さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

世界構造(上)/ただの創作じゃない、全てに実体がある

2011年10月24日 11時48分21秒 | ループ説・カケラ世界
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


世界構造(上)/ただの創作じゃない、全てに実体がある
 筆者-初出●Townmemory -(2011/10/24(Mon) 11:39:56)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=66120&no=0ミラー


     ☆


 うみねこの公式掲示板が11月15日に終了しますので、置きみやげというか記念というか、推理系のエントリをひとつ残しておくことにします。全2回+補遺です。

 世界構造に関するエントリなのですが、世界構造を解明することを目的とするものではない……という、ちょっと微妙なニュアンスをもったことを語ります。
 最終的には、「フェザリーヌの魔法の正体」を解明するとこまで持ってくつもりですが、予定は予定です。


●八城十八の偽書は、全部真実(アウトラインの提示)

 さて。
 うみねこ終盤になったころ、「Ep3以降のお話は、八城十八が勝手に想像して勝手に書いた偽書ですよ」という情報が作中に出てきました。
 最終話のEp8で、その情報が補強される(裏打ちされる)ような展開がでてきたので、わりと多くの人が、それで決め打ちしてしまって、

「何だよ、結局ほとんどのエピソードは創作だったのかよ」
「実際にあったことだと思って、いろいろ考えてたのが馬鹿みたいじゃん」


 という感想を持った形跡が、ネット上で観測されました。


 わたしは全然そんなふうには思わないのですが(実体のないただの創作とは考えないのですが)、「そんなふうに」思ってしまった場合、なんだよこれっていう感想になるのはむべなるかな、といったところです。

 でも、くりかえしますが、わたしは全然そんなふうには考えない。

「Ep3以降のお話を、八城十八が小説化して、世の中に発表した」
 これはOKです。本編にそう書いてありますから、わたしもこれはOKということにしましょう。

 ところが、世の多くの人は、何やら敷延して、不思議な部分を付け足してしまいがちのようです。

「Ep3以降のお話を、八城十八が小説化して、世の中に発表した」
「……のであるから、Ep3以降のお話は、実際は起こってなどいない」

 なんだよ創作かよ、と思う人は、後半を勝手に付け足して、後半部分に対して「なんだよ」と思っているっぽいように思うのです。おそらくね。

 わたしなどは、その後半部分を、「あっ、そういう認識を自動的につないでしまうんだ?」と、おどろいたりしたわけです。

 わたしは以下のように受け取りましたし、わたしの中では、こっちの受け取り方が正しいように思います。
 すなわち、

「Ep3以降の事件が起こった」
「そのEp3以降のお話を、八城十八が小説化して、世の中に発表した」

(本当をいうと、もう少し複雑なことを考えていますが、ここでは発想を逆転するために、このように受け取って下さい。あとで追加説明します)

 八城十八は、「私が書いた、私の作品だ」と自分で言っていますが、べつに「一から十まで全部私の頭から出てきたことだ」なんて言っていません。八城十八がパチパチ打って書いたのだから「八城十八が書いた」のですし、それは「八城十八の作品」ですが、モデルとしてまったくその通りの事件があるということはべつに否定されないのです。

 ですから、八城十八さんがパチパチッとPCに打ち込んでそういう物語を発表したのだとしても、それをもって、「Ep3以降の物語が実際は起こってない」なんて言えない。

 Ep1とEp2とEp3とEp4とEp5とEp6とEp7とEp8は全部パラレルワールドの関係にあって、全部平行的に存在している。
 くらいに考えたら良いと思います。
 八城十八は、何かの理由で、別の世界をのぞき見ることができて、
 見てきたものをそのまんま、小説っぽく書き出して、
 で、ネット上に発表。

 だから八城十八が書いた創作だけど、それは同時に事実としてあったことでもある。

 そのくらいに考えたらどうでしょう。

「六軒島の真実は実際にはひとつしかない」といった意味のことを、竜騎士さんはどっかのインタビューで(たぶん真相解明読本で)おっしゃっています。
 もちろん、ひとつの世界に、六軒島の真実(実際に起こったこと)はひとつしかありません。
 でも、世界がパラレルワールド的に、並列に複数存在するのなら、
「六軒島の真実は(ひとつの世界には)ひとつしか存在しない」
 けれど、
「マクロな視点で複数の世界をフカンすれば、複数の真実が存在する」
 ようにできます。

