さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

愛なき解の凝集と、愛ある解の霧散

2009年09月28日 04時11分16秒 | 勝利条件論
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■

 Ep5当時に執筆されました]

     ☆

(引用開始)
 昨日のうみねこチャットで出た話で「愛ある解の発散」という言葉がありました。
 敵が愛なく「解」を凝集……「夏妃を犯人と決め付ける」ことから、戦人は「愛」をもって「そうともいいきれない。他の可能性もある」と別の仮説を提示する。そうすることで夏妃の名誉を守るわけです。解を発散して、一つに定めさせない。
 このことから、EP6では「非現実的解釈により特定の人物が犯人として決定されかかると、戦人が愛をもって現実的解釈により別の可能性を提示する」というお話になるかもしれません。
(引用終了)
【うみねこのなく頃にEP5プレイメモ:02】[ネタバレ] ゲーム開始前 1985年親族会議/雛見沢研究メモ(仮)
http://irimadonna.blog63.fc2.com/blog-entry-673.html



『ヱリカの「愛のない解の凝集」に対して、戦人の「愛ある解の霧散」』という発言をしたのは、じつはわたしなんですが(http://digicha.jp/erlkonig/chat_s_log.html?o=18&l=50)、これは作中の事象だけでなくて、ユーザーの推理空間のことも、少し念頭に置いていました。

「ひとつの解があり、それは明かされなければならない」
 というミステリーの約束事は、ひょっとして、狭いのではないか。
 時としてそれは暴力性なのではないか。

 現状、たくさんのうみねこユーザーが、それぞれの、無数の「解」を提示しています。そして、それは絶え間なく増え続けています。
 つまり、解は絶え間なく「発散」方向にむかっている。一個に収束することなく、たえず広がり、散らばっていっている。
「うみねこ」の物語は、そのことこそを良しとしているように思えるのです。

 いったい、誰の推理が正しく、誰の推理が間違っているのかを、決める必要があるのか?
「間違っている」とされたら、その推理は捨てねばならないのか?
 月にはうさぎの文明がある、という美しい夢を、捨てなければならなかった戦人みたいに?

 ep5で、戦人がすごく良いことをいっていて、わたしはこのセリフが大好きなのです。
「あぁ、そうだ。俺の真実に関係なく、お前の真実も同時に存在する。……それが、この世界だ」
「ここでは、想像の数だけ真実があっていいんだ。それを、誰も一方的に否定してはならない…!」


 さて……。
 この話は「作者」のアクションを大幅に制限しそうな予感がします。
 作者が、「解答編」といって、「答え」を出したら、解がひとつに凝集(収束)し、結果的にそれ以外が否定されるかたちになります。
 わたしみたいに「作者の答えより、わたしが描いた夢のほうが美しいに決まってる」とかいうあつかましい人は別ですが、そうでない大部分の人は、「ああ、これが正解か、自分のは間違ってた」と素直に思ってしまうにちがいありません。

 でも、この物語って、そういう解の収束を良しとはしていないと思うのです。
「想像の数だけ真実があっていい」「誰も一方的に否定してはならない」という世界です。
「誰も」というのは、もちろん作者も含むはずです。
 ユーザーが組んださまざまな推理は、その人が描いた美しい夢です。
 ひとつの強力な解よりも、いろんな人のたくさんの夢が、星空みたいにカラフルに散らばっている状態のほうを、尊いと思う。そういう思想があるようにも感じられるのです。

 ひょっとして、この「うみねこのなく頃に」という物語は、決定的な解答を、あえて明かさないまま終わるかもしれないですね。
 ある程度、みんなが納得するような説明は出しつつ、核心だけは伏せられるとか。
 たとえば、ベアトリーチェが誰なのか、といったことは、もしかして明かされないんじゃないか……という予感です。ちょっと、こわい予感ですが。


 どうして、「うみねこのなく頃に解」というタイトルは選ばれず、「うみねこのなく頃に散」が選ばれたのか。その理由もひょっとしたら、ここにあるのかもしれません。
「解」も「散」も、「ほどける」という意味であって、つまり謎がほどけてゆく物語なのですが、
「ひとつの解」
 という言い方はできても、
「ひとつの散」
 という言い方はできないのです。



