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今日は父の誕生日・・不良に未来を託していた父。

2020年07月03日 | 川柳

 父が亡くなって6年目8月1日が命日。

今日は父の誕生日。

私は命日より父の誕生日のほうが好き。

 

  いつも「誕生日はお金でもいいんだぞー・・・」と、半分本音で」言ってくる。

昔は、「毎朝車で送り迎えしているのに…お前は何か親に感謝に変わることする気が無いのか?」と、祖母譲りの代償見返り派。

 

 でも祖母が8人の子供23人の孫たちに残したすばらしい家訓なのだと思う。

「子供質に入れても義理欠くな」記憶力のすごい祖母にも似てる父の言動。

亡くなって思い出すとか、逢いたいとか全く思わない。

何故なら・・・十二分に逢っていたし思い出も多すぎて私の頭の中でいつでも会えている。

 

  娘のことで「もう・・かまわない!」と、思って寝ても夢の中でベットから起き上がって「ちゃんとやってやれ!!お前しかいないんだから!!」と仕切りに出てくる。

 

 母を愛し、子を愛し、兄弟を思い、ともかく温情の熱い人で昭和の臭いがたっぷりする人。

 

地球の半分が仕事場。時にはアメリカ目線。時にはロシア目線。時には日本目線で三か国人のような人だった。

 私が高校一年の時、父は水産高校で3か月くらい実習の教鞭をとっていた、男子生徒から「先生子供いるの?」「いるぞ!」「女の子いるの?」「いるぞ・・○○高校の一年だ!!」

「先生美人なの??!!」「おお…すごい美人だぞ・・吉永小百合も負けるな!!」・・と言ったそうだ。

そのクラスに同級生の兄がいて「お前、調べてこい!」と言われ、私がその子供と知ったとたん・・指さして大笑いされた。

 

後でその逸話をその弟から聞いて・・・「また・・だよ!!」と憤慨しながらも父のすごい愛情を感じ「もうやめてね!私の話生徒にしないで!!」って言ったらこの父は「なんでだよ!父さんから見たらお前のほうが吉永小百合よりきれいだと思ったから本当の事を言ったんだ!!」ともかくユーモアたっぷりの人。

もう呆れた私は・・・黙るしかない。

親ばか・・・!!でもここが父のすごいところ。

 

高校・専攻科の生徒といつも仕事で向き合い・・・彼らの扱いが上手く、プロであるはずの先生方からいつも相談を受けていたそうだ。

 

「不良番長は人を仕切るのが上手いから‥いずれ社長になれる。頭のいい子は社会の中で安定を望むので可もなく不可もなく。面白いのは先生には向かう生徒の反骨心とエネルギー」

 

そのエネルギーをいい場所に誘導するのが教師の役目・・生徒が先生の先生ですよ!」父の話。

 

 ある時、船の中で生徒の喫煙を父が見つけた。今では大事になるが父は「そうだよな‥ずーっと遠洋の実習してたらタバコも吸いたくなるよな・・・他の先生に見つかったら丸刈りだから気を付けろ火事にだけするな・・・」と言って毎度生徒を見逃していたという。

 

でも帰港すると丸刈り生徒が何人かいて・・・父兄仲間先生の間で一目瞭然でそれが分かり生徒はすごい辱めを受ける。

 父は何度も立ち上がりそういうことはしてはならないと学校に訴え続けた。

 

街を歩いていると元生徒に良く呼びかけられる。それは決まって・・・規則を破った生徒たちである。

 父は思春期になった私の娘の子育てに「純粋培養はやめなさい!!」潰しがきかないからな。

 

書ききれないほどの・・・反骨の教育者だった。

 

世界地図や世界海洋地図や世界政治や国際感覚を小さい時から教えてくれた。

私の20年後の姿を予測するように。

家の設計をするのが趣味だった。ポジティブしかない人だった。

結婚して3年目「おい!家建てろ!」

商売して13年目。「2世帯建てたいから・・お金半分だせ!」断っても断ってもしつこく建てた2軒の家。

私と夫の決断は全く無視。

 

あたしは娘に口が裂けてもこんなことしませんよ!!・・これはただ…父がやりたかっただけのこと。

私の大変さなんか、微塵も考えていない。こどものような親だった。でも憎めない。試練を平気で与える父だった。まあ感謝しかない。

 

 今日は神棚に父の好きな羊羹買って行こう!!

 

 

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