さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

すべてのヘクセンナハトのために

2011年10月31日 04時14分56秒 | その他のエッセイ
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すべてのヘクセンナハトのために
 筆者-初出●Townmemory -(同人誌『我こそは我にして我等なり』2010年12月31日初版)



●再掲にあたっての筆者注
 ハロウィン記念として、ひとつ、記事を再掲しておくことにします。

 この記事は、同人サークル「シフクノキロク」が去年、企画発行した同人誌『うみねこのなく頃に完結記念合同誌 我こそは我にして我等なり』のために書き下ろしたものです。より多くの人の目に触れることを願って、ここにあらためて掲示することとします。

 この同人誌の初版発行日は2010年12月31日。つまり、『うみねこのなく頃に Episode8 Twilight of the golden witch』のイベント発売日でした。ですから、Ep8を見るより前、Ep7までの情報をもとに書かれています。
 が、Ep8の内容をある種、予言するような内容になっているようにも思います。

「ヘクセンナハト」は、ドイツ語で、「魔女の夜」ほどの意味です。

 以下が本文です。


     ☆


 SF作家の新井素子さんの生活は、大量のぬいぐるみとともにあるそうです。いや、大量という言い方はいささか敬意が足りないかもしれない。新井さんは、「ぬいぐるみというのは、生きており、意志があり、生命体であり、きちんとお話ができるものである」とみなしているのですから。
 新井さんはぬいぐるみとの奇妙な会話や、ぬいぐるみと共にある生活を描いた「ノンフィクション」の作品を、いくつも出版していらっしゃいます。
 彼女の旦那さんは、もちろん当初はぬいぐるみと話すことはできませんでした。が、新井さんと結婚して、生活を共にするうちに、日々うつりかわるぬいぐるみの表情や言葉が、きちんとわかるようになっていったそうです。

 これを、SF作家という怪しげな人種の奇妙な妄想と、それにつきあってあげている優しい旦那様の姿である……とするのは、あまりにも簡単なことなのですが。

 子供のころ、わたしは、料理というのは特殊な知識と特殊なスキルを要する、自分にはとうてい手の届かない高みにある能力だと思っていました。ロマンチックな言い方をすれば、一種の「魔法」であるかのようにみなしていたわけです。どうやってできるのかさっぱりわからない。それはありえないものを生み出す錬金術のようなものである……というように。
 ところが、いろいろな事情があって自分で料理をするようになります。わたしは不器用のコンテストがあったらかなりいい位置につけると自負しているのですが、それでも毎日食事を作っていると、少しずつスキルも知識も身についてくる。そしてあるときふと味見をして愕然としたのでした。「ああ! これっておばあちゃんが作っていたのとまったく同じ味だ!」。

 これを、「かつて魔法だと思っていたものは、魔法でもなんでもなかった」というタネの解明と受け取るのか。
 それとも、「ああ、今こそわたしは、魔法使いのおばあちゃんのあの境地に至り、あの高き魔法をついに会得したのだ」と受け取るのか。

 砂糖と小麦粉と卵とバターとミルク。それがオーブンから出てきたときには可愛いカップケーキになっている。これを「ふしぎ! まるで魔法みたい!」と思うのか。「何の不思議もないことだ」と思うのか。
 そこには重大な岐路があると思うのです。かつて言葉の魔術師はこう歌ったそうです。



薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク。

ナニゴトノ不思議ナケレド。

(北原白秋「薔薇二曲」)


 薔薇の木に薔薇の花が咲く。「何ら不思議でもないことだ」と通り過ぎる人もいるだろうけれど。
「確かに不思議ではないんだが、でも……」
 そういって、立ち止まり、顎に手を当ててふと考え込んでもいいだろう。そこに魔法を見いだす人がいてもいいだろう。
 薔薇の花……。

 さて。あなたがいま読んでいるこの本は同人誌という種類のものです。
 同人誌という言葉は、今やほとんど「アニメや漫画を題材にしたパロディ創作を、アマチュアが執筆して刷り、イベント会場で頒布するもの」という意味になっています。
 つまり、アニメーションや漫画や、そういったフィクションが愛しくてたまらないので、自分で登場人物を動かし、「こうであったらいいな」と夢想し、幻想を編み上げて、それを紙に書いて綴じ込んで配るという遊びが、思いのほか広く世間に定着しているということのようです。

 不思議なことです。

 なぜなら、元になっているものはフィクションなのです。「ありもしない作りごとを書いたもの」にすぎないのです。
「右代宮戦人」や「ベアトリーチェ」といった人物が実在するわけではない。にもかかわらず我々は、本当の人物であるかのように彼らの幸いを願い、ロマンスを期待している。

 何の不思議もナケレド。でも、不思議だ。
 その不思議を、ふと立ち止まって、かみしめたい。
 その不思議の中に、魔法を見いだしたい。
「本当にあったのではないこと」が、それにもかかわらずわたしたちの心を強く打つことを。その魔法を。
 無生物でしかないものに、魂を“見る”、その魔法を。
 その豊かさを。

 本当はそうでないかもしれないことに、心を動かす力。

 わたしたちには、そんな能力があるようです。
 無でしかないものを、有であるかのように見なす力。
 無から有を生み出す魔法は、制作者の側にもあるけれど、わたしたちの側にもあるらしいのです。世界を生み出す最少人数は二人。つまり、作者と読者。作者は無でしかないものを有であるかのように語り、読者は無でしかないものを有であるかのように“視”る。

 そこで。
「あなたの」つまり「わたしたちの魔法」について思いを馳せたいのです。

 同人誌や、ファン動画を生み出している「あなた」。そこまではしていなくても、心の中で、夢を動作させている「あなた」や「わたし」。
 例えば、わたしたちは、夢を見て、夢を語る。
 BL方面の人の中には、例えば「戦人と嘉音のあいだに恋愛感情が発生してほしい」という夢を描いているかもしれない。「ヱリカと戦人に、ロマンスがあったらいいのに」という願望をいだく人もいたりするでしょう。
 その幻想を、同人誌に描いたり、ファン動画に落とし込んだりしている。

 それをあたりまえではなく、不思議に思うことにしよう。
 だって、そんな事実は原作の中にはないのだから。そこで描かれたエピソードは、オーソライズされたオリジナル世界には存在しないものなのですから。
 わたしたちは、ありもしないものごとを夢想して、自分の願望世界の内側において、まるで本当のことのように描き出している。
 その不思議。
 原作にないという意味において「本当ではないこと」が、それにもかかわらず人の心を強く打つ不思議。それを求めて、つまり美しい「幻想」を求めて、東京ビッグサイトが人の群れで埋まる、この不思議。