■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■


■関連記事
●勝利条件論
 プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ
「作者」に屈服しない方法
 作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する
 愛なき解の凝集と、愛ある解の霧散
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作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する

2009年05月27日 04時38分06秒 | 勝利条件論
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する
 筆者-初出●Townmemory -(2009/05/26(Tue) 20:07:36)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=25726&no=0 (ミラー
 Ep4当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
「プレイヤーの勝利条件」への補遺です。「東方」の例に関して、質問を受けたので、これに回答したものです。
 挨拶部分を削除しています。

 以下が本文です。


     ☆


 一貫した解釈とか、事実か事実でないかの採用基準とか、私、持ってないんです。ていうか、持ってるという自意識がない。
 そしてこれからも持つ予定がないという……。

 じゃあ、どうやって、「このシーンは本当にあったことだろう」「このシーンは幻想の上書きだろう」と決めているかというと。
 実は趣味です。
 好みです。
 自分が気持ちよくて、都合がよければ採用。そうでなかったらボツ。
 つまりはスキキライです。

 クッキーを食べたいか、鈴カステラを食べたいかは、スキキライが決定し、そこにルールは必要ないという考え方です。
 ニンジンが嫌いなことに、理由は必要ない気がしますし。
 そして、ニンジンが嫌いなら、根菜類は全部嫌いでなければならないというルールも必要なさそう。
 ニンジンは緑黄色野菜ですが、ブロッコリーは大好きでもかまわないでしょ?


 ていうか……このゲーム、基準を持ちようがない気がします。
 もう、スキキライでやるしかない感じなんです。

 たとえば。私の戦い方ってこうです。

 スキキライにもとづいて、ある仮説を提唱する。
(朱志香が犯人だったらカッコイイな。朱志香が犯人だってことにしよう)

 その仮説に基づいて、現象を説明する。
(朱志香が犯人だったら、サソリのお守りのシーンが説明できるよね)

 現象が説明できるので、仮説は正しいと考える。
(サソリのお守りで夏妃を殺せないことが説明できた、朱志香が犯人だ)


 でも、仮説は仮説にすぎない。ということは、間違ってるかもしれない。
 ということは、間違ってるかもしれない仮説で現象を説明しても、現象が説明できてることにはならない。
 よって、現象を説明していることにはならないので、仮説は正しいとは言えない……。

 そして、「サソリのお守りがあったから夏妃は殺されなかった」くらいのシーン、他の人物が犯人でも、いくらでも説明できそうです。カンタンなのは、真里亞ですよね。戦人でもいい。「サソリのお守りの効能を知ってるヤツに疑いをかけることができるから」で良い。
 ということは、朱志香説では、戦人説や真里亞説を撃退できない。戦人説では、朱志香説を撃退できない。
 どんなに現象をきれいに説明できても、犯人は絶対に確定できない。

 確定できないのに、朱志香説を提唱するのはなぜか。
 それは、スキキライです……。としかいいようがない……。


 いや、もっと極端なことをいえば、「その現象(サソリのお守り)は、幻想シーンにすぎなくて、実際には存在しない」のかもしれない。
 存在しない現象をどれだけ説明しても、犯人の証明にはならない。

 これって、「後期クイーン問題」じゃないですか?
(正確には、「変型・後期クイーン問題」くらいに言うべきかな? どっちかというと「ゲーデル不確定性原理問題」ですよね。でもキーワードとして作り手から出ているので、大ざっぱに「後期クイーン問題」と呼ぶことにします)

 現象の存在を否定する未知の証拠Xを仮定することにより、すべての現象、すべての証拠の存在を否定可能。
 そして、未知の証拠Xの存在を常に示唆し、意識させる「幻想」というキーワードが提示されている。