 ……といったような内容のお話を、これから、図をまじえて、もっとかみくだいて説明します。

 その説明の中で、「どうして八城十八は別の世界を見ることができるのか」「なぜ八城十八の偽書はEp3以降だけなのか」といったことが、解明される予定です。


●「ひぐらし式」のパラレルワールド説(前提説明)

 まず前提として。
「ゲーム盤が始まる前」「ゲーム盤が終わった後」のことについて話します。

 ゲーム盤が始まる前、とは、右代宮一族が10月4日朝、六軒島に渡るより前の全ての時間のことです(ここでは)。
 ゲーム盤が終わった後、というのは、10月5日深夜24時に爆発が起こった後の全ての時間のことだと思って下さい。

 どうやら、「ゲーム盤が始まる前」と「ゲーム盤が終わった後」の状況は固定されていて、一種類しかない、と思っている人が思いのほか多いようなのです。

 わたしはその考え方をとっていません。

 ここまで読み進めてくださっている方は、「とりあえずTownmemoryの考えていることを知ってみよう」という意志があるものだと思われますので、とりあえずあなたご本人の考え方を横に置いて、「Townmemoryの考え方だったらどうなるだろう」という気持ちで、いったんわたしの考えにもとづいて読んでみてください。読み終わったあとで、横に置いておいたご自分の考えを元の位置に戻せばよいのですからね。

 わたしは、うみねこの世界は、わりに素朴なパラレルワールドの発想でできていると思います。
「ひぐらし」と同じ感じ、という説明だと、わかりやすいかもしれません。

 たとえば、ひぐらしでは、第8話の「祭囃子編」で、ようやく「古手梨花が事件後も生存できる」という結末になりました。
 それまでの全てのエピソードで、古手梨花はゲーム中に死亡していたのです。

 ですから、
「事件後に古手梨花が生き残るのは第8話のみ」
「例えば第1話鬼隠し編では、古手梨花は死亡し、事件後は古手梨花のいない世界が続いていく」

 そういう感じのお話でした。

 だいたい印象で言いますが、「第8話で古手梨花は生き残ったのだから、鬼隠し編でも実は古手梨花は生き残ったのだ」というふうに思う人は、いないか、ごく少数なのじゃないかな、と思うわけです。

 ところが、これが「うみねこ」になると、どういうわけか、
「第8話で右代宮戦人が生き残ったのだから、“右代宮戦人が生き残る”という状況がゲーム後の唯一の真実であって、それ以外は虚である」
 というような解釈をする人が、じわっと増えてくる。
(というふうにわたしは感じています)

“右代宮戦人が生き残る”という状況を固定した真実にする場合、右代宮戦人がゲーム中で死んでいたら矛盾する。ので、「右代宮戦人が死ぬようなエピソードは実際には虚である(偽である)」といった処理がなされる。
(これは逆でも良いです。戦人の死を虚とするために、「戦人の生存が実である」という解釈を採用している場合もあるでしょう)

 でもわたしは、「うみねこも、ひぐらしと同じ解釈でいいんじゃない?」「パラレルに全部のエピソードが存在してるってことでいいんじゃない?」という受け取り方です。

 で、図にするとこう。
(これ、書いてみた結果、図にする必要なかったなーと思ったけど、せっかく作ったから掲示します。オリジナルサイズで見て下さい・以下同様)



オリジナルサイズ
(図0・多彩な世界が多彩なまま併存する)

 Ep1世界では、留弗夫はお金に困ってることを霧江に相談しない(霧江は知らない)。
 縁寿はお腹をこわして六軒島に行かない
 そして事件が発生して戦人も絵羽も死亡する
 事件後、絵羽すらいない世界が続いて、ひとりぼっちの縁寿はおそらく須磨寺に引き取られ(推定)、財産の移転などが行なわれたあと縁寿は須磨寺に殺される(推定)

 Ep3世界では、ゲーム前の状況はEp1と同じですが、事件で絵羽だけが生き残る
 事件後、縁寿は絵羽に引き取られ、いびられて育つ。

 Ep5世界では、ゲーム前の状況に変化がある。留弗夫は「実は特許関係で会社がピンチなんだ」と霧江に相談する(霧江は知る。それにより、蔵臼をゆすれば?という展開が発生する)。
 縁寿はおなかをこわして欠席
 事件後は戦人も絵羽もおそらく死亡し、縁寿はEp1同様、須磨寺行きから謀殺コース(推定)。

