あらすじ
舞台は1994年の南アフリカ共和国。ネルソン・マンデラは反体制活動家として27年ものあいだ投獄されていたが、1990年に釈放されこの年に同国初の黒人大統領となった。マンデラは、初登庁の日に白人官僚たちも含めて「辞めるのは自由だが、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。あなたたちの協力が必要だ」と呼びかけた。そしてボディーガードチームも予想に反して黒人と白人の混成チームとなった。
一方、南アフリカ代表のラグビーチーム「スプリングボクス」は当時低迷期にあり、黒人選手もわずか1人という状況だった。ラグビーはアパルトヘイトの象徴として、多数を占める黒人の国民のあいだでは非常に不人気なスポーツだったが、政府内ではチーム名やユニフォームの変更を求める意見が多数を占めて決まりかけていたところ、マンデラはこのチームが南アフリカの白人と黒人の和解と団結の象徴になると考え、チーム名とユニフォームの存続を求め周囲を説得した。
その後スプリングボクスのメンバーたちは、マンデラの意向で貧困地区の黒人の子どもたちにラグビーの指導に赴く。不満に感じていたメンバー達も、一連の地道な活動により、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まり、自分たちの存在が国内のみならず世界的に注目されていることを知るに至った。
そしてスプリングボクスは、自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。今や新生南アフリカの象徴として見られるようになったスプリングボクスは、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュージーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨む。~ウイキペディア
何度観ても感動的だ。2010年に劇場で観て、2016年にはテレビを拝見してストーリーを知っていると思って臨んだが、この映画が描こうとしているものをまた感じた。なんでもネルソン・マンデラの自伝『自由への長い道』が出版された際、「映画化されるとしたら誰に演じてもらいたいか」との質問にマンデラはモーガン・フリーマンの名前を挙げた。それをきっかけに、フリーマンはマンデラの自宅への訪問を実現し、自伝の映画化権を買い、本作品の制作を決定。
フリーマン自身が本作品の脚本をクリント・イーストウッドに送ると同時に監督を依頼し、後日イーストウッドが「やりたい」と承諾。フリーマンは「クリントを説得したのは私じゃなく、その脚本さ」と話したとか。
ラグビーワールドカップ1995 決勝トーナメント
ロケ風景(左からイーストウッド監督、主演(製作総指揮)フリーマン、キャプテン役・マット・デイモン)
サッカーがどうしても好きになれず、ラグビーは結構好きなのです。
ネルソン・マンデラ氏の自伝は読みました。
ラグビーの話もどこかで覚えていますが・・
アメリカの黒人差別と格差がなくならないのと同じように、アパルトヘイト解消=全ての自由、にはならないのでしょうね。
オーストラリアにはアボリジニの差別が、まだ残っていますし。
ニュージーランドもなた、全くマオリとの壁がない訳では・・らしいですし。
でも、どの国もラグビーが国技みたいになっていますね。
ラグビーは、サッカーよりもチームの結束がより必要な気がします。
サッカーフアンに怒られそうですけど個人プレーがかりが目立つスポーツのような。
なので、ラグビーはやはり白人・黒人の結束が出来たのでしょうね。
ラグビーの日仏戦は見ていないのですが、善戦したようですね。
毎日新聞のタイトルも「速さ重視、戦術変更手応え」と書かれて「山中がトライを決める」と大きな写真が載っています。
ラグビーワールドカップ1995では日本はニュージーランドに対しては17-145と、1試合最多失点の大会記録となる大敗を喫したそうですから現在は強くなったものですね。
ネルソン・マンデラ氏の自伝を読まれましたか。
映画では聖人君子のような大統領を描いていましたが、27年も投獄生活を送っていたら普通の感覚では生きていけなかったと想像します。
詳しいことは知りませんが、アメリカの人種差別は黒人にしろヒスパニックにしろ異常性を感じます。
ことに前大統領の登場によって!
ニュージーランドのマオリにも差別が続いているんですか?
ラグビー・オールブラックスのマオリのハカは世界中でのトレードマークみたいじゃーないですか。
>どの国もラグビーが国技みたいになっていますね。
なるほどそうですね!
米国だけがアメリカンフットボールを作って野球より人気があるんですかね。
>サッカーフアンに怒られそうですけど個人プレーがかりが目立つスポーツのような。
私もJリーグのことは全く知らないんです。
でもミーハーですからワールドカップに出ると、自然とテレビで応援しています(笑)
>なので、ラグビーはやはり白人・黒人の結束が出来たのでしょうね。
なんとなく、この映画を通してそのような雰囲気は感じました。