さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

世界構造(補遺)/あなたの魔法を賛美する

2011年10月26日 12時55分52秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


世界構造(補遺)/あなたの魔法を賛美する
 筆者-初出●Townmemory -(2011/10/26(Wed) 12:47:00)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=66179&no=0ミラー


     ☆


 世界構造(上)/ただの創作じゃない、全てに実体がある
 世界構造(下)/フェザリーヌの魔法の正体

 ……の、おまけ編です。
 上下編の中に入りきらなかった、ちょっと脇道にそれるようなトピックを、さっと語ります。


 上下編の内容を前提にした話をしますので、このエントリだけ読んでもまったくわかんない可能性があります。というか読まないとわからないように書きます。

 ですので、まずは「世界構造(上)」「世界構造(下)」を読んで下さい。
 さあ、どうぞ。


●もっとシンプルな別の説明

 お読みになりましたか?
 ありがとうございます。

 大変だったでしょう……。お疲れ様です。

 というわけで……。
 大変、ややこしいことを、大量の文章で議論したわけです。

 ずいぶん入りくんだ、むづかしい話をしてきたのですが、
 これをばっさりとショートカットして、簡単に、端的に、別の説明もあるよね。ということを思いついたので、ここでそれを語ります。同じことを、もっとシンプルに説明するわけです。


     ☆


「物語を事実としてまじめにとりあってきたのに、結局八城十八個人の創作にすぎなかったのか」
 という、最初の問いに戻ります。


 一歩引いて考えると、ふしぎ。


 なぜなら、「うみねこのなく頃に」は、竜騎士07さん個人の創作であって、それはみんな知ってるはずです。
 これは事実なんかじゃないのです。

 なのに、その物語をつかまえて、「エピソードを事実だと思って真剣に考えてきたのに、単に個人の創作だった、がっかり」というのは、いったいどういうことだろう……。だってアナタこれホラ、最初から創作なんですよ。(あ、ここで怒って読むのをやめないで下さい今からフォローが始まります)

 といっても、わたしは別に本気で「キミたちちょいとおかしくないかい?」と言ってるわけじゃありませんのです。
 だってそりゃ、たとえフィクションだと最初からわかってるとしても、本当のことのように思って読むのでなきゃ、面白くありません。本当のことのように感じて読むから、ピンチになればハラハラするし、楽しければげらげら笑うし。
 それが臨場感というものだし、それが感情移入というものではないか。

 うみねこがフィクションだということは知ってる。でも、いったん事実として捉えて読むから、だから没入できるし、それが読書の快楽というものではないか。読んでるとき、それは事実で、本当のことなんだよ。それをオマエは変だと言う気なのか? どうなんだ? えぇ?

 ごもっともです。おっしゃるとおりです。スミマセン! わたしだって本とか読むときその通りのことをします。


 だから、創作だけど、そこに入り込んだとき、それは事実なんだ。


 だから「うみねこ」を読むとき、その中に入り込み、没入するとき、この物語は創作であるにも関わらず事実として作用するんだ。

 創作だけど、同時に事実でもあるんだな。


 あれ。
 ……そう。


「うみねこ」という、竜騎士07さん個人の創作に対して、わたしたちはそれを事実として、真実として受け取ることができる。

 ならば、それを、ちょいと一歩踏み込んで。

「八城十八偽書」という、八城十八個人の創作に対して、わたしたちはそれを事実として/真実として受け取れば良いです。

 竜騎士07さんの書いた「うみねこ」を、事実のように捉えて読むことができるなら、同様に「八城十八偽書」を事実のように捉えて読めば良い。
 竜騎士07さんの書いた「うみねこ」が創作であることは最初からわかっているのだから、「八城十八偽書」が創作であるとわかったからといって、「じゃあこれは事実じゃない価値のないもの」とする必要はないんじゃないだろうか。(だって内容同じなんですもの)

 ですから、創作であることと、真実であることは、全然コンフリクトしない。

 創作物であるから、これは真実性がないだなんて、文章読みの人は全然考える必要ないです。
 一方であったなら、他方ではない、なんてこと、全然ないっす。なぜなら創作物に真実性を見いだすことこそが、読書の快楽であるからです。

 竜騎士07さんの創作は、創作であると同時に真実でもあるんだし、
 八城十八さんの創作は、創作であると同時に真実でもある。

 というふうに捉えることができれば、まったく同じ結論に、かなり短縮で到達することができます。「八城十八の偽書は偽書ではなく真実である」というふうに。


 なんか、そんなふうに考えると、真実って何だろう、不思議。

 まったくの創作物の中に、含まれることができる「真実」って、不思議だ。
「真実」を、その身の内に含めることのできる「創作」って何だろう、不思議。

 そのような不思議に思いを馳せた人は――

 ここでいう「創作」「真実」を、作中の用語である、「幻想」「現実」に、まるっと置き換えることができるのに気づくわけです。

 うみねこって、まさにそういうお話、そのものじゃなかったか。


 創作だとわかっているけれど、入り込んで、真実として読もう。
 幻想だとわかっているけれど、現実だと思って振る舞おう。

 真里亜はさくたろうがぬいぐるみであることを知っています。知っているけれども、それと同時に、彼女はさくたろうを、お話のできる不思議なライオンであるとしています。
 つくりものと、ほんもの。
 創作と真実。
 その作用を何というのか。

 魔法。


 これはあなたの魔法を賛美する物語なんですよ。わたしが思うに、たぶん。



     ☆



 以上が本論。
 追伸。

 八城十八は、別の世界で起こった本当のことを、小説として書いている。
 というお話をしたんだけども。



 もうひとつ発想を広げて、「それは八城十八に限らないかもしれない」と考えてみませんか。

 わたしたちの世界も含めた、あらゆる国のすべての小説家、漫画家、脚本家、フィクションメーカーは、実は別の世界で本当にあったことを見てきて書き写しているのである。

 そんなふうに発想を広げた場合。

「幻想や虚構というものは、実態のない取るに足らないものである」という、世の中の先入観はまったく無効になります。

 こんな言い方ができる。

「幻想とは、他の世界の真実である」

 幻想とは真実である……。

 まさにそういうことが、Ep8で強く打ち出されたのではなかったか。幻想は幻想であるけれども、それでも真実でもありうるのだ。
「うみねこ」というお話は、真里亜の、ベアトリーチュの、魔術師となったバトラの姿を通じて、まさにそれひとつを訴えかけていなかったか。幻想は真実である、と。

 そしてわたしたちも。
 いま、ひまつぶしに手に取った文庫本ひとつ。
 それを、「隣の世界の事実を書いたものかもしれない」と思うことで、わたしたちは、何かさわやかな広がりを感じ取れるかもしれない。


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世界構造(下)/フェザリーヌの魔法の正体

2011年10月25日 13時47分40秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


世界構造(下)/フェザリーヌの魔法の正体
 筆者-初出●Townmemory -(2011/10/25(Tue) 13:39:12)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=66147&no=0ミラー


     ☆


 今回の内容、伝わるかどうかかなり不安なのですが、なんとか工夫して書いてみます。
 前回の続きです。前回の内容を頭に入れないと絶対理解できないようにできています。


●フェザリーヌと八城十八

 さて。図1をさらに大きく広げた、図2を示します。



オリジナルサイズ
(図2・見た現実をそのまま書き写した「偽書」)


 図の内容を説明します。

 中央に引いた横一本線は、図1と同様、「幻想と実体をへだてる境界線(鏡)」です。
 境界線の上側が幻想側。下側が実体側です。
 中央に横並びになっているタマゴ型と四角囲みも、図1と同様に「幻想側の事件」「実体側の事件」「その世界に存在する文書」です。
 たた違うのは、項目をEp5まで増やしたことと、「ひぐらしの世界」を付け足しました。(Ep5までしかないのは、スペースの関係であって、深い意味はありません)

 そして、幻想側にフェザリーヌという人物がいる。
 実体側に八城十八という人物がいる。

 フェザリーヌと八城は「同一人物である」というのが、ポイントになります。

 いわば、鏡の前に立った1人の人物のようなもの。
 鏡の前に立つ私が実在なのか、鏡の向こうに立つ私が実在なのか。それは決定できないというパラドクス。
 そのパラドクスのはざまに、ひとりであるはずの人物がふたり存在しちゃっているという考え方をしてみて下さい。
 どっちが本物なのか、といった問いは意味をなしません。

 その「意味をなさない」ことを、縁寿は鋭く読み取り、「あんたがフェザリーヌなの? フェザリーヌがあんたなの?」という素晴らしい的確な名言を残しています。こういう縁寿の頭の良さがわたしは大好きだな……。


●「小説ひぐらしのなく頃に」を書いたのは八城十八

 さてさて。
 以下のお話、図を見ながら、矢印を追いながら読み進めてみて下さい。


 これら一連のゲーム、幻想側に、フェザリーヌというすごい特権的なキャラクターがいて、高いところから、すべての世界のすべての内容を見下ろすことができます。
 この人は、全部の世界が、順繰りに発生しては次の世界に移行する、そして別の物語が語られる……それを全部あますとこなく見ることができる立場なのです。

 ところで、
 フェザリーヌという人は、どうやら「ひぐらし」というゲームの関係者でもあるっぽいです。
 ということは、「ひぐらし」の内容を、この人は全部見ました。最初から最後まで、細かい事情も含め、あますところなく見ることができました(ということにします)。

 フェザリーヌと八城十八は、同一人物です。

 ということは、八城十八はひぐらしの全エピソード全内容を知っています。全部知っているということは、ひぐらしの内容を、ひとつ残らず、すべてあまさず書くことができます。
 八城十八は「ひぐらし」の内容を書くことができるので、「小説ひぐらしのなく頃に」は、うみねこの世界に存在することができます。
(実際に存在しています)

 そう……「うみねこ」の中で、ときどきひょいと話題にのぼる「小説ひぐらしのなく頃に」を書いたのは、フェザリーヌとしてひぐらしゲームを見てきた八城十八(幾子)さんであるだろう、というふうに考えるのです。筆名くらいは別だったかもしれないですけどね。


 ……という内容を示すのが、図でフェザリーヌからひぐらしに向けて引いた「見る」の矢印。それと八城十八からEp1~3に引いた「書く」(ひぐらし小説化)の矢印です。

(べつに「ベルンカステルの実体側存在(鏡の存在)」が書いたというのでもかまわない・論旨は変わらない、のですが、説明としてわかりやすいので、「八城十八が書いた」として話を続けます)


●フェザリーヌは、全ての世界を上から見ていた

 さてさてさて。

 ひぐらしの内容を「見た」ので、小説ひぐらしを「書く」ことができたフェザリーヌ八城さん。
(フェザリーヌ八城って書くと、なんか頭の悪そうな大家が建てたマンションみたいですけれども(^^;))

 フェザリーヌ八城十八さんは、ひぐらしと同様に、例えば、「Ep3」という世界で起こった事件も、高いところから偉そうにふんぞり返って、観覧することができました。
(フェザリーヌがEp3を「見た」とする矢印を参照)

 Ep3を観覧することができましたので、Ep3の内容を、あますとこなく知ってます。

 知っていますので、その内容を、PCでぱちぱちと書きだして、文書にして、インターネットに放流することができます。
(Ep4へ向けて、「Ep3偽書を書く」という矢印を参照)

 こうして、Ep4世界の「存在する文書」欄に、「Ep3偽書」が存在することになりました。

 例えば、
 Ep4の世界八城十八さんがいます。
 彼女はフェザリーヌでもあるのですから、Ep3世界の顛末を頭からおしりまで通覧した存在です。
 ですから、Ep4世界の八城十八は、Ep3世界で起こった事件の内容をこと細かに書いて「偽書」として発表することができます。

 例えば、
 Ep5の世界八城十八さんがいます。
 彼女はフェザリーヌの目を通して、Ep3世界とEp4世界の顛末をまるっと通覧した存在です。
 ですから、Ep5世界の八城十八は、Ep3とEp4の事件をそのまんま書き写して「偽書」として発表することができます。

 Ep6の世界に存在する八城十八さんは、同様にして、Ep3とEp4とEp5の偽書をネットに放流することができ、


「……End of the golden witch。読ませてもらいました。……人の親族を、よくも好き放題に殺せるものです。」
(Episode6)

 というイヤミを縁寿から言われることができます。

 そう。フェザリーヌと八城十八は、同一人物なので、フェザリーヌが高いところからお釈迦様気取りで観覧した各世界の物語を、八城十八は知ることができます。
 知ったのなら、そのまま書き写せば良い。
 八城十八は、「別の世界で本当にあったこと」を、まるで自分が考えついたかのような顔で、ネットに発表することができます。


 八城十八は、小説家でした。
 つまり、「書く」存在。
 フェザリーヌは、「観劇の魔女」でした。
 つまり、「見る」存在。

 見る者と書く者が同一人物として重なったとき、このようなサイクル構造が発生するわけです。「観劇の魔女」とは、「見る」という機能を負った存在であることを強く示すための称号であろう、と言えます。

     *

 ところで、ちょっとだけ残念なことに……。
 Ep3の世界にいる八城十八さんからみて、「Ep4の世界」というものは、まだ発生していません。
前回の内容を参照して下さい。Ep3の世界が終わることではじめて、Ep4の世界が生まれるのでした)
 だから、Ep3世界の八城十八さんは、Ep4やEp5の偽書を書いて発表することが、できません。……たぶん。八城十八まわりの描写でも、そういう偽書を書いた形跡はないです。彼女に書けるのは、もう閉じてるゲーム盤の中身だけです。


●Ep3世界にEp3偽書を放流できない

 補足として。

 今までのお話では、「Ep3の偽書を、Ep4に放流する」という想定をとっています。

 Ep3世界の八城十八が、Ep3偽書をネットに発表してもよさそうな気がしますね。
 そう捉えても、かまわないとは思うのですが、わたしはそうではないことにしています。

 というのは。

 Ep3世界の中にいる八城十八にとっては、Ep3の物語は、まだ続いている(終わっていない)。少なくとも八城十八はそう認識しているはずだからです。
 Ep3世界の八城十八は、Ep3の事件が終わったあとも、その世界に居続けます。
 1986年に事件が起こって、それからずーっと時が経って、十年なり二十年なり五十年なりしたあとに、「新たな証拠」が見つかり、つまり「新たな真実」が発生して、せっかく書いたEp3偽書が無効になってしまう可能性がゼロではないからです。

 新たな証拠に基づく、新たな真実。それが古い真実を書き換えてしまう……。つまり、八城十八は、「後期クイーン問題」(竜騎士さん用語としての)によって負けてしまう可能性があるので、Ep3世界ではEp3偽書を発表することができないのです。たぶん。

 Ep3世界でEp3偽書を発表するということは、つまり「正解を書く」ということですからね。
 正解を書いたのに、何か後になって、新証拠っぽく見える変なものが発見され、みんなが「これ新証拠じゃん!」といって信じ込み「伊藤幾九郎偽書ってだめじゃん」っていうことになったら、くやしくて歯ぎしりが止まりません。

 でも、Ep4の世界でEp3偽書を発表するのなら、その危険はありません。だって、「もともと(その世界では)起こってもいないこと」を書いているのですからね。八城十八の偽書というのは、「全然真実ではないけど、なんか異常にそれっぽくてリアルで無視できない」というポジションのものなわけです。


 でも、単純にこういう理解でも良いです。こっちのほうがスマートで、構造的ですてき。

「Ep3の世界では、Ep3の内容とEp4の内容がメッセージボトルとして発見されるので、Ep3偽書を発表しても、“単なるメッセージボトルのコピー”と見なされてしまう」

前回を参照して下さい)


●「最初の二粒の種」はベアトリーチェの魔法の素

 そしてもうひとつ重要なこと。
 Ep1とEp2は、絶対に八城十八の偽書であってはならない。


 なぜなら。
 Ep1の世界に、「Ep1を描いたメッセージボトルと、Ep2を描いたメッセージボトル」が存在しているがために、Ep1世界から分岐したEp2世界が発生できるのです。
(そうでしたね? しつこいですが、前回をごらんください)
 だから、この2つの物語を書いたのはベアトリーチェでなければならない。

 オリジナルの第一世界であるEp1世界に、メッセージボトルという形で、二つの真相が提示される。
 どちらか片方が真相だ。
 ……なら、もう一方の扱いはいったいどうなるんだ?