 本来存在しないものを、それでも存在して欲しいと願ったとき、あなたやわたしの手はペンをとり、紙やディスプレイに向かい、その願いに形を与える。
 そして、わたしとあなたの間では、それは真実として流通することにしよう、と取り決める。

 そうした「夢」に対して、事実(あるいは原作)に即していないとか、正しくないとか言うのは、ナンセンス。なぜならこれは、事実性とか、正しさといったものとは全然別のものに根ざしている世界だから。

 真里亞は、喋らないライオンのぬいぐるみと、それでも喋りたいと願う。ベアトリーチェと真里亞の間では、それは喋れるものなのだ、と取り決める。
 ベアトリーチェは、魔法を使う魔女でありたいと願う。真里亞とベアトリーチェの間では、それは真実として流通させようと取り決める。
 まるでわたしたちみたいに。

 だから。
 ここが黄金郷だ。

 だから。
 あなたが魔女だ。

 だからわたしは、「魔女の自由」を語りたい。
「読み」というのは、常に、もっと自由なんだということを、高く歌い上げたいのです。
 現実がこうだから、それに即していない物語を書くべきではない、などと、フィクションの作者に向かって言う人はいません。
 同様に。作者がこうだといっているから、作中にこう書かれているから、それにしたがわなくてはいけないなんてことはないんだ。
 そもそも自由を感じるために本を書き、自由を感じるために本を読むのです。
 だって、存在しない舞台や存在しない人物を、存在するかのように感じる快楽が、フィクションを読むことなのだから。

 すべてが自由だ。

 ベアトリーチェだって、「自由を感じるために」魔女をやっているはずなのです。きっと。
 だって、目の前にあるこの現実(この世界)を、こうある通りに受け容れなければならないというのなら、ベアトリーチェは「自分は魔女である」なんて思うことはできない。
 目の前のこの現実を、この通りに受け容れなければならない、という「思いこみ」から自由になった者が、魔女なのです。そこから自由になることが、きっと、魔女になるということです。

 あなたの足元に落ちてきた木の葉は、気圧差による大気の動きが枝からもぎとったものにすぎないのだが、冬の木があなたに投げかけてくれた親愛の挨拶なのかもしれない。
 それが魔法。
 どこにでもある素敵な魔法。

 わたしは、わたしの魔法を日々感じ続けようと思う。だから、あなたも、あなたの魔法を感じてくれると嬉しいのです。
 黄金郷よ、ここにあれ。

 トワイライトオブゴールデンウィッチ。魔女の黄昏。それは、「傾き、斜陽を迎えた魔女」という意味ではないはずだ。それはきっと、「魔女の闇」の意にちがいない。魔女の世界。魔法の世界。見ようと思えば、そこここに魔法を見ることができるゴールデン・タイム。

 箱が開けば、内と外がつながる。つまり箱の外にいて箱を開いたあなたは、いまや箱のなかにいる。箱の中はグレムリンが存在しうる世界。魔女の闇。

 ですから。

 初めまして、こんにちは。ご挨拶をさせて下さい。

 あなたの闇に親愛の挨拶を。
 世界にみちるヘクセンナハトに。
 すべての魔女たちに、愛と親しみと祝福を。ハッピーハロウィン。



※引用は「日本の詩歌9 北原白秋」(中央公論社)によった。


■関連記事
 世界構造(上)/ただの創作じゃない、全てに実体がある
 世界構造(下)/フェザリーヌの魔法の正体
 世界構造(補遺)/あなたの魔法を賛美する


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白夢の繭を日本語で歌おう!(翻訳・和訳・日本語化)

2011年07月22日 18時51分42秒 | その他のエッセイ
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白夢の繭を日本語で歌おう!(翻訳・和訳・日本語化)
 筆者-初出●Townmemory -(2011/07/22(Fri) 18:36:58)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=64287&no=0ミラー


     ☆


 掲題の通りの内容です。
 Ep8のエンディングテーマ「白夢の繭」。対訳を見ながらイタリア語の歌詞を追っていったところ、
「これってちょっといじれば日本語で歌えるようになるんじゃね?」
 という些細な思いつきを得てしまいました。それで実際にやってみました。

 というかですね、ジョイサウンドに「白夢の繭」、入っているらしいんですけど、これ果たして歌える人いるんでしょうか。全編イタリア語ですよ。
 しかもこの歌、譜割りがソコハカとなく怪しい。三音節くらいの単語を六音節くらいで歌ったりしてますよ。難しいったらない。

 わたしはといえば、「うみねこのなく頃に」はかろうじて歌えますが(イタリア語部分を全部カタカナに起こしてみた)、全編イタリア語の「うみねこのなく頃に~煉獄~」のほうはお手上げでございます。
 ちなみにサイバーDAMには「うみねこのなく頃に」が入っています。ジョイサウンドは「~煉獄~」のほうしか入っていないので、うみねこ読者で連れ立ってカラオケに行かれる際は、DAMを選ばれることをおすすめいたします。まめ知識でした。

 そんなわけで、イタリア語で歌うことは早々あきらめ、かってに日本語版を作ってかってに歌うことにしました。

 具体的には、以下のような方針で、以下のような作業をしました。

・歌詞カードに書いてある対訳を、メロディに乗るように改造する。
(日本語力だって怪しいのに、イタリア語なんてできるわけありませんよ)

・歌詞カードの対訳にある直訳表現を、可能な限り生かす。
(わたしは翻訳調の文章が基本的に好きです)
(ちなみに、ネット上に「あなたのお墓には」といった表現のあるファン翻訳が出回っていて、その解釈もかなり感動的だと思いましたが、それはヒアリングミスらしいです)

・直訳できない場合でも、なるべく、意味は変えない。
(でもなかなかそうはいかないので努力目標)

・そのために多少不自然が生じても、気にしない。
(そうそうプロみたいになめらかな詞は書けない)

・けれども、イタリア語の響きと、日本語詞の響きが、たまたま空耳アワー風に一致してたらナイスだなぁ。
(「リベルタ」に「飛べる」と当てたり、「オニ・コーザ」に「飲み込もう」と当てたり)