「幻想」を意識することで、未知の証拠Xを無限に存在させることができる。
 つまり、
「無限に後期クイーン問題を発生させられる」。

「うみねこのなく頃に」って、
「すべてのユーザーが、必ず後期クイーン問題に直面するように作られた作品」
 なんですよ。
 スゴイ。



 で。
 なんでこんな話を急に始めたかというと。
 このあとの話に続くわけです。

「すべてのユーザーが、必ず後期クイーン問題に直面する」といいました。

 推理をする人だけでなく、キャラ萌えで楽しむ人も。
 それに直面する。

 そういうことを、これから言おうとしております。


(引用)『「作者の見解」が、設定上の話になってしまったので、前半とのつながりが薄くなってしまい、あれっと思ってしまいました。』(引用終わり)

 ということをおっしゃってるのをみて、ああ、ここの意見が違うんだなと思ったんです。
「作者の見解」と、「設定」の、ちがいって何でしょう?
 私は、それらは全く同一のものだと思っているんです。

「設定」というのも、「作者の一見解」にすぎない。「作者の推理」にすぎない。

 ということなんです。


 東方の、アリスと魔理沙の例をかんたんにおさらいしてみましょう。
 こんな感じなんです。
 ユーザーたちは、「アリスって何か魔理沙に対してツンデレっぽくね?」と思った。
 それで「アリスって魔理沙のこと好きなんじゃね?」と言い出した。
 作者が「アリスは魔理沙を好きではない」と発言した。
 ユーザーたちは、それを軽やか~に無視した。


 たぶん、もう理解されたかと思うのですが、いちおう、「うみねこ」で例え直してみましょう。

 たとえば、こんなのはどうでしょう。

「嘉音って、戦人に対してそっけないよね?」
 と、誰かが言い出しました。
 つまり、「嘉音は戦人に対してそっけない」という「現象」が「観測」されました。

 それを受けて、また誰かが、
「ひょっとして、ツンデレなんじゃない?」
「ていうことは、嘉音って、戦人のこと好きなんじゃない?」
 と言い出しました。
 つまり、「嘉音は戦人のこと好き」という「推理」が「提唱」されました。

「嘉音×戦人」説の、成立です。

「嘉×戦は俺のジャスティス! うはは、てらもえす~」
「嘉音×戦人」説は賛同者をいっぱい獲得し、一大勢力になりました。
 この「推理」にもとづいた同人誌が、いっぱい登場しました。

 これを見た竜騎士07さん、「ぷっくくく」と笑って、こんなことをおっしゃいます。
「嘉音×戦人なんてありえぬ! そんな設定は存在せぬ!」

 なんてことでしょう。これまでは、嘉音×戦人説が成立していたのに。
 それを否定するような未発見の証拠Xが出てきてしまいました。
 ああ、「後期クイーン問題」。

 ところが、ある人が、ふと気付きました。
 そもそもの「嘉音はツンデレっぽい」という現象の観測じたい、ほんとにあったのかどうかわからないものなわけです。
 なのに、我々はそれを採用して、盛り上がれた。
 つまり、「嘉音はツンデレっぽい」を採用した理由は、ただ、「スキキライ」にすぎないわけです。

 スキキライ? 「スキ」と「キライ」?

 つまり、「これがスキ」と言っていいなら、「これがキライ」も、言っていい。
 好みによって根拠を採用できるのなら、好みによって根拠を不採用にしてもいいんじゃないか。

 そこで、「嘉音×戦人」説が大好きだった人たちは、声をそろえてこう言うことにしました。

「嘉音×戦人なんてあり得ぬ、なんていう証拠を、我々は採用せぬ!」

 だって、「嘉音×戦人なんてあり得ぬ」という発言を否定する未知の証拠Xが、これから発見されるかもしれないじゃん。

 こうして竜騎士07さんは、後期クイーン問題に直面させられてしまいました……。
 すなわち、「作者の論が、ユーザーによって撃退させられちゃった」ということです。


 でも、竜騎士07さんは、もしこんなことが本当に起こったら、
「うわあ、後期クイーン問題、ちょう楽しい~!」
 って、大喜びすると思いますよ。
 だって、「自分も直面する」ってわかってなきゃ、こんな作品、作らない。
 絶対、自分も直面したいんですよ。
「嘉音×戦人なんてありえぬ!」
 なんて発言を、もし彼がしたとしたら、それは、絶対、狙ってる。
「俺を後期クイーン問題に直面させてくれよう、俺も悩んだりじたばたしたいよう」
 ていうサインですよ。