 ということになったとき、生きた猫と死んだ猫。エヴェレット解釈によって、「もう一方が真相である別世界」がジェネレートされる。

 そのようにして、常に「ひとつの世界に、二つの真相」がメッセージボトルで提示されるので、「もうひとつの世界」が常に派生していく。
 もうひとつの世界からは、さらにもうひとつの世界が生まれる。

 そのようにして、「無限」に世界が誕生していく。
 無限の魔女……。

 このようにして「無限に」世界が派生していくことが、「魔女ベアトリーチェの魔法体系」であるのだから、それを生みだした「最初の二粒の種」は、ベアトリーチェが書き上げたものでなければなりません。
(でなかったらこれは魔女フェザリーヌの魔法体系になってしまう)

 最初の世界で、世界分岐を行なうための最初の物語2つ。これはベアトリーチェが書いたものでなければなりません。八城十八作であってはなりません。
 ですから、Ep1に投下された、「Ep1を描いたメッセージボトルと、Ep2を描いたメッセージボトル」の内容は、絶対にベアトリーチェ本人の作なのです。


 だから、Ep6ではこのように書かれる。


 特に、伊藤幾九郎の最初の偽書、「Banquet of the golden witch」は、九羽鳥庵で右代宮絵羽が難を逃れるまでを全て描いており、(…以下略)
(Episode6・強調部引用者による)

 BanquetはEp3のサブタイトルです。八城十八は、Ep3から偽書を書き始めたのです。


●「これは真実だ」と、本人が言っている

 そういったように、考えた場合――

「Ep3やEp4は私が書いた偽書である」と、Ep6の八城十八は言っている。
 けれどもそれにもかかわらず、Ep3やEp4や、それ以後の物語全部を、単なる創作ではなく、「事実として起こったこと」と言うことができる。

 Ep3や4や5が、八城十八によって「書かれたもの」だからといって、「じゃあそれらには実態がぜんぜんないのかよ、なんだ」なんて、思うことは、ぜんぜんないのです。


 というか、わたしははなっから、このような考え方をしていたので、かなりたくさんの人がそうでない別の考え方をしていることに、ビックリしました。

 だって、八城十八本人が、「これらは私が書いたものだけど、真実だよ」って言ってましたしね。


「昇華? ふっ、愚かしい。そんなもの、私の作品には必要ありません。」
「……なぜなら、あなたの作品は偽書ではなく、真実だから…?」
「えぇ。真実なのですから、昇華など不要。」
(Episode6)

 そう、実在することをそのまま書いているのだから、昇華など必要なくこれは真実。単にそれだけ。セリフの裏を読む必要もなく、そのまんま受け取れば良い。


●ターンテーブル再び。「語られたものと真実であるもの」

 あと、もうひとつ。

 これまでの話の流れだと、
「フェザリーヌが世界を“見て”、八城十八がそれを“書いて”いるのだから、フェザリーヌが主で、八城十八が従だ」
 という認識ができそうに思えます。

 でも、違います。
(とわたしは思います)


 こういう考え方をしたいんだ。


 フェザリーヌは、「ひぐらし」の世界や、「うみねこ」のさまざまなEp世界を“見る”ことができる。
 どうして“見る”ことができるのか。

 なぜならそれは、「ひぐらし」の世界や、「うみねこ」の各Ep世界が実際に“存在する”からだ。

 存在するから、それを“見る”ことができる。

 では……。

「ひぐらし」の世界や、「うみねこ」の各Ep世界は、何故、どうして“存在している”のだろうか。

 これらの世界が存在できている理由。
 こう考えたいのです。

 それは、八城十八が、そういう世界を“書いた”からだ。

 そういう世界を八城十八が“書いた”から、フェザリーヌは、その書かれた、そういう世界を“見る”ことができる。

 では、どうして八城十八は、そういう世界を“書く”ことができるのか。
 もちろん、フェザリーヌがそういう世界を“見た”からだ。
 どうしてフェザリーヌは“見る”ことができる?
 八城十八が、“書いた”から。
 どうして“書く”ことが……?
 どうして“見る”ことが……?

 くるくる回ってる。

 幻想側が主で、実体側が従だと思えた。でも、実体側が主で幻想が従かもしれない。
 鏡の前に立つ自分と、鏡の向こうの自分。
 こっちの自分が本物だと思えた。でも、向こうにいるほうが本物かもしれない。

 図2にあるように、横に一本、線を引いた、幻想と実体の境界線。

 その境界線を軸にして、炉ばたのヤキトリみたいに、あるいは竹ひご工作の水車みたいに、くるくる、くるくる、どっちが主体でどっちが影なのか、永遠に決まらずに回転しつづける。

 フェザリーヌと八城十八。どちらが本体でどちらが影なのか。

 フェザリーヌが事実を見て、それを八城十八に伝えて書かせているのなら、いわばフェザリーヌが作者で、八城十八が読者です。
 しかし、八城十八が物語を書き、作中にフェザリーヌという自分の分身を置いて、彼女に物語を“見せて”いるのなら、八城十八が作者で、フェザリーヌが読者です。

 上位世界にフェザリーヌという超人がいて、下位世界に八城十八という分身を置いたのかもしれない。
 現実世界に八城十八という常人がいて、想像力の中に、フェザリーヌという自分の分身を置いたのかもしれない。


 それはぐるぐる回っていて、
 一方だと思ったら他方で、他方だと思ったら一方で。

 だから、フェザリーヌと八城十八とどっちが本体なのかという問いの答えは、「決定できない」。箱の中の猫がそうであるように、真偽を決して見分けられない。

 いったい、どの位置に事件のオリジナルがあるのか。
 その答えは、
「この無限の回転の中の、どこか」
 としかいえない。


 位置は観測不能。


 これもまた――「語られたものと真実であるもの」。その無限回転の一側面です。

(「語られたものと真実であるもの」については、以下のエントリに詳しいです)
 Ep8を読む(1)・語られたものと真実であるもの(上)
 Ep8を読む(2)・語られたものと真実であるもの(下)
 Ep8を読む(3)・「あなたの物語」としての手品エンド(上)
 Ep8を読む(4)・「あなたの物語」としての手品エンド(中)
 Ep8を読む(5)・「あなたの物語」としての手品エンド(下)


●フェザリーヌの魔法体系

 そして。
 もう一度くりかえしますが。

 フェザリーヌが見たものを、八城十八は書ける。八城十八が書いたものを、フェザリーヌは見ることができる。フェザリーヌが見たものは、八城十八が書くことができる。八城十八が書いたものを、フェザリーヌは見ることができる。

 ぐるんぐるん回転し、
 そうしていつのまにか、

「八城十八がその事件を書いたから、そういうドラマが存在する」のか、
「フェザリーヌがそういうドラマを見た以上、その事件は存在する」のか、

 それが回転の中であいまいになり、もう、決してわからなくなる。

 フェザリーヌと八城十八が両方存在することで、
「これは実際あったことを、フェザリーヌが見たの?」
「それとも八城十八が、実際あったことのように書いたの?」

 その問いに、絶対に答えられない状況が生まれる。

 まるで箱の中の猫みたいに、決して真偽が確定できない。「どっちかなんだけど、どっちでもある」としかいいようのない状態が生まれる。「書いたものなんだけど実際にあったことなんだよ」という一見むちゃくちゃなことが成り立っちゃう。

 さて、そこで思いだす。
 フェザリーヌは、

「書いたことを本当にしてしまう魔女」

 ではなかったか。

「見たことを書いたのか」
「書いたものを見たのか」


 その2つがミキサーの中で高速回転し、均質にまざりあい、完全に分離不能状態に陥ったとき、

「書いたことは、そのまま本当になる」

 としかいいようのない状態が生まれるのです。


 つまりこの構造こそが、魔女フェザリーヌの、「書いたことを本当にしてしまう」魔法体系の正体です。



■続き→ 世界構造(補遺)/あなたの魔法を賛美する


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世界構造(上)/ただの創作じゃない、全てに実体がある

2011年10月24日 11時48分21秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


世界構造(上)/ただの創作じゃない、全てに実体がある
 筆者-初出●Townmemory -(2011/10/24(Mon) 11:39:56)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=66120&no=0ミラー


     ☆


 うみねこの公式掲示板が11月15日に終了しますので、置きみやげというか記念というか、推理系のエントリをひとつ残しておくことにします。全2回+補遺です。

 世界構造に関するエントリなのですが、世界構造を解明することを目的とするものではない……という、ちょっと微妙なニュアンスをもったことを語ります。
 最終的には、「フェザリーヌの魔法の正体」を解明するとこまで持ってくつもりですが、予定は予定です。


●八城十八の偽書は、全部真実(アウトラインの提示)

 さて。
 うみねこ終盤になったころ、「Ep3以降のお話は、八城十八が勝手に想像して勝手に書いた偽書ですよ」という情報が作中に出てきました。
 最終話のEp8で、その情報が補強される(裏打ちされる)ような展開がでてきたので、わりと多くの人が、それで決め打ちしてしまって、

「何だよ、結局ほとんどのエピソードは創作だったのかよ」
「実際にあったことだと思って、いろいろ考えてたのが馬鹿みたいじゃん」


 という感想を持った形跡が、ネット上で観測されました。


 わたしは全然そんなふうには思わないのですが(実体のないただの創作とは考えないのですが)、「そんなふうに」思ってしまった場合、なんだよこれっていう感想になるのはむべなるかな、といったところです。

 でも、くりかえしますが、わたしは全然そんなふうには考えない。

「Ep3以降のお話を、八城十八が小説化して、世の中に発表した」
 これはOKです。本編にそう書いてありますから、わたしもこれはOKということにしましょう。

 ところが、世の多くの人は、何やら敷延して、不思議な部分を付け足してしまいがちのようです。

「Ep3以降のお話を、八城十八が小説化して、世の中に発表した」
「……のであるから、Ep3以降のお話は、実際は起こってなどいない」

 なんだよ創作かよ、と思う人は、後半を勝手に付け足して、後半部分に対して「なんだよ」と思っているっぽいように思うのです。おそらくね。

 わたしなどは、その後半部分を、「あっ、そういう認識を自動的につないでしまうんだ?」と、おどろいたりしたわけです。

 わたしは以下のように受け取りましたし、わたしの中では、こっちの受け取り方が正しいように思います。
 すなわち、

「Ep3以降の事件が起こった」
「そのEp3以降のお話を、八城十八が小説化して、世の中に発表した」

(本当をいうと、もう少し複雑なことを考えていますが、ここでは発想を逆転するために、このように受け取って下さい。あとで追加説明します)

 八城十八は、「私が書いた、私の作品だ」と自分で言っていますが、べつに「一から十まで全部私の頭から出てきたことだ」なんて言っていません。八城十八がパチパチ打って書いたのだから「八城十八が書いた」のですし、それは「八城十八の作品」ですが、モデルとしてまったくその通りの事件があるということはべつに否定されないのです。

 ですから、八城十八さんがパチパチッとPCに打ち込んでそういう物語を発表したのだとしても、それをもって、「Ep3以降の物語が実際は起こってない」なんて言えない。

 Ep1とEp2とEp3とEp4とEp5とEp6とEp7とEp8は全部パラレルワールドの関係にあって、全部平行的に存在している。
 くらいに考えたら良いと思います。
 八城十八は、何かの理由で、別の世界をのぞき見ることができて、
 見てきたものをそのまんま、小説っぽく書き出して、
 で、ネット上に発表。

 だから八城十八が書いた創作だけど、それは同時に事実としてあったことでもある。

 そのくらいに考えたらどうでしょう。

「六軒島の真実は実際にはひとつしかない」といった意味のことを、竜騎士さんはどっかのインタビューで(たぶん真相解明読本で)おっしゃっています。
 もちろん、ひとつの世界に、六軒島の真実(実際に起こったこと)はひとつしかありません。
 でも、世界がパラレルワールド的に、並列に複数存在するのなら、
「六軒島の真実は(ひとつの世界には)ひとつしか存在しない」
 けれど、
「マクロな視点で複数の世界をフカンすれば、複数の真実が存在する」
 ようにできます。

 ……といったような内容のお話を、これから、図をまじえて、もっとかみくだいて説明します。

 その説明の中で、「どうして八城十八は別の世界を見ることができるのか」「なぜ八城十八の偽書はEp3以降だけなのか」といったことが、解明される予定です。


●「ひぐらし式」のパラレルワールド説(前提説明)

 まず前提として。
「ゲーム盤が始まる前」「ゲーム盤が終わった後」のことについて話します。

 ゲーム盤が始まる前、とは、右代宮一族が10月4日朝、六軒島に渡るより前の全ての時間のことです(ここでは)。
 ゲーム盤が終わった後、というのは、10月5日深夜24時に爆発が起こった後の全ての時間のことだと思って下さい。

 どうやら、「ゲーム盤が始まる前」と「ゲーム盤が終わった後」の状況は固定されていて、一種類しかない、と思っている人が思いのほか多いようなのです。

 わたしはその考え方をとっていません。

 ここまで読み進めてくださっている方は、「とりあえずTownmemoryの考えていることを知ってみよう」という意志があるものだと思われますので、とりあえずあなたご本人の考え方を横に置いて、「Townmemoryの考え方だったらどうなるだろう」という気持ちで、いったんわたしの考えにもとづいて読んでみてください。読み終わったあとで、横に置いておいたご自分の考えを元の位置に戻せばよいのですからね。

 わたしは、うみねこの世界は、わりに素朴なパラレルワールドの発想でできていると思います。
「ひぐらし」と同じ感じ、という説明だと、わかりやすいかもしれません。

 たとえば、ひぐらしでは、第8話の「祭囃子編」で、ようやく「古手梨花が事件後も生存できる」という結末になりました。
 それまでの全てのエピソードで、古手梨花はゲーム中に死亡していたのです。

 ですから、
「事件後に古手梨花が生き残るのは第8話のみ」
「例えば第1話鬼隠し編では、古手梨花は死亡し、事件後は古手梨花のいない世界が続いていく」

 そういう感じのお話でした。

 だいたい印象で言いますが、「第8話で古手梨花は生き残ったのだから、鬼隠し編でも実は古手梨花は生き残ったのだ」というふうに思う人は、いないか、ごく少数なのじゃないかな、と思うわけです。

 ところが、これが「うみねこ」になると、どういうわけか、
「第8話で右代宮戦人が生き残ったのだから、“右代宮戦人が生き残る”という状況がゲーム後の唯一の真実であって、それ以外は虚である」
 というような解釈をする人が、じわっと増えてくる。
(というふうにわたしは感じています)

