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餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

小春日和

2012-03-10 11:17:34 | 札幌で考える

このところ続いていた土日休日出勤も終わり、
今日は家で何をするでもない。

今朝、
ルーンを連れて散歩をしながら
このところ気になっているさまざまなことを考えてしまう。

(ちっぽけなことにこだわる、ちっぽけな俺)

小春日和、
春は必ずやってくる。

最近、読んだ本を2冊。

・『残念な人の思考法』 山崎将志 日経プレミアシリーズ

・『ソーシャルメディア進化論』 武田隆 ダイヤモンド社

いずれも(またしても)図書館で借りる。

『残念な~』は、
本のタイトルに惹かれて前々から読みたいなぁと思っていた本。

要するに、
「思考停止状態にならないように」しなさい、と。

たとえばマクドナルド某店では
飲み物を注文されたらストローを覆う紙の上3センチを残して
残りを捨て、カップにさして渡す、という、
そんな気づかいが素敵だ、と(たとえば、ね)。

まぁ、そんな話である。

『ソーシャルメディア~』は仕事に役立つかなぁと思って借りてみた。

要するに、
SNSは個人による個人のものなので、
企業がつながることは(そもそも)ムズカシイ、
だけれど、
「企業と顧客が価値観で共鳴しあう関係構築の場」にはなり得ると。

まぁ、そんな話である。

もっとも印象に残ったのは、本論とは直接関係のないエピソード2つ。

ひとつは「ケビンベーコン・ナンバー」。
SNSの世界では「6次の隔たり」があるというもので、
アメリカの俳優の友達の友達の友達の・・・と辿って行くと、
3~4人目または6人目までにはケビンベーコンにたどり着く、
という考え方。
つまり、-世界中のだれとでも6人の知り合いで通じている-らしい。

(本当かなぁ)

もうひとつは、マーシャルマクルーハンという英文学者の
-メディアは人間の身体の拡張-という考え方。
交通手段は人間の足の拡張、
テレビやインターネットは目の拡張、
衣服は皮膚の拡張、
ラジオは耳の拡張・・・。

さぁ、土曜日。
あまり気分がのらないのだが、
夜はちゃんと稽古に行こう、
と思う。

Dsc_0303

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23%

2012-02-05 20:39:44 | 札幌で考える

以前に宣言をした通り、
今年読んだ本は全て餃子にUPすると決めたので書きます。

「国をつくるという仕事」  西水美恵子  英治出版
「地域を変えるデザイン」 isssue +design project   英治出版

おっ、同じ出版社だ(今、気がついた)。

「国をつくるという仕事」はFB上で某氏がオススメしていたので
(またしても)図書館で借りて読んでみました。

世界銀行副総裁という要職を勤めた西水さんというお方、
アフガニスタンやバングラディッシュをはじめとした途上国を訪れて
住民たちの貧困の現実を知り、その国のリーダーとの対話を重ね、
自律的な貧困脱却と国のあり方を問うた・というエッセイ集。

・・・なるほど、って感じです。

「地域を変えるデザイン」、こちらは朝日新聞の書評欄に載っていて、
おもしろそうだったので会社の本として購入してもらって読みました。

成長から成熟へと変わりゆく日本という国において、
もはや地方自治においては行政のみが
さまざまな社会問題を 解決するのではなく、
そこで暮らす人々のアイディアとデザインの力で解決していくのだ ・
とゆうお話です。

・・・なるほど、って感じです。

もしお金を出して買っていたら
いずれもが1冊1,890円ですから3,780円。
これだけあれば金富士で2人がベロベロに酔っぱらえますね。

もう衝動的に乱読するのは(そろそろ)止めにしたいものだ。

でもまぁ「地域を変えるデザイン」って本、
読み終わって何が印象に残ったのかというと、表紙の絵。

よぉーく見ていただきたいのだが、
北は北海道から南は沖縄まで、
都道府県のカタチが比率にあわせて並べられています。

こうしてみると、でっかいねぇ、北海道は。
こうしてみると、ちっちやいねぇ、東京は。

なんと北海道、日本の国土総面積の23%を占めるらしい。
いやぁ、勉強になりました。

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あの女(ひと)