 できれば直面させてあげたいなあ……って、思うんです。

 でも、ここの掲示板を見ていると、私の想像以上に「作者の権威」という名の呪縛は、強いみたいだから、なかなか難しいのかもしれない。

 でもどっちかというと、「本格」型の推理アプローチよりも、SSとか同人マンガとかの「二次創作」型のアプローチのほうが、後期クイーン問題を発生させるのが簡単そうに思えますよね。そっちのほうが、見込みありそうだなあ……。だから皆さんがんばってほしいなっていう、そういう感じなのでした。


■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
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■関連記事
●勝利条件論
 プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ
「作者」に屈服しない方法
 作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する
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「作者」に屈服しない方法

2009年05月27日 04時09分27秒 | 勝利条件論
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「作者」に屈服しない方法
 筆者-初出●Townmemory -(2009/05/22(Fri) 21:16:09)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=25465&no=0 (ミラー
 Ep4当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
 他の方の書き込みへのレスポンスです。推理に感心してくださり、「あなたは神ですか」とまで言ってくださったので、それに関連して、「プレイヤーの勝利条件」「作者殺し」についての追補を書くことにしました。挨拶部分は削除しています。
 クローン説とは、登場人物全員に同じ姿のクローンが存在し、それらは「島には17人しかいない」に含まれない、というダイナミックな説です。素晴らしいと思いました。

 以下が本文です。


     ☆


 私もときどき思うことがありますよ。
「竜騎士07さんは神ではないか」
 って。
 でも、そんなふうに思うのは、「魔女に屈服する」ことですから、

「いいや、作者は神などではない!」
「ユーザーと同位に存在する、無限に並列する仮説のひとつにすぎない!」

 と、呪文のように唱えて、心が屈服しないように気をつけています(笑)。

 神ですかって言われるより、「あなたは魔女ですか?」と言われるほうが嬉しいな。私の黄金郷へようこそ。歓迎します。ウチんとこの黄金郷にはおっかないヤギとかいませんので大丈夫です(笑)。
 読んで下さって、感激して下さって、ありがとうございます。


 そうだ、茶菓子がわりに、こんな話をしましょうか。

 クローン説。
 私、おもしろいと思います。

 たとえば、こうです。
「クローン人間は、台所かどっかで手軽に作れる」
「そのクローンは、生まれた瞬間から、大人の姿である」
 悪魔の証明により、否定できませんから、クローン説有効です。えーっ。

 他にも私、同時にこんな説も持ってましたよ。

「犯人はドラえもん。タイムマシンで未来からやって来て、どこでもドアと通り抜けフープを駆使して犯行に及んだ。人間ではないから17人に含まれない」

 エヴァ・ベアトリーチェが「人間以外の要素はこのゲーム盤に関係ない」と赤字で言ってしまいましたから、ドラえもん説は無効になっちゃいましたが、それでも、
「私は赤字を真実とは認めない!」
 という立場を取るのなら、いまだに有効です。


 もちろん、こんなことを言い出したら、すぐにこんな声が聞こえてきそうです。

「クローンやドラえもんは、『人間には不可能』という意味で、魔法と変わらない。つまりクローン説やドラえもん説を認めることは、魔法を認めることであり、魔女に屈服することじゃないのか」

 ウム。もっともな意見ですよね。

 でも、私はこういう仮説を持ってるんです。仮説っていうか、信念なんですが。

「煉獄七姉妹やシエスタ姉妹の存在を認めても、『我々プレイヤー』は、魔女に屈したことにはならない」

 これ、きちんと言った人って、どのくらいいるのかなあ。

 煉獄七姉妹やシエスタ姉妹の存在を認めたくない、認めたら負けだ、というのは、作中の「戦人」の勝利条件なんですよ。
 我々はべつに戦人ではない。
 だから戦人の勝利条件は私たちには適用されない。かってに、「私は適用されたい」っていう人はべつにそれでもいいですよ。でも、「適用されない」でもいい。

