groove tonight
Share the spice of life
Baby slice it right
We're gonna groove tonight

Let's this groove,
get you to move
It's alright,
alright
Let this groove,
set in your shoes
Stand up,
alright

("LET'S GROOVE" EARTH,WIND&FIRE  1981)

僕は出入口へと向かい、帰る様子の2人の背中をみつめた。背の高い男は緑のウインドブレイカーの襟もとを立てて着ている。背中には黄色でMETSという文字が書かれていた。僕の目で追う視線の先に気がついたタカユキは「METSって何?キリンのジュース?ウィ~ウォーンツ、メッツ!だろ?砂漠を疾走するトラックの荷台にあるMETSの缶カラが落ちてきて…」いつの間にか小振りなジョッキでビールを飲んでいた岩波が「いや、あれはうちの大学のテニスサークルだわ。」そう言った。
(へぇ、テニスサークルの名前か・・・)、そう思ったのは僕だけではなかったようでタカユキは「へぇ、そうなんだ」と小さく呟いた。しかしそう言ったきり急に興味が失せた風で、その隣でセブンスターをひっきりなしに吸うタカシと何やら話しこみ始めた。僕は出入り口奥でエレベータを待つMETSの背の高い男の手がショートカットの女の子の腰から離れたことを確認し、なぜだか少しほっとしていた。
「なぁ、シン、帰ろうよ。もうみんな帰ったよぉ」タカユキの背中から顔をのぞかしてタカシがそう言う。(そうだな、帰ろう。タカシの家に帰ろう)時刻は11時を回っていた。僕たちはフロアの中央で小刻みにステップを踏み、「フワ!フワ!」と言いながら一人踊るカズユキを残してラ スカラを出ることにした。

夏の気配を感じさせる生温い風がまとわりつく夜の渋谷公園通りで、僕たちは駅に向かって歩き始めた。もう誰がラスカラに残っていて、誰が先に帰ったのかなんてわからない。花小金井から徒歩20分のアパートまで帰るのが面倒くさいタカユキと、同じく竹ノ塚まで帰るのが面倒くさい僕はタカシへの断りもなく、とにもかくにもタカシの下宿先に泊まろうと、タカシ本人の了承を得ることもなく、勝手にそう決めていた。
そんな気配を感じ取ったタカシが渋谷駅前スクランブル交差点の信号待ちの時に、こう聞いてきた。「おまえら、帰るんだろ、自分の家に」僕ははっきりと答えた。「いや、おまえん家に泊まる」。タカユキは無言でいた。「いいけどよぉ、食いもんは何もねぇぞ。それに明日俺はバイトの面接だから朝は早いぞ」ニタニタと笑いながらタカシがそう答えた。この男は、果たして僕たちを泊めることを喜んでいるのか、もしくは迷惑だと思っているのか、僕にはよくわからなかった。ひとつ言えることは、一人暮らしの経験のない僕が一人暮らしのタカシの気持ちを勝手な解釈で推測した場合、僕たちが泊まることをタカシは必ずや喜んでいるに違いない、だって一人暮らしなんて寂しいに違いない、だから僕たちが「泊めてくれ」と言うことを乞い望んでいたに違いない、僕は心の底からそう思っていた。