2012-02-05 11:38:41 | 札幌で考える

1月28日土曜の朝日新聞から天声人語をご紹介したい。
ずいぶんと話題になったようなのでご存知の向きも多いかと思う。

  *

 東日本大震災のあと、数多くの言葉が紡
 がれてきた。 印象深かったひとつが、詩
 人 高良(こうら)留美子さんの一作だ。 「
 その声はいまも」の冒頭を引く▼〈あの女
 (ひと)はひとり/わたしに立ち向かってき
 た/南三陸町役場の防災マイクから/そ
 の声はいまも響いている/わたしはあの
 女(ひと)を町ごと呑(の)みこんでしまった
 が/その声を消すことはできない〉。津波
 を擬人化した「わたし」。「あの女(ひと)」
 とは、最後まで避難を呼びかけた宮城県
 南三陸町の職員、遠藤未希さんのことだ
 ▼その遠藤さんが、埼玉県の道徳の副読
 本に載るそうだ。県が独自に作り、この4
 月から公立の小中高校で使われる。その
 教材に「天使の声」と題して収録されると
 いう▼あの日、被災地では、それぞれの
 使命を果たそうとした人たちが尊い命を落
 とした。警察官や消防署員、消防団員も
 いた。遠藤さんのいた防災対策庁舎では
 41人の町職員らが亡くなった。個々の気
 高さを示しつつ、やはり痛恨のできごとに
 は違いない▼道徳にせよ報道にせよ、美
 談にとどまるなら死者は浮かばれまい。
 高良さんの詩は、ひとりの女性への静か
 な敬意に満ち、人間が自然への畏怖(い
 ふ)を忘れてきたことへの悔悟が流れて
 いる。美談を超えていく言葉の勁(つよ)
 さがある▼こう結ばれる。〈わたしはあの
 女(ひと)の声を聞いている /その声の
 なかから/いのちが甦(よみがえ)るの
 を感じている/わたしはあの女(ひと)の
 身体を呑みこんでしまったが/いまもそ
 の声はわたしの底に響いている〉。鎮魂
 と新生の声が聞こえる。

  *

襲いくる(わたし)に向かい(あの女)は、
事態に対しても決して慌てることのなく対峙し、
身命を賭して人々の生命を守ろうとする強い信念を感じる。

今でも三陸沖の海の中で、
そしてこの詩を読んだ僕たちの心の中で
(あの女)の言葉は言霊となって生き続けていくに違いない。

  *

 あの女(ひと)は、ひとり
 わたしに立ち向かってきた
 南三陸町役場の 防災マイクから
 その声はいまも響いている
 わたしはあの女を町ごと呑みこんでしまったが
 その声を消すことはできない

〝ただいま津波が襲来しています
 高台へ避難してください
 海岸近くには
 絶対に近づかないでください〝

 わたしに意志はない
 時がくれば 大地は動き
 海は襲いかかる
 ひとつの岩盤が沈みこみ
 もうひとつの岩盤を跳ね上げたのだ
 人間はわたしをみくびっていた

 わたしの巨大な力に
 あの女は ひとり
 立ち向かってきた
 わたしはあの女の声を聞いている
 その声のなかから
 いのちが甦るのを感じている

 わたしはあの女の身体を呑みこんでしまったが
 いまもその声は わたしの底に響いている

「その声はいまも」 高良留美子(1932~)

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ため息のでる本

2012-01-21 23:01:01 | 札幌で考える

今年は
読んだ本の感想をすべて餃子にUPしようと思っているので書きます。

たとえその本が深いため息のでるほど・・・の本であっても。

Dsc_0268朝日新聞の日曜「読書」面を読んでいたら、 
『売れてる本』というコラムで「驚きが待つ
切ない恋物語」というタイトルで1冊の本が
紹介されていました。