 だから、煉獄七姉妹の同人マンガとか書いて即売会で頒布しても、魔女に屈したことにはぜんぜんなりません。「煉獄七姉妹って、“い”るよねー」って言っても、ぜんぜんかまわない。

 さらに極端なこというと、
「密室殺人は、魔法で行われました」
 と、私たちは、べつに認めたっていい。それを認めても、魔女に屈したことには「ならない」!

 なぜ、そんな極端なことがいえるのか。

「うみねこのなく頃に」作品紹介、というページに、こんなことが書いてありますね。

「つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。」
 と。
 さあ、ここにもう、トリックが仕掛けられていますよ。
 ここでいう「魔女」が、ベアトリーチェのことだと、誰がいつ定義しました?
 そう思い込んでるだけでしょう?


 私はすでに、no25344 で、言いました。
 作品の中に魔女がいるようだが、作品の外にも魔女がいるのだと。

「作品の外の魔女」は、何人もいるのだけど、ひとり、とんでもない大物がいる。
 その大魔女の正体は、「作者」と呼ばれていたり、「竜騎士07」と呼ばれていたりするのだと。

 戦人は、ベアトリーチェの魔法犯行説を認めたら、負けになってしまいます。
 同じように、
「私たちプレイヤー」は、作者がこれから書く人間犯行説を認めたら、負けになってしまうのです。

 考えてみれば、そりゃそうですよ。
 たとえばね、これから、「解答編」が公開されていくでしょう?
 そこには、たぶん、「人間で犯行が可能になるトリック」が、きっと明かされてますよね。
 それを読んで、うのみにして、
「なるほどそうか、やっぱり人間のしわざだった」
 そんなふうにうなずいたとしましょう。
 それって、「魔女が敗北した。人間が勝利した」と言えるんでしょうか。
 与えられたものを、ただ口に入れて飲み込んだだけじゃないですか。
 それは、戦っていない。
 戦っていないものが勝利することはないんです。

 でも、いったい誰と戦うのか?

 ベアトリーチェでしょうか。
 ベアトリーチェは、戦人が戦ってくれています。

 でも、戦人は、作品の「外側」にいる魔女とは、戦うことができない。
 じゃあ、作品の外にいる魔女とは、誰が戦えばいいのか。
 それは、私たちじゃないのか。

 ベアトリーチェは、自分の説を戦人に認めさせようとします。
 作者は、自分の説を私たちに認めさせようとします。
 認めてはだめです。

 作品紹介のページに書かれています。
「私が期待するのは、正解に至る推理が現れることじゃない。」と。
 これは、こういう意味です。
「ユーザーの勝利条件は、作者がこうだと考える正解を言い当てることじゃない」

 ユーザーの勝利条件はこうです。
「作者がこうだと考える正解」以外の解答を、無数に織り上げ、並べ立てること。
「作者がこうだと考える正解」を、「無数にある確証のない説のひとつ」にしてしまうこと。

 こんなことも書いてあります。
「一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。」

 ここでいう魔女とは、「常人にはありえない能力をそなえた特別な存在」というくらいの意味です。
 ここでいう人間とは、「常識的な能力しか持っていない我々と同じ存在」というくらいの意味です。

 私たちは、無意識のうちに、
「作者とは特別な存在で、彼が言ったことはそのまま真実になる」
 と思っていないでしょうか。
 それって、
「魔女は特別な存在で、彼女が言ったことはそのまま真実だ」
 というのと、どこがちがうのでしょうか。

 だから、「特別な存在」を否定して、「我々と同じ存在」にしないといけないのです。
 その立場をとりつづけなければならない。
 それができなくなったとき、私たちの負けです。

