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寓風記聞

令和世間話 自然災害 ミサイル 【記事不許複製】

復興担当相人事は党派を超えて

2011-04-18 18:23:49 | 津波
かねてより復興相には増田寛也氏がふさわしいと述べてきた。
小沢氏と袂を分かった増田氏を復興相に据える決断を政府首脳に期待したい。
これ以上の適材適所があるだろうか。
また、現役の政治家でないところが良い。
仙谷氏、亀井氏の声もあるようだが、はっきり言って、生臭すぎていただけない。

岩手県田野畑村のわさお

2011-04-16 10:07:34 | 津波
4年数ヶ月前の田野畑村役場前。
老犬は声を掛けると、後ずさりするものの、困惑したような表情で、いつまでも私たちを見比べていた。
遠い道のりを歩いてきたのだろうか。
役場の人が保護したらしい。
心優しい田野畑村の人たちはどうしているだろう。

「小○」=「困る」-岩手「三閉伊一揆」-我慢は身の毒

2011-04-09 23:17:01 | 津波
岩手の避難所を見てきた。
宮城、福島の避難所はTVで知る限りだが、どうも避難所の県間格差もあるのではと思ってしまう。
何しろ、岩手県沿岸部は内陸部からの交通のアクセスが良くない。

被災地外への避難者も少ない印象をうけた。
それぞれ思いはあるはずだが、健康を害す前に、被災地外で一時的に鋭気を養うことを勧めたい。

ガソリンの供給は改善した。若干、高値だが…。
停電に備えて、給油方法はじめもろもろの対策はアナログ、ディジタルの両方を確保しておくべきだろう。

発災後1ヶ月。被災者の健康や我慢も限界なはずだ。

今回の岩手県の被災地は旧上下北東閉伊郡(南部領)と旧気仙郡(伊達領)にあたる。
ふと、岩手はわが国最大の百姓一揆「三閉伊一揆」の地であることを思い出す。
そのときのように、もっと声を上げてもよいのではないか。
「小○」のむしろ旗を揚げてでも。 (「小○」は「こまる」)

東北人は決して我慢強くないと思う。
感情の表出が苦手なだけだ。
その証拠に、北東北3県は全国自殺率ワースト3である。
我慢しているように見えるが、忍耐の限界が来ると、開き直れず、脆いところがある。

今、自殺の危険や、健康被害が確実に増加しているらしい。
生活不安が大きい。住居と雇用の問題解決を急がねばならない。

被害が大きすぎて、地元自治体の機能が発揮できないことが大きいが、被災地行政は地元対策で内向き一辺倒にならず、外にも目を向け、客観的になることが必要な時期ではないか。

復興相には増田寛也氏を

2011-04-05 07:03:42 | 津波
復興相には増田寛也氏がふさわしい。

建設官僚から岩手県知事、総務大臣を歴任、この巨大複合災害からの復興に定見を持っていることは、周知のとおりだ。

さまざまな角度から実際的な対策の一つ一つがこの人の口から語られるたび、この人にふさわしい地位と権限が、一刻も早く与えられることを祈る。


増田氏を復興相に指名することこそが菅総理に求められるリーダーシップだ。

釜石ではガソリン購入はいまだ一日がかり

2011-03-28 01:14:04 | 津波
釜石に行ってきた。

支援申し込みに回答なく、仕方がないので、極めて個人的な届け物だけに。

釜石仮市役所で、某県からの支援のりんごを一生懸命さばこうとスタッフが声をあげている。

夕方5時頃、ガソリン購入に長い車の行列が…。
ところがこれが全て無人の車。

販売予定は翌日午前11時らしい。


余震が頻繁である。
ドン、ユラユラユラと長くて気持ちが悪い、おかげで不眠気味。
健康維持のためには、やはり一旦被災地外への避難が妥当だと再確認した。

溜め息が出そうな位、被害が大きい。
雪がちらつく中、探し物をする人、一生懸命、洗い物をする人…。

水を差すわけではないが、復興は防災都市計画をしっかりしてから着手した方がよいと思った。

再び被害に遭ったら、折角の復興が水の泡である。

戦場にいるような錯覚に陥った。

武士は食わねど、高楊枝―被災公務員に飯は届かず

2011-03-27 09:33:43 | 津波
被災地の行政機能がマヒしている状況は伝えられているとおりである。

地元自治体公務員も亡くなったり、家や家族を失ったりしている。

こうした中、比較的大きな避難所には救援物資が届いているが、同じ被災者である地方自治体の公務員に食事も届かないことになっているらしい。

避難所や在宅の住民は支援の対象であるが、県市町村職員は物資の支援の対象にならないらしく、公務員が私的に支援物資を貰うわけにゆかないという縛りから抜けられないのだろう。

