メガリス

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龍馬いろは丸詐欺事件のいろは丸はポルトガルから

2010年04月27日 00時59分01秒 | 幕末維新

 坂本龍馬が実際には無かった武器弾薬や金塊を積んでいたと大ウソをつき、紀州藩から賠償金として3万両前後(1両が現代の5万円くらいという或る研究者の見解に従って計算すると15億円前後)を騙し取った「龍馬いろは丸詐欺事件」の「いろは丸」。これまではオランダから購入されたというのが通説だったが、実はポルトガルから入手していたことが判明したらしい。 

>龍馬が巧みな交渉で、紀州藩から多額の賠償金を勝ち取った“日本初の海難審判”として知られる。 

 ウソをつき通して多額の金を詐取したのだから確かに「巧みな交渉」だったわけだ。
 坂本龍馬は立派な詐欺師である。
 NHK大河ドラマ『龍馬伝』では〝紀州藩との話し合いの場で
岩崎弥太郎が8万数千両という虚偽の損害額を提示し龍馬がそれに驚くが何も言わない〟という描写だったが、これはフィクション。土佐海援隊側の損害についてウソを言ったのは間違いなく龍馬本人である。

以下、YOMIURI ONLINEより引用。 

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/news/20100423-OYT8T01364.htm 

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 「いろは丸」購入先  実はポルトガル人

契約書に長崎領事の名

  大洲藩から坂本龍馬らが借りて航海していて沈んだ幕末の蒸気船「いろは丸」が、これまで通説とされていたオランダ人から購入したものではなく、長崎のポ ルトガル領事から購入していたことが、大洲市が進めていた購入契約書の翻訳でわかった。船は、契約の翌年、広島県福山市沖で沈んだため、資料はあまり残っ ておらず、翻訳にあたった専門家は「非常に重要な史実」と評価している。

  イギリスで造られた「いろは丸」は、大洲藩が購入して土佐藩に貸し出し、1867年、龍馬が率いる海援隊の操船で長崎から大阪へ向かう途中、紀州藩の「明光丸」と衝突して沈没。龍馬が巧みな交渉で、紀州藩から多額の賠償金を勝ち取った“日本初の海難審判”として知られる。

  購入契約書は昨年12月、東京都内の個人宅で見つかり、大洲市が市役所近くの大洲歴史探訪館で、複写を公開していた。包み紙に当時の大洲藩主らの名があるが、中身はポルトガル語で書かれていたため、同市は東大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教(近世初期対外関係史)に翻訳を依頼していた。 

  翻訳結果は、いろは丸が沈んだ日にあたる23日、岡助教や同市の清水裕市長らが同市で記者会見して発表。1866年9月22日に在長崎ポルトガル領事館事務局で契約が交わされ、売り主は在長崎ポルトガル領事のジョゼ・ダ・シルヴァ・ロウレイロ、買い主は大洲公代理人の国島六左衛門で、代金は4万メキシコ・ ドル(約1万両)などと記されていた。

 これまで、いろは丸は、大洲藩がオランダ人から購入したとされるなど、購入の経緯がはっきりしておらず、岡助教は「当時、各藩の外国船購入は長崎奉行の許可を得て行わなければならなかったはずで、虚偽の届け出が行われた可能性もあるのでは」と推測している。

  清水市長は「これを機に様々な歴史的な解明が進み、新たな事実が出てくると期待する」と話し、会見に同席した、街おこしに取り組む第3セクター「おおず街なか再生館」の河野達郎専務は「大洲藩が幕末の歴史に名を残すような活躍をしていたことが伺える」と満足そうに話していた。

 大洲歴史探訪館は午前9時半~午後4時で無休。契約書(複写)の閲覧は、解説付きで300円。問い合わせは街なか再生館(0893・24・7060)。

(2010年4月24日  読売新聞)

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