“右代宮戦人が生き残る”という状況を固定した真実にする場合、右代宮戦人がゲーム中で死んでいたら矛盾する。ので、「右代宮戦人が死ぬようなエピソードは実際には虚である(偽である)」といった処理がなされる。
(これは逆でも良いです。戦人の死を虚とするために、「戦人の生存が実である」という解釈を採用している場合もあるでしょう)

 でもわたしは、「うみねこも、ひぐらしと同じ解釈でいいんじゃない?」「パラレルに全部のエピソードが存在してるってことでいいんじゃない?」という受け取り方です。

 で、図にするとこう。
(これ、書いてみた結果、図にする必要なかったなーと思ったけど、せっかく作ったから掲示します。オリジナルサイズで見て下さい・以下同様)



オリジナルサイズ
(図0・多彩な世界が多彩なまま併存する)

 Ep1世界では、留弗夫はお金に困ってることを霧江に相談しない(霧江は知らない)。
 縁寿はお腹をこわして六軒島に行かない
 そして事件が発生して戦人も絵羽も死亡する
 事件後、絵羽すらいない世界が続いて、ひとりぼっちの縁寿はおそらく須磨寺に引き取られ(推定)、財産の移転などが行なわれたあと縁寿は須磨寺に殺される(推定)

 Ep3世界では、ゲーム前の状況はEp1と同じですが、事件で絵羽だけが生き残る
 事件後、縁寿は絵羽に引き取られ、いびられて育つ。

 Ep5世界では、ゲーム前の状況に変化がある。留弗夫は「実は特許関係で会社がピンチなんだ」と霧江に相談する(霧江は知る。それにより、蔵臼をゆすれば?という展開が発生する)。
 縁寿はおなかをこわして欠席
 事件後は戦人も絵羽もおそらく死亡し、縁寿はEp1同様、須磨寺行きから謀殺コース(推定)。

 Ep8世界では、ゲーム前に縁寿は「おなかをこわさない」。ので六軒島に来島する。

 Ep8魔法エンド世界では、事件後、絵羽、戦人の両名が奇跡的に生き残る
 絵羽は縁寿を引き取っていびり、戦人は記憶障害を負った状態で八城幾子邸に保護される。

 このように、ゲーム前の条件もいろいろ違うし、誰が生き残ったかによって、ゲーム後の世界のありかたもさまざまに違う。
 この違いを、「どれかひとつが真実で、他は虚構」としてしまうのはやめて、
「いくつもの世界があって、それぞれの世界で、それぞれの事態が起こってる」
 というふうに、捉えることにしましょう。
「ひぐらし」で、圭一が死んだり生き残ったり、滅菌作戦が起こったり起こらなかったり、そりゃもういろいろであるように。

 かように、バリエーションを持った世界が複数存在し、世界ごとにゲーム前の前提も異なり、ゲーム後の展開も異なる。
 そういう解釈をすれば、「戦人と絵羽が生きているべきだから、彼らが死んじゃう物語は偽物ってことにしなきゃいけない」といった事情は発生しませんし、楽です。わたしはすんなりとそういう解釈をしました。

(参考として、似たような過去のトピックのアンカーを示しておきます)
 【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか
 【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる
 【続・カケラ世界】下・縁寿を幸せにする「カケラ紡ぎ」
 【続・カケラ世界】補遺・カケラ紡ぎ「86.6.17の家族写真」


 ここまでが前提条件の説明。


●独立した各世界と、鏡映しの幻想/実体

 さて。
「各エピソードはパラレルワールドの関係だ」という考えを、とりあえず仮にでもいいので容認できた方のために、次の図を示します。



オリジナルサイズ
(図1・順次発生するパラレルな世界)


 図の読み取り方を説明します。

 真ん中の二重になってる横線は、「幻想と実体をへだてる境界線」です。境界線から上半分が、「事件の幻想的側面」。境界線から下半分が「事件の実体的側面」です。

 この「幻想と実体をへだてる境界線」は、「鏡」だと思うと、わかりやすいです。幻想と実体の境界線に、鏡が立ってるのだと思って下さい。

 図内で、「幻想側のEp1」と「実体側のEp1」をタマゴ型の上下にしてあるのは、鏡映しのような関係にあることをなんとなく示すためです。

 先入観として、幻想側が架空で、実体側が現実のように思ってしまいがちですが、(わたしの考えは)そうではありません。
 あくまでも、「鏡のあっち側と、こっち側」という関係性です。幻想側を現実とする場合、それと鏡映しの関係にある実体側は、虚構です。
 つまり、「魔法が本当にある」のなら、「人間の犯人が物理的に殺した」というストーリーはまぼろしなのです。
 もちろん、実体側を真実とする場合、鏡写しの存在である幻想側は虚構です。(「人間が物理的に殺した」が真実なら、「魔法で殺した」はまぼろしになる)

 これは、「どっちが真なのか」は決定不能状態にあります。

 たとえば。

 わたしが今。
 鏡の前に立って、鏡に映った自分を見てみます。

 わたしが実体なのですから、鏡に映った、鏡の向こうのわたしは幻影です。
 ところが、鏡に映っているのはわたし自身なのです。
 わたしは自分を実体だと思っているわけですから、つまり鏡の幻影は、自分を実体だと思っているのです。
 自分を実体だと思っているわたしは、目の前に映っているわたしそっくりのものを、幻影だと思います。
 つまり鏡の向こうのわたしにとって、こっちにいるわたしは幻影なのです。

 このパラドクスを、パラドクスとして認識できるか、それとも「私が実体なんだから私が実体じゃん」といって済ませてしまうかで、何かが違ってくる……。わたしはそう思います。

 ゲーム内のTIPSで、人間側の表示から、幻想側の表示に切りかえるときに、ぱりーんと「鏡が割れる」エフェクトがあるのを思いだすと、イメージの参考になるかもしれません。
 また、ベアトリーチェは物語中に眷属を登場させるために「鎮守の鏡を割る」必要があった、というのも響き合っているでしょう。


 点線で囲った、「EpXの世界」というのが、そのまま、「そのエピソードが発生した、ひとつの平行世界」を意味します。

「Ep1の世界」と、「Ep2の世界」と、「Ep3の世界」があるわけです。
 隣あわせに並んでいますが、重なったりはしていません。
 別々の世界です。ひぐらしにおける、「鬼隠し編」と「綿流し編」のような関係性です。
 Ep1に住んでいる人から見て、Ep2の世界というのは、パラレルワールドです。


 で、図に戻って下さい。下のほうに四角形で囲んである部分。これは、「(その平行世界で)存在している文書」です。

 Ep1の世界には、「メッセージボトル1」と「メッセージボトル2」が存在しています(推定)。それに加えて、この世界には、「ひぐらしのなく頃に」という物語が小説という形で出版されています。
 Ep1で戦人が「ひぐらしっていう小説を読んだけど」と言っています。

 Ep3の世界にも、「メッセージボトル1・2」「小説ひぐらし」が存在しています(たぶん)。それに加えて、Ep3は特殊イベントとして「絵羽の生還」がありますから、絵羽が生き残り、日記を書きます。ですからEp3には「絵羽の日記」という特殊文書が存在します。
 でも、Ep1や2では、絵羽は生還しないので、絵羽の日記はEp1と2には存在していません。
 Ep3で絵羽が生還するからといって、Ep1やEp2の世界に絵羽の日記が発生したりはしません。


 中央に右向きの太い矢印が描かれていますが、これは時間の流れではありません。
(だって、並列に存在する世界同士なのですからね)

 これは、「Ep1の世界が存在しない限り、Ep2の世界は発生しない」という意味を示すものとしてとらえて下さい。

 まず、Ep1の物語が語られ、Ep1のゲームが終了する。Ep1の世界は、そのままひとつの世界として存続していく。
 すると、「別のゲームをしよう」ということになって、Ep1に良く似た、別の平行世界が見つけだされる。
 その、新たに見いだされた別の世界を使って、Ep2の物語が語られる。
 Ep2が終了すると、Ep2世界はそのままひとつの世界として存続し、「また別のゲームをしよう」ということになって、また良く似た別の世界が見つけだされる。
 その世界を使ってEp3の物語が語られる。


●2本のボトルメール=2種類の猫

 この、細胞分裂にも似た、「世界がひとつひとつ順番に発生していく」という動き。
 この動き方には、

「メッセージボトルが2種類発見される」
「そのメッセージボトルに、なんの物語が書かれていたのかは、わからない」


 ということが、非常に深く関係しています。

 Ep1の世界には、メッセージボトル1と2が存在しています。
 Ep1の世界で起こった「六軒島事件」の真相は、ひとつしかありません。
 にもかかわらず、二種類の真相が(メッセージボトルの形で)世間に示されているわけです。

 観測不可能な箱の中に猫を入れ、2分の1の確率で猫が死ぬスイッチを押す。
 フタを開けて観測する前の状態にあるとき、「生きている猫」「死んでいる猫」がひとつの箱の中に同時に入っていると(量子力学では)言える。
 フタを開けて、たとえば生きている猫を観測できたとする。
 さっきまで箱の中にいた、「死んでいる猫」はどこへ行ったのか
 エヴェレット解釈(という説)によると、

「パラレルワールドが発生し、“フタを開けたとき猫が死んでいる平行世界”が生まれた。そちら側では猫は死んでいるのだ」

 というふうに説明する。

 さて……。

 Ep1の世界にふたつ存在する、メッセージボトル1と2。
 二通り描かれた、2つの真相。

 例えば、
 もし、Ep1の六軒島で発生したのが、「メッセージボトル1」の内容と同じ事件だったとしたら。
「メッセージボトル2だったかもしれない可能性」はどこへ行ってしまったのだろう。

 それは、

“メッセージボトル2の事件が発生した平行世界”が生まれた。そちら側では2の事件が起こっているのだ」

 というふうに説明すればよい。

 かくして……
 Ep2という平行世界が生まれることができるわけなんです。

 Ep1の事件後、メッセージボトルが2本発見されることで、「こちらの世界では起こらなかったほうが起こる、別の世界」が発生する。

 そして。

 わたしたちはなんとなく、「メッセージボトル1にはEp1の内容が、メッセージボトル2にはEp2の内容が書かれている」と思いこんでいますが、思いこんでるだけで何の保証もないのです。

 Ep2とEp3の内容が書かれているかもしれませんよ。

 例えば。
 Ep2の世界で発見される2本のメッセージボトルには、Ep2とEp3の内容が書かれているとしましょう。
 Ep2の世界では、Ep2の事件が起こるのですから、Ep2の内容が書かれたメッセージボトルのほうが真相です。六軒島猫箱を開けたら、Ep2の内容が入ってた。
 では、Ep3の内容が書かれたメッセージボトルの物語はどこへ行ってしまうのか。
 それは、

“Ep3の事件が発生した平行世界”が生まれた。そちら側ではEp3の事件が起こっているのだ」

 もちろん、Ep3の世界で発見されるメッセージボトルには、Ep3のメッセージボトルとEp4のメッセージボトルが……。

 そのようにして、「内容不明の2つのメッセージボトル」をジェネレータとして、順繰り順繰りに、新たな平行世界が発生していくことができます。

 猫箱に、二種類の猫。
 六軒島猫箱に、二種類の物語。

 このあからさまな共通性を、平行世界発生のメカニズムとして使わない手はないんです。わたし的には。

(参考として、こちらから、「カケラ世界」というシリーズもご覧下さい。Ep4当時の世界解釈です)


 続きます。
 ちょっと前半は地味でしたが、後半はドラマチックになる予定です。


■続き→ 世界構造(下)/フェザリーヌの魔法の正体


■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■
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【続・カケラ世界】補遺・カケラ紡ぎ「86.6.17の家族写真」

2010年04月03日 03時55分36秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


【続・カケラ世界】補遺・カケラ紡ぎ「86.6.17の家族写真」
 筆者-初出●Townmemory -(2010/04/01(Thu) 05:30:37)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=44201&no=0 (ミラー
 Ep6当時に執筆されました]


     ☆


 ふと思いついたので追補版を書くことにしました。
 この投稿だけ読んでもだいたい内容はわかると思いますが、以下に示す3投稿の続編ですので、そちらを読んでおくとより理解が深いかもしれません。

「【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか」
「【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる」
「【続・カケラ世界】下・縁寿を幸せにする「カケラ紡ぎ」」


     ☆


 これまで見ないふりをしていたのですが、オープニングムービーver.Cというバーションのラスト近くに、留弗夫一家の家族写真が出てくるのです。

 その写真には、留弗夫と戦人がはっきりと写り、霧江らしき人物と縁寿らしき人物(フォトフレームに光が写りこんで見えない)が写っています。
 背後には黄色いバラが咲いています。
 そして右下に「86.6.17」という日付が焼き込まれています。

 86.6.17……。

 この写真の場所が「六軒島の薔薇庭園ではない別の場所だ」というのなら、何の問題もないのです。
 また、「ここに写っているのは縁寿ではなく、間違った日付が焼き込まれた」のでも、問題はありません。

 でも、もしも、そうでなかったらモヤモヤしますよね。

 その「もしもそうでない場合」について、ちょっとあれこれひねくってみます。


●六軒島に一家4人が揃ったことにしよう

「この写真の場所は六軒島の薔薇庭園であり、写っているのは霧江と縁寿であり、日付は正しい」
 という場合、どんなことになるのか。
 それは、
「事件の4ヶ月前にあたる6月17日、留弗夫、霧江、戦人、縁寿の4人は、六軒島にいた」
 ということになります。

 その可能性は高いと思うのです。
 LockerさんのWebページ『うみねこはないているか』によれば、バラの開花時期は5~6月と10~11月。6月17日はちょうどあてはまるというのがひとつ。

 もうひとつは、留弗夫と戦人が、我々にもおなじみの「あのスーツ」を着ていることです。
 あんな金刺繍が入ったスーツは、ビジネスシーンでの使用に耐えません。社長の留弗夫が、取引先と会うのに、あの金刺繍スーツを着ていく……。仕事帰りに大好きな「貧乏臭い一杯飲み屋」に立ち寄るのに、あのスーツを着ている……。無理です。
 戦人にいたっては、あれが普段着というのはありえません。よそ行きにしたって、もう少し穏当なものは当然持っているでしょう。
 よって、あの家紋入りのスーツは、「六軒島を訪問するとき専用」と考えるのが、妥当だと思います。
(ただ、デイル・ワタナベ弁護士と電話するシーンで留弗夫はあのスーツを着ていますので、合わないといえば、合わない)

 さて、1986年6月17日に留弗夫一家4名が六軒島を訪問したとしたら、それは、
「戦人の右代宮家復帰について、本家に筋を通しに行く」
 以外の理由が思いつきません。
 これ以外の理由が設定されていたとしても、この「筋を通す」という挨拶ごとは、必ず用件に含まれていたはずです。

 筋を通す相手は、大親分である金蔵と、二代目の蔵臼です。
 よって、この2人が在島していない日に訪問しても、話になりません。
 先に挙げたLockerさんの『うみねこはないているか』によれば、1986年6月17日は火曜日。留弗夫は仕事を休み、戦人は学校を休んだことになります。
 これを、
「金蔵もしくは蔵臼のスケジュールが、そこしか空いていなかった。それに合わせざるをえなかった」
 と考えることにします。

 だとするとですね、Ep1などで、戦人に会った六軒島の人々が、よってたかって、
「初めまして」、か、
「6年ぶりで見違えましたね」、
 という反応を、揃って示すのは、どうしたら良いでしょう。

 ほんの4ヶ月前に、みなさん会っているのではないの?