 推理スレッドでは、たくさんの人が、意見を戦わせています。
「こうこうこういう理由で、あなたの推理は間違っていると思う。この点については、私の推理のほうが正しいと思う」
「いや、違う。それはあなたの読み違いで、こう考えれば私の推理は成り立つ。逆にあなたのは成り立たない」
 とてもスリリングですよね。
 そう。
 私たちは、これと同じことを、「作者の推理」に対しておこなわねばならないんです。

 それを放棄したら、負けです。

 ということは。逆に言うならば。
「作者の推理」を認めないかぎり、ユーザーは負けにはならない。
 ということは、
「作者の人間犯行説」を否定するための「手段」として、「魔法犯行説」を採用したってよいということになるんです!


 どうでしょう。
 面白くないですか。

 そして、「作者の推理」と戦うためには、それ以外の推理がたくさんあればあるほどいい。
 ユーザーの説が10個あったなら、作者の説は11分の1になります。
 100個あれば、101分の1。
 1000個あったら、1001人が好き勝手なことを言っているうちの、たった1個でしかなくなるんです。
 これが、作者との戦い方です。

 ということは、自分とはちがう誰か他の人の説がそこにあったとしたら、「穴があるよ」と指摘するよりは、「この穴はこうすれば埋まります」と言った方が、かえって戦いやすいんです。
 なぜなら、穴が埋まったことで、その「誰かの説」はそれだけ強くなる。
 強い説は、作者の説を撃退してくれるからです。

 そんな感じ。
 お茶菓子がわりの座興でした。


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■関連記事
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 プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ
「作者」に屈服しない方法
 作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する
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プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ

2009年05月27日 04時00分46秒 | 勝利条件論
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ
 筆者-初出●Townmemory -(2009/05/20(Wed) 06:37:06)

 http://naderika.com/Cgi/umi_log_cbbs/umi_logcbbs.cgi?mode=red2&namber=25344&no=3 (ミラー
 Ep4当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
「プレイヤーの勝利条件」(戦人ではなく)について、語っている人があまりいないようだな、と思ったので、なんとなく書いてみたらヘビーになってしまった回です。
 基本的にファンは作者を尊敬している状態なので、なかなか受け入れにくい発想のようです。その後、何回かに分けて追補を書いています。

 以下が本文です。


     ☆


 みなさん、こんにちは。
 考えれば考えるほど、「うみねこ」が面白くてしょうがないです。
 ゲームの中身もおもしろいですが、ゲームの外側がおもしろい。

 描写に幻想がまじっている。
 そのことによって、「蓋然性」を意味のないものにしてしまうシステムになっているんですね。
 たとえば仮に、作中の謎を「全部」説明できる推理が、誰かから出てきたとする。
 でも他の人が、
「その推理のもとになっている描写は、きっと幻想です。だから成立しないよ」
 と言ってしまったら、たとえ全部が説明できていたとしても、オジャンになってしまいます。
 だから、どんなに蓋然性が高い説をとなえたとしても、それ以外の説と、並列以上にはぜったいにならない。上位には立てない。たとえ全部が説明できたとしても、他の説との同列にしかなりえない。

「こう考えれば矛盾がない」まではたどり着ける。
 けれど、「これが正しい」には、絶対にたどり着けない。

「自己無矛盾」は正解ではない。
「私がたしかに存在する」とは私自身には証明できない。
「この推理が確かに正しい」かどうかは、「この推理」や「提唱者」には証明できない。

 だからこそ、賛同者が重要になってくる。
「ある推理」は、それに賛同しない人にとっては、単なる駄説にすぎない。
 けれど、賛同する人にとっては、それは正しい説なのです。
 なにしろ絶対に証明できないのですから、あとは信じるかどうかの問題です。

「俺はこの説が正しいと思う」
「僕もこれが正解だと思います」
「私も、この説を採用します」

 ↑この人たちにとっては、「その説」が正しくて、真実なのです。たとえ他の人が否定したとしても、この3人のサークルの中では、これが真実になります。
 真実はひとつではなく、複数が同時に存在しうる……それこそ「無限」に存在しうる。

