題「新聞」 新聞で折ったカブトに父が見え 光子
小樽川柳社「こなゆき」で入選していた、親友の句です。
一年ほど前に川柳に手を染めて、こつこつ句を作っています。
それが、初心者にしては何句も入選しているので、たいしたもんだね。
91歳で亡くなった父親を思い出して作っていたんだね。
一人っ子だったから・・・泣きながら創ったんではないべか(北海道弁)
「こなゆき」の羅針盤というページに石井有人氏の随筆が目に止まりました。
抜粋・・。
人間関係を和やかにするのに、「の」の字が大切な役割を果たしている。例えば「ああ今日は疲れた」と言った時に、知らん顔してその言葉を聞き流さないで、できれば「ああそう、疲れたの」と相手の気持ちを受け入れ、理解しているよというサインを送ってあげたら喜ばれると思う。
私達はとかく自分本位になりがちで、共感する前に自己主張しがちである。
従って「慰めてくれなくてもいい。ただ傍にいて下さい」と相手に言わせるようなやさしさを示すことがたいせつである。そしてさらに「悲しいの」「苦しいの」などの言葉を添えてあげたら、結果として相手も自分も救われるに違いない。
・・・ 親友も私も、「疲れた」という言葉がタブーのスポーツ界と仕事界にいたせいなのか・・「疲れた・・」と人から聞くのが異常に不得手であります。
「疲れた」と聞くと・・ほとんど自然に「無視」かも知れない。
「疲れた・・疲れた・・」という人にまともな人がいない。という観念が強い。
けれども、今は二人ともたそがれ時のオンナガッチャマン。
たそがれ時のスローライフに合わせて、のの字を書いて、ののののと練習しなければならない「の」そうな「の」大変な「の」ののののの。
石井先生は高校時代に、白衣を着て外人のような風貌でしたが・・今、先生の文筆に出会うなんて・・とっても、うれしい「の」高校時代にワープするようでたまんない「の」。
今一番ほっとしているのは、当時は三無主義で先生と、生徒は大人の関係を保った
校風だったし。
教師がいつもデモに出ていたり、生徒会との対立。先生同士も保守革新で対立していたと言います。
したがって、石井先生にはご迷惑はかけていなかった生徒でしたので、ラッキーだった「の」。
7月北海道川柳大会よろしくお願いします!
きょうやっと、投句しました。締め切りぎりぎりだった「の」ののののの。
エッセンスの村へ。
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