どのくらいの被災者が被災公務員が自分たちと同じような境遇であることに理解を示すだろうか。
日本国憲法第15条「…全て公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない…」
この条文は、上から目線の公務員観である。

避難所に住んでいる市町村職員は昼の配給も受けられないし、夜は残業で同様である。

何だかんだ言っても、公務員は収入が保障されている。
職場を失った被災者とは一緒にできない。だからこそ、彼らのためにも、腹一杯食べて、精勤しなければならない。

国や県は、粉骨砕身している被災市町村職員にも、食料や支援物資が届くようにすべきである。

大船渡碁石海岸-海の男に出会った

2011-03-24 10:01:00 | 津波
こんなこともあった。

皆の嬌声が楽しいらしい。
さっきまで、船着場で退屈そうに煙草をくわえていた70代の男性が、いったん櫂を握ると、余裕の微笑を浮かべながら、「さっぱ舟」を軽々と繰る。

寄せる波をものともせず、何の苦もなく、穴くぐりをしてのける。岩壁とはほんの数十センチ。思わず身が竦む!

「キャーッ!」と声が上がると、ニヤリ。
楽しい三陸の海のひととき。

得意満面。どうだ!と言わんばかりだ。

輝く海の男の姿がそこにあった。
若い頃は、大漁旗をなびかせながら勇壮に凱旋したことだろう。

…どうしているだろう。


派遣の準備をするために、今日は半日休暇をとった。
いつになったら派遣の順番が廻ってくるのだろうか。

三陸を一度も訪れたことがない遠い四国や大阪の善意の人が支援に派遣されているのを横目に見ながら、自分は今日も待っている。

支援熱が冷めた頃こそ、自分の出番なのだ、と言い聞かせながら。

心配な被災地三陸のドカ雪

2011-03-21 19:35:48 | 津波
今夜から東北地方はまた冷え込むとのこと。

この時期心配なのは雪である。

三陸に春が訪れる前には、必ずドカ雪が降る。
ドカ雪のときはあまり冷え込まないような感じだが、それでも暖房なしでしのげない。
それは湿って重たい雪で、電線に着雪するので、停電の原因になる。せっかく電気が通ったところでも、また停電する可能性があるのだ。

高齢者世帯、避難所や入院中の被災者が心配である。
報道だけでなく、現に、避難所で具合を悪くして搬送されたり、亡くなったりする人が、徐々に増えているそうだ。
被災後2週間も満足な食事、水分、睡眠、暖房、治療を受けられなければ当たり前だ。

現在は、医療チームも沢山の避難所周りができず、手が回らない状態であるらしい。

押しかけても、結局、寝るところやら、被災地側に気を遣わせることは確かで、短期間の応援で自己満足に終わるのもどうかとは思う。

求められているのは継続性のある確実な支援だが、それぞれ職場を持っているわけなので、長期の支援は難しいだろう。

都会からのボランティアへの注意:三陸の地勢

2011-03-21 06:53:43 | 津波
雪のない時期の国道106号線


土地勘のない人のボランティア活動は甚だ危険である。
様々な報道を見ていると、阪神淡路や中越沖と同様に扱っているように見える。
在宅被災者には支援や情報が届かない、どうにかならないのか、というのは都会人の感覚だ。

決定的に地勢が異なる。

岩手三陸は、海辺の狭い平地に町が開け、広い山間地域に限界集落が点在している。

リアス式地形のため、狭隘な谷筋を川に沿ってうねうねと1本の道路が走り、谷の両側から急峻な山が迫る。

内陸から1時間車を走らせて、峠越えの前に、コンビニやガソリンスタンドが1箇所あるかないか。
「この先コンビニなし」などの広告がある、ここで買わなきゃ難儀しますよ、という意味だが、当然この時期は閉店している。

内陸部から沿岸地方への道中は難視聴地域が大半で、ラジオは道中の半分位は聞こえない。「緊急地震速報」など期待できない。

地震がなくても、時折、小さな落石が、大きな音を立てて、ボンネットやフロントガラスを直撃する。今は余震が頻発しており、フロントガラスを割られることがないよう、プロテクトしておくべきだろう。

カーナビと道路標識が生きていれば沿岸まであと何キロか判るが、そうでなければ目安はウミネコだ。
川の上をウミネコが飛んでいれば、あと二十キロから十数キロで沿岸だ。
内陸部から2時間ほどでやっと目の前がひらける。沿岸に到達したのだ。