「陽だまりの彼女」 越谷オサム 新潮文庫

天下の朝日新聞が『売れてる本』として
紹介しています。

(はっはぁ~、なるほど・・・)

たまには恋愛小説でも読んでみよう、
そう思い、またしても図書館で借りて読んでみることにしました。

・・・やはり自分には無理でした。

こういう恋愛モノで満足できるのだなぁ、今どきの若者たちは。

主人公のカップルがつぶやくあらゆるセリフは
フワフワと綿毛のように宙をさまよい、
だから僕は何度も何度も読む手を休めて
舞い上がる綿毛の行く先をおいかけてみました。

それでも最後まで読めたのは、
コラムに書かれていた『ラストには大きな驚きが待っている』
というコメントに惹かれたからなのだが・・・。

伊東くん、深くため息をつきたい気分の時は、どうぞ。

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女性「性」にドキリとする

2012-01-15 14:03:02 | 札幌で考える

この週末、
FBで再会した大学時代の後輩、美和子嬢に紹介された本を読みました。

Dsc_0265・『冬の花火』          渡辺淳一
・歌集『乳房喪失』       中城ふみ子
・新編『中城ふみ子歌集』   菱川善夫 編

渡辺淳一というと『失楽園』とか『愛の流刑地』とか、
なんだか中高年者のヌメっとしていてオドロオドロしい
愛憎物語を書く作家という印象が一般的には強く、
(年も年なんだから)と諌めたくなるイメージでしょうか。

自分もそんなイメージが強くて氏の作品を読むことはなかったのですが、
数年前、知人に薦められた氏の半自叙伝『白夜』を読んでその思いを
新たにしたものです。

実際、数多くある氏の作品には伝記や医療を取り扱った作品も多く存在、
『冬の花火』も、とある女流歌人の半生を描いた作品でした。

その女流歌人とは、中城ふみ子。
北海道帯広市出身の彼女は昭和17年に19歳で結婚、
翌年長男を産み、次男を病気で失いますが、その後長女と三男をもうけます。

夫との離婚前後より歌作を始め、みるみる頭角を現わしていきますが、
作品の多くが相聞(そうもん)歌。
歌人や新聞記者など数多くの男性との恋愛をモチーフに、
女性としての気持ちをさらけ出した作品が有名なんだそうです。

最終的には乳癌で左乳房と、そして右乳房を失った後に癌が肺に転移、
昭和29年夏、31歳で札幌医科大学付属病院で亡くなりますから、
晩年はそのほとんどを病室で書き上げたようです。
(当時、渡辺淳一は札医大1年生)

『冬の花火』で、
渡辺淳一は彼女の自由、かつ奔放な生き様の一部始終を書き記しますが、
著者のストーリーテリングで作中の中城ふみ子を多少演出したであろうことを
差し引いたとしても、彼女が本当にここまで情欲的に、
そして貪るように 「恋愛」と「生」に執着したであろうことは、
中城ふみ子の書き残した作品から感じ取ることができます。

唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる

われに似たる一人の女不倫にて乳削ぎの刑に遭はざりしや古代に

冷えしきる放射線科の廊くだるポケットに狂へる時計とわれの掌

乾きたる陶器となりし雪はらに憎悪に研ぎし彼の顔を置く

『冬の花火』を読み進めていると、どうも渡辺淳一のイメージが頭から離れず、
また末期癌患者であるという事実、そして歌の言葉の静謐なことから
中城ふみ子が40~50代の女性に思えてしまい仕方がなかったのですが、
実際は31歳で亡くなった人生経験の少ないうら若き女性。
そのことを何度となく反芻しながら読み進めないといけないほどの
中城ふみ子の生き様と言葉でした。

まさに冬の花火のように、白い吐息のような濃厚な言葉をもらしながら
短い人生を終えた中城ふみ子。
女性「性」にドキリとした週末となりました。

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