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餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

ロッテルダムにて―2005年夏(3)

2013-10-27 22:00:39 | Depart, gyoza
 程なくしてバスがやって来た。
 バスの運転手はサングラスをかけて颯爽とした感じの女性だった。僕は念のため、目的地に着いたら声をかけてくれるよう、彼女に頼んだ。シュア、と運転手はやはり颯爽と簡潔に応じてくれた。バスの中で僕の隣に座ったおじちゃんがいろいろと教えてくれる。僕が目指している場所の近くに住んでいると言う。
 途中でバスの運転手が交替するが、またしても女性だった。サングラスはかけていなかったが、すらっとした体つきで髪をひっつめにした、やはりきびきびとした印象を与える女性だった。彼女が僕の頼みを引き継いでくれたかどうか、ちょっと心配だったが、しばらくすると、運転手が僕の方に視線を向けながら、「キンデルダイク!」と印象通りにきびきびとした口調で声をかけてくれた。
 そう、僕はまさしくオランダを象徴するキンデルダイクの風車を一度この目で見てみたかったのだ。いつか何かの写真集で目にした、夕日を浴びて真っ赤に染まる風車群の残像を忘れることができなかったのだった。
 バスが停車すると同時に、彼女にサンキューとお礼の挨拶をしてバスを降りた。バスの中から僕の隣に座っていたおじさんが手を振ってくれているので、僕も手を返した。バスが行ってしまうと、僕は案内板のところまで行き、大体の地形を頭に入れて、川岸に沿って歩き始めた。
 しばらく進んで行くと、写真集に載っていた風車群のアングルと思われる場所があった。念のために持ってきた写真のコピー(白黒ではあるが)を出して確かめる。間違いない、ここだ。
 僕はデジタルカメラを取り出して、写真を撮ってみる。角度は大体合っているのだが、夕暮れにはまだ時間があったので、とりあえず、18世紀の面影を残す19基の風車をすべて見て回ってくることにした。
 西の森の向こうに陽が落ちる頃、先程の場所まで戻って、写真撮影。カメラのさまざまなモードを駆使して何枚も撮ってみるが、写真集のような鮮やかな深紅の色はついぞ出なかった。プロの写真家たちは偏向フィルターか何かの着色技術を使用しているのかもしれないな。
 僕は、とにかくキンデルダイクにたどり着けただけでも幸いだった、と自分に言い聞かせながら、バス停への道をとぼとぼと歩き始めた。   (了)
  
   

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ロッテルダムにて―2005年夏(2)

2013-10-24 07:03:47 | Depart, gyoza
 ドイツから国境越えのICEに乗ってオランダに入り、乗り換えのためにユトレヒトで下車する。
 いつものことだが、初めて到着する駅ではなにかと迷う。乗り換え口に迷う。切符に迷う。カフェに迷う。そしてトイレに迷う。ローカル列車や地下鉄では、ゾーン制があったり、切符を自分で機械に入れて改札してもらわなければなかったり、トイレは有料であったりそうでなかったりと、都市によってそれぞれやり方が異なるから慣れないうちはいちいち悩む。まあ、そうした未知なるものに慣れていくにつれて、都市や町に親近感を覚えていく過程が旅の大きな魅力の一つといえば一つなのだが。
 何とかロッテルダム行きのチケットを購入して、電車に乗り込む。30分ほどで、ロッテルダムに到着。
 駅を出てこの日の宿を探すが、なかなか見つからずにやや焦りつつもやっと発見。?(ユーロ)65(当時のレートは今とほぼ同じ、?1= 135円前後なので、約9千円弱)。かなり予算オーバーだが、しかたがない。ロッテルダムでどうしても訪れたい場所があったので、ホテル探しにあまり時間を裂くわけにはいかなかったのである。
 目的の場所に行くには何とかという駅(スケジュール帳代わりにしているノートにも「○○○駅」としか書いてなかった)からバスに乗らなければならないのだが、その駅に向かうために地下鉄に乗ろうとするも手持ちのコインがなかったので、売店で水を買って小銭を作ることにする。
 地下鉄で○○○駅まで行く。ここからはバスだ。通りすがりの若者に、バスはどこから乗ればいいのか、訊くと、下だ、と言うので、その言葉に従う。
 階段を下りると、バスのチケット売り場が目に入ってきたので、これ幸いと、チケットを購入する。ついでに、目的の場所に行くには何番のバスに乗ればいいのかを教えてもらったので、その番号が書いてあるポールのところでバスが来るのを待つことにする。バス停にいた若い話し好きの男がバスの乗り方、そして目的地までの行き方についてあれこれ教えてくれる。ようやくロッテルダムのバスの乗り方がわかってきた。
 バスの乗り方はローカル列車や地下鉄よりもさらに難しい。いろいろと苦労してバスを乗りこなせるようになると、その街が一段と身近に感じられてくるものである。