 金蔵が誰にも会わないのは、いつものことですから、これは良しとします。
 源次、熊沢、紗音、嘉音、郷田は、たまたま全員が揃ってオフだったのかもしれない。(蔵臼が、郷田の料理を自慢する機会を逸するのはどうかと思うけれど、ありえる)
 さらにそれに加えて、蔵臼、夏妃、朱志香も、たまたま泊まりがけで出かけていて、不在だったわけなのでしょうか。
 それとも、留弗夫一家は、アポをとらずに、ぶっつけで、平日に、六軒島に押しかけたのでしょうか。
 もしくは、「初めまして」「6年ぶり」は、すべて幻想描写。

 その解釈をとってもかまいませんが、例によって、
「1986年6月17日の訪問は、別の平行世界で起こったこと」
 ということにしてしまってはどうでしょう。

「1986年6月17日に、留弗夫一家が六軒島を訪問する」というイベントは、Ep1にもEp2にもEp3にもEp4にもEp5にもEp6にも発生しない。それ以外の「未知のカケラ世界」で発生したイベントである。

 という大きな外し方です。


●戦人と縁寿はなぜ六軒島に同時存在できないのか

 じつはここから先が本論。

 この『うみねこのなく頃に』というゲームにおいて、
「戦人と縁寿が、同時に六軒島に存在した事例」
 って、「86.6.17家族写真」だけなのです。
(たぶん)

 6年前に縁寿が生まれると同時に、戦人は六軒島へ行くのをやめ、6年後に戦人が島に来るとき、縁寿は必ず体調を崩すのですからね。

 このゲームにおいて、
「戦人と縁寿は、なぜか同時に六軒島に存在することができない」
 という現象が観測されるのです。

 縁寿は必ず体調を崩す。
「必ず発生するイベント」があったら、それは「発生させたい何者かの意志」が存在していることを疑う、というのが、『竜騎士07のゲーム』のセオリーです。

「戦人と縁寿に、同時に島にいてもらっては困る人がいる」

 という、仮定の置き方をしてみてはどうでしょう。
 これはちょっと、面白い方向性じゃないでしょうか。
 どうして、同時にいてもらっちゃ困るのか。単なる想像になりますが、こんなのはどうでしょう。

「戦人が持つ情報と、縁寿が持つ情報が合わさると、真相が明らかになってしまうから」

 戦人が持つ情報は、わたしたちはほぼ把握していますから、この仮定の場合「縁寿だけが持つ情報」とは何なのか、が問題になります。

 となると、真っ先に疑わしいのは「マリアージュ・ソルシエール」なんです。

 縁寿は過去、ずいぶん子供の頃、真里亞とこんなやりとりをしているようでした。

「きゃっきゃっきゃ!! 真里亞お姉ちゃん、変なのー!! さくたろなんかいないよー! ぬいぐるみはぬいぐるみだもんー! 布と綿で出来てるってママに習ったもんー!! 歩いたり喋ったりなんか出来るわけないよー!! きゃっきゃっきゃっきゃ、きゃーっきゃっきゃっきゃっきゃ!!!」
(略)
「縁寿なんかもう知らない!! うー!! 何でそんなこと言うの、嫌い嫌い嫌い嫌い!! 大っ嫌い!!」
 絶交だ、絶交だ!! もう魔女の仲間になんか入れてあげないッ…!!

 この場面、原作ではどことも知れない場所になっていましたが、アニメでは明確に、六軒島で起こったこととして描写されました。つまりこれは、いつかの親族会議で起こったことである可能性が高いのです。

 さくたろうはぬいぐるみではなく喋れるお友達である、というのは、魔法の根幹なのです。そして、「もう魔女の仲間になんか入れてあげない」なのですから、裏返せば、
「真里亞は縁寿を魔女の仲間に入れようとした」
 のです。

 そして、六軒島には真里亞に魔法を手ほどきしたベアトリーチェがいるのです。

 縁寿は魔女ベアトリーチェに会った可能性があります。
 真里亞から、「この人は実は魔女ベアトリーチェなんだよ」と正式に紹介されてはいないかもしれない。けれど、真里亞がある人物をさして「ベアトリーチェ!」と呼びかける、そんな場面くらいは目撃したかもしれないのです。


 魔法の根幹を知っており、なおかつベアトリーチェの正体を知っているかもしれない縁寿。
 そんな彼女が、もし10月4日に六軒島に来訪して、「魔女ベアトリーチェの碑文連続殺人事件」に遭遇したとしたら。
 真相は彼女の口から一発で解明されてしまったかもしれない。
 そのことと、戦人の6年前以前の記憶を付き合わせたら、「罪」のことなども含めて、全部のピースがぴったりはまってしまうかもしれない。


 だからベアトリーチェは縁寿が六軒島にやってくるカケラ世界を絶対に選択しない。

 のかもしれない……。


●「縁寿」という駒が欠けている?

『ひぐらしのなく頃に』では、
「圭一が盤に乗らない場合にはルールZを破れない」
「赤坂が盤に乗らない場合はルールYを破れない」
 という条件付けがありました。

 それと同様に、
「縁寿が盤に乗らないと、ある種の謎が解けない」
(縁寿が盤に乗ると、謎が解けてしまう)

 という条件があり、そのために必ず「縁寿欠席世界」が選ばれている、という解釈はできる気がします。

 事件後になって後悔する、という符合もふくめて、縁寿という人は「赤坂ポジション」なのではないか、という感じがするのです。
「祟殺し編」のお疲れ様会で明言されるのですが、本来、『ひぐらし』の出題編は「祟殺し編」までで終了し、この次は「目明し編」が出るはずだったのです。
 ですがたぶん、
「あ、このままだとルールYを破るには駒が足りない」
 という作劇上の問題に、竜騎士07さんはつきあたったのじゃないかな。そこで急遽、「暇潰し編」というお話が作られた。それはルールYブレイカーの赤坂という駒を登場させるためのものであった。

 そんな泥縄の経験があったので、『うみねこ』では、縁寿という「かならず不在となる人物」を示唆しておく布石が打たれた。

「縁寿は来る予定だったけど急病で来ない」
 というのは、
「本来なら当然盤に乗る駒だったのに乗らない」
 というふうに、受け取ることもできます。

 これはひょっとして、「駒落ち」を示唆するものでは? という疑いを、わたしはだいぶん持っているのです。
 戦人やわたしたちは全部の駒を使ってゲームをしているつもりになっているけれど、実は「角落ち」でゲームをさせられていた、という可能性はありうると思います。


●家族写真という「カケラ紡ぎ」

 そこで、「86.6.17家族写真」に戻るのです。

「2人揃ったら、それだけで真相に到達してしまう(仮定)」戦人と縁寿が、ふたりして六軒島というゲーム盤に乗るという、この家族写真はそういうミラクルなイベントなのかもしれないのです。

 そして、前述のとおり、このイベントは実際のゲーム盤では一度も発生していないと推定することができます。

 そこでもう一段階背伸びをして、こういう仮定を立ててみる。

「86.6.17家族写真」のイベントが発生したカケラ世界では、六軒島連続殺人事件の発生が回避される。


 たとえば……。

 戦人と縁寿は、ベアトリーチェの正体である人物に会う。
 縁寿が戦人に、なにごとかを示唆する。
 それをきっかけに、戦人は、「6年前に起こった何か」について、ハッキリと思い出す。
 それを戦人が思い出したことで、ベアトリーチェは満足し、殺人事件を起こす必要性を失う……。

 といったようなこと。
 これはかなりムシのいい仮定ですけどね。


 でも、もしこの方向の想像がアリなのだとしたら、
「86.6.17家族写真」のイベントは、どうやったら発生するのか
 という発想でカケラ紡ぎをしていけば、惨劇を回避できることになります。


 とりあえず、ここまで。

(了)



■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
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【続・カケラ世界】下・縁寿を幸せにする「カケラ紡ぎ」

2010年03月31日 00時03分15秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


【続・カケラ世界】下・縁寿を幸せにする「カケラ紡ぎ」
 筆者-初出●Townmemory -(2010/03/29(Mon) 02:41:46)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=44050&no=0 (ミラー
 Ep6当時に執筆されました]


     ☆


(上)(中)からの直接的な続きです。

「【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか」
「【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる」


●最初から複数の世界がある(分岐ではない)

「盤外同一説」つまり、「ゲーム開始前の設定はいつも同一」という考えの人は、おそらく「世界はひとつである」という世界観で解釈しているのだろうと想像します。

 一本道のようなかたちの世界があり、10月4日にゲームが始まった瞬間、その時点から世界がいくつもの可能性(エピソード)に分岐し、ゲームが終了した瞬間、その分岐はまた1点に収縮して、また一本道世界に戻る……。そういった世界モデルを想定しているのではないかなと思います。
(創作説なんかもこのバリエーションのひとつとして理解できますね)
(あ、ゲーム終了時の再収縮は必要ないのかもしれませんね。でないと、「どこかの世界で、縁寿のもとに戦人が帰ってくる」という展開が導けません)

 一個の固定された「世界」というものがあり、ゲーム開始の瞬間に「Ep1」「Ep2」「Ep3」「Ep4」「Ep5」「Ep6」にパッと6分岐する……(もっと多くてもいいですね)。細かい差異はあれ、おおむね、そんな感じで解釈しているのじゃないかしら。


 でもわたしは、ちょっとちがうモデルで世界を解釈しているんです。

 わたしは、最初からいくつもの平行世界があるだろうと考えてます。
 さいしょっから、「世界A」「世界B」「世界C」「世界D」「世界E」「世界F」が、並列的に、平行世界的に存在するように思います。Fまでじゃなくて、もっとあります。たぶん無限に存在するんでしょうね。

 ベアトリーチェは、
「よし、次は、ここに浮いてる“世界B”を使って、新たなゲームを始めてやろう」
 といってできあがったのが、例えば「Ep2」であったり、
「うむ、ならばその次は、あのへんから拾ってきた“世界C”をゲーム盤にするぞ」
 といって、「Ep3」にしたりしている。
 そういう感じでわたしはとらえているのです。

 世界は無限なのですから、「戦人が6年前に家出をしない世界」とか「碑文が掲示されなかった世界」とか「金蔵が太平洋戦争で戦死した世界」とか「真里亞が魔女を信じていない世界」とか「紗音が右代宮家に就職しなかった世界」とかも当然あるのです。

 でも、そういう世界は、
「ウム、これは使えん」
 といって、ベアトリーチェは取り除いている。

 ちょっと余談にずれますが、Ep5でベルンカステルは、「どうやって碑文を解いたの?」とラムダデルタに聞かれて、
「カケラをほんの数百個ほど漁った」
 という答え方をしています。
 これはどういうことかというと、
「碑文が掲示され、なおかつ六軒島連続殺人事件が発生していない世界」を、手当たり次第に全部開けて中身を覗いていったら、数百個めに、「誰かが碑文の謎の解明に成功した世界」を見つけることができた。その解き方を見てきた。
 という意味であるだろう、とわたしは解釈しています。
「碑文解読の成功」は、数百分の一の確率でしか発生しない、超レアイベントである……という理解ですね。

 閑話休題。

 少しずつ異なっている世界が、無限のバリエーションで存在している、というのが、平行世界の基本的なモデルです。
(わたしは、厳密にはうみねこ世界はそれとちょっと違うと思っているのですが、それは置いておきます。詳しくはURLから「カケラ世界」というシリーズを読んでいって下さい→ http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/c/e446b6501eca3b498c171dd1d4d0c055

 ベアトリーチェはその中で、ゲームに使いたい世界と、使いたくない世界があるのだろう、と考えます。

 ベアトリーチェが、ゲーム盤として「選びたい」世界の条件って、こんなじゃないでしょうか。たとえば……
・「戦人が6年前に家出し、最近復帰している世界」で、
・「譲治と紗音が愛しあうようになる世界」で、
・「縁寿が病気になり、六軒島に来ない世界」で、
・「古戸ヱリカが奇跡的に漂着したりはしない世界」で、


 それであえて自説にひきつけて言えば、

・「金蔵が数年前に死んだりせず、ごく最近まで生きていた世界」
(ボイラーにつっこんで、焼死体を作ることができる世界)


 逆に、「親族たちが金蔵の生存を疑っているか、いないか」は、ベアトリーチェにはどっちでも良いのでしょうね。Ep1~3では疑っておらず、Ep4では疑っているわけなので、彼女はあまりそこを問題視していないと見ることができます。


●ラムダデルタの世界選び/戦人の世界選び

 さて。
 ベアトリーチェはEp4まででゲームマスターをやめてしまいました。
 かわりにEp5のマスターになったのはラムダデルタでした。
 ラムダデルタもきっと、ベアトと同様に「どの世界をゲームにしちゃおうかーしらー」という選択をしたんだろうな、と考えます。

 ただ、ラムダデルタはああいうはっちゃけた人なので、「せっかくだからー、ベアトが作らないようなゲーム盤にしてみたいじゃないー?」と考えたかもしれません。

 なので、ベアトがこだわっていた世界選択の条件を、いくつかさらっとシカトしちゃったかもしれない。
 例えば、「金蔵が死んでることは、もう赤で出ちゃってるし、ボイラーで焼いて死斑を隠すとかってもう意味ないよねー」と考える。
 なので、「金蔵がごく最近まで生きていたこと」というベアトの条件は、もうどうでも良い。そこで、「1年以上前に金蔵が自然死した世界」でもいいじゃん、って考える。この世界って、夏妃がちょー必死になってて、蔵臼との確執とかあったりしてー、ちょーおもしろーい、とか思ったりする。

 そこにベルンカステルがやってきて、
「ちょっと、バカの戦人じゃラチがあかないわ。古戸ヱリカを私の駒にするから、彼女が漂着する世界にしなさい」
 と命令する。
 ラムダデルタは「えー」とかいいつつ、「でも面白そうだから、おっけー」する。

 そんな感じでEp5ができあがったかもしれません。

 Ep6は戦人がマスターを務めました。当然、彼も「世界の選択」をしたと考えます。
 ということは、彼も「1年以上前に金蔵が自然死した世界」を選んだということになります。

 戦人のゲーム盤のテーマは「誰も殺人を犯さない」です。
 ところが、ベアト式に「金蔵がごく最近まで生きてた世界」を選ぶと、ゲーム開始直前に、誰かが金蔵を殺害しなければならない可能性が高いのです。
 なぜなら、Ep3の赤に、「6人は即死であった!」というものがあります。この6人には金蔵が含まれます。そして即死の定義は「攻撃を受けて即座に行動不能になった」という意味だとされるのです。つまり代入すれば、
「金蔵は、攻撃を受けて即座に行動不能になった」
 のであり、つまり金蔵は何者かに攻撃されたことで死亡しなければならないのです。

 つまり、ベアト式の世界選択だと、この時点で「殺人者」が発生してしまう。それを回避するために、「金蔵が自然死した世界」を、彼は選ばざるをえなかった。


 ……とまあ、以上のような「平行世界のしくみ」を想定すると、「エピソードごとに、ゲーム前の設定が同じでない」ことも、それほど不思議ではない。
 そういうお話でした。


●【カケラ紡ぎ】縁寿に幸いをもたらす方法

 さて、以上のような平行世界解釈を、そのまま『ひぐらし』に当てはめてみたいのです。

『ひぐらし』も、このような繰り返しのゲーム盤であり、エピソードごとに、「今回はこの世界」「今度はあの世界」というように、平行世界の選び取りが行なわれていた、と考えるわけです。

 いろいろと議論はあるでしょうが、仮に、
「『ひぐらし』のゲームマスターはラムダデルタであった」
 ということにしましょう。

 ラムダデルタも、ベアトリーチェ同様、
「私のゲームにふさわしいのは、これと、これと、この条件が揃った世界。それ以外は使わなーい」
 といった、カケラの選択を行なっていたのだ、と考えます。