こういう土地柄で、支援の手を隅々まで行き渡らせるのはほとんど困難で、誰の責任でもない。

ガス欠などもってのほかだし、普通タイヤでスリップ事故を起こしても、助けは来ない。救急車は期待すべきでない。

この時期冬タイヤでないと、雪のないところでも、道路は凍結はしている。

季節もよくないし、混乱しているし、土地勘のない個人や数人のボランティアが支援に入る適当な時期といえない。

(写真は岩手県盛岡市から宮古にいたる国道106号線 撮影時期は春)

早期の集団移転を

2011-03-19 14:50:31 | 津波
今回の震災の様相は限りなく1896年明治三陸地震津波に近づいている。
尤も、今回は115年前には想定できなかった原子力災害という大きな問題も発生しているが。

残念ながら、時代は変わっても、そこに人が居住している限り、10mの防潮堤を築こうとも、大津波の被害は完全には避けられない。
津波の最高の高さは、公式記録では大船渡の綾里で38mだった、と記憶している。
50mという説もある。

当時、通信施設が壊滅、岩手県庁が大津波の発生を知ったのは翌朝、隣の青森県庁からの打電があったのだという。

今回、津波発生は直ちに判明したものの、やはり1ヶ月位経過しないと被害の全容はあきらかにならないだろう。明治時代とあまり差がない。

明治29年三陸大津波では岩手県三陸沿岸住民の、実に二割近い1万8千人が犠牲になっており、災害後の住民の移動も激しかったらしい。

さまざまな風評が立った。中防災の報告書によれば、出稼ぎ人夫が宮古、花輪、千徳(花輪、千徳は海辺ではない。閉伊川が津波の溯上で溢れたのであろう―筆者注)津軽石、豊間根で片付けに従事、人夫の食事は郡役所が支給することになっていたが、それもままならず、誰も不服をとなえなかった。(このあたり、現在の沿岸医療従事者に酷似。)ところが、豊間根の人夫は物を盗るという風評が立ち、人夫たちは怒って一時帰村してしまったという。
(医療従事者個人の善意に頼り切っていては、やがて医療従事者も疲れ果ててしまう。)
福島原発事故での双葉病院職員不在の件は気の毒な気もしないでない。

明治と決定的に異なる点は高齢者の人口が多いことで、お年寄り自身も苦しいし、支える人もまた大変である。
早い時期に一旦集団移転して、移転先の地域の協力のもと、再起を図ってはどうだろう。
地元に残って復興に携わる住民の負担軽減にも繋がり、復興の速度を速める結果になるだろう。

(写真は箱根山から望む広田湾 陸前高田市 注:地元のお年寄りは「お箱根さん」というらしい。)

陸前高田の電柱ふたたび

2011-03-14 22:17:12 | 津波
この電柱には「昭和35年チリ地震津波」の記憶を記した標識が巻きつけられている。
「4.0m」と。
町の至る所の電柱にこの標識が見られる。いや、あったのだ。
その場所その場所での津波の高さを記録して。
日本百景の一つ「高田松原」は美しい松林だったが、散歩したのは2回位。
高い防潮堤の門をくぐって松原に入ってゆくと、人々は、澄み切った三陸の朝の空気を吸いながらジョギングを楽しんでいた。

箱根山の展望台から広田湾、高田松原を見下ろすのが好きだった。

ここは旧伊達領。
今泉には時代を感じさせる古い町並み。その入り口には「吉田家文書」で有名な大肝入吉田家の屋敷。
うなぎの「天亀」「今泉天満宮」「姉歯橋」「千葉周作」
お気に入りの居酒屋「俺っち」はどうなったのか。
築地でもブランドだった広田湾のかき、ホヤや秋刀魚、とにかく新鮮で美味かった。

もう二度と味わえないのだろうか。
みんな、無事だろうか。



津波てんでんこ

2011-03-14 07:15:28 | 津波
三陸地方には「津波てんでんこ」という言葉がある。

津波から逃れるためには、知人肉親の安否構わず、たとえ薄情と罵られようが、自分ひとり、逃げて逃げて逃げ延びろ!振り向くな!走れ、高みへ!