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ロッテルダムにて―2005年夏(1)

2013-10-20 22:16:13 | Depart, gyoza
 その日僕は、朝5時半にベルリン中央駅の裏手にあるホテルの一室で目を覚ました。
 2005年夏に、僕は東ヨーロッパを北上する旅に出た。7月7日にアエロフロート機で成田を出発し、モスクワ経由でイスタンブール(トルコ)に着いたのが8日未明。その後、主に鉄道を使って、9日ルセ(ブルガリア)、10日ブカレスト(ルーマニア)、11日シギショアラ・ブラショフ(ルーマニア)、12-13日ブダペスト(ハンガリー)、14-15日プラハ・カルロディヴァリ(チェコ)などを訪問し、16日の夕刻にベルリン(ドイツ)にたどり着き、そして17日の朝をベルリンで迎えたのだった。
 駅近くのカフェでカプチーノとサンドイッチという簡単な朝食を済ませた後、僕は6:50発のICE(Intercity-Express:国際高速列車)乗り込んだ。
 昼前にドイツの西端に位置するデュイスブルクという地方都市に到着。ここでオランダへの国境越えの列車を待たなければならない。
 待ち時間がかなりあったので、駅近くのバーへ入り、カウンター席の一つに座って、オンタップのビールを注文した。日曜のお昼ということもあるのだろう、僕の隣では、この店の常連とおぼしき地元のおじさんたちが4人、ビール片手にサイコロを転がしつつ勝負事に興じていた。その中の、まるでスタン・ハンセンのようなおじさんが僕に興味を持ってくれたようで、あれこれ話しかけてきては、ビールのつまみを勧めてくれた。一人で店を切り盛りしているママさんも、おじさんたちに料理を出す時には僕の分まで作ってくれた。皮付きのフライドポテトやラタトゥイユのようなトマトの野菜煮込みといった素朴な料理がしみじみおいしかった。やはり、地方都市や田舎町はいいなあ。思ってもみない出会いがある。大都市ではなかなかこうしたふれあいは望めない。
 1時間半ほどそこで楽しい時を過ごした後、僕はおじさんたちとママさんに別れと感謝の言葉を伝えて店を出て、オランダへ向かう列車に乗るために駅へと戻って行った。ドイツのビールと人の情けに酔いながら。