渋谷駅の切符券売機の上にある料金表のカ行にある五反田までの料金・150円を確認しつつ、それでも僕は場合によっては恵比寿で降りて日比谷線で竹ノ塚まで帰ることも考えながら切符を買った。
夜の11時を過ぎた山手線は、会社員やOL、学生たちで混雑していた。そして酒を飲み、帰る人間たちが多いのだろう、酒席で尽きることのなかった会話の続きがこの山手線の中で取り交わされていたために、車内は授業前の教室のようにザワザワとざわついていた。車窓の向こう側には、マンションの部屋明かりとビルの屋上につけられた赤い光が点々と数多く灯されていた。目黒近辺のそういった夜景を見つめ、吊革につかまりながら僕たちは愚にもつかない会話をした。「あのね、あそこに日の丸っていう自動車教習所があんだけど、俺さ、この夏にね、あそこで免許をとろうと思うんだ」僕は教習所にかかる費用の算段もついていなかったが、そう言いきってみた。
「へぇ、いいなぁ…、シンの家ってクルマは何に乗ってんのよ」タカシのこの返答に僕は少し戸惑いを覚えた。なぜなら実家には自家乗用車がなかったからだ。あるのは父親が魚市場への行き来と配達に使う魚の臭いの染みついたダットサンだけだったからだ。なので僕は一瞬口ごもることになる。その間、加速を続けていた山手線は目黒駅手前でガクンと速度を落とした。吊革につかまっていた僕たち3人のカラダが大きく揺れた。
「ダットサン…」
「えっ?ダットサン?」タカシが意外な顔をして聞き返してきた。
「そう、ダットサン、コラムシフトだぞ」
タカシからの返事はなかった。その横でタカユキが大きなあくびをしながらこう言った。「シン、夏になったらダットサンで海に行こうぜ」。目黒駅に到着した山手線で降りる人は少なく、一方で数人のサラリーマンが乗り込んできた。
「海ね、いいよ。外房へ行こうぜ」僕の頭の中ではラ スカラで鳴り響いていた洋楽ディスコミュージックがリピートされていたのだが、タカユキの「海」という言葉を聴いた瞬間、先週のTBSザ・ベストテンで上位曲にランキングされていた杉山清貴&オメガトライブの"SUMMER SUSPICION"という曲が頭の中で鳴り響いてきた。

なぜ 
外したのさ
僕があげた
銀の指輪 
いつ
ハイウェイ 
ハンドル持つ
細い肩が 
震えてたね
急に 
ウィークエンドドライビング

I can't say
夏が来て
愛は
乾くのさ
僕と誰を
比べてるの
つのるジェラシーに
灼かれて
You can't say
醒めた分
つくる優しさが
もっと僕を
苦しめるよ
My summertime Love suspicion

(杉山清貴&オメガトライブ SUMMER SUSPICION 1983) 

五反田駅で降りると、僕たちは短い横断歩道を渡り、都営浅草線に乗るため地下階段を降りて行った。僕は高校時代から都営浅草線には乗り慣れ親しんでいたが、明学は高輪台にあったので高輪台から先には行ったことがなかった。だから妙な違和感を覚えた。それに、足立区で暮らす僕にとっては、「五反」に続く言葉は「野」だった。そう、竹ノ塚、西新井、梅島の次にある「五反野」こそが由緒正しき駅で、「五反田」という名前はきっと五反野を真似たんだろう、くらいのことを思っていた。
人影もまばらな地下鉄のホームで無口になった僕たちは何をするでもなく、ただひたすら電車を待ちつづけていた。15分ほど経ったあとにようやくと西馬込行の電車がやってくるアナウンスがカビ臭いホームに鳴り響いた。ガラガラの電車に乗って席に腰をかけたが、隣の駅の戸越へはあっという間に着いてしまった。