 無限の魔女……。
 そう、鋭い人は気付かれたと思いますが、つまりこれってまさに、「マリアージュ・ソルシエール」なんです。

「さくたろはここにいるよ。私には見えるし、お話だってできるよ」
「さくたろうは確かにここにいるな。妾にも見えるし、話もできるぞ」

 真里亞とベアトリーチェにとっては、「さくたろはいる」が正しくて、真実なのです。彼女たち2人のサークルの外に、「そんなものいやしないよ」という人が何人いようとも、彼女たちにとっては「さくたろはいる」が真実なんです。

 そう。ならば。
 私たちが、「ある推理」を正しいと考えるとき、私たちは「マリアージュ・ソルシエール」を結成している。
「マリアージュ・ソルシエール」は黄金郷の別名です。
 ベアトリーチェが言ってるじゃないですか、「ここは妾の黄金郷」と。
 黄金郷では願いがかなう。
 黄金郷では、架空のものが、実在のものになる。石ころが金になる。
 私たちは、私たちの黄金郷にて、「何の根拠もないある推理」を「正しい答え」に変えることができる。
『うみねこのなく頃に』という作品では、このメカニズムを「魔法」と呼んでいます。

 つまり、その意味において「魔法」は確かに存在し、魔女も確かに実在し、その正体は「私たち」ということになります!

 以上が、私の考える、「もうひとつの真相」「上位世界の真相」です。


 すごいです、この構造は。
 素晴らしい。美しい。この構造を作品化した人は天才。
 誰が認めなくとも私が認めて赤字で言います。(赤字)作者は天才です。(赤字)


 でもさらに凄いことを言いますよ。

 私たちが、「ある一個の推理」を正しいと信じるとき、それとは別の推理を「間違ったもの」としている。そういうことになります。
 一個の推理は、それ以外の推理を撃退する能力をそなえているんです。

 黄金郷では、ライオンのぬいぐるみに、命を与えることができますが、逆に言えば、王子様をカエルに変えることもできるんです。

 そしていいですか。「あなたの説の根拠は幻想だ」と言えば、すべての説は否定可能です。そして、あるシーンが幻想かどうかは、誰にも証明できない。
 作者にも証明できないんです。
 作者が「ここは幻想じゃなくて真実のつもりで書いた」と言うことはできますよ。
 でも、我々が「そんなの認めないよ、ここは幻想だよ、あなたは自分の書いたものすらよく理解していないんだね」と言い放てば、作者はそれ以上のことは言えません。真実であることを証明できません。
 赤字を使ったとしてもだめです。
 赤字が真実であるとは赤字では証明できませんからね。
 現に、「赤字で書いてあるからって信用できないよねぇ」という立場をとる人が、いっぱいいるじゃありませんか。

 つまり。
 作者が「これが正解」といって、答えを出してきたとしても。
 それはあくまで、「作者が主催する黄金郷」でしかないのですね。

 作者は、「こう考えれば矛盾がないように作品を作りました」までは言える。
 けれど、「これが正解です」とは言えない。
 いや、言えるけれども、証明できない。

「作者が用意した答えが正しいかどうかは、作者自身にも証明できない!」


 もちろん、作者、竜騎士07さんは、わざとそういう構造で書いているのです。自分の書いていく「解答編」が正しいかどうかを、自分では証明できないとわかって、あえてそれをやっている。
 むしろ、「俺の用意する解答を否定してみろ」と言っているのです。

 いいですか。
 この物語に対して、「ある推理」を提唱することは、それ自体が「魔法」なのだと、先ほど説明しました。
 そして、推理してひとつの説を提唱する人は、その人自体が「魔女」なのです。

 言い換えれば。
 作者とは、圧倒的な魔力をもって、我々を蹴散らし、撃退し、屈服させ、靴をなめさせようとする、大魔女なんです。

 彼は以下のようなことを言っていますね(以下引用)。

「私も、そんな最悪な皆さんを“屈服させたくて”この物語をお届けします。」
「私が期待するのは、正解に至る推理が現れることじゃない。」
「一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。」
「つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。」