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2005年東ヨーロッパの旅

2013-10-07 23:13:07 | Depart, gyoza
 10月3日に掲載した「NIGHTVISION」というタイムラプス映像を初めて観た時、僕はすぐに東ヨーロッパを旅したことを思い出した。「NIGHTVISION」で映し出される偉大な建築群を、その旅で立て続けに目にしていたからだ。
 僕が東ヨーロッパに一人で出掛けて行ったのは、ブルガリアとルーマニアが欧州連合(EU)に加盟する直前のことだった。どこかでそのニュースを耳にした僕は、欧州連合加盟前にそれらの国をぜひ訪れてみたい、と思った(ということを今でも明確に覚えている)。欧州連合に加盟すると、国境を越えての行き来が自由になり、外国人に対してもイミグレーションのパスポートコントロールがなくなってしまう。僕は、パスポートにイミグレーションのスタンプを押してもらったり、初めて訪れる異国で初めて見るお金を手にしたり、そのお金で土地のものを食し、その土地の交通機関に乗ったりする、ただそれだけのことが僕にはこの上もなく楽しかった。そういうわけで、欧州連合加盟前にどうしてもブルガリアとルーマニアを旅してみたかったのだが、どうせ行くならトルコからブルガリア、そしてルーマニアを経て、東ヨーロッパを北上してみようと思ったのである。
 本棚からスケジュール帳兼メモ帳にしている大学ノートを引っ張り出して確認してみると、僕が東ヨーロッパに向かったのは2005年の夏のことだった。実際、ブルガリアとルーマニアは2007年1月1日に欧州連合に加盟したが、通貨はいまだにユーロに切り替わってはいない。
 丸善の大学ノートに乱雑に書き込まれたメモによれば、僕は2005年7月7日から19日まで、12日間をかけて、トルコ(イスタンブール)、ブルガリア(ルセ)、ルーマニア(ブカレスト、シギショアラ)、ハンガリー(ブダペスト)、スロバキア(ブラチスラバ)、チェコ(プラハ、カルロビ・バリ)、ドイツ(ベルリン)、オランダ(ロッテルダム、アムステルダム)を訪れ、その間に「NIGHTVISION」で幻想的に映し出されていた、スルタンアフメト・モスク(イスタンブール)、(ハンガリー)国立劇場(ブダペスト)、ハンガリー国会議事堂(ブダペスト)、プラハの天文時計(プラハ)、ブランデンブルク門(ベルリン)、ベルリン大聖堂(ベルリン)、ベルリンテレビ塔(ベルリン)、ボーデ博物館(ベルリン)を見ているはずなのだが、名所見物は足早に済ませ、ご飯を食べたり、街路をぶらついたりすることに熱中していたので、正直あまり覚えてはいない。ただ、ブダペストで3日間やっかいになった宿屋のすぐ近くにあったハンガリー国会議事堂の圧倒的な景観は今でも脳裏に焼きついている。


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水仙と井戸水③

2013-02-22 22:28:37 | Depart, gyoza
 次の電車が来るまで30分ほどあったので、少し海辺を歩いてみた。
  
  
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正面に見えるのは三浦半島。
   
    

 再び内房線千葉方面行きの電車に乗り、木更津に向かう。

 竹岡13:46-内房線-14:19木更津

 乗車してすぐに電車の心地よい揺れに眠りを誘われ、20分ほど昼寝をした後、木更津駅で下車。まだ一度も乗ったことがなかった久留里線に乗ってみたかったのだ。
 久留里線は、木更津から房総半島内部に向かって伸びる単独の路線で、どの線にも接続していない、行き止まりの路線である。その形はまるで東京湾の小さな尻尾のようだ。こうした尻尾路線は周遊という形で利用することができないので、「よし、久留里線を踏破するぞ!」という強い意欲、もしくは何らかの目的でもないと、なかなか乗車の機会に恵まれない。今回の動機は後者にあたる。
 木更津駅で待つこと約30分、僕は久留里線14:50発上総亀山(かずさかめやま)行きの電車、いや違った、気動車に乗り込んだ。久留里線は千葉県内のJR線では唯一の非電化路線であるので、気動車、すなわちディーゼルカーが運行しているのだ。鉄道車両を表す記号に見られる「キハ…系」の「キ」とは「気動車」の「キ」のことである。ちなみに「キハ」の「ハ」は普通車のこと。昔は「イロハ」の順で、「イ」が一等車(現在では使用されていない)、「ロ」が二等車(現在のグリーン車)、「ハ」が三等車(現在の普通車)を表していた名残である。
 列車が動き出すと、僕はポケットから1枚のコピーを取り出して、読み返し始めた。以下に抜粋して引用しておく。