僕たち3人は深夜の戸越銀座商店街をとぼとぼと歩いた。街灯の白い明かりが等間隔でどこまでも続いていたけれど、店のシャッターはどこも閉まっていた。赤い首輪をつけた黒い野良犬が肩を落としてこちらへ歩いてきた。
「おまえん家って、近いの?」僕の質問に対し、タカシは野良犬を避けるように僕の方に肩をぶつけるほどグッと近づいてくると大きな声でこう答えた。「品川区戸越2丁目6の11!」。初めて暮らす東京の下宿先の住所をタカシは何度となく反芻して覚えたのだろう、ご丁寧に区の名前まで滑舌よく僕に教えてくれた。「あっ、ここって大田区じゃないんだ、品川区か」。そうタカユキが言った。足立区に住む僕にいたっては、もう目黒区も品川区も大田区も港区も渋谷区もキチンとした区別がつかなかったので、黙って聞いていた。
しばらくするとタカシがお弁当屋のある交差路を右に曲がった。僕たちはクルマの後輪のようにタカシの後ろをだまってついて歩く。左手先にはただひとつ、煌々と明かりの灯った豆腐屋が一軒見えた。豆乳の匂いがあたりをおおっていた。
「ここだよ」そう言って、クルマ2台程の駐車スペースの先にある明かりの消えた喫茶店に向かってタカシは歩き出した。店の前に置かれた小さな行燈サインはコンセントが抜かれていたが、白いプラスチック板にはUCCのロゴマークの下に赤い文字で『喫茶トップ』と書かれていた。そしてタカシは後ろに続く僕たちの姿をチラと見ると喫茶トップの入り口横にとりつけられた階段をカン・カン・カンと音を立てて上がっていった。ドアの前で立ち止まるとタカシはポケットに手をつっこみ、いくつかの鍵がとりつけられたキーホルダーを取り出して鍵穴に鍵をつきさし、ガチャガチャとドアノブを回すが、開かない。「あっ、間違えた」そう言って別の鍵を入れるが、またしても開かない。「おいおいおい、ドアノブが壊れちまうぞ」、タカユキが真向かいの202号室を気にしながらそう言う。どうやら2部屋しかないようなので、アパートというよりも一軒家の下宿先、といった趣きだろうか。だから午前0時の真夜中に近所迷惑であることをタカユキは心配しているようだ。
実際、なんだか取りつけの悪い音がするし、心なしか倒れる直前のコマのようにドアノブはぐらついているようにも見えたから僕も心配になってきた。「鍵がみんな似てるからわかんねぇんだよ」タカシはそう言うと、別の鍵を入れてドアノブをグイっと右に回した。今度はガチャという小さな音とともにドアが開いた。「あっ、開いた」僕たちの方を向きながらタカシはうれしそうに笑顔でそういった。「おまえ一体、他の鍵はどこの鍵なんだよ」タカユキの質問には答えずに、タカシは「どうぞ」といって僕たちを部屋に招きいれた。

玄関はバスマット1枚程度の広さで、カカトが踏みつぶされて汚れた白のスニーカーと茶色のサンダルが無造作におかれていた。先に部屋に入っていったタカシが部屋の真中で和式の照明に取り付けられたヒモをガチャガチャと2回ひっぱって明かりをつけた。僕はタカシの部屋のニオイを嗅いだ。それはタバコの臭いであり、トイレにでも置かれているのだろう、消臭剤のミントの香りが入り混じった臭いだった。部屋は8畳ほどの広さで、玄関の目の前に和式のトイレがあり、部屋の右手に台所、その対面には窓があって、パイプ製のベッドが窓わきに置かれていた。開け放たれた押入れを覗いてみると、そこには教科書や本が置かれ、ライトスタンドもあった。「タカシ、この押入れってもしかしたら勉強机になっているの?」僕がそう聞くと、「この部屋は1Kで狭いからな、工夫したのよ」恥ずかしそうな顔でタカシはそう言い、ベッドと台所の間に置いてある折り畳み式の小さなテーブルの上に冷蔵庫から取り出した缶ビール2本と、それぞれに大きさもカタチも違う3つのグラスを置き、やおら胡坐をかいて座った。部屋の様子をぐるりと見回した後に僕はタカシにもうひとつ質問をした。「タカシ、テレビはどこよ?」タカシが即答した。「テレビはない・・・見ねぇもん」。

