高度経済成長の1960年代、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ…」で一世を風靡し人として知られる。
映画、テレビ等を通じ、無責任男を演じ、そこで受け止められた人柄に対する感じと、「"平均"のようにスイスイ生きていける人間、うらやましいすよ」と話していたとのことであるが、そのギャップが面白い。
映画評論家の佐藤忠男氏曰く、「軽佻浮薄(けいちょうふはく)の芸風に対して、根が非常に真面目な人間だったことが印象的である。僧侶で、反戦活動家でもあった父親の影響が大きいのだろう」と評している。
まさに、表面的には、「無責任男」のように映る側面があるとしても、「内面は正反対」であったということになる。
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あるいは、誰でもそうかもしれない。
例えば、仕事の場で見せる表情(=いわゆる外面性)と、心の中(=いわゆる内面性)とは食い違っていることが多々ある。
私などもそうした部類の人間であると思う。
いわゆる、「他人が見、感じる私の実像」と、「私自身の本当の実像」は異なっている可能性が高いということになるのかもしれない。
植木さんの場合も、「映像から受ける実像」と「現実に接して受ける実像」との乖離が大きかったということになるのかもしれない。
そういう私も、植木さんの人柄に関しては実際にお会いしたわけでもなく、まさに、「映像通りの人柄か」と感じていた次第である。
いずれにしても、ご冥福をお祈りしたい。
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