But New Year’s Eve and Midsummer’s Day cannot really be compared. Midsummer’s Day―the day that marks the middle of summer―is a point in time that can be measured in terms of astronomy. For it is the summer solstice: the day on which the sun rises highest above the half of the Earth from which the sun’s height is measured. Thus, Australia’s Midsummer’s Day is England’s Midsummer’s Day. On the other hand, the hour of midnight on the 31st of December is, in terms of astronomy, nothing at all. It has no more natural importance than Christmas Eve, or the start of the school year. It is entirely man-made.
毎年、ヨーロパでは、非常に多くの人が大晦日や元旦のお祝いをする。そしてお祝いをしながら、よく真夜中の重要な時刻には、全宇宙に影響する何らかの出来事、すなわち日食や月食のようなことが起きているに違いないと感じたりする。家を出て、通りを歩いたり、踊ったりし、よくお酒を持ち歩いては、お互いに勧めあったり、自分で飲んだりする。彼らをつき動かしているのは、察するところ、ストーンヘンジを築き、夏至の日の夜明けに、太陽の光が最も重要な石を照らすのをついに見た人たちが抱いた気持ちにも似た感情であるように思われる。
しかし、実は、大晦日と夏至の日を比較することはできない。夏至の日―夏のど真ん中を印す日―は天文学的に測定可能な時点である。というのも、その日は夏の至点、すなわち太陽の高度を測定する地球の半球上で太陽が最も高く昇る日だからである。従って、オーストラリアの夏至の日はイギリスの冬至の日に当たる。それに対し、12月31日の真夜中の時刻は、天文学的には全く何の意味もない。クリスマスイブや始業式の日と同様、自然界ではいかなる重要性も持たないのである。完全に人間が作り出したものである。
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月は自転する地球の周りを回り、なおかつ地球はやや傾きつつ、太陽の周りを公転してゆく。四十数億年の間、地球は、来る日も来る日も、骨身を惜しまず、身を粉にしてそんな運動を続けてきた。キリストの誕生日も、僕の誕生日も区別することなく、ただひたすら、月を従え、自ら回転しつつ太陽の周りを回ってきたのだ。だから、地球は大晦日や元日などもちろん知らないし、初日の出だって一度も見たことはない。
そんな地球の運命を想うとなんだかとても静かな気持ちになる。日々の喧噪から離れ、僕も地球のように、一喜一憂せず、黙々と、自転しながら、少しずつ少しずつ、公転するように歩んでゆきたい思う。
テレビを消して、時計を外し、好きな音楽でも聴きながら、本でも読もう。眠たくなったら眠ればいいのだ。