 例えばラムダデルタが必要とする条件は、
・雛見沢症候群が存在している。
・入江研究所や鷹野三四が雛見沢に存在している。
・ダム反対運動が激化し、ダム阻止に成功している。

 といったことです。広大な平行世界には、これが存在しない世界だっていくらでもあるのですが、それだとラムダデルタのゲームは成立しませんから、彼女はそういう世界をあえて選ばないのです。

 ところが。
 例外的に、「雛見沢症候群なんてものはない」「入江研究所がない」「鷹野三四がいない」「ダムは建設される」というゲーム盤が存在します。

 それは『ひぐらしのなく頃に礼』に収録された、「賽殺し編」というエピソード。
(わたし、このお話は過酷すぎて正視できません。今後一生、二度と読まないかもしれない)

 ラムダデルタのゲームに必要なパーツが、まったく揃っていませんから、このゲームはラムダデルタがゲームマスターを務めたものではありません。たぶん。

 じゃあ、誰がゲームマスターなのか。
 お話を読めば、ラストあたりで透けて見えるのですが、それはたぶん羽入。
 もしくは、羽入を駒として操っている背後の誰か、です。
(あえて、それはフェザリーヌだ、とはしないでおきたいのです)

 羽入のゲームは、「誰にも罪がない世界」です。
 圭一はモデルガン事件を起こしません。
 魅音と詩音は入れ替わりを起こしません。
 レナは暴力事件を起こしません。
 沙都子と悟史は両親との確執を乗り越えます。

 それはある意味において、とても理想的な世界でした。
 オリジナルのゲームマスターが考えたデザイン意図を、ガン無視することにより、そういうゲームを導くこともできるのです。


     *


 ところで、『うみねこ』のEp6に戻ります。
「八城十八/フェザリーヌ」という人物が登場しました。

 この人を食った人物は、縁寿との別れ際にこんなことをおっしゃいます。
「この短くない時間を割いてくれたお礼に。………いつかきっと、あなたの物語を書きましょう。」
(略)
「………では、そんなあなたが奇跡に思える物語を、やがて、いつか……。」

 心のすさみきった、やさぐれた右代宮縁寿が、「奇跡だと思える」物語。
 それは、
「家族が、六軒島から、無事に戻ってくる物語」
 というのがきわめつけでしょう。それ以外には、ちょっと考えがたい。

「縁寿の物語を書きましょう。それは、縁寿が奇跡だと感じられるようなものにしましょう」
 と、フェザリーヌは言っているわけです。

 それって、
「いずれフェザリーヌはゲームマスターになって、縁寿のもとに家族が帰ってくる理想的なゲームを導いてあげるつもりだ」
 という意味じゃないか? という気がするのです。

 羽入(仮)が「賽殺し編」でそうしたように、オリジナルゲームマスターの意向をあえてガン無視してしまえば、かなり理想的な物語が、けっこう簡単に導けそうなのです。

 たとえば以下のような、カケラの選び取りかたです。

1.縁寿は体調を崩さない。よって縁寿は事件の日、六軒島に「やって来る」世界
2.「金蔵が存命である」世界


 1の条件は、何らかの理由で、ベアトリーチェが絶対に選ぼうとしなかった条件です。ラムダデルタも戦人もこれを選びませんでした。フェザリーヌはこれをあえて選択するかもしれない。
 なぜなら、フェザリーヌは「あなたの物語を書きましょう」と言っているのだからです。当然、「あなた」が出演していなければ困ります。それに幸せというのは、天から降ってきて与えられるものではなく、自分の手でつかみとるべきものです。

 2の条件により、「金蔵を殺した殺人者」を出さなくても済むようになります。また、蔵臼に死体遺棄の罪を背負わせずに済むことにもなります。

 さて、六軒島に渡った6歳の右代宮縁寿に、この惨劇を止めていただきましょう。

 惨劇を止めるてっとり早い方法が、最初から提示されています。それは碑文を解くことです。よって、彼女のやわらか頭で碑文を解いていただきます。

 べつに彼女ひとりで解かなければならない、というものでもないのです。子供のやわらかい発想で、いくつか重要な指摘をして、それがきっかけで戦人たちが解読に成功する。そんなかたちで良いのです。
 ただし、第1の晩が始まるより前に、解読を成功させなければなりません。

 碑文が解読されると、犯人は殺人をやめます。第1の晩以前に解読すれば、殺人は最初から発生せず、全員島から生還できることが確定します。
 そして、彼らは200億円相当の黄金を入手することができます。これにより、4家族の「金に困っている」問題はいっぺんに解決します。

 Ep5で、「黄金が発見されたことによる分配のもめごと」が発生していましたが、これは「金蔵が存命である」ことによって回避します。金蔵が一喝して、
「黄金は見つけた者のものだ! あと次期当主の座も譲るッ!」
 これでみんな黙るわけなのですが、これは縁寿のための物語なのですから、黄金の所有者となるのも、次期当主となるのも縁寿である、という展開を導きたいところです。

(ちなみにわたしは、黄金も当主の座も、すでに金蔵から朱志香に譲られている、という推理なんですが、碑文があいかわらず掲示されている以上、「朱志香の次の当主も碑文を解いた者がなる」という条件が発生しているだろう、という解釈です。Ep5でも、碑文を解いたら戦人に指輪が贈られましたしね。よって、縁寿が碑文を解いたら、黄金と当主の座は朱志香から縁寿に移る、という解釈をとります)

 あとは、みんなで九羽鳥庵を探検して、そこで起こったことの真相を知ったり、金蔵から昔話をきいたりして、タネがあかされ、知的に満足する。めでたしめでたし……。

 こんなお話って、ちょっとありそうな気がするんです。
 こういう結末を導くために(自分がゲームマスターになるために)、もっと細かい真相を知っておかねばならない。そこでフェザリーヌはベルンカステルを呼びだし、「答え合わせ」をさせようとしている……。


 そんなわけで、ボイラー室は八城十八の書斎につながっていました、というお話でありました。

(了)

続き→ 【続・カケラ世界】補遺・カケラ紡ぎ「86.6.17の家族写真」


■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■
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【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる

2010年03月28日 00時59分06秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる
 筆者-初出●Townmemory -(2010/03/26(Fri) 12:45:12)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=43764&no=0 (ミラー
 Ep6当時に執筆されました]


     ☆


 前回の記事、「【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか」の続きです。


 前回の記事で、
「Ep1、3、4では、金蔵は“ゲーム開始直前”に、何者かに“殺害されている”」
 という主張をしました。

「Ep1、3、4」と言っていますが、これはまとめて「Ep1~4」ということでかまわないと思います。
「Ep1~4」は、ベアトリーチェがゲームマスターをしていたゲームです。
 つまり、
「ベアトリーチェがマスターを務めるゲームでは、金蔵は“ゲーム開始直前”に、何者かに“殺害されている”
 ということを、わたしは考えています。

 ベアトリーチェがゲームマスターをしていたEp1~4では、金蔵はボイラー室から発見される。いっぽう、別人がマスターを務めたEp5~6では、金蔵は一年以上前に自然死したとされ、死体は決して発見されないのです。
 すなわち、
「金蔵の死亡状況の違いは、ゲームマスターの“選択”によるものだ」
 という仮説を立てます。

 この仮説について考えます。


●「できない」と「できるけどやらない」の違い

 Ep5で、戦人とワルギリアの間に、こんな会話がありました。

「あの魔女どもに、ベアトのゲームは理解できるのか。」
「…同じゲーム盤を使う以上、この子に出来ないことは出来ません。……しかし、この子がやらないことはやれます。」

 ワルギリアは、このゲーム盤には「ベアトリーチェにも出来ないこと」と「ベアトリーチェはやろうと思えばできるがあえてやらなかったこと」がある、と言うのです。

 わたしの考えでは、
「金蔵がだいぶ前に自然死しちゃった世界を使ってゲームをすることも(ルール上)できるけれど、ベアトリーチェはそういう世界をあえて選ばなかった」
「ラムダデルタは、ベアトリーチェのそういう意図をガン無視して、金蔵の死亡条件がぜんぜん異なる世界を使ってEp5のゲームを始めた」

 という感じなのです。

 金蔵の死亡状態というのは、ゲーム開始前に判定されている設定状況です。

 ですから、大まかにいって、2択なわけですね。
「ベアトリーチェにも、金蔵の死亡状況をゲームごとに変更することはできない
 のか、
「ベアトリーチェには、金蔵の死亡状況をゲームごとに変更することができたが、あえてやらなかった
 のか。
 どっちかなのです。

 上記の表現は、メタ世界から見たときの言い方です。
 これを、下位世界を主体としたときには、こういう表現になります。

「1986年10月4日より前の状況は、固定されており、完全に同一である」
 のか、
「1986年10月4日より前の状況は、各エピソードごとに異なっている可能性があり、可変である」
 のか。

 つまり、前の書込みで問題設定した、
「ゲーム盤外(ゲーム開始前)の世界は、不変であるのか可変であるのか」
 という議題。
 これと、
「ベアトリーチェにもできないのか、彼女はできるけどやらなかったのか」問題
 は、綺麗に一致する。そう見ることができそうなのです。

 言い換えれば、「ゲーム盤外の可変性(不変性)」は、「ベアトリーチェの持っている権限・またはベアトリーチェの意志」を問うことで、解析できる可能性がある。


●霧江の知識に差がある

 ゲーム開始以前の状況が、各エピソードごとに違っている(可変である)ことを証明するのにいちばんいいのは、
「足の指が6本ある白骨死体」
 が見つかることです。
 金蔵の死亡はゲーム開始前ですし、白骨化している死体とそうでない死体があれば、「金蔵の死に様」に少なくとも2種類が存在することになるわけです。

 でも、そういう都合のいい死体は発見されていませんので、他の根拠でもって「ゲーム前の世界の可変性」を説明してみたいと思います。

「…………何の話…?」
「……まぁ、仕事上のトラブルさ。大したことじゃない。カネでケリのつく話さ…。」
 霧江は、留弗夫の浮かべる微妙な表情の意味をすぐに察する。
 ……夫は、自分の知らないところで大きなトラブルに巻き込まれ、ひとり苦悩していたのだ。
(Episode1)

「……俺たちは、それぞれの都合で早急にまとまったカネがいる。…俺たち最大のウィークポイントってわけだ。
なら、……狙いは何だ。霧江、…読めるか?」
「……………………………。……初耳なんだけれど、私たちには、急ぎ、まとまったお金が必要だという前提があるのね?」
(略)
「………なぁに、留弗夫。霧江さんには話してなかったの?」
「…すまん。隠してたわけじゃないんだ。……実は、ちょいとした…、」
「いいわ。あなたが私に話す必要がないと判断した話なんだから、それをこの場では追及しない。
(Episode2)

 霧江は、Ep1と2では、留弗夫がお金に困っていることを知りません。10月4日になって親族会議が始まり、その席で初めて知るのです。

 ところが。

「他に金策があるなら、お兄さんを脅迫なんてしたくないものだわ。」
(略)
「蔵臼さんが大きな損失を出していると言っても、私たちの急場を凌ぐためのお金くらいは充分用意できるはず。もちろん、蔵臼さんのこれまでの信用を換金してお金を作ってもらうことになるけれど。」
(Episode5)

 Ep5のこのシーンは、明確にゲーム開始前です。夜、どこかのビルの屋上で、霧江は留弗夫に「蔵臼を脅迫してお金をひっぱれば?」とそそのかすのです。Ep5ではゲーム開始以前に、留弗夫の金欠について知っている。

 すなわち。
「ゲーム開始以前に、留弗夫が霧江にお金の相談をした」エピソードと、
「ゲームが始まるまで、留弗夫はお金のことを黙っていた」エピソード。
 その2つが存在するといえそうなのです。

「ゲーム盤外同一説」で、このシーンを説明するためには、
「Ep1と2の霧江は、留弗夫が金に困っていることを知っていたけれど、知らないふりをしてとぼけた」
 という解釈が必要になります。
 でも、霧江がそんなことをする必然性って、どうなんでしょう。「霧江は金策のことについて、完全に部外者だ」という印象を周囲に与えて、何か彼女にメリットがあるのかなあ……という疑問が生じてしまいます。


●デルゼニーランドはいつ開園したのか

 次に。
 以下に挙げる場面は、わたしが自力で発見したことではなくて、「豚骨ショウガ」さんという方が公式掲示板でかなり前に指摘していらして、素晴らしいなと思った部分。
 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=31355&no=0

 数年前に開業したデルゼニーランドには行ったかね? 素晴らしい遊園地じゃないか!
(Episode1・蔵臼の台詞)

 真里亞は自室で、さくたろうたちとはしゃいでいる。
 次の日曜日に、出来たばかりの遊園地、デルゼニーランドに連れて行ってもらえることになっているからだ……。
(Episode5)

 Ep5のほうは、「金蔵の死亡隠蔽をだしにして、3人で蔵臼から金をひっぱろうぜ」という相談電話を受けたときの楼座のシーンです。つまりこのシーンはゲーム開始直前と推定されます。少なくとも、「前回の親族会議より後」でなければなりません。でなければ「金蔵の死」を留弗夫たちが疑うことができないからです。

 つまり、ここに挙げた2つのシーンは、同時期に起こったことのはずです。
 にもかかわらず、いっぽうは「デルゼニーランドは数年前に開業した」といい、他方は「出来たばかりの遊園地である」というのです。

 数年前に開業したものを「出来たばかり」というのは、まあ言った人の感覚にもよるわけですが、ちょっと違和感です。特に楼座のような「流行」に敏感であるべき人がそういう言い方をするのは。

 豚骨ショウガさんはこの違和感を「楼座のシーンは、実は“数年前”に発生したことではないか」と仮定することで解消するのですが、わたしは別の解き方をします。

「デルゼニーランドが数年前に開業した世界」と「デルゼニーランドが最近できたばかりの世界」の2種類がある。

 こっちのほうが、「解釈のアクロバット」を必要としないので、楽じゃないでしょうか。


●どうして切り札を切らない?

「霧江が金のことを知っている/知らない」「デルゼニーランドの開業が数年前/最近」という、2つの例を挙げました。

 これらの例、2つとも「Ep5」の描写がからんでいます。

 Ep5になってから、急に「エピソード間の設定のずれ」が、いくつも出てくるのですね。
 しかもそのずれは、両方とも、
「金蔵がもう死んでいて、それが隠されてるんじゃないか」
 という文脈上に出てくる

 そのことに注目したいのです。

 デルゼニーランドが最近できた、という話は、「親父の死をネタに兄貴をゆすろうぜ」という展開上に出てくるのですし、霧江が金策の解決法を思いつくのもその流れなのです。
 言い換えれば。「金蔵はいったいいつ死んだのか」という問題のライン上に、「エピソードごとに設定が違うよ」という描写が、きれいに一本線に配置されているのです。


 この、Ep5における、
「絵羽夫妻、留弗夫夫妻、楼座が、金蔵の生存を疑い始める」
 というゲーム開始前の一連のシークエンスは、実はかなり重要なのではないか。


 そこでもう一度見直してみます。

■秀吉・絵羽夫妻の「気づき」
・去年の親族会議で金蔵の姿を一度も見ていない。
・ひょっとして金蔵はもう死んでいて、蔵臼がそれを隠しているのでは?
・しかし蔵臼は大富豪だ、そんな危険を冒して遺産を独り占めする必要があるのだろうか?


