小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

幼なじみ

2007年01月05日 | その他

  団塊の世代の私は、幼い頃、近所にもたくさん同い年がいた。

 南どなりは「Y君」、背が低く、目がくりくりっとして、左ききで運動神経が発達していた。北どなりは「K君」、一番頭が良かったかな、ちいさい時は家にとじこもりがちだったような気がする。北の2軒どなりは「H君」、その昔、家に牛やニワトリも飼っていて、柿はよく取らせてもらって食べた。

 あと南に50mくらい行った処に「H.A君」が居た。彼のおじさんが、八百屋を営んでいて、小学校の給食に毎朝納品していたので、何回かそのオート三輪の荷台に乗せてもらって登校したことがある。そして、皆おばあさんが家に居たのが不思議な共通点だ。

 それに、向かい側に、時期がづれて、テレビの月光仮面を見せてくれた「H君」も居たし、弟がいて、家の中でよく暴れているのが聞こえ、実にうらやましく感じた「S君」も住んでいた。

  今思い出したが、H君ちの畑の、南どなりは、バイオリンを弾く「Y子ちゃん」が居て、H君ちの北東50mに、関西なまりの「T君」も居たなあ。
 
  よく遊び、よくけんかもしていたが、彼らが皆、順番に還暦を迎えるわけだ。

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2 コメント

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そう言えば ()
2007-01-11 20:06:34
小学校からの付き合いだが、高校のときかな?中学のときかな?遊びに行ったら、野球をしようということになり、二人じゃキャッチボールだろうと思っていたら、まわりから同期の連中がぞろぞろと集まってきたのにはびっくりした。
「向う三軒両隣」に同じ学年の子がいたことになりますね。それが団塊と呼ばれる所以かな?
あの路地はどうなってるんでしょうね?
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小父さんへ (小父さんから)
2007-01-11 20:45:04
 そうですか?びっくりしましたか。私は物心ついたら周りに、友達がいたのでそれがあたりまえだった。よく思うわけ、友達だったら、好き嫌いとか、気が合うとか選別するわけだが、離れようがなかったので兄弟に近い関係なんだと。

 あの路地が今思うに、ユートピアだったんだな。今は、マンションが2棟ほど建って面影がなくなったな。

 すぐ近くに、地下鉄の駅が出来ていて、1年くらい前、その駅で降りて、地上に出たら、自分がどこに立っているか解らず、しばらく東に行こうか、西に行こうかと考え込んでしまった。ようやく自分のすぐ後ろに昔からあった寿司屋の看板を見つけて、自分の位置が確認できたくらい、「猿の惑星のラストシーン」か「浦島太郎」みたいに思えた。
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