 そんなふうにして出来たのが以下の日本語版歌詞です。イタリア語よりは確実に歌いやすいと思いますので、鼻歌で口ずさむときやニコニコ動画に歌ってみた動画をアップするときなどにご利用ください。
 ラストの絶唱部分は、ここだけはイタリア語のまま歌うほうが感動が増すかもしれないですね。

     *

「白夢の繭 ~Ricordando il passato~」
(日本語歌唱版)

作詞/志方あきこ
日本語化/Townmemory



おお いつわりの奥に
ひそみ はかなき御魂(たま)よ
ひとり いとふかき森に
待ち受 けたるは 誰の背 ぞ

翼もがれて
おさなき鳥は 静かに 目を閉じた
いつか痛みは 消えたとしても
雛鳥は 声を忘れ

うつくしいな 銀の霧よ
うつくしいな 銀の霧よ
なにもかもが すべて のみこまれゆく

眠れ眠れ 胸のなかで
あな たは 自由に飛べる
祈りこめよう 古き魔法を
あなたの 光が
かげらないように

どうか(暗闇が)あなたの(紡いだまぼろしを)
きんの ゆめを
覆わぬように(あまきゆめ)
憂いに(まことのその色に)
染まぬように

羽根をむしばむ
咎めの森は
静かに 朽ちました

枯れた花びら
つめたい頬を
かすかに つつみこんで

ほどけないの 幾多の神秘を
ほどけないの 幾多の神秘を
指の先 あなたに とどか ない

眠りたまえ 眠れ静かに
まぼろしを抱いて
わたしはここで 愛を 視た
あなたの ゆめで

いま 幾千も その名を呼ぶ
願いを 抱きしめて
逃がさぬように わすれの闇に
あなたを 奪われて
しまわないように


眠りたまえ 安らぎたまえ
遠き彼方の
いとしきあなた へ


●最近の更新
 朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep1
 朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep2
 朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep3
 朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep4(上)
 朱志香=ベアトリーチェの物語・Ep4(下)

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 まぼろしと本当の振幅(続・探偵視点は誤認ができる)
 Ep6紗音による救出は「ベアトを殺す一手」ではない

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【進展なし】盗作疑惑問題について

2009年11月12日 04時56分29秒 | その他のエッセイ
 匿名の人が、当ブログに対して「盗作では?」と言いだしたお話の続きです。問題の詳細は以下のリンクからご覧下さい。
 http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/10c73e2b8ab679793e9fa38108bc4f7f

 不本意な疑いをかけられてから一週間がたちましたが、何の動きもありません。

 疑惑を主張した匿名の人は、このブログが「誰のどの記事のパクリなのか」を一切明示しませんでした。これでは第三者による、パクリかどうかの検証もできません。匿名の人は、誰にも検証できない状態で、ひとさまに疑いだけをかけるという、非常にアンフェアな発言を行っています。
 わたしは匿名の人に向けて、「誰からの盗作だというのか、あなたが想定する『パクリ元』を明示してください」と呼びかけましたが、一週間たっても、返答はありません。

 匿名の告発者さんは、パクリ元だという「SNSで活動している人」に対して、メールで通報したと言っていましたが、その「SNSの人」からも、特に連絡はありません。ちなみにここ一週間、ソーシャルネットワークサービス内からリンクでこのブログに飛んできた人はいないようです。

 さて、いくつか可能性がありますが、
「まったく盗作などではないことがSNSの人にも明らかだった」ので、スルーしたのか。(当然ですよねー。本当に盗作ではないのだもの)
 あるいは、「SNSの人、なんて、そもそも存在しない架空の人だった」のか。

 どちらにしても、問題はないということで、「この問題は、暫定的に、解決を見た」という立場をとりたいと思います。

(もちろん、上記以外のとある可能性なんかもいくつか思いつきますが、それをいいだすと、水掛け論というか泥沼化しそうなので、考えないことにします)



 以下、雑感。
 この手の誹謗がいつかくるだろうということは、実のところ、ある程度予測していました。
『最終考察うみねこのなく頃に』のKEIYAさんが、どこだったかのインタビューでおっしゃっていましたが、彼も『ひぐらし』のいくつもの核心的な謎を正解したときに、「答えを見てから書いたんだろう」とか「誰かのパクリだろう」といったようなことを言われたとのことです。
(余談ですが、KEIYAさんの推理は質・量ともに素晴らしいです。一人の人間がこれだけの思考を展開できるんだというひとつの指針として、最終考察は読む価値があります。「最終考察 うみねこのなく頃に(Amazonへのリンク)」

 それに近いことは自分の身にも起こりうるだろうな、という発想は、ありました。

 なので、念のため、いくつか予防線を張ったり、文章内にトラップ的なものを仕込んだりもしていたのですが、最終的には、「信頼勝負」になることも、わかってはいました。
 そして、その勝負に関しては、正直あまり自信がなかったのです。
 でも、今回うれしい驚きだったことは、現状まで、「やっぱりな~」みたいな、パクリ説に賛同するコメントが、ひとつもなかったことなのです。
 頭の中でそう思ってるひとはいるかもしれませんが、コメントとして乗ってきちゃう人は、いなかった。
 そのことはこの一週間、ほんとうに心強かったのです。
 うみねこは、「何を信じるのか」のゲームです。
 さすがは、そのゲームに参加している人たちだ、と思いました。


 そして、わたしのことを全面的に信じてくださる旨のコメントを何人かの方からいただきました。ありがとうございます。本当にありがとう。コメントレスポンスにも書きましたが、この感謝の気持ちを胸から取り出してお見せできたらどんなにいいだろうと思います。当ブログは、この方々の信頼におこたえすることを目的として続いていきます。


 たぶん、次の更新は、推理が載っているはずです。
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【公論化】このブログに盗作疑惑が掛けられました

2009年11月05日 10時40分39秒 | その他のエッセイ
 匿名のコメントで、「このブログはある人の推理のパクリではないか」という疑いを書き込まれた方がいらっしゃいます。
 こういうのは、広く公論化して、判断をみなさんにゆだねたほうが良いので、記事化します。
 後半に書きますが、これはとても『うみねこ』のテーマに沿ったようなことだな、とも感じましたので、取り上げる価値があると思いました。

 最初にわたしの結論をいいますと、そんなことはしたことないです。わたしの推理は、かなり統一感のある、一貫したものだと自分で思いますし、この一貫性は他人の推理のツギハギではとても出るものじゃないと思います。そのことは、このブログを通読された方にはおわかりいただけるんじゃないかな、と思っています。

