餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

がまんのなみだ

2017-04-08 04:53:45 | Speak, Gyoza
 
 3月下旬より家内の実家に帰省していた妻子が、4月3日に帰京した。
 家内の両親は、あんなに寡黙だった長女りつの言葉の発達にとても驚いていたという。「りっちゃん、いろんなことが話せるようになったのね」と義母。宜(むべ)なるかな。彼女も今月中旬で3歳になる。もう3週間早く生まれていたなら、今月から幼稚園の年少さんだったのだ。

 そのりつの右の手の平に小さな棘(とげ)が刺さったままになっていた。棘は5ミリほどのごく細い木片で、おそらくいとこたちと遊んでいる間に手の平の表層に入り込んだのだろう、と家内は言っていた。
 帰宅後、家内がピンセットを使ってりつの手の平から棘を除去しようとしていた時、彼女はじっと我慢して右手を開いたままにしていた。親の意図を十分に理解しているのだろう。棘が取れ、家内が「りっちゃん、ちゃんと手を開いていて偉かったわよ。痛かったでしょ」と声をかけると、りつは崩れるように家内の胸に顔をうずめ、声をあげて泣いた。

 明くる日、東京の桜が満開になった、とニュースで知ったので、りつと長男の京を家内の電動アシスト付き自転車に乗せ、石神井川へ行き、2人の写真を撮って来ようと思った。
 京のお勉強が終わった後、石神井川に桜を見に行こう、と子どもたちを誘うと、京はすぐに同意したが、りつは京がお勉強の時に使っていた新着の「かきじゅんしらべるマスター」(こどもチャレンジ4月号付録)に触りたくてしょうがないようで、いやだいやだ、と首を振った。りつがその知育玩具に飽きるまでは無理だなと判断し、一時断念。
 しばらくして、りつが違うおもちゃで遊んでいるのを見計らって、再度子どもたちを石神井川に誘ってみた。僕が「トトはお昼から仕事だから、午前中しか表に出られないぞ」と言うと、京はまたもやすぐに乗ってきたが、りつの顔色はあまり積極的ではないようだった。それでもやはり外には行きたいのか、「いく」という低い声がした。
 外出の準備をさせると、りつは兄のお下がりである、お気に入りのペダルなし自転車を持ち出したがったが、なんとか「りっちゃん、お花を見た後で自転車をしよう」と言い聞かせて、2人を家内の自転車に乗せて家を出た。
 石神井川に着くと、後ろの席に座っていた京は自分でシートベルトを外して自転車から降りようとしていたので、そうさせてやった。
 それではりつを下ろそうかと、自転車の前の座席に回ってみると、なんということだ!娘の頬をいく筋もの涙が伝っているではないか!激しく動揺した僕は慌ててりつのシートベルトを外し、彼女を抱きかかえた。
 「寒かったのか、りっちゃん?」と訊くと、彼女は真面目な顔で首を2度3度横に振り、「どっか痛いのか?」と訊いても、やはり首を振った。「りっちゃん、自転車がしたかったのか?」と訊くと、りつは急に両手の甲で目を覆いながら、エーン、エーンと大きな声をあげて泣き出した。僕は一層強く彼女を抱き締め、「おうちに帰りたいか?」と言うと、たどたどしく「おうちに帰る」と泣きながら訴えた。

 実はりつの声なき涙は以前にも流されたことがある。先月、家内のバースデーケーキを彼女と買いに行った時のことだ。ホワイトデーの影響で、不運にも目当てのケーキ屋が2店とも休みだった。寒い中、自転車で30分以上もりつを引きずり回していたので、心配になって2軒目の店の前で自転車を停め、「りっちゃん、寒くないか?」と声をかけながら、彼女の顔を覗き込んだ時、りつは黙って涙を流していたのだった。ああ、何と自分は思慮が足りないのだろう!とその時の涙が骨身に応(こた)えていたはずなのに、程なくして再び己れの至らなさを深く悔いることになるとは…

 娘の名は、家内が音(おん)を提案し、僕がそのフォルムの美しさから平仮名で「りつ」とした。しかし、「りつ」という名には、自分を「律する」ことができる人間になって欲しい、という願いも込めたつもりだ。りつは、嫌なことや心地よくないことがあっても喚(わめ)き散らすくことなく、じっと我慢する子だ。しかしそれでも、時に堪(こら)えきれない涙がはらはらと零(こぼ)れ落ちてしまう。ようやく3歳にならんとするまだ小さな胸の内で、一生懸命に我慢して我慢して、耐えて耐えてもなお、我慢の堰を切ってしまう涙—そんな我慢の涙が痛いほどに僕の心を打った。明日にでも満開になるであろう、石神井川に垂れ込めたあでやかな桜の真っ只中、一切の音が消え、僕の腕の中で幼子が切実に泣きじゃくる声だけが谺(こだま)していた。
コメント (3)
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