先日、子どもたちとNHKEテレの「にほんごであそぼ」を一緒に観ていたら、こんなくだりがあった。
日の出の時刻は明け六つ
おやつの時刻は八つ時
お化けが出るのは丑三つ時
「今何時だい?」
「草木も眠る丑三つ時」
そ、そうだったのか。「おやつ」というのは「八つ時(午後三時頃)」に食べることに由来するのか!恥ずかしながら、知らなかった。これまで半世紀以上ぼんやりと生きてきてからだろうな。
落語「時そば」の有名な場面に、
「十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻(なんどき)だい?」
「エー、ここのつで」
というのがある。
このように明治の改暦以前は時刻を「八つ(やつ)」「九つ(ここのつ)」などと呼んでいたが、この仕組みを知らないと、「時そば」の話が腑に落ちない。
「時そば」では、そばを食べ終えた男がそばの代金16文を「銭が細けえんだ」と「ひー、ふうー、みー」と数えながら一文ずつ蕎麦屋の手に渡していき、「やー」まできた時に「(今)何刻だい?」と問いかけ、蕎麦屋が「ここのつで」と答えると、男は「十(とお)、十一、十二、十三、十四、十五、十六…じゃ、あばよー」と1文ごまかして、立ち去って行く。
それを見ていたもうひとりの男が「おれもやってみよう」と、次の日の「少し早い時間」に同じことを試みる。
そばを食べ終えた男が蕎麦屋に「いくらだい?」と訊くと、「十六文です」という返事。しめしめとばかりに男が昨夜見た例の手を使って1文ごまかそうとする。
「銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、手をだしてくんねえ…十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?」
「へー、よつで」
「いつ、むー、なな、やー、ここのつ…あれ…余計に払ってるぞ」
作戦失敗!バカだね、この男は、ハハハ、と見事な落ちに笑わされておしまい、ということになりそうなのであるが、ちょっと待てよ、と。「少し早い時間」とはいえ、この時も夜遅い時間だったはずだ。それなのに昨晩は「九つ」で、この時は「四つ」とはこれいかに。
そのからくりは江戸時代の時刻の呼び方にある。
江戸時代の時刻は日の入りと日の出によって決められていた。日の出の頃が「明け六つ」で、日の入りの頃が「暮れ六つ」。そしてその「暮れ六つ」と「明け六つ」を6等分して一時(いっとき)になる。1日が12等分されるので一時は約2時間。
問題はここからだ。「明け六つ」の次は「明け七つ(ななつ)」と一つずつ増えていきそうなものだが、江戸時代には何と一つずつ数が減っていくのである。「明け六つ(午前6時)」で日が昇り、約2時間ごとに五つ(午前8時)、四つ(午前10時)と下がっていき、またもや何と!四つまで下がったところで九つ(正午)に戻ってしまうのだ。一見不合理に思われるが、正午と午前0時(正子)を共に九つとするというそれなりに合理的な理由による。その後、再び八つ(午後2時:3時のおやつはこの時間帯に入る)、七つ(午後4時)、六つ(午後6時)、五つ(午後8時)、四つ(午後10時)と下がったところで、やはり九つ(午前0時)に戻り、八つ(午前2時)、七つ(午前4時)、六つ(午前6時)で24時間を1周することになるのである。
というわけで、「時そば」の前の晩の時刻は「九つ(午前0時)」であり、明くる晩が「四つ(午後10時)」で、ようやくこの話が腑に落ちる、というわけである。
ちなみに「草木も眠る丑三つ時」とは、丑の刻「八つ(午前2時)」を4つに分けた3番目の時刻のことで、今の午前3時から3時半のことである。
日の出の時刻は明け六つ
おやつの時刻は八つ時
お化けが出るのは丑三つ時
「今何時だい?」
「草木も眠る丑三つ時」
そ、そうだったのか。「おやつ」というのは「八つ時(午後三時頃)」に食べることに由来するのか!恥ずかしながら、知らなかった。これまで半世紀以上ぼんやりと生きてきてからだろうな。
落語「時そば」の有名な場面に、
「十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻(なんどき)だい?」
「エー、ここのつで」
というのがある。
このように明治の改暦以前は時刻を「八つ(やつ)」「九つ(ここのつ)」などと呼んでいたが、この仕組みを知らないと、「時そば」の話が腑に落ちない。
「時そば」では、そばを食べ終えた男がそばの代金16文を「銭が細けえんだ」と「ひー、ふうー、みー」と数えながら一文ずつ蕎麦屋の手に渡していき、「やー」まできた時に「(今)何刻だい?」と問いかけ、蕎麦屋が「ここのつで」と答えると、男は「十(とお)、十一、十二、十三、十四、十五、十六…じゃ、あばよー」と1文ごまかして、立ち去って行く。
それを見ていたもうひとりの男が「おれもやってみよう」と、次の日の「少し早い時間」に同じことを試みる。
そばを食べ終えた男が蕎麦屋に「いくらだい?」と訊くと、「十六文です」という返事。しめしめとばかりに男が昨夜見た例の手を使って1文ごまかそうとする。
「銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、手をだしてくんねえ…十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?」
「へー、よつで」
「いつ、むー、なな、やー、ここのつ…あれ…余計に払ってるぞ」
作戦失敗!バカだね、この男は、ハハハ、と見事な落ちに笑わされておしまい、ということになりそうなのであるが、ちょっと待てよ、と。「少し早い時間」とはいえ、この時も夜遅い時間だったはずだ。それなのに昨晩は「九つ」で、この時は「四つ」とはこれいかに。
そのからくりは江戸時代の時刻の呼び方にある。
江戸時代の時刻は日の入りと日の出によって決められていた。日の出の頃が「明け六つ」で、日の入りの頃が「暮れ六つ」。そしてその「暮れ六つ」と「明け六つ」を6等分して一時(いっとき)になる。1日が12等分されるので一時は約2時間。
問題はここからだ。「明け六つ」の次は「明け七つ(ななつ)」と一つずつ増えていきそうなものだが、江戸時代には何と一つずつ数が減っていくのである。「明け六つ(午前6時)」で日が昇り、約2時間ごとに五つ(午前8時)、四つ(午前10時)と下がっていき、またもや何と!四つまで下がったところで九つ(正午)に戻ってしまうのだ。一見不合理に思われるが、正午と午前0時(正子)を共に九つとするというそれなりに合理的な理由による。その後、再び八つ(午後2時:3時のおやつはこの時間帯に入る)、七つ(午後4時)、六つ(午後6時)、五つ(午後8時)、四つ(午後10時)と下がったところで、やはり九つ(午前0時)に戻り、八つ(午前2時)、七つ(午前4時)、六つ(午前6時)で24時間を1周することになるのである。
というわけで、「時そば」の前の晩の時刻は「九つ(午前0時)」であり、明くる晩が「四つ(午後10時)」で、ようやくこの話が腑に落ちる、というわけである。
ちなみに「草木も眠る丑三つ時」とは、丑の刻「八つ(午前2時)」を4つに分けた3番目の時刻のことで、今の午前3時から3時半のことである。