「久留里の銘水―生きている水」
 …房総には昔から“上総(かずさ)堀り”という伝統的な深井戸掘りがあり、最近では海外千年協力隊による、水不足の発展途上国の飲料水確保に大きく貢献している。
 上総堀りの自噴井戸が最も多いのが、君津(きみつ)市久留里地区である。この町へは木更津から「久留里線」の利用を是非お勧めしたい。首都圏にあって、腕木信号機などが残る昔ながらのローカル線なのだ。
 久留里地区の自噴井戸はJR久留里駅からすべて徒歩圏内にあり、街道に沿って深井戸から地下水を絶えず溢れさせている。その井戸の多くは観光協会の水質検査表が掲示してあり、“久留里の生きた水”をアピールして町おこしの気運も高まっている。中には常滑(とこなめ)焼の土管を井筒に施したものもあり、街道の所々に風情を添えている。
 造り酒屋の通りにある高澤さん宅の門前の水は『久留里の銘水』と表示してあり、水質検査表の掲示と汲みやすさもあって大勢の人が訪れている。   (「おいしい水を求めて 名水の旅100選」南正時)

 木更津14:50-久留里線-15:39久留里
   
    
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里山の田園地帯をのどかに走る久留里線。
   
    

 
   
     
 久留里駅を出て、すぐ右手に「平成の名水百選 生きた水の里 久留里」という掲示のある水汲み場があった。だが、まずは本のコピーにあった「造り酒屋の通りにある高澤さん宅の門前の水」を探してみよう。それが駄目だったら帰りにここで水を汲めばいい。
   
  

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水を汲む蛇口は左右に6つもあった。

 
  
 
   
     
     
 本の記事には「久留里の自噴井戸は駅前にあるほか、R410に面して数箇所」という言及もあったので、駅前の地図で国道410号線(久留里街道)の位置を確認してから、歩き始めた。
 駅を出てまっすぐ進んで行くと、200mほどで国道410号線に突き当たる。適当に右へ曲がってしばらく歩いて行くと、何とラッキーなことに、「高澤さん宅の門前の水」に出くわした。早速、傍らに置いてある柄杓ですくって口に含んでみる。なるほど、奥行きを感じさせるいい地下水だ。水はここで汲むことにしよう。水量が豊富であるため、空のペットボトル2本がすぐに地下水で一杯になる。
  


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「高澤の水」で淹れたお茶はおいしかった。

 
   
 一応これで久留里までやって来た目的は果たせたわけだが、一つ気にかかることがあった。本には「常滑焼の土管を井筒に施したもの」の写真が掲載されていたのだが、それを目にしていないのだ。国道を1kmほど往復してみたのだが、やはり見当たらない。帰りの列車の時間も近づいてきたので、常滑焼は諦めて、駅に戻ることにした。
 駅の水汲み場では、地元の人とおぼしきおじさんが大きなポリタンクに地下水を汲んでいたので、最後のチャンスだと思い、おじさんにコピーの写真を示しつつ、「この常滑焼の井筒を見たくて来たのですが、どこにあるかご存知ないでしょうか」と尋ねてみた。するとおじさんは、「あー、たくさんあるよ。国道から奥へ入って行く道沿いに」と言って、国道にぶつかったら右折し、すぐ次の角を左折するのだと教えてくれた。僕はおじさんにお礼を言って、急ぎ足でそこへ向かった。
 教えられた通りに道順をたどっていくと、あったあった、本の写真にあるのと同じ常滑焼の井筒が。
  
   

 

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「常滑焼の土管を井筒に施したもの」が街道に風情を添えていた。
   
   
 
    
    
     
 僕はその風景を満足げに見渡し、写真に収めた後、さらに急ぎ足で駅へと舞い戻った。駅へ戻るとすぐに帰りに乗る予定の列車が入線して来た。
 16時34分に久留里駅を出た気動車は急に夕暮れの深まりゆく里山をトコトコと少し寂しげに走るのであった。
   
   



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久留里線を包む美しい田園の夕暮れ。

 
   
 久留里16:34-久留里線-17:23木更津17:31-内房線-18:12千葉-総武線快速-東京-中央線快速-新宿-埼京線-板橋 (終点)



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