餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

おやつと時そば

2016-11-23 06:19:34 | Speak, Gyoza
 先日、子どもたちとNHKEテレの「にほんごであそぼ」を一緒に観ていたら、こんなくだりがあった。

日の出の時刻は明け六つ
おやつの時刻は八つ時
お化けが出るのは丑三つ時

「今何時だい?」
「草木も眠る丑三つ時」

 そ、そうだったのか。「おやつ」というのは「八つ時(午後三時頃)」に食べることに由来するのか!恥ずかしながら、知らなかった。これまで半世紀以上ぼんやりと生きてきてからだろうな。

 落語「時そば」の有名な場面に、

「十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻(なんどき)だい?」
「エー、ここのつで」

というのがある。
 このように明治の改暦以前は時刻を「八つ(やつ)」「九つ(ここのつ)」などと呼んでいたが、この仕組みを知らないと、「時そば」の話が腑に落ちない。

 「時そば」では、そばを食べ終えた男がそばの代金16文を「銭が細けえんだ」と「ひー、ふうー、みー」と数えながら一文ずつ蕎麦屋の手に渡していき、「やー」まできた時に「(今)何刻だい?」と問いかけ、蕎麦屋が「ここのつで」と答えると、男は「十(とお)、十一、十二、十三、十四、十五、十六…じゃ、あばよー」と1文ごまかして、立ち去って行く。
 それを見ていたもうひとりの男が「おれもやってみよう」と、次の日の「少し早い時間」に同じことを試みる。
 そばを食べ終えた男が蕎麦屋に「いくらだい?」と訊くと、「十六文です」という返事。しめしめとばかりに男が昨夜見た例の手を使って1文ごまかそうとする。

「銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、手をだしてくんねえ…十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?」
「へー、よつで」
「いつ、むー、なな、やー、ここのつ…あれ…余計に払ってるぞ」

 作戦失敗!バカだね、この男は、ハハハ、と見事な落ちに笑わされておしまい、ということになりそうなのであるが、ちょっと待てよ、と。「少し早い時間」とはいえ、この時も夜遅い時間だったはずだ。それなのに昨晩は「九つ」で、この時は「四つ」とはこれいかに。
 
 そのからくりは江戸時代の時刻の呼び方にある。
 江戸時代の時刻は日の入りと日の出によって決められていた。日の出の頃が「明け六つ」で、日の入りの頃が「暮れ六つ」。そしてその「暮れ六つ」と「明け六つ」を6等分して一時(いっとき)になる。1日が12等分されるので一時は約2時間。
 問題はここからだ。「明け六つ」の次は「明け七つ(ななつ)」と一つずつ増えていきそうなものだが、江戸時代には何と一つずつ数が減っていくのである。「明け六つ(午前6時)」で日が昇り、約2時間ごとに五つ(午前8時)、四つ(午前10時)と下がっていき、またもや何と!四つまで下がったところで九つ(正午)に戻ってしまうのだ。一見不合理に思われるが、正午と午前0時(正子)を共に九つとするというそれなりに合理的な理由による。その後、再び八つ(午後2時:3時のおやつはこの時間帯に入る)、七つ(午後4時)、六つ(午後6時)、五つ(午後8時)、四つ(午後10時)と下がったところで、やはり九つ(午前0時)に戻り、八つ(午前2時)、七つ(午前4時)、六つ(午前6時)で24時間を1周することになるのである。
 というわけで、「時そば」の前の晩の時刻は「九つ(午前0時)」であり、明くる晩が「四つ(午後10時)」で、ようやくこの話が腑に落ちる、というわけである。
 
 ちなみに「草木も眠る丑三つ時」とは、丑の刻「八つ(午前2時)」を4つに分けた3番目の時刻のことで、今の午前3時から3時半のことである。
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すみだ健康スポーツセンター

2016-11-10 12:17:25 | 餃子パーク
 10月25日(火)晴れときどき小雨

 最高気温17度という、上に何か一枚羽織るものが欲しいこの日、愚息の通う幼稚園は前日に行われた「お芋掘り」のために「お疲れ休み」となったので、彼を連れて「すみだ健康スポーツセンター」のプールへ行くことにした。

 錦糸町駅から「青戸車庫行き」のバスに乗り、「八広二丁目」で下車後、徒歩数分で「すみだ健康スポーツセンター」に到着のはずが、バス停から逆方向に向かったため、一帯を大きく迂回することになり、到着までに20分を要してしまった。

 毎月25日は無料開放日なので、もしかしたら混雑しているかも、とも予想していたが、この日は平日ということもあって、利用者は20〜30人ほどのお年寄りばかりでガラガラと言ってもいいぐらいに空いていた。

すみだ健康スポーツセンターHPより。流れるプールもある。

 ここには全長50mというかなり本格的なウォータースライダーもあるのだが、順番待ちをしている人は皆無だった。どこに行っても大人気のスライダーにまったく人が並んでないというのもなかなかに異様な光景と言えた。

同HPより。

 息子の京と僕は1度だけスライダーをトライした。京は初めてということもあり、少し怖かったのか、「トトと一緒がいい」というので2人で滑った。着水した後、京は「溺れそうになっちゃった」と着水時のことを嬉しそうにそう表現した(帰宅後、家内にもやはり嬉しそうに報告していた)。

 ビート板を使っての泳ぎの練習は、手前部分をつかみ身体を伸ばしてバタ足ができるようになった。僕が体を支えてやらなければならないというのは以前と同じだが、板の先の方を持ってしがみつくという段階から一歩前進というところか。