 以下、わたしを告発した人の書き込みと、それに対するわたしの返事を掲載します。


Unknown (Unknown)
2009-11-05 04:45:05
>公式掲示板で、「赤字で嘘っぱちが言える、と主張している人」といえば「Townmemory」というふうに、代表選手のようになりつつあります。望むところです。
この記事で確信しましたけど、あなた人の推理パクってません?
赤字といい、今回のエンディングの話といい、ずっと前から言ってて、うみねこの物語の謎を一つに纏めている人がSNSにいます。
一応その人にメール送っておきました。


 それに対するわたしの返事が、以下です。


それはありません (Townmemory)
2009-11-05 09:41:12
>Unknownさんへ

 このブログに書いてあることは、基本的にわたしの頭の中から出てきたことです。もちろん、ネット上でいろいろな推理を読んではいますが、SNS(とはどこでしょうか?)での情報収集はしたことがないので、そこから影響を受けるということはありません。

 他人の推理を採用するということはあります(たとえば台湾説など)。が、その場合は自分の推理でないことを明記しています。

 ですので、どこに通報していただいても、かまいません。

 人間は、似たようなものを二つ見た場合、最初に見たものをオリジナル、あとに見たものをコピーだと思いこむ傾向があります。その可能性は検討されましたか? わたしの書き込みは、ほとんどが初出の日付と時間を明記してありますので、参考にして下さい(公式掲示板のタイムスタンプをユーザーがいじることはできません)。

 ところで、あなたが想定しておられる「SNSの人」とは、どなたでしょうか。どうぞ、URLを提示して下さい。
 現状では、わたしのこのブログが「パクリ」かどうかを、わたしも、第三者も、検証できません。
 Unknownさんは、現状、検証不可能な状態でわたしを告発しています。疑惑をかけておいて、その疑惑が正しいかどうかを確かめるすべを与えないというのは、フェアではありません。
「SNSで謎をまとめている人」にとってもフェアではないことです。



     ☆

 以上ですが、もう少し、感想っぽいことを書き加えておきます。

 返事コメントにも書きましたが、このコメントをした方は、
「SNSからのパクリだ」
 という疑いをわたしにかけているのに、
「このSNSの誰という人の、この書き込みのパクリだ」
 という情報は、与えてくださっていません。

 つまり、パクリかどうか、誰にも検証不可能状態です。

 検証不可能なので、わたしの身の上には、疑惑だけが残ります。

 検証不可能状態にあえておいたうえで、疑惑だけを主張していらっしゃるわけで、これがまかり通るのであれば、他人に悪印象を塗りつけほうだいです。

 これって、
「『パクリ元(と言われるもの)』を、猫箱の中に隠して検証不可能な状態にしてしまえば、好きな主張ができる」
 ということなわけで、ある種、とても『うみねこ』的だなあと、変な感心をしてしまいました。
 六軒島は検証できないから、誰が犯人だかわからない、誰を犯人だと疑っても良い、というのとソックリです。

 自分の身にふりかかってみると、よくわかりますが、これはイヤァ~な感じですね。

『うみねこ』の作中で起こっている重要なエッセンスは、わたしたちのこの現実の世界の上でも、実際に起こりうることなのだ、という、好例みたいなものだと思います。


 だからこそ、裁判などでは証拠主義が採られているわけですが、その縛りがないフィールド……たとえば「ワイドショー」なんていうのは、印象ですべてが決まるような部分がありますね。
 この方向のことを考えるたびに、わたしは河野義行さんの身に起こったことを思い起こします。河野さんにくらべたら、わたしにふりかかったことなんて綿ホコリ程度のことですけれども。

 あらためて、『うみねこ』が取り扱っている問題の「現在性」を感じました。過去を舞台にして、ファンタジックな彩りを加えているけれども、やっぱりこれは、こんにち描かれるべき現代の話なんだという感じです。


 自分をかえりみたい部分もあります。
 たいした根拠もなく、フィーリングだけで、「あの人はよくない人だ」といった決めつけを自分の中で行っていないか?
 ほんのちょっとした、些細な瑕疵をもって、他人の全人格を否定的に評価していないか?

 そういったことは、常に自覚し、意識しておくこと。それが現状でできる「解」であろうと思います。
(しかしこれをつきつめると、「あの人が犯人じゃないかな」というゲーム内での犯人当てにも二の足を踏んでしまいたくなりますね)
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『名探偵は知っている』を歌ってくれた人々

2009年10月18日 23時07分32秒 | その他のエッセイ
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     ☆

『名探偵は知っている』に、たわむれに歌詞をつけてみたところ、たくさんの方々が実際に歌ってくださいました、片足で。
 ここにご紹介させていただきます、片足で。

●えりんぎ さんの『名探偵は知っている』

 作詞時に想定していた譜割り(リズムと歌詞の当て方)は、ほぼこの通りです。理知的な声がヱリカっぽくてすてき。もう、ほんとに皆さんに聴いてもらいたいのです片足で。

●ぽーくちきん さんの『名探偵は知っている』

 なんという自由! 片足どころか両足を上げて歌ってらっしゃる感じ! フワフワだー。

●狐音 さんの『名探偵は知っている』

 なんとここからは男声であります。そしてごめんなさい、正直に言います片足で。キ☆モ☆イ☆ でもなぜか繰り返し聴いてしまいます片足で。再生回数も多いです。大人気です。

●狐音 さんの『名探偵は知っている』その2

 いい声だー。こんないい声なのになんでこんなバカ歌を歌おうと思ったのですかー。うみねこよりミステリィ。


☆その後の追加ぶん☆

 さらに歌ってくださった方々をご紹介します片足で。

●無国大使 さんのゆっくり『名探偵は知っている』

 ゆっくりにゆっくりされてしまいましたっっっ! そんなに違和感がない! というかヱリカの顔はそこはかとなくゆっくりっぽいですよね。

●hinohino さんの『名探偵は知っている』

 前に黒のリリアナを歌われていた異国の歌魔女様! →http://www.nicovideo.jp/watch/nm7494801 異国の方でもこういう「三流ミステリーあるある」がわかるんですねー、世界共通? そして絵がステキ。この溶けたヱリカはかわいらしい……。
 ちなみに「バリツ」とは、シャーロック・ホームズ先生が会得していたという謎の「日本」武術です(ホームズ先生本人がそう言ってるんだからしかたない)。先生はこれを使ってモリアーティ教授をライヘンバッハの滝に投げ飛ばしました。『空き家の冒険』に出てきます。Wikipedia「バリツ」→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%84