 それは、実は、
「俺という魔女が提示する答えとは別の推理で事件を説明してみせろ」
 ということなんでしょう。
 ベアトリーチェと戦人がやっているゲームと同じことを、竜騎士07さんと我々でやっているのです。

 いいですか。
 皆さん。
 用心して下さい。
 竜騎士07さんが書く「解答編」には、「人間説による解答」が書いてあるでしょう。
 でも、それを読んで、
「なるほど、そうだったのか!」
 と膝を打ってしまったなら、それは、「魔女に屈服した」ということです。

 ep2のラストを思い出して下さい。
 戦人はベアトリーチェから真相を説明されました。
 すべての説明に筋が通り、彼は全てを納得しました。「なるほどそうだったのか」と言ってしまったのです。
 その結果どんなことになりました?
 あの境遇、明日は我々の我が身です。皆さん、足置きになりたいですか?

 真の魔女は作品の外にいます。
 作品の中にいる、わかりやすい、いつわりの魔女に幻惑されないで下さい。


 我々が大魔女・竜騎士07に打ち勝つ方法はただひとつ。
 彼が主催する黄金郷よりも、はるかに巨大な「黄金郷」を作り上げ、彼の解答を撃退することです。


 具体的にいうと、
「作者の見解」を二次創作のレベルまで引き下げ、ないがしろにすることです。


 そんなことできるのか?
 できます。
 実例があります。

 というか、「うみねこ」の作中に、
「作者としては、こういうコトをやってほしいんだけどなあ~」
 というサインが入ってます。

 ep2。朱志香の学園祭を思い出して下さい。
 朱志香は奇抜なコスプレをして、奇抜な歌を歌いますね。
 あれは、「東方シリーズ」という同人ゲームの「魔理沙」というキャラクターです。歌っている「つるぺったん」という曲は、ゲームのBGMをアレンジしてボーカル曲にした二次創作曲です。

 なぜ、その同人ゲームの、そのキャラなのか。理由があります。

「東方シリーズ」の二次創作の世界では、魔理沙は、アリスという女の子から一方的に好意を寄せられている、ということになっています(両方とも女の子なんですが)。
「ということになっている」ってのは、みんなが「そうにちがいない!」と考えて、みんなが「その設定」を「採用した」っていうことです。

 誰かが「アリスってひょっとして魔理沙に片思いしてるんじゃね?」と言い出して、みんなが「それはおもしろい!」と賛同し、みんなでよってたかってそういう同人誌を作るようになったってことです。

 ここで、ひとつ重要な事実があります。
「東方シリーズ」の作者、ZUNさんは、
「アリスは魔理沙に惚れてなどいない。むしろ嫌いなほうだ」
 と明言しているのです。

 そして、二次創作者たちは、みんなその発言を知ってます。

 にもかかわらず、二次創作界では、「アリスは魔理沙のことが好き」が定説化し、昨日も今日も、その設定でニコニコ動画に二次創作動画がアップされているのです。

「作者はああ言ってるけど、それはそれとして、こっちが正しいことにして楽しくやろうよ」

 どうです。これって、ユーザーたちの黄金郷でしょう。
 ユーザーが結成した黄金郷が、作者主催の黄金郷よりも巨大になり、強くなり、作者の見解を撃退してしまったのです。


 竜騎士07さんは、「こういうことをやってほしいなあ」と思ったにちがいない。そして、「こういうこと」をやってもらえるような作品を作った。それが「うみねこのなく頃に」です。

 だから、この掲示板や、ブログにSSを書いたり、ニコニコ動画で「うみねこ」の二次動画をやっている人は、圧倒的に正しい。
 原作からかけはなれた内容を作っている人ほど正しい。
 そして、あえて放言しましょうか、
「推理をしてる人よりも、SSを書いてる人のほうが、魔女への撃退攻撃力という点で、強い」
 二次小説のひとつひとつ、パロディ動画の一作一作が、実は魔女への杭なんです。


 それを理解すると、「うみねこ」がますます楽しくてたまらないんです。みなさんは、どうですか?


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