にゃんこままの部屋

その時々に感じたことを、日記風につづります。

NHKBSで放送された「戦場のメリークリスマス」

2023-12-25 19:29:28 | 映画  テレビ
NHKBSで放送された「戦場のメリークリスマス」を観ました。

最近まで、原作本「影の獄にて」L・ヴァン・デル・ポスト著 を読んでいたからでしょうか?
より深く映画を味わえました。

大島渚監督の脚本は、原作よりは、よりヨノイ大尉に寄り添って描かれていると感じました。

ヨノイ大尉が皇道派の人物として、大島監督の脚本では描かれていることから、本当はこの戦争に心の底では賛同していたとはいえないと思うのです。

軍の上層部の命令によって、

「兵器や銃に詳しい俘虜の名簿を出すように。」と、俘虜長に言い渡しますが、

言われたとおりにすることは、仲間を味方と戦わせることになることはわかりきっているので、俘虜長は拒否し続けたのですね。

上層部の命によってさせられるのは、収容所の所長の役目なのです。

このやらされている、言わせられている感が、どこかにあって、ヨノイの悲しさが
浮き彫りに。

そういうこともあり、法廷で、セリアズが、なにがあっても正々堂々とした態度を貫く姿が、ヨノイの心に刺さったのではと思います。


セリアズが、ヨノイの従卒から命を狙われた際、営倉から脱走して、ヨノイと鉢合わせになって、

短剣と日本刀で向き合いますが、ヨノイは「やっと名誉ある死を向かえられる時が来た。」と、真剣になります。
ところがセリアズは戦うことを放棄、短剣と日本刀じゃ勝負にならないと思ったのでしょうか。
ヨノイには自分を殺せないと察したのでしょうか。
ヨノイは「私を倒せば自由になれるぞ!」と挑発したように言い放ちますが、
セリアズはじいーとヨノイを見たまんま・・・「こいつは死にたがっている。戦争に飛びついた自分と変わりはしない。」と思っているのでしょうか。

ヨノイは、セリアズが(斬り合うことで)、自分と同じ死など求めていなかったのだ・・・
ここで自分とは分かり合えない人物だったのだと思い込みます。

だから、従卒のヤジマの葬式に、ロレンスを呼び出して「君の友人には失望した。」
と言い放ったのです。

広場で、なおも兵器、銃に詳しい俘虜の名を上げろと、ヒックスリー俘虜長に命令して、
尚も拒否されたことで、処刑せざるを得なくなったのも、追い詰められた感があります。
上層部からの命で、やらされている・・のでは、と。


映画では、セリアズの回想シーンがやや長く感じられますが、原作ではもっと長く、一番重要なところで、もっとも一番多く描かれている部分です。
セリアズの心をより細かく鮮明に描かれていて、原題「種子と蒔く者」の主要部分なのです。

映画ではひとこともないのですが、原作では、法廷でヨノイがセリアズを助命した理由は、ヨノイがセリアズの「容姿が(顔が)気に入った」からと、さらりとセリアズに言っているのです。
セリアズも「ヨノイも僕も同じように、あでやかな羽毛に眼のくらんだ鳥仲間ってところだろうな。彼も僕と同じさ。」
と、最初見た時から互いに惚れあっているのです。

原作に比べて、映画では、セリアズに関する部分が省略されすぎていて、
これが、広場でのセリアズからヨノイへのキスの動機を不明なものにしているというか、

これをデヴィッド・ボウイの演技だけに頼るのは、無理というものでしょう。

何度も映画の細部を見直して、原作も読んで、やっと納得がいきましたが。


テレビで放送された「戦場のメリークリスマス」
戦争によって狂わされた悲しい男たちの悲劇を描いた映画でしたが、坂本龍一さんの音楽で、よりいっそう悲しくも美しい映画となって感じられました。




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