■留弗夫・霧江夫妻の「気づき」
・蔵臼の事業は大失敗し、金に困っているらしい。
・「金に困っている投資家」これをタネに蔵臼から金を引き出せないか。
・蔵臼の経済状況を洗ってみよう。



 秀吉が気づくのは「金蔵はもう死んでいるのでは?」だけ。留弗夫が気づくのは「蔵臼は事業に失敗しているのでは?」だけなのです。
 この2夫婦が気づいたことを重ねあわせたとき、
「蔵臼は金に困っており、金蔵の死を隠すことでその財産を自由に使っている」
 という真相が、初めて浮かび上がるしくみになっています。

 この「切り札」を使って、3家族は、蔵臼を脅迫しようと考えます。


 さて。
「ゲーム盤外同一説」、つまり、「ゲーム開始前の状況は、全ゲームで同じはずだ」という立場をとるのなら、この一連のシーンはEp1~4やEp6でも発生していなければなりません。発生したとしますね。

 これまでの全エピソード中、親族会議で「金蔵はもう死んでいるのではないか」という論点が発生したのは、Ep4とEp5だけです。
 ほかのエピソードではどうしちゃったんだろう、という疑問が当然発生します。

「金蔵の死が隠蔽されている」
 という仮説は、蔵臼を死体遺棄罪の重罪に問うことができる超・強力カードです。これを「あえて切らない」理由をつけなければならなくなる。
「金蔵の死の隠蔽」を論点にしたEp4では、「7.5億の手付け金については拒否する」という蔵臼の返し手(Ep1)が発生しないのです。そのくらい強い、はず、です。

 何しろ金蔵の死亡が明らかになれば、即座に遺産分配を行なうことができ、蔵臼を即座に破綻させることができるのですからね。

 Ep1は、「謎の女ベアトリーチェの登場(Ep2)」といった変なイベントが発生せず、親族会議がフルサイズで行なわれたエピソードです。Ep1で「金蔵の死が隠蔽されている」というカードを留弗夫たちが持っていたら、Ep5でそうだったように「金蔵の不在を暴いて蔵臼を失脚させよう」というプランが優先的に発動したほうが自然なのです。

 Ep3も興味深い展開です。
 おもしろいのは、Ep3では、「碑文を解いてみなさい」という「魔女の手紙Ⅰ」を、
「これって金蔵が出題してきた後継者指名テストだ!」
 と、親世代全員が決め打ちしてしまうという、よく考えると凄い展開です。

 魔女の手紙を「金蔵からのテストだ!」と真に受けるためには、彼らが「金蔵は生きている」と思っていなければいけない。のではないでしょうか。
 というのも、Ep3の彼らが「金蔵の生存」を疑っていたら、当主の封蝋がついた手紙が現れた場合、
「すでに死んでいる金蔵を、生きていると思わせるためのアリバイ作りでは?」
 ということを疑うべきだと思うのです。でも、その様子はない。

 Ep3の絵羽は、「私が碑文を解いて後継者になってやるわ!」と鼻息荒くしています。

 でもEp3では、親族会議の大人たちは、「ベアトリーチェなる怪人物が碑文のなぞなぞを解けた解けないで当主問題をうんぬんしてきても、我々はいっさいとりあわない」という合意を形成するのです。
 碑文どうこうで当主問題を扱わないという合意がある。
 にも関わらず絵羽は、「私が碑文を解いて、当主になってやるわ」と内心で決意するのです(ボイラー室で焼死体が発見されるより前に)。
 これを成り立たせるためには、その合意が問答無用で破棄されるような権威が必要なのです。つまり絵羽は、
「お父様、私は碑文を解きました。当主として認めて下さい」
 と、金蔵に訴えるほかはなさそうなのです。

 ということは、Ep3では、金蔵の生存を絵羽が疑っていてはいけない……。
 でも、「ゲーム盤外同一説」に従えば、金蔵の不在を疑い始めるのは絵羽夫妻なのです。
 自分で疑っているはずなのに、Ep3では急にその考えを捨てたでしょうか?

 それよりは、「Ep3では絵羽は金蔵の生存を疑っていない」という理解のほうがシンプルだと思うのです。

 ということは、「絵羽が疑っているエピソード」と「疑っていないエピソード」がある……。すなわち、「ゲーム盤の外、ゲーム開始以前の状況は、各エピソードで異なっていても良い」という理解がみちびかれてくるのです。


 ざっとこのくらい、状況証拠らしきものがあります。
 これでなお、「ゲーム開始より前の状況は、全エピソードで共通のはずだ」と主張するためには、

 霧江は夫が金に困っていることをなぜかとぼけ、絵羽や留弗夫が「金蔵はもう死んでいるかもしれない」と気づいたのはデルゼニーランドが開園した数年前であり、そのことを数年間、どうしてかわからないが全く問題にせず放置していて、Ep1~3では「蔵臼は金蔵の死を隠してるだろう」という強いカードをなぜか切らず、Ep3では金蔵がもう死んでいるかもしれないと疑っているにも関わらずなぜか「魔女の手紙は金蔵からのテストだ」と思いこむ。
 そしてデメリットしかないにも関わらず蔵臼はなぜか金蔵の死体を保存したわけです。

 といったような、複雑な条件を設定することになります。
 でも、これはこれで、わりとアリだと思います。特にこの物語は「幻想描写」まじりなのですから、いくつかを実在しないシーンにしてしまうなどで、全然通る話にできます。

 けれども、シンプルに考えて、
「霧江が金策のことを知っているエピソードと知らないエピソードがある」
「金蔵の生存が疑われているエピソードとそうでないエピソードがある」
「金蔵が1年以上前に死んだエピソードと最近死んだエピソードがある」
 これでもさっくり通ります。

 わたしは、複雑な説明と簡単な説明があったら、簡単なほうを取るのが好きなので、後者を選んでいるわけです。


 この「知っている/知らない」「疑われている/疑われてない」「1年前に死んだ/最近死んだ」という差異を、「ゲームマスターが選んでいる」というような話まで持っていこうと思ったんだけれど、予定外に長くなってしまったので分けます。その話は次回にします。


 続き→  【続・カケラ世界】下・縁寿を幸せにする「カケラ紡ぎ」



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【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか

2010年03月25日 01時42分35秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか
 筆者-初出●Townmemory -(2010/03/25(Thu) 01:30:36)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=43664&no=0 (ミラー
 Ep6当時に執筆されました]


     ☆


 皆集(注:公式掲示板の大手推理系スレッド)の推理チャットに毎月(スケジュールの許すかぎり)参加していますが、ほとんど推理らしい推理はしないで雑談ばっかりしています。だって推理は掲示板でもできるけど、雑談はチャットでしかなかなかできないもの。

 とはいえ、人の推理チャットを見ているのはとても有意義なのです。何がいちばん有意義かというと
「論点が拾える」
 ということ。
「自分にとっては自明と思えていたことだけど、他の人にとってはそうではないのか」
 とか、その逆であるとか。
「こんな問題設定がありえたか」
 という驚きを手に入れることができる、それが貴重なのです。一般に、問題を解くことよりも、「ここに問題がある」と気づくことのほうが、むずかしい。

     *

 さて、前回の推理チャットで非常にスリリングで面白いネタを拾いました。

 ゲーム盤の中のできごとが「可変」である(ゲームごとに事件の内容が違う)ことは、ほとんどの読者の間でコンセンサスが取れていることと思います。
(だってそのように描かれていますものね)

 では、ゲーム盤の外については、どうなのか。

「ゲーム盤外(ゲーム開始前の状況設定)は、全ゲームにおいて完全に同一である(固定されている)」
 と考える人が、わたしの想像以上に多くいて、あっ、そういう発想ってメジャーなの? と、ちょっとびっくりしたのです。

 わたしは、
「ゲーム盤外(ゲーム開始前の状況設定)は、ゲームごとに違っている場合がある」
 と思っていて、ほとんどの人もそう思ってるだろう、となんとなく思いこんでいました。

 この違いが面白くて、どきどきしました。
 この2つで、何が違ってくるかというと、たとえば具体的な例を挙げれば、

「金蔵は、いつ死んだのか」

 これをわたしは、「Ep1~4」と「Ep5~6」で、異なる(全然ちがう死に方だ)。
 と、考えているのです。

 Ep1~4では「ゲーム開始直前に誰かに殺された」と考えていて、Ep5~6では「殺される前に(一年以上前に)自然死した」と考えています。

 Ep5で、「ゲーム開始から1年以上前に、金蔵は自然死した」というエピソードが描かれますから、
「ゲーム盤外の設定は、いつも同じだ(固定されている)」
 という考えの場合、
「Ep1~4ではゲーム開始直前に殺された」
 という推理は成立しなくなってしまうわけなのです。


 Ep5で描かれた金蔵死亡の様子を思い出してみると、「前回の親族会議よりも前」ですから、金蔵が死んだのは、
「最低でも1年以上前、最大で2年前」
 のできごとであり、
「死にざまとしては大往生である(自然死である)」
 ということになります。

 ひょっとして、「Ep1~4にも、この死にざまが適用できる」という発想の人が大多数なのかしら。
 そしてそれは、「ゲーム開始前の設定はいつも同じ(固定)」という前提からみちびかれていることなのかしら。
 この、自他の解釈のずれが、たいへん、興味深かった。


 今回はそのあたりの論点を、あれこれと。

     *

 今回のこの話には、2つの論点があります。

「金蔵の死因は、いつも同じであるのか(ないのか)」
 と、
「ゲーム盤外は、固定であるのか可変であるのか」
 です。
 この2つは、密接に関わり合いながらも別々の問題です。


 まず、各論として語りやすい「金蔵の死因」について。


●白骨化と「肉の焼ける臭い」

 Ep5で見た「金蔵の死亡状況」を、わたしが他のエピソードで採用できない理由について。
 それはわりに単純です。

 最低でも1年以上が経過した死体は、常識的に考えて、白骨化しているはずです。
 しかし、Ep1、3、4で発見される金蔵の死体は「焼死体」と描写されるのです。太占(ふとまに)よろしく骨になってからそれを焼いたというような描写ではありません。

 それどころか、「異臭がした」ことがかならず強調されるのです。肉が焼けなければ異臭はしないだろうと思われるのです。

 ですから、Ep5で描かれた金蔵の死に方を、Ep1、3、4で採用するためには、
「死亡してから1年がたっても、白骨化せずに肉が残っている」
 という状況をつくりださなければなりません。

 まず、その方法をいくつか検討してみることにします。


●死体保存法の検討

 試したことないのでほんとかどうか知りませんが、土中にある死体は、地上にある死体よりも白骨化が遅いのだそうです。
 かるーくGoogleで調べてみたところでは、地中の死体は完全な白骨化まで2~3年かかる、という記述を見つけました。

 けれども、さすがに「地中に1年間あった死体」というのは、通常の想像力を働かせれば、ほとんど腐って溶けちゃっているでしょう。
 まだ完全な白骨化には至っていないといっても、分解しにくそうな皮膚あたりと、そこに近い筋繊維なんかがかろうじて残っているというくらいだろうと想像します。
 そういう死体を土中から掘り起こしたとして、その死体はもう、ボロンボロンのはずです。運ぶ途中やら、焼却炉につっこむ過程で、ぼとぼとと崩壊していっちゃったりしそうだ。
 よいしょっと持ち上げて、頭から焼却炉につっこむ、というアクションが、もう難しそうです。
 それに、そんな状態から焼き始めても、「屋敷全体を覆い尽くすほどの異臭」とか「焼死体」といったイメージには、きっとならない気がします。


 となれば、冷凍保存なんてどうでしょう。
 これは現実味がありそうなアイデアです。

 金蔵の死体を冷凍保存するためには、「そうだ、金蔵の死体を冷凍保存しよう」と誰かが思いつかなければなりません。
 金蔵の死を知っているのは蔵臼、夏妃とその一味ですから、彼らがそれを思いついた、ということにします。

 厨房の冷凍庫にしまっておくわけにはいきません。いくら、20人からの食事をまかなうことができる厨房であっても、人体をひとつしまっておけるほどの冷凍室を備えているとはさすがに思えません。
 それに、死体と同じところから取り出した食品を、1年間にわたって口にできるほど豪放な人は、あのメンバー中には1人もいないと思うのです。
 もし、厨房に巨大な冷凍庫があり、全員が豪快だったとして。事情を知らない他の若い使用人がお茶請けにシューアイスか何かを新島で買ってきて、ちょっと冷凍庫に入れとこうといってガチャっと開けたりする。悲鳴が上がる。そんなことはごく日常的に発生しそうです。

 そこで、「開かずの冷凍庫」か、「冷凍庫を設置できる開かずの間」が必要になるのです。
 開かずの間といえば金蔵の書斎ですが、書斎の冷蔵庫はEp5でしっかりと内部を捜査されています。
 蔵臼は自家用クルーザーを持っていますから、本土から業務用の大きな冷凍庫を購入して、島に運んでくることはできます。蔵臼、源次、南條、嘉音が協力すれば、夜中にこっそりと、波止場から屋敷にまで搬入することはできるでしょう。
 でも、どこに置くかが問題なのです。
 書斎以外に、開かずの間があるという話はききません(ちょっと微妙になってきますが、ヱリカにも発見できないほどのという条件もつくかもしれませんね)。

 クルーザー内に冷凍庫をそのまま置いておく? 船舶内に置いた冷凍庫を、24時間、1年以上、絶えまなく通電させておくことが可能ならOKですが、それはどうでしょう。蔵臼のクルーザーは、停泊中も、常にエンジンがかかっている……。それも少し不自然です。

 たとえば、屋敷からかなり離れた場所に、プレハブの小屋を建て、電気を引き、冷凍庫を設置し、死体を保管する……。それだけの大労力をかけたとして、子供の使用人が休憩時間に森に遊びに出かけて「あれ、こんなとこに小屋がある」と思い、「さぼったりするときの秘密基地にしよう」と考えたらもうおしまいなのです。(だからこその「森の魔女伝説」なのかもしれないですけどね)


 なお、ホルマリンやアルコールなどを利用した「薬品保存」系のアイデアにも、冷凍説とほぼ同じ問題が発生します。これらの薬品は揮発性ですから、冷凍庫以上に設備が難しいことになるでしょう。


●蔵臼には死体保存の理由がない

 そういう実現性以上に、問題だと思うのは、蔵臼たちには死体を保存してもデメリットしかないのです。
 蔵臼たちは金蔵を「失踪」させようとしていました。そうすることで時間をかせぎ、横領したお金を補填しようとしていたのです。
 死体が発見されたら、金蔵が死んだことが明らかになるのですから、遺産分配が発生し、蔵臼の資金流用が明るみに出てしまい、彼は逮捕され社会的地位も消滅します。
「金蔵は失踪したのであって、死んではいない」
 という状況をつくらねばならないのです。
 そのためには、絶対に死体が見つかってはならないのです。
 つまり、死体を保存する理由がない。
 というか、「死体を処分しない理由」がありません。

 何者かが、意図的に「死体を保存した」のだとしたら、それは、
「あとで死体を取り出し、白日のもとにさらす」
 という意志があったはずです。
 だとしたらそれは、「ボイラー室で焼死体として発見させる」というプランが最初からあったとしか考えられない。ボイラー室で焼けば冷凍の痕跡は隠蔽できますからね。
 しかし、ボイラー室で金蔵の死体が発見されることにより、蔵臼たちの「失踪を装う」計画は破綻するのです。つまり、冷凍説ではそれを行なったのは蔵臼たち以外にありえないのに、彼らがそれを行なったことにより、彼ら自身が破滅するのです。