 錦糸町からバスで初めて行くということと、さらにバス停から大きく迂回してしまったことで予想以上に到着までに時間がかかり、また家内が3時から外出する予定もあり、さらにどこかでお昼ご飯を食べさせなくてはならないことなども考慮に入れると、ここに来てからまだ40分ほどしか遊んでいなかったが、そろそろ帰らないと家内の外出時間に間に合わなくなってしまう。妹の面倒も見なければならないので、3時までには帰宅していなければならない。その辺のことを話して、「だからそろそろ帰るぞ」と京に告げると、さすがに京は「いやだいやだ、もっと遊びたい」と涙を流して訴えた。「ごめんな京。ちょっと時間が読めなかった。また今度ゆっくり来るから。今日は帰ろう。またきっとくるから」「幼稚園、休みのときに?」「うん、そうだ」となんとか宥めて帰路に着いた。

 帰りは平井駅まで歩いて行ったのだが、センターを出ると京はすぐに抱っこをせがみ、そうしてやると間もなく寝てしまった。

 水道橋のマクドナルドでハッピーセットを食べてから三田線で帰宅。

 最寄り駅を出ると、京が「雨?」と呟いた。手を繋いで家路を辿る僕たちに少量ではあるがポツ…ポツ…ポツと雨滴が落ちて来た。

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暮れなずむ千住

2016-11-06 11:01:47 | 札幌SKY
10月の日曜

母の暮らす施設を訪れた帰りしな、
暮れなずむ千住で
靖男と酒を飲んだ。

靖男とは、
ふたつ年の離れた弟 のこと。

着古したダンガリーシャツにジーンズ、
足には赤いビーサンを
だらしなくつっかけた靖男は、
行き交う人の多い
西口改札前の壁にもたれながら
文庫本を読んでいた。

ブックオフの100円シールが貼られた
その文庫本は、
山本周五郎 『樅(もみ)の木は残った』。

さて、
ビーサンをつっかけて
文庫本を読みながら
人を待つこの姿、

この姿が似合う人を
もうひとりだけ、
僕は知っている。



細長く曲がった小路の先、
「力安」と書かれた居酒屋に
靖男は迷わず入っていった。

夕方4時すぎだとゆうのに、
狭い店内はヤケに騒がしい。

長テーブルの通路脇の席、
背もたれのない丸イスに腰をかける。

靖男は丸椅子に腰かけず
そのまま店の奥まで進み、
女性店員と一言二言、
親し気に言葉を交わしていた。

生ビールをジョッキでふたつ
運んできた女性に、

「あんね、
 これ、
 おれのアニキ」

そう紹介して
生ビールを受け取った。

僕は
夏のどぶ板のように反りあがった
短冊メニューの数多くを眺めながら、

・揚げ茄子のおひたし
・秋刀魚の刺身
・生タコのポンズあえ

その三品を頼んだ。

きっと秋刀魚と生タコは
千住市場から仕入れているのだろう、
そう思う。

生ビールを飲み干した僕たちは
靖男はホッピーを黒で
僕は白を注文した。



僕は千住寿町で、
靖男は竹ノ塚で産湯を使った。

育ったまちは竹ノ塚だが、
祖父は千住で洋品店「テーラー関川」
を営み、
父は千住市場で働いていたし、
母方の親戚は千住を中心に
暮らしていたので
千住のまちは
僕たちに馴染み深い。

まして
靖男は
北千住の駅まで
歩いて来られる距離に
暮らしている。

店の外、
人の往来を眺めながら
靖男が呟いた。

「どうだい、千住はいいだろ」

ホッピーの氷を指でかき混ぜながら、
僕は応えた。

「そうさな、千住はいいな」

そして靖男は
ホッピーの中(なか)を注文して
秋刀魚の刺身を
箸でつつきながら、
俯(うつむ)きがちに
話し始めた。

それは
息子の大学受験についてだったり、
大学生となった長女のことだったり、
そして
仕事を辞めたこと、
11月から
新しい職に就くこと、
だ。

そして僕に

「アニキ、
 申し訳ないが
 もう少し待ってくれ」

そう言った。

靖男、
待つも何もそんなことはもう、
忘れてもらっていいんだ。

何も気にすることはない、
その気持ちだけもらっておくよ

それで充分だから

そう応えた。

そして
僕たちは
いろいろなことがあるけれど、
なんとかこうして
暮らせていることに感謝して
生きていこう、
と、
そう伝えた。



『寅次郎君

 今、
 君は女房も子供もいないから
 身軽だと言ったね?

 あれはもう十年も昔の事だがね、
 私は信州の安曇野という所に
 旅をしたんだ

 バスに乗り遅れて
 田舎道を一人で歩いている内に、
 日が暮れちまってね

 暗い夜道を心細く歩いていると、
 ポツンと一軒の農家が建ってるんだ

 リンドウの花が、
 庭いっぱいに咲いていてね

 開けっ放した縁側から、
 明かりのついた茶の間で
 家族が食事をしてるのが見える

 まだ食事に来ない子供がいるんだろう
 母親が大きな声で
 その子供の名前を呼ぶのが聞こえる

 私はね、
 今でもその情景を
 ありありと思い出す事ができる

 庭一面に咲いたリンドウの花

 明々と明かりのついた茶の間

 にぎやかに食事をする家族たち

 私はその時
 それが、
 それが本当の
 人間の生活ってもんじゃないかと
 ふとそう思ったら
 急に涙が出てきちゃってね

 人間は、
 絶対に一人じゃ生きていけない

 逆らっちゃいかん

 人間は
 人間の運命に逆らっちゃいかん

 そこに早く気がつかないと、
 不幸な一生を送る事になる

 わかるね、
 寅次郎君

 わかるね』



(男はつらいよ「寅次郎恋歌」)


コメント (2)
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