メガリス

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”計略は普段はするものではない。だが戦は別だ。”

2008年07月13日 02時27分00秒 | 幕末維新

 ”はかりごと(かけひき)はかねては用いない方がよい。はかりごとをもってやったことはその結果を見ればよくないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。ただ戦争の場合だけは、はかりごとがなければいけない。しかし、かねてはかりごとをやっていると、いざ戦いということになった時、うまいはかりごとは決してできるものではない。(後略)”
 
 西郷隆盛の言葉(現代語訳)だ。彼の事跡をそのまま表している。
 戦(倒幕運動・戊辰戦争)においては冷徹な謀略家・軍人であり、平時は「敬天愛人」の人であった。
 計略を弄する単なる戦争屋とする見方も、その行動に一点の曇りもない道徳家とする見方も、両方誤りである。

 上の言葉(現代語訳)は『西郷南洲先生遺訓 口語訳付』(西郷南洲百年記念顕彰会刊)より引用させていただいた。
 原文は次の通り。
”策略(さりゃく)は平日致さぬものぞ。作略を以ってやりたる事は、其迹(あと)を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る也。唯戦に臨みて作略無くばあるべからず。併し平日作略を用ふれば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。孔明は平日作略を致さぬゆゑあの通り奇計を行われたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向ひ、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、 跡は聊(いささ)か濁るまじ、夫れ丈けは見れと申せしとぞ。”


西郷隆盛を悪者にしたがる怪しい連中

2008年07月12日 03時34分00秒 | 幕末維新

 最近、歴史に題材を得たテレビ番組で幕末・維新の時代が扱われる場合に、必ずと言っていいほど登場する一つの決まった形がある。
 坂本龍馬を日本全体の将来を見据えた先見の明のある英雄とまつり上げる一方で、西郷隆盛を徳川家打倒のみを目指す単なる策略家・戦争屋と貶める描写だ。
 先日平成20年7月9日に放送された日本テレビ系の『日本史サスペンス劇場 篤姫の真実SP』でもそうだった。
 坂本龍馬の建議で生まれた大政奉還後の徳川氏を中心とする体制を、徳川の替わりに薩摩藩が権力を握る為だけの目的でひっくり返すことを西郷隆盛が画策し戦争になるよう仕向けた、という描き方だった。
 西郷が戦時においては冷酷とも言える謀略家・軍人であったのは事実で、そういう見方も完全に間違いとは言えないのだが、しかし、坂本龍馬は日本全体のことを考えて行動しており、一方、西郷は薩摩藩のことしか眼中になく謀略・戦争の他に関心が無かったかのような決め付けはデタラメである。むしろその逆だ。
 以前、或るテレビ番組のなかでタレントの島田紳助氏が坂本龍馬のことを「商売人ですよね」と評した。(念の為に言っておくが褒めているのではない。)それに対し近くに居た幕末・維新期のことに知識がある出演者1・2名が同意していた。彼らの評価はほぼ正しい。歴史的実在の坂本龍馬は、主に司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』によって作りあげられた偶像:坂本龍馬とは大きく違っている。(坂本の名前は”龍馬”であって”竜馬”ではない。「竜馬」は実在の「龍馬」とは違うことを司馬は自覚し読者に暗示している。)私の言うことが嘘だと思う方は彼に関するちゃんとした文献をお読みになったらよい。

 何故こんなおかしな風潮が出来てしまったのか。
 私は、意図的に西郷隆盛を貶めようとする或る連中がテレビ業界で暗躍しているのだろうと思っている。だが、これといって明確な証拠があるわけではない。頑なにそう思い込んでいるだけだ。