 これを回避するには、「蔵臼の資金流用の話はウソだった、または幻想だった」といった条件が必要になります。つまり、「お金の問題がばれたら困るから、金蔵には失踪していただこう」という計画じたいが、実は存在しなかった。フェイクだった。そういう処理が必要になりそうです。
 ただ、そうなると、「失踪計画はウソだけど、このタイミングで金蔵が死んだことはホント」という、ちょっと不思議な処理が発生します。すごく変とまではいえないけれど、なんか違和感があります。
「どうして金蔵の死亡発覚を1年以上遅らせたかったのだろう」
「発覚を遅らせた結果、自然死じゃなくて他殺を疑われて警察が介入することになってもかまわなかったのだろうか」
 といった疑問も発生し、そのへんが難しくなってきます。


●金蔵の死体は埋葬されている

 そうした複雑な回避方法をとるのもおもしろいですが、ごくあっさりと、以下のような素直な理解をするのも良いんじゃないかなと思うのです。
 つまり、

「蔵臼と夏妃は、六軒島の森の奥深くに、金蔵を埋葬したのである」

 それは、森のかなり深い場所だろうと想像します。ちょっと分け入ったくらいでは、うっかり行き当たったりはしない場所が選ばれただろうと思います。ただし、わかる人が見ればわかるような目印くらいはところどころにあるのかもしれません。
 蔵臼と夏妃は、彼らに可能なかぎり丁重に埋葬した、と想像します。めだたない小さな墓標……しかしそれは丁寧に作られ、敬意が込められている……そういうものが立てられているかもしれない。それは一見、道祖神か測量点に見せかけられているかもしれない。

 夏妃は「他の使用人たちに不審を抱かれないように、めったにこちらにお参りすることはできません。そのことをお許し下さい」と念じていたかもしれません。

 そして彼らは、埋葬した遺体を発掘したりはしない、と考えるのです。それは死者のねむりをさまたげる冒涜であるし、何より自分たちの破滅を意味するからです。

 じっさい、「金蔵が1年以上前に死亡した」とほぼ確定したEp5とEp6では、金蔵の死体は最後まで発見されていません。これをごく素直に、
「誰にも見つからない場所に埋めたから、誰にも発見されない、出てこない」
 と受け取ってしまうのです。


 Ep5、Ep6だけを取り出して見たとき、人物理解からいって、これがいちばん素直な解釈じゃないかなー、と、わたしは思うのです。


 この素直な解釈が、なぜか採られにくい(と、今回観測しました)。それはなぜかといえば、Ep1、3、4で、「金蔵の死体がボイラー室で発見される」からにほかなりません。
 ボイラー室の焼死体、を実現させるためには、金蔵のボディが地中で腐敗崩壊していては困るのですね。

「だから埋葬説はまちがっているのだ」としてしまうのではなく、「埋葬され、土中で腐敗崩壊すること」と「焼死体として発見されること」を両立させる方法はないのか、という問い方が、わたしのアプローチです。

 そのアプローチにもとづく、現状での回答が、
「Ep1、3、4の金蔵は、1年以上前に死んだのではなく、ゲーム直前、ごく最近になって死亡した」
 という大きな外しかたであるのです。

『「Ep5、Ep6」と「Ep1、3、4」では、金蔵の死亡時期が異なっている』
 というふうに捉えてしまえば、「1年以上前に死んだ」ことと「焼死体での発見」とのあいだに、整合をとる必要がなくなるのです。

 一年以上前のあのタイミングに、金蔵が心不全かなにかを起こして死んでしまった世界と、その心不全をうまいこと乗り越えてもうしばらく生きていた世界の、2種類が存在するのだという解釈です。

「Ep1、3、4」は、「もうしばらく金蔵が生きていた世界」です。
 1986年の殺人ゲームが開始されるごく直前……たとえば数日前でもいいし、前日でも良いです。Ep1~4では、そんなタイミングで金蔵が死んだのだとしたら、死体の白骨化を気にする必要はありません。
 書斎のベッドに寝かせておき、任意のタイミングでかつぎだして、ボイラー室の焼却炉につっこめば良いのです。
 数日前に死んだことを悟られないためには(ついいま殺されたのだと思わせるためには)、死斑を隠さなければなりませんから、死体を焼く必要はあります。

 Ep1で、書斎に薬品臭がむっと匂ったというのは、腐敗臭とか死体臭をごまかすために、香料をふりまいたからかもしれません。

 あ、そういえば、Ep5で書斎を捜査したときには、この薬品臭の描写がありません。そしてEp5でたびたび書斎に籠もっていた夏妃は、この臭いがとても苦手なのです。
 ということは、臭いの描写の有無は、金蔵が最近まで生きてた(臭いを発生させてた)世界と、夏妃が1年以上にわたって換気してしまったのでそれがない世界の違い……という方向の解釈も、できなくはないかもしれないですね。

 そして、ゲーム開始前なんていう、そんなジャストタイミングにたまたま金蔵が自然死するというのはちょっと違和感があります。
 そこで、「殺人犯によって、金蔵が意図的に殺害された」という発想が、わりと自然に出てきます。わたしはこの解釈です。


 こうした解釈をとるとき、ゲーム開始前の段階で、すでに大まかに2種類の世界があるということになりますね。
 その場合、ゲーム開始前……つまり「ゲーム盤外」は固定されてはおらず、変動可能である、という条件が自動的に導かれてくるのです。


 どうしてそのような変動が可能なのか(可能だと思うのか)ということについて、次回語ります。


 続き→ 【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる


■付記

 今回、死体保存説について、かなり否定的に読めるかもしれませんが、全然ありえないと思っているのかというと、そうでもありません。
 冷凍とか薬品保存とか、実は好きな展開なんです(だからいっしょうけんめい記述してしまう)。

 ほかにも、整合は置いておいて、魅力的だなと思うアイデアもあって、例えば「ミステリーの死体保存といえばコレだろう」というあれ。
 たぶんどこかで既出のアイデアだろうと思いますが、
 例えば死蝋化とかミイラ化。
 ミステリーにはこの題材をもちいた名作がいくつかありますよね。わたしでも3個くらいぱっと思いつきますから、ミステリプロパーの人は一瞬で10個くらい挙げられるんじゃないかしら。
『うみねこ』は古典的ミステリーへのオマージュ、という側面がかなりありますから、こういう王道的アイデアが導入されている、というのは、それっぽいです。

 ただ、意図的に死蝋やミイラを作るのはほぼ不可能だと思います。少なくとも、引退した町医者さんがブレーンについた、という程度で作れてしまうものではないはずです。
 ありえると思うのは、「たまたま死蝋化した」といった状況かな。

 例えば……
・蔵臼と夏妃が、金蔵の死体を埋葬する。
・かなりの時間が経って、「何者か」が「何らかの理由で」死体を掘り起こす。
・すると、たまたま死体が死蝋化していた。
・これを運び出し、屋敷のどこかに隠しておき、任意のタイミングでボイラーにつっこむ。
(きっとものすごく良く燃えるはず)


 これならわりあい無理なくいけそうですし、こういうのは好きな展開です。


■追記2

 公式掲示板にて、「身子」さんから、
「蔵臼は、使い込み資産の補填ができたら、その段階で死体を解凍し、“いま死んだことにして葬儀をあげる”というプランを持っていたのではないか」
 というアイデアをいただきました。これに成功すれば、失踪プランよりも穏当に状況を処理でき、冷凍保存の必然性もあるのです。これはきれいな解釈だと思いました。
 ボイラーで死体を焼いたのは蔵臼(夏妃)だとする場合、「殺人事件が起こり、警察が家宅捜索を行なうことが確実となったから、冷凍死体をそのままにはしておけなかった。死体を焼けば、殺人犯のせいにできる」ということもいえそうです。




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カケラ世界補遺・神々のお人形遊びとTIPSの謎

2009年06月26日 01時27分00秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


カケラ世界補遺・神々のお人形遊びとTIPSの謎
 筆者-初出●Townmemory -(2009/06/26(Fri) 01:01:29)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=27621&no=0 (ミラー
 Ep4当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
「ラムダデルタにチェックをかけろ」シリーズの補足です。

 以下が本文です。


     ☆


「カケラ世界」シリーズの1から6までで、

「上位戦人は、上位ベアトが創造した架空の人物。上位ベアトはラムダデルタが創造した架空の人物。そしてラムダデルタはわたしたちユーザーの意志の一部が独立したもの」

 というような空想を展開しました。

 この世界観をOKだとすると、うみねこ世界の本質はすべて、
「真里亞のお人形遊び」
 と、まったく同じものだといえます。

 お人形遊びのお人形が、お人形で遊んでいる。そのお人形も、お人形遊びをしている。
 そういうマトリョーシカ的な、親亀子亀的な構造になっています。

 戦人はベアトリーチェのお人形。ベアトリーチェはラムダデルタのお人形。そしてラムダデルタは、わたしたちのお人形です。
(ちょっと怖いですね)

     *

 さて、急に話は変わって、TIPS

 これ、誰が誰に向けて書いてんだ? という疑問は、皆さんどっかの段階で首をかしげたはずです。

 特に、キャラクターのTIPSですよね。
 ep1のキャラTIPSは、基本、真里亞っぽいです。きひひとか言ってますし、「ベアトリーチェは楽しそう、このバカ(戦人)にも早くあなたが見えたらいいのに」みたいに、ベアトリーチェを他者として語っていますしね。
 ただ、その中でも、ベアトとベルンカステルの項目だけは別人が書いているようです。ベアトの項目に「妾は」という言い方が出てきますし、ベルンも「私」という一人称をさらしている。
 つまりベアトとベルンの項目は、本人が書いてるっぽい。

 いっぽう、ep2のTIPSは、「ようこそ真里亞、ハッピーハロウィン」なんて言ってますから、真里亞以外の人物による記述です。

 ep3で、「なんで杭とか要るの?」みたいなはすっぱなことを書いているのは、エヴァ・ベアトリーチェを思い起こさせます。

 ep4の霧江の項目は、「にぇ」とか言ってますので、ここだけなぜかシエスタ410が出張してきている。

 何なのこれって感じですよね。


 大まかにいって、ふたつ考え方があります。
「大勢の人物が、よってたかってこのTIPSを書いた」
 か、
「複数の人物が書いたように見えるけれど、その複数の人物はすべて1人の人間の頭の中にある仮想人格である」
 かです。

 後者を選んだときに、「お人形遊び」説が活きてきます。

 真里亞もベアトもベルンもエヴァもシエスタ410も、ぜんぶひとりの人間に端を発する想像上の人物だったら、TIPSの記述者が誰かという問題は簡単になる。
 そして、「お人形遊び」説は、この考えを裏打ちします。

 エヴァとシエスタ410は、上位ベアト(か下位ベアトか)が創造した架空のキャラクターだと考えることにしましょう。真里亞も、ベアトによって黄金郷に招かれている(死んだあと、「生きていて幸せなカケラの中にいる」とベアトが観測している)わけなので、実質上、ベアトがひねり出した仮想人格といえます。
 そのベアトという人は、「お人形遊び」説によると、ラムダデルタが可能性の中から取り出した仮想人格だったりしまして。つまりラムダデルタが自分から分離させた一部分なわけでして。
 そのラムダデルタさんと、お友達のベルンカステルさんは、「ユーザーの欲望の擬人化」であることにしてしまいましたので、つまり「ユーザーから分離した、ふたつの仮想人格」でありまして。

 そうすると、ずんずんさかのぼって、キャラクターを全部統合していった結果、すべてを包み込んでいる「ひとり」は、ユーザー。つまり「わたし」もしくは「わたしたち」、つまり「あなた」であるということになってしまいます。

 あのTIPSというのは、
 ゲームの中の仮想的な「あなた」が、「あなた自身」に向けて書いた、親愛のお手紙なんだ、
 というふうに、とらえたらどうでしょう。

 ラムダの回想記やベルンの手紙も、まさにそうかもしれないですね。
 あれは、「あなた」の一側面から、あなた自身に送られたメッセージなんだ、という考え方。
 だから、ベルンとラムダは対立しているのに、
「このゲームを理解したい」
 というあなたの欲求に対しては、共通に、優しい。



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■関連記事
●ループ説・カケラ世界関連

 「犯人」がループ存在だとしたら?
 ループ犯人から見た「駒の動き」
 カケラ世界1・ep1が最初に起こった
 カケラ世界2・ep2~4を実在させる方法
 カケラ世界3・上位戦人の正体
 カケラ世界4・魔女の後見と、平行世界
 カケラ世界5・すべてが正解になる
 カケラ世界6・ラムダデルタの正体
 カケラ世界補遺・神々のお人形遊びとTIPSの謎
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カケラ世界6・ラムダデルタの正体

2009年06月25日 00時02分45秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


カケラ世界6・ラムダデルタの正体
 筆者-初出●Townmemory -(2009/06/24(Wed) 01:06:47)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=27531&no=0 (ミラー
 Ep4当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
「ラムダデルタにチェックをかけろ」シリーズの最終回です。

 ちゃんとチェックを掛けられているのかどうか、微妙な結末になりました。
 今回は、抽象的な解を導いてしまったので、そのうち具体的な解も出してみたいと思っています。どこに選択肢があり、どれを選んだら、惨劇は回避できたのか。「カケラ紡ぎ」はいつか行う予定です。
(→ 「【カケラ紡ぎ】六軒島の惨劇を起こさない方法」)

 以下が本文です。


     ☆


 最終回です。
(できたら、「カケラ世界1」から順繰りに読んでいただけると、理解がしやすいです)

 カケラ世界1・ep1が最初に起こった
 カケラ世界2・ep2~4を実在させる方法
 カケラ世界3・上位戦人の正体
 カケラ世界4・魔女の後見と、平行世界
 カケラ世界5・すべてが正解になる


●ラムダデルタの正体

 なんで、こんな話を始めたかというと、これまでふりまわしてきた極論をふまえないと、私が考える「ラムダデルタとベルンカステルの正体」に言及できないからなんです。

 ラムダデルタとベルンカステルは、航海者である、と作中で定義されてます。
 わたしたちユーザー(うみねこ読者)は、航海者と同等の存在である、とわたしは仮定しました。

 ここで、びよーんと飛躍させて下さい。
 ラムダデルタとベルンカステルって、「わたしたちユーザーそのもの」なのではないの?
 と思ったのです。

 いや、でもそれだと、ちょっとうまく説明できない部分が出てきますから、こう言い直すことにします。

 ラムダデルタとベルンカステルは、「ユーザーが抱く2種類の欲望」の擬人化である。

 ユーザーが抱く2つの欲望とは、何なのか。
 それは、
「このハラハラドキドキの夢物語がずっと続いてほしい」
 という欲望と、
「主人公がかっこよく勝利するエンドを見て、痛快さを感じたい」
 という欲望です。

 うみねこに限らず、どんなフィクションを楽しむ場合でも、この2種類の欲望は、常にユーザーは持っているのではないかな。

 ラムダデルタは、ゲームが引き分けのまま、ずーっと永遠に続くことを願っています。戦人が勝ちそうになったらベアトが巻き返し、ベアトが巻き返したら戦人がまた逆転する、という展開を永遠に続けてほしいと言っています。
 それって、わたしたちユーザーが抱く、
「この物語が終わらないでほしい。どんでん返しにつぐどんでん返しで、いつまでもハラハラしていたい。この夢にいつまでもおぼれていたい」
 という感情と、同じものではないだろうか。