 他にも歌ってくださった人がいたはずなんだけど、紹介する前に動画が消えてしまいました……。再アップロード希望。



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【歌詞】オルガン小曲第6億番で称える大ラムダ卿のうた

2009年09月14日 04時37分46秒 | その他のエッセイ
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■

 Ep5当時に執筆されました]

     ☆

 何をかくそう、とにかくもう、大ラック眼力卿オルガン小曲第6億番が大好きです。メタ世界でベルンやラムダが出るときによく流れるバロック曲。

 あれを風呂場で鼻歌で、「らっぱっぱー、ぱらっぱっぱー」と歌っていたら、なんだかこれじゃあしまらないなあと思えてきたので、勝手に歌詞をつけることにしました。

 15分くらいで書けました。
 鼻歌とあんまし変わらない感じのものができました。


 でもせっかくなのでここに公開します。

 原曲はカノン形式(たぶん)ですけれども、下にもぐったメロディーは聞こえないことにして、前面に出てるメロディーだけをひたすら表面的にとりました。フンフンフーンだと思ってあまりつっこまないで下さい。

     ☆

『オルガン小曲 第6億番 ハ短調』
(upload者はわたしではないです。音を聴きながらフィーリングで読んで下さい)


     ☆

『オルガン小曲 第6億番 ハ短調』より
「大ラムダデルタ卿が自らを称えるうた」
作曲:ラック眼力 作詞:Townmemory



わったっしーはさいきょうのー
チョキにーもー勝てちゃうパーなーのー

ぱーぱー らっぱっぱー

うちゅうーでーさいきょうよーろーれーひー

わったっしーをよぶときはー
なまえーに「大!」と「卿!」をつ・け・なさいーねー
らっぱっぱー
略しーて「だいきょう」ヨロレイヒー


甘くてきれいな
ジェリーのお菓子を
あの子にあげたいな

ねえ はちきれるまで
もっと つめこんでよ


わったっしーの好きなのはー
ミントのフルーツドロップ
らーらー らっぱっぱー
パンがーなーければしねーばーいーい

わったっしーは大好きよー
ロシアンブルーのブアイソめーすーねーこー
らっぱっぱー
おめめーがーくりくりカ・ワ・イイー


その長いしっぽを
ちょうちょに結ぶの
どうして逃げるのよ

ああ つぶらなその目を
くりぬきたい



(注:下に潜ったメロディーは適当に「らっぱっぱー」とスキャットして下さい)


 鼻歌してたら楽しくなったので、カラオケ動画を作ってアップしようかと思ったけれど、こいつをラック眼力さんに送って許可を求める勇気はちょっとなかった。


●関連→ 【歌詞】『名探偵は知っている』に歌詞をつけてみた



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【歌詞】『名探偵は知っている』に歌詞をつけてみた

2009年09月11日 08時22分16秒 | その他のエッセイ
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 Ep5当時に執筆されました]

     ☆

 ニコニコ動画のうみねこ動画を見ていましたところ、ヱリカのテーマ『名探偵は知っている』の冒頭のメロディーに、
「わったっしーは名探偵ー」
 というフレーズをつけてる人がいて、それがあまりに面白かったので(ぴったりですよね)、続きの歌詞をつけてみました。
 30分くらいで書いたので、びっくりするくらいてきとうです。でも、曲にあわせて口ずさんでみるとわりと楽しいので、ためしにやってみて下さい。

     ☆

『名探偵は知っている』
 作曲:dai 作詞:Townmemory


わったっしーは名探偵ー
ぽぽっぴっぽー ぱらーらりらー
読者ーに挑戦状ー
ぱぱっぱっ ぱらーりらー

雪が舞い降りてー 足跡 ひとつだけー
これはー 密室だー ぱぱらりーぱらーりらー

とくにー いみーもなく やってきた温泉地ー
おかみーが死んだー ご当ー地・ミーステリー

くるり 振り返る あいつ ギクリとする
そういえばあなた 左利きなんですね

崖に 逃げる 黒幕
バリツが炸!裂!
謎は すべて 解けたわ
犯・人・ヤッ・スッ!

わったっしーはその人が 女ーとはひとこともー
どうしーて知っているー あなたが犯人ねー

死体の周りー 不審な水たまりー
凶器 みつけた つららだつららりらー

ぱらりらぱらーりらー





●続き→ 『名探偵は知っている』を歌ってくれた人々

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 「推理」の範疇から若干はみだし気味の文章です。「愛について~」の評判が、わりあい良いようです。

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愛について恥ずかしながら考えてみた

2009年08月11日 06時53分26秒 | その他のエッセイ
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


愛について恥ずかしながら考えてみた
 筆者-初出●Townmemory -(2009/08/11(Tue) 06:02:30)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=30708&no=0 (ミラー
 Ep4当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
 ベアトリーチェ観について情緒的につづったエッセイです。
 ep5の公開前に、なにかまとまったことを書きたいな、と思って、何気なくキーボードに向かったら、こんなのが出てきました。

 以下が本文です。


     ☆


 大上段に、「愛について」なんて語るのは大変気恥ずかしいです。でも、どうもそれは避けて通れないようなので、一席おつきあい願います。


 ひょっとして、真里亞は小学校のクラスで無視をされていたのだろうか。そこまでのいじめには逢ってなかっただろうか、ということを考えています。
 いわゆる、シカトというやつ。

 誰がいつ思いついたのだか知らないが、あれは、いじめの手法としては人類史上最悪といっていいと思います。
 話しかけても、
 誰にも聞こえない。
 触れても、
 反応してくれない。
 周りのすべての人間が、
 とにかく、
 自分を知覚してくれない。

 そのように振る舞う。

 それは、一言でいえば、こういうこと。

「おまえなんか、ここにいない」
 存在の否定。

 これって、結託して、本気でやられると、幼少期の自我に本格的なダメージとなります。
 本当に、自分は存在していないんじゃないかと思いこむ場合もありうる。

 だって、それはそうで。
 私たちは、見て、触れることができるから、ここに携帯があるとか、パソコンがあるとかいうことがわかる。
 もし、幽霊みたいに透過してしまうなら、そこに確かに「もの」があるとは確かめられないでしょう。
 幽霊みたいに。
 そう。
 もし、あなたの手が、幽霊みたいに、ものをすりぬけてしまうのだとしたら、ここに確かに「私がいる」とも、確かめられないんじゃないでしょうか。