津波から自らの命を守ることは、それだけ難しい、厳しいのだ、と。父祖から伝えられてきた教訓である。

お前一人でもいい。生き延びて、命のきずなを絶やすな。
極めて根源的な命の叫び。
津波の地、三陸に伝わる教訓である。

数千年間、いや数万年間も子孫へ伝えられた津波の伝承、高地移転も繰り返されてきたが、それでも悲劇は繰り返す。悲しい人間の性、自然の前には無力な人間。
超人的存在を感じずには居られない。
このことを「神の仕業」、あるいは「試練」というのであろうか。

岩手県は2010年自殺率(人口動態統計)はおそらく全国第1位。

未曾有の大災害。
絶望の中、自殺が増えるのだろうか。
否、むしろ減少するかも知れないと一人勝手な推測をする。

人は、命を脅かされると、必死で生きようとする。

合掌

2月28日津波-気象庁「潮位観測情報」に感謝した

2010-03-15 22:49:09 | 津波
 チリ地震津波の大津波・津波警報は妥当な線だと思ったのだが、案の定、世間では、「過大だ!」と非難轟々だったらしい。

 三陸沿岸のリアス式地形では津波が増高することは、住民なら肌で判っていることだろう。予想通り、養殖イカダは大損害だ。

 かつて津波警報こそ出なかったが、遠地地震の翌日、「10cm程度の潮位変化のみ。」と発表されたことがある。港には木っ端切れが流れ着き、妙な生臭さが漂っていた。太平洋はひとつなのである。

 2月28日、TV報道を横目に見ながら、ネットで気象庁の「潮位観測情報」を見ていた。こちらは5分毎のリアルタイム観測情報だ。

 岩手県久慈の潮位変動のグラフ上に、引き波とおぼしき変化が現れ、素人である自分ですら、「次は押し波か。」と緊張した。

 気象庁サイト「ご意見」にお礼メールを出した。

三陸大津波―想像「ノアの洪水」は津波?

2006-08-20 09:52:30 | 津波

 さて、津波の話であるが、吉村昭著の文春文庫「三陸海岸大津波」は興味深い話が満載であった。是非、一読されたい。「陸前高田に雨が降る。」で語ったが、地元の人によると、海底の砂など根こそぎ巻き上げて来るためか、チリ津波のそれは真っ黒であったという。大変なエネルギーだ。波乗りなどできる波ではない。どこに避難するか、という話になると市民は壁に貼った防災地図を示しながら教えてくれる。しかし、正直言って、走るくらいでは間に合いそうもない。
 コシアブラやミズなどの山菜に箸を伸ばしながら、話し込んでいると、ふと、「ノアの洪水」が脳裏をよぎった。ギルガメシュ神話などに語られた洪水の話。あれは洪水というより、もしやして津波ではなかったのか…。

古街道に佇む三陸の名店-今泉街道「天亀」

2006-05-23 14:55:01 | 津波
陸前高田市の高田松原に注ぐ気仙川を渡ると、そこが今泉地区である。
今泉は一関に至る古い街道の宿場町として栄えたという。

姉歯橋の向こう側に足を踏み入れると、町並みは明治大正の面影を湛え、タイムスリップでもしたような錯覚にとらわれる。

道の両側には白壁が剥がれ落ち土壁がむき出しになったままの軒の低い家や、透かし彫りのある門構えの富裕な商家などが静かに佇んでいる。

そして、うなぎの「天亀」にたどり着いた。
明治10年頃であったか改築の記録があるというが、それ以前の時代の部分があるかははっきりしないらしい。
よく掃き清められ、にび色がかった石に履物を脱いでから、階段を軋ませながら二階に上がる。

階段の途中に昭和8年の三陸大津波の写真が架かっている。姉歯橋はよく流されなかったものだ。こちら強度偽装はなかったらしい。

座敷が二つ、縁側と欄干とガラス戸が懐かしい。

窓の外は、気仙川が河口に向かって滔々と流れ、遠目でよく分からないが、キンクロハジロらしいカモが潜ってはプカリと浮かぶのを繰り返している。
魚でも獲っているのだろう、しかし、なんと潜水時間の長いことよ。

室内に目を戻すと、床の間には一関の藩医大槻盤渓(蘭医大槻玄沢の息子)の漢詩、頭上には山岡鉄斎の額などが架かっている。

街道側の窓からは杉の大木が神々しい今泉天満宮、宿場町の途切れる辺りに、剣豪千葉周作の生誕地を示す石碑がある。

当日はあまり客が居なかったとのこと、予約なしでものんびりと、うな重と当地で獲れるシラウオの踊り食いを堪能できたのであった。

冬場は来店する人が少なかったという。
ここから見る雪景色は絶品であるに違いない。

夏は高田松原の花火大会が美しいに違いない。