 Ep8世界では、ゲーム前に縁寿は「おなかをこわさない」。ので六軒島に来島する。

 Ep8魔法エンド世界では、事件後、絵羽、戦人の両名が奇跡的に生き残る
 絵羽は縁寿を引き取っていびり、戦人は記憶障害を負った状態で八城幾子邸に保護される。

 このように、ゲーム前の条件もいろいろ違うし、誰が生き残ったかによって、ゲーム後の世界のありかたもさまざまに違う。
 この違いを、「どれかひとつが真実で、他は虚構」としてしまうのはやめて、
「いくつもの世界があって、それぞれの世界で、それぞれの事態が起こってる」
 というふうに、捉えることにしましょう。
「ひぐらし」で、圭一が死んだり生き残ったり、滅菌作戦が起こったり起こらなかったり、そりゃもういろいろであるように。

 かように、バリエーションを持った世界が複数存在し、世界ごとにゲーム前の前提も異なり、ゲーム後の展開も異なる。
 そういう解釈をすれば、「戦人と絵羽が生きているべきだから、彼らが死んじゃう物語は偽物ってことにしなきゃいけない」といった事情は発生しませんし、楽です。わたしはすんなりとそういう解釈をしました。

(参考として、似たような過去のトピックのアンカーを示しておきます)
 【続・カケラ世界】上・金蔵はいつ死んだ?/死体のありか
 【続・カケラ世界】中・ゲーム盤世界は常に異なる
 【続・カケラ世界】下・縁寿を幸せにする「カケラ紡ぎ」
 【続・カケラ世界】補遺・カケラ紡ぎ「86.6.17の家族写真」


 ここまでが前提条件の説明。


●独立した各世界と、鏡映しの幻想/実体

 さて。
「各エピソードはパラレルワールドの関係だ」という考えを、とりあえず仮にでもいいので容認できた方のために、次の図を示します。



オリジナルサイズ
(図1・順次発生するパラレルな世界)


 図の読み取り方を説明します。

 真ん中の二重になってる横線は、「幻想と実体をへだてる境界線」です。境界線から上半分が、「事件の幻想的側面」。境界線から下半分が「事件の実体的側面」です。

 この「幻想と実体をへだてる境界線」は、「鏡」だと思うと、わかりやすいです。幻想と実体の境界線に、鏡が立ってるのだと思って下さい。

 図内で、「幻想側のEp1」と「実体側のEp1」をタマゴ型の上下にしてあるのは、鏡映しのような関係にあることをなんとなく示すためです。

 先入観として、幻想側が架空で、実体側が現実のように思ってしまいがちですが、(わたしの考えは)そうではありません。
 あくまでも、「鏡のあっち側と、こっち側」という関係性です。幻想側を現実とする場合、それと鏡映しの関係にある実体側は、虚構です。
 つまり、「魔法が本当にある」のなら、「人間の犯人が物理的に殺した」というストーリーはまぼろしなのです。
 もちろん、実体側を真実とする場合、鏡写しの存在である幻想側は虚構です。(「人間が物理的に殺した」が真実なら、「魔法で殺した」はまぼろしになる)

 これは、「どっちが真なのか」は決定不能状態にあります。

 たとえば。

 わたしが今。
 鏡の前に立って、鏡に映った自分を見てみます。

 わたしが実体なのですから、鏡に映った、鏡の向こうのわたしは幻影です。
 ところが、鏡に映っているのはわたし自身なのです。
 わたしは自分を実体だと思っているわけですから、つまり鏡の幻影は、自分を実体だと思っているのです。
 自分を実体だと思っているわたしは、目の前に映っているわたしそっくりのものを、幻影だと思います。
 つまり鏡の向こうのわたしにとって、こっちにいるわたしは幻影なのです。

 このパラドクスを、パラドクスとして認識できるか、それとも「私が実体なんだから私が実体じゃん」といって済ませてしまうかで、何かが違ってくる……。わたしはそう思います。