 コンビニで、返事をしないレジ店員にあったこと、ありませんか。
「あたためてください」とか「領収書ください」って、言ったつもりだったのに、返事がない。
 不安になりませんか。
 聞こえているのかな?
 聞こえてないのかな?
 自分は、「あたためてください」って言ったつもりだけれど、本当に言っただろうか。
 言ったつもりになっただけ?
 私が、発したと思ったコトバは、この世にちゃんと「存在した」だろうか。


 人間の、自己認識というか、自我というか、「私がここにいるという感覚」は、体の中にあるのではなくて、ものと自分との間、人と自分との関係性の中にあるんです。

 だから、それを悪用すれば……。

 おまえなんか見えない。
 おまえなんか聞こえない
 そう決めて、そのように振る舞うことで、ひとりの人間の、存在を消去することすらできる。

 おまえなんか見えない。
 それは、「愛」の対極にある行為です。


     *


 ならば、
 愛とは「見ること」。
 そういえるんじゃないだろうか。

 愛するとは、存在を認めること。
「あなたはここにいる」と言うこと。
 あなたはここにいるし、
 そして、あなたはここにいていいのだ。
 あなたは私のそばに間違いなくいるし、
 私のそばにずっといていい。

 私はあなたを見ている。
 私はあなたを知覚し、認識している。
 そしてあなたを理解したいと思う。

 私は、あなたがここに間違いなくいて、
 日々の暮らしをしていることを、
 いつでもいかなるときでも、ずっと確かめ続け、感じ続けていたい。

 それが、「愛する」ということの、正体なのじゃないのか。

 だとしたら。
 愛とは視ること。

 愛がなければ、存在はない。
 愛がなければ、いない。

 魔女ベアトリーチェは、「世界を構成する一なる元素は愛だ」と言いました。

 世界があなたの存在を認めなければ、あなたは存在しない。
 あなたが存在しないのなら、あなたも世界が存在することを認めることができない。よって、世界もまた存在しない。
 存在を認めることを「愛」と呼ぶのなら、そう。あなたが世界を認め、世界があなたを認めることで、初めて「世界」は構成される。「世界を構成する一なる元素は愛」。

 そして、人生には時として、たったひとりの人間が「世界」を代表してしまうことがある。
 それは、紗音にとっての譲治であったり、
 ベアトリーチェにとっての、真里亞であったり、
 真里亞にとっての、ママだったりするのでしょう。

 紗音にとっては、譲治に愛されることは、世界から愛されるのと同じこと。
 紗音にとっては、譲治から愛されなくなることは、世界から「おまえはいらない」と言われるのと同じことです。きっと。


     *


 ところで。
 サンタクロースのお話をしたいのです。

 ep3で、ベルン、ラムダ、ベアトリーチェの3人が、とても象徴的な話をしていました。

 ラムダデルタが、「サンタクロースはいないのよ!」という意味のことを言い、ベルンカステルとベアトリーチェは「何と、ラムダデルタ卿のところにはサンタクロースは来てくれなかったのか、かわいそうに」とやり返す。

 さて、サンタクロースは、いるのかいないのか。

「サンタクロースはいる!」
 と、あなたは赤字で言えますか。
「サンタクロースはいない!」
 と、あなたは赤字で言えますか。

 いま、どっちかを選んだ人でも、一瞬、「うっ」という、ためらいがあったんじゃないでしょうか。

 だって、そんなの、サンタクロースの定義によりますよね。

 トナカイびきの空飛ぶソリに乗って、北極圏からやってくる、赤い服と白いおひげのおじいちゃん。
 そういう人物が、存在していないということは、これは常識で考えて、言えるでしょう。

 でも、クリスマスの朝、子供の枕元には、プレゼントが置いてあります。
 そんなことをするのはサンタクロースです。
 だから、サンタクロースはいると言えます。だって明確な証拠がある。

 ラムダデルタは、前者のサンタクロースについて語り、ベルンカステルは後者のサンタクロースについて語っているのですね。

 幻想存在としてのサンタクロースおじいちゃん。これを念頭に置くとき、
「サンタクロースは存在しない」
 が正しいでしょう。

 でも、枕元に愛のこもったプレゼントが置かれる「サンタクロース現象」、これを念頭に置くとき、
「サンタクロースは存在する」
 が正しいはずです。

 だから、問いの正しい答え方はこうです。
「サンタクロースがいるかいないかは、その定義による」

 そして、定義によるということは、
「場合によっては、サンタクロースが存在する、が真実である」
 ということです。

 このことが、「魔法」のすべてなんだ。そう思うのです。

 現象としてのサンタクロースは、間違いなく存在する。
 そして、「現象サンタクロース」と、「幻想存在サンタクロース」を、意図的に重ね合わせて、同一視することによって、「幻想存在サンタクロース」はほとんど存在しているも同然になる。
 赤い服と白いおひげのおじいちゃんは、その同一視……つまり「見ること」によって、実在させることができるのです。

 愛とは存在を認めること。
 愛のない行為によって、そこにいる人間を、存在しなくさせることができます。
 でも、そのかわり、愛によって、存在しない人物を、存在させることができるのです。

 今年一年、ボクはいい子にしていました。そのことを認めて下さい。認めてくれるなら、その証拠として、ごほうびに、素敵なおもちゃを下さい。
 それって、子供と、世界との、相互の確認作業なんです。
 ボクは見守られている。そして、「認められている」。
 おもちゃは単なるおもちゃではなく、世界から祝福されている、愛されているあかしなんです。

 今年一年、ボクはいい子にしていました。そのことを認めてほしい。それを認めてくれた証拠として、素敵なおもちゃをもらいたい。
 だから、サンタクロースは本当にいてほしい。
 その「願い」を前にして、
 特殊能力を持ったサンタクロースという特定の人物がいないという物理的な事実を理由として、
「サンタクロースなんかいない」
 という人がいたとしたら、それは、なんという、愛のない言葉だろうと思う。


 ママが帰ってこなくてさみしい。けれど、ママが作ってくれたライオンのぬいぐるみがいつもそばにいてくれる。
 この子とお話ができたら、きっとさみしくないよ。だから、さくたろには喋れてほしい。動いて、遊んでほしい。お友達になってほしい。
 そんな「願い」を前にして、
 さくたろうが、物理的には単なる布とパンヤの塊であることを理由にして、
「こんなものただの人形よ、喋らないし動かない!」
 と誰かが言ったとしたら、それはなんという、愛のない発言でしょう。


