以下、平成19年10月6日のiZaより引用。
古賀氏、A級戦犯分祀の必要性改めて強調
19:40
日本遺族会の古賀誠会長(自民党選対委員長)は6日、津市で開かれた三重県遺族会の会合で講演し、靖国神社について「国民すべてが、天皇陛下を含め、英霊の御霊にお参りできる施設として残すべきだ」と述べ、「A級戦犯」分祀(ぶんし)の必要性を改めて指摘した。古賀氏は「首相の公式参拝を言うだけで事足りるのか疑問だ」との考えを表明。日本遺族会が今年5月から「A級戦犯」分祀の是非を検討する勉強会を開始したことに触れ、「国民すべてがわだかまわりのない施設として(靖国神社を)残したい」と述べた。
昭和天皇が靖國神社に御親拝されなくなったのは、合祀された所謂「A級戦犯」のなかに同神社に祀られるにふさわしくないと陛下がお考えになる人物が含まれていたからだろう。“「A級戦犯」が合祀されたから”ではない。陛下が所謂「A級戦犯」「極東国際軍事裁判」の正当性をお認めになっていたはずがないからだ。
所謂「A級戦犯」など、戦勝国が勝手に貼り付けたラベルに過ぎずそれ以上の意味は無い。仮に何らかの意味があったとしても、サンフランシスコ講和条約が発効した時点でそれ以前の軍事的・法的戦争状態は完全に終結したのだから、戦勝国が押し付けた「A級戦犯」のラベルも同時に消滅している。
講和条約を結ぶ、というのはそういうことなのだ。
“サ講和条約11条で日本は(極東国際軍事)「裁判を受諾」したのだから、同裁判の正当性やそれにおける事実認定や「A級戦犯」認定を日本は認めたのだ、そして、それは今でも有効なのだ”と思っている人がいるようだが、これは全くの間違いである。
日本が受諾したのは同裁判において下された“死刑”とか”懲役○年”とかいった「判決」のみである。同条約日本語文において「裁判を受諾」とあるのは明らかに誤訳である。日本語以外の英語・仏語・スペイン語ではすべて「諸判決」となっているからだ。“下された諸判決は受け入れる”という意味でしかなく、 裁判の正当性や事実認定までも受け入れるかどうかは関係がない。
一歩譲って「裁判を受諾」が正しいと仮定しても、実際に「受諾」したのは結局「諸判決」のみであると考えるしかない。
そもそも「裁判」と名のつくものにおいて、被告や原告が「受諾」することを要求されるのは、“死刑”とか“懲役10年”とか“罰金5万円”とかいった「判決」だけである。その他の事実認定などは含まれない。
例え話をしよう。仮に貴方が知人から全く身に覚えの無い虚偽の訴えを起こされ、最高裁で「損害賠償10万円を支払え」という判決が確定したとする。貴方にとっては納得できない裁判だが、貴方はそれを「受諾」するしかない。では、貴方が「受諾」を強制されるものとは具体的には何か?「損害賠償10万円を支払え」のみである。裁判所の事実認定を受け入れることは強制されない。事実認定に不満がある場合は受け入れなくてよいということではなく、それを受け入れるか受け入れないかは第三者が強制できない貴方の内面の問題だから、「裁判」という物は初めからそんなことを要求していないということだ。(だから、よくある「謝罪広告を出せ」という判決は本当はおかしいのだ。強制できない個人の内面に裁判の判決が踏み込もうとするものだからだ。)
仮に日本が所謂「極東国際軍事裁判」を正当な「裁判」と認め、その「裁判を受諾」したのだとしても、それは結局、下された判決は受け入れるということであって、事実認定や「A級戦犯」云々は関係ない。
くどいが、所謂「A級戦犯」は(仮にそのラベル付けが正当だったとしても)サ講和条約発効時点で日本から消滅している。
未だに「A級戦犯」がどうのこうのと言っている人間は、「講和条約」や「裁判」といったものがどういうモノなのかについて全然理解していない。
一般人ならしょうがないが、古賀氏のような政治家と呼ばれる立場の人物がそんな有様では、ガッカリと言うしかない。