 ゲーム内のTIPSで、人間側の表示から、幻想側の表示に切りかえるときに、ぱりーんと「鏡が割れる」エフェクトがあるのを思いだすと、イメージの参考になるかもしれません。
 また、ベアトリーチェは物語中に眷属を登場させるために「鎮守の鏡を割る」必要があった、というのも響き合っているでしょう。


 点線で囲った、「EpXの世界」というのが、そのまま、「そのエピソードが発生した、ひとつの平行世界」を意味します。

「Ep1の世界」と、「Ep2の世界」と、「Ep3の世界」があるわけです。
 隣あわせに並んでいますが、重なったりはしていません。
 別々の世界です。ひぐらしにおける、「鬼隠し編」と「綿流し編」のような関係性です。
 Ep1に住んでいる人から見て、Ep2の世界というのは、パラレルワールドです。


 で、図に戻って下さい。下のほうに四角形で囲んである部分。これは、「(その平行世界で)存在している文書」です。

 Ep1の世界には、「メッセージボトル1」と「メッセージボトル2」が存在しています(推定)。それに加えて、この世界には、「ひぐらしのなく頃に」という物語が小説という形で出版されています。
 Ep1で戦人が「ひぐらしっていう小説を読んだけど」と言っています。

 Ep3の世界にも、「メッセージボトル1・2」「小説ひぐらし」が存在しています(たぶん)。それに加えて、Ep3は特殊イベントとして「絵羽の生還」がありますから、絵羽が生き残り、日記を書きます。ですからEp3には「絵羽の日記」という特殊文書が存在します。
 でも、Ep1や2では、絵羽は生還しないので、絵羽の日記はEp1と2には存在していません。
 Ep3で絵羽が生還するからといって、Ep1やEp2の世界に絵羽の日記が発生したりはしません。


 中央に右向きの太い矢印が描かれていますが、これは時間の流れではありません。
(だって、並列に存在する世界同士なのですからね)

 これは、「Ep1の世界が存在しない限り、Ep2の世界は発生しない」という意味を示すものとしてとらえて下さい。

 まず、Ep1の物語が語られ、Ep1のゲームが終了する。Ep1の世界は、そのままひとつの世界として存続していく。
 すると、「別のゲームをしよう」ということになって、Ep1に良く似た、別の平行世界が見つけだされる。
 その、新たに見いだされた別の世界を使って、Ep2の物語が語られる。
 Ep2が終了すると、Ep2世界はそのままひとつの世界として存続し、「また別のゲームをしよう」ということになって、また良く似た別の世界が見つけだされる。
 その世界を使ってEp3の物語が語られる。


●2本のボトルメール=2種類の猫

 この、細胞分裂にも似た、「世界がひとつひとつ順番に発生していく」という動き。
 この動き方には、

「メッセージボトルが2種類発見される」
「そのメッセージボトルに、なんの物語が書かれていたのかは、わからない」


 ということが、非常に深く関係しています。

 Ep1の世界には、メッセージボトル1と2が存在しています。
 Ep1の世界で起こった「六軒島事件」の真相は、ひとつしかありません。
 にもかかわらず、二種類の真相が(メッセージボトルの形で)世間に示されているわけです。

 観測不可能な箱の中に猫を入れ、2分の1の確率で猫が死ぬスイッチを押す。
 フタを開けて観測する前の状態にあるとき、「生きている猫」「死んでいる猫」がひとつの箱の中に同時に入っていると(量子力学では)言える。
 フタを開けて、たとえば生きている猫を観測できたとする。
 さっきまで箱の中にいた、「死んでいる猫」はどこへ行ったのか
 エヴェレット解釈(という説)によると、

「パラレルワールドが発生し、“フタを開けたとき猫が死んでいる平行世界”が生まれた。そちら側では猫は死んでいるのだ」

 というふうに説明する。

 さて……。

 Ep1の世界にふたつ存在する、メッセージボトル1と2。
 二通り描かれた、2つの真相。

 例えば、
 もし、Ep1の六軒島で発生したのが、「メッセージボトル1」の内容と同じ事件だったとしたら。
「メッセージボトル2だったかもしれない可能性」はどこへ行ってしまったのだろう。

 それは、

“メッセージボトル2の事件が発生した平行世界”が生まれた。そちら側では2の事件が起こっているのだ」

 というふうに説明すればよい。

 かくして……
 Ep2という平行世界が生まれることができるわけなんです。

 Ep1の事件後、メッセージボトルが2本発見されることで、「こちらの世界では起こらなかったほうが起こる、別の世界」が発生する。

 そして。

 わたしたちはなんとなく、「メッセージボトル1にはEp1の内容が、メッセージボトル2にはEp2の内容が書かれている」と思いこんでいますが、思いこんでるだけで何の保証もないのです。

 Ep2とEp3の内容が書かれているかもしれませんよ。

 例えば。
 Ep2の世界で発見される2本のメッセージボトルには、Ep2とEp3の内容が書かれているとしましょう。
 Ep2の世界では、Ep2の事件が起こるのですから、Ep2の内容が書かれたメッセージボトルのほうが真相です。六軒島猫箱を開けたら、Ep2の内容が入ってた。
 では、Ep3の内容が書かれたメッセージボトルの物語はどこへ行ってしまうのか。
 それは、

“Ep3の事件が発生した平行世界”が生まれた。そちら側ではEp3の事件が起こっているのだ」

 もちろん、Ep3の世界で発見されるメッセージボトルには、Ep3のメッセージボトルとEp4のメッセージボトルが……。

 そのようにして、「内容不明の2つのメッセージボトル」をジェネレータとして、順繰り順繰りに、新たな平行世界が発生していくことができます。

 猫箱に、二種類の猫。
 六軒島猫箱に、二種類の物語。

 このあからさまな共通性を、平行世界発生のメカニズムとして使わない手はないんです。わたし的には。

(参考として、こちらから、「カケラ世界」というシリーズもご覧下さい。Ep4当時の世界解釈です)


 続きます。
 ちょっと前半は地味でしたが、後半はドラマチックになる予定です。


■続き→ 世界構造(下)/フェザリーヌの魔法の正体


■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■
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2 コメント

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すべて真実でいい (Fey)
2011-10-26 08:45:26
まだじっくり読み直していないので、私は誤解している部分があるかもしれませんが……
全てのEPが実際に起こったパラレルなこと、という意見に対して全力で同意したいです。

私は、どのEPも違う見所があって好きですが、
『ただの作家の創作でした!絵羽が生きている以上、こんなの嘘じゃんゲラゲラ!』
『EP7、8が真実っぽい。じゃ、次男一家が惨劇の犯人決定じゃん。』
という、一面的で一方的な風潮が嫌で……。
みんなどうして無理やり、八城の創作ということで落ち着けたいのかなぁ、とかねがね疑問でした。

創作をする側の我侭なのかもしれませんが、
EP1も、EP3も、EP5も、EP7も、朱志香犯人説も、戦人19歳説も、起こりうる可能性の一つとして認められてもいいんじゃないのか、というのが私の気持ちです。

私は私の真相を大切にしていい、ということを
教え、それを補強してくれるTownmemoryさんが心強いです、ホントに。
Unknown (Townmemory)
2011-10-26 09:23:14
●Feyさんへ

 こんにちは。多くの人がそういうふうに言ってしまう理由は、一言二言で言い尽くすことができて、言いやすいからです。言いやすいことは、理解されやすい。理解されやすいことは伝わりやすいのです。
 頭では、もうちょっと違う筋道も考えていたりする場合も多いと思います。けれど、表現がおっつかない場合があって、とりあえず言いやすいことだけを言ってしまう。

 すると、理解されやすいので、「そうだそうだ」という反応がつく。賛成の反応がつくと、「あ、これでいいのだ」というふうに説得されて、それでOKになってしまう。そういうネット内の乱反射があると思います。

 そして、一言で言えて、理解されやすく、伝わりやすいので、「うみねこにちょっと触れたけどちゃんとは読んでいない人」とか「うみねこ読んでないけど結論だけ知りたい人」が、「とりあえず三行で説明して欲しい」という願望をいだいたとき、それに触れることになって、「あ、そうなのね」と思ってしまう。そしてその後もえんえん、伝言ゲームとネット乱反射がつづいていってしまう。

 そんなところかなと思います。
 だって、なにしろ、「全部創作」は一言でいえますが、そうじゃないことを示すには、今回のエントリのような、これだけの説明が必要なのですからね。伝播力に明かな差があります。

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