ようやく構造が終わりました。このところ、色々やってて翻訳の比重は少なめです。文字に置き換える作業は、読む作業と違って、熟読することになるので、理解が深くなるし、記憶に残りやすい気がします。昔の人は、特に幕末頃の人は、最新の外国文献など、借りて書写するケースが多かったようですが、読むだけより遥かに頭に入ったんじゃないでしょうか。
英語は、学生時代は、全くといってよいほど関心もなく、特に文法はいつも赤点ぎりぎりの劣等生でしたから、読むのは遅いです。自分の興味のある分野の本が英語しかないという状況でもなければ、そもそも英語の勉強さえしなかったでしょう。でも好きこそ物の上手といいますが、興味ある分野の本を四苦八苦してよんでるうちに、なんとか、小学生が大人の本を読むくらいの速度で、読めるようにました。でも通読するのと、文字にするのとでは、相当、理解の仕方が違います。
もし、これを読んでいて、資料の洋書は図版とその説明くらいしか読まないという方がおられましたら、ぜひ、ノートパッドにでも、文章を翻訳したものを書く事をお勧めします。その際、アクセスみたいな簡単なデータベースソフトがあれば、引く頻度の高い単語とか専門用語とかを、データベースにされると、辞書引くより手間が省けるし、打ち込んでる間に覚えられるので、いいと思います。
英語は、学生時代は、全くといってよいほど関心もなく、特に文法はいつも赤点ぎりぎりの劣等生でしたから、読むのは遅いです。自分の興味のある分野の本が英語しかないという状況でもなければ、そもそも英語の勉強さえしなかったでしょう。でも好きこそ物の上手といいますが、興味ある分野の本を四苦八苦してよんでるうちに、なんとか、小学生が大人の本を読むくらいの速度で、読めるようにました。でも通読するのと、文字にするのとでは、相当、理解の仕方が違います。
もし、これを読んでいて、資料の洋書は図版とその説明くらいしか読まないという方がおられましたら、ぜひ、ノートパッドにでも、文章を翻訳したものを書く事をお勧めします。その際、アクセスみたいな簡単なデータベースソフトがあれば、引く頻度の高い単語とか専門用語とかを、データベースにされると、辞書引くより手間が省けるし、打ち込んでる間に覚えられるので、いいと思います。