     *

「うみねこのなく頃に」には、相手を認める、承認すること、
 または、
 承認しないことによって存在を認めないこと、
 そういう展開が数多くちりばめられている、と思うのです。

「私はもう家具じゃない」という紗音は、
 自分はもう必要ないときには無視される存在ではない。私はここに確かにいるし、ここにいていいんだ。そういう承認を受けた少女の、歓喜のことばだと理解できます。

「嘉音くんは家具なんかじゃない、人間だよ」という言葉は、
 私はあなたを見る。私はあなたが確かにここにいることを認める。あなたは無視できるような空虚な存在じゃない。あなたにここにいて欲しい。
 そんな「愛」のことばだと思うのです。

「あなたなんか、知らない」は、愛の正反対の言葉です。
 あなたの存在を、もう認めてあげない。私にとって、あなたはもう、いないのと同じ。あなたが何を叫ぼうとも私は聞く耳を持たない。あなたとは何の関わりもなく、私の世界は続いていくだろう。

「俺は絶対に魔女を認めねえ」
 おまえなんか、存在しない。


 そこでベアトリーチェの話をしたいのです。

 ベアトリーチェは、誰ひとりとして魔法を認めようとしない世界の孤独な魔女です。
 誰ひとり、魔法があるなんて信じてない。
 誰ひとり、魔女だなんて思ってくれない。

 それって、
 声をかけても、聞こえない。
 自分の姿が、誰にも見えない。
 自分の姿を、誰も見てくれない。
 それと同じような気がするのです。

 ベアトリーチェは上から目線で、妾を否定できるものならしてみるがよい、絶対に妾の存在を認めさせてやろう、と言っていますが、
 それは裏をかえせば、

 私がここにいることを、誰かに認めてほしい。
 私を無視しないでほしい。
 私の声を聞いてほしい。

 いま、ベアトリーチェを想定して、このようなことを言っていますが、
 それは「ベアトリーチェに扮している中の人」にとっても、同じなのかもしれません。

 私はここに、この世界に生きていていいのだと、誰かに承認してもらいたい。
 世界から、あなたは意味があってここにいるのだと祝福されたい。
 世界をひとりで代表するような誰かから、
 おまえは間違いなくここにいるし、
 ずっとここにいていいのだよ、と、言ってもらいたい。

 私は、「魔女」でありたい。
 だから、君は魔女だよと、誰かに認めてもらいたい。

 誰かを見てあげ、声を聞いてあげ、自分が確かにここにいるということを承認してあげることを「愛」と呼ぶのだとしたら、
 彼女は、愛されたい。
 そのことだけを、一貫して訴え続けていると言えます。

 誰も私を愛さないから、誰も私を見てくれない。


 だから彼女は、密室を作り続けるのでしょう。
 人間には不可能な、密室がここにある。
 人間には不可能なことは魔法だ。
 密室があるということは、魔法があるということ。
 それを見てほしい。認めてほしい。
 魔法があるということは、魔女がいるということ。
 それを見てほしい。認めてほしい。

 こんな私がここに実在するということを、お願いだから、誰か認めてほしい。


 存在しない魔法が、それでも存在してほしい。
 愛とは存在を認めること。
 だから愛があれば。
 誰かが愛してくれれば。
 魔法は存在でき、私は魔女でいられる。


 魔法とはサンタクロースなんです。だと思うんです。

 壁をすりぬける魔法の杭を使って、出入り不能な部屋にいる被害者を殺す、なんてことは、現実に起こりえません。
 だから、魔法殺人なんてものは、存在しません。

 けれど、出入り不可能な部屋で、被害者だけが他殺されているようにしか見えないという「まるで魔法のような現象」は、存在しえます。
 だから、魔法殺人は、存在します。

 そのふたつを意識的に重ね合わせ、同一視するとき、「この世に魔法が存在する」が真実になります。

 存在しない密室が、存在してほしい。
 密室が存在することで、魔法が存在してほしい。
 魔法が認められることで、魔女である私は、祝福されたい。

 来るはずのないプレゼントが、枕元に置いてあってほしい。
 プレゼントが存在することで、サンタクロースが存在してほしい。
 サンタクロースに認めてもらうことで、自分を祝福してほしい。

 このふたつが、もし、同一の心の動きなのだとしたら、

「こんなものただのトリックだ。魔法なんてあるわけねえだろ!」
 という言葉は、なんと愛がないのでしょう。


     *


「うみねこのなく頃に」という作品は、ちょっと異様とも思えるほど、
「あり」か「なし」か。
「A」か、「B」か。
 といった、二者択一の言い回しが多用されています。

 たとえば、
「推理は可能か不可能か」
「アンチミステリーvsアンチファンタジー」
「魔女に屈するか、立ち向かうか」
「魔女説か犯人人間説か」

 こういうのって、皆さん、「自分はこっちだ」と、ひとつひとつ選んでいるのでしょうか。
 わたしは、ひとつも選んでいません。

 手品師が、「さあ、ここに注目していてください!」と指し示す場所に、タネはありません。
 二者択一が示されたとき、
 答えはそのどちらかである、というのが、すでに思いこみなのだと思うのです。

 そして、
「サンタクロースは、いるのか、いないのか」
 この二者択一は、細かい付帯条件をつけずに、かたいっぽうを取って単純に「こちらが真実だ」なんて言うことはできないのです。

 サンタクロースはいる、が真実の場合もあるし、いない、が真実の場合もある。両方が同時に真実である場合もありうるだろうし、両方とも真実でない場合もあるでしょう。
 それは定義と認識によるし、
 認識によるということは……つまり、「願い」による。そして「愛」の有無による。

 魔法はあるのかないのか。それも、きっと同じです。
 どちらか片方が常に真実だ、というような性質のものでは、きっとない。


 たぶん、作中に提示される、すべての二択が、そうだと思うのです。
 どっちか片方だ、と思うかぎり、何かにしばられている。

 二択の答えは、常に、
「どちらでもあり、どちらでもない。ひとつ上位の階層から両方をつつみこむような認識」
 だと思うのです。

 それは、どちらかを一方的にリジェクトしないということ。
 かたっぽに対して、
「おまえなんかいらない、おまえに価値なんかない」
 などと捨てないこと。

 それはゆるやかな意味で、「愛」かもしれないな、という感じもするのです。

(新作公開前に全体的な気持ちをまとめてみました)