僕たち3人はサッポロビールで乾杯をした。ビールはぬるくて泡立ちもなかったので一口で飲むのをやめた。僕は再び立ち上がると押入れ机の奥にある本の背表紙に見入ってみる。そこには20冊ほどの本が背の高さもまちまちに雑然と置かれていたのだが、手前には『BIG tommorow』という雑誌が数冊、そして3冊の単行本がぶっきらぼうに置かれていた。3冊はいずれも同じイラストレーターだと思われる作風の表紙画で、オレンジや青、ピンクや茶色など色使いに特長があった。そのうちの一冊の帯にはこう書かれていた。「群像新人文学賞受賞―1970年夏、あの日の風は、ものうく、ほろ苦く通りすぎていった。僕たちの夢は、もう戻りはしない―青春の生のかけらを、乾いた都会的な感覚で捉えた、新鋭、爽やかなデビュー!」。その本のタイトルは『風の歌を聴け』、著者は村上春樹と書かれていた。村上春樹?果たして聞き覚えのない作家だった。他の2冊は『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』というタイトルだったのだが、今まで見聞きしたことのないタイトルが僕の興味を大きくそそった。だから僕は立ったまま『風の歌を聴け』のページをペラペラとめくってみた。すると背表紙の裏側に几帳面そうできれいな英文筆記体で何かが書きこまれいた。
" Takashi Suzuki at Sanseido , Ochyanomizu 25/3/1984 "
どうやらタカシは本を買うと、いつ・どこで買ったのかを背表紙裏に書き込むクセがあるらしく、ほとんどの本の背表紙裏側には丁寧な筆づかいの英文筆記体でその詳細が書きこまれていた。すると「シン、おまえ何見てんだよぉ、いいから座ってビールを飲めよぉ」、少し酔った口調でタカシがそう言うが、タカユキは缶ビール2本を親指と人差指でつかんで掲げ持ち、「もう、ないわ」、そう言った。「日本酒ならあるぞ。熱燗で飲もうか」、タカシはそう言うと膝に手を置いて立ち上がり、食器棚の下扉を開くと、コーヒーメーカーのメモリ付きガラスポットを取り出して冷蔵庫横のすきまに置いてあった菊正宗の一升瓶を左手でわしづかみにした。そして栓を抜き、ジョボジョボとコーヒーポットに日本酒を注ぎはじめる。ナミナミと注がれた菊正宗を見て満足すると、そのものをガス台の上に置き、レバーを回してタカシは直火で温めはじめたではないか。僕とタカユキはおつまみに出されたスルメをかじりながら、事の成り行きを見守っていた。すると不安な表情でタカユキが言う。「おまえ、直火で大丈夫かよ?」、タカシは全く気にする風でもなく「この前もさぁ、こうやって一人で日本酒を飲んだから大丈夫だよ」、そう言って台所を背にして僕たちの前に座った。

そうして僕たちは3次会に突入した。お腹も一杯だったし、酔いもいくぶん醒めてはいたのだが、ガスで温められた日本酒が揮発して酒臭いニオイが部屋の中に充満すると、なんだか再び酔いが大きく回ったような錯覚にとらわれてきた。するとたいしておもしろくもない話がおかしくて仕方がなく、僕たちは口にする一言一言を聞くにつけ、ケタケタと笑いあっていた。その時、僕は視線の左手奥、台所の壁を伝い走る大きなゴキブリを発見、恐れおののいて、「うわっ、タカシ、ゴキブリだ!コックローチはないのか!」中腰になりながらそう言ったのだが、タカシは「やっぱりあれがゴキブリかぁ。ほら、俺、稚内だからゴキブリって見たことないんだよ」、笑いながらそういった。この春から201号室の部屋の住人となったタカシによると、一階が食品を取り扱う喫茶店だから大家さんにはゴキブリが多い、と事前に聞かされていたらしいのだが、如何せん本物のゴキブリを見たことがなかったので、果たしてコオロギなのか、ゴキブリなのかの区別がつかなかったというではないか。「バカかおまえ!早く殺せ!」立ち上がって本棚にあった雑誌「BIG tommorow」を手にするとクルクル丸め、僕は戦闘態勢に入った。それをみたタカシが「あっ、それまだ読んでねぇんだよ!やめれって!」そう言った。僕は(やめれ?やめろ・だろ)そう思いながらギリギリとBIG tommorow を右手でつかみ持ち、左手でタカシの動きを制した。「やめれって!まだそのBIG tommorow、読み終わってないんだよぉ!」「うるさい!天誅だ!」
するとタカユキが大きな声でこう言った。「やばい!火事だ!日本酒が燃えている!」気がつくとガラスのコーヒーポットにナミナミと注がれた菊正宗から赤と青の炎が噴き出ていた。「あぁ!!水!水をかけれって!」慌てふためくタカシに対し、タカユキは冷静にガスレバーを元に戻して火を止め、コーヒーポットを持ってテーブルにおいてあった自分のビールグラスに沸騰した日本酒を注ぎ入れた。するとパリン!という音を響かせてビールグラスが割れてしまい、日本酒とガラス片がテーブルをおおった。
ゴキブリを追いかけていた僕、僕の手からBIG tommorow を取り上げようとするタカシ、そしてコーヒーポットをもったタカユキの動きが止まり、戸越2丁目6の11、201号室はつかの間の静寂につつまれた。
その静寂を破ったのはタカシだった。
「あぁ!!グラスが割れたっしょ!!」
タカシの絶叫が午前1時の戸越銀座商店街に響きわたっていった。 

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