 ベルンカステルは、戦人が勝つほうに賭けています。戦人の勝利を望んでいます。
 それって、
「主人公が目的達成できるといいなあ、ハッピーエンドが見れるといいなあ」
 というわたしたちの欲求を擬人化したものが、彼女だからではないでしょうか。

「いやあー、うみねこ面白いなあ、何度でも読みたいなあ、ずっと読んでたいなあ」
 と思うとき、わたしたちはラムダデルタで。
「ああ、戦人が負けそうだ。がんばれ、戦人。ベアトリーチェに勝って見せてくれ」
 と思うとき、わたしたちはベルンカステルで。

 わたしたちユーザーって、その2つの欲望のあいだを、常にいったりきたりしているんじゃないかな、と思われたのです。
 その欲望に、人のかたちを与えたものが、ラムダとベルンなんじゃないかな、と思います。

 ベルンカステルのTIPSに、
「時に貴方であり、貴方の唯一の友人でもある」
 と書いてあります。

 わたしたちが戦人の勝利を望んでいるとき、ベルンカステルはわたしたちです。
 わたしたちが夢の続きを望んでいるとき、ラムダデルタはわたしたちで、つまりベルンが唯一の友人です。
 そういう意味に取ることができそうです。


 そして。
 この2人は、「ベアトリーチェの勝利は、ぜったいにない」と断言している2人です。
 これってどういう意味なのか。わりと疑問ですよね。

 いままでの議論をふまえて、その延長上で考えると、
「わたしたちユーザーの中に、“ベアトリーチェの完全勝利”というカケラを真剣に望んで観測したい人がいないから」
 ではないか、と思うようになってきたのです。

 戦人の完全勝利を望んでいる人、これはいっぱいいるでしょう。
 戦人とベアトが、部分的で不完全な勝利を得て、それぞれの落としどころに落ち着く、という結末を想像している人も、これはわりあいいるでしょう。
 この話って終わるの!? と思ってる人もいると思う。
 でも、ベアトが完全勝利し、戦人が完全敗北する、という結末を想像しているユーザーって、ほぼいないんじゃないかな。
 パターン的に、そんなのないだろうと思ってる。
 ちらっと思っても、まじめにそんなカケラを観測しようとは、思わない。

 観測されないカケラが、存在することはない。
 だから、ベアトリーチェが勝つほうには誰も賭けない。
 そういう、整合のさせかたができそうです。


●ラムダデルタにかけるチェックの一手

 推理としては、ここまででも充分だと思うのですが、勢いで、もう少し勇み足をしてみたいと思います。

 この一連の書き込みは、
「ラムダデルタにチェックをかけたい」
 という、わたしの欲望にもとづいて、始められました。

 そもそもなんで、そんな欲求を持ったかというと、
「犯人は朱志香で、朱志香はループ記憶を持っている。そしてラムダデルタの檻に囚われている。ゲームが始まるたびに、親族を虐殺して自殺するという運命を強要されている」
 という、ろくでもないカケラを、わたしが個人的に観測してしまったからです。

 ひどい話です。
 そして、このひどい話は、わたしが観測して、「これが真実だ」と確信してしまったので、存在します。

 竜騎士07さんが、朱志香をここから助け出す方法を考えてくれるのなら、それを待って、「ああ、よかった」と思えばいいわけですが。
 どうも、考えてくれない可能性のほうが高そうだ。

 ということは、わたしが観測してしまったカケラの中で、朱志香は永遠に親族殺しと自殺をしつづける、それが永久に続く。ということになります。
 少なくとも、わたしの想像力の中で、朱志香はそのような状態でありつづけます。

 それはかわいそうすぎる。
 竜騎士07さんにお願いできないのなら、わたしが助け出す方法を考えるしかありません。
 わたしが、
「朱志香(=ベアトリーチェ)は、ラムダデルタの檻から救い出される」
 というカケラを観測してあげさえすれば、彼女は過酷な運命から解放されます。

 朱志香ちゃん、いや、朱志香でなくても、それ以外の任意の犯人でも良いわけですが、つまり「ベアトリーチェ」をつかまえて逃げられなくして、過酷な運命を強要しているのは、ラムダデルタです。
 なので、ラムダデルタを攻撃し、追い詰め、敗走させることができれば、殺人の無限ループは消滅します。

 そのために、ラムダデルタの正体を知ろうと思いました。
 そしたら、「ラムダデルタはわたしの欲望である」という解を導いてしまいました。

 たぶん、「わたし」とか「ユーザー」が、物語に介入して操作しないかぎり、ラムダデルタは絶対に、「ベアトリーチェの幸福」を観測しません。
 では、介入すれば良い。
 読者であり航海者である「わたし」「わたしたち」が、傍観者であることをやめて、「ゲームのプレイヤー」となること。
 そして、ラムダデルタ&ベルンカステルと対決すること。
 ラムダが勝ってもベルンが勝っても、ベアトリーチェに救いはないんです。
 だったら、ラムダでもベルンでもない「第3の航海者」があそこに立って、ベアトリーチェの利益を後見してやるしかない。
「第3の航海者」が、ラムダデルタ的結末でも、ベルンカステル的結末でもない、「第3の結末」=ベアトリーチェの幸福を導き出してやるしかない。

 結論としてはそうなるんですが、抽象的すぎますね。
 なので、言い換えることにして、こんな解を用意しました。

「わたし」が、自分の中からラムダデルタ的欲望を排除すること。
 ぶっちゃけ、
「ラムダデルタ的欲望(終わるなという願い)の敗北を観測すること」
 ただしそれは、「ベルンカステルの勝利」というかたちをとってはならない。なぜならベルンカステルは戦人の勝利に、つまりベアトの不幸に張っているのだから。

     *

 そして。
 ラムダデルタは、この物語が続いて欲しいという欲求なのだから、
 ラムダデルタの負けを望む、ということは、
「この物語が終わることを、わたしが強く望む」
 ということです。

 それは、極論すると、「自ら死を望む」というのにすごく近い。

「うみねこ」という物語が閉じれば、この物語世界における「わたし」「わたしたち」は消滅するからです。
(ベルンカステルも、カケラの海の中でうっかり死んだり生き返ったりしてる、とTIPSに書いてあります)

 物語を読む、というのは、実は、単に外から眺めているのではないのです。
 わたしたちは、外から眺めているように見えて、実は、仮想的に内部に入り込んで、それで周囲のできごとを見回している。
 物語を読むとき、常に、物語世界には「仮定された自分」がいるのです。

 でも、物語世界が「終了」すれば、その仮定された自分も、存在できなくなります。
 大好きだった本やドラマやアニメが最終回になったときの、
「あーあ、終わっちゃったなあ」
 という感慨の正体は、それです。
 その感慨の何割かは「仮想的な自分の死」に関する感慨なんです。

 物語が閉じた。物語の中にいた仮の「わたし」もいなくなった。

 でももっと単純な説明として、「ラムダデルタはわたしたちの一部分なのだから、ラムダの消滅を望むのは、自らの一部を自分で殺すようなものだ」でも良いです。

 これは極論で、単純化されているけれど、わりあい、「フィクションを楽しむ」ことにおいて常につきまとう本質的な問題のような気がしてきています。

「架空のキャラクターが死ぬ」という運命を回避するために、読者の仮想的な死を必要とする。
 なんて言うと、生け贄的で、魔術的ですね。
 まるで悪魔との取引のようです。あなたが死ねば、あの子の死の運命も消えるよ。ということですからね。フィクションというのはそもそも魔術的ではあるんですが。



 このことを、「うみねこ」風に表現すると、こうなるのです。

 ベアトリーチェが不幸なのは、ベアトリーチェの不幸を観測する「わたし」がいるからだ。
「わたし」が死ねば(消滅すれば)、ベアトリーチェの不幸は観測されなくなり、ベアトリーチェは不幸でなくなる。

 これが、わたしの編み出した、「ラムダデルタにチェックをかける方法」でした。

 しかし、うすぐらい結論だ。誰か別の明るい解答を考えてくれませんか。


(以上です。お疲れさまでした!)
 補足→ カケラ世界補遺・神々のお人形遊びとTIPSの謎



■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■


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 カケラ世界4・魔女の後見と、平行世界
 カケラ世界5・すべてが正解になる
 カケラ世界6・ラムダデルタの正体
 カケラ世界補遺・神々のお人形遊びとTIPSの謎
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カケラ世界5・すべてが正解になる

2009年06月24日 01時09分08秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


カケラ世界5・すべてが正解になる
 筆者-初出●Townmemory -(2009/06/23(Tue) 01:57:33)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=27474&no=0 (ミラー
 Ep4当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
「ラムダデルタにチェックをかけろ」シリーズの5回目です。
 本文中の「蟹先生」「時間泥棒の魔女」とは、うみねこ公式掲示板で発生した二次創作キャラクターです。つまり、本編には登場しない、ファンたちが勝手に作った想像上の作中人物です。非常にクリエイティブ、かつ、うみねこの趣旨にかなった遊び方で、尊敬しています。

 以下が本文です。


     ☆


 続きものの第5回です。

 カケラ世界1・ep1が最初に起こった
 カケラ世界2・ep2~4を実在させる方法
 カケラ世界3・上位戦人の正体
 カケラ世界4・魔女の後見と、平行世界


●カケラ世界も観測したとき生まれる

 ep4のTIPSに、「カケラ世界」「航海者」ということばが出てきます。

「無限のカケラの海を自由に渡り歩ける魔女を航海者と呼ぶ」そうです。
 で、作中では、ベルンカステルとラムダデルタがそれにあたると言われています。

 前回で、「カケラ世界」とは、平行世界のことでいいだろう、とキメウチしました(わたしが勝手に)。
 しかもそれは、量子力学的な発想の延長上にあるものだろうと仮定しました。

 えー。さて。
 すなおに考えて、「カケラの海を渡り歩ける」というのは、複数の平行世界が浮かんでるのを上から見下ろして「わあ、いっぱいある」と思ったり、ひとつの平行世界を「どんな世界かな、わくわく」とのぞきこんだりできる。
 そのくらいの意味に思っても良いような気がします。

 つまり、パラレルワールドの旅行者。
 そんな感じ。
 今回、ベルンカステルはたまたま「うみねこ」というカケラ世界を訪れて、そこに滞留している。
 以前は、「ひぐらし」というワールドにいたこともある。
 これは特にケレンのない考え方なので、このまま採用して、納得度が高いように思います。

     *

 さて。再三、例に出していることですが、
「ものごとの形は、あらかじめ決まっているわけではない。観測した瞬間に、そのかたちができる」
 という話でした。

 ということはですね、「カケラ」を渡り歩くときにも、その法則(らしきもの)は適用されるのではないだろうか。

 カケラの海=平行世界がいっぱいあって渡り歩ける空間、というのを想像するとき、わたしたちは例えば、水面に、浮島のようなものがいっぱい浮かんでいる、そんなモデルを想像しがちじゃないでしょうか。
 そうでない人ごめんなさい。わたし、そういうのを想像してました。

 けど、違うかもしれない。
 カケラの海には、何も浮かんでいない。
 ただ、かたちのない可能性がたちこめているだけで。

 で、ベルンカステルが、「こんな世界が見たいわ、こんなカケラを探そう」といって、「観測」した瞬間に、「そういう世界」が可能性の中から確定され、取り出される。
 ベルンカステルがのぞきこんだ瞬間から、その「カケラ」は存在しはじめるんじゃないか。

 平行世界は、あらかじめあるのではなくて、航海者たちがのぞきこんだ瞬間に生まれる。
 ベルンカステルたちが、
「こんな世界よ、ここにあれ」
 と願うことによって、存在しはじめる。

 ベルンカステルが、「田無美代子が救われる世界よ、ここにあれ」と願って観測すると、電車事故が起こらなかったカケラが、可能性の海の中から取り出される。

 ラムダデルタが、「あんたをみじめなカケラに閉じこめる」といってベアトを脅していましたが、ラムダは、そういうカケラを「あれでもない、これでもない」といっしょうけんめい探し出してくる必要はない。そういうカケラを意図的に存在させて、そこにベアトがいるという状況を観測してやればいいのです。

 そんな感じじゃないのかな?
 という想像をしました。


●3人めの航海者と「すべてが正解になる」

 もうひとつ、想像をふりまわします。
 航海者は、ベルンカステルとラムダデルタだけなのか。

「ひぐらし」の世界をのぞきこむこともできるし、「うみねこ」の世界をのぞきこむこともできるような人物は、他にいないだろうか。

 いますいます。
 それは、「わたしたち」です。

 そうでしょ? わたしたちは、ひぐらしの物語を初めから終わりまで「観測」しましたし、今まさに、うみねこの物語を「観測中」です。

 うみねこに飽きたら、映画館に行って、第三新東京市を謎の生物使徒が襲うエヴァンゲリオン的カケラを観測したり、縦笛しか吹いたことない女の子がギターを一から練習し始めるけいおん的カケラを観測したり、毎週土曜日にはキムタクが奇怪な脳科学者役を演じているミスターブレイン的カケラを観測したりもできますし。

 そしてそして。
 ちょっと記憶をさかのぼって、23年前のことを思い出してみてください。23年前に生きてなかった人は想像してみてください。
 1986年に、戦人という人物がいたと思いますか。
 ほぼ、いないと断言できます。
 戦人という人物が誕生したのは、たぶん、だいたい、2~3年前です。
 戦人が存在を始めたのは、竜騎士07さんが、「1986年に戦人という人がいたことにしよう」という世界を観測したときからです。

 上位ベアトが存在させた各エピソードを、上位戦人が観測して、2人がその存在を認め合いました。
 ラムダデルタがお膳立てして存在させた「上位ベアトと上位戦人のゲーム」というカケラを、ベルンカステルが見物しに来て、そのゲームの存在を認め合いました。

 それと同じで。
 竜騎士07さんが可能性の中から観測した「うみねこのなく頃に」というゲームの内容を、わたしたちはのぞきこんで、その中身を観測しました。そういう物語が存在するということを、確認して、認めました。
 ということは、「うみねこのなく頃に」という名のカケラ世界は、観測された以上、まちがいなく存在します。
 というか、竜騎士07さんとわたしたちが、観測によって存在させました。
「うみねこ」は、竜騎士07さんとわたしたちの「マリアージュ・ソルシエール」の産物です。
「うみねこ」は、それ自体が彼とわたしたちの黄金郷です。

     *

 そして。
 これらの仮説が暗示する最大の極論はこうです。

「すべての推理、すべてのSS、すべての同人マンガ、すべての二次動画、うみねこに関するすべての思いつきは、必ず正解である」

 なぜなら、それらは、思いつかれた=観測されたからです。

 わたしはいま、推理を展開しているわけですが、それはすなわち「そういう推理に基づく世界」を観測できているわけです。
 観測できている以上、「それが真相であるカケラ世界」は、存在します。観測できたものは存在するからです。

「人間ベアト犯人説」が真相であるカケラ世界はすでに存在します。なぜなら、その世界を観測した人がいるからです。
「嘉音犯人説」が真相であるカケラ世界は、それを観測した人がいる以上、可能性の海の中から取り出されて、存在しています。
「次女一家が幸せになる世界」は存在します。それを観測しようとしている人がいるからです。
「蟹先生」は存在します。観測されたからです。
「時間泥棒の魔女」も観測された以上存在します。

「ある可能性から取り出されたべつべつのカケラ世界」を想定することで、すべての想像を真実として認定することができる。
 だとしたら、これってすごく自由で、素敵なことじゃないですか?

(次回で終わります)
 続き→ カケラ世界6・ラムダデルタの正体



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