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《お願い!》ブログを盗用しないで下さい

2009年08月11日 06時53分07秒 | その他のエッセイ
(当ブログの記事をコピペして自分の記事のように掲示するケースがまた数点判明しました。注意を喚起するため、当記事をこの位置に上げておきます)


 この数日で、当ブログ「さいごのかぎ」の記事をコピペし、自分の推理だと偽って発表するケースが、たてつづけに2件、判明しました。

 むなしいというか、悲しいです。
 意味のないことです。
 魔女と戦うなら、どうか、魔女の攻撃の矢面に立ってほしいのです。

 どうぞ、自分の矢を用意して下さい。
 わたしの矢は、わたしがちゃんと弓を引いて撃っていますから、どうか別の矢で狙って下さい。
 借り物で間に合わせるのは、これでおしまいにして、
 どうか、あなたの頭脳と、あなたから出てきた「言葉」を信じてあげてほしいんです。

 でないと、
 あなたから生まれてきた、あなたからしか生まれてこない美しい「発想」や、
 あなたの口からしか紡ぎ出されない「あなたの言葉」が、かわいそうだ。


 ブログをコピペしたり、ちょっと改変して自分のものだと偽った方、
 それと、これからそれをやろうかな、と、ちらっとでも考えた方。
 それは、まちがいなくばれますから、やめたほうが良いです。

 外からはわからないかもしれませんが、このブログ、アクセス数は多いです。
 誰も見てないマイナーなブログに見えるかもしれませんが、けっこう、いや、かなり、注目されています。
「うみねこ」が好きで、人の推理を読みたいと思って検索するような人は、けっこうな確率で訪問したことがある、と思った方が無難です。

 つまり、コピペをしたら、何人もの人が、「コピペされちゃってるよ」と、わたしにきちんと教えてくださるわけです。
 保存ファイルやプリントスクリーンも届きます。

 届いたファイルの中身を確かめるたび、わたしは、びっくりして、悲しくなってしまいます。
 こんなコピペをしなければ、その人本人の「言葉」が生まれ出ていたかもしれないのに、それは生まれないことになってしまった。
 それが、悲しい。

 今回コピペなさった方のひとりは、なんと、
「このブログ『さいごのかぎ』を更新しているブログ主は自分だ」
 とまで、おっしゃったそうです。

 なんという悲しいことをおっしゃるんだろう、と思いました。
 どうしてそこまで、「自分自身」というものを大事にせずにいられるんだろう。
 それって、自分自身の価値を、ぜんぜん信じていないじゃないですか。


 皆さん、どうか、お願いです。
 あなたから生まれた、あなただけのものを、大切にして下さい。
 黄金があるとしたら、それが黄金です。それより価値のあるものなんて、他に思いつかない。
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「No Dine宣言」を訳してみる(ゆるやかに)

2009年07月24日 00時31分04秒 | その他のエッセイ
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


     ☆


 場つなぎに、いまさら感のただよう、ゆるいエントリをお送りします。
(ネタ切れ中です。なにかお題をいただけましたら、それについて考えてみます)

 2つめのOP(ミュージックボックスから見ると、Ver.Bと書いてあるもの)の序盤に、
「No Dine.No Knox.No fair.」
 という、ものすごい英文が掲示されます。
 ノックス十戒やダイン二十則を守る気なんてない、手がかりを読者に公示するなんていう公正さはまったく発揮する気がない。
 そういう、ミステリーの作法に対する、明快な反旗です。
(格好良いですよね)

 これを、単に、自分なりに(自分の趣味に合うように)訳してみました。
 それをお見せするという、それだけのエントリです。

 なお、訳出に際して、「雛見沢研究メモ(仮)」(http://irimadonna.blog63.fc2.com/blog-entry-298.html)、公式掲示板の書き込み、その他ネット上の関連エントリを参考にしました。

     *

《原文》

 No Dine.
 No Knox.
 No fair.
 In othar words it is not mystery.
 But it happens.
 All it happens.
 Let it happens.

 Once again.
 No Dine.
 In othar words it is to starve.
 starve while demanding the fair,and die.

 Witch in gold,Beatrice.


      *

 これを以下のように意訳しました。
 訳の正確さより、読んだときのフィーリングを優先しています。基準は、わたしがぐっとくるかどうかです。
 そういうものだと思ってあまりつっこまないで下さい。


《意訳1》

 ダインなど存在しない。
 ノックスなど存在しない。
 フェアネスなどない。
 これはミステリではない。

 けれど事件は起こる。
 すべては起こる。
 否応なく起こらしめるしかない。

 もう一度言おう。
 ダインなど“い”ない。
 あるのは飢餓だけだ。
 フェアプレーを求め続けて、飢え死にするがいい。

 ――黄金の魔女、ベアトリーチェより。



     *


 気づいたこと。

 とどめの一言を、
「フェアプレーを求めて飢え死にするがいい」
 と訳してみたら、あ、これ何かに似ているな、と思いました。

 それは、『Fate/stay night』(というゲーム。竜騎士07さんもこれが非常に好きだそうです)に出てくる名ゼリフのひとつで、

「理想を抱えて溺死しろ」

 これと文章構造がほぼ一緒になりますね。

 訳した人(わたし)が無意識に影響を受けたんだろう、と言われれば、それまでなのですが、つきはなしたニュアンスなど、ひょっとして作者は意識している可能性も、少しあるように思います。


     *

《意訳2》

 ダインはいない。
 ノックスはいない。
 フェアな条件なんかない。
 これはミステリじゃないのだから。

 けれどそうした現象は発生する。
 あらゆることが発生する。
 起こりうる通りに発生する。

 もう一度。
 ヴァン・ダインはここにはない。
 ただ、飢えだけが、ここにある。
 フェアネスが欲しいなら、好きなだけ求めるがいい。
 ありもしないものを求め続けて、そして飢え死にするがいい。

 ――黄金の魔女、ベアトリーチェより。


     *

 おまけ。
 ついでに思いついてやってみたが、途中であきらめて放り出した別訳。


《超訳・広川太一郎ver.》

 ダインなんていないんだい。
 ノックスなんてNo Thanksっす。
 フェアーなんて特売フェアーで大安売りっす完売です。
 あーこれミステリじゃないんですなんていってみたりメタミステリ。
 だけどびっくりハプニング、とにかく発奮、
 発生しちゃうんだなあこれが不思議なことが。
 大事なことなので2回言いますよノーダインですしょーもないん。もー。

 ――ベア川太一リーチェより。




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