坂本龍馬は「敗者」。西暦2009年2月12日付けで朝日新聞出版から発売された『週刊名将の決断 №01 織田信長 坂本龍馬』では、そういうことにされている。
この雑誌の坂本龍馬に関する記述は、司馬遼太郎の空想歴史小説『竜馬がゆく』其の他によって世間に広まった、史実とは大きく異なる坂本龍馬像をほぼそのまま踏襲している。曰く「坂本龍馬が大政奉還を思いついた」「西郷隆盛に”役人は嫌だ。世界の海援隊をやりたい”と語った」などなど。これらは架空のウソ話「龍馬伝説」に過ぎない。
この雑誌に登場するのは実在の坂本龍馬ではなく、彼に下駄を履かせたうえ思い切り持ち上げた「架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬」である。
それなのに何で「敗者」扱いなのだろうか、と疑問に思いながら読み進めて行って、最後に突き当たった作家童門冬二氏の文章に、一応、理由らしきものが書いてあった。
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が、この「政権返上(大政奉還)」を最終目標としたことが、坂本龍馬の個人としての”敗者の決断”になってしまった。討幕側では武力行使を前提とする「王政復古」を準備し、さらに、「政体変革後の主導権をどこが握るか」の争いに突入していたからだ。組閣案まで話題になっている。そんな時に、
「どんなポスト(閣僚)を望むか」
ときかれて、
「役人は苦手だ。世界の海援隊をやりたい」
と答える坂本は、あきらかに新政体から抜け出ている。組織人たりえないという自己の限界を示すと同時に、あくまでも自由人でありたい、という個人の論理に執着している。龍馬暗殺の真犯人は誰だ?といまだに騒がれるゆえんなのだ。つまりあの時の龍馬は幕府側からも討幕側からも狙われていた。
その意味ではかれの決断は、
「所詮組織の論理には抗し得ず、必ず潰される個人の論理の敗北」
を自ら承知したうえでのものであった。
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龍馬「世界の海援隊伝説」は作り話だ。
そもそも新政府案いわゆる『新官制擬定書』は坂本が作ったものではない。作ったのは当時坂本の近辺に居た戸田雅楽〔とだ うた。後の尾崎三良(おざき さぶろう)〕という人物だ。西郷に見せたのも戸田だ。龍馬ではない。 そして、その「擬定書」には”参議”として坂本の名がちゃんと挙がっている。無論、坂本は承知している。彼は新政府に参加するつもりでいたのだ。
明治時代に龍馬の伝記『汗血千里駒(かんけつせんりのこま)』を刊行し彼を自由民権運動の先駆者に無理やり位置づけた坂崎紫蘭(さかざき しらん)という人物が『維新土佐勤王史』を執筆した際に、”龍馬の名前が後の明治政府高官たちと一緒に掲載されるのはマズイ”という判断から龍馬の名前を除外したのが間違いの大元だ。「世界の海援隊」云々も後から付加されたウソである。彼は新政府に参加するつもりだったのだ。
童門氏は一定の知識のある歴史ファンなら引っ掛からない架空のウソ話「龍馬伝説」をもとに、龍馬を「組織人たりえない」「自由人」だとして「個人の論理の敗北」を喫したと断定し「敗者」認定したらしい。
龍馬が「勝者」か「敗者」か自体はどうでもいい話だが、こんないい加減な内容ではマズイだろう。
この『週刊名将の決断』のような分冊シリーズは創刊号販売部数が命の「右肩下がり商売」だ。創刊号が歴史ファンがソッポを向くような粗雑な内容でどうするのだろうか。童門氏はこの『週刊名将の決断』全体の監修を務めるらしい。このシリーズの行方、推して知るべしである。(童門氏と同じように、坂本を組織に馴染まない「自由人」だと言う人が時々いるようだが、仮に坂本が新政府入りを望んでいた事実を知らなくても、そういう見方がおかしいことは少し考えれば判ることだ。坂本が言わば”社長を”務めていた「土佐海援隊」は立派な「組織」ではないか。土佐の後藤象二郎と共に自分で組織を作りその長に収まっている人間がどうして組織の枠に囚われない「自由人」なんだ。馬鹿馬鹿しい。)
〝架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬〟は「勝者」ということで良いだろう。「薩長同盟」を発案し仲介して成立させ、また大政奉還を発明し奔走して実現させるという超人的大活躍をしたのだから(失笑)。安全第一・生命至上・反戦平和の朝日新聞にとっては、その事績に関係なく、刺客に襲われ殺害された人間は「敗者」ということなのかもしれないが。
大事なシリーズ創刊号が、歴史ファンからは嗤われるようなお粗末さで、そのうえ龍馬を「敗者」扱いして「架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬」ファンからは総スカンをくらうということでは、営業戦略的に問題だろう。童門氏も朝日新聞出版も一体何を考えているのだろう?