幼なじみのY君と、田んぼの向こうにある、国鉄の線路でよく遊んだ。線路の上を歩いたり、枕木の上を歩いたりして。当時は、列車に行けとか停まれという合図は、腕木式シグナルが使われていて、線路沿いに引っ張ってある、太い針金で駅員が操作していた。
だから、その針金が動くと蒸気機関車が来るということで、針金をゆすって列車を来るのを待った。そうしたら、小学校に入る前のふたり連れの前に、本当に列車が来て、急停車するではないか。乗客が皆こっちを見ていた。
列車が動いて500mくらい先の駅に着いたあと、駅員は我々ふたりをめがけて走って来た。Y君は捕まったが、私は、人の家の庭を通って泣きながら、家まで逃げて帰った。親は相当注意を受けたらしいが、罰金、おとがめ無しの、のどかな昭和27年位のお話。
写真は筑肥線の(今)昔 写真集からお借りした。
はっはっは、私はいい子で通っていましたよ!(笑)
当時の国鉄のローカル鉄道は走る列車の本数も少なかったっだと思います。
小学生くらいになって、みんなでため池のザリガニ釣りに行く時なんか、みんな線路を歩くのが近道で当たり前だったような・・・。ただ鉄橋の枕木の上を歩く時は下に川が流れているのが見えて怖かったですが。
列車を停めたのは幼稚園年齢だからいたずらしている感覚も何もないわけで「どうして列車が停まったんだろう?」と不思議に思いました。
きっと接近していて危険だったのかも知れませんが線路内に居たわけでもないのです(汗)