隠居老人の私が、「世界における日本の立場」、を心配して
▲ スケート選手と、ハイチ地震
を書いたのが、1/21であった。
しかし日本政府が本格的なハイチ支援を決定したのが、1/25である。
2/1の毎日新聞・新聞時評に仲村利江氏がそのことを書いている。
「15年前の大震災を経験し、国連常任理事国を目指す国」が、
この支援決定の遅くなった原因、
・ ・ ・ を究明しなければならぬ、と。
私は、今回のことに限っての、特定の理由があった、とは思っていない。
▲国連常任理事国を目指す前に :[A-5]
に2005/4に書いたとおり、日本のこの種の行動の根は深い。
論理に鈍感な小泉、 漢字も読めない麻生、 英語で“こんにちは”の挨拶も出来ない森、 といった人物が首相になるような国、
折角政権政党が変わっても、
今回のハイチ地震への対応のようなこと、しかできない国は、
国連の中での発言権が小さい方が、全人類のためには、望ましい
のである。
★ ★ ★ ★ ★
太平洋戦争終結への命運を決めた硫黄島への米軍上陸は、1945/2/19、
つまり今日から丁度65年前のことであり、3/23頃に日本軍は玉砕した。
太平洋戦争中で米国が最も苦しんだ硫黄島戦争の日本軍を指導したのが、
わが郷土の先輩であり、対米開戦に強く反対した栗林中将であったことは
▲人間の評価: (7)秋の叙勲・栗林忠道①: [B-66]
▲人間の評価: (7)秋の叙勲・栗林忠道②: [B-67]
に、佐久間氏が書かれている通りである。
私は20世紀最後の日の前日、この島の傍らを通過し、
自分の生きた世紀が終わるのに感慨を催すとともに、
同じ船に乗船している、現在の日本人にとって、
あの戦争はこの程度にしか記憶されていないのか
と、驚き、悲しく思ったのであった。
→ → ▲ 一戦中派の感慨: [A-4]:[2005/3/25]
★ ★ ★ ★ ★
▲センター試験と老人の感慨(続) : [B-109]
に述べられているように、
論理的に社会の不合理を是正しようとする人達は、この国では常に敗北するのである。
佐久間象山、坂本竜馬は暗殺され、吉田松陰は公儀に殺された。
栗林中将は、東条に殺された、のであった。
上坂冬子の「硫黄島いまだ玉砕せず」(文芸春秋社、1993)という本がある。
栗林の来る前に硫黄島の日本軍を警備隊指令として指揮し、硫黄島玉砕の4月前(1944/10/16)に中央からの突然の発令で島を離れたために命が助かり、
その全生涯を硫黄島戦没者の慰霊に捧げた和智恒蔵海軍大佐の人生が主題である。
2006年のイーストウッド監督の映画が世界的な話題となったため、日本の若者も硫黄島の戦闘が太平洋戦争中の最悪の戦闘だったことや、栗林中将の事績を知るようになった。
しかし、日本軍が玉砕したとのみ語られる戦争の詳細:
1945/3/26頃に島内の戦争は終結し、2万129名の日本兵が戦死したが、
さまざまな運命をたどって1200名ほどが戦後帰国したこと。
戦後4年間も地下壕に潜み、1949年に投稿し、
更にその後島に渡って投身自殺した兵士もいること、
などは、戦中派もあまり記憶していない。
現在では和智大佐の事績は、殆ど知る人は居ないだろう。
そのため20世紀最後の日に硫黄島の脇を通過するクルーズ船で、
乗客のほとんど全てはデッキに出てこなかったのだ。
上坂氏の本が出版された年に現役を引退した私は、其処にも因縁を感じる。
★ ★ ★ ★ ★
20世紀後半から今世紀に向かって全世界で、そしてとりわけ日本で、人生というものが軽くなったのを悲しく思う。
▲ K.H.さんの書信を拝見して:[A-106]:
のような思いをすると、文明後進国にも物質文明が普及し、日本国内では極端な貧困層がなくなり乞食の姿を見なくなったのに、何故だろうと思う。
ダリは神は信じるが、宗教は信じない、と言った。
私は神は信じるが、文明には疑いを持つ。
( ▲ダリの描いたキリストの絵 [A-105])
中学生スケート選手高木のヒップホップダンスが股関節周辺の強化に役立っているという。
ダンスは、スケートとほぼ同時期に始めたものだが、図らずもそれが有効に働いていた、
のは教訓的である。
我々は文明の開発と同時に、何かをしなければならなかった
、のではないだろうか。
2/19という日付は、
1945に太平洋戦争終結への命運を決めた硫黄島への米軍上陸の日であり、
コペルニクスの生誕の日であり、Y君の誕生日
である。
▲ スケート選手と、ハイチ地震
を書いたのが、1/21であった。
しかし日本政府が本格的なハイチ支援を決定したのが、1/25である。
2/1の毎日新聞・新聞時評に仲村利江氏がそのことを書いている。
「15年前の大震災を経験し、国連常任理事国を目指す国」が、
この支援決定の遅くなった原因、
・ ・ ・ を究明しなければならぬ、と。
私は、今回のことに限っての、特定の理由があった、とは思っていない。
▲国連常任理事国を目指す前に :[A-5]
に2005/4に書いたとおり、日本のこの種の行動の根は深い。
論理に鈍感な小泉、 漢字も読めない麻生、 英語で“こんにちは”の挨拶も出来ない森、 といった人物が首相になるような国、
折角政権政党が変わっても、
今回のハイチ地震への対応のようなこと、しかできない国は、
国連の中での発言権が小さい方が、全人類のためには、望ましい
のである。
★ ★ ★ ★ ★
太平洋戦争終結への命運を決めた硫黄島への米軍上陸は、1945/2/19、
つまり今日から丁度65年前のことであり、3/23頃に日本軍は玉砕した。
太平洋戦争中で米国が最も苦しんだ硫黄島戦争の日本軍を指導したのが、
わが郷土の先輩であり、対米開戦に強く反対した栗林中将であったことは
▲人間の評価: (7)秋の叙勲・栗林忠道①: [B-66]
▲人間の評価: (7)秋の叙勲・栗林忠道②: [B-67]
に、佐久間氏が書かれている通りである。
私は20世紀最後の日の前日、この島の傍らを通過し、
自分の生きた世紀が終わるのに感慨を催すとともに、
同じ船に乗船している、現在の日本人にとって、
あの戦争はこの程度にしか記憶されていないのか
と、驚き、悲しく思ったのであった。
→ → ▲ 一戦中派の感慨: [A-4]:[2005/3/25]
★ ★ ★ ★ ★
▲センター試験と老人の感慨(続) : [B-109]
に述べられているように、
論理的に社会の不合理を是正しようとする人達は、この国では常に敗北するのである。
佐久間象山、坂本竜馬は暗殺され、吉田松陰は公儀に殺された。
栗林中将は、東条に殺された、のであった。
上坂冬子の「硫黄島いまだ玉砕せず」(文芸春秋社、1993)という本がある。
栗林の来る前に硫黄島の日本軍を警備隊指令として指揮し、硫黄島玉砕の4月前(1944/10/16)に中央からの突然の発令で島を離れたために命が助かり、
その全生涯を硫黄島戦没者の慰霊に捧げた和智恒蔵海軍大佐の人生が主題である。
2006年のイーストウッド監督の映画が世界的な話題となったため、日本の若者も硫黄島の戦闘が太平洋戦争中の最悪の戦闘だったことや、栗林中将の事績を知るようになった。
しかし、日本軍が玉砕したとのみ語られる戦争の詳細:
1945/3/26頃に島内の戦争は終結し、2万129名の日本兵が戦死したが、
さまざまな運命をたどって1200名ほどが戦後帰国したこと。
戦後4年間も地下壕に潜み、1949年に投稿し、
更にその後島に渡って投身自殺した兵士もいること、
などは、戦中派もあまり記憶していない。
現在では和智大佐の事績は、殆ど知る人は居ないだろう。
そのため20世紀最後の日に硫黄島の脇を通過するクルーズ船で、
乗客のほとんど全てはデッキに出てこなかったのだ。
上坂氏の本が出版された年に現役を引退した私は、其処にも因縁を感じる。
★ ★ ★ ★ ★
20世紀後半から今世紀に向かって全世界で、そしてとりわけ日本で、人生というものが軽くなったのを悲しく思う。
▲ K.H.さんの書信を拝見して:[A-106]:
のような思いをすると、文明後進国にも物質文明が普及し、日本国内では極端な貧困層がなくなり乞食の姿を見なくなったのに、何故だろうと思う。
ダリは神は信じるが、宗教は信じない、と言った。
私は神は信じるが、文明には疑いを持つ。
( ▲ダリの描いたキリストの絵 [A-105])
中学生スケート選手高木のヒップホップダンスが股関節周辺の強化に役立っているという。
ダンスは、スケートとほぼ同時期に始めたものだが、図らずもそれが有効に働いていた、
のは教訓的である。
我々は文明の開発と同時に、何かをしなければならなかった
、のではないだろうか。
2/19という日付は、
1945に太平洋戦争終結への命運を決めた硫黄島への米軍上陸の日であり、
コペルニクスの生誕の日であり